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2006/04/30

気晴らしは何ですか

先日、取材を受けていた時に、
「茂木さんの気晴らしは何ですか?」
と聞かれて、言葉に詰まった。

 気晴らしというからには、
仕事とか、役に立つとか、
そういうことからは離れていなければ
ならないのだろうが、
 いかんせん、趣味と仕事が
区別できないヤクザな稼業をしている。
 本を読む、音楽を聴く、
絵画を見る、人と会って話す・・・・・
全部仕事につながっている。
 
 困ったな、オレは24時間ワーカホリック
か、と数秒迷っているうちに、
 気がついた。
 そうか、オレにも、気晴らしがある。
 それは、「考える」ことだ!

 「下手の考え休むに似たり」と
言うが、もともと考えるということは
休んでいることに限りなく近いと思う。
 何しろ、身体運動としては
役に立つことは一切起こらない。
 ローマの兵士の誰何を無視して
殺されてしまったアルキメデスのように、
考えている人の内面で何が起こっている
かは、他人からは一切見えない、
世界に存在しないも同じことなのだ。

 心脳問題のもっともエッセンシャルな
部分について考えている時間というのは、
本当に休むに似たりだと思う。
 とにかく、役に立たない。市場性もない。

 相互作用同時性が、光の軌跡から
zitterbewegungを経てどうスケールアップする
のかとか、主観性の基礎に不変項ニューロンが
どう関与するのかとか、固有時変化がゼロに
なるのに結局経過してしまうのは
いかにして可能かとか、そんなどうでも
いいことを考えていると、世界から
自分がどんどん遠ざかっていくのが
わかる。

 単にpopular scienceという文脈で
市場性がないというだけでなく、
 科学のコミュニティの中でも、
とりあえずどう流通させたらいいか
わからない、そのようなやっかいな
ことを考えていると、息をとめて
水の中に潜っているようなものだと思う。

 深海底でE=mc2のような宝石を
見つけ、「ほら、ここにあったよ」
と浮上して世間にお見せでもしない限り、
 もっともディープな考えというのは
本当に休むに似たり、単なる気晴らしなのだ。

 テレビマン・ユニオンの赤坂オフィスに
「ニューロンの回廊」の荒川修作さんの
回のVTRを見に行く。締めのコメントを
考えるためなり。 
 あんまりお腹が空いて、
オリジン弁当を買おうと思ったが、
 ふと気付いて花野剛一さんに電話すると、
3人いると言う。

 この業界の腹空き状態(食えばわかる男たち)
はよく知っていたので、
 自分が食べたいものはスタッフも食べたい
だろうと、食べたいものを4倍した。
 カルビ弁当4丁OK.
 杏仁豆腐4丁OK.
 お茶4つOK.

 伏谷毅彦さん入魂の編集を見た後、
東芝EMIへ。
 江口理恵さん、松井茂さん。
 モーツァルトのCDについて。
 斎藤哲也さんに久しぶりにお目にかかる。

 個人の時代だと思う。
 インターネットというインフラが出来た
お陰で、
 組織と個人の関係が変わってきた。
 たとえ、組織に属しているとしても、
同時に社会にダイレクトにつながる
ことはできるし、
 そういないといけない。

 そのような時代の潮目の変化が読めない
人は取り残されると思う。
 アマデウス君は、そのような新時代における
人間の生き方の一つのシンボルではないか。

 移動しながら、小島信夫さんの『残光』
を読む。
 大変なことで、こういう文章は
書こうと思ってもなかなかできあがらない。
 これも、また、仕事である。 
 
 本当の気晴らしは、歩いている時に
ぼんやりと考えることの中にある。

4月 30, 2006 at 06:34 午前 |

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» 時代が孕む難問に挑む人 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@昨今問題になっている脳と魂(脳とココロ)をめぐる問題=心脳問題も含めて、この世のあらゆる事象・法則・思想は、すべて、万物所有の生命の法則と分かちがたく、ひとつながりになっているという。 @現在、SONYコンピュータサイエンス研究所で主任研究員をしている脳研究者・茂木健一郎の開いている朝日カルチャーセンターの講座「脳とこころを考える」を2度聴講してみて、いよいよその思いを強くするものである。 @人間は、困難な問題にチャレンジしていけばいくほど、おのれの古い殻を破ることが出来、そこに「新しい自分」を見... [続きを読む]

受信: 2006/04/30 17:47:38

» 絶対わざとやってる トラックバック もなみ
お昼の12時頃、郵便配達のおじさんがきた。そのおじさん股間のチャックが全開(笑)しかもそれだけじゃなくて、内容物までもがパンツと共に出ている。(´▽`*) [続きを読む]

受信: 2006/05/04 4:24:02

コメント

 私の気晴らしは、とにかく寝ることです。
 「私は寝るから脳くん、勝手に活動していておくれ。」と、
眠っているあいだに、心も身体もメンテナンスのはず…
なんだけれど、その「気晴らし」が自然にうまいこといかなくて
困っちゃう。気晴らしに気合いが入ってしまうんだもん。
 ごろごろだらだら、ぼーっとするのが、その解決策。

 茂木さんのお腹が空いている話、可愛らしくて好きなんだ。
 気遣いも忘れない優しい大人の男でもある!素晴らしい!

