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2006/03/31

Haunted woodを抜けて

ジョギングしていたら、
公園の裏の気持ち良い
森林の中に、いきなりフェンスが出来ている。

私のお気に入りだった、斜面の道を横切る
ように、フェンスが作られている。

これは何だ!

ということで、ソッコーで中野区役所の
電話番号を調べて、公園課に電話した。

「北江古田公園の裏の森についてお問い合わせ
したいのですが」
「はあ、何でしょう」
「新たにフェンスが設けられたようですが、
あれは何ですか?」
「どこにあるものでしょう?」
「こんど、看護学校が新たに出来るでしょ。その
裏の辺りの森です」
「フェンスをつくったということは、そこに
人が立ち入らないようにするということです。」
「それは、看護学校のキャンパスだからですか」
「いや、そうじゃなくて、保護樹林だからです。」
「保護樹林だと、フェンスをつくるのですか?」
「保護樹林の趣旨はですね、人が立ち入らない
ことで、自然の状態がより回復することをねらっている
わけです。」
「それにしても、醜いフェンスですね」
「それは、設計を担当した者の想像力が、
その程度だったからでしょう」
「全く中に入れなくなるのですか?」
「自然観察会などでは入れます。その場合、
申請していただくことになります」

 保護樹林とは、人間から森林を保護するという
意味なり。
 趣旨はわかったが、フェンスは醜い。
自然は、もっと開放的で自由なものではなかったか?
 都会の生活の悲しさを保護樹林に見た。

 いずれにせよ、私が大好きだった斜面の
道は、uglyな鋼鉄のフェンスによって、
分断されてしまった。
 
「プロフェッショナル 仕事の流儀」 
収録は、建築家の中村好文さん。
 「保護樹林問題」でいやだなあ、
と感じた後だけに、中村さんの
つくる家の趣味の良さが、乾いた土に
水が染みこむように私の魂を潤していった。

 中村さんは、新潮社の「考える人」
で連載をもたれていたけれども、
 その編集長の松家仁之さんは、中村
さんに家をつくってもらったのだという。

 中村さんのお話をうかがっていると、
私たち日本人が「封印」してしまった、
快適な住環境への渇望がめらめらと
蘇ってくる。

 思えば、私が中学校の時に
Lucy Maud MontgomeryのAnne of Green Gables
シリーズにはまり、
 高校の時には原書を全巻読んでしまったのも、
 Anne Shirleyが住むAvonleaのあまりにも
麗しい住環境に対する渇望がactivateされて
しまったからだろう。

 中村さんのつくる家には、暖炉が
ある確率が高い。
 暖炉は、失われてしまったものの象徴だろう。

 心の奥底で、
現代の東京の生活空間などイヤだ!!!!!!!
という気持ちがあるのだ。
それを抑圧して生きていた私だが、
中野区の「保護樹林」を取り囲むフェンスの
醜さと、
中村好文住宅の素敵さに触発されて、
情動が一気にうごめきはじめてしまったように感じる。

想像の世界でもいいから、
 Lake of shining watersのほとりから、
Haunted woodを抜けて、Orchard Slopeまで歩いて
いきたい。 

 今週号の「週刊朝日」で、斎藤美奈子
さんが『プロセス・アイ』の書評をしてくださった。
 「週刊文春」では中村うさぎさんが
私と対談した時のことを書いてくださっている。

 斎藤さん、中村さん、ありがとうございました! 

3月 31, 2006 at 06:44 午前 | | コメント (8) | トラックバック (1)

2006/03/30

それでも春には希望を抱き 風の旅人 第19号

連載 「今、ここから全ての場所へ」 
第4回 それでも春には希望を抱き 

風の旅人 第19号 (2006年4月1月発行)

抜粋

 地球の表面に長い年月の間に刻み込まれ地形にはかすり傷すら負わすことのできない代物が、その大地の上ではいずり回る二足歩行の動物たる私たちの生活と精神には消すことのできない大打撃を与える。

 かつて、小津安二郎の『東京物語』を見て、老夫婦が最後に帰る尾道の町並みに心惹かれた私は、いてもたってもいられなくなって、一週間後に新幹線に乗った。ちょうど、桜が咲く頃であった。尾道水道を見下ろす丘の上から、行き交う船を眺めていたあの時の私の胸に去来していた甘いうずきと、原子爆弾という人類の悪夢を結びつけるか細い補助線の存在に、私は戦慄せざるを得ない。

全文は「風の旅人」で

http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/ 

3月 30, 2006 at 09:09 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

生きる上で役に立つ研究

たけちゃんマンセブン
増田健史@筑摩書房から
「昨日感じたこと」
というメールがきた。
___
目先の雑務に首のまわらぬ状況で、詳しく説明する
時間がないので省きますが、その発見をひと言でいえば、
「茂木さんは怖い人だ」ということに尽きます。

これは、会合での忌憚のない痛烈な物言いについての
感想ではありません。
茂木さんのそういう側面であれば、もちろん、以前から
心得ておりました。

ただ、それとは別の、何というか茂木さんが人の文章なり、
口に出した言葉なりに対峙する際の「眼」が怖い。
_____

うーむ。今度たけちゃんまんセブンと
会う時には、サングラスをして行こうかしらん。

文部科学省の方々とのミーティング。
本省から、粂川泰一さん、有松育子さん。
科学技術政策研究所から、渡辺政隆さん、
治部眞理さん。

治部さんは人生ジグザグになる人で、
保江邦夫さんといっしょに「量子脳理論」
の研究をしていたと思ったら、
いつの間に科学政策のプロになっていた。

「茂木さんも参加した、意識の国際会議、
Tokyo 99ってあったでしょう」
「うん」
「あの時、企業から協賛金を集めるのに
苦労して、それで経営に興味をもったわけ」
「なるほど」
「それで、カナダに行ってMBAを取った
んです。」
「えっ」
「それから、科学技術政策研究所に入ったんです。」
「なるほど。出身学部はどちらでしたっけ?」
「文学部です。それから場の量子論をやりました」
「・・・」

粂川さんが、「茂木さんも法学部を出ましたね」
とフォローをして下さったが、
治部さんのジグザグはある意味私より
すごいかもしれない。

渡辺政隆さんも、ご存じ著名なサイエンスライター
であるが、
私は、最初は、「サイエンスライターの渡辺政隆さん」
が、「文部科学省の渡辺政隆さん」と同じ
人だとは思っていなかった。

食事をしようと研究所の外に出た時に、
「わたなべまさたか」という名前を転がしている
うちに、あれれ? と思ったのである。
「あの、ひょっとして、渡辺さんは、サイエンスライター
をしている渡辺さんですか?」
「そうです」
「サイアスとかで仕事されていて、今は朝日新聞の
書評委員をされている渡辺さんですか?」
「その通りです」
「その渡辺さんと、文部科学省の渡辺さんは、
同じ渡辺さんでしょうか」
「その通りです」

文部科学省も(良い意味で)変わったものである!
任期付き公務員制度が出来た、というのが
テクニカルな意味でのきっかけだったようだが、
治部さんや渡辺さんのような人たちが
科学技術政策で活躍すれば、
日本の未来も明るくなるだろう!

修士論文の構想発表のリハーサル。
箆伊智充くんは、intentional actionとmultimodalな
sensory integrationにおけるsimultaneity perception
について。
実験デザインにおいてlateralityをどう扱うかを
詰める必要がある。
また、intentionalityがunitaryな場合と、
multipleな場合の扱いをどうわけるか?

大久保ふみさんは、limited resourceの
対人配分におけるemotional dynamics。
ひらたく言えばjealousyの研究。
問題はresourceとして何を設定するかであり、
monetaryよりはtimeとかattentionが
良いのではないかと思う。

大久保さんが、なぜjealousyの研究を
志したのか、私には謎であるが、
修士一年の頃、「生きる上で役に立つ
研究がしたい」という会話があったという。

星野英一くんは、vision dependent space
とvision independent spaceの比較研究。
まだまだ思考表現が抽象的で、
empirical scienceに着地しきれていない。
しかし、考えてみると関根崇泰も、最初は
ものすごく抽象的で難解な概念で
身体空間の問題を考え出して
palm up vs palm downの具体問題に
落としていったのであり、
星野もちゃんと落としていってくれるだろう!

そして夜、久しぶりに
「月光浴」の石川賢治さんにお目にかかる。

石川さんと以前お目にかかった時、
忘れられないことが沢山あって、
それは時の経過とともに純化、深化していった。

コマーシャル・フォトの世界で多忙な生活を
送っていた石川さんが、カウアイ島
で「月光写真」と出会い、
その時得た「宇宙感覚」の衝撃から、
現在のお仕事に移っていくライフ・ストーリーは
この上なく感動的。

しかも、背後に強靱なロジックがあるのだ。

石川さんとの会話で得たインスピレーションに
ついては、いずれきちんと書いておきたいと思う。

石川さんとお話する時の私の目は、
たけちゃんまんセブンのいう「怖い」
ものではなかったはずだ。

3月 30, 2006 at 08:59 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/03/29

人間速聴トレーニングマシン

脳とインターネットに関するブレスト。

 1時間30分しゃべり、その前後も
いろいろ議論。

 キドさんは黒い服を着ていた。

 Web 2.0からHuman 2.0へ。

 最近ずっと考えていることは、物理的
空間から意味空間への写像の問題だが、
 その写像が、どのような物理的基盤を
介してできあがるか?

 スモール・ワールド・ネットワーク
はrandomとregularが入り交じっているが、
本当はその定義自体底が抜けている。
 computationに距離空間は
関係ないはず。
 純粋にお互いのconnectivityだけしか
関与しないとすると、
 「ゼロ」からどうやってrandomと
regularをbootstrapできるのか?

 NHK『プロフェッショナル』の収録は、
年度末で二週おやすみだった。
 そして、再開。

 久しぶりにNHK放送センター10階の
「社会情報番組」の部屋に顔を出すと、
 夏休みの登校日で、
しばらく会っていなかった仲間と顔を合わせた気分になった。

 打ち合わせをしながら、にやにや笑ってしまう。
 なんだか、ぽかぽか照れくさい。

 VTRが山のように積まれた部屋で
の打ち合わせも、思えば変遷があった。

 最初は、「お客さん」っぽく、
「ばっちり収録が決まった時はにっこりまんまる」
の山口さんがコーヒーを持って来て
下さったのだが、
 最近は私もどこでコーヒーを売っているのかが
判ったから、100円玉を握りしめ
 カフェラテを買うようになった。

 コーヒー独立を勝ち取った後で、
 紙コップに入った褐色の液体をすすりながら
ふと見上げると、
何やら立派なスターバックスっぽい
カップ(上にプラスティックの蓋がついて、
穴があいているやつ!)に入ったコーヒー
を余裕の表情で飲んでいる住吉アナウンサーの
姿があるのだった。

 あのスタバっぽいコーヒーは一体
どこで買ってくるのだろう!
 うらやましくて仕方がないのだが、
 入手ルートは未だに解明されていない!

