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2006/03/26

保坂の一言が、風景を変えた

世田谷文学館に
小島信夫 × 保坂和志の
対談を聴きに行った。

 京王線の中で『抱擁家族』を
読み返したが、
 あらためて、小島信夫という
人はスゴイと思った。

 文字の海の表面の背後に、
たくさんの魑魅魍魎がうごめいているのが
ありありと感じられる。
 
 そして、保坂さんは、最近
さかんに小島さんを取り上げている。

 小島作品を極北として、
 「小説とは、それを読んでいる時間の
中にしかない」という保坂さんの言葉は、
その通りだと思う。

 対談は、保坂さんが「寓話」について
解説した後、
 小島さんが過去の自分の小説世界に
ついて
 うねうねくねくね、
語るのを私は少し呆然としながら
聞いていた。

 凄まじかったのは、小島さんが
時々泣き出しそうになること。

 「いやね、最近、
笑うと泣いてしまうんですよ。
 笑うのと泣くのが、区別がつかなくて」
と小島さん。

 そんな脳の状態があったっけ、
と考えるのが意味がないと思われるほど、
とてつもなかった。

 小島信夫さんは、91歳。
 重く、刺激的で、
そしておそらくは
長く記憶に残る体験でした。

 企画してくださった保坂さん、ありがとう。
 
 小島さんは神仙の域に
達せんとするお歳だし、何しろ
別格だから、いいとして、
なぜ、アーティストは延々と「自分語り」
をするのだろう、
 と、居酒屋で文藝春秋の
山下奈緒子さん(「文學界」連載時に
担当していただいた)に問うた。

 山下さんは、「科学においては方法論や
結果に興味が持たれるけれども、
 小説家は、普段から自分のことを含めた
作品世界に対して世間の需要があるからじゃ
ないか」と言われた。

 「文藝春秋の立川談志」、こと、山田
憲和さんがいろいろ辛口のコメントを吐く。

 山田さんといろいろ絡みながら、
私はつらつら考えた。

 どうも、アーティストというよりも、
日本独特のカルチャーではないか。
 ヨーロッパやアメリカのアーティストが、
自分を客観化することなく、自分語りを
することが許容されるとは思えない。

 以前、BBCでBooker Prizeのpresentation
ceremonyを見た時も、
 そんな雰囲気はなかった。

 明大前で保坂和志さんたちが
二次会をやっているというので行く。

 保坂さんが、開口一番、
「今日、小島さんはチョウシコイテいたよね!」
と言った。

 その一言で、殻がぽろんと割れて、
私ははははは とその夜初めて
心から笑った。

 絶版だった「寓話」を仲間たちと
苦労して復刊するなど、
 保坂さんは小島さんに対して
greatest respect. 
 もちろん、私も。

 その敬愛する作家に対して、
「チョウシコイテいたね」とは、
何と愛に満ちた、そして気持ちのいい言葉
であろうか。

 自己規制して本音も吐かず、
心の中に公共工事のヤマを積み上げて、
春の小川を三面コンクリートで固めたような
心象風景を作り上げてしまいがちな
平成日本人の群の中において、
保坂和志は異彩を放っている。

 ああ、今日は本当に良かったなあ、と心から
思えた。

 保坂の一言が、風景を変えた。

3月 26, 2006 at 10:30 午前 |

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» 2006-03-26 トラックバック last chance for a slow dance
昨日の対談は文学論とかそういうレヴェルのものではなく フィクションと現実の境界の確からしさが どれほどアイマイであるのか、 記憶が(つまりは脳が) どれほど現実を作り上げているのか、 それこそ、人間の世界はモナドであり、その外は見えないのでは ということを考えた。 江藤淳が「タブーを犯した」といったといっていたけれども 本当に、小説としての面白さの追求のためとはいえ やってはいけないことをやってしまったのかもしれない、 と、今になって思う。 小島信夫の小説を、小説と読んでいいのか、と悩んでいたけ... [続きを読む]

