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2006/04/24

センスのいい人はそれを知っているんじゃないか

 何だか呆然の日曜日。
 とりわけ、これ、という要因で
呆然としているというよりも、
 合わせ技でボーゼン。

 青山ブックセンターへ。
『ひらめき脳』
について、「女性セブン」の取材を受ける。

 女性セブンということで、インタビュー
を受けているうちに
 こんな方向に話がいった。

 「セレブ」というものにあこがれて
いる読者がいるとして、その「セレブ」
の生活は、やってみると案外つまらない
もんじゃないか。

 今、高級ということは記号消費から
クオリア消費に向かっている。
 田中康夫さんが「なんとなく、クリスタル」
を書き、バブルに至った頃の
「これは高級」という記号を消費する
時代は終わり、自分が感じている
クオリアの良し悪しを正確にモニター
できる時代になった。

 クオリア消費時代には、マンダリン・オリエンタル
やパークハイヤットにあるクオリアが
壊れかけたブロック塀の横に咲くタンポポに
降り注ぐ太陽の中にもあるということは
あり得るのであり、
 いわゆる「セレブ」と言われる人でも、
センスのいい人はそれを知っているんじゃないか。
 
 つまり、「セレブ」という幻想は差異に
よってもたらされるだけで、
 そのillusionから自由になるためには
逆説的だが一度「セレブ」に
なってみるのもいいかもしれない。。。

 他にもいろいろお話したが、
どうも自分は最近illusionの通貨性に
もっとも興味があるんだな、と思った。
 
 佐藤雅彦さんとの対談。
 
 佐藤さんとお目にかかるのは、
数回目。
 いつも顔を見たとたんニコニコしてしまう。

 佐藤さんの「ひらめき」を
私が解剖する、というスタイルで
対談が進む。

 佐藤さんが高校の3年間、
テレビもない下宿で自分と向き合っていた、
という話がとても面白い。

 それは、永平寺の無言行と同じことではないか。

 質疑応答。クリエーターの卵は、
みんな、自分の中にHopeful Monsterを
一匹飼っているなり。

 サイン会で、
 一時間「フラワーピッグ」を描いた。

 本を持参された方のお名前を記している
うちに、思いついて吹き出しを描いたり
遊び始め、
 「フラワーピッグ」の変種が沢山できた。

 「フラワーピッグ」は、昨年の
九州大学のシンポジウムの時に、
ノートにいたずら書きをしているうちに
誕生したもので、
 その後、これは「自画像」だと認識
するに至った。

 セガの人たちとPSP向けの
「アハ!体験」
のプロジェクトをしている時に
サインで描いたことがきっかけとなって、
ゲームのHPなどにマスコット
・キャラクターとして登場している。

 打ち上げ。

 ワインで始まる、素敵なそば屋さん。
 新潮社の北本壮さんの見立てなり。

 楽しく談笑しているうちに、ボーゼンも
少しは霧散していった。

4月 24, 2006 at 07:46 午前 |

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コメント

フラワーピッグってキュートでユニークで、
どことなく茂木さんに似ていると思っていました。
見ていると思わずニコニコしてしまいます。

関西では「ひらめき脳」発売記念のトークショーや
サイン会の予定はないのでしょうか。
是非、茂木さんのお話を生で聞いてみたいものです。

火曜は「サラリーマンNEO」ですね。
スゴ録のセットは大丈夫ですか?
と人のことを言っている場合じゃなかった。
私もチェック、チェック・・。
どうも失礼しました。

投稿: かりんと | 2006/04/25 1:55:45

おお、あのカワユイ、フラワーピッグの誕生秘話!って、そーか、そーいうことだったのか…。九大のシンポジウムで彼は誕生したというわけだな。でもって、今やピッグちゃんは茂木先生の「自画像」と化しているというのだな。いや、「自画像」というよりは先生の「分身キャラ」というべきかもしれない。

そんなピッグちゃんも、PSP用ゲームソフトHPのキャラもやるようになったのだね。これがひょっとして“公式デビュー”ってことなのかな。

自分も「らくがき」として、昨年7月に行なわれたQUALIA2周年イヴェントの講演にていただいた茂木先生のご本にサインしていただいた、このピッグちゃんを描こうと思い立ち、昨年9月から「らくがき」イラストとして描いている。サインしていただいたピッグちゃんにはくるくるしっぽがあったので、しっぽもつけて描いている。

あと、「セレブリティー」の話について。

「クオリア消費時代には、Mandarine OrientalやPark 
Hyattにあるクオリアが、壊れかけたブロック塀の横に咲く蒲公英に降り注ぐ太陽の中にもあるということはあり得るので、いわゆる『セレブ』と言われる人でも、センスのいい人はそれを知っているんじゃないか。
つまり、『セレブ』という幻想は差異によってもたらされるだけで、そのillusionから自由になるためには逆説的だが一度『セレブ』になってみるのもいいかもしれない…」

この文章を写しているとき、私の頭の中に浮かんだのは、平素TVで見かける、やたらと“ゴージャスぶった”「セレブリティー」達の姿であった。

彼等はそのファッションや暮らしぶりが豪勢というだけで、何処か一種の「中身の無さ」を感じる。

また「ちいさきものささやかなものにクオリアを見出し、感じるセンス」があるのかどうかも疑わしく思える。

○○○姉妹とか○○夫人とか、ああいう、TVで「セレブリティー」を“演じている”人達は、「セレブ」という幻想にとり付かれているように思える。

また、彼等は、ブロック塀の横に咲く蒲公英や、駐車場のコンクリートから芽を出し、花を裂かせる菫のような、ささやかなものちいさきものに、この上ない美しいクオリアを見出し、感じるセンスを持ち合わせているのかどうかも疑わしい。

ただ、豪勢ぶってTVの前でええかっこしいをしているだけなのかもしれないし、また、それが彼等の仕事なのかもしれない。

もっともこれは日本だけの現象で、諸外国のセレブリティーの中には、ブロック塀の蒲公英のような、ささやかなものにクオリアを感じることをちゃんと知っている人が少なからずいるに違いない。

そんな「セレブ」幻想から自由になるには自分がそういう「セレブ」になるという逆説的なことをしなくてはならないなんて…。

そうやってしまったら、かえってそういう幻想にとり付かれて、もとの生活に戻れなくなってしまうかもしれない。

もし、茂木先生が「セレブ」生活をするようになったら、どんなふうになるのだろう?

「へんてこ」と「ゴージャス」がないまぜになったものになるのだろうか?

※このエントリーの上の「脳から始まる」のコメント欄にこれとほぼ同じ内容のコメントを誤って打ちこんでしまいました。
よろしければ削除をお願い致します。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/04/24 19:27:43

昨年の九大シンポジウムに参加しました。
他のパネラーが話をされている時、
茂木さんはずっと何かを書いているようでした。
パネラーの話がつまらなかったので、ずっと茂木さんの
手元ばかり見ていたら、円を書いているような感じでした。
あの時の書き物がフラワーピッグにだったんですね。
製作現場に立ち会えて光栄です。

投稿: utahoshi | 2006/04/24 11:18:28

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