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2006/05/23

茂木健一郎 唯脳論2.0 「対話篇」

Lecture Records

茂木健一郎 唯脳論2.0 「対話篇」

2006.5.22. 東京芸術大学 美術中央棟 第三講義室

音声ファイル(MP3, 86分、39.8 MB)

5月 23, 2006 at 07:02 午前 |

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コメント

はじめまして、謙遜して唐突にたくさん書きます。。。。Ajax engine。。。たとえばこんなことばをとなえてみることが、芸術表現にとって、創作意欲をかきたてるというか、創作の指針になるなんてことにはならないだろうか。あるいは創作の神秘と思われるものをすこしでもなぞってみるなんてことができないだろうか。。。唯脳論2.0はWeb2.0からとっているということだから、Google MapsなどのWeb2.0を代表するサービスを実現しているテクノロジーであるAjax(Asynchronous Javascript + XML)。。。というか、このところぼくが「メタファー」としておもしろいとおもっていたAjaxを、Web2.0にかこつけてここにもちだしてみます。Ajax engineは、Ajaxのしくみのなかで、ウェブサーバとウェブクライアント(ブラウザ)のあ。い。だ。にはいって、サーバとクライアントをasynchronous(非同時)にやりとりするもの、させるもの(プログラム、アルゴリズム)。これまではクライアントはサーバに直接要求して、答えを待って、答えを受け取っていた。待ち時間があった。Ajaxテクノロジーでは、Ajax engineがクライアントの要求を受け取り、クライアントの要望に応対し、サーバの方に問い合わせが必要なものだけをサーバに問い合わせることになる。待ち時間がなくなった(サーバの存在を感じさせない。サーバが「いんぺい」される。asynchronous)。原研哉が「マスプロダクトを考えるときに、素材感を大切にする」と言うとき、デザイナーとマスのあ。い。だ。にはいってつなぐものとしての、そ。ざ。い。か。ん。クライアント(マス)は素材感に対面し、素材感と感じあう(デザインする者、デザインの意図が「いんぺい」される。マスはデザイナーの目の前で消費しない)。engineとしての素材感。それ独自の生命を持っているように感じること。生命の神秘。創造の神秘と思われるもの。ことばがのるようにメロディをつくるだけでなく、メロディによってことばがえらばれる、そうしたメロディとことばというそ。ざ。い。か。ん。たち(メロディとメロディに誘発されたことばたちのうしろに作者の意図が「いんぺい」される。。。?小説は展開(保坂さん)がengineで、小説家は小説の展開の裏に隠れることができる。稀代のストーリーテラー。。。というわけでAjax engineということばのもつ「抽象力」にみちびかれるままに書きました(そしてぼく自身はその裏にかくれる)。。。じっさいには、Ajax engineと原さんの素材感ということばを重ね合わせてみることを思いついたのがこの文章を書くきっかけです。。。とりあえず創作の際の合言葉は「あいだになんか入れようぜ」ということなんだけど。。。なんかって、だから、まじないをとなえるようにAjax engine。作品が固有の生命(engine)をもつように。。。

投稿: | 2006/05/26 5:20:27

茂木さん、色んな場所でいつもご活躍拝見させていただいています。この様な形で講義を公開していただけるんなんて、ありがたすぎます。というか、めちゃめちゃおもしろかったです。

僕は、一応映像制作を生業にしとるんですが、しかし「げーじゅつ」などと言うモノとはほど遠い、それはもはやインダストリアルデザインという感じです。

確かに「マーケティング」とか言われるとウンザリです。同じ様に「メッセージ」とかヘタに込められるとウンザリで、僕の中では「世界に1人だけになっても、コイツはコレを作るだろうな」って思えるモノが、心を動かすモノな気がします。

それは「産み出す」んじゃなくって「吐き出す」ものじゃないか、と。荒川さんのツバみたいに。アレ、音で聴くと、グッときます。でもそれは他者との関係の中で溜まったツバな訳だろうし、そーすっと、「毒出し」ってのは、スゴイ、あーって思いました。

あと、漱石の面白さっていうのは、茂木さんの言う「批評性」とスゴく関連してると思いました。あの人、いつも自分とか近代ってモノの隣に何かをおいて見てみるって感じが、すごい、ありますよね。

と、ダラダラと失礼しました。
これからも、講義、楽しみにしてます!


投稿: | 2006/05/25 3:04:14

荒川さんの言葉が、私の心に響くことはありませんでした。
噴火してる火山みたいに激しい言葉だけど、血が通ってない気がして。
愛や、魂を捨てろとおっしゃっていたけど、それが
どんなものなのかわかってもいないのに、捨てることが
できるのでしょうか。
「私」だって何をもって「私」というのかあいまいなのに?
よくわかりません。

私は、批評も、血が通っているものならば、
心を揺さぶる芸術になると思います。

言葉も、絵画も、それが正の力であれ負の力であれ
どうしょうもなく伝えたい
何かがあって生まれたものだと思うし。
始まりは同じだと思います。


茂木さんがおっしゃっているように
創作活動してゆく上で、どうしても自己批評能力は
必要だと感じています。
自分を正当化することに夢中になるのではなく、
あらゆる視点に身をさらしてみるということ。
その関係性の中に新たな自分を発見してゆく。
それは義務のようにも思えます。


投稿: | 2006/05/24 23:04:54

あっ!!

