2006/04/30
茂木健一郎のモーツァルト・モード
茂木健一郎のモーツァルト・モード
ー脳と創造力を鍛える音楽のクオリアー
1.歌劇 「フィガロの結婚」序曲 K492
2.ファゴット協奏曲変ロ長調 K191 より第1楽章
3.フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K299 第1楽章
4.交響曲第41番ハ長調 「ジュピター」K551より第1楽章
5.クラリネット協奏曲イ長調 K622 より第2楽章
6.レクイエム ニ短調 K626より ラクリモサ
7.ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K466 より第2楽章
8.地獄の復讐が我が心にもえ<夜の女王のアリア>(歌劇「魔笛」K620より)
9.そり遊び(ドイツ舞曲 K605-3)
10.モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K165よりアレルヤ
11.ケーゲルシュタット・トリオ<ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲> K498より 第3楽章
12.パ・パ・パ、パパゲーナ(歌劇「魔笛」K620より)
13.トルコ近衛兵の合唱 「太守セリム万歳!」(歌劇「後宮からの誘拐」K384より)
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4月 30, 2006 at 06:53 午前 | Permalink
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気晴らしは何ですか
先日、取材を受けていた時に、
「茂木さんの気晴らしは何ですか?」
と聞かれて、言葉に詰まった。
気晴らしというからには、
仕事とか、役に立つとか、
そういうことからは離れていなければ
ならないのだろうが、
いかんせん、趣味と仕事が
区別できないヤクザな稼業をしている。
本を読む、音楽を聴く、
絵画を見る、人と会って話す・・・・・
全部仕事につながっている。
困ったな、オレは24時間ワーカホリック
か、と数秒迷っているうちに、
気がついた。
そうか、オレにも、気晴らしがある。
それは、「考える」ことだ!
「下手の考え休むに似たり」と
言うが、もともと考えるということは
休んでいることに限りなく近いと思う。
何しろ、身体運動としては
役に立つことは一切起こらない。
ローマの兵士の誰何を無視して
殺されてしまったアルキメデスのように、
考えている人の内面で何が起こっている
かは、他人からは一切見えない、
世界に存在しないも同じことなのだ。
心脳問題のもっともエッセンシャルな
部分について考えている時間というのは、
本当に休むに似たりだと思う。
とにかく、役に立たない。市場性もない。
相互作用同時性が、光の軌跡から
zitterbewegungを経てどうスケールアップする
のかとか、主観性の基礎に不変項ニューロンが
どう関与するのかとか、固有時変化がゼロに
なるのに結局経過してしまうのは
いかにして可能かとか、そんなどうでも
いいことを考えていると、世界から
自分がどんどん遠ざかっていくのが
わかる。
単にpopular scienceという文脈で
市場性がないというだけでなく、
科学のコミュニティの中でも、
とりあえずどう流通させたらいいか
わからない、そのようなやっかいな
ことを考えていると、息をとめて
水の中に潜っているようなものだと思う。
深海底でE=mc2のような宝石を
見つけ、「ほら、ここにあったよ」
と浮上して世間にお見せでもしない限り、
もっともディープな考えというのは
本当に休むに似たり、単なる気晴らしなのだ。
テレビマン・ユニオンの赤坂オフィスに
「ニューロンの回廊」の荒川修作さんの
回のVTRを見に行く。締めのコメントを
考えるためなり。
あんまりお腹が空いて、
オリジン弁当を買おうと思ったが、
ふと気付いて花野剛一さんに電話すると、
3人いると言う。
この業界の腹空き状態(食えばわかる男たち)
はよく知っていたので、
自分が食べたいものはスタッフも食べたい
だろうと、食べたいものを4倍した。
カルビ弁当4丁OK.
杏仁豆腐4丁OK.
お茶4つOK.
伏谷毅彦さん入魂の編集を見た後、
東芝EMIへ。
江口理恵さん、松井茂さん。
モーツァルトのCDについて。
斎藤哲也さんに久しぶりにお目にかかる。
個人の時代だと思う。
インターネットというインフラが出来た
お陰で、
組織と個人の関係が変わってきた。
たとえ、組織に属しているとしても、
同時に社会にダイレクトにつながる
ことはできるし、
そういないといけない。
そのような時代の潮目の変化が読めない
人は取り残されると思う。
アマデウス君は、そのような新時代における
人間の生き方の一つのシンボルではないか。
移動しながら、小島信夫さんの『残光』
を読む。
大変なことで、こういう文章は
書こうと思ってもなかなかできあがらない。
これも、また、仕事である。
本当の気晴らしは、歩いている時に
ぼんやりと考えることの中にある。
4月 30, 2006 at 06:34 午前 | Permalink
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2006/04/29
『ニューロンの回廊』第3回 前田知洋
BS日テレ
『ニューロンの回廊』 第3回
クロースアップ・マジシャン 前田知洋
2006年4月30日(日)20:00〜20:54
2006年5月4日(木) 19:00〜19:54
今回ドクター・モギが潜入したのは日本初のプロ・クロースアップ・
マジシャン、前田知洋の脳。
上下左右360°どこからみてもタネが全く分からないという脅威の技術
をもち、海外でも高い評価を受ける前田のマジック。そのマジックの
秘密は意外なところにあった…!
世界最高峰のマジックをその目で検証しつつ、前田の持つ潜在脳力
に迫るドクター・モギ。そして明らかにされるマジックと脳の
関係・・・。番組では、これまでのマジックに対するイメージを
脳科学的視点から一気に覆す!
http://www.bs-n.co.jp/shokai/newron.html
4月 29, 2006 at 06:04 午後 | Permalink
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トーキング ウィズ 松尾堂(本日)
トーキング ウィズ 松尾堂
松尾 貴史
佐藤 寛子
【ゲスト】高嶋ちさ子 茂木健一郎
NHK FM
2006年 4月29日(土) 午後0:30〜午後2:00
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p/001/07-00218.html
4月 29, 2006 at 10:50 午前 | Permalink
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日経サイエンス 対談 第2回 福岡伸一
茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア 第2回
プリオン説のミステリーに挑む/ゲスト:福岡伸一(青山学院大学教授)
日経サイエンス 2006年6月号
(2006年4月25日発売)
http://www.nikkei-science.com/
4月 29, 2006 at 10:46 午前 | Permalink
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関根くん、今度ゆっくりお話しようね
放送には使われなかったが、
先日、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録で秋山咲恵さんにお目にかかったとき、
秋山さんが、
「趣味は筋トレです」
と言っていたのを思い出した。
「筋トレって、短時間で効果が上がるから
いいんですよ」
などと言っていたのも思い出した。
それで、スゴ録で録画してあった
「プロフェッショナル」の秋山さんの回を
見ながら、ヒンズースクワットをしたり、
腹筋をしたり、20年ほど前に
買った「ブルワーカー」で胸筋を
鍛えたりしてみた。
昔、椎名誠さんが「一日200回の腹筋、
200回の腕立て伏せを欠かさない」
と書いているのを見て
「これだ!」と思ってしばらくやろうと
したことがあったが、とにかく発作的に
やろうとすることは時々やるのである。
結局何時も挫折するのだが、
ヒンズースクワットはそれなりにきいた
らしく、太ももが痛い。
階段の上り下りの際など、内心「うっ」
と言ってしまう。
バカである。
8月19日の東京フィルハーモニーの
コンサートに参画するので、
その打ち合わせがあった。
放送作家の富樫香織さんに、いろいろ恐ろしい
ことをきいてしまった。
富樫さんは、一本の構成を書くのに、
50冊くらい本を読んでしまうのだそうだ。
放送作家というのは、どうやら、世の中の
あらゆる職業の中で、もっとも多く本を
読む人たちらしい。
しかも、いささか「サヴァン」の気があり、
「あっ、そのことだったら、この本の
何頁あたりに書いてありますよ」
などと言ったり、
「それについては、この番組の、○○年
○月○日放送あたりで言っていましたよ」
などとぱっと言えてしまったりするのである。
以上の特性が、放送作家一般に当てはまる
ことなのか、富樫さんだけの特殊能力なのか
どうかは定かではない。
いずれにせよ、テレビは「ウソは
放送できない」という強烈な制約が
あるので、裏を徹底的に取る、
と富樫さん。
それとは違う印象を持っている人も
多いと思うが、富樫さんの言うことには
リアリティがあるように思えた。
ゼミ。
The Brain Clubと名付けたこの
ゼミも、99回を迎えた。
関根崇泰、須藤珠水が担当したが、
二人ともややこしい論文を紹介したので、
議論が紛糾した。
「関根、お前、何でこの論文にしたんだ?」
「いや、私の研究と関係があると
思ってですね」
「本当のことを言ってみたまえ、関根くん」
「うっ。いや、ゼミで何をやろうかと、
茂木さんの部屋にいってNatureを見ていたら、
これが目に止まったんで」
「いきずりの論文かい!」
「そうです・・・・」
関根は、先日の東大駒場での授業の後、
「ボクは論文を書きます」と言って
早帰りした、と聞いていたのだが、
実は
「ボクは論文を読みます」
の間違いだったというのだが、
その「論文」がゼミでやった
「あの論文」だったのである。
関根くん、今度ゆっくりお話しようね。
今朝も筋肉が痛いが、腕立てくらいは
やってみるつもりだ。
4月 29, 2006 at 10:02 午前 | Permalink
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2006/04/28
To hear language as music
To hear language as music
The Qualia Journal
4月 28, 2006 at 08:37 午前 | Permalink
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東京芸術大学 美術解剖学 荒川修作
東京芸術大学 美術解剖学
Lecture 2
荒川修作氏講演会
http://www.architectural-body.com/
荒川修作氏をお迎えして、
その芸術、人生、世界に関する哲学を
語っていただきます。
2006年5月1日(月)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
4月 28, 2006 at 07:09 午前 | Permalink
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「このスキに」ということで修繕を始める
ひたすらたまった仕事を
片付ける一日。
それでもまったく終わらない。
仕事をかわりにやって
くれる小さな人たちが欲しい。
ちょっと気をぬくと、どーっと
疲れが出てきて、
ああ、これは普段はかなり無理を
しているんだなあ(笑)ということが
わかる。
身体や脳は、きっと、「このスキに」
ということで修繕を始めるのであろう。
東芝EMIの方に送っていただいた
ヘンデルのイタリア語カンタータ
を聴いてみたが、秀逸。
私の平安を奪った
あの魂が
天上に在るのなら、
想いが天に飛んでいきますように!
