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2006/04/11

ちゃんと平らなところに置いて

先日の河合隼雄さんの
「中心をずらさない」という命題について
考え続けている。

 人間、さまざまな表層の問題に
注意を向け、運び去られてしまいがちだ。
 世間で言う「地位」や「名誉」
といったものも、私たちを
運び去ってしまう表層なだれの中にある。

 肝心なことは、
 オリンピックの金メダルとか、
ノーベル賞とか、
 アカデミー賞とか、
レコード大賞とか、
 そういうものも、結局は
魂の中心をずらしてしまう表層に
過ぎないと認識すること。
 
 首相になったって、
何百億の資産を持ったって、
恐らくは大したことじゃない。
 結局、世の中の毀誉褒貶はすべて
魂にとっては表層のことに過ぎないのだろう。

 もっとも、プラクティカルなセンスは
必要。

 河合さんも言われていたように、
金はあるに越したことはない。
 しかし、所詮、金はそれだけのことに過ぎない。

 ゲーテが「ファウスト」の中で言う、
 Zu Erkennen was die Welt im Innersten zusammenhält
 (世界をその中心で統べているものを知ること)

 「私」をその中心で統べているものは何か?
生きていく中で通り過ぎていく様々な
 ものの中で、核を見逃さないように
して生きたいものである。

 もっとも、核は、必ずしもずっと同じものとして
立ち現れるわけではない。

 福井の桜は昨日あたりが満開だったようだが、
東京ではすっかり散ってしまった。
 万物は流転する。

 「変化する」ということこそが、
この世界の本質の一つだと認識して
いた平安朝の人たちは偉い。
 自分の本質も変わることにもあるとすれば、
融通無碍と墨守は同じだということになるの
だろう。

 ここのところの気休めは
Are you being served?
というイギリスのコメディを見ること。
 ずっと、レストランの話だと思っていたが、
デパートの売り場が舞台だった。

 寝る前に、1エピソード(30分)見ると、
何だかばからしくも面白くて憂さが晴れる。
 こういったものは、
イギリスのアマゾンのサイトから
輸入する。
 フォーマットはPALだが、ノートPCならば
大抵見ることができる。

 一つ前のPCは、寝転がって
コメディを見ているうちに、DVDドライブに
変な力が加わったらしく、壊れた。

 だから、最近は、寝転がっていても、
ノートPCはちゃんと平らなところに
置いて見ることにしている。

4月 11, 2006 at 07:50 午前 |

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コメント

 気休め…に、憂さが晴れる…、か…。

 茂木さん、いつもよりもっともっと、何か、すごーく疲れて
いたりしたんだろか?
 などと、読んで、思っちゃったりした。

 だって、いつもはあまりにもスーパーマンなんだもん。


 ウチの中では、(水槽の中を)サンショウウオが元気に
歩きまわり、さなぎから早く出てきすぎたモンシロチョウと
キアゲハが、優雅に飛んでおります。
 ときどき行方不明になるのが悩みなの。

 こちらは桜どころか、気温2ケタすら、なかなかなりません。
 でもね、生き物たちが、春は来ているよと教えてくれるんだ。


 「健一郎、ちゃんと平らなところに置いて見るんですよ。」
と、おかあさんみたいに…。

投稿: | 2006/04/18 2:52:09

「心の調律」という表現がお見事! と思いました・・

『「自己と他者」「個人と社会」などの境界線があやふや』
を見せていただいて思い出したことは、

自閉症 に関する説明でも、
境界線があやふや とあったような気がするのです。
そして、子どもと喧嘩をして、
冷静になれた時は、大人げないなぁ と思うのです・・
子どもと大人の境界線も、あやふやになってしまうのです・・

私は、心の調律が下手です・・
失礼しました。

投稿: | 2006/04/13 10:45:47

今日の 私の書き込み
ちょっと 一人よがりで 長文すぎました。
茂木先生 読んでくださった方 すみませんでした。

最近 少し 心がざわついておりまして
心の『調律』試みてみますぅ

投稿: | 2006/04/12 19:00:56

(ごめんください)

投稿: | 2006/04/12 13:26:32

ARTとAVの区別がついてない人が困った人だと思いますけど。

投稿: | 2006/04/12 13:24:42

先ほどの私の書き込み
送信後 客観的に見たとき あまりの長文に自分で
目が点になりました~苦笑

>何にも捕らわれず さぎられない
 「さえぎられない」です。 ←え が抜けていました。

そそっかしいのです~ ペコリ

投稿: | 2006/04/12 10:36:08

今日は 雨降りですね
皆様いかがお過ごしでしょうか~

先日の河合先生と茂木先生の対談での
「中心を外さない」について。。。
私も 時々 考えています。

2年ほど前 絵画療法のセミナーに参加した時の
ことが ふと蘇って来ました。
講師の先生(画家でもいらっしゃる方)の
研究結果のスライドを見せていただいたのです。
その内容とは ご自身が平常な状態と
薬物(覚せい剤)を服用した状態で絵画を
描くと作品はどのように変化していくか
という研究のでした。
(相当 過去の事らしかったですが
そんな実験アリ???で目が点でしたが)

女性をモデルにした5枚程の絵画が どうのように
変化していったかというと 初めは
写実的で全身をバランス良く正確に描いていたのですが
じょじょに 線が曖昧でうねりだし
全体を描くというより 女性の部分(顔や唇)を
流動的に大きく描いたものに 変化していったのです。

心のバランスを崩されて 社会生活が困難になる方の多くの
場合は 他者と自分 個人と社会などの
「境界線」があやふやになり 混乱し自分をちゃんと保って
いられなくなる
傾向があるというようなお話も伺いました。

