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2006/03/05

脳の中の人生 数字フェチにはわからない荒川静香の“喜び”

ヨミウリ・ウィークリー
2006年3月19日号
(2006年3月6日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第93回

数字フェチにはわからない荒川静香の“喜び”

一部引用

 人間の脳は他人との関係性から多くのよろこびを得るが、その本筋は誰かの役に立つことができたとか、心が通じ合ったという点にある。競争もまた関係性の一種であるが、そこで一番になったということは本当は副次的なことである。
 強いて言えば、一番になることで「人に認められる」「ほめられる」ということがうれしいのかもしれない。それでも、決して、「一番」という数字自体に人間関係における根源的な意味があるわけではないのである。
 荒川選手は、「ポイント(=数字)につながらなくても、人が喜ぶことをやりたい」という思いを強く持っていたと伝えられている。そのようないわば脳にとっての「うれしさ」の本筋が金メダルにつながったのだから、これほど素晴らしいことはない。
 本質を見極めずに、単に順位にこだわるのは、「数字フェチ」とでも言うべきだろう。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 5, 2006 at 03:23 午後 |

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コメント

「スルツカヤが転んだから荒川(日本)が金」が、
政治家の発言・・というのは、
やはり、単純に損得だけなのね という感じです。
こちらの新聞によると、
スルツカヤより村主の方が上 という専門家もいるらしいのですが・・
村主さんの表現力の「美」に対する評価は、
専門家個人による差が大きいということでしょうか?

ホリエモンについても、こちらの新聞で
子どもの頃は目立つ存在でなかった というような
記事があったと思います。
勝手な想像ですが、
子どもの頃の寂しさを
大人になって、圧倒的な数字で見返す というようなところが、
あったのかなぁ・・
河合隼雄先生なら、どんな見方をされるのか と
私個人としては気になるのです。

投稿: yuri | 2006/03/08 11:01:57

>いちご様
↑その発言をした男性は、聞くところによると
どこぞの大臣だそうです。

政治家としてまた人間として著しく品位を欠くと非難ごうごうでした。

ところで、人はある程度数字フェチであるのは仕方がないことだ。

でもやはり、数値(数字)につながらないような、たとえば、人のために尽くす、人が喜ぶことをやってそれが評価されると感じる喜びを味わう人生のほうが、数字の羅列と順位に執着するそれよりも、はるかに大きな充実感があるものなのだ。

ある人がこんなことを言っていた。

「数字だけの世界でゼロひとつに右往左往するのもいいけれど、人生を数字に捧げるのはむなしいものです。使えないのにお金だけ稼いでしまうと、
結局はその人がお金に使われることになってしまって、
まあ、それも人生ですが」。

稼ぐことだけにしか、喜びを感じない人生はやはり虚しいものだ。でも世の中にはそれで御の字!という人もいるのでまさに「人生いろいろ」だ。

ただ、人生を数字にばかり捧げているような人は、その人の人生で体験すべき他のもろもろの事柄をホトンド体験しないまま、人生の幕を引いてしまいそうなので、やはり寂しいとしかいいようがないと思う。

ホリエモンの人生の末路は、きっと寂しいだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/03/07 19:46:37

昨日夜 荒川さんの生出演があった。
生き方って 顔にでてきますね。
美しい!
あと 荒川さんは インタビューのお返事も
素敵ですよね。
それと とても正直気持ちが 表情に表れますね。

その番組で 荒川さんが 訪問先で男性が
スルツカヤが転んでやった~っと思ったという
発言をした時の 荒川さんの表情が曇った。
なんだか 私もえ~~~と感じてしまった。
この男は スルツカヤが転んだから金だなって
思っているのかなって・・・悲しい。
金も嬉しいが きっと 荒川さんは
「演技が 素敵だった 美しかった」という
言葉が一番嬉しいと思う。

投稿: いちご | 2006/03/05 23:48:41

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