 竹田茂さんの「携帯大学」勉強会が
「脳」整理法を取り上げてくださるということで、
増田健史といっしょに出かける。

 新東京ビルの前から電話すると、
たけちゃんまんセブンは、まだ筑摩書房に
いると言う。
 「あれ、何でまだそこにいるんですかあ!」
 「茂木さん、NHK出る時に電話くれると
言っていたじゃないですかあ!」
 「あっ、そうか、悪い、忘れていた」

 セブン、やや遅れで無事到着。
 東京工業大学/理化学研究所の原正彦さんや、
 早稲田大学の福澤一吉さん、
 産総研の増井俊之さん
との議論が面白かった。

 特に原さんとの議論は、大盛り上がり。
 computationの熱力学的基礎について。
 ぼくは、全てのものはFAPP(for all practical
purposes)computableだと考えているが、
 原さんはcomputableなdomainの外に
生体系の計算はあると考えていられるようだ。
 
 熱力学の第二法則回りのトピックは、
私の大いなる「萌えポイント」であり、
 早口がより早口になってべらべらしゃべりまくる。
 Landauer, Benett, Maxwell's demon.

 飲み会に行く時、電通の佐々木厚さんが
ぽつりと言った。
 「この前の茂木さんのトークですけどねえ」
 「はあ」
 「とても面白かったんだけど、早口すぎて
よく聞き取れなかったから、講演のレジュメを
くれという人がいたんですよ」
 「はあ」
 「私は、もう慣れてしまったんで、早口
じゃないと、物足りないし、あれ、茂木さん
今日は調子悪いのかな、と思ったりするんですよ」 
 「はあ」
 「今日は早口全開、大いに結構でした!」

 人間速聴トレーニングマシンは、ううむと
うなりながら、地鶏がうまそうな
居酒屋へと入っていったのだった。

3月 29, 2006 at 08:42 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/03/28

フリスクキボンヌ

今日も今日とて、綱渡り人生。
 Sigh.

 朝プリンを食べただけで、
何も食べていなかったので、
 ミーティングをかきわけかきわけ
 電通のニューロマーケティングの
研究会に到着した時には息も絶え絶え
になっていた。

 自分が喋る番が近づくにつれ、
何か当分はないかと、リュックの中を
探したが、「フリスク」の空きケース
だけがむなしく次から次へと出てくる
ばかり。
 
 Sighの午後3時であった。

 そういう時ほど早口になるというのが
私のクセで、
 喋るに従ってacceleration.
 しゃべり2.0とは相成った。

 会場を出る時に、原稿を書くために
いろいろメモっていた橋本麻里さんが、
 フルーツビスケットをくれた。

 「茂木さん、とりあえずこれを」
 「えっ。なんで、お腹が空いているとわかったん
ですか?」
 「だって、さっき、フリスクのケースを
次から次へと振っていたじゃないですか。」

 うっ。スルドイ。
 普通、フリスクは、眠気覚ましの為に
食するのではないか。
 それが、あの時の私は「とにかく糖分」
だったわけだけど、それを見抜かれてしまった。
 
 教訓 人の前で、フリスクの空きケースを
5個連続で振るのはやめましょう。
 食べ終わったフリスクのケースは、早めに
ゴミ箱に捨てましょう。
 お腹が空いた状態でも、人は早口で
喋ることができます。脳は強靱です。

 思うことあって、Herald Tribuneの
宅配を今日から頼む。
 日本語新聞と英字誌の情報には大きな差異がある。

 一言でいうと、日本語の新聞には、
「予定調和」の記事が多い。
 読む前から、ある程度予想できる常套句が
並んでいたりするのだ。
 たとえば、この前のWBC日本優勝の時の
「スタジアム熱狂」「王さんおめでとう」
うんぬんの記事。

 一方、英字紙の方は、common senseは
前提として、そこから外れるspecificなpointを
書き込むという姿勢があると思う。

 たとえば、今朝の一面下には、遺伝子操作で
omega-3 fatty acidsを筋肉組織に含むpigちゃんを
つくった、という記事がある。

 これが、詳細まで描き込まれていて本当に
面白い。

 批評性は、比較から生まれる。

 Herald Tribuneの横に日本語新聞を置くと、
現代日本の文化がいかに
内なる自己規制(誰でもわかるやさしい表現を
心がけましょう。高度なことを書いても、
わかる人が少ないから。それは特別な視点だから。
一般性がないからうんぬん)で成り立っている
かがわかる。

 今日一番の深いsigh.
 いやですね。内なる自己規制は親の敵でござる。 

 でも、ため息ついているばやいじゃない。

 中身の入っているフリスクキボンヌ。

3月 28, 2006 at 06:56 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/03/27

(予告) 新潮新書 『ひらめき脳』

新潮新書 茂木健一郎『ひらめき脳』

2006年4月11日 見本出来
2006年4月15日 都内大型書店に並ぶ

予定です。

アマゾンで予約

3月 27, 2006 at 06:57 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

欲望する脳 第12回 「人間らしさの再定義」

集英社 青春と読書
2006年4月号
「欲望する脳」第12回 「人間らしさの再定義」

一部引用

 皮肉な言い方をすれば、インターネットの上では、「心の欲する所に従って、矩(のり)を踰えず」という孔子の「七十従心」の境地が、「全てはオッケー」というもっともトリヴィアル(取るに足らない)形ですでに実現している。人を傷つけるのも、ネット掲示板上のネタならばオッケー、近隣諸国を罵倒するのも、「モナー」や「キボンヌ」と同じような2ちゃんねるノリならばまたよし、「売国奴」や「国賊」といった時代錯誤的な言葉も、デジタル情報としての軽いリズムでそれが記されるならば、別にメクジラたてて非難されるべきことではない。そのような、踏み外すことなどそもそもできない「ネット仕様の軽い矩(ノリ)」がネット上で醸成され、孔子様もびっくりのネット聖人君子が跋扈している。せいぜい、社会的事件の模倣犯を気取った書き込みをしたおっちょこちょいが時々捕まるだけのことである。
 このようなネット上に現出しつつあるすさんだ精神風景が、人間性を内部から崩壊させる重大な危機だと感じるのは、私が古い人間だからだろうか。
 もちろん、「打ち壊し者」(ラッダイト)の役割を担っていればそれで済むというわけではない。情報技術がない昔に戻ればそれで済むということではない。ITがますます進化することは避けられない歴史の必然である。かくなる私もITのヘビーユーザーであり、生活自体がITなしでは成り立たない。新幹線の中でエッジを通してネットにつなぎ、ケータイで仕事のメールを受け取り、一日何回もグーグルで検索する。ネット上のコンテンツが全て質が悪いというわけでもない。無料の百科事典、ウィキペディアのように、正確で良心的な情報源も存在する。生態学的に見れば、2ちゃんねるのような時に揶揄、皮肉、罵倒が過ぎるメディアもそれなりの「ニッチ」があるのであり、それを排除したり、無視したりするのは愚の骨頂であることも確かである。
 「ワンクリックが生涯賃金」、「ワンクリックで100万人に迷惑メール」、「ワンクリックで振り込め詐欺」というような一連の事象が象徴するサイバー空間上の人間性崩壊の危機は、それが人間らしさの中核にある「情報」に串刺しされているがゆえに私たちの魂の足腰を萎えさせる。本質論から言えば、それは、人間が「情報」というものに出会った瞬間から直面していたジレンマにかかわる問題であるはずなのである。

全文は「青春と読書」で。

http://seidoku.shueisha.co.jp/seishun.html 

3月 27, 2006 at 06:03 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

[思考の補助線]10・登攀の一歩

月刊ちくま 2006年3月号
「思考の補助線」第10回 登攀の一歩

一部引用

 その意味では、脳内快楽がどんどん薄められているのが現代という時代なのだろう。基本的に快楽主義者である人間にとっては、これほど残念至極なことはないはずなのだが、ベストセラー万歳の批評性に欠けた態度が、大手を振ってまかり通っている。そんな中で、「知の偽装」「知の粉飾」が、顔だけは立派に装って流通している。
 いずれにせよ、売れるためには、できるだけ多くの人々の「共通項」を探し求めた方が良いという本能が、多くの書き手、編集者の脳裏を占めるようになった。内容が高度になればなるほど、専門的になればなるほど、「共通項」は失われることになる。そのような思惑の下で、「富士山の裾野」を追い求める動きが顕著になり、世界最高峰への登頂を目指して空気の薄い空間で力の限りを尽くす気力は失われていってしまった。
 しかし、考えてみよう。専門性のタコツボに立て籠もり、まるで「市役所の受付」(失礼! マジメに仕事をしている公務員の方々がいらっしゃることは存じておりますが、あくまでも比喩であります)のような弛緩した雰囲気をかもし出している大学人のことは置いておき、古今の成果に慣れ親しみ、脳の筋肉を鍛え、未だ人類が到達したことがない知のヴィスタを得んと苦闘している者にとって、「共通項」の立て方は、必ずしもどこまで続くかわからない「知のデフレ」の中に、誰でも理解できるような「裾野」に下っていくことばかりを意味するわけではあるまい。

全文は「ちくま」で。

http://www.chikumashobo.co.jp/w_chikuma.html  

3月 27, 2006 at 05:55 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

猛勉強とプリン

ここのところ、
講談社現代新書をお送りいただいているが、
(編集部の方々、ありがとうございます!)
今は、川合光さんの『はじめての<超ひも理論>』
を読んでいる。

Theory of everythingには、主観性の問題が
入らなければならないと
思っているから、超ひも理論がそのまま
TOEになるという立場ではないけれども、
やはり、とても面白い。

私の本からの引用が入試に使われることが
あるけれども、今年は京都大学の
文系にも出た。「曖昧さの芸術」で、
これは、筑摩書房のPR誌
「ちくま」に連載中の、
「思考の補助線」第二回
「曖昧さの芸術」からの引用である。

http://www.chikumashobo.co.jp/w_chikuma.html 

 入試は遠い昔のことになってしまったが、
最近つらつら考えるに、
 一生勉強、しかも猛勉強である。

 入試は「出題範囲」が決まっていたが、
人生の勉強は出題範囲はない。
 私で言えば、意識の問題はどうやら
「知の総合格闘技」らしいとしばらく前から
気付いていて、
 ダーウィンが『種の起源』で行った
ように、
 様々な事象をトータルにsynthesisしないと
面白いことは言えないのではないかと思う。

 生体高分子の量子力学にフォーカスしている
だけでは、全体像が見えてこないのだ。

 一方で超ひも理論を学び、一方で文学作品の
クオリアについて考える。
 普通は「関係ない」と思われているものが
関係してくるのが、心脳問題。

 だからこそやりがいがあるが、しかし
猛勉強である。
 
 読みたいものなど、沢山あって、
数学だけとっても、途轍もなく
奥が広がっている。

 ああ、人生は短いなあ!

 受験生諸君、入試に出ることなんて、
人類の知のごくごく一部だし、 
 そもそも出題範囲を決めて、
その中でよーいどんで競争することなんて、
人生ではおそらくこれが最後なんだから、
 えいやーっとそこをうまく切り抜けて
下さいな。

 あとは、青天井の世界が広がっている
のでありますから。

 さて、パステルのプリンを食べることに
しよう!

