« 木棲flower pigくん | トップページ | プロフェッショナル 仕事の流儀 鈴木敏夫 »

2006/04/06

春風ふわりのごとく、越境してしまう

さくら咲くすずかけ台へ。

 修士論文構想発表。
 三人の発表を、「よくここまで大きくなったなあ」
というような感慨を持ちながら聴いた。

 大久保ふみは、jealousyという難物を、
うまく実験研究できるようなパラダイムに
着地させた。
 ultimatumなどのgame理論の文脈を、
timeやattentionといった属人的資源へ
転化することで、かなり面白い問題設定が
できたんじゃないかと思う。

 箆伊智充は、intentionalityのstructureを
複雑にしたところがミソで、lateralityの
問題が以前としてcomplicatedだけども、
実際にやってみると意外な結果が出る可能性が
ある。
  self-induced synchronizationにおける
lateralityの効果が出たとしたらかなり面白い。

 抽象的空間概念から出発して、
何回かの練習でもうまくそのアイデアを
人々に伝えられず(egocentric, allcentricとの
関連性などがわからなかった)、
前日の予行で一生懸命debuggingした
「一番心配な星野英一」は、実は本番に強かった!
 VIS, VDSという「defined by Hoshino」
の概念も、anchorとしてのobject perceptionを
全面に押し出すことで、独自性を
主張できそうだ。

 皆、無事通過。

 その後の、博士の中間発表、
関根崇泰と恩蔵絢子は、
 百戦錬磨。安心して聴いていられた。

 考えてみると、大学院における学習曲線は
かなり急峻なのではないか。
 人の前で自分の考え方をきちんと
伝えられる。
 これはやさしいようで案外難しい。
 
 みんなエラかった、というわけで、
すずかけ台駅前の「てんてん」へ
 なぜか数えると十数名にふくれあがっていた。
 中村清彦先生の研究室の学生さんも
ジョインしたからである。

 麹町の日本テレビへ。
『ニューロンの回廊』第二回の収録。
 ピアニストの山下洋輔さん。

 山下さんのコンサートには何回か行っている。
確か日野市で、「ラプソディー・イン・ブルー」
を聴いたこともあったと思う。
 あの熱狂とクールさが入り交じった
音楽が、大好きなのだ!

 伝説の「ひじ打ち」が生まれたきっかけが
面白かった。
 ある時、セッションをやっていて、
ドラムがかなりアグレッシブだったので、
対抗するために「えーぃ、やっちまえ」
と思ってやったのだという。

 山下さんの場合、「新しいことを
ふっとやってしまう」ことが
いかにも唐突で、しかし確固とした
ロジックに基づいていて、
 春風ふわりのごとく、越境してしまうのである。

 花野剛一プロデューサー、
あるいは森義隆ディレクターの差し金?
で、なんと山下さんとセッションをやることに
なってしまった。
 山下さんはもちろんピアノ、私はボンゴ。
あな恐ろしや。

 収録前に、ボンゴの打ち方を習ったが、
いい音を立てるためには、
端のところに手の平を打ち付けて、
指がその勢いでバン!
と太鼓の真ん中あたりに当たらなくてはならない
らしい。
 
 そうやったら、案外痛い。
出雲で島田雅彦とバッティング・センターに行って、
130キロの球を打ったので、
その後遺症の手の平が痛い。

 それでも、本番は一生懸命打った。
 天下の山下さんとセッションできるなんて
滅多にない。
 がむしゃらにやった。

 打ち終わって、手を見たら少しムラサキ色になって
バナナのようにふくらんだ。

 打ってみてわかったこと。
 会話では、かわりばんこ(turn taking)で
打たなければならないが、
 音楽は同時にできる。
 二人で、併走できる。

 そうか、それが会話とセッションの最大の
違いだ! と身に染みた。
 そこから広がる世界がある。

 山下さんとの会話は、あまりにも面白いことが
多々あったのだが、一つだけ書く。

 山下さんと話していて得た大切な
インスピレーションは、そうか、外国語を
音楽として聴けばいいんだ! ということ。
 世界には言語が6000もある、
と言われると絶望してしまうが、
 意味を理解しようとするからで、
音楽としてそのリズムやイントネーションの
多様性の豊かさを味わえばいいじゃないか。