子どもを起こしながら、ひらめきましたが

答は、たぶんひとつではありません・・・

それぞれの方に特別な想いがあって
考えてみることに意味があるような、ないような・・・

投稿: TOMOはは | 2006/05/24 7:29:44

人は、なぜ語りたがるのでしょうか?

誰にも受け入れられなくても
やはりそうしないでは、いられないものでしょうか?

なぜ、絵や作品を創るんでしょう?

人が見ることによって、それは作品になるのでしょうか?

表現したいという想いだけでは、足りないのでしょうか?


音声ファイルもまだ途中までしか聞いておりませんし
私は、何かを創ったり表現することには慣れない素人なので
大きな素朴な疑問が浮かんできてしまいます。

芸大生の方々の、フレッシュなお答えを伺えるのが
とても楽しみになりました!

いつか、ライブでお話を伺ってみたいなぁ・・・
と想いました。

投稿: TOMOはは | 2006/05/24 7:03:42

講義途中で抜けて、東大の高橋悠治さんの講義聞きに行ったんだけど
途中からでもすごくおもしろかったけど、印象的なのは、
自由にできる空間を作ることだって言ってたことで、

ギャップ理論ってのは、観客から見た見方であって、
むしろ、束芋さんが言ってた、アニメなんて一番やりたくない分野だった
というところに、飛び込んだことで、できた自由な空間が重要で、
作家本人にとってのギャップが問題なのではないか、
漱石のギャップも、
本当に苦しくて語ることができないことを、
でもそれを語らなければならないのではないか、
それをなんとか語る方法

投稿: 杉原 | 2006/05/24 1:26:32

こんばんは。
僕は芸術にしても組み合わせで、そこで重要なのは科学的な精密さ、だと思います。そして組み合わせの時にできた残りかす、連結部分が独創性と呼ばれているんじゃないか。前に荒川さんが「と」に一番興味があると言っていたのも、妙に納得する箇所でした。

投稿: | 2006/05/24 0:29:34

茂木先生へ

昨日の芸大の聴講、直前まで行くつもりでいました。今日は行ける! と思ったのですが・・。なんだか恥ずかしくなってやめてしまいました。(笑)
でも音声ファイルで今日聞くことが出来て幸せ!
学生さんたちとのやりとり、面白かったです!

荒川修作さんの感想から入りましたが、やはりあの「愛とか魂とか美しいとか、そんなもの、この窓から棄ててしまえ!」と言う、インパクトのあるお言葉、刺激があって、感動しました。とっても面白い人だなぁ、と思いました。(音声ファイルで以前聞いたのですが)

あれって、今自分が持っている、既成概念を窓から全て棄てて、無になれってことじゃあないですか? 全て、心の中のものを空っぽにした時、初めて見えてくるものがある、という風に私は荒川さんのお話を理解しました。まだ荒川さんの本とか作品に触れたことは無いのですが・・。

それから、モーツアルトは金遣いが荒かった、と言うお話がありましたが、声楽家の佐藤しのぶさんが、以前『竿だけ屋は何故つぶれないのか』の著者との対談の時、モーツアルトに限らず音楽家で金銭感覚の優れた人はいない、と言っていました。
それで私は、多分、芸術家で金銭感覚に優れた人はいないのだろう、と理解しました。(^-^)

それから、束芋さん、朝日新聞を取っているので、毎日、連載小説の挿絵を見ています。

束芋さんの絵はとても強烈に視界に入ってくる絵です。見ようと思わなくても、むりやり目に入ってきます。
毒、と言うお話がありましたが、私が感じるのは、彼女が自分の毒気を絵にしているのではなく、人間の誰でも持つ、エグさ、毒気、恐怖を、あえて美しさを排除して、人間の身体の手とか足とか口とか部分アートを独自表現しているのでは、と感じます。
私は、新聞以外では一作品しか観たことがなかったのですが。

文学にしても、絵画にしても、優れた芸術作品にはあやしい毒があって、それが魅力なのかしら、とも思います。

それから、夏目漱石の「我が輩は猫である」ですが、私は小学校の時、少し読んで、漢字が多くてイヤになって、途中でやめてしまったのですが、茂木先生のお話を聞く度、もう一度トライしようと思っています。
昨日の夕方、青山霊園の主のような虎猫に私は話しかけました。彼には人格ならぬ、猫格があるように思えました。とても思慮深くて、犬と違って、考えてから動くという感じでした。
ロダンの「考える人」ではなく「考える猫」という感じで猫の奥深さを感じました。 

投稿: | 2006/05/23 21:27:52

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