 猛勉強にはプリンが似合う。

3月 27, 2006 at 05:46 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2006/03/26

日経サイエンス 対談 現在は錯視のルネサンス

茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア
現在は錯視のルネサンス/ゲスト:北岡明佳(立命館大学助教授)
日経サイエンス 2006年5月号
(2006年3月25日発売)

http://www.nikkei-science.com/

3月 26, 2006 at 10:47 午前 | | コメント (12) | トラックバック (2)

脳の中の人生 苦手だからこそ

ヨミウリ・ウィークリー
2006年4月9日号
(2006年3月27日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第96回

苦手だからこそ

一部引用

 なる程、と思った。社会に問題もなく適応して、暖かい心で世間を渡り歩くことができる人では、かえって重松作品のようなハートウォーミングな世界は描けないだろう。自分の中に欠落しているものがあると感じるからこそ、それを埋めようとする努力の中で、何かをつかめる。重松さんのように大成する人が出て来るのである。
 苦手だからこそプロになる。ここには、脳の働きという視点から変興味深い問題が提示されていると思う。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 26, 2006 at 10:42 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

保坂の一言が、風景を変えた

世田谷文学館に
小島信夫 × 保坂和志の
対談を聴きに行った。

 京王線の中で『抱擁家族』を
読み返したが、
 あらためて、小島信夫という
人はスゴイと思った。

 文字の海の表面の背後に、
たくさんの魑魅魍魎がうごめいているのが
ありありと感じられる。
 
 そして、保坂さんは、最近
さかんに小島さんを取り上げている。

 小島作品を極北として、
 「小説とは、それを読んでいる時間の
中にしかない」という保坂さんの言葉は、
その通りだと思う。

 対談は、保坂さんが「寓話」について
解説した後、
 小島さんが過去の自分の小説世界に
ついて
 うねうねくねくね、
語るのを私は少し呆然としながら
聞いていた。

 凄まじかったのは、小島さんが
時々泣き出しそうになること。

 「いやね、最近、
笑うと泣いてしまうんですよ。
 笑うのと泣くのが、区別がつかなくて」
と小島さん。

 そんな脳の状態があったっけ、
と考えるのが意味がないと思われるほど、
とてつもなかった。

 小島信夫さんは、91歳。
 重く、刺激的で、
そしておそらくは
長く記憶に残る体験でした。

 企画してくださった保坂さん、ありがとう。
 
 小島さんは神仙の域に
達せんとするお歳だし、何しろ
別格だから、いいとして、
なぜ、アーティストは延々と「自分語り」
をするのだろう、
 と、居酒屋で文藝春秋の
山下奈緒子さん(「文學界」連載時に
担当していただいた)に問うた。

 山下さんは、「科学においては方法論や
結果に興味が持たれるけれども、
 小説家は、普段から自分のことを含めた
作品世界に対して世間の需要があるからじゃ
ないか」と言われた。

 「文藝春秋の立川談志」、こと、山田
憲和さんがいろいろ辛口のコメントを吐く。

 山田さんといろいろ絡みながら、
私はつらつら考えた。

 どうも、アーティストというよりも、
日本独特のカルチャーではないか。
 ヨーロッパやアメリカのアーティストが、
自分を客観化することなく、自分語りを
することが許容されるとは思えない。

 以前、BBCでBooker Prizeのpresentation
ceremonyを見た時も、
 そんな雰囲気はなかった。

 明大前で保坂和志さんたちが
二次会をやっているというので行く。

 保坂さんが、開口一番、
「今日、小島さんはチョウシコイテいたよね!」
と言った。

 その一言で、殻がぽろんと割れて、
私ははははは とその夜初めて
心から笑った。

 絶版だった「寓話」を仲間たちと
苦労して復刊するなど、
 保坂さんは小島さんに対して
greatest respect. 
 もちろん、私も。

 その敬愛する作家に対して、
「チョウシコイテいたね」とは、
何と愛に満ちた、そして気持ちのいい言葉
であろうか。

 自己規制して本音も吐かず、
心の中に公共工事のヤマを積み上げて、
春の小川を三面コンクリートで固めたような
心象風景を作り上げてしまいがちな
平成日本人の群の中において、
保坂和志は異彩を放っている。

 ああ、今日は本当に良かったなあ、と心から
思えた。

 保坂の一言が、風景を変えた。

3月 26, 2006 at 10:30 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006/03/25

『脳内現象』7刷

NHKブックス 
『脳内現象』 
は増刷(7刷、累計27000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

3月 25, 2006 at 10:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

『心を生みだす脳のシステム』13刷

NHKブックス 
『心を生みだす脳のシステム』 
は増刷(13刷、累計30000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

3月 25, 2006 at 10:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

うぬぼれる脳ー「鏡のなかの顔」と自己認識

自己認識の「鏡のテスト」(mirror test)を
考案したGordon Gallup Jr.と、若手研究者
Julian Keenanの共著、The Face in the mirror:
The search for the origins of consciousnessの
翻訳が、名手山下篤子さんの手により、
NHKブックスより出版されました。

うぬぼれる脳ー「鏡のなかの顔」と自己認識 

私の「一番弟子」の田谷文彦が解説を
書いています。(田谷くんにとって、一般書の「初解説」
です)

大変興味深い内容ですので、ぜひお手にとって
みてくださいますよう。

3月 25, 2006 at 10:47 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

ちりめんじゃこ

熊本空港からタクシーで一時間
かけて八代港へ。

 そこから、「海上タクシー」で
さらに一時間かけて御所浦島へと
向かった。

 漁船である。

 船体に、「清丸」と誇らしげに。

 今日は外は無理だあ、前の方に坐って
いな、という船長の指示に従っていると、
やがて、「先生、先生」と呼び出された。

 操舵席の横に坐らせていただく。
 「これは何ですか?」
 「GPSだね」
 「これは何ですか?」
 「それはエコー、そして、あれは魚群探知機」
 「こういう船は、いくらくらいするもんですか?」
 「25年前に買ったからねえ。当時、3000万
くらいだったかなあ」
 「わあ、家が買えますね。最近は、何が
一番儲かりますか?」
 「そうだなあ、ちりめんじゃこかな。一日
数十万水揚げする人もいるからね」
 「養殖はどうですか?」
 「最近は値段が下がってね。昔、フグは
キロ一万円していたんだけど、今は3000円
くらいかな。タイもダメだしね。最初に
始めた人たちは、裕福だったんだけどね・・・」

 などなどと会話しているうちに、
太陽は西に傾き、美しい時が訪れた。

 御所浦小学校で松岡修造さんと会う。
 修造さんは、正しい「体育会系男子」
の風情を漂わせていた。

 翌日、仕事を終えて街を散歩する。

 海から山にかけての平地に、細い路地があり、
印象的な佇まいの家々が立ち並ぶ。

 スーパーに入ったら、おじいちゃん、おばあちゃんが
ずらりと列を作っていた。

 一人のおばあちゃんとすれ違った時、
「おはようございます」と声を掛けられた。

 三人のおばあちゃんが、日だまりで丸くなっていた。

 ネットも通じないし、何の機能もない、
ぽつんと放り出されたような時間。
 「生きている」と実感するのは、
こんな時なんだなと思った。

 仕事の充実でも、快でも、出会いでも、
いずれにせよ魂を躍動させるようなもの
ではなく、
 ただただ、自分の存在が重くやりきれない、
しかしどこかで底に甘美なものを漂わせている
ものとしてあること。
 
 そんなどんよりとした、無為な時間の
中にしか、生きているということの不可思議な
実感はないのだと悟った。

 歴史書を読みながら東京に戻る。

 歴史も、名や事件で特徴付けられる流れよりも、
その背景にくすんで沈んでいる無名の出来事の
中にこそその本質があるのであろう。

 赤坂のテレビマンユニオンへ。

 花野剛一さんや、田中ナオトさんと
『ニューロンの回廊』の試写を見る。

 全体的に未来的白で画面が構成されていて、
繊細なカメラワークが良い感じ。

 困ったことに、清丸船長とその話をしてから、
ちりめんじゃこが食べたくて仕方がない。

 そんな些細なディテールの中に人生の
真実はあったか。

3月 25, 2006 at 10:34 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006/03/23

離島

本日夕刻から、明日の夕刻まで、
長崎の離島に向かうので、
メールやインターネットが通じない可能性があります。

3月 23, 2006 at 12:21 午後 | | コメント (8) | トラックバック (1)

我ら洞窟の住人に幸あれ!

ソニー教育財団の評議会。

 出井伸之さんに久しぶりにお目にかかる。

 和樂の渡辺倫明さん、橋本麻里さんと
原美術館、三井記念美術館へ。

 原美術館は展示替えの期間だった。
 内田洋子さんと久しぶりに話す。
 ゲルハルト・リヒターの「船遊び」
にしびれた。

 着飾った淑女たちが船に乗って
川を下っている場面を描いた作品だが、
 一皮むくと、その裏にどくろの世界が
ある。
 
 生の躍動の頂点が、同時に死の世界でも
ある。
 生きているうちから、私たちは皆亡霊である。
 そのような視点の衝撃。

 三井記念美術館では、三井本館の歴史を
いろいろと伺った。

 日経サイエンス編集部で、 
 広島大学の長沼毅さんとお話する。

 これは面白かった!

 長沼さんのご専門は、深海底の熱水
噴水口や、地中、南極の氷の下の水、
洞窟など、極限的な環境に棲む微生物。

 深海4000メートルに潜ったり、砂漠
に行ったり、いろいろな場所で微生物を
採集し、解析する。
 
 そのような極限状況における微生物の
生態研究が、生命の起源や、地球外生命体の
可能性の探究につながる。

 私自身、この問題には大変関心を持ったことが
あって、一時期かなり調べた。
 ルーマニアの洞窟の微生物の生態系など、
とてつもなく面白い。

 生命の本質にかかわる研究が、インディアナ・
ジョーンズのごとき探検の中に行われる
というところが何とも言えず良い!

 長沼さんは、ひょうひょうとしながら
熱を帯びた調子であまりにも面白い話を
次々と繰り出して、時間があっという間に
過ぎてしまった。

 すぐ近くの読売新聞まで歩き、
読書委員会へ。

 終了後、ノートブック・コンピュータで
わさわさ仕事をしていると、
 町田康さんがわらわらと寄ってきた。

 「茂木さん、茂木さん、私は、単発のエッセイ
の仕事はあまり受けないですけど、たまに
やって掲載誌が送られてくると、必ずと言って
いいほど、茂木さんの文章も載っているじゃないです
か。これはどういうことですか」
 「いや、その、編集者の趣味が一致している、
ということではないですか?」
 「茂木さん、因みに、キャプテン・ビーフハートは
どうですか?」
 「おもしろそうですね。小説のタイトルでしょ?」
 「そうじゃなくて、ミュージシャンのキャプテン・
ビーフハート」
 「ごめん、それは知らないです。」 
 「ザッパの友人ですよ。」
 「ああ、それなら判ります。そうですか、面白い
ですか」
 「書評委員の誰も知らなかったんですよ。」
 「そうですか、鵜飼さん、どうですか? ザッパ
ならご存じですか?」

 「名前くらいなら知っているけどなあ」
と鵜飼哲夫さん(@読売新聞文化部)。

 そうか、キャプテン・ビーフハートは、
洞窟の中に棲むスゲーおもしろいバクテリアだ!
 そして、世界には洞窟が沢山あるのだ。
 すべからくケーヴ・ダイビングをすべし!

 根津の車屋へ。
 助手の任期を満了して故郷の尾道に
帰る津口在五さんの送別会。

 思えば、3年前に初めて東京芸術大学の
美術解剖学教室に行った時に
 最初に喋ったのが、津口くんだった!

 あれから、沢山の水が橋の下を流れた。

 荻野夕奈さんが色紙を持っていて、
皆で寄せ書きをした。

 俺は、フラワーピッグの花瓶生けを
描き、「一生つるんでいようぜ!」
と添えた。

 しみじみとしていたのに、 
 P植田がフキンシンな絵を描いて、
津口家の居間に飾るには公序良俗に
反することとなった。

 夜の街は雨。
 小さな水が沢山あつまって、
川となり、人生を形づくる。
 
 その中に、沢山のバクテリアが
棲んでいて、ウゴウゴ、
うごめいているのだ。

 我ら、洞窟の住人に幸あれ!