 誰か、6000の言語のすべてを収めた
CDか何かつくってくれないかしらん。

 収録を終えて、上野公園へ。
芸大の植田工と、電通の佐々木厚
さんが花見を企画してくださった。

 竹内薫も来ていたようだが、私が
着くのが遅くなってもういなかった。

 NTT出版のマキロンこと牧野彰久さんが
いて、きちりと原稿の催促を受けた。
 筑摩書房の伊藤笑子さんはいつものように
えみえみ坐っていた。

 そのうちに、文學界編集長、
大川繁樹さんを「組長」とする文藝春秋の一団が
到着。
 山田憲和・若頭、山下奈緒子・姉御、中本克哉・
切り込み隊長が、
 満開の夜桜の下で見得を切った。

 山下さんは、文學界からCREAに移って
しまわれた。
 姉御のスピリットは、切り込み隊長が
受け継ぐでありましょう。

 大川さんに、
 「茂木さん、これを聴くとモーツァルトの
レクイエムがより好きになりますよ!」
と言われて、CDをいただいた。

 流しの青年が来て、みんなで
尾崎豊を激唱したような気もする。

 深夜、
 Philippe Herrenweghe指揮のレクイエムを
聴きながら、一人の男は眠りにつきました。

4月 6, 2006 at 09:49 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 春風ふわりのごとく、越境してしまう:

» 若いヒトは結局オンナノコなら誰デモイイッテ事なんだね、、、 トラックバック かえで
ナノニ年上のヒトからは何も言われないヨウ、、、なんか淋しいブ。。。 [続きを読む]

受信: 2006/04/14 9:09:17

» yanon トラックバック
rammstein reise reise audiovent incus [続きを読む]

受信: 2006/04/28 12:41:58

コメント

 リリースされてから15年、常にマイベストとして聞きつづけて
いる、1枚のアルバムがあります。
 15年前に買った輸入盤CDは、持ち歩いたりして聞きすぎて
傷だらけでだめになったので、数年前に、再日本盤化されていたものを2枚目として購入しました。
 ライナーノーツのあとには小さな文字で、
  
  *英訳、対訳はアーティストの意向により省略させて
 いただきます。ご了承ください。

 と、そっと書いてある。
 私は、この人達のは他のもそうだからと、気にせず、
 ノイジーで甘い、ぼわぁんとしたメロディの中に聞こえる
歌声を、15年間「外国語を音楽として聴いていた」のです。

 ところが…最近偶然にも歌詞を知ってしまった…!!
 この衝撃はかつてない感じの衝撃で…。
 けれど、歌詞を知っても、私の中でのこのアルバムの素敵さは
変わらなかった。ますます甘美でいい感じ!良かった!

 自分がよくわかっていない言語の音楽だと、言葉も音楽として
聴けてる気がします。
 ってことは私は?5999の言語は音楽?母国語すら怪しい?

 たけちゃんまんセブン、マキロン、組長、若頭、切り込み隊長…
なんだか大変そうね…。

 130キロの後遺症ありとはいえ、ムチウチバナナ…。
 茂木さんの手、見るからにモチモチやわらかそうだよね…。

 茂木さん、一人で眠るんだ? ふうん。

投稿: 龍神 | 2006/04/13 20:22:11

今日は、茂木先生と河合先生お二人の

“協奏曲”のようなお話を、楽しく、ほんとうに堪能いたしました。

印象に残ったこととしては

河合先生からは、どんな質問に対しても
「おもろいな~」とか「わかりまへんな~」という
一定のトーンを崩さない熟練・修練が

茂木先生からは、その都度変調する変奏曲のような面白さが
感じられました。

ほかにも興味深いことは、山ほどありましたが

ここでは、お聞きできなかったご質問のための、気になるキーワードを書いておきます。

河合 隼雄著「ユング心理学入門」より
①東洋と西洋の問題―意識の構造―日本の課題
 
日本が、東洋と西洋の間の中間地点あるいはその接点として
その意識の構造もたぶんにその両者の中間的性格をもっていること
②普遍的無意識について

ご質問としては、

4月6日付の日経新聞の河合隼雄先生の「新しい国のかたち」を読んで。

これからの子どもたちの生きる“新しい日本のかたち”を考えるとき

日本人の心の底に眠る普遍的無意識と、これまでの歴史的な経緯における自信喪失をふまえて

希望を育てていくためには、どんな手立てが、導き出されるでしょうか?