でももし、私を蔑んだがゆえに
あの人が奈落に落とされたのなら、
私は、罪の王国から
いとしい人を奪い取るでしょう。
(『愛の狂乱』より)
身体運動として表れる
(つまり、ダーウィン的なセンスで言えば、
淘汰に直接かかる)表現型など、
実は大したことじゃないんだと
つくづく思う。
目から一筋の涙が流し、
寝ころんで身動きしない人は
何もやっていないようにも思われる
けれども、
脳髄の中で起こっている精神運動の嵐の
中に、全宇宙を包み込んでしまうような
波乱はあるに決まっている。
全てがプラクティカルに、explicitな
表現を求めて動いているかに見える現代は、
その裏側にある魂の内宇宙について
真摯に想いを寄せなければ、
いつか手ひどいしっぺ返しを
受けるのでありましょう。
4月 28, 2006 at 07:04 午前 | Permalink
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2006/04/27
プロフェッショナル 仕事の流儀 秋山咲恵
プロフェッショナル 仕事の流儀 第13回
夫と会社はこう育てる
〜経営者・秋山咲恵〜
携帯電話やパソコンに組み込まれている電子基板の検査機器の独自開発・販売で、世界シェア2位。サキコーポレーション社長・秋山咲恵(43歳)。妻が経営、技術者の夫が副社長で開発担当という、新しい夫婦のあり方で注目を集める。会社を起こしたきっかけは、埋もれた夫の技術を活かしたいとの思いからだった。それがわずか13年で年商40億円企業に育て上げた。その陰には、秋山が考え出した独自な手法がある。工場とオフィスの一体化、営業マン、技術者を交えての新製品開発。かつて勤めていた経営コンサルタント会社で、数々の企業が大企業病に苦しむ姿を目の当たりにしたことから生まれた経営手法だ。秋山には夢がある、夫婦で始めた会社を「全ての社員が働く喜びを実感できる会社にしたい」。
NHK総合
2006年4月27日(木)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
4月 27, 2006 at 08:40 午前 | Permalink
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松任谷由実 × 茂木健一郎
Talk dictionary
松任谷由実 × 茂木健一郎
2006年5月8日(月)18:00〜20:00
http://www.clubking.com/news/2006/04/post_33.html
4月 27, 2006 at 08:34 午前 | Permalink
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間違いない一つの徴候
東京大学駒場キャンパスで、
中央公論新社の黒田剛史さん、ノンフィクション作家の
山下柚実さんにおめにかかる。
銀杏並木に立って、写真部長の
立林映二さんに撮影していただく。
私がこのキャンパスにいたのは
2年間。もう二十年以上前のことである。
「いちょうなみきをごつうこうちゅうの
すべてのがくゆうのみなさん、こちらは・・・・」
という宣伝文句が耳に残っているが、
あのようなことを言う習慣
はまだあるのかしらん。
生協食堂の横で、二時間、山下さんと
五感についてお話する。
池上高志がやってきて、
ファカルティ・クラブの一階に
あるフレンチ・レストラン、
Lever son verreで食事をする。
茂木さんと池上さんの掛け合い漫才
は面白いですね、と山下さんに言われる。
確かに面白いかもしれない。
15号館で授業。
最初は、認知科学における統計的
手法の効用と限界について、
行動経済学におけるSt. Petersberg paradox、
Ellsberg paradoxなどを例に、
有限資源性の効果などを論じる。
それからアンサンブルを巡る
ダイナミックスの厄介な問題。
統計的記述というミネルヴァのふくろうは、
アンサンブル設定という前提がなければ
飛び立たない。
この脆弱性は、
意識がなぜひとかたまりの脳髄に
随伴するのかというメンバーシップ問題にも
つながるし、
量子力学の波動関数の成立、観測問題
ともおそらくは同型である。
後半は、より具体的な認知科学の
トピックについていくつか
pick upして議論した。
しかし、科学というのはできそうな
ことばかりやって、
本当に重要で、本質的、しかし
やっかいな問題は平気で放って
おくものである。
王様は裸だと見抜くことが
大事だぞ、と私は3年生に言いたかった。
終了後、再びファカルティ・クラブに
行き、池上たちとワインを飲みながら
談笑する。
渋谷慶一郎さん、佐々木厚さんも登場。
しばらく座って飲んでいたが、
ふと横を見ると、気持ちのいい庭がある。
こんな時は、ワイングラスを持って
ふらふらと立って歩くのが良いのではないか。
ひさしぶりに池上とゆったり話したが、
おそらく二人とも心の中にうごめく衝動を抱えている
点が共通しているように思う。
池上は超ひも理論は確率解釈から
逃れられないじゃないかと言っていたが、
王様は裸であると言い続けることは、
胸の中に潜むデーモンの間違いない一つの
徴候である。
ちょっと工夫して精神運動をすれば、
めくるめく新世界が広がっていることは
間違いなく確信されていて、
ただ、目が曇っていてそれが見えない。
もっと高い真理のエネルギー領域があるんだよ、
というデーモンのささやきに
耳を傾け、コンベンショナルな世界観など、
クソクラエ、と人生の中で思ったことがある
人は、みんな仲間だ。
4月 27, 2006 at 08:31 午前 | Permalink
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2006/04/26
東京大学 駒場キャンパス 授業(本日)
茂木健一郎
脳科学、認知科学の諸問題について
2006年4月26日(水) 13:00〜14:30、14:30〜16:10
システム科学特別講義II
東京大学駒場キャンパス
15号館 104講義室
(15−104講義室)
4月 26, 2006 at 08:23 午前 | Permalink
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そこには一つの生態系がある
聖心女子大学で「現代の脳科学」
の授業をしていたら、
突然
ドギュドギュドギューン!
と大音響が鳴り響いた。
思わず身がすくんだが、
雷だった。
授業を終えて外に出ると、
大変な雨。
やり過ごして移動し、
外に出ると、もう上がって
晴れ間が出ている。
雷というと、映画『宇宙戦争』
のエイリアンの円盤を思い出してしまう。
『宇宙戦争』の円盤は怖かったが、
幕末の人たちにとっての「黒船」も
同じように何をするかわからない怪物
と映っていたのではないか。
NHKへ。
「視点・論点」の国際版
Insight & Foresight
ができるというので
その収録。
NHK worldで放映されるらしい。
日本語の「視点・論点」には何回か
出させていただいたことがあり、
だいたいこういうことを言おう、と決めて
おいて、あとはアドリブで喋る。
9分から9分30秒の間に、ほぼ収まる。
しかし、さすがに英語でのpublic speechを
同じ手法が使えるかどうか、何しろ初物
なので心許なかったが、
とにかく出かけた。
ディレクターの藤原敬子さんに、
念のためおずおずと尋ねた。
「あのう、今まで何人くらいの方が
収録されたのですか」
「10名くらいです」
「原稿なんかは、用意しているのでしょうか?」
「皆さん用意されています。用意されなかったのは
明石康 元国連事務次長くらいでしょうか。」
うーむ。
ひそかに頭を抱える。
収録。
話し始めたら、
携帯からのインターネット接続
に日本人がaddictしてしている、
という流れになって、
それを片付けようとcontingencyの問題を
話していたら、
あっという間に9分経ってしまった。
ほぼぴったりの時間で収まったが、
話そうと思っていたことと
違った何かになったなり。
話というのは生きもので、自分の
口の中で勝手にうごめいているようにも
感じられる。
大手町の日経サイエンスへ。
高エネルギー研究所で
Bファクトリー
のリーダーをされている山内正則先生。
電子と陽電子の衝突でできる
B中間子の崩壊の観測を通して、
標準理論の構成要素である小林・益川理論
を検証するのが、Bファクトリーの目的。
すでに、CP非保存の検証の目的は達成し、
今は次のエネルギーレベルで現れる
超対称性の物理学への
橋渡しを目指しているという。
Bファクトリーは、一年のうち9ヶ月は
実質的にデータをとり続けており、
その間、膨大なデータが蓄積される。
ねらっているB中間子の
崩壊様式の分岐比は10のマイナス4乗
程度なので、それだけの
データを集めなければならないというのである。
9ヶ月×5年の実験中、
設定パラメータは基本的に変更しない、
というのが面白い。
単一条件のデータを延々ととり続ける。
5σの精度でないと、素粒子実験では
認められないというのだが、
知られている崩壊様式だけで100以上
あるというB中間子の物理の複雑さが
なせるわざであろう。
素粒子というと小数の要素の組み合わせ
というイメージが強いが、
B中間子の崩壊だけを考えても、
そこには一つの生態系がある
と言ってよいほどの複雑さ。
2000人くらいの人が関わる
という巨大プロジェクトが、
その単一条件の実験に張り付いて、
宇宙の真理をつかみだそうとしている
その様子が面白い。
加速器実験は、エネルギーを上げる
のがそろそろ限界に近づくということで、
超ひも理論の検証などは人為では
とてもできないということだが、
似たようなことは脳科学、認知科学でも
あるんじゃないか。
本当は10の8乗くらいの
サンプルを集めないとわからない
認知過程があって、
しかし実際にデータがとれるのは
せいぜい10人とか100人だと
すると、
そのようなエキゾティックな
現象の尻尾は捕まえられないことになる。
この宇宙の中の真理のいくつかは、
原理的あるいは実際的な壁の向こうにある。
そして、実際的障害が原理的障害に
転化してしまう現場もまたあるのだ。
4月 26, 2006 at 08:21 午前 | Permalink
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2006/04/25
「ひらめき脳」4刷
新潮新書『ひらめき脳』
は、増刷(4刷、累計50000部)が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
4月 25, 2006 at 07:57 午前 | Permalink
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爆発と創造性のダイヤモンド
Lecture Records
東京芸術大学 美術解剖学 2006年度
Lecture 1
爆発と創造性のダイヤモンド
茂木健一郎
音声ファイル(MP3, 75分、34.5 MB)
4月 25, 2006 at 07:53 午前 | Permalink
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本当はカタスミで
ニューロマーケティング研究会を
終えて、佐々木厚さんに
「それではそれでは」と言い、
電通から出てきたら、
山手線が止まっていた。
銀座線で上野へ。
Y'sで服をまとめ買いする。
基本的に、だらだら着れるもの、
手入れが面倒じゃないもの、
あまりかしっとしていないものを
着るのが好きなのである。
ジャケットで言えば、洗濯機で
洗えるし、
温かくなったら丸めてリュックの中に
放り込めるし、
しわがよっていても、
最初からそういうデザインかな?
と思えるようなものじゃないと
面倒で着れない。
東京芸術大学の蓮沼昌宏は、
一時期ヨージ・ヤマモトを着ていて、
「茂木さんはワイズですか。ははは」
とぼくをバカにしていた。
よくわからないのだが、ワイズよりも
ヨージ・ヤマモトの方が高い、
とでも言うのであろう。
しかし、私はヨージ・ヤマモトの
店がどこにあるか
知らないので、どうせ買いに行けないのだ。
髪の毛と同じで、私にとって、
服はとにかく面倒くさいもので、
ファッション雑誌などを見て
「これがいい!」とチェックしている
人たちの情熱が信じられない。
それでも、見た瞬間に自分が気に入る
服かどうかはわかるから不思議だ。
一方、「これは合わないんじゃないか」
と思う服でも、着ているうちに
慣れてくることもあるから
これまた不思議である。
大浦食堂で、読売新聞の方々と会う。
授業。カンブリアン爆発を起こそうじゃ
ないですか。
終了後、水戸芸術館の高橋瑞木さん
や、講談社の森定泉さんと
大浦食堂でごにょごにょ話す。
ごにょごにょごにょごにょごにょごにょ
ごにょごにょ!
上野公園内の定位置に移動。
植田工がビールやワインや酒を
沢山買ってきたが、ちゃんとなくなった。
いろいろな人が来る。
講談社の小沢久さんもやってくる。
植田が、砂場で即席のパフォーマンスを
した。
蓮沼がピザーラに電話をして
出前を頼む。
花見の季節でもないのに、上野
公園の砂場のところに持ってこいとは、
怪しまれたんじゃないか、と思ったが、
しばらくしたらちゃんとアツアツのピザが
来た!
布施英利先生も登場し、伝統の芸大
飲み会に新たな一ページが付け加わった。
あまり気持ちが良かったので、
本当はカタスミで仕事をしようと
powerbookのバッテリーをフルに
充電していたが、役に立たなかった。
そういえば、椎名誠の
「哀愁の町に霧が降るのだ」
を略すると「あいふる」だと近頃
気付いてしまったのだ。
4月 25, 2006 at 07:47 午前 | Permalink
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2006/04/24
東京芸術大学 美術解剖学 (本日!)
東京芸術大学 美術解剖学
Lecture 1
「爆発と創造性のダイヤモンド」
Explosion and the diamond of creation.