長々つたない説明を書き込みましたが
私のなかで「心の中心を外さない」と少しつながったのは
中心を外さないということは
捕らわれず全体を 把握する客観性が必要で
「曖昧さ」「没入」と混じらない 「透徹」さには
歯が立たない。。。みたいな感じなのかな~
なんて 考えておりました。(すみません つらつらと)
河合先生が ちらっと「音楽 笛のような・・・」
とおっしゃられていたのは 何にも捕らわれず さぎられない
領域が(たとえば音域のような)
賢人には把握できるのでしょうと・・・勝手に考えていました。
的外れかもしれませんが~

あっ それと
今回の対談で感じたのですが
以前 銀鏡反応様が
「茂木先生の 声は 輪郭がはっきりしていて・・・・」
という書き込みをされていた事を思いだし
(正確でないかもしれませんが すみません)
「確かに~」と一人 胸の中で共感しておりました。

投稿: | 2006/04/12 10:26:39

まず「お金は血液と同じ」というような説明は
私も聞いたことがあります。

フローとか何とか・・・

循環することで、世の中の動きに関わっているというイメージでしょうか?

どこかに滞っていることは、健康的でないという意味でも

先ほどの表現は、「言い得て妙」のような気がします。

さて、「世界の中心」および「中心をはずさない(ずらさない?)」ことは

私も考えております。

私が、思い出したのは、「ユング心理学入門」P277の

「東洋人の意識」の図の自己という点です。

この球で説明するのは、河合先生のオリジナルなのか
ユングの考え方なのか、気になっておりました。

いま、全然別口で「システム思考」というのにぶつかっています・・・

あんまり考えすぎると、身体によくないので
ほどほどにしようと、想っています・・・

ほんとうは上を向いて歩きたいところですが・・・

今日は、雨降りです・・・
皆さま、足元にはお気をつけてくださいね。

投稿: TOMOはは | 2006/04/12 7:01:17

 こんばんは!この間の講演を聞いて、更にこちらのブログにお邪魔している程度の者でこういう事に意見してもいいのかな、と思いつつ、今日のブログを拝見していてフト思ったのは、茂木さんはそんなに中心をずらす事のない方にお見受けするけどな~、という事でした。学生さん達はむしろだから安心して自分の「暗い」方を出す(頼る/甘える)のかもしれません。(実際によくご存知の方はまた色々と違う角度から見た色々なご意見があるだろうな、と勿論思いますが。。)
 ところで、ベッドで私の場合「ラッコトップ・コンピューター」(笑)していてあやうく壊しかけた事があります! お腹の上に載せて、メール書いたり、DVD観たりしていたら、コンピューターの画面の付け根がおかしくなり、あやうくコンピューターが駄目になるところでした。(PCメーカーの方がもしもこのブログご覧になっていたら、「ベッドで使うPC」としての強化もお願いできませんか?!茂木さん、ブログお借りして、すみません。あ、茂木さんもPCも作っているメーカーの方ですね。笑) 
 ちなみに、とある日銀の支店長をなさっていた方は、「お金は血液と同じ」と家族の者が話した時に言っていたそうです。色々解釈は考えられますが、言い得て妙な気がしませんか。初めて聞いた時は、無くてはならないけれど、人生の「中心に据える物」とはちょっと違うというのを上手く表現しているなぁ、と思いました。

投稿: | 2006/04/11 23:10:41

自分も、『中心をずらさない』とは如何言う事か、ここのところ、ずっと考えている課題の一つとして、考察している。

なになに賞とか、なんとかの叙勲とか、家とか、財産とか、地位や名誉とか、知識が如何のこうのだとかは、やはり表層的なものにすぎず、それに惑わされること無く、如何に「私」なるものをその中心で統べているものは何かということを見極めていこうとする姿勢がまず大切なのかもしれない。そこから真の「対話」への道が開けてくるに違いない。

平安のころの人と違い、ITの紛れこんだ現代文明になれきっている私達は、宇宙を刺し貫く法則のひとつである「万物流転」を完全に忘れてしまっている。世の中が「変わらない」と考えている限り、現代人の不安は止むことは無い。世の中も含めて、やはり万物は絶対に流転するのだ。

この「クオリア日記」にコメントしている私達も、管理人であられる茂木先生も、時が経てば姿形も含めて、変わってゆく。

それが、いい方向であれ悪いそれであれ、絶対に変わらない、ということはない筈だ。

うまく説明できないけれど、生死の法則も流転の法則とよく似ているんだよね。そしてそれは、我々の外側の「銀河系」のような宇宙世界だけにあるのではなく、我々の生命の中にもあるのかもしれない。それが「核」なのかもしれない。

生きていく上で表面を流れていくものものの中で「核」を見落とさないように生きて行くのは難しいけれども、大事なことだ。
きょうはなんだか、自分でも、わけのわからない記述であい済みません。

追伸:イギリスのコメディがもっと日本のTVでもやってくれればいいのに。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/04/11 18:07:35

「中心をはずさない」というのは、"Be yourself."ってことだと思いました。
ユング心理学のセルフ(自己)とも関係あるかな?
身体感覚でいうと、臍下丹田に力がこもった状態を保つってことかな、と思ったりします。

投稿: | 2006/04/11 13:46:44

河合隼雄先生の「中心をはずさずに聞く」。
人それぞれに中心は異なるでしょうし、
多数派の中心にいた方がきっと無難なのだと思う。
中心が一致した上で憧れたら、
「尊敬できる人」なのでしょうか?

こちらの地方新聞では、
河合隼雄先生の
『尊厳死とは 医療だけの問題だけではない
 「死ぬ準備」を忘れていないか』
と大きく紹介されています。
便利な世の中は、短い期間の幸せをもたらしてくれたようですが、
長い期間の幸せは、また別の問題のようですね。

投稿: | 2006/04/11 11:24:48

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