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2006/03/13

壺の中にフラワーピッグがいて

移動日。

 三重県菰野町にうかがう。

 四日市駅で、こどもたちの未来を考えるサークル
With you 代表の人見実男さん、言語聴覚士
の伊藤直美さんと合流。

 ここから車で30分。

 国道から少し細い通りに入ると、
なにやら風情があり、ゆかしい。
 「この辺りはいいですね」
と言うと、
 「御城下だったんです」と教えて
いただいた。

 三重は、私の尊敬する二人の偉人、
本居宣長と小津安二郎が生まれたところである。
 そして、宣長はもともとは安二郎と
同じ小津家の出身なのである。

 人見さんと伊藤さんが主催される会
でお話させていただく。
 
 打ち合わせの時、人見さん、伊藤さんとの会話。

「終わった後、御著書にサインをいただく時間を
設けても良いでしょうか」
「ええ、もちろん良いですよ! でも、持っている
方いらっしゃるかな」
「会場の外で売ります。『脳の中の人生』とか、
『脳とクオリア』とか。」
「えっ、『脳とクオリア』ですか。。。あれは
難しいですよ!」
「いや待てよ。『脳と仮想』の方やったかなあ。
いや、やっぱりクオリアですわ。三千幾らの
厚いやつ。」

ありがたいことで、終わった後、
50人とか60人の方々のお持ちになった本に
署名させていただいた。
その中には、『脳とクオリア』もあった。
大変だあ。

いつものように、絵を描く。
「同じパターンは描かない」
とやっていると苦しくなってくる。

苦し紛れに、フラワーピッグの新しい
ヴァージョンを思いついた。
壺の中にフラワーピッグがいて、
花が外に飛び出している絵柄である。

これだと、いろいろな壺のヴァリエーションがあるので
尽きることがない。

人見さん、伊藤さん、菰野町の方々、
ありがとうございました!

街を歩きながら
心地よい疲労の中で思ったこと。
この世の全てのものの底は抜けている。
立派なもの、価値があるもの、美しいものも
全ては底が抜けている。

自分自身の存在さえ、底が抜けている。
その底抜けのニヒリズムを突き抜けて
いったところに、
限りなく明るい生命哲学が待っている
という実感を持った。

自分の中から力を引き出すためにも、
中途半端なものを信じちゃだめだ。

3月 13, 2006 at 07:21 午前 |

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ももんが その生きものは 正確には「ももんがぁ」とよんでいました。 みなさんはご覧になったことがありますか? いまから40年以上まえのことです。 島田市指定文化財「河村家住宅」の 裏山の中腹に、 祖先以来の墓地があります。 その墓地からほんのすこし下った... [続きを読む]

受信: 2006/03/13 8:01:47

» 全てが底抜け。 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@いいものも、わるいものも、価値があるものも、ないものも、きれいなものも、みにくいものも、すべては実は、底が抜けているそうだ…。 @人も心の中を見てみたら、やはり底が、抜けているらしい。 @底抜けの世界は、ガスのようにニヒリズム(=虚無主義)が漂う。人はみなそのニヒリズムの中で窒息しそうになりながら、毎日をやり過ごしている。 @ニヒリズムのガスは、世界の底に開いた穴の向こうに広がる、輝かしい生命哲学の光を、見せまいと、人々の眼を曇らせている。 @そして青年達から、希望と勇気と悪を憎む健康な心を奪い、... [続きを読む]

受信: 2006/03/16 22:12:31

コメント

子どもたちの未来を考えるサークルWith you主催の
講演内容は何だったのですか?

ミラーニューロンの発見以来、
言語と運動は切り離せない関係で、
研究をかねてイタリアの病院へ

7月の学術集会に茂木先生を

・・・何? 興味津々です。

茂木先生、Koji様、
是非是非教えてください。お願いします。

イタリアでのランチは
家に帰ってゆっくり食事をとる と聞いたことがありますが、
病院の雰囲気も、日本とイタリアでは異なるのでしょうか?