3月 23, 2006 at 07:34 午前 | | コメント (6) | トラックバック (4)

2006/03/22

クローズアップ現代 読者の心をつかめ

NHK総合 
クローズアップ現代
読者の心をつかめ
〜新書ベストセラー争いの舞台裏〜(仮題)

2006年3月23日(木) 19:30〜19:56
の中で、
新潮社の金寿煥さんと私が
新書の「タイトル」を巡って
打ち合わせをしているところが
放映される模様です。

http://www.nhk.or.jp/gendai/ 

3月 22, 2006 at 05:22 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

春の香りがいっぱいで

九州大学ユーザーサイエンス機構の
坂口光一さん、『魔女の宅急便』の
原作者の角野栄子さんと合流。

箱崎の九大キャンパスへ。

飛行機が上空をドワーンと通過して
いく。
そのこともあり、
新しいキャンパスへの移転が
決まっていると坂口さん。
角野さんが、「もったいない」と
残念がる。

「この空気感がいいのにね」

日本発達心理学会に合わせて
目黒実さんが企画された
ブック・カフェで、
カレーライスを食べながら
談笑。

田村馨さんもジョイン。

「子どもと創造性」という
タイトルで90分お話する。

学部学生の時、田島信元さんの授業で
「コンピテンス」という概念に
出会って以来、ずっと「発達心理学」
のコミュニティには興味を持っていたが、
学会に伺うのは初めてだった。

open-endednessを中心に、
お話する。

終了後、さらに議論。

雨が降ってきて、遠藤 綾さんが
傘を下さる。

角野栄子さんの「ファンタジー」
に関するイブニング・レクチャーを
拝聴してから、東京に向かった。

九大キャンパスの中には、
「六角堂」という素晴らしいカフェが
あり、
その特製お弁当を飛行機の中でいただく。

菜の花やタケノコなど、春の
香りがいっぱいで、
少し元気になった。

子どもの学習だけを考えても、
解明しなければならないことは
たくさんあり。

仮想空間の中に、それらがばーっと
見えるが、
その一粒一粒を目に見えるようにすることは
容易なことではないだろう、
と、おにぎりをぱくつきながら
考える。

3月 22, 2006 at 04:56 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/03/21

これからも変わりうるということ

ここのところずっと考えているのは、
夢の機能的意義。
 もともと、Francis CrickやGreame Mitcheson
がレム睡眠/夢は記憶の整理だという
説を出していたわけだが、
 現実の中では様々なイベントの侵入によって
ぽきぽきと中段してしまう意味ダイナミクスが
純粋に進行する場としての「夢」に
興味が再燃した。

 物理的時空の中では遠いイベントも
意味空間では近いからdynamicsにおいて
直接の相互作用項を持ちうるということ。

 昔書いていた夢日記を読み返してみる。

 花野剛一さんが苦労して立ち上げた
『ニューロンの回廊』の記念すべき第一回
は、立川志の輔さん。

 ディレクターの田中ナオトさんが鋭い指示を
飛ばす中、白いスタジオの中で
志の輔さんと楽しい話をすることができた。

 志の輔さんの落語家としての原点は、
子どもの頃、近所の店を手伝っていて、
50円のおつりを、「はい、50万円!」
と言ったら、
「この子は面白いことを言う」と
受けたことだったという。

 他人を喜ばせるということを自分の喜びとする。
 この原理で、志の輔さんの人生は一本
貫かれている。

 志の輔さんの新作落語の特徴は、論理パズルの
ごとく整然とした構造の中に情念がちらちらと
見えるところ。
 落とし話としての落語は、数学に似ている。

 導入部分の収録は、ドラマ仕立てで、
ここでは、東京芸術大学のご存じ植田工
(P植田)が大活躍していた。
 マッド・サイエンティストたる
私がかぶるヘッドギアを植田が制作。
 荻野夕奈さんが、ペンダントを作って
くれた。

 岡村麻純さんが、マッド・茂木の実験を
見守る役。

 花野さん、岡村さん、田中さん、皆さん、
お疲れさまでした!
 植田、今度何かうまいものおごるね!

 またもや爆睡しながら、羽田から博多へ。
本日の日本発達心理学会での講演の
ためである。

 渡辺京二さんの「逝きし世の面影」
を再読しながら来た。

 幕末に日本を訪れた外国人が見た
「妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国」
日本。

 渡辺さんは、「ある文化圏の本質の一部は、
外部の目を通してしかわからない」という
基本的スタンスに基づき、当時の日本の
あり方を活写していく。
 
 現代を生き生きと生きるためには、
やはり、現代に対する批評的スタンスを持つ
必要があるんじゃないか。

 たった100年前、200年前の我々の
先祖がどのような生活をしていたか。

 ここまで変わったということは、
これからも変わりうるということだ。

 夢の純粋意味ダイナミクスの中では
「今日」も、「逝きし世」も恐らくは一つに
つながっているのだろう。

 純粋意味ダイナミクスは、これから何を
志向するか?

 遅い夕食をラーメン屋でとりながら、
夢のダイナミクスをぐるぐると追っていた。

3月 21, 2006 at 08:13 午前 | | コメント (7) | トラックバック (8)

脳の中の人生 揺るぎないリーダー

ヨミウリ・ウィークリー
2006年4月2日号
(2006年3月20日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第95回

揺るぎないリーダー

一部引用

 私は、以前から、「自分を疑うことを知っている人が好きだ」と思っていた。敬愛する夏目漱石が好例であるが、知性というものは、自分自身の立場を疑うところから始まると思っていた。自意識過剰な若者が聞いたような口を叩くのを目にする度に、やっぱり自己懐疑のないやつは駄目だなあなどと思っていた。
 ところが、角川さんに接して、その考えが少し変わった。自己懐疑などない方がかえってうまく行く職業が世の中にはあるんだなと思った。何億、何十億というお金を動かす映画プロデューサー自身が迷っていたら、周囲の人間はオタオタしてしまう。動かざること山のごとく、どっしりとした自信をもって身を処することが、巨大プロジェクトのリーダーに必要な資質だと感じた。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 21, 2006 at 08:08 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/03/20

地下からどどどどどと吹き出す寸前

どうにも眠くて、玄海ちらし寿司を
食べて限界で爆睡。
 
 東京行きだったから、眠りながらも
気が気ではない。

 うまい具合に、新神戸の手前で
目が覚めて事なきを得た。

 中之島のフェスティヴァルホール
の目をうろうろしていたら、
 「茂木さん!」という聞き覚えのある
声が。

 正高信男さん、その人であった。
 瀬川昌也さん、篠原一之さんも合流する。

 昼食をとりながら、打ち合わせ。
電通の佐々木厚さんもいらっしゃる。

 産経新聞社主催、「子ども大変時代フォーラム」
は、正高さんの基調講演で始まる。
 私、瀬川さん、篠原さんの順番で
話した。

 パネル・ディスカッションは20分と
短かったが、
 どうしても言いたいことがあった。

 正高さんが、「脳と倫理についてどう
思いますか?」という会場からの質問を
振って下さったので、ここぞとばかりに
お話した。

 これだけはどうしても言いたい。
子どもの育て方で、これはいけない、
こうすればいい、などと言われるが、
そんなものは絶対ではないし、不幸にして、
あるいは偶然に、「ダメ」だと言われる
育ち方をしてしまったとしても、
それはそれで引き受けてがんばって
生きるしかない。
 「・・べき」論は
話半分に聴いていればいいんだよ。
 人間をバカにするな、
ということです。機械じゃないんだから。
 全ての真理は、統計的なものでしか
ないんだから。
 「・・・べき」見たいな、息苦しい
世界じゃなくて、
 どんな条件を与えられても、何とか
前向きに生きのびる、そんな人間の
基盤について考えた方がいいんじゃないか!

 はあはあ、ぜいぜい、

と、爆発のマグマが地下からどどどどどと
吹き出す寸前にとまっているような、
 そんな状態になった。

 その後、正高さんをはじめとする三人で
議論が進んで、私は聴きながらフラワーピッグの
イラストを描いて気持ちを落ち着けて、
会はお開きになった。

 控え室でお茶を飲んでいると、
「もう50人の方から署名をいただいているんです」
という人が入ってきて、正高さんと
私にサインを求めた。

 そのおじさんがお帰りになられた後、
二児の母という女性がいらして、
 「私の回りでも、ああするべきだ、こうする
べきだ、という情報に振り回されている人が
多いんです。最後のお話をうかがって、どうしても
何か言いたくなって」と言われた。

 私は、本当に真剣に、その方とお話した。
ああ、あのパネル・ディスカッションの
小爆発(未遂)をやって良かったと思った。

 佐々木さんと移動しながら、
まだ心の奥底に
マグマがもごもご動いているのを感じる。

「茂木さんの言われるのもわかるんですけど、
・・・べきというのは、商品開発には
役に立つんですよね」
「それはそうでしょう、佐々木さん、でも、
モーツァルトをつくる商品なんてないんじゃ
ないかな」
「そうですね」

 そうなのである。今世間に流布している
「・・・べき」は、あまりにも
人間をバカにしていないか。
 「おお、よちよち」と決まり切った世界へと
導く、機械扱いのフィロソフィーじゃないか。

 そういうものをぶち破ったところに、
天才も異形も進歩も成立すると言うのにね。

 人間を陳腐な「統計的平均」
として扱うような、そんなことばかりやって
いるようじゃあ、
 現代人の魂がやせ衰えていくのは仕方が
ないことだと思う。

 たまには、「知ったことか!」と
こっそり言ってみたい。

3月 20, 2006 at 07:56 午前 | | コメント (19) | トラックバック (8)

2006/03/19

らららとかいううまそうな

佐賀に、親戚がいるのかどうかは知らない。
 伊万里や唐津には、母親の親戚があり、
子どもの時行ったからなつかしい。

 列車が博多から遠ざかるにつれて、
すーっと田園が広がっていった。

 佐賀大学に19年いらして、東京に昨年
移られた白石哲也さんは、「あの田園が
いいんですよ」と言われる。

 その白石さんの恩師の、佐賀大学医学部
脳神経外科の田淵和雄教授の退任記念講演会
と祝賀会にうかがった。

 最終講義や、退任祝賀会というのは、
何回か出たことがあるけれども、
 しんみりとするものである。

 しみじみとした、良い会だった。

 祝賀会では、たくさんの方にお目にかかる
ことができた。

 夜、ちょっと何か食べたくなって、
近くの酒屋までカラムーチョ
(10%増量、110円)を買いに行った。
 洗うのが面倒くさいので、
BVDのトランクスも買った。

 佐賀城址のお堀は美しくライトアップ
されている。
 白石さんに、ラウンジでお酒を飲んで
いるからよかったらどうぞ、と言われていた
のだが、 
 なんとなくシャイになって、 
ホテル・ニューオータニのお堀沿い
の道から様子をうかがったが、白石さんが
どこにいるのか判らなかった。