2006年4月24日(月)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
4月 24, 2006 at 08:05 午前 | Permalink
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脳から始まる 「みそっかす」は「負け組」ではない
ヨミウリ・ウィークリー
2006年5月7ー14日号
(2006年4月24日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第3回
「みそっかす」は「負け組」ではない
一部引用
人間の脳にとって、もっとも興味を惹かれる対象は、ある程度は予想がつくが、半ば予想外のことがある「偶有性」に満ちた現象である。遊びの勝敗が、最初から決まってしまっていてはつまらない。誰が勝つのか、あらかじめ予想がついてしまうのではなく、誰にでも同じくらい勝つ可能性がある、そのようなゲームが脳にとっては一番面白い。
弱いものを「みそっかす」にするという子どもたちの工夫は、そのようにした方が面白く遊べるという人間ならではの「叡智」の表れなのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
4月 24, 2006 at 08:04 午前 | Permalink
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佐藤雅彦×茂木健一郎 「ひらめきのくらくら」
Lecture Records
佐藤雅彦×茂木健一郎 「ひらめきのくらくら」
2006年4月23日(土)
青山ブックセンター
(新潮社『ひらめき脳』刊行記念講演会)
音声ファイル (MP3, 113分、51.8MB)
4月 24, 2006 at 07:59 午前 | Permalink
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センスのいい人はそれを知っているんじゃないか
何だか呆然の日曜日。
とりわけ、これ、という要因で
呆然としているというよりも、
合わせ技でボーゼン。
青山ブックセンターへ。
『ひらめき脳』
について、「女性セブン」の取材を受ける。
女性セブンということで、インタビュー
を受けているうちに
こんな方向に話がいった。
「セレブ」というものにあこがれて
いる読者がいるとして、その「セレブ」
の生活は、やってみると案外つまらない
もんじゃないか。
今、高級ということは記号消費から
クオリア消費に向かっている。
田中康夫さんが「なんとなく、クリスタル」
を書き、バブルに至った頃の
「これは高級」という記号を消費する
時代は終わり、自分が感じている
クオリアの良し悪しを正確にモニター
できる時代になった。
クオリア消費時代には、マンダリン・オリエンタル
やパークハイヤットにあるクオリアが
壊れかけたブロック塀の横に咲くタンポポに
降り注ぐ太陽の中にもあるということは
あり得るのであり、
いわゆる「セレブ」と言われる人でも、
センスのいい人はそれを知っているんじゃないか。
つまり、「セレブ」という幻想は差異に
よってもたらされるだけで、
そのillusionから自由になるためには
逆説的だが一度「セレブ」に
なってみるのもいいかもしれない。。。
他にもいろいろお話したが、
どうも自分は最近illusionの通貨性に
もっとも興味があるんだな、と思った。
佐藤雅彦さんとの対談。
佐藤さんとお目にかかるのは、
数回目。
いつも顔を見たとたんニコニコしてしまう。
佐藤さんの「ひらめき」を
私が解剖する、というスタイルで
対談が進む。
佐藤さんが高校の3年間、
テレビもない下宿で自分と向き合っていた、
という話がとても面白い。
それは、永平寺の無言行と同じことではないか。
質疑応答。クリエーターの卵は、
みんな、自分の中にHopeful Monsterを
一匹飼っているなり。
サイン会で、
一時間「フラワーピッグ」を描いた。
本を持参された方のお名前を記している
うちに、思いついて吹き出しを描いたり
遊び始め、
「フラワーピッグ」の変種が沢山できた。
「フラワーピッグ」は、昨年の
九州大学のシンポジウムの時に、
ノートにいたずら書きをしているうちに
誕生したもので、
その後、これは「自画像」だと認識
するに至った。
セガの人たちとPSP向けの
「アハ!体験」
のプロジェクトをしている時に
サインで描いたことがきっかけとなって、
ゲームのHPなどにマスコット
・キャラクターとして登場している。
打ち上げ。
ワインで始まる、素敵なそば屋さん。
新潮社の北本壮さんの見立てなり。
楽しく談笑しているうちに、ボーゼンも
少しは霧散していった。
4月 24, 2006 at 07:46 午前 | Permalink
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2006/04/23
竹内薫×茂木健一郎 「科学の自由」
Lecture Records
竹内薫×茂木健一郎 「科学の自由」
2006年4月22日(土)
科学技術週間 サイエンスカフェ
(東京、丸の内 丸ビル 1F)
主催 文部科学省
音声ファイル (MP3, 92分、42.5MB)
4月 23, 2006 at 12:42 午後 | Permalink
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茂木健一郎×佐藤雅彦 「アハ!体験 ひらめきってなに?」(本日)
新潮選書3周年『ひらめき脳』刊行記念
茂木健一郎×佐藤雅彦 トークショー
「アハ!体験 ひらめきってなに?」
2006年4月23日(日)16:00〜18:00(15:30開場)
会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
http://www.aoyamabc.co.jp/events.html#ao20060423_2
4月 23, 2006 at 10:03 午前 | Permalink
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彷徨
フジテレビに着くと、ソニー広報の
中谷由里子さんがいらした。
『ワッツ!? ニッポン』は生放送。
アドリブは得意。
待ち時間が長く、コメントを言うのは
「ここぞ」という時にさくっと。
まるで剣術。学習曲線が
立ち上がる。
猪瀬直樹さんが、CMになったら
さくっと立ち上がってしばらく戻って来なかった
のには驚いた。
進行表のVTRなどの尺で、ちゃんと計算されている。
東京駅へ。
ここ半年くらい一切服を買っていないという
おどろくべき事態に我ながらたじろぎ、
ふらふらとTomorrow Landへ。
ズボンを何本かつくるはずが、
最近のは「股上」が浅いのだという。
どうも感覚が合わず、
「股上」が深いものを希望したら、
一本しか合うのがなかった。
ジャケットを二つ、Tシャツも二つ買う。
丸ビルで、竹内薫とのサイエンス・カフェ。
パブリックの場で二人で話すのは
久しぶり。
「科学の自由」を日本においていかに
定着させるか。
竹内たちと、打ち上げ。
そのあと、佐々木さんと、
青土社関係の本の打ち上げへと向かう。
夜の空気がやわらかくなった。
4月 23, 2006 at 10:02 午前 | Permalink
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2006/04/22
コーヒーを買って気合いを入れて
とにかくICONIPに出す田辺の論文を
終わらせなくてはならなかったので、
朝日カルチャーセンターの後は
飲み会をしながら必死になって直していた。
朝も起きて直ぐにコンビニに行き、
コーヒーを買って気合いを入れて
作業を続けた。
サブミットして、朝8時に車が
迎えに来て、フジテレビに向かっている。
昨日はミーティングが3件、
その後ゼミ。
それからアサカルだった。
徳間書店の本間肇さんが、
クオリア日記を書籍にしませんかと
言って下さっている。
今日は竹内薫と会う。
考えてみれば、二人のセッションは本当に
かなりの久しぶりかもしれない。
朝10時から整理券配布と、プロトコルは
面倒で申し訳ありませんが、
すごく楽しい時間になるような気がします。
http://stw.mext.go.jp/20060414/lounge.pdf
4月 22, 2006 at 08:38 午前 | Permalink
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土曜ライブ ワッツ!? ニッポン (本日)
「土曜LIVE ワッツ!?ニッポン」
(フジテレビ系列、午前9:55~11:40)に出演いたします。
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/satlive1/index.html
4月 22, 2006 at 06:01 午前 | Permalink
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2006/04/21
朝日カルチャーセンター 脳と心を考える(本日)
朝日カルチャーセンター 脳と心を考える 第2回
(重要:今回から、7階の教室になります)
2006年4月21日(金)18:30〜20:30
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0604koza/A0301.html#
4月 21, 2006 at 08:54 午前 | Permalink
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『クオリア入門』3刷
ちくま学芸文庫 『クオリア入門』は、増刷(3刷、累計18000部)が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
4月 21, 2006 at 08:47 午前 | Permalink
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十分ウェアラブルに
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、日産のテスト・ドライバーの
加藤博義さん。
スカイラインGTRやフェアレディZ
などの開発にかかわってきた。
車の「乗り味」を最終的に決めるのは
加藤さん。
その卓越した運転技術は、たとえば、
スピードメーターを見なくても、
時速60キロで走行できるという点に
表れている。
「大体誤差はどれくらいですか?」
と聞くと、
「プラスマイナス1キロくらいかな」
という。
周囲の景色の流れ方でわかるというのである。
確かに、原理的には視野の中のoptical flowで
わかるはずだが、それにしても凄い。
テストドライバーの走行は、機器で
測定、記録されているので、ごまかしは
きかないのだ。
「同じ軌道」を走るのも、単純に
同じタイミングで同一の運転操作をすれば
良いというものではないと加藤さん。
たとえば、運転ロボットがいて車を
制御しても、タイヤと路面の状態が
時々刻々と変わるから同一軌道は再現されない
というのだ。
機械的だとさえ思える同一の軌道を再現するためには、
人間がリアルタイムで感覚に基づくフィードバック
制御をしなければならないというパラドックス。
チーフプロデューサーの有吉伸人
さんは車好き。
収録中、やたらとうれしそうだったのが
印象的だった。
収録語、NHK出版の大場旦に
「もぎさん、そろそろ」とすごまれた。
男の握手をさせられた。
同じくNHK出版の高井健太郎さんにも
さいそくを受けた。すみません。
同じくNHK出版の小林玉樹さんには、
できあがった「プロフェッショナル 仕事の流儀」の見本
をいただいた。
これは終わった仕事なので、すっきり、にっこり。
NHKに向かう時、迷ったが電車にした。
空いた角を見つけて、しゃがみ込んで
パワーブックのキーボードを打つという
もう自分では慣れてしまった進行。
「ヘンな人がいる」と周囲には思われていたかも
しれない。
しかし、諸君、見た目よりも仕事を進める
方が大事なのだよ。
ウェアラブル・コンピュータが出来たら
うれしいが、今のコンピュータでも、
意志とやけくそがあれば十分
ウェアラブルになるのだ。
たとえば、片手で持ち、片手でキーボードを
打つスタイルでも、
それなりにテクストを吐くことはできる!
ケンブリッジの恩師、Horace Barlowと
久しぶりにメールのやりとり。
6月の学会の時に訪問する予定。
Horaceが元気だと、何だかうれしい。
4月 21, 2006 at 08:46 午前 | Permalink
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2006/04/20
サイエンスラウンジ 竹内薫×茂木健一郎
第47回 科学技術週間
サイエンスラウンジ
東京・大手町 丸ビル1F
科学は仮想か?
竹内薫、茂木健一郎
2006年4月22日(土)
15:30〜17:00
(15:00開場)
当日、午前10時から丸ビル1F
カフェイーズで整理券配布
主催 文部科学省
コーディネーター 渡辺政隆
http://stw.mext.go.jp/20060414/lounge.pdf
4月 20, 2006 at 09:05 午前 | Permalink
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プロフェッショナル 仕事の流儀 佐藤章
プロフェッショナル 仕事の流儀 第12回
チームの力がヒットを生む
〜商品企画部長・佐藤章〜
「生茶」「FIRE」などの清涼飲料を次々と大ヒットさせ、後発のキリンビバレッジを一躍、シェア上位に押し上げたビジネス界注目の商品企画部長・佐藤章(46歳)。部長でありながら、先頭に立って現場を走り回り、CM撮影のアングルにまで口を出す。「優等生はダメ」「大振りをしろ」「会社の都合で商品を作るな」など「商品開発の掟 14ヶ条」を掲げ、部下を引っ張るヒットメーカー佐藤章の「モノ作り」と「ヒト作り」の現場に密着する。
NHK総合
2006年4月20日(木)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
4月 20, 2006 at 08:30 午前 | Permalink
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紀伊国屋ホール 「ひらめきの時代」を生きる
第40回 新宿セミナー @ Kinokuniya
新潮新書3周年『ひらめき脳』刊行記念
茂木健一郎講演会「ひらめきの時代」を生きる
最新の脳科学の知見を用い、0.1秒で人生を変える不思議なひらめきの正体に迫った、新潮新書『ひらめき脳』の刊行を記念して、現在様々なジャンルで活躍中の、脳科学者・茂木健一郎氏が、ひらめきを掴み、人生に活かす方法について語ります。
ひらめきの脳内メカニズムは? ひらめくと脳が喜ぶのはなぜか? 記憶・感情・学習との関係は? ひらめきが生まれ易い環境とは? 創造性の脳内方程式は? 誰もが知りたいひらめきの正体と効用を、丁寧にわかりやすく説いていきます。
2006年5月14日(日) 19:00開演(18:30開場)
紀伊國屋ホール
イベントの詳細
4月 20, 2006 at 07:59 午前 | Permalink
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わざとよどんでナチュラルに
朝一番で研究所へ。
打ち合わせの会合、二件。
タクシーで移動しながら、大塚
まりさんと幾つか
懸案の事務処理をする。
田谷文彦は前のシートに座っている。
麹町の日本テレビ。
『ニューロンの回廊』。いわゆる「二本撮り」。
荒川修作さんと再会。
荒川さんとスタジオで身体、脳、知覚の
本質について話していると、ふと
天命反転住宅の衝撃がよみがえってきた。
がしっと荒川さんと握手。
空間の謎の奥は深い。
二人目のゲストは、
マジシャンの前田知洋
さん。
打ち合わせの時、ディレクターの田中ナオト
が台本をめくるタイミングが、私とずれる。
何回か続くうちに、
おかしいな、と思ってふと見ると、
私のと違う。
手元をよく見ると、表紙に「M」と書いてある。
なんと、台本が二種類あって、私のは一部の
情報が隠されているらしい。
これは何か仕掛けがあるな、と疑心暗鬼(笑)
前田さんのマジック。
手を伸ばせばそこにある
近さで繰り広げられる「超絶技巧」
に信じられない思い。
目をこらしているのだが、わからない。
トリックのあるマジックではなく、
単に前田さんが「超能力者」
だと考える方が素直に思えるくらい。
そう言ったら、前田さんの返事が面白かった。
「超能力者にはオフがないですからね」と
言うのである。
「私は、今はマジシャンをやっていないから
不思議なことは起こりませんよ、と言えるけど、
超能力者だったら、あれ、今ゴミ出ししているよ、
などと言われてしまうでしょ」
と前田さん。
筋肉にウソをつかせるのが難しいという。
素人は、どうしてもネタの部分で
緊張して悟られてしまうというのである。
前田さんは全身全霊でウソをつく。
しかし、洗いざらしのジーンズのように
ナチュラルなので、本当に思えてしまう。
新しいトランプを開けるとき、
フィルムをはがすのに手間取った。
前田さんでもぎこちないことがあるんだな、
と思ったが、
なんと、それも「演技」だったというのだ。
時々わざとよどんでナチュラルに見せる。
このヒトはおそろしい!