 男4人(?)で弁当を食べている→裸電球の薄暗い部屋
と、連想してしまう…。私だけ?ですよねー。

 そろそろ気晴らしメンテナンス、開始することにいたします。
 「宇宙のやすらぎコーヒー」で。
 茂木さんがぼんやりできますよう、星に願いを…。
 おやすみなさい。

投稿: 龍神 | 2006/05/01 3:08:58

はじめまして、こんにちは。香織といいます。
私もわりにやりたいことをやらせてもらっているので、
「気晴らしは何か?」と聞かれると困ってしまいますね。
生産性に繋がらないことというと・・・
1、納豆巻を食べる。2、本を読む。3、鶏のから揚げを食べる。
・・・でしょうか。
「食べる」が多いですね。しばらく我慢してたまに食べるようにすると、
それは満たされたような気分になれます。
私もよく、考えることはしますが、「悩む」に近いかもしれません。

投稿: 香織 | 2006/04/30 20:48:56

たしかに、最近の「クオリア日記」の内容って、「遊び」の部分が感じられるぞ。

ついこの間までは、時間というものに茂木さんが追いまくられてひいひい言っている、といった感があったが…いまは「忙中閑有り」ならぬ「忙中遊有り」だと思う。相変わらずご当人は忙しいのだが、遊びの部分がある、私もそう思いマス、☆☆☆様。

忙しい中にも、自分が一番気にしている事柄を必死コイテ考える時間ってとっても貴重な時間だと思う。

茂木さんの一番気にしている事柄は脳科学上でも難問中の難問だけれど、他の脳科学者の中にそこまで考えている人はどれぐらいいるのだろうか?

この難問は生命の実在と密接につながっている筈。

また、学者の使命というか、「生命線」として
「考える」ことが先ず大事なのだと思う。
何も学者に限ったことではないが。

「考えなくなった」ら、学者として失格だし、また人間として“終わり”だと思う。

そういえば、他者について「考えなくなった」人々があらゆる方面で、変な事件を起こしているように思える。政治、社会、教育、その他もろもろの現場で…。

とにかく、気晴らしは人間にとって大事です。そーしないと、脳にもからだにもよくないですものね。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/04/30 15:39:20

良い天気のGWですね。
とは言っても私の会社はカレンダー通りですので、
今日は普通の日曜日です。

>いかんせん、趣味と仕事が
 区別できないヤクザな稼業をしている。
 本を読む、音楽を聴く、
 絵画を見る、人と会って話す・・・・・

自分を深めて行く事が仕事とダイレクトに繋がっている・・・
ちょっと羨ましいです。
どんな仕事をしてても、
自分と仕事が全く切り離されてる、という事はないけれど
ダイレクトって、大変だけど羨ましいです。

最近のクオリア日記、
茂木さんは相変わらずお忙しいけれど
何だか暖かさ、というか余裕、じゃないなぁ。。。
ん~「遊び」の部分を感じます。
春になって、ただ単に私がそのように感じるから
なのかもしれませんが。

そう言えば、四季の中で一番エネルギーがあるのは
「冬」なのだとか。
春になる前の、生命が「今か今か・・」と
生命の誕生、エネルギーの解放を待っている
まさにその時期なのだそうです。

「考えること」、なんだか冬に似ていませんか?
茂木さんにとって気晴らしって、
生命の源ですよね。
「考えること」か。。。。


投稿: ☆☆☆ | 2006/04/30 13:20:09

「気晴らしってなんですか」ともし聞かれたら、私ならば
「音楽を聴く」(最近はウォークマンで外出時に聴くのがもっぱら)
「ホンを読む」(最近、何故か小林信彦の著作による横山やすしの評伝、「クオリア入門」、小林秀雄の「生きるヒント」文庫版をかわるがわる読んでいる)
「新聞を読む」(家で取っている新聞を主に)
「ネットサーフィンをする」(でもモノの30分もすると飽きる!)
「外歩きをする」(目的も目標もない、ただのそぞろ歩きさ)
…マアざっとこんなもんでしょうか。
でも、茂木さんの「気晴らし」が「考えること」そのものというのは凄いですね。
一見役に立たない、市場性がない、と思えることでも、後世の人間によってその「考えていた」ことが評価される時が来るのかもしれないと思う。

我々が普段考えもしない、またいわゆる「脳ブーム」とは関連の薄い(と思われる)心脳問題の最もエッセンシャルな、きわめて難しい問題について考えている時、考えている当人は生命哲学の精緻な部分に徐々に近づいているのかもしれない。

そうして究極まで考え、真理を見出した人と、いまどきのブームに乗っかっているトンデモな学者たちと、どちらが後世にて大いなる評価を得るか?どちらが世から捨てられるか?
前者だと思うのは私だけでありましょうか。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/04/30 8:58:50

「気を晴らす」とは、なかなか日本語は面白いですよね…

うろ覚えで申し訳ありませんが

漢字が渡来する前の日本語(大和言葉?)は
音と意味が深く結びついていたような…?お話があったように聞きました。

今日は、関東地方は良いお天気に恵まれそうです。

ノンビリ新緑の中をお散歩したら、素敵でしょうね・・・


ところで、いま私がBGMにしているのは

平原綾香さんの「4つのL  Love Life Luck Live 」です。


「スタートライン」に立った「未来の僕らに」

さわやかな「はじまりの風」が吹いてくるようなきがしています…

投稿: TOMOはは | 2006/04/30 8:09:21

気晴らしについて。
本ばっかり読んでいると、気晴らしに音楽を聴きたくなる。
音楽ばっかり聴いていると、気晴らしに本を読みたくなる。
その両方に飽きたら外に出て散歩でもしてみたり、、

気晴らししたいという衝動は、脳の警告なのではないか。
何かひとつのことに没頭し、思考がひとつに凝り固まってしまわないように、もっと他のことも考えろよという警告。

だとしたら、時代が求める「専門家」「スペシャリスト」とはなんなのか。
ひとつのことに秀でた能力があればいい。その分野においては誰にも負けない。しかし他の分野はできない。
それじゃ「マシン」ではないか。

人間をマシンにしてしまおうとする現代社会への、脳からの警告。
気晴らしましょう。。

投稿: 54notall | 2006/04/30 7:54:06

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