投稿: yuri | 2006/03/15 12:48:15

僕は理学療法士をしています.リハビリテーションを通して「子どもたち」の未来を創造中です.四日市駅でこどもたちの未来を考えるサークルWith you 代表の人見実男さん,言語聴覚士の伊藤直美さんと合流とありましたので,少しコメントを.言語聴覚士が参入されているとのこと,子どもたちの「言語(ことばという運動)」にとって素敵なことですね.RizollattiのMirror neuron発見以来,さまざまな知見が出ていますが,言語と運動は切り離せない関係だと考えています.僕が1年間勉強したイタリアの病院(研究を兼ねる)では,2001年頃から言語についてさまざまな取り組みをしています.ちなみにイタリアでは言語聴覚士に類するセラピストが身体の運動も観る(診る)ことができます.今,僕らのグループでもその方向性を持って取り組んでいます.言葉が改善(発達)すれば,運動も変化すると考えています.7月の僕らの学術集会には茂木先生をお呼びしていますので,そのような点について個人的には議論したいなと考えています.今後もさまざまな分野を巻き込んで「子どもたちの未来」を創造してください.僕らもその一翼を担えればと思っています.

投稿: Koji | 2006/03/14 11:05:48

シンクロシニティ、なんていったらオーバーかも
しれませんが、こんな記事を読んだあとに
http://cnn.co.jp/science/CNN200603120004.html

こちらの日記を読みました。 \(^o^)/

投稿: Kimball | 2006/03/13 23:29:41

茂木先生  銀鏡反応さま

かえってご迷惑をおかけしてしまったようで、すみません。

私も、ちょっと軽率だったことを、反省しております。

天罰ということは、ないとは思いますが・・・
私のお話をすこしいたします。

どこかに書いたと思いますが、私自身、どちらかというと不器用で
思うように自分のことを、表現したりできなくて
できるだけ、気を使ってお話しても、
うまくいかないことや、失敗してしまうこともありました。

最初から何でも上手くできなくても
それもきっと、何かに気づくためには必要なこともあるかもしれません。

もちろん言い訳しても、取り返せないこともあるかもしれませんが

そのときは、そのことを逃げずに受け止められるように
なりたいと思っています。

若い頃、たぶん逃げたり、人のせいにしたり
反対に自分を責めてしまったりしていました。

結局いま思うに、その時に起きたことを、それはそれとして受け止め
その都度、自分が最良と思ったことを選択していくとき
おのずと、良いわるいとは別の、自分にとって納得できる結果になるような気がします。

こんな私にも、20年以上前の出来事に縛られていると感じることがあります。

それを意識できたところから、少しずつ自分を開放していけるような気がしています。

生きているといろいろなことがあって、いろいろ考えることもありますし
考えすぎてしまって、良くないこともあるのではないでしょうか・・・?


投稿: TOMOはは | 2006/03/13 23:05:19

追伸。

中途半端なものを信じるつもりはない、その気持ちには偽りは無いものの、何故か毎日どじばかり踏んでいる自分がいる。

きょうも、「クオリア・マニフェスト」のhpを見たついでに、茂木さんの過去の写真や、著書のテクストなどを閲覧しようとしてアクセスに失敗した。

私がきのう茂木さんの「プライベートページ」を閲覧したという書きこみを見て、どうしてもそのページを見たいという人がいて、そのひとの為にアクセスを試みたのだが、天罰があたったように失敗した。

茂木さん、TOMOはは様、心からお詫び申し上げます。


投稿: 銀鏡反応 | 2006/03/13 21:24:29

この世の中の全てのものの底は抜けている・・・。はっとしました。そして「その底抜けのニヒリズムを突き抜けていったところに、明るい生命哲学が待っているという実感をもった」すごい!70婆の滓の層で固まった底はどうしたらブチ抜けるんだろうトホホ。

投稿: 永井美智子 | 2006/03/13 20:50:19

こんばんは。

本居宣長が小津安二郎の生家の出身だったなんて、初めて知った。

いや、このことは何処かで聞いたかもしれないが、しばらく忘れていた、このエントリーを見るまでは。

小津と宣長を生みはぐくんだ菰野町。
偉人の生まれる所は何故か風情溢れる所が多そうだ。

壷に入ったかわいいフラワーピッグ。花だけ外に出して、彼は壷の中で何を夢見ているのかな?