とても楽しかった!
前田さんのブログ
にはツーショット写真がある。
私のスケジュールは本当に破綻しているので、
同時に二つや三つのことが進行している。
合間に論文の校正を進める。
illusory utilityではなく、
utility of illusionなんだ、
と発想したのがとても重要なこと。
ふと気になってwikipediaでダーウィンの
chronologyを調べてみる。
1809年生まれ。Voyage of the Beagleが
出版されたのが1839年。
Origin of Speciesが出版されたのは、
その20年後の1959年。
ダーウィンは50歳になっていた。
最近、歴史的事実と戯れることが
本当に面白くて仕方がない。
上のダーウィンのbiographyからも
いろいろなことが想像される。
花野剛一P主宰の楽しい打ち上げの
最中にも中央公論の「時評」原稿を
書いていた私であるが、
帰宅のタクシーの中で
書き上げようとして不覚にも眠り込んでしまった。
部屋に入り、コーヒーを淹れて
書き上げた。
井之上達矢さんがメールの向こうで待っている。
今回はテーマが難しかった。
尊厳死。
生と死の不良設定問題。
ほっとする間もなく、次の仕事次の仕事
次の仕事。
みんなと楽しく飲みながらも、
時折「うーん」と頭を抱えて
「尊厳死」について考えていた
時間の流れがビール以上にほろ苦い。
4月 20, 2006 at 07:51 午前 | Permalink
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2006/04/19
もっと大きな何かのために
寝転がったりしながら読むのが好きなので、
NatureとScienceの両雑誌を購読している。
脳科学、認知科学だけではなく、
ナノテクや、分子生物学、進化、物理学
などいろいろ興味があって読むが、
それにしても、と
思うことがある。
これだけ毎週多くの論文が出版されて
いて、一体誰が読むのだろう?
かつて、リチャード・ファインマンは、
Physical Review誌に掲載されている
論文を全部読んでいたと言う。
そういう時代は終わって、
今は科学が細分化、専門化され、
自分の分野にかかわる論文以外は
読まない時代。
専門家でも(専門家だからこそ?)
サーチライトの中に入るものしか
見えない状況になっている。
それで思い出すのが、
ライアル・ワトソンの
『未知の贈りもの』の中で、
インドネシアの夜の海に船で漕ぎ出す場面。
発光しながら船の回りに集まってきた
無数のイカを見て、
ワトソンは、「イカの眼球は光学的には人間と
同じくらいに正確に世界を映し出すが、
彼らの神経系はそれほど複雑な世界を理解できない」
という疑問を持つ。
何のためにイカは世界を見ているのか、
という疑問を持ったワトソンは、
「イカの個体を超えた、より大きい何かのために」
見ているのだろうというインスピレーションを得る。
科学と人間個人の関係は、ワトソンの
見たイカと同じなのかもしれない。
聖心女子大学の授業の第二回目。
ニューロンの構造、機能、神経伝達物質
などの基本的事項を振り返るとともに、
1996年のミラーニューロンの論文を読んだ。
NHKへ。
プロフェッショナルの打ち合わせ。
顔を合わせるなり、チーフ・プロデューサーの
有吉伸人さんが、「茂木さん、『ニューロンの回廊』見ましたよ」
と言う。
あっ、そうですか、とちょっと動揺する。
「茂木さんが生き生きしていましたねえ」
と畳みかけるので、
「そんなことないですよ。プロフェッショナル
でも生き生きしていますよ!」
と言って座った。
細田美和子デスクが、「茂木さん、日に焼けました
か?」
と言うので、黙っていると、山口幸子さんが、
「照れて赤くなっただけでしょ」
と正しい指摘をした。
「昨日、『サラリーマンNEO』 なかった
ですね」と私。
「茂木さん、NEOは火曜日ですよ」
と有吉さん。
しまった、スゴ録をセットするのを
忘れてしまった。
NEOでは、来週から『プロフェッショナル』
のパロディーをやる模様。
住吉美紀さんが、プロフェッショナル班に
コーヒーメーカーを寄贈してくださったので、
みんながおいしい珈琲を飲めるようになった。
続いてラジオのスタジオに移動し、
松尾貴史さんの
NHK FM
「トーキング・ウィズ・松尾堂」
で松尾さん、佐藤寛子さんと話す。
盛り上がって1時間30分くらい
喋ったが、
放送されるのは45分くらいのようだ。
松尾さんの永六輔さんのモノマネが
バツグンだった!
論文を直しながら、
大手町の読売新聞へ。
utility of action回りについて、
何か新しい概念を作れないかと
模索する。
prion、quark、black holeで
もわかるごとく、
サイエンスにおいてnamingは重要なり!
読書委員会。
大きな部屋に「コの字」型に座って、
皆で本について議論する。
一生懸命本に当たっていると、
国立天文台の渡部潤一さんが、
「茂木さん、これどうですか?」
と本を持ってきてくださる。
私が「検討本」として取り上げた本について、
同じ分野の研究者の先生が、
「私たちはこの方を知りすぎているから。
先入観なく読まれたらいいんじゃないでしょうか!」
などと言われる。
町田康さんは相変わらずぼそぼそと
キックの利いたことを言う。
読売文化部の待田晋哉さんは、
若者向け文学の「課題図書」を
「茂木さん、これどうでしょう?」
と持ってくる。
読書委員会室はエキサイティング!
途中で、鵜飼哲夫さんに呼び出されて
ジカダンパンされた。
こうやって一日を振り返って見ると、
とてもその体験の全体を私の脳髄が
処理しきれるとは思えない。
やはり、私はかつてワトソンの乗った船を
取り囲んだイカたちと同じように、
私よりももっと大きな何かのために
この世界を一生懸命見ているのだろうか?
昨日の日記に、荒川修作さんとの
写真を添付しました。
4月 19, 2006 at 06:49 午前 | Permalink
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2006/04/18
「ひらめき脳」3刷
新潮新書『ひらめき脳』
は、増刷(3刷、累計45000部)が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
4月 18, 2006 at 08:14 午前 | Permalink
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モーツァルト・モード
モーツァルト・モード
朝5時のつもりが、
4時45分にはもうフロントから
「タクシーがお迎えにきました」
と電話がかかってきた。
急いで身支度をして、まだ明け切らぬ
温泉街を行く。
「おやすみになりますか?」
「大丈夫です」
と言ったのは確かである。
眠って行こうと思ったのだが、それから
空港に着くまでの間、運転手さんは
ずっと「解説」を続けてくださった。
この国道***号を行きますとね、信号が
あるところが***号との合流点ですわ。
このあたりは蟹の季節になるとお客さんが
黙っていても来るので、旅館の主人とかは
天狗商売をしていたところが、京都の若狭の
近くに蟹を出す安い宿ができたら、
みんな少しでも安い方が良い、というのが
人情ですから、そっちに流れてしまうように
なって。
こっちは眠いけど、悪いと思うから、
うとうとしながら相づちを打つ。
運転手さんの「喋っている確率」は
驚くべきことに90%以上で、
飛行場に着くまでに延々と解説を
続けてくださった。
飛行機の中で遅れた爆睡。
空港で花野剛一Pと合流し、
三鷹方面へ。
伏谷毅彦Dと三人でまずはラーメンを食べる。
荒川修作さんの
「天命反転住宅」
を見学。
以前から噂には聞いていたが、
床はでこぼこ、キッチンはすっぽり、
フックはニョコニョコ、
部屋はつるりん、
壁は色々、
とても奇妙な住宅であった。
それから、荒川修作さんと
トークのデスマッチ。
荒川さんとお目にかかるのは
初めてであったが、
なかなかにディープな方であった。
デカルト以来の近代的「自我」概念に
とらわれず、
「私」が身体にさえ宿ると限局せず、
むしろ、環境との相互作用の中に、
結び、ほどかれ、響き合い、
のばされ、遍在し、超えて、
拡散していく存在として捉え直す。
荒川さんの言われる「死なない」という
命題はつまりはそのようなことだろう。
40年以上も前、ニューヨークに
行き、マルセル・デュシャンや
ヴェルナー・ハイゼンベルクとの
出会いを果たした荒川さん。
お話しているうちに、私の中で、
いろいろなことがよみがえって来た。
宇宙の波動方程式
非交換アルジェブラ
統合された並列性
今見ているこの世界が、全然違った
場所に見えてしまうことの予感。
荒川修作さんと、「天命反転住宅」で。
荒川さんと「喋った〜」
とはあはあ言っているところに、
松井茂さんが到着。
松井さんがプロデュースしてくださった
「モーツァルト・モード」
のCDをいただく。
さすが松井さん、細部まで作り込まれている。
松井さんとモーツァルト・モードに
ついて喋っているうちに、
ああ、やっぱり量子力学だな、
と思えてきた。
今の世界を支配しているのは
アラン・チューリング由来のcomputationという
概念だが、それは畢竟ニュートン力学に
過ぎないのではないか。
ニュートン力学の外はないようにずっと
思っていたが、相対性理論があって、
量子力学があった。
同じようにcomputationの外にも無限の
広がりがあるのだろう。
カオスや意識はそれらの徴候であるが、
もっとぶっ飛んだ視点に我々人間の
未来のモーツァルト・モードはある。
標記CDに寄せた解説文から、
「モーツァルト・モード」に触れた部分を
抜き書きする。
私には、勝手に「モーツァルト・モード」と呼んでいる感覚がある。頭が軽くなり、様々な発想が空気の中を疾走するように浮かんでくる。陽気になり、まるで木漏れ日が自分の頭の上でダンスを踊っているかのように周囲の人たちと明るく話す。ああ、生きていて良かった、と思える、絶好調の時の流れ。それが、「モーツァルト・モード」である。
4月 18, 2006 at 07:58 午前 | Permalink
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2006/04/17
東京芸術大学 美術解剖学 授業
本年度は、月曜日15:35〜17:00
です。
来週(2006年4月24日)から開講いたします。
4月 17, 2006 at 09:38 午前 | Permalink
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ハトはご飯粒を食べるんだなあ
羽田空港で、ブルータスの副編集長の鈴木芳雄さん、
橋本麻里さんと待ち合わせ。
鳥取空港へ。
鈴木さんと橋本さんは、飛行機の中で
お弁当を食べたらしい。
私は「飛行機に乗ると爆睡する」
という最近身につけてしまった反応のため、
はっと気付いた時にはもう空港だった。
空港へのタクシーの中で食べるわけにも
行かない。
うだうだしているうちに、
鳥取駅着。
香住への山陰本線の発車まで、まだ40分
ほどあった。
みんなでコーヒーショップに入ったが、
持ち込み弁当を食べるわけにも行かない。
私は意を決し、「ちょっと弁当を食べてきます」
と言って、駅前のベンチに向かった。
ゲリラ的に弁当を広げる、ということに
関しては、原体験がある。
東京学芸大学付属高校の時、同じ
卓球部だった早坂孝志君が、
地下鉄日比谷線の中でいきなり
弁当を広げて食べ始めたのだ。
確か広尾あたりだった。
昼下がりの車内に、いきなり早坂君の
アルマイト弁当箱に入ったのり弁の匂いが
ぷーんと漂い、私は内心ひどく
焦ったのである。
同時に、早坂君をひそかに尊敬した。
あれに比べれば、鳥取駅前の
奇妙なオブジェの前で、寒風に吹かれながら
弁当を食べるなど、大したことではない。
橋本さんの選んだ老舗弁当は
卵焼きまでふっくらおいしかった。
ハトはご飯粒を食べるんだなあ、と
当たり前のような新発見。
香住に向かう列車の中で、
橋本さんが持ってきた内田樹さんの
本を読む。
途中で、はっと一瞬ホームを見ると
「余部」とある。
「余部鉄橋だ!」
と立ち上がると、ちょうど列車が通過した。
今でも不思議。なぜ、あの時だけ
顔を上げて飛び込んで来たのだろう。
掛け替えをするという鉄橋を見るのは
私にとっては最後かもしれない。
香住で内田樹先生と合流。
大乗寺へ。
丸山応挙とその弟子が描いた襖絵を
和ろうそくで見る。
内田先生と、ねころがって、至福の時。
「あわい」という言葉が死語となって
しまった現代から抜け出して、古の人たちの
生活を思う。
意識されるか、されないかの、
閾値にあるものたちの固有の感触を味わう。
城崎温泉へ。
志賀直哉で有名だが、
私はずっと伊豆あたりにあるものと思っていた。
夕食を取りながら、内田先生と
対談。
面白かった!