 お堀沿いの道は、どこまでもそぞろ歩き
したくなるような風情があって、
 カラムーチョとトランクスと
文藝春秋が入ったビニル袋がやさしく
揺れた。

 朝、起きて支度をする中、
諸事はぱっぱっぱと片付けてしまって、
本当にエッセンシャルなことに向き合い
たいな、と思った。

 マリーナ・アブラモヴィッチは、
絶対に同じパフォーマンスを二度と
やらないというが、
 新しいことにぎこちなくチャレンジする
時に立ち現れる緊張は、必ず魂の糧になるはずだ。
 それまでの軌跡は繰り返さないという意志は、
抽象的な概念世界にもあるじゃないか、
とタクシーで佐賀県庁の横を通り過ぎながら
気づいた。

 時間や空間といった、太古から
確固として存在する概念について、
いかに今までとは違った運動で考えられるか。

 きっぷを買って、佐賀駅の
反対側に行ったら、
 らららとかいううまそうなラーメン屋が
あった。

 昨日、城側を探索して、SEIYU裏の
何の変哲もない店に入ったのである。
 くやしい。

 でも、あの店でのおばちゃんとの
会話も、楽しかった。

 白石さんによると、佐賀では
漬け物が出るのだという。

 おばちゃんのくれた、たくわん二切れ、
おいしかった。
 駅のホームで記す。
 これから博多経由新大阪。

3月 19, 2006 at 07:27 午前 | | コメント (8) | トラックバック (5)

2006/03/18

救済者に救済を

重松さんに別れを告げ、
朝日カルチャーセンターへ。

お腹が空いていたので、つい
てんやで天丼を食べてしまった。

エッジがつながるかと思ったが、
店の奥に入ったので電波が通じない。
しばらく、席を移ろうかと迷ったが、えいや
と諦めた。

萩尾望都さんをお迎えしての
対談。
ディープなファンが目を輝かせて
詰めかけ、大変な熱気。

萩尾さんは手塚治虫に最も
大きな影響を受けられたとのこと。
はて、作風が違うような、
と考えているうちに、
手塚治虫の無意識の中に萩尾望都
が棲んでいたような気がしてきた。

萩尾さんが、人間は遺伝子か、
それとも環境か、とお尋ねになるので、
たとえ遺伝子だとしても、
人間の認知発達はopen-endedであり、
どこまでいってもここで終わり、
ということがない。
次々と気付きが起こる。
だから、100年生きるだけでは
その可能性を尽くせないから、
決定されていないのと同じだ、
とお答えした。

そうしたら、萩尾さんは、クローンを
100代作って一億年生きさせたら、
などと言う。
もちろん、脳状態も一緒に移す、
ということだろう。
この方はディープなSF思考なのである。

萩尾さんをお迎えして、懇親会。
二次会で、疲労感を覚え始めたところに
増田健史が来た。

「茂木さん、最近感動するものに出会いましたかあ!」
と来る。

知るか! こちとら、生きるだけで精一杯だ。
だがな、タケシ、こんなことがあったんだよ。

朝、
何となくパルジファルを聴くモードになって、
そのストリームが耳から入る中、
代々木駅の階段を上り、山手線に駆け込んだら、
ちょうど聖槍が聖杯と一緒になって
クンドリが倒れるところだった。

 かなりの疾走だったから、
胸がドキドキして、
「救済者に救済を」というコーラスを聴きながら、
ここで倒れて死んでしまうと、BGMとしては
ぴったりだな、と思った。

ワグナーはバカものだったかもしれないけど、
彼の見た夢は掛け値なしに美しい。

つまり、何というか、その中で生きること
自体が一つの挫折でしかあり得ない現代の
文化状況においてだね、
美しい夢を見続けることは魂のバランスのために
必要だと思った。

それくらいかな。今度また飲みましょう、たけちゃん。

佐賀に行く特急がちょうど出ます。
ごきげんよう。 

3月 18, 2006 at 01:46 午後 | | コメント (5) | トラックバック (12)

なんと時間貸しで

朝日新聞の服部桂さんがいらっしゃる。
 「科学と文学」のテーマで、
『プロセス・アイ』について。

 まだ小説は書くのか、とのお尋ねだったので、
「書くでしょう!」と答えた。

 そうでないと、精神のバランスがとれない。
 
 6月発売のあるものについての
会議。
 情報開示のembargoは3月30日頃との
こと。

 このあたりから、よくわからなくなってきた。
大塚まりさんと広報関係の打ち合わせをし、
 関根と左右脳差の話をし、
 ウィンドウズマシンの設定をいじり、
 メールに返事し、
 瓦の上に瓦が積み重なるように
仕事をする。

 飯田橋のCanal Cafeにたどり着いた
時にはへとへとになっていた。
 素晴らしいセレンディピティ。
 宝島社の田畑さんがセッティングして
下さった、
 重松清さんとの対談

 「小説とは何か!」
がわかって
 シミジミ深く面白かったのだが、
福岡行きの飛行機が出てしまうので一点だけ。
 仕事に追われた時、
私はタクシーで移動しながら
 やるという裏技を使うが、
重松さんはさらにその
上を行っていた。

 なんと時間貸しで
原稿書き用のハイヤーに乗る
というのである。
 月産600枚。おそろしい。

 対談の後、道路に出たら。
 重松ハイヤーがちゃんと停まっていて、
その横を私は脱兎のごとく走っていった。

 重松さんはさらにCanal Cafeで打ち合わせを
続けていた。
 この項続く。

3月 18, 2006 at 10:24 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/03/17

(本日)脳と漫画 対談 萩尾望都

朝日カルチャー講座 脳と心を考える
脳と漫画 最終回
萩尾望都さんをお迎えして対談いたします。

2006年3月17日(金)18:30〜
東京 新宿 朝日カルチャーセンター

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture23.html

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0601koza/A0301.html#

3月 17, 2006 at 06:15 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

何やらかなしいものの気配

6月に発売になる「あるもの」の関係の
取材二件。

 広報関係のミーティング。

 台湾の外郭団体の方々の訪問。
 研究内容を説明する。

 General Meeting。長健二朗さんが
インターネットの話をする。

 そして、実に久しぶりに研究所の
面々と五反田の「あさり」で飲み会。
 大和田茂さんや、暦本さんと、
web2.0の話で盛り上がる。

 近頃は、何でも2.0にするのが流行っている
らしい。
 Reality 2.0、Brain 2.0、Human 2.0・・・・
 暦本純一さんの、intelligence 0.1というのに
しびれた。

 何時も時間に追われている感じで、
「あっ、あれやらなくちゃ」という感覚が
常に胸の中にある。

 明日は、研究所の白石哲也さんにご依頼を
受けた、佐賀大学の田淵和雄教授の
退官記念の会に伺うのだけれど、
 飛行機の時間を少し余裕を持たせた。

 飛行機に乗っている間、「あっ、間に合うかな」
とか考えているのはちょっとイヤだ。

 次の日の大阪への移動も、少し早めに
しようかしらん。

 研究所の飲み会も、大和田さんの
つくった飲み会メーリングリストに入って
いながら、
 過去半年くらい、一度も顔を出すことが
できなかった。

 そのようなことをつらつら思うにつれ、
胸の奥に何やらかなしいものの気配が
感じられる。
 
 重松清さんの作品でとらえられている
ようなやるせなさを自分の中に発見。

 また走ります、ごきげんよう。

3月 17, 2006 at 06:12 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/03/16

「子どもと創造力」 〜脳科学の現在

日本発達心理学会第17回大会
九州大学 箱崎キャンパス文系地区 
2006年3月21日(祝)
13:15〜14:45 中講義室
「子どもと創造力」 〜脳科学の現在
茂木 健一郎
司会 目黒 実(九州大学)

http://www.hes.kyushu-u.ac.jp/jsdp17/

3月 16, 2006 at 07:57 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

こども大変時代フォーラム

「生命ビッグバン こども大変時代フォーラム―考える脳 感じる心」

 わが国の子供をめぐる環境が大きく変わるなかで、子供たちのあり様も変貌しつつある。
体力低下や運動不器用が増え、「キレる」という言葉で表現されるようながまんする力の弱い子供や、コミュニケーションが下手な子供、意欲の希薄な子供も増えているといわれる。また、医学・科学研究の面では、画像診断技術が進歩し子供の脳の働きを目で見ることが可能となり、子供の発達を科学的に検証する動きも高まっている。最新科学は、子供の発達のメカニズムにどう迫りつつあるか、そこから私たちは何を学び、子供たちの健全な育成に役立てたらいいか、各分野の第一人者とともに考える。

平成18年3月19日(日)午後1時〜4時20分

大阪市北区中之島2−3−18 リサイタルホール

  午後零時30分 開場
  午後1時    開会・主催者挨拶
  午後1時05〜午後1時30分
    「人間らしさとは何だろう」 京大霊長類研究所教授 正高信男氏
  午後1時30分〜2時20分
    「こどもの遊びと創造性」 ソニーコンピューターサイエンス研究所シニアリサーチャー 茂木健一郎氏
  午後2時20分〜35分 休憩
  午後2時35分〜3時15分
    「ヒトの脳はいかにして人間の脳になるか」
 瀬川小児神経学クリニック院長 瀬川昌也氏
  午後3時15分〜3時55分
    「言葉によらない母子コミュニケーションの意味」
            長崎大学大学院教授 篠原一之氏
  午後3時55分〜4時  休憩
  午後4時〜4時20分  討論「考える脳 感じるこころ」(会場からの質問票をもとに)
     司会:正高氏  茂木氏、瀬川氏、篠原氏

主催 産経新聞大阪本社
(一般の参加申し込みは終了しているようです)

3月 16, 2006 at 07:42 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

校則の範囲内で

昨日は確定申告の締め切り日だった。

 例年、最終日が近づかないと全くやる気に
ならない。
 それで、いつも苦しむ。
 
 とにかく、あの手の作業がイヤなのである。
 何かトラウマでもあるんじゃないかと
自分で思うくらい、イヤでイヤで仕方がない!
(ここで本当はビックリマークが100くらいつく!)

 ちゃんとした人は、普段から「必要経費」
というものを計算して引いておくのだろうが、
 そういうのもものすごくイヤで、
結局何も計上しない。
 せいぜい、アマゾンで買った本くらいを
パチパチ加算するだけ。
 
 とにかく終わった。
 これで、一年間は税金とかそういった
ことを(恐らくは)一秒も考えずに済む。
 
 東京大学本郷キャンパスへ。
 総合図書館の三四郎池側にある
情報学環の10階で、水越伸さんと
ケータイについて話す。

 水越さんは、私の顔を見るなり、開口一番
「この前白糸にいたでしょ!」
と言われた。
 原島博さんの研究室の方々ととまたま
近くになったのだ。

 いろいろな話をしたが、
水越さんの「日本のケータイは、とっても不自由
な世界で、まるで女子高生が校則の範囲内で
いろいろ工夫してお洒落をしているようなものだ!」
という言葉がうまいたとえだなあ! と思った。

 ケータイの何気ない使い方など、ちょっとした
ことから、日本という国の現状が見えてくると
水越さん。

 私は、しばらく前から、なぜ日本ではみんな
ハンドル名を使うんだろう、と疑問に思っている、
ということを言った。
 アメリカでは実名が多いと聞いていたが、
水越さんによると、韓国や台湾などでも
実名が多いという。

 私も、以前は「くおりあ庵」というハンドル
名を使っていたが、違和感をもってやめて
しまった。

 ハンドル名に、
「積極的に新しい情報を付け加えている」
という感じがなくて、情報としてredundantだ
ということが一つ。
 それと、水越さんの言われるように、そもそもの
日本社会のメンタリティも反映されている
のかもしれない。

