« 生きて死ぬ私 (ちくま文庫) | トップページ | 生と死の不良設定問題 »

2006/05/11

In a nutshell......

昨日に引き続いてテンパった状態が
続き、精密機械のようにしゃかしゃか
手を動かし続ける。

 いまや伝統芸能となった
「地下鉄の隅でしゃがみ込んで
キーボードを打つ」という技も
もちろん繰り出す。

 しかし、スクワットをするので、
実は太ももが痛い。

 先日、コワイ体操でスクワットを
やっていたら、
 3日くらいまともに走れなくなって、
ちょっと後悔したのを思い出した。

 六本木ヒルズ近辺でブレスト。
 抽象的な思考の良さは、
様々な事象の中から普遍性を抽出して、
 その純粋なダイナミックスに寄り添って
遠くに行けること。
 
 一方、具体的なことを立ち上げる
ことの良さは、
 empiricalに接地するという
こともあるけれども、
 その具体性の中に抽象性とは
別の形で遠くに運んでいってくれる
モメンタムがあるからじゃないか。

 さらに言えば、具体と普遍の
間には汽水域があり、完全に分離している
のではなく、お互いに混ざり合う。

 『モナリザ』という一枚の絵
は具体であるとともに、
 私たちを遠くに運んでいく抽象でも
あるのだ。
  
 上の議論自体は具体なのか、それとも
抽象なのか、
 これはとっくり考えねばなるまい。

 電通の佐々木厚さんがアレンジしてくださって、

Sarah Marie Cummings
との会食。

 先日の「オブセッション」
以来、久しぶりにお目にかかった。

 長野オリンピックから日本へのコミット
メントを始めたSarahにとって、
 電通は至るところをLittle Tokyoに
してしまうrivalだったが、
 佐々木さんを知って、ちょっと電通に
関する考え方が変わったという。
 佐々木さんの電通のpublic relationsに
おける功績は大きい! 

 Sarahはもともとはアメリカ人だが、
日本語がうまい。
だから、日本語で喋っていて何の問題も
ないのだけれども、
私は以前から、英語nativeの人たちに
日本語を喋るということについて、
なんとなく居心地の悪い思いを抱いていた。

 それが、Sarahの喋る日本語を
聴いているうちに、一つのインスピレーション
が浮かんだ。

 Sarahが、ワインを飲みながら、
「私はいろいろな帽子を
被りますから」と言った。 

 英語では、with my university hat on,
(大学の一員としての立場では)
with my company hat on,
(会社の一員としての立場では)
などと言う。

 ははあ、これはあれの直訳だなあ、
と思った瞬間、そうだ、それで行こう!
と思った。

 伏線としては直近の体験がある。

原美術館で、6月に束芋さんの展覧会『ヨロヨロン』
(6月3日〜8月27日)が開かれるが、最近
そのパンフレットの解説文を書かせていただいた。
英文にも訳されるということで、
意識して翻訳しやすいような文章を書いた。

もともと、私の日本語は時々おかしくなる。

「この通りは忙しい」などというが、
これは、
This is a busy street.
から来ている。

それで、佐々木さんのとなりでSarahに
対していろいろ「もともとは英語の言い方を
日本語にして言う」というゲームをやっていたら、
何だか気が楽になって、ぺらぺら喋れた。

「それは、くさびの細い側です」
「小さなクルミの実の中にまとめると」
「一日の最後から見れば、それば・・・」

 必要は発明の母である。

 At the end of the day, in a nutshell, that might
be the thin end of the wedge.

5月 11, 2006 at 07:38 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: In a nutshell......:

コメント

Sarahさんとのコミュニケーション、さぞはかどったのでは、とちょっと可笑しいです。(笑)

ヨーロッパには、こうして色々な共通の表現が広まっていったのかもしれないですね。以前、'That's life'は'C'est la vie'が起源で、とてもフランス的な表現♪、と思っていたところ、フランスの友人には「いや、イタリア語が元だよ!とてもイタリア人的だと思うけれどな。」と驚かれました。

・・・もしかしたらもっと遡れるかもしれないですねv

投稿: 朝 | 2006/05/12 1:00:52

う~ん、具体と普遍の汽水域…。まさにこの世はそんな感じに出来ているのかもしれない。

この世は具体的なものと普遍的(抽象的)なそれとが混在して出来ているのだ。私達はその中で呼吸し、活動し、休息している。

あらゆる芸術は、具体であると同時に、私達を異次元へと招きよせ、連れて行く抽象でもあり、そこには普遍という名の世界が横たわっている。

脳科学者も惑わせる、具体と普遍の汽水域。

言葉って生き物なんですよね。英語での言いまわしを日本語で言っても、そこから新しい言葉の世界が生まれてくるのですから。

伝統的な英語、日本語のセオリーにしがみつくことは必ずしも重要ではないですもんね。

「いろいろな帽子を被る」「楔の細い側」「小さな胡桃の中にいれると」…。いくらでもユニークな言い回しが出来る。

言葉が生き物であるなら、時代につれて変化するのはあたりまえなのですが、世間の専門家たちは、何故か、昔ながらの「美しい日本語」の復興にこだわっているようです。

昔からある日本語だけが、日本語ではない。伝統語にこだわることだけが日本語の復興につながるとは如何しても思えない。

日本語が痩せていっている、一つの理由として、じぶんなりにこの場を借りて考えてみたが、それは、専門家たちが、伝統的な日本語の復興ばかりにとらわれていて、「ぴぴたん!」「へろべろ~!」といった擬音や、新しい言い回しを排斥しているからではないかということだ、と思う。

日本語の危機を憂えるあまりに美しい伝統語
を復興しようとしていることが、逆に日本語を豊かにするどころか、かえって痩せさせているのではないか。

「ぴぴたん!」「へろべろ~!」なんていう言葉は美しい日本語とは言えないが、実はこういう新語こそが情報過多の時代で痩せてしまった日本語を豊かにしてくれるに違いない。

新しい言い回しが、日本語の語彙を豊かにしていくという事を、もっと専門の方々も気付いてもらいたいものです(…気付いているかな?)

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/11 18:34:03

「wedge」は、あのウェッジウッドのウェッジかしら?

などと、思い浮かびましたが
最後に e のない人の名前が由来だったようで…

さて、話を元に戻して『具体と普遍の汽水域』

何でこんなにオモシロイ言葉が、想い浮かばれるのか?

ほんとうに、「脱帽」です!!

さて、『気になる キーワード』の時間です!!

トーべ・ヤンソン著「島暮らしの記録」を読んで

「人間というのはときに直感で動くものらしい」
というフレーズがありました。 

ウ~ムッ!

「ときに」ということは、反対は「理性的に」ということかなぁ?

最後は、どちらを通っても一緒になるような気もしつつ・・・

cool or hot ???   ではないか…

結局また、良く分かりません…

英語で「直感」または「直観」に当たる言葉を
あれこれ探してみようと想っています。

投稿: TOMOはは | 2006/05/11 8:42:38

この記事へのコメントは終了しました。