10時頃、みんなで外湯に行く。
「御所の湯」は、源泉の温度が高くて、
身体の芯から温まっていくような
気がした。
開けて午前4時起き、
タクシーで空港へ。
眠れるか、と思ったが、
ずっと運転手と話していて
さえざえとした。
鳥取空港に着き、あんパンを
食べてこれを書いている。
応挙経由、城崎行き、東京へとんぼ帰り。
4月 17, 2006 at 07:11 午前 | Permalink
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2006/04/16
脳から始まる ジャズの自由と創造性
ヨミウリ・ウィークリー
2006年4月30日号
(2006年4月17日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第2回
(「脳の中の人生」がリニューアルしました)
ジャズの自由と創造性
一部引用
クラッシック音楽も、モーツァルトやベートーベンの時代は即興演奏が盛んに行われ、自由で予想もできない飛躍に満ちた営みだった。バッハの有名な『音楽の捧げもの』は、フレデリック二世が示したフレーズに基づいてバッハが行った即興演奏に基づくとされている。使われた楽器は、当時まだ発明されたばかりのピアノ。バッハがピアノに接するのはその時が初めてだったと言われている。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
4月 16, 2006 at 06:57 午前 | Permalink
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「ネットワークを選んでください」「はい」
金曜日の夜、帰ってきて
エアマックでインターネットにつなごうとしたら、
つながらなかった。
何だろう、と思いながら、
放っておいて、エアエッジで
済ませていた。
土曜になってもつながらないので、
いろいろ調べ始めた。
これが意外と面倒くさい。
エアマックのパスワードを
忘れている。
リセットしたり、
パラメータを変えたり、
いろいろやっていると、
組み合わせは沢山あるから、
やたらと時間を食う。
エアマックじゃなくて、イーサー
で直接つないだらどうだろう、
うんちゃらかんちゃらとやって見たが
ダメ。
いよいよ問い合わせなければ
ダメだ、と確かどこかに
あったはず、の説明書を探し始めたが、
見つからない。
うんちゃらかんちゃらと探して、
ようやく見つかった。
「あのーインターネットが金曜
からつながらないのですけれども」
「あっ、そうですか。では、画面左下に
あるスタートボタンを押してください」
「マックOSXなのですが」
「そうですか・・・(しばらく沈黙)。では、
画面左上にあるアップルマークから、「システム
環境設定」を選んでください」「はい」
「ネットワークを選んでください」「はい」
「ネットワーク環境は「自動」になっていますか」
「なっています」
「DHCPになっていますか」「はい」
「プロキシは設定していませんね」「はい」
・・・・・・・
先方がお聞きになることは、私が既に
何回もチェックしていることである。
しかし、サポートには、いろんな人が
かけてくるだろうから、こういう質問をしなければ
ならない、ということはわかる。
それでも、話しているうちに、
私の知らなかったことがわかった。
うちはマンションの4Fだが、部屋の中に、
どうやらハブがあるというのだ。
「えっ、そうなんですか」
廊下の横の収納スペースの中に、
確かにそれはあった。
開けて見ると、リンクのランプが点灯していない。
「いったんスイッチを切って、1〜2分してから
再び入れてください」
というので、やってみたが、やはりダメである。
夕方、久しぶりにランニングに出た。
帰ってきた時に、管理人室の前にそれらしき
人の姿がある。
思わず、「すみません、そこに
マンション全体のポートがあるはずなのですが、
どうなっているか見せてもらえませんか」
と声をかけようと思ったが、
オフィスアワーは過ぎていることもあり、
何となくシャイになってそのままで済ませた。
サポートから電話があるのは月曜以降。
当分、エアエッジでつなぐしかない。
故障を直している時の現象学的体験には
独特のものがある。
普段は当たり前だと思っていた
インフラの脆弱性が明らかになり、
どこが悪いのだろう、と模索している
時の感覚は、
自分の無意識と対話することに似ている。
だから、時に訪れる故障との直面は、私は
それほどキライではない。全てがストップ
するのが玉に瑕だが。
小谷野敦さんのブログ
『猫を償うに猫をもってせよ』
で私の漱石論を取り上げてくださっている。
私も一応大学教師はやっているんだけど、
それはそうとして、小谷野
さんのディテールにこだわる評論姿勢には
好感を持っている。
コンセプトとディテールの相互ダイナミクスは
大変興味深い。
力のあるコンセプトは人に勇気やインスピレーション
を与えるが、
その一方で時に足元のディテールを
見直さなくてはならない。
故障とはディテールの瑕疵のことであるから、
コンセプト病者にとっては良い薬である。
今日は、城崎温泉へ向かい、内田樹さんと
お話しする。
開けて月曜日には午前5時に宿を出て
東京に帰ってくるという、強行スケジュール。
とても楽しみ。
4月 16, 2006 at 06:45 午前 | Permalink
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2006/04/15
ケータイは"ボクら"をネットワークできるか?
ケータイは"ボクら"をネットワークできるか?
水越伸 × 茂木健一郎
広告批評 2006年4月号
http://www.kokokuhihyo.com/magazines/index.html
4月 15, 2006 at 07:34 午後 | Permalink
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脳科学で解く「若」と「老」
中央公論 2006年5月号
2006年4月10日発売
時評 2006
脳科学で解く「若」と「老」
茂木健一郎
http://www.chuko.co.jp/koron/
4月 15, 2006 at 07:29 午後 | Permalink
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『脳の中の人生』6刷
『脳の中の人生』は増刷(6刷、累計43000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
4月 15, 2006 at 10:05 午前 | Permalink
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あわせて100
重松清さんとの対談。
重松さんは、今日も「原稿書き用
ハイヤー」を待機させていた。
「涙」について話し合ったが、
考えてみると「涙」は「さんずい」に「戻る」
と書く、と重松さん。
涙には、人をリセットさせる力が
あるようである。
感動して泣く時、脳のなかでは何が
起こっているのか。
処理しきれないオーバーフローの
状態で、
脳の情動系、記憶のシステムは
何をしようとしているのか?
一期一会の出来事だけに、むずかしい。
話は日本文化の骨格としての「涙」
の問題に至り、
重松さんとの今後の対話の
骨格が出来た!
研究所。
チェゴヤで昼食をとりながら、
田谷文彦たちと話す。
星野英一の奨学金の所見を書く。
赤坂のTBS。
「R30」の収録。
国分太一くん、井ノ原快彦くんは
初めてお会いしたが、とてもいいヒトタチだった。
本物の100万円で、「最後通牒ゲーム」
をやった。
面白い。
民放のバラエティ番組などで、
時々スタッフぽい笑い声が入っているが、
それをやる専門のヒトを初めて目撃した。
「ステージ」の直近で、「カンペ」
を出している若いおにいさんが、
「わはははは」と大音響で笑う。
まるで禅僧の「喝!」のような確信に
満ちた笑いぶりに、
これは一種の楽器だと思った!
慶応大学丸の内キャンパスへ。
『脳と創造性』の講演。
終了後、
幻冬舎の大島加奈子さん、
光文社新書の古谷俊勝編集長、
柿内芳文さんと打ち上げ。
テレビマンユニオンの花野剛一Pもあとから
合流。
柿内さんは、わが友竹内薫の
ベストセラー「99.9%は仮説」
の担当編集者である。
「竹内の本を売ってくださり、ありがとう
ございました! 親友として御礼申し上げます!」
「いやいや、どうもどうも」
「新潮社の「ひらめき脳」ですけどね、クローズ
アップ現代で放映されたように、私の
「ひらめきは0.1秒」というアイデアはすぐに
却下されました。三重博一編集長によると、
「うちの「人は見た目が9割」が光文社の
「99.9%は仮説」にぱくられたので、
それをぱくりなおすことはしない!」との
ことでしたが・・・」
「ははは。確かに参考にはさせていただきました。
しかし、その前から99.9%というタイトル案は
あったのです。実は、「さおだけ屋」の時に
検討していたのです。」
「そうですか、どうやって「さおだけ屋」のタイトルは
決まったんですか?」
「企画会議の時に、さおだけ屋が通ったんですよ」
「えっ?」
「つぶれない不思議な企業の例はないか、と
考えていて、そこにさおだけ屋が通ったので、
あっ、これだな、と」
「うーむ。。。。しかし、私のタイトルが
「ひらめきは0.1秒」になっていたら、
竹内薫のとあわせてちょうど100だったんですけ
どねえ」
「あっ、それ、いいですね。やりますか。
二つ並べて、「あわせて100」フェア・・・」
あまりに忙しい日常に、じっと手を見る・・・
じゃなかった、こういった会話に癒される
私がいた。
丸の内界隈は、ぱりっとした背広を
着た人が多く、花野Pと私はいかにも
丸の内が似合わない男二人として、
悄然とビールを飲んでいたのだった。
4月 15, 2006 at 09:21 午前 | Permalink
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2006/04/14
流出の過剰こそが一つのメルクマール
先日、天草にいった時に、
小学校の校庭に二宮金次郎の
銅像があった。
ご存じのように、薪を背負って歩きながら、
書物を読む姿である。
時代錯誤のように思われがちだが、
何だかいいなあ、と思って
何枚かデジカメで写真をとって
しまった。
勤勉というものは、いいもんだ。
と脳裏に刻み込まれた。
その影響、というわけではないが、
ここのところ新たな
「尊徳」をやっている。
歩きながら、Powerbookでメールを
チェックする、というのは
私を知っている人にはおなじみの光景だが、
それに加えて、最近は
電車の中で空いているときなど、
隅にしゃがみ込んで
かちゃかちゃ打つようになった。
なんというか、ちょっと抑制が
外れたというか、「見た目」とか
「カッコ」よりも「実質」優先というか、
とにかく仕事を進めてしまいたい、
という気持ちが強くなってきたのである。
ちょっとしたスキがあると、
かちゃかちゃやってアイデアを
書きためる。
ノート魔復活。
1994年2月、電車の中でクオリアに
目覚めた頃は、
一時間で10頁とか平気で書いていた。
おしら様哲学者、塩谷賢も
ノート魔だったが、最近はどうしているかしらん。
不確実性まわりのアイデアが
カンブリア爆発の気配あり。
創造は自由だ、じゃないけど、
とにかく、こと認知関係の思考については
好き勝手やらしてもらうぜ!
という気分が強くなってきている。
春の嵐が吹き荒れる。
NHKエンタープライズで、
モーツァルトについて話す。
『プロフェッショナル』の収録は、
企業家の秋山咲恵さん。
電子機器の検査装置という、
B to Bのビジネスで急成長。
秋山さんのノートの取り方が
合理的で素晴らしかった。
頭の中にメインのデータがあり、
ノートはバックアップに過ぎないから、
なくしても別に致命的には困らない、
と秋山さん。
それはよくわかる。人にコミュニケーション
する目的以外の防備録は、実は読み返さない。
ノートに書き付ける、という運動自体が、
自分の脳に刺激を与え、ループをつくり、
脳内アーカイブを構築して行く。
塩谷も、がちゃがちゃノートを書く
割には読み返していなかったが、
最近はこれまたどうかしらん。
読み返すにせよ、しないにせよ、
流出の過剰こそが一つのメルクマールである。
4月 14, 2006 at 08:23 午前 | Permalink
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2006/04/13
慶応大学丸の内シティキャンパス 夕学
夕学 2006年4月13日
「脳と創造性」
2006年4月14日(金)
18:30〜20:30(開場18:10)
丸ビル7階 丸ビルホール
(JR東京駅丸の内南口から徒歩約1分)
http://www.sekigaku.net/index.htm
4月 13, 2006 at 10:02 午前 | Permalink
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プロフェッショナル 仕事の流儀 中村好文
プロフェッショナル 仕事の流儀 第11回
心地よい家はこうして生まれる
〜建築家・中村好文〜
日本を代表する住宅建築家・中村好文(57歳)。各界の著名人から市井の人まで、ひたすら個人住宅を造り続ける中村。「はきなれたジーンズのような心地よさ」と評されるその住宅は、施主の「人間」を読み解き、理解することから生まれるという。コミュニケーションの達人と呼ばれる中村の家造りの現場に密着する。
NHK総合
2006年4月13日(木)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
4月 13, 2006 at 08:04 午前 | Permalink
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小沢さん、これ何だかわかりますか?