 夜、知のwebマガジンen の打ち上げ。
 ずっと担当してくださった塩事業センターの
 河井義行さんが、定年で退職される。

 他に、大庭剛司さん、アルシーヴ社の佐藤真さん、
青土社の今岡雅依子さん。

 河井さんと、二年間の思い出をいろいろ話す。
塩事業センターにいらっしゃる前は、
ずっと林業にたずさわっておられて、
 日本はもちろん、アジア各地や南米を飛び回った
という。

 そんなお話をうかがっているうちに、
熱帯雨林の高さ60メートルにもなるという
木々が連想されて、
 自分たちがいる新宿の高層ビルと重なった。

 今、自分が樹冠にいる一匹の猿だとしたら。。。

 鏡の前に立った時、自分という存在は自然
的動物と何やら妙な概念的構築物のハイブリッド
であり、
 高層ビルの鉄筋とガラスは、最初から
人間の頭の中に存在しているのだと
思った。

3月 16, 2006 at 07:11 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006/03/15

62.5センチメートル

 電通で、脳とマーケティングの研究会。
 電通の佐々木厚さん、
 法政大学の田中洋さん、
 幻冬舎の大島加奈子さん。

 お弁当はお寿司。外に大きな船が泊まっているのが
見えた。

 研究所へ。

 品川駅からプリンスホテルの横を通る時、
春の息吹を確かに感じた。

 読売ウィークリーの青沼隆彦さん、
写真家の稲越功一さんが御来所。

 稲越さんに、ぱちりと写真を撮って
いただく。

 田谷文彦や、柳川透、小俣圭、
田辺史子と少し話す。
 西明石の独立行政法人
情報通信研究機構、関西先端研究センターの
村田勉さんに電話。
 fMRIを使った、神経経済学の
研究計画について。

 永田町の政策科学研究所へ。
 「21世紀の日本を考える」研究会。

 理化学研究所、
発生・再生科学総合研究センター幹細胞研究グループ
の西川伸一さんが、ES細胞と再生医療に
ついてお話される。

 ES細胞の話をじっくりと伺うのは
初めてで、大変興味深かった。

 またまたお弁当。
 おいしいお弁当。
 缶ビールも置いてあったが、
ぐっとがまんする。

 まだまだ一日は終わらない。
 午後9時前、国連大学裏の
テレビマンユニオンへ。
 「ニューロンの回廊」の顔合わせ。
 
 花野剛一プロデューサーとスタッフ。

 衣装合わせをして、頭のサイズを測られた。
 でかいでかいと思っていたが、
62.5センチメートルだった。
 ヘルメットを作るのである。

 岡村麻純さんが研究所アシスタント役。

 会議が終わる頃、
 佐々木厚さんが登場。
 花野さんを交えてビールを飲む。

 小さな時間に、家に帰った。

 床暖房の上にあぐらで坐って、
スゴ録で録った『プロフェッショナル』を
見ていたら、いつの間にか眠っていた。

 最後の画面が静止画で表示されていた。

 あぐら男、天気予報と向き合えり。

3月 15, 2006 at 08:08 午前 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2006/03/14

プロフェッショナル 仕事の流儀 竹岡広信

プロフェッショナル 仕事の流儀 第9回

“なにくそ!” 負けたらあかん
〜英語講師・竹岡広信〜
人気漫画「ドラゴン桜」の英語講師のモデルであり、書いた参考書は異例の売れ行きを記録する、カリスマ塾講師・竹岡広信(44歳)。京都府亀岡市に私塾を開きながら、名古屋・京都・福岡の予備校や高校を飛び回り、英語を教える。その英語教育法は、丸暗記を否定し、想像させる・考えさせるという独特のもの。どうしたら、人を伸ばすことができるのかー「与えすぎてはいけない。人はきっかけさえ与えれば、自分で伸びていく」という信念を持ち、真剣勝負で生徒と対峙(たいじ)する。試練の受験シーズン、その熱い教育現場に密着取材。

NHK総合
2006年3月14日(火)21:15〜21:58

http://www.nhk.or.jp/professional/

3月 14, 2006 at 07:58 午前 | | コメント (5) | トラックバック (10)

『クオリア入門』増刷

ちくま学芸文庫 『クオリア入門』は、発売4日で、増刷(+5000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

3月 14, 2006 at 07:54 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

脳の中の人生 奇蹟の聞き上手の秘密

ヨミウリ・ウィークリー
2006年3月14日号
(2006年3月26日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第94回

奇蹟の聞き上手の秘密

一部引用

 河合先生の聞き上手は、殆ど神懸かり的な領域に達している。先日お目にかかった時に、びっくりするようなことをうかがった。タクシーに乗ると、運転手が身の上話をし始めるというのである。後部座席に座り、運転手の言葉に「はあ、はあ」と相づちを打っているうちに、「いやあ、私も人生でいろいろなことがありましてね」と始まる。河合先生が話を聞いているうちに、運転手も夢中になって、目的地と別の場所に行ってしまうことさえあるというのである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 14, 2006 at 07:48 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

たけしも、かなりいろいろ溜まっているらしい

京都駅を歩いていたら、
橋本麻里さんに声をかけられた。

 偶然の出会いに、びっくり。
 「和樂」の取材で、近くに渡辺倫明さん
もいると言う。

 ちょうど、京都造形芸術大学の杉浦幸子
さんと待ち合わせをしているところ
だったので、
 三人をそれぞれにご紹介した。
 
 アート関係者、偶然会す、の巻。

 東山にある瓜生山荘で、京都造形芸術大学の
徳山詳直 理事長におめにかかる。

 折しも、雪がちらつく中、
一代で大変勢いのある芸術大学を
作り上げた、そのお人柄の秘密に接した。

 束芋さん、宇川直宏さん、椿昇さん、
千住博さん、宮島達男さん、宮本亜門さん、
市川猿之助さん、秋元康さん、・・・・
 京都造形芸術大学にかかわっている
人の一部の名前である。

 徳山さんの、「これからの世界で、平和を
つくるものはアートしかないと思った」
という言葉が印象に残る。

 新幹線の中で、仕事をしながら、
どうもこれはかなり疲れているな、と思った。
 あまりにもオン・タイムが続き過ぎていて、
もうダメだあ、という感じである。

 新丸ビルのロビーに坐って仕事を
続けたが、とにかく今の山を越えたら
休もう、と思った。

 PHP総合研究所で
行われた「次代を考える東京座会」。
 福田和也氏は、F1を観戦に行ったということで、
ご欠席。
 牛山圭さんが、現代日本の様々な事象について
網羅的コメント。
 北 康利さんが、主に経済政策についての
課題を列挙。
 中西寛さんは少子化や政治問題について。
 最後に、永久寿夫さんが日本の選挙制度の
問題点について指摘された。

 思うに、このような諸問題を議論する
時に大切なのは、できるだけ総合的な視野
を持って、全てを統合しようという
意志ではないか。
 とは言っても、複雑な事象を全て
引き受けるのは難しい。
 必要なのは、良質なコンセプト・ワーク
なのではないかと思う。
 
 良質なコンセプトは、必ず人を動かす
力を持つ。

 増田健史に電話。「参ったなあ」と一言。
 たけしも、かなりいろいろ溜まっているらしい。

 本当は、たけちゃんまんセブンとゆっくり
ビールでも飲みたいんだけど、それも果たせず。

 本やテレビ番組のような、知的、精神的
生産物のように見えるものも、
 それを作る者にとっては
 一つの「もの作り」の対象である。

 「もの作り」に関わっている者の気持ちは、
そう簡単に判るもんじゃないし、
 判ってたまるか、という気概もある。

 春になったら、たけちゃんまんセブンや、
オオバタン、それに竹内薫あたりと、
 ちょっとゆっくりしてみたい。

3月 14, 2006 at 07:39 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/03/13

壺の中にフラワーピッグがいて

移動日。

 三重県菰野町にうかがう。

 四日市駅で、こどもたちの未来を考えるサークル
With you 代表の人見実男さん、言語聴覚士
の伊藤直美さんと合流。

 ここから車で30分。

 国道から少し細い通りに入ると、
なにやら風情があり、ゆかしい。
 「この辺りはいいですね」
と言うと、
 「御城下だったんです」と教えて
いただいた。

 三重は、私の尊敬する二人の偉人、
本居宣長と小津安二郎が生まれたところである。
 そして、宣長はもともとは安二郎と
同じ小津家の出身なのである。

 人見さんと伊藤さんが主催される会
でお話させていただく。
 
 打ち合わせの時、人見さん、伊藤さんとの会話。

「終わった後、御著書にサインをいただく時間を
設けても良いでしょうか」
「ええ、もちろん良いですよ! でも、持っている
方いらっしゃるかな」
「会場の外で売ります。『脳の中の人生』とか、
『脳とクオリア』とか。」
「えっ、『脳とクオリア』ですか。。。あれは
難しいですよ!」
「いや待てよ。『脳と仮想』の方やったかなあ。
いや、やっぱりクオリアですわ。三千幾らの
厚いやつ。」

ありがたいことで、終わった後、
50人とか60人の方々のお持ちになった本に
署名させていただいた。
その中には、『脳とクオリア』もあった。
大変だあ。

いつものように、絵を描く。
「同じパターンは描かない」
とやっていると苦しくなってくる。

苦し紛れに、フラワーピッグの新しい
ヴァージョンを思いついた。
壺の中にフラワーピッグがいて、
花が外に飛び出している絵柄である。

これだと、いろいろな壺のヴァリエーションがあるので
尽きることがない。

人見さん、伊藤さん、菰野町の方々、
ありがとうございました!

街を歩きながら
心地よい疲労の中で思ったこと。
この世の全てのものの底は抜けている。
立派なもの、価値があるもの、美しいものも
全ては底が抜けている。

自分自身の存在さえ、底が抜けている。
その底抜けのニヒリズムを突き抜けて
いったところに、
限りなく明るい生命哲学が待っている
という実感を持った。

自分の中から力を引き出すためにも、
中途半端なものを信じちゃだめだ。

3月 13, 2006 at 07:21 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

2006/03/12

どうも低レイノルズ数と関係している

国際高等研究所で行われた
「スキルの科学」研究会でお話した。

京都から近鉄で新祝園に出て、タクシーで。

できたばかりの時に開かれた
意識に関する国際シンポジウムで来た
ことがある。

その時は、私のイギリスの恩師、
Horace Barlowも来て、意識は個人に宿る
ものではなく、むしろコミュニケーションの
中にこそ本質があるという話をした。

終わった後、伊藤正男さんが来て、
「茂木くん、今のバーローさんの話は
どうなんだろう」と言われた。

確かに、一見直観に反するように
思われるけれど、
バーローの真意は、
自分の内部状態をモニターして、
それを他人と共有する、
という意識の働きに着目するという
点にあったのである。

久しぶりに訪れた国際高等研は
時を経て、しっとりとした落ち着きを
見せていた。

偶有性について話したが、
大変だった。

いずれも論客、質問、コメントが続出して、
「なかなか前に進まない」のである。

異様に高い摩擦係数というか、
粘性の高い(レイノルズ数が低い)
水の中を泳いでいるような気分だった。

国際高等研究所フェローの岩田一明さんを
座長として、
神戸大学文学部長の松嶋隆二さんや、
京都嵯峨芸術大学教授の佐々木正子さん、
大阪府立大学大学院の馬野元秀さん
あたりが特に「強力」で、こちらも
対抗してお答えしているうちにヘトヘトに
なった。

