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2006/03/16

校則の範囲内で

昨日は確定申告の締め切り日だった。

 例年、最終日が近づかないと全くやる気に
ならない。
 それで、いつも苦しむ。
 
 とにかく、あの手の作業がイヤなのである。
 何かトラウマでもあるんじゃないかと
自分で思うくらい、イヤでイヤで仕方がない!
(ここで本当はビックリマークが100くらいつく!)

 ちゃんとした人は、普段から「必要経費」
というものを計算して引いておくのだろうが、
 そういうのもものすごくイヤで、
結局何も計上しない。
 せいぜい、アマゾンで買った本くらいを
パチパチ加算するだけ。
 
 とにかく終わった。
 これで、一年間は税金とかそういった
ことを(恐らくは)一秒も考えずに済む。
 
 東京大学本郷キャンパスへ。
 総合図書館の三四郎池側にある
情報学環の10階で、水越伸さんと
ケータイについて話す。

 水越さんは、私の顔を見るなり、開口一番
「この前白糸にいたでしょ!」
と言われた。
 原島博さんの研究室の方々ととまたま
近くになったのだ。

 いろいろな話をしたが、
水越さんの「日本のケータイは、とっても不自由
な世界で、まるで女子高生が校則の範囲内で
いろいろ工夫してお洒落をしているようなものだ!」
という言葉がうまいたとえだなあ! と思った。

 ケータイの何気ない使い方など、ちょっとした
ことから、日本という国の現状が見えてくると
水越さん。

 私は、しばらく前から、なぜ日本ではみんな
ハンドル名を使うんだろう、と疑問に思っている、
ということを言った。
 アメリカでは実名が多いと聞いていたが、
水越さんによると、韓国や台湾などでも
実名が多いという。

 私も、以前は「くおりあ庵」というハンドル
名を使っていたが、違和感をもってやめて
しまった。

 ハンドル名に、
「積極的に新しい情報を付け加えている」
という感じがなくて、情報としてredundantだ
ということが一つ。
 それと、水越さんの言われるように、そもそもの
日本社会のメンタリティも反映されている
のかもしれない。

 夜、知のwebマガジンen の打ち上げ。
 ずっと担当してくださった塩事業センターの
 河井義行さんが、定年で退職される。

 他に、大庭剛司さん、アルシーヴ社の佐藤真さん、
青土社の今岡雅依子さん。

 河井さんと、二年間の思い出をいろいろ話す。
塩事業センターにいらっしゃる前は、
ずっと林業にたずさわっておられて、
 日本はもちろん、アジア各地や南米を飛び回った
という。

 そんなお話をうかがっているうちに、
熱帯雨林の高さ60メートルにもなるという
木々が連想されて、
 自分たちがいる新宿の高層ビルと重なった。

 今、自分が樹冠にいる一匹の猿だとしたら。。。

 鏡の前に立った時、自分という存在は自然
的動物と何やら妙な概念的構築物のハイブリッド
であり、
 高層ビルの鉄筋とガラスは、最初から
人間の頭の中に存在しているのだと
思った。

3月 16, 2006 at 07:11 午前 |

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コメント

 ホームページを持った事もなければ、
ブログも、はじめる予定は、今のところ
まーったくなし。
 コメントしたり、掲示板に書いたりするのも、
ここだけ。
 私は、ここに、HN雪女でのみ、ネット上に存在しているはず。

 ずーっと前に、ある掲示板で、HNにもかかわらず、「アレ、○○ちゃんじゃないの?」
って言われたことがあって…って、HNなのにバレるんなら、実名でいいんじゃん!と、
あらあら、自爆してしまったよ…。

 う~ん…私にはまだ、茂木さんは、実存する
サンタクロース(わかりにくい?)で…。
 え~と…だから、もしも、茂木さんと
お会いする機会がいつか訪れたら、ここで
実名で書くことは迷わないかな。

 実名でいいよ!とは思っているのに迷ってる自分が、よう分からんです。
 大好きになるまで時間がかかったから、
名前は、スペシャル!な物ではあるなあ。

投稿: | 2006/03/18 1:07:51

そういえば、自分の名前を使ってよ!みたいな事を茂木先生がTVでポツリと言ってましたね。アナウンサーはどうでもいいよって感じで司会進行してましたけど・・・。チャット参加するのって始めて!2次元のコミュニケーションが仮想現実か、電子ペンパルなのかいろんな人の話を聞いても定まらない。困った時はこれ、「テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ」
電子ペンパルと認識∴中川千鶴といいます。

投稿: | 2006/03/17 10:49:40

実は自分もこの「銀鏡反応」というハンドルネーム(HN)を2001年から使っているのだが、最近になって、徐々に茂木先生が抱いていたような違和感を持つようになっていき、いっそこのHNを捨てて本名で通して見ようと思うのだが、あと1歩の勇気が出ない。

上のtree様のコメントのように、日本では欧米等と比べて姓名のヴァリエーションが豊富で、ほぼ9割5分の確立で個人特定されて、本名を使うと周りから監視される、という気になって圧迫感を感じるのも一つの理由だ。

が、私が思う、この件について最も根本的な理由は、HNを使うことによって、自分の本当の姿を覆い隠し、いわば仮面を被って「会話」したい、ということなのに違いない。

要するに、HNを捨て、本名を名乗り、本音で「会話」する勇気が出ないのだ。

茂木さんはいさぎよくHNを捨てる勇気があったから素晴らしいと思う。私は捨てたいと思うがなかなか捨てられない。しかしいずれは…。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/03/16 17:46:34

アメリカや韓国で実名が多くて、日本で実名が少ないのは、非常に単純な理由からだと思います。
アメリカには名前の数が少ないですから。
ファーストネームはマイクとかボブとか。
ファミリーネームだってそんなに数が多くない。
韓国だって、姓の数は少ないし、名だってそんなに多くない。
日本ほど姓も名も種類が多いところは無いんじゃないですかね。
で、姓も名も多いから、実名を名のることによって、個人を特定される度合いが、アメリカや韓国と比べものにならないぐらい大きい。
僕が、ジョナサン・ハンフリーとかいう名前だったら、実名を名乗ることの抵抗は相当少なくなります。
もちろん、文脈とか主張内容である程度個人は特定されることになるでしょうが、いつもある程度のファジーさがあるということで、心理的な抵抗感はかなり少ないはず。
日本語で実名を名乗ると、ほぼ95パーセントの確率で個人特定されて、昔の同級生や同僚や近所の人までみんなに監視されている気になって、圧迫感を感じることになります。

投稿: | 2006/03/16 10:55:55

え~ 税理士は?

投稿: | 2006/03/16 7:43:49

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