今日も今日とて
ブレスト、打ち合わせ、会議。
そんな中、講談社の小沢久さんに
久しぶりにお目にかかった。
小沢久さんは、
『心が脳を感じるとき』
をつくってくださった編集者で、
当時は講談社の学芸、今はブルーバックスに
いらっしゃる。
長らく絶版だったが、今回、
ちくま学芸文庫に『クオリア入門』
として収録された。
その『クオリア入門』の後書きから、
小沢さんについて書いているところを引用する。
今でも小沢さんと「黄金期」と呼び習わしているある時期には、ほとんど毎週のように会って議論をし、その後午前2時とか3時まで飲んだ。お付き合いくださった小沢さんも大変だったと思うが、私も翌日眠くて仕方がなかった。それでも、また性懲りもなく会って夢中になって議論する。それくらい、小沢さんとの議論は面白かったのである。
小沢さんとの「深夜の編集会議」の甲斐もあって、『心が脳を感じるとき』は、『脳とクオリア』の議論を受けて、それをさらに精緻化して展開すると同時に、全く新しい問題意識と出会った、私にとって一つのマイルストーンとなる本になったのである。
講談社3Fのカフェテリアで、
hidden figuresをつくるプロジェクトで、
森定泉さん、漫画家の高田タミさんと
打ち合わせをしているところに、
小沢さんがひょっこりと現れた。
周知の通り、良いhidden figuresは
世の中にあまりなく、
「名作」は4つしか知られていない。
良いhidden figuresとは、「不知」の
もやもやから「知」の確信へのジャンプが
大きいもの(aha!感)が強いものであり、
どうしたらそのようなfigureができるのか、
周波数によるfilteringとか、そのような
ことではどうも扱えないということが
わかっている。
より、人間の視覚系の動作に内在した
「微妙な仕掛け」が必要とされているのだ。
このプロジェクトは、新しい「名作」
をつくることで、
one-shot learningの研究を促進すると
ともに、
講談社としては面白い本がつくれる!
という一石二鳥。
ところが困ったことがあって、
hidden figuresは、何しろone-shot learning
だから、つくっている者や、一度わかって
しまった者は、見ても「不知」の状態に
戻れない。
そこで、小沢久さんに、
「小沢さん、これ何だかわかりますか?」
と次々とhidden figuresを見せた。
白と黒のパターンを見つめる小沢さん。
うーんと首をひねっているが、
こちらは、「すぐにわかっちゃうんじゃないか」
と気が気ではない。
「わからないなあ」というのが、
小沢久ならではの思いやりに満ちた
演技なのではないか、と疑心暗鬼。
しかし、実際には本当にわからなかったらしく、
わかっちゃうやつは一瞬で「これ、○○でしょ」
と瞬間知覚器と化す小沢久だった。
本当に久しぶりに会ったので、
何だかとてもなつかしくて、
ついついニヤニヤ笑ってしまう。
いやあ、旧友というものはいいもんですね。
小沢久は、青島幸夫に似ている。
4月 13, 2006 at 08:02 午前 | Permalink
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2006/04/12
クオリア降臨 3刷
文藝春秋 『クオリア降臨』
は増刷(3刷、累計13000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。
4月 12, 2006 at 09:29 午前 | Permalink
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茂木健一郎×佐藤雅彦 「アハ!体験 ひらめきってなに?」
新潮選書3周年『ひらめき脳』刊行記念
茂木健一郎×佐藤雅彦 トークショー
「アハ!体験 ひらめきってなに?」
2006年4月23日(日)16:00〜18:00(15:30開場)
会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
http://www.aoyamabc.co.jp/events.html#ao20060423_2
4月 12, 2006 at 08:34 午前 | Permalink
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無意識はわざと迷った
今年も、前期に聖心女子大学で授業を
担当する。
ことしのテーマは「現代の脳科学」
去年までとは違った大きな教室で、
第一回はホワイトボードを使って
脳科学の現状を概観した。
学芸大学駅へ。
学芸大学付属高校への道は通い慣れている
はずだが、
その少し「左側」に至る道を、
材木店を目印に、
いただいた地図を見ながら歩いているはずが、
いつの間にか「右側」に来ていた。
付属校の、見慣れた正門が見える前、
よくわからない商店街を歩いていた
時が一番スリリングだった。
異次元空間に迷い込んでしまったような、
自分が慣れ親しんだ空間のタガが外れて
しまったような、
そんな目眩の感覚。
あのめくるめく感じを味わうために、
私の無意識はわざと迷った。。。のかもしれない。
石川次郎さんがホストをされる
BS朝日
『男たちの食宴』の収録。
石川さんと楽しくお話をしながら、
おいしい食事をいただく。
銀座の「御魚 大渕座」の大渕康文シェフが、
スゴ技を見せてくださった。
収録の合間に、石川さんに
面白い話を伺った。
先日上海に行った時に、
「いつも見ています」と言われた
というのである。
上海でもBSは見ることができる。
地上波よりも、実は国際的である。
なるほど、と思った。
地上波が政府の許認可の下に置かれているのは、
電波の有限性ももちろんだが、
国民国家の統合における重要な
インフラだからである。
将来、IP放送が一般化するなどして、
国境の意味がなくなった時、
国民国家はどのように変貌するだろう。
私など、BBCばかり見ているかもしれない。
NHKへ。
『プロフェッショナル』の打ち合わせ。
ADカードをいただいたので、
入り口で、いちいち「出演者です」
と言わなくて済むようになった!
松濤のスペイン料理で、
新潮社の北本壮さん、金寿煥さん、
それに、新潮新書編集長の三重博一
さんと「打ち上げ」。
新潮新書
『ひらめき脳』
の見本が出来たのである。
先日の「クローズアップ現代」の
放送で、金さんと三重さんのツーショット
の場面が繰り返し流れたが、
それ以来、新潮社内では
金さんは「キムリミナル」と呼ばれている
由。
文壇関係のゴシップなど、わいわいがやがや
楽しくやりました!
『ひらめき脳』ですが、
都内大型書店では、4月15日には
並ぶようです。
おかげさまで、書店からの注文が
好調で、初版の前にすでに二回
「増刷」されているとのこと。
どういうことか、システムが私には
よくわかりません。
いずれにせよ、
皆様、ぜひともよろしくお願いいたします。
帰宅後、スゴ録でとってあった
『サラリーマンNEO』
を見る。
先週の第一回に続いて、好調。
こういう番組をNHKがつくるように
なったのは、凄い!
先週のマイベストは「星座うらない」のコント
だったが、
今週のマイベストは「はたらくおじさん」
であった。
日本に本格的な(公共放送による)
コメディ文化が根付くかどうか?
今後も「赤丸急注目」!である。
昨日(2006年4月11日)付の
朝日新聞の夕刊「新科論」では、
服部桂さんが、『プロセス・アイ』を
取り上げてくださった。
深謝!
4月 12, 2006 at 08:01 午前 | Permalink
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2006/04/11
「脳」整理法 9刷
ちくま新書「脳」整理法は
増刷(9刷、累計80000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
4月 11, 2006 at 07:59 午前 | Permalink
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脳から始まる 第一回 よみがえった「家」への渇望
ヨミウリ・ウィークリー
2006年4月23日号
(2006年4月10日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第1回
(「脳の中の人生」がリニューアルしました)
よみがえった「家」への渇望
一部引用
考えてみれば、今の都会で燃えさかる炎を見るなどという機会がどれくらいあるだろうか。
私が子どもの頃、庭で落ち葉を燃やすことは、ごく普通のことだった。芋を投げ込み、頃合いを見て出し、二つに割ると、黄金色にほかほかと焼き上がっている。それをふうふう言いながら頬張った味は、当時は当たり前だと思っていたが、今にして思えば、空調の利いたレストランで食するどんな高級料理よりも、むしろ渇望される。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
4月 11, 2006 at 07:56 午前 | Permalink
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ちゃんと平らなところに置いて
先日の河合隼雄さんの
「中心をずらさない」という命題について
考え続けている。
人間、さまざまな表層の問題に
注意を向け、運び去られてしまいがちだ。
世間で言う「地位」や「名誉」
といったものも、私たちを
運び去ってしまう表層なだれの中にある。
肝心なことは、
オリンピックの金メダルとか、
ノーベル賞とか、
アカデミー賞とか、
レコード大賞とか、
そういうものも、結局は
魂の中心をずらしてしまう表層に
過ぎないと認識すること。
首相になったって、
何百億の資産を持ったって、
恐らくは大したことじゃない。
結局、世の中の毀誉褒貶はすべて
魂にとっては表層のことに過ぎないのだろう。
もっとも、プラクティカルなセンスは
必要。
河合さんも言われていたように、
金はあるに越したことはない。
しかし、所詮、金はそれだけのことに過ぎない。
ゲーテが「ファウスト」の中で言う、
Zu Erkennen was die Welt im Innersten zusammenhält
(世界をその中心で統べているものを知ること)
「私」をその中心で統べているものは何か?
生きていく中で通り過ぎていく様々な
ものの中で、核を見逃さないように
して生きたいものである。
もっとも、核は、必ずしもずっと同じものとして
立ち現れるわけではない。
福井の桜は昨日あたりが満開だったようだが、
東京ではすっかり散ってしまった。
万物は流転する。
「変化する」ということこそが、
この世界の本質の一つだと認識して
いた平安朝の人たちは偉い。
自分の本質も変わることにもあるとすれば、
融通無碍と墨守は同じだということになるの
だろう。
ここのところの気休めは
Are you being served?
というイギリスのコメディを見ること。
ずっと、レストランの話だと思っていたが、
デパートの売り場が舞台だった。
寝る前に、1エピソード(30分)見ると、
何だかばからしくも面白くて憂さが晴れる。
こういったものは、
イギリスのアマゾンのサイトから
輸入する。
フォーマットはPALだが、ノートPCならば
大抵見ることができる。
一つ前のPCは、寝転がって
コメディを見ているうちに、DVDドライブに
変な力が加わったらしく、壊れた。
だから、最近は、寝転がっていても、
ノートPCはちゃんと平らなところに
置いて見ることにしている。
4月 11, 2006 at 07:50 午前 | Permalink
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2006/04/10
過ぎるようで過ぎないようで
二日続きで「板」の上に乗って
オーケストラを聴くと、
何だか自分もミュージシャンに
なったような気がする。
三枝さん、貴重な機会を
お与えくださり、ありがとうございました。
全く偶然のこと、週刊ブックレビュー
で『クオリア降臨』を紹介してくださった
三舩優子さんがモーツァルトを弾いた。
表紙に惹きつけられた、
とおっしゃって下さったので、
あれは元ナンバー編集部にいた
「文藝春秋の立川談志」、山田憲和
さんの案なのです、と、ヤマダダンシに成り代わり
御礼を申し上げた。
筑摩書房の増田健史が今度
『生きて死ぬ私』をちくま文庫に入れて
くれるというので、その校正をし、
あとがきを書く。
案外大変な作業量。
モーツァルトをかけながら仕事を
していると、時間が過ぎている感覚が
なくなる。
時間とは、何と不思議な。
過ぎるようで過ぎないようで。
アインシュタインは、現在、過去、未来は
幻想に過ぎないと言った。
それでも、「今」の特別さは認めざるを得ず、
頭を悩ませた。
意識は、相対性理論と同じ問題群に
属する。
「今」は次の瞬間には「過去」になって
しまうが、
単純な数直線にマップできるものでもないのだ。
4月 10, 2006 at 09:55 午前 | Permalink
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2006/04/09
バックミラー
小松空港から、全日空ホテルに直行。
途中、三枝さんから何回か電話をいただく。
中華料理屋「花梨」へ来い!