休憩前に、やっと「頼みの綱」
入来篤史さんが来た。
脳の話がわかる人が来ると心強い。

後半、「確率概念は脳の働きを記述する上では
限界がある」
という話をした。

「アンサンブル」で記述しているんじゃ
だめで、「相互作用」に基づいての
記述をしなければならないと。

そこにスモール・ワールド・ネットワーク
構造における偶有性の表現がある、
ということが目指すグランド・ストーリーである。

入来さんが、ぼろっと、「僕も本当は確率
なんて関係ないと思っているんだけどね、
脳科学の人はみんな信じているでしょ。僕は
本当は信じていない。でも、そういう話を
できるのは、茂木さんが相手だからで、普段は
しない」
と言われた。

懇親会場に移動する時、入来さんといろいろ
お話した。

「高等研は、やっぱり関西の文化だと思うね」
「どうしてですか」
「いやあ、どうしてと言葉にするのは難しい
んだけど、何となく」

入来さんの言うことは、どうも
低レイノルズ数と関係している。

西に来る度に、もう一つのあったかもしれない
日本を思う。

この週末は、たくさんのテクストを書かなくては
ならない。

締め切り、めっちゃヤバイです。

3月 12, 2006 at 07:28 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/03/11

(本日)科学大好き土よう塾 (再放送)

2006年3月11日(土)9:15〜9:59

 科学大好き土よう塾 
 脳科学スペシャル
 天才になるにはどうしたらいいの? 
 (2005年10月29日の再放送)

http://www.nhk.or.jp/daisuki/next/index.html

3月 11, 2006 at 07:10 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

ネット社会の新たな「階層」

中央公論 2006年4月号
2006年3月10日発売 
時評 2006
ネット社会の新たな「階層」
茂木健一郎

http://www.chuko.co.jp/koron/

3月 11, 2006 at 07:09 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

うれしい。

研究所の自分の部屋に一週間ぶりくらいに
入ったら、驚いた!
 書類がうゎーっと山積していた
机の上が、キレイになっているのである。

 ここのところ、あまりにも忙しいのと、
広報関係の話が多くなってきたので、
 新しく私に限らず広報関係の対応の
手助けをしてくださる方がいらしたのだった。
 その、大塚まりさんが、
山積していた書類を整理して、
 机を「さら地」にしてくださったのだった。

 こんなにオレの部屋は広かったのか、
と感動。
 大塚さん、ありがとうございます。

 春秋社の小島直人さん御来所。

 私が「解説」を寄稿させていただいた
『書きたがる脳』を持参いただく。

 田谷文彦と三人でお昼を食べながら
話す。

 文藝春秋は、実は春秋社から分かれたという
ことを初めてうかがった。
 なるほど! 

 テレビ朝日の森島留美子さん、
文化工房の大木順平さん、朝倉健司さん、
佐々木泰一さんがいらっしゃる。
 松岡修造塾で、子供たちに脳のことを
話す件。

 いろいろアイデアを出す。

 広報担当大塚さん、それに
総務の北森裕見子さん、川島由美子さんと
ミーティング。
 たまりにたまった事項の処理。

 大塚さんが、私の机をさら地にして
くださった時、いろいろと書類が
「発掘」されて、それに対する
対応をその場で処理する。

 「これは茂木さんが持って帰って
ください」と書類の束を渡される。
 
 しばらく先の講演会の会場案内や、
私信などだが、私が
「任せてください!」とばかりに
書類をぱっぱっぱと
まとめているのを見ていた北森さんが
一言。

 「茂木さんが、その書類をどうするのか、
ようくわかるような気がします」

 ぎくっ。
 確かに、家の机の前の椅子の上にどーんと
積み上げて、読まない可能性大。

 それだけ時間に追われている、という言い方も
できるが、
 整理整頓ができない、ということでもある。

 しょげてゼミへ。われわれのゼミは
The Brain Clubと言う。
 すでに小俣がラットのA1の論文紹介を
始めていた。

 characteristic frequencyでマップを描くと、
A1自体がある程度キレイに一次元の周波数
空間に写像されているように見える。
 
 しかし、何だか変な気もする。もしそれだけならば、
hair cellですでに実現されているはずである。
 なぜ、cortexで再びredundantな表現をするのか?

 思うに、あるcriterionでマップを描いた結果は
一つの切り口に過ぎず、別のcriterion
(例えば、小俣が紹介した論文にあった
frequency空間での上昇、下降のdirection)で
マップを描けば、上の一次元写像の上に別の
functionalityが重ね合わせられるのだろう。

 response selectivityを、単一軸ではなく
時空間的に共存し得る複数軸の上で考えなければ、
(つまり、4次元の中に異なる領域がdenseに
詰まっているイメージ。overlapあり)
本来cortexが果たしている生物学的機能は
捉えきれないのではないか。

 てなことを考えながら、
 研究所の一階入り口で売っている
「強い子のミロ」を飲む。

 松任谷由実さんが講談社のGraziaの今月号
(April 2006 No.121)
で『脳と仮想』のことに触れてくださっている。

 (脳科学者の)茂木健一郎さんの本にすっかり
はまちゃって。科学書になると思うんだけど、
読みながらボロボロ泣いてしまったんです。
・・・『脳と仮想』という本の中に、感動
するというのは脳が傷つくこと、そうして傷ついた
脳をリカバーしようとするとき、創造が生まれる
とあって。そうそう、そうなんだよね、とうなずき
ながら涙を流していた。・・・・・

 うれしい。

 私の友人は知っているように、
私はカラオケでよくユーミンを歌っているのです。
 
 この記事の中で、松任谷さんは「自分も
オリジネーターじゃないと意味がない」と
言われています。

 生み出すということは、生きている
ということと同じで、
 その過程で傷つくこともあるのですね。

3月 11, 2006 at 07:02 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

2006/03/10

プリオンの話はもちろん

 朝一番で、日本経済新聞社会議室。
 『日経サイエンス』の対談シリーズ第二弾。
『プリオン説はほんとうか?』
福岡伸一さん。

 養老孟司さん、瀬名秀明さん
の後を受けて、対談シリーズをやりませんか、
と依頼された時は光栄に思うと同時に、
いろいろな科学の分野について知見を広げる
チャンスだと思った。

 最近つくづく思うのは、
専門性を突きつめる一方で、広い視野に
経った総合性を志向しつづけなければ
ならない、ということだ。

 特に、知性とは何か、生命の本質とは
何かといった問いに対しては、
 ダーウィンが『種の起源』で行ったような
アウフヘーベンが必要となる。

 福岡さんも、分子生物学が
分子レベルでの精緻な記述をすることを
是としつつ、一方では「生命とは何か」
という大きな構えでの問いも忘れては
いけない、というお立場。

 結局、できることは、常に全体性を志向しつつ、
かといって安易な概念に飛んでしまうことではなく、
目の前の具体的な問題に取り組んでいくことでしょう、
と福岡さん。

 プリオンの話はもちろん、科学論や
文学の話にまで及んだ1時間半は
楽しかった!

 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録はスタジオ・ジブリのプロデューサー、
鈴木敏夫さん。

 宮崎駿さんとの出会いは、『アニメージュ』記者
時代にコメントを取材にいって、
「そんな下らない雑誌にはコメントできない」
と言われたこと。

 話していて、この人は本当に不安や
重圧というものを感じないのかもしれない!
と思った。

 夏目漱石のような自己懐疑のある
インテリジェンスがある一方で、
 自己懐疑への不感症というものが
有効に作用する場合もあり、
 何十億という制作費を投入して
一本のアニメ映画を撮るという
「賭け」に出るプロデューサーは、
むしろ不安不感症の方が良いのではないか!
と思った。
 
 鈴木さんは、『脳と仮想』を読んで、
20人にリコメンドして下さった
そうである。
 ありがたく。
 私も、『ゲド戦記』を20人にリコメンドする
ことに致します。

 収録が終わったタイミングで、新潮社の
金寿煥さん登場。

 3月15日(水)放送の『クローズアップ現代』
で、新書の特集があり、
 その中で、金さんと打ち合わせをしている
場面を放送するというのである。

 メガヒット続出の新潮新書編集部が
今一番力を入れている新書! という
ことで、金さん、北本壮さんと作った
「ひらめき脳」(仮称)が登場。

 様々なタイトル案をモックで作った
装丁で見て、比較検討した。

 新潮社には、10万部を超えた本を
革装して展示する「殿堂」の部屋があり、
 そこに入れればいいなあ、と
思う。
 なにを隠そう、私は10万部の
壁をこえたことがまだないのだ。

 来週、さ来週と収録がないので、
有吉伸人CPもゆっくり休める。
 いつもは、収録が終わったと思うと、
次の放送回のVTRの編集、試写と
息つく暇もないのだ。

 それで、有吉さんを慰労することを
主目的に、慰労会をする。

 NHK出版の小林玉樹さんとにこやかに
談笑している所に、大場旦乱入!

 オオバタンに、「最近の日本の
思想のサブカル化について」激しくも
真摯なる本音を吐露したところ、
オオバタン激怒!

 「真剣にやってるんだよお」
と言い、「今日はアッタマにきたあ」
と叫びながら、あっという間に帰っていった。
 ちゃんと生ビールは二杯飲んでのことである。

 ぼくは、オオバタンが何と言っても、
日本のいわゆる「思想系」の人たちが
サブカルに堕しているという印象は変わらない。
 自分たちを「文系」と規定している
時点で、アウトである。
 
 勘弁して欲しいよ。
別にフランス現代思想やフッサールや
ベルグソンを読んでいればそれで済むんじゃなくって、
物理もやれば、ネットワーク・サイエンスも
追って、脳科学をやり、
web 3.0も考えなければならないんだよ。
 そうじゃなくっちゃ、世界全体なんて
見えてこないし、 
 そもそも現代と向き合うことなんて
できるはずないじゃん。
 
 現代では
 「文系」=「サブカル」
(部分問題を解くヒト)ということを
肝に銘じて欲しい。
 もちろん、その意味では自分を
「理系」と規定してそれで良しとする
人もまたサブカルであるが、
思想系の人たちは、あたかも世界全体を
引き受けているような顔をしているから、
時に始末が悪い。

 以上の議論が極論であることは
わかっているが、
 それだけこっちもアッタマに来るような
出来事が時々あるんだよ。

 もちろん、反論があることは重々承知。
その方がおもろい。
キッタハッタ、チョウチョウハッシで
行きたいものである。

 オオバタンと、また机どんどん!
してビールが飲みたい。

3月 10, 2006 at 04:09 午後 | | コメント (4) | トラックバック (5)

2006/03/09

 科学大好き土よう塾 (再放送)

 2006年3月11日(土)9:15〜9:59

 科学大好き土よう塾 
 脳科学スペシャル
 天才になるにはどうしたらいいの? 
 (2005年10月29日の再放送)

http://www.nhk.or.jp/daisuki/next/index.html

3月 9, 2006 at 07:40 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

地球のような楠の前で

合宿2日目(彼らは3日目)