受信: 2006/03/26 16:02:45

コメント

一言が風景を変えた。

風景自体が変わらないとすれば、変わったのは風景を見ている方。
一言が脳を変え、感覚を変え、だから見える風景が変わった。

いや、それだけじゃないかもしれない。

一言を聞いた風景自体が変わったのかもしれない。
言葉は振動だから、物理的に風景を変化させうる。
言葉は風景さえも変えてしまう。

投稿: 54notall | 2006/03/27 8:54:12

>千歳飴様

待っているだけでは何も変わらない、というが、確かに、そうだ。

先手必勝というが、確かにそのとおりだ。

しかし、それが1番難しい。

原爆開発を停めることが出来なかったのは科学者の不覚であったが、それを「やめろ!」と先にいわなかった権力者の側にも問題があるのだ。

いずれにせよ、原爆投下など人類を「モルモット」化する物事の、根本的な要因は人間の心の奥底にあるぬぐいきれない「暗闇」の為せる技なのだ。原爆を開発した科学者達も、それを行け行けドンドンで開発を後押しした権力者らも、みなこの「暗闇」からの「誘惑」に打ち勝つことが出来なかったのだ。

人間の、最も乗り越えなければならないハードプロブレムとは、この「暗闇」をどうコントロールしていくかだと思う。方法はいくらでもあるが、一番の有効な方法は、「対話」以外にないとしか思えない。そこに人類が陥る「戦争」という過ちやその他の過ちを乗り越える一つの「光明」があるような気がするのだ。

茂木さんだけをせめても始まらない。これは我々人類の共通の問題なんだから。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/03/26 22:44:04

 批判性を 自分の外側に置くか 内側に置く
かによって 見方が大きく変わってしまうと
当然の事だけど 改めて思うことが多い

私の知人は 「攻撃は防御なり」を
処世術の一つとしていると言っていた。
先手必勝か はたまた投影か
その方は 昔 長期間いじめにあった経験があったらしい

どんな事でも 距離感が難しい
自分 他者 社会
捕らわれずに しかし うまく関わらなくちゃいけない。
とても難しい。。。

若輩者の私が つらつらと 的はずれな事を
済みません。


投稿: | 2006/03/26 22:06:56

待ってるだけでは何も始まらないと思いますよ。一人芝居はやめましょう。それと、ココロと書いてあるぐらい綺麗なものだから、モルモットとして自分の研究材料にするのは人権侵害です。科学者失格、アインシュタインは人生の中で一番の失敗を「原爆をつくったこと」といって机上の学問の危険性を訴えています。また、同じ失敗を繰り返すのですか?広島の平和の鶴を燃やしてはいけないです。茂木さん。誰だって自信なんてもってませんよ。女でも子供でも。
温故新知。

投稿: | 2006/03/26 17:16:30

おお! きょうは私が一番乗りだ!(また言ってる…。このあいだもそんなときがあったじゃないか!←自分語りですいません)

小島信夫さんというお方、このあいだの朝カルに行った時に初めてお聞きしたお名前ですが、御歳91歳で現役…。なんだか凄いものを感じるのですが。

文学世界でその背後に蠢く魑魅魍魎と、自己の文学世界について保坂氏を相手にうねうねくねくねと語り続ける91歳の老作家。

まだ若いのに延々と自分語りをするアーティストがいるのが日本のアートシーンなのだというが、小島さんの年齢に達するまで、長く文藝(芸術)世界に携わっている人であるのならば、自分の世界をうらうら語っても許せるのではないか。

年端も行かず、人生経験も半端な若造が、自分の芸術世界を語ってどうする。

茂木さんのような歳の人も含めて、10~40代はまだまだ修行時代だ。

向上する時代なのだ。

自分の作品世界を作り上げつつも、なおかつ客観的視点を持つための努力をしなくてはならない時代なのだ。

小島さんは91歳だ、しかも日々進化しつづけているはずだ。

でもって、(自分も含めて)本音もいわずに心の中に公共工事の山を拵え、春の小川をコンクリートの暗渠にしてしまいがちな心象風景の中にとっぷり生きている人が多い平成の日本の中で、アーティストはやっぱり自分を客観化してゆく努力をしてゆかねば、と思うのだが…。

ふと思う、小島さんは自分の何処かで、自己を客観化しているのではないのかと。

そんな小島さんと保坂さんが、茂木さんの思念の殻をパコンと割ってくれたので、茂木さんは自分の心象風景を変えることができた。

自分も、自己にガチガチの心象風景の殻を抱えているかもしれないので、その殻を割ってくれるアーティストの出会いがあればいいなあ、と思っている。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/03/26 11:36:24

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