とのこと。
着いて、さっそく昼食を
取りながら打ち合わせ。
「あの、その会場の石川県立音楽堂というのは
どこですか?」
「このすぐ横ですよ。あるいて一分」
「えっ、こんなところに、そんなのありました
っけ?」
何しろ、私の金沢の認知地図は、金沢工業大学に
在職中の畏友、
田森佳秀とふらふらした思い出で出来ている。
その頃の地図の中に音楽堂はなかった
はずなのだが、
ホテルを出ると確かに横に立派なホールがある。
楽屋口から入り、エレベーターを
上がると、思い思いに楽器を弾いている人たちが
いた。
さっそくゲネプロ。私の役回りは、
舞台の上に三枝さんと並んで坐って、曲の合間に
話をするということ。
第一バイオリンの下手あたりに
座り、じっくりと聴く。
ベートーベン、モーツァルト、それに
三枝さんの作品。
いつもと違った角度から聞いていて、
長年の疑問が氷解した。
楽団員が、指揮者の方を一向に見ずに、
楽譜ばかり見ているように思っていたのだが、
その位置から見ると、楽譜に目を落としても
視野の上の方にちゃんと指揮者が見える。
ちょうど、車の運転をしていて
バックミラーを見るようなもの。
そっちばかり見ていては駄目で、
指揮者を視野の一部にとらえつつ、楽譜も
ちゃんと読めなければならない。
「初心者だと、オケに入って指揮者が
見えるようになるまで、大体半年はかかりますよ」
と三枝さん。
ゲネプロを終え、本番前のひとときを
金沢駅まで散歩した。
大きな「もてなしドーム」が
付設された駅舎は、印象を一新。
私が知っていた、どこか寂しげな
ターミナルの面影はなくなっていた。
本番。
ステージ・マスターの指示に従っての
ステージの出入りを初体験。
講演会とはまた違った、ぽかぽかと
する感覚。
オーケストラの人たちの気持ちが
ぐっと伝わってくるような気がした。
終演後、一時間くらいサインをした。
本やパンフレット。
フラワーピッグを沢山描いた。
ロケットに乗ったやつや、
水に浮かぶボトルに入ったやつ。
フラワーピッグの家でソファにくつろぐやつ。
いろんな変種が出来た。
全てのサインが終了した後、
リブロ金沢の竹林明徳さんと、土屋佳裕さんに
依頼されて、
何冊かの本にフラワーピッグのサインを
したので、近日中に
店頭に並ぶものと思われます。
金沢近辺にお住まいの方、もしよろしければ
リブロ金沢店(リファーレ1、2F)を
覗いてみてください。
本日の「週刊ブックレビュー」で
三舩優子さんが『クオリア降臨』を
取り上げてくださる模様。
http://www.nhk.or.jp/book/prog/index.html
4月 9, 2006 at 07:47 午前 | Permalink
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2006/04/08
中心を外さずに
土井さんの主宰する
ソニーインテリジェンスダイナミクス
研究所のシンポジウム。
森山和道さんの日記
にあるように、「飛ばした。」
こと、意識の起源に関する限り、
何しろノーベル賞100個分くらいの
難しさがあるのだから、
「わかりやすさ」を求める世間や、
conventionalな神経科学のやり方に
お付き合いすることなく、
勝手にやらせてもらおうと思う。
夜、河合隼雄先生との対談。
クライアントと向かい合う時、
その話の一つ一つに注意を向けるのではなく、
「中心を外さずに」ただ聞いて
いればいいのだというお話に
深く動かされた。
宮本武蔵も「五輪書」の中で
似たようなことを書いている。
河合先生が、そのように表層に
惑わされずにただ見つめているのは、
「魂」。
現代の情報化社会は、
表層だけで流れているが、
それもまた仕方がないのだろう。
河合さんの言われるように、
ある種の問題を必要とする人は
自然に惹きつけられてくるし、
オレには関係ないという人は、
そのように生きていれば別に
それで何の問題もない。
今日から、三枝成彰さんの
オーケストラ指揮にお供して、
金沢と福井を巡る。
4月 8, 2006 at 09:24 午前 | Permalink
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2006/04/07
朝日カルチャーセンター 河合隼雄×茂木健一郎対談(本日)
4月 7, 2006 at 08:03 午前 | Permalink
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島田雅彦×茂木健一郎 クオリア再構築
クオリア再構築 Vol.1
愛と暗愚
島田雅彦×茂木健一郎
Part1 まだ落ち着きどころのない直後の心的状態をもって行われたパノラミックなdiscussion
Part2 その後しばらく体験に添い寝してエピジェネティックに立ち上がった各々のqualia
集英社 すばる 2006年5月号
(4月6日発売)
すばる目次
4月 7, 2006 at 07:58 午前 | Permalink
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「タイム」の仕草
『プロフェッショナル』の収録は、
「ムシキング」の生みの親、
植村比呂志さん。
創造性と「子どもらしさ」
の関係について植村さんと話す。
モーツァルトを見てもわかるように、
創造的である人は、「子どもらしさ」
をもっている。
そこに、最近考えているopen-endednessが
重なる。
「子どもらしさ」とは、一つの固定した状態を
指すのではなく、
むしろ常に変化し続ける可能性である。
創造とは、「自分」は変化せずに、
ただ作品が外に出て行くのではなく、
「自分」自身もずっと変化して
いく過程なのだ。
学習というと、「100」のものが
あって、それを端から1,2,・・・
と学んでいくというメタファーで捉え勝ちだ。
そうすると、タブラ・ラーサである
子どもの頃から、大人になるにつれて、
次第に学ぶべきことは減っていってしまう、
ということになる。
しかし、実際には、この世は
どこまで行っても「次の驚き」に満ちている。
上の「100を端から次々に」
というメタファーよりも、
むしろ、Diffusion Limited Aggregation
のように、どこまでも持続可能な成長過程
として脳の学習過程をとらえる方が
適切なのだ。
小学校入学の時に、自分の前に無限の
空白が広がっているように感じた。
あの時のような「まだまだ先がずーっと
ある」という感覚を、人間は何歳になっても
持ち続けることができるはずなのだ。
収録中、VTRの2が終わった後の
かたまりで、突然左の鼻がむずむずして
困った。
どうも、鼻風邪のようである。
植村さんに質問をして、植村さんが
答えている時に、「こういう時は
どうせ映らないだろう」と
鼻をそっと押さえてごまかした。
先日、出雲に島田雅彦と行った時、
寒い作業場でずっと作務衣一つで
がまんしていた、あの頃からの
後遺症かもしれない。
収録が終わった後、デスクの山本タカさんに、
「ああーいう時はどうすればいいんでしょうか?」
と聞いたら、
「どうせそこは収録上使わない、ということで、
チーンとしてしまえばいいんですよ!」
と言われた。
「しかしティッシュをもっていなかったんですよ」
と言ったら、
「両手で「タイム」の仕草を
する人もいます!」
とタカさん。
そっか、「タイム」の仕草か。
一生子どもであり続ける私たちは、
学び続けで忙しいが、
いざとなったら「タイム」の仕草で
一休み。
4月 7, 2006 at 07:49 午前 | Permalink
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2006/04/06
『冑佛伝説』
静岡県在住の歴史研究家、河村隆夫さんの
『冑佛伝説』(かぶとぼとけでんせつ)
が4月4日に発売されました。
私が序文を書かせていただいております。
興味のある方は、ぜひ手にとってお読みくださいますよう。
『冑佛伝説』詳細はこちら
4月 6, 2006 at 09:56 午前 | Permalink
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プロフェッショナル 仕事の流儀 鈴木敏夫
プロフェッショナル 仕事の流儀 第10回
自分は信じない 人を信じる〜プロデューサー・鈴木敏夫〜
「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」など、記録的大ヒットを連発する宮崎駿 アニメの仕掛け人、映画プロデューサーの鈴木敏夫(57歳)。その快進撃の陰には、様々な企業の関係者やフリーのスタッフを束ねた「チーム鈴木」の存在がある。
「自分を信じない、人を信じる」と言い切る鈴木は、人をその気にさせる名手。その仕事の極意は「人は仕事を仕事と思わなくなったときに、力を発揮する」。新作映画制作の現場に密着。どうすれば、人は動くのか。鈴木独自の人心掌握術に迫る。
NHK総合
2006年4月6日(木)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
(今回から放送の曜日、時間が変わりました!)
4月 6, 2006 at 09:53 午前 | Permalink
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春風ふわりのごとく、越境してしまう
さくら咲くすずかけ台へ。
修士論文構想発表。
三人の発表を、「よくここまで大きくなったなあ」
というような感慨を持ちながら聴いた。
大久保ふみは、jealousyという難物を、
うまく実験研究できるようなパラダイムに
着地させた。
ultimatumなどのgame理論の文脈を、
timeやattentionといった属人的資源へ
転化することで、かなり面白い問題設定が
できたんじゃないかと思う。
箆伊智充は、intentionalityのstructureを
複雑にしたところがミソで、lateralityの
問題が以前としてcomplicatedだけども、
実際にやってみると意外な結果が出る可能性が
ある。
self-induced synchronizationにおける
lateralityの効果が出たとしたらかなり面白い。
抽象的空間概念から出発して、
何回かの練習でもうまくそのアイデアを
人々に伝えられず(egocentric, allcentricとの
関連性などがわからなかった)、
前日の予行で一生懸命debuggingした
「一番心配な星野英一」は、実は本番に強かった!
VIS, VDSという「defined by Hoshino」
の概念も、anchorとしてのobject perceptionを
全面に押し出すことで、独自性を
主張できそうだ。
皆、無事通過。
その後の、博士の中間発表、
関根崇泰と恩蔵絢子は、
百戦錬磨。安心して聴いていられた。
考えてみると、大学院における学習曲線は
かなり急峻なのではないか。
人の前で自分の考え方をきちんと
伝えられる。
これはやさしいようで案外難しい。
みんなエラかった、というわけで、
すずかけ台駅前の「てんてん」へ
なぜか数えると十数名にふくれあがっていた。
中村清彦先生の研究室の学生さんも
ジョインしたからである。
麹町の日本テレビへ。
『ニューロンの回廊』第二回の収録。
ピアニストの山下洋輔さん。
山下さんのコンサートには何回か行っている。
確か日野市で、「ラプソディー・イン・ブルー」
を聴いたこともあったと思う。
あの熱狂とクールさが入り交じった
音楽が、大好きなのだ!
伝説の「ひじ打ち」が生まれたきっかけが
面白かった。
ある時、セッションをやっていて、
ドラムがかなりアグレッシブだったので、
対抗するために「えーぃ、やっちまえ」
と思ってやったのだという。
山下さんの場合、「新しいことを
ふっとやってしまう」ことが
いかにも唐突で、しかし確固とした
ロジックに基づいていて、
春風ふわりのごとく、越境してしまうのである。
花野剛一プロデューサー、
あるいは森義隆ディレクターの差し金?
で、なんと山下さんとセッションをやることに
なってしまった。
山下さんはもちろんピアノ、私はボンゴ。
あな恐ろしや。
収録前に、ボンゴの打ち方を習ったが、
いい音を立てるためには、
端のところに手の平を打ち付けて、
指がその勢いでバン!
と太鼓の真ん中あたりに当たらなくてはならない
らしい。
そうやったら、案外痛い。
出雲で島田雅彦とバッティング・センターに行って、
130キロの球を打ったので、
その後遺症の手の平が痛い。
それでも、本番は一生懸命打った。
天下の山下さんとセッションできるなんて
滅多にない。
がむしゃらにやった。
打ち終わって、手を見たら少しムラサキ色になって
バナナのようにふくらんだ。
打ってみてわかったこと。
会話では、かわりばんこ(turn taking)で
打たなければならないが、
音楽は同時にできる。
二人で、併走できる。
そうか、それが会話とセッションの最大の
違いだ! と身に染みた。
そこから広がる世界がある。
山下さんとの会話は、あまりにも面白いことが
多々あったのだが、一つだけ書く。
山下さんと話していて得た大切な
インスピレーションは、そうか、外国語を
音楽として聴けばいいんだ! ということ。
世界には言語が6000もある、
と言われると絶望してしまうが、
意味を理解しようとするからで、
音楽としてそのリズムやイントネーションの
多様性の豊かさを味わえばいいじゃないか。
誰か、6000の言語のすべてを収めた
CDか何かつくってくれないかしらん。
収録を終えて、上野公園へ。
芸大の植田工と、電通の佐々木厚
さんが花見を企画してくださった。
竹内薫も来ていたようだが、私が
着くのが遅くなってもういなかった。
NTT出版のマキロンこと牧野彰久さんが
いて、きちりと原稿の催促を受けた。
筑摩書房の伊藤笑子さんはいつものように
えみえみ坐っていた。
そのうちに、文學界編集長、
大川繁樹さんを「組長」とする文藝春秋の一団が
到着。
山田憲和・若頭、山下奈緒子・姉御、中本克哉・
切り込み隊長が、
満開の夜桜の下で見得を切った。
山下さんは、文學界からCREAに移って
しまわれた。
姉御のスピリットは、切り込み隊長が
受け継ぐでありましょう。
大川さんに、
「茂木さん、これを聴くとモーツァルトの
レクイエムがより好きになりますよ!」
と言われて、CDをいただいた。
流しの青年が来て、みんなで
尾崎豊を激唱したような気もする。
深夜、
Philippe Herrenweghe指揮のレクイエムを
聴きながら、一人の男は眠りにつきました。
4月 6, 2006 at 09:49 午前 | Permalink
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2006/04/05
木棲flower pigくん
小布施のセーラ・マリ・カミングスから、
長い木の板が送られてきたのは、
一ヶ月くらい前。
何だろう、と思ったら、
桶アートの「企画」で、
桶を構成していた板に
何か描いて送り返せ、
ということらしい。
お安い御用、と思っていたが、
ついつい締め切りを忘れてしまった。
桝一酒造の松木瑞枝さんから、
「締め切り過ぎています」という
メールが来たときには、すでに出雲に
行っていた。
何でも、もう一度桶に組み直すらしい。
それはマズイ、というので朝一番で
フラワーピッグ春型を描いた。
大阪の堺で桶を組むというので、
ここは、一つご苦労であるが、
修士一年に入ったばかりの野澤真一
くんに大阪まで行ってもらうことにした。
「野澤、大阪行ったことあるか?」
「ありません」
「最近は、品川から乗れるんだぞ。知っているか?」
「そんなこたあ、知っていますよ!」
「じゃあ、これ、もっていっておくれ」
「こんなにでかいんですか?」
「すまんすまん、そのかわり、行きは
トンカツ弁当とビールを飲むといいよ」
「茂木さんにちょっと恩を売っておくのも
いいかな。」
「あと、海遊館というところで、ジンベイザメを
見るといいよ」
「わかりました」
「あとは、道頓堀で何かうまいものを食えよ」
「食います! それじゃあ、いってまいります!」
と野澤はひょいひょい出かけていった。
野澤を送り出したあと、私は大忙し。
大久保ふみさん、箆伊智充くん、星野英一くん
の修士構想発表、
恩蔵絢子さん、関根崇泰くんの
博士中間発表の予行をして、
パワーポイントについて議論をする。
NHKに行き、打ち合わせ。
有吉さんや、住吉さんたちは、
お花見をしたらしい。
何だかくらやましい。
研究所に戻る途中で、
野澤くんからメールがきた。
ミッションコンプリート!