「此の世のすべてのものは底が抜けている。
立派なもの、価値あるもの、美しいものも
全ては底が抜けている。

自分自身の存在さえ、底が抜けている。
その底抜けのニヒリズムを突き抜けて
いったところに、
限りなく明るい生命哲学が待っている
という実感を持った。

自分の中から力を引き出すためにも、
中途半端なものを信じちゃだめだ。」

城下町の風に吹かれて、茂木先生はかく思うのだった。

自分自身を含め、全ての事象の、底抜けのニヒリズムをつき抜け、無限に明るい生命哲学を見出していけるならば、人類の未来に輝かしい光が見えてくるのかもしれない。

それには、やはり、
「中途半端なものを信じちゃだめだ」。

これは単に茂木先生の感慨というだけでなく、
我々が課題としていかなくてはならない事柄なのではないか。

ここでいう、“中途半端なもの”とは、いったい何か?

いろいろなものが頭に浮かぶ。血液型占いや星占いなどを含むフォーク・サイコロジー、科学的でないものを科学的と偽る“ニセ科学”、うすっぺらで理念と信念のないマスコミの論調、その他諸々…。

これらを鵜呑みにしていては、自分の中から力は引き出せないのではないか。

自分も中途半端なものは信じるつもりはない。
自己の内面から力を引き出す為に、そうでないものを信じてゆくのだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/03/13 19:23:28

 三重は、本居宣長と小津安二郎が生まれたところだったんですか?!!

先日コメントしましたが、今ちょうど本居宣長にぶち当たって

これは、あまりに奥が深すぎるし
昔は古文は嫌いではなかったけれど、一番なじみのない分野だし

どなたの読みこなした本を、選ぼうか迷っていたところでした。

松岡正剛さんの千夜千冊を読むだけでも、骨が折れるので

まあ気長に感じてみようと、思っております。

ついつい人に頼ってはいけないとは思いつつ
ものの道理が見えている方には
ぜひとも凡人に分かりやすいお話をしていただけると
本当にありがたく、うれしく思います。

ということで、小林秀雄氏のお歳になる前に
ぜひ、茂木先生の本居宣長をお聞かせいただけるのを楽しみに、
長生きでもいたしましょう。
(もちろん今のお忙しさでは、無理は承知のうえの夢です・・・)

まだ読み始めたばかりの「クオリア入門」のプロローグで
ひとつ気になることばがあります。

「実験的データに基づいて論理的に考えれば」と仮定されましたが

そうでない仮説を、考え出すことができるのかどうか?

たぶん私自身にも理解できていないようなイジワルな質問とは思いつつ

今後の展開も楽しみなので、ちょっとお聞きしてみたい衝動に駆られています。

私自身は、何の縛りもないかなりお気楽なフリーの立場で
あちらこちらの怪しげな、神秘主義的なところを覗きにいけますので

何か面白いお話が見つかりましたら、またご報告いたしますね・・・

金曜日の朝カル、楽しみにしております。

4月7日の河合先生もどうにかして行きたいのですが
おばあちゃんが無理かもしれず、いま必死に念じております・・・

投稿: TOMOはは | 2006/03/13 12:00:19

春のときめきとともにご挨拶させていただきます。

AXIS vol.120 2006April 4号 P.117を開きましたなら
そこにはぼんぼりのようにますます春の温もりに
透き通った「脳と仮想」の真摯な英知を際立たせた
「かたち」と「ひかり」がありました。

今年の1/5−9のムーブル・パリで「脳と仮想」の灯火は
日本発ユニバーサルデザインの茂木さんの思想の
「のぞみ」を照らしていたのですね。

http://www.axisinc.co.jp/AXIS.html

竹尾さんの美しい紙質のクオリアで包まれた
茂木さんの「脳と仮想」。
その思想クオリアの「のぞみ」は「ひかり」よりも早く
それをみる世界中の人々の脳内クオリアの扉を
ひらいたことだととても感動いたしました。  *


投稿: yoshieusuba | 2006/03/13 9:57:42

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