文化庁長官のお立場を離れた河合先生と、茂木先生の
できれば、魂の声を伺ってみたいです!!


質問の答を知りたいというよりは、

その場にいた方たちの意識の表面に小石を投げるように
この質問を投げかけてみたいというのが、本心かもしれません。

私も河合先生のユーモア精神を見習って

飄々と、世界の中心で、不思議になことに対する自分の想いを
素直に叫んでみたいです!!

投稿: TOMOはは | 2006/04/08 1:08:44

北国に住む、歌うことをライフワークとしている者です。

>山下さんと話していて得た大切な
>インスピレーションは、そうか、外国語を
>音楽として聴けばいいんだ! ということ。
>…

上のことを言語→音楽として
音楽→言語、特に"歌"に関して。

歌(=音楽)の最も心を捉える部分は、
言語の語感や発音のダイナミクスなど、
リズムと、発せられた言語とが合わさった時に生まれるもの、
その言語への理解を超えたところにあると感じています。
音楽も同時進行で言語のリズムやイントネーションを
歌い、楽しみ、味わっているのだと思います。

>音楽としてそのリズムやイントネーションの
>多様性の豊かさを味わえばいいじゃないか。

まさしく!

我々にはその多様性を味わう力が授かっていること!

何て素敵なことなのでしょうか。

_______

いつも楽しみに拝見しております。
今日は雪の降った北国より、ご活躍をお祈りしております!
乱文ながら失礼いたしました。

投稿: Kiri | 2006/04/06 19:33:03

「ニューロンの回廊」の第2回の収録で山下洋輔さんとセッションされたんですか!すごいですね!

音楽として外国語を聞けばいい、って、そうか、やはりそれでいいのか、と感慨新たです。

というのは、よその言語を覚える為には「意味を理解していなければならない」という固定観念が、私の中でも外国語履修を妨害していたわけで、今回のエントリーを読んで、「そうか、音楽として聴いていれば好いんだ!」と納得した次第。

そこにて思いだしたるのは、中学時代に英語勉強用のテキストにあった、
「単語は音で覚えろ」との記述。
そうか、あの記述は、「どんな言葉でも音で聞いて覚えろ」という深い意味が含まれていたんだな。音楽としてその豊かなリズムとイントネーションの妙味を味わいつつ、習得すればよいという意味なのだったのだな…。

思えば、母国語を覚えるんだって、まず、音から覚えて行ったんではなかったか?意味については、アトから覚えていったような気がするのだが。

それにしても、あの世界的なモダンジャズ界の巨匠とセッションしちゃうなんて、茂木さんて本当にマルチなお方なんですね…。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/04/06 18:05:58

「人の前で自分の考え方をきちんと伝えられる。
 これはやさしいようで案外難しい。」


私にとっての、 『今日の一言』  ですね。


ひとつ思うには、話し言葉の場合は、

ある程度、その瞬間に通いあうものと共有する空間に影響されるような気がします。


書かれたものは、また別のいろいろな要因によっていいこともあれば、
書いた人の意図と受け手の理解の相違などに驚くことがあります。

消えずに、文字として残っていることの良い面悪い面もあるのでしょうか?

とにかく、考え方や思いを伝えることは

ほんとうに難しいと、痛感している私でした・・・

投稿: TOMOはは | 2006/04/06 14:17:16

jealousyを実験してしまうなんて、すごいですね。
幼い子どもでも
(母)親を取り合うきっかけである感情ですよね。

立川志の輔さんの
高齢者の落語好きは、抑揚のある声だけでも
自分の経験から笑える という話を新鮮に感じました。
父が落語を見て笑っていても、
子どもだった私は何が面白いのかも分からなかったことを
思い出しました。

ひじ打ちされるピアニストの方のファッションは、
お堅いスーツではなさそうなので、
茂木先生のファッションも変わるかも?
リズム・イントネーションは右脳を使うと
教育テレビで紹介されてました。

投稿: yuri | 2006/04/06 11:16:37

コメントを書く