鈴木さんはいい方でした。
桶の板を描いていた人はそうそうたる面子ですね!
小泉純一郎とか片岡鶴太郎とかいてびっくりしました。
さらっと観光して帰ります。
鈴木さんというのは、桶を組むウッドワークの
人である。
桶アートの本番は、こちら。
http://www.okeok.com/guidance/guidance.html
戻ってきて、再び議論。
こういう時にインテンスに研究の話をして、
新しい発想が生まれる。
星野の難解な空間把握哲学の実体が、
30分くらいじっくり議論してやっと
わかった!
星野くん、君、概念空間の奥に行きすぎです!
夜、某重要会合。
緊張しつつも、楽しい会談。
長い一日だった!
日付が変わる頃、コンビニからの道を
歩きながら考えた。
私が今のような生活のあり方に突入したのは、
クオリアの問題に目覚めたのもそうだが、
もう一つは、高校時代にニーチェを読みながら
一生懸命考えて、掴んだ一種の生命哲学、
すなわち、基本的にニヒリズムを基底としながらも、
「Tanzen」(舞踏)としての生の中に一人称の
自分を投げ込むというあり方の論理的帰結
だな、と。
クオリア+生命哲学。
大変だよ。だけど、充実している。
野澤真一くんと旅に出る直前の
木棲flower pigくんと記念撮影。
4月 5, 2006 at 06:38 午前 | Permalink
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2006/04/04
鴨ナイフ くゎっ、くゎっ!
(承前)
刀匠の指導の下、
ケラからナイフをつくった。
まずは、刀匠のお弟子さんが
叩いているのを見ていた。
赤熱した鉄が
ぱんとはじけるのが
見えた。
次の瞬間、
熱い!
上まぶたの辺りにじゅっと熱さを
感じ、
それからじわじわとひりひりし始めた。
作業場には鏡がないので確認できない。
後で見たらなぜか上まぶた
ではなく、下まぶたの方にやけどの
小さなスポットの跡があった。
しかし、ごく瞬間的に接しただけなので、表層
だけしか焼けていない。
名誉の負傷。
島田雅彦も、頬に一瞬
熱いものを感じたらしい。
島田の頬にやけどスポットがあるか
どうか、無精髭でわからない。
島田雅彦は、コンカンコンカンと
槌を振るい、バナナのように大きく反った、
ダガーナイフをつくった。
私は、最初は「マッコウクジラ」のような
形のナイフをつくろうと思って
カンコンカンコン叩いていたのだが、
頭部を丸くしようとして
熱心に叩きすぎたのか、
ふにゃっといやな感じで曲がった。
「あっ、これ割れていますね」とお弟子さんが
言う。
「間違いなく割れていますか」
「間違いなく割れています!」と若き禅僧の
ような風貌のお弟子さんは容赦なく断言する。
「これ、火に突っ込んで溶かせばつながりませんか?」
「つながりません!」
「どうすれば良いでしょう?」
「すぱっと切るしかないですね」
「切る!?」
お弟子さんの提案されたのは全面切除
だったが、
私はこの「味」を残したいと、
割れ目から斜めに切っていただくことにした。
めげずにトンカントンカンと叩き続け、
できあがったナイフは命名「鴨ナイフ」
島田の「反りナイフ」。
私は「鴨ナイフ」。
結果としてそれぞれの個性が
出たような気がした。
島田は、クール・ダンディー。
私は、鴨。くゎっ。くゎっ。
砂鉄からナイフを鍛え上げた、
ジークフリートの追体験。
振り返っての対談。
鉄とデジタル資本主義を結ぶもの。
それは、貨幣の強制通用力に象徴される、
私たちの心の中にある「動かし難い」もの。
そんな、自分の心の中にある「鉄」を
溶かしたい! と思った。
鉄を溶かすには、高いエネルギーと
高度な制御のインテリジェンスが要る。
名誉の負傷と鴨ナイフのあとに残ったのは、
エネルギッシュ&インテリジェントに生きよう
という決意だった。
(一連の模様は、集英社の文芸誌「すばる」
にそのうち掲載されると思います)
鴨ナイフ くゎっ、くゎっ!
4月 4, 2006 at 07:35 午前 | Permalink
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2006/04/03
「退廃兄弟」の証
島田雅彦と二人で、たたら製鉄をした。
砂鉄と木炭を交互に積み重ね、下からふいご
で風を送って熱する。
炎の様子を観察し、頃合いを見て
まずは木炭を投入し、掻き棒でならす。
その後で、砂鉄をさらさらと振りかける。
横の穴から時々つついて、
ノロと呼ばれる不純物を出した。
木炭や砂鉄を投入したり、
炎の様子を見たりする時には、
炉の横に設らわれた階段を
上る。
上り下りし、投入を続けているうちに、
調子が出てきて、島田が石炭を投げ込んでいる
間に次の石炭を用意したり、
私が石炭をならしている間に島田が
砂鉄をもってきたり、と息が
合ってきた。
いい若いもんが、祭りに参加している
かのようだ。
合間に、酒を飲み、板昆布を食べ、
たたら保存会の人たちと談笑する。
午後6時から初めて、12時頃になって
ケラ出しの準備が整った。
炉を構成しているレンガを取り除くと、
中から灼熱した木炭の塊が
現れる。
てらりてらりと全身で熱さを感じながら、
それに耐えて、灼熱の中にあるケラを
掻きだした。
ケラは、普通は一つできる。
ところが、私たちの場合、ケラは二つ
あって、
「退廃兄弟」の証のようであった。
(この項続く)
4月 3, 2006 at 10:31 午前 | Permalink
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2006/04/02
たたらのしもべ
昨日(4月1日)の日記は、
もうおなじみの人も多いだろうと
思うが、そういうことである。
イギリスにいる時に、新聞が
エイプリル・フール記事を
マジメに書いているのを見て、
私も習慣になった。
ちなみに、昨年の4月1日は、こんなものでした。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/04/post.html
島田と出雲に来ていますが、
なかなか電波が通じません。
出雲大社を初めて見ました。
伊勢とはまた違った、大らかな。
たたらで6時間炎のしもべになりました。
最後に、ケラ(金ヘンに母)を
取り出しました!
様々なクオリアが魂を通り過ぎていきました。
4月 2, 2006 at 09:45 午前 | Permalink
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2006/04/01
島田雅彦
4月 1, 2006 at 12:42 午後 | Permalink
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四弁桜
月日が経つのは早い。
今年も、気付いてみればもう4月1日である。
円周率を計算していくと、4が4つ続く
場所が現在までに知られているところ444カ所
あるという話を、しばらく前に聞いた。
できすぎた話のようだが、もちろん、
さらにコンピュータで計算していけば、
どんどん増えるから、神の意図、といった
類の問題ではない。
それでも、何だか素敵な気はする。
円周率の計算競争を、一時休戦しても
良いのではないかと思う。
4といえば、ここ数年、元旦に飲んでいる
特別な飲み物がある。
それは、「四弁桜」のお茶である。
美しいピンクの和紙に大切につつまれた
塊を湯飲みに落とし、熱湯を注ぐと
ぱっとほどけて、
中から花弁が4つの桜が現れて、
ふわっと真ん中に浮かぶ。
もちろん、普通の桜は花弁が5つである。
「四弁桜」は、そのような品種があるのかと
いえば、
そうではなく、4つ葉のクローバーの
ような変異なのだという。
「四弁桜」のお茶をつくっている渋山さんに
伺ったところ、その辺りにごく普通に生えている
ソメイヨシノにも、時々四弁のものが
混じっているというのである。
渋山さんは東北のある村に暮らしているが、
昔から、「四弁桜」は縁起がいいという
言い伝えがあり、見つけると大切に押し花にして
とっておいたのだという。
さらに、元旦にお茶として
飲むと幸運が来る、という伝承もあり、
渋山さんの集落では、もう何代も
そうしていると言う。
しかし、何よりも大きな幸運は、
「四弁桜」を見つけた者にこそ訪れるのだそうだ。
私は、クオリアについて
取材にいらしたある方に紹介されて、
それ以来「四弁桜」茶を手に入れているのだが、
何しろ貴重なもので、桜の季節になると、
渋山さんは日の出から日没まで「四弁桜」を
探して山歩きをするが、それでも一日に
一つ見つかるかどうかという
くらいだと言う。
「なにしろ、つぼみの時はわからないわけですから。
開いたところを、ぱっと見る。面白いもので、
慣れてくると、随分遠くからも「あっ、あそこに
四弁桜がある!」とわかるようになりました。
なんとなく、まわりよりほんのり明るく
見えるのです」
と渋山さん。
「私には、確率とか、そういう難しいことは
わかりませんが、おそらく千に一つ、万に一つも
ない。一本の木に一つもないのだと思います」
と渋山さんは続ける。
何しろ貴重なものなので、宣伝もせず、
特別な知り合いに頒布するだけだけれども、
最近はそれでも噂が噂を呼んで、
引き合いも多くなって来たけれども、
とても注文をさばき切れるものではないと
渋山さんは言う。
それなりの値段で売れるので、家も
新築することができたし、春のぽかぽか
した陽気の中、四弁の桜花を求めて
彷徨うのは、何といっても素敵な商売
なのだけれども、最近は足腰も弱く
なってきたし、いつまでも続けられるか
わからないと渋山さんは言う。
「それでね、茂木さんに、今度日記か
何かで書いていただきたいんですよ。
というのはね、気付いていないだけで、
「四弁桜」は全国にあると思うんです。
私たちの集落だけにあるんじゃないと
思うんです。お花見と言っても、
皆さん案外お酒やごちそうを楽しむ
ばかりで、花をきちんと見てやらないじゃ
ないですか。じっくりと眺めてやると、
「四弁桜」は身の回りにあるんじゃ
ないですかね。今流行の言葉で言えば、
ロハスと言うんでしょうか。じっくりと
花を見ることで、幸運にも恵まれるし、
私のように、ちょっとした小遣い稼ぎにも
なるわけですから」
実際、青山や赤坂あたりでは、「四弁桜」が
幸福のシンボルとして高値で取引
されているというが、その陰で偽物も
横行しているらしい。花びらを
一つちぎったり、手の込んだものに
なると、一度花びらを全て分離した
あと、特殊な接着剤で付けるものまで
いると言うのである。
「そういう、偽の「四弁桜」を見ると、
不自然なんですよ。本物は、本当に、この世に
こんなにきれいなものがあったのか、
というくらい魅力的なんですけどね。」
渋山さんの語り口に魅せられて、
私も、ここ数年桜の季節になると
花を一つ一つじっくり見て、
「四弁桜」はないかと探している。
しかし、未だに一つも発見することができない。
人生の本当の幸運をつかむために、
ぜひとも「四弁桜」を見つけたいと思う
のだが・・・
今年も一年に一度しかないチャンスが
巡ってきた。
「四弁桜」を見つけたいから、
花見の時に少しはお酒をがまんしようと
思っている。
毎年、貴重な「四弁桜」茶を送って
くださる渋山さんに、「ついに見つけましたよ!
幸運が来ましたよ!」とご報告したい。
この日記を読んだ方も、「四弁桜」を探して
みませんか?
渋山さんの小さな発見が全国に広がることを
願っている。
4月 1, 2006 at 08:53 午前 | Permalink
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