 朝、宿を出て、開聞岳の横を抜けて
吹上浜を目指す。

 1号車、2号車、3号車に分乗。
 私は1号車を運転。

 カーナビや携帯があるので、目的地さえ決めて
おけば、合流できる・・・・
 はずであった。

 ところが、吹上浜が難物だった。
 なかなか、浜辺の近くまで行けない。

 砂丘が思った以上に巨大で、その陸側に
広大な緩衝地帯があって、
 道路が通じていないのだ。
 
 カーナビを見ながら、えいやっと
曲がっていったら、
 地図にない道を行くことになった。
 
 地図上、空白域に車の現在位置が
示されるのは、どきどきしてしまう。

 しかも、何故か「全面交通止め」の
看板にやたらと出会う。
 工事をするにしても、道路自体を全面通行禁止に
するというのは、かなりドラスティックな処置
である。
 
 まるで、世界全体が砂によって浸食されて
いってしまうので、
 工事をして必死になってそれを食い止めているような、
そんな幻想を抱いた。

 やっと砂浜に近付ける場所を見つけたが、
それを2車、3号車に伝える
術がわからない。

 何しろ、近くには何も目標物がないのだ。
道筋を教えようにも、道路自体がないことに
なっていると来ている。

 うーんとアタマを抱えていると、
するすると別の車が近づいてきて、
 星野英一が運転席から顔を出した。

 びっくり。

 「うん? なんで、お前がここにいるんだ?」
 「いやあ、あそこの看板を見てみようと思って」
 「あのねえ、どうして、このタイミングで、
ここに辿りつくんだよ」

 星野は、ご飯を食べる時には
山盛りにしてわしわし食べる。
 沖縄合宿では、ひとりオットセイのように
海に入っていってウォーと背を反らした。
 これも、野生児星野の本能のなせるわざか。
 とにかく合流できて良かった。

 3号車のことはとりあえず忘れて、
砂浜をさまよっていると、
 関根崇泰がやってきた。
 3号車のドライバーだったはずである。

 「あれ、お前、よく来れたなあ」
 「茂木さん、よく来れたじゃないですよ。
まったく無責任なんだから。目的地を決めたら、
ちゃんとそこに行ってくださいよ!」
 
 関根がぷりぷりしている。
 くわばらくわばら。別にまいちゃおうと思って
こんなところに彷徨いこんだんじゃなくって、
 砂浜に行こうとしていたら、空白地帯に
入ってしまったのである。

 「ご乱心」してしまったような
気がして、しゅんとする。

 また怒られるとこわいので、
1号車、2号車、3号車と連ねていく。
 伊集院近辺で昼食、という決め方なのだが、
私はプロトコールの通り行くのがとても苦手
である。
 走っていて、「おっ、この食堂はいい!」
というところを見つけると、ついついハンドルを
左に切ってしまうのだ。

 だから、用心して、いつどんなところが
見つかってもはぐれないように、 
後からついてきてもらった。

 案の定路傍に食堂を見つける。
 車の列。ジモッティに愛されている。ここは
うまそうだ!

 入ってすぐに、巨大な「サラダバー」
が目に入った。
 普通のサラダではない。ぶり大根とか、
卵しゅうまいとか、その他、ちょっと
本州では見たことがない料理が
ずらっと並んでいる。

 「定食」には全てもれなく
サラダバーがつくという。
 ビンゴ!である。

 石川哲朗が、「サラダバーだけでも
ご飯がたべられる」などと言ったので、
サイドキックをかましつつ、
 野澤真一が「黒豚がたべたい」
とわめくのをなだめつつ、
 大変美味なる昼食をとりました。

 時間が経つのは早い。

 最後は、蒲生の大楠の前で全員で
記念撮影。
 樹齢1500年の楠は、表面に
さまざまな植物が着生していて、
まるで一つの惑星のよう。

 地球のような楠の前で、研究室
合宿は終わりになりました。

 私にとって、合宿は実質一日。
 やたらとかかってくる
仕事の電話や、仕事仕事仕事の
メールに対処して必死になる
時間帯もありましたが、
 ともあれ、これでまた明日から
学問に邁進いたしましょう。

 今日からまたバカトレ、うぁーっ仕事、
必死タイピングの毎日ではある。

3月 9, 2006 at 07:34 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/03/08

体育会系合宿仕様

毎年一回、大阪大学で集中講義をやる。
今年の講義のレポートに、
「先生が授業で言われていた大阪の「いらち」
という性格が、自分でも問題だと思うので、
直したいと思う」という趣旨の感想があった。

ここまで忙しいと、どうしても私も
「いらち」になる。
と言っても、他人様に対してではない。
自分一人でいるときの行動の密度が、
どうしてもいらちになる。

はい次、はい次、はい次、はい次・・・・

たまには
いらちじゃない人生を送りたいのは、
私の方です!

最近、少しでも暇があると、ネットワーク
のことを考える。

ネットワークと偶有性を結び、パスカルの確率論
を超えるか細い道が見え始めてから、
がぜんやる気になった。

思えば、『脳とクオリア』のきわめて
過激なスタンスにおいて、「統計的描像」
に対して「相互作用描像」を対置させて、
ベイズとか反応選択性とかはダメじゃん!
と言い切っていたのであった。

それから、神経経済学やボディ・イメージといった
システム脳科学の話が面白くなって、しばらく
そのあたりを考えるフェーズが続いて
いたのだが、
いよいよ本丸に攻め込む気合いが満ちてきた
ようだ。

午前中、NHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
スタジオ・ジブリの鈴木敏夫さん。

「仕事を忘れた方が、仕事はうまくいく」
「仕事をお祭りにする」
など、共感できること多々。

ノイズと創造性の関係について、CP有吉さんや、
ぶっちゃけ住吉さん、FD変装山口さん、
タカ山本さんと熱く語った!

羽田空港へ。

飛行機の中は爆睡。(最近の国内の飛行機移動は、
ほぼ例外がない。日航寄席や全日空寄席を聴きながら、
たちまち意識を失って爆睡する)

レンタカーを借りて、学生たちと合流する
はずの指宿へ向かう。

合流。いつの間にかこんなに学生がいたのか!
とがんばらねば感を新たにする。

柳川透、小俣圭、須藤珠水、恩蔵絢子、田辺史子、
関根崇泰、箆伊智充、星野英一、大久保ふみ、
野澤真一、石川哲朗。

11人もいるのか!

こいつらみんなに学位を取らせて、就職させなければ
ならない。
うかうかしてはいられない。
がんばらなければ。

えっ、おれはいいよ、普通の温泉だけで
いいよと言ったのだが、
みんなが砂むし温泉に入るというので、
付き合った。

いい味出したおばさんが、どさっ、どさっと
砂をかけてくれた。

砂むし温泉のクオリアを正確に測定いたしました。

一番乗りで、とっとと上がって、みんなの
様子を見に行く。

写真をとるおじさんがいたので、
呼んで、柳川と小俣の写真をとってもらった。
こいつらにとっては、最後の合宿になるかも
しれない。

記念である。

そしたら、おじさんも商売。周囲に
いるやつらの写真も次々と
撮り始めた。

その後入った普通の温泉のお湯はしょっぱかった。


須藤珠水が、えらく安い宿を見つけてきて、
おい、大丈夫か、と思ったが、
いいところだった。
気候が温暖なので、
ゆるいつくりがかえって心地よい。

食事は「体育会系合宿仕様」で大変な
ヴォリューム。
生ビールでがっと流し込む。

道すがら、石川に卒論は何をやったのかを
聞いた。
どうやらスピン・ネットワークについて
書いたらしい。

夜、ウィンクキラーというのをやった。
前々からそういうのがあるとは聞いていたが、
私はいつも合宿遅れ参加ないしは不参加なので、
やったことがなかった。

トランプでばばを引いた人が
殺人者。

目と目が合った時にウィンクすると、
相手が死んでしまう。

「告発!」と言って、同調者が現れて、
一致して殺人者を指摘すると、殺人者の負けである。
あらかじめ設定された数字の殺人を気付かれずに
行うと、殺人者の勝ちになる。

私も何回か殺人者になった。ドキドキする。
星野はメンフクロウのような顔で
みんなを見ていて、「こいつは絶対
殺人者にはならない」と油断させて、実は
一度シリアル・キラーになった。

憂いを帯びたようなキラースマイルで
殺人狂時代を演じたのは、石川だった。

オレは、途中で横になってしまったが、
眠ってしまってはシリアルキラーになることも
被害者になることもできない。

どうやら田谷が微笑みの殺人者になったり
したらしい。

見たかった。

3月 8, 2006 at 07:28 午前 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2006/03/07

プロフェッショナル 仕事の流儀 挟土秀平

プロフェッショナル 仕事の流儀 第8回

不安の中に成功がある
〜左官・挟土秀平〜
飛騨高山を拠点に置く左官・挟土秀平(はさど・しゅうへい、43歳)。 日本全国で実績を上げてきた挟土だが、現場に立つ姿は、臆病者そのもの。 何度も材料を作り直し、試す。自分に言い聞かせるように「大丈夫か」「怖い」とぼやくウラには、「自信過剰になると、仕事がおろそかになる」という信念がある。 高卒初の技能五輪優勝という快挙で、華々しくデビュー。だがそのプライドゆえに高慢になり、つまはじきにあい、不遇の時代が長く続いた。 プライドを捨て、自分は何もできないとわかった時、本物の職人に近づいた。  「不安」を力に変え、新しい壁を生み出す若きカリスマ、挟土の仕事術に迫る。

NHK総合
2006年3月7日(火)21:15〜21:58

http://www.nhk.or.jp/professional/

3月 7, 2006 at 07:04 午前 | | コメント (2) | トラックバック (7)

チャンピオンベルト

昨日は午前2時過ぎから起きて
仕事をしていたのだが、
ふとんを床暖房の上でふかふかに
しようとしていたのが不覚。

ほんのちょっと、と横になって、
気付いたら一時間眠ってしまった。
不覚。

それで、それから必死になって
仕事をしたが間に合わず。

だっと資料を持って、
国連大学裏のテレビマンユニオンへ。

4月からBS日テレで始まる
「ニューロンの回廊」(仮題)の打ち合わせ。
第一回のゲストが、立川志の輔さんに
決まる。

花野剛一さんに、「サイズを教えて
ください」と言われていたのだが、
NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
衣装を担当してくださっている
うえだけいこさんから聞いた
サイズがどこかに書いてあったはずと、
ノートの頁をめくった。

あったあった。

花野さんが、サイズを書き写しながら
ぽろっと言った。

「茂木さん、これだと、ヨージかギャルソンしか
入らないんじゃないですか」

なるほど、世間にはいろいろな
見方があるものじゃのう。

4月に出る新潮新書のゲラを、金寿煥さん
にお渡しする。
これは、がんばって売りたい本である。

次のミーティングへの移動の際に、
紳士服売り場で懸案のベルトを買う。

実は、ベルトを買うことはここしばらくの
懸案であった。

というのも、東京芸術大学の授業に
行く前に立ち寄る上野の丸井で買う
Y’sのズボンの中に、ひもでしばるやつが
あるのだが、
それが着ているうちにずるずる落ちてくる
のである。

ところが、私にはベルトを締めるという
習慣が長年ない。
要するに面倒くさいのであるが、
ここ20年くらいベルトをしたことがない。

それが、例の『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
衣装でベルトがついてくるのでしているうちに、
次第にベルトに慣れてきたのである。

そろそろ、ベルトをしてもいいっか、
ということで意を決してベルトを買いに行った。

決断は1分。思ったより長くかかってしまった。

「あのー、これください」
「はい」
「切っていただけますか」
「わかりました。してみてください」
「はい。あれれ」
「お客さま、切る必要はないようですね」
「は、はい」

昔、学生の頃、ベルトを買うと必ず切って
していたものだが、
最近のベルトはユーザーのサイズに最初から
合わせているようであるな。

チャンピオンベルトをしたら、何だか
気がぐっと引き締まって、
遅い昼食の餃子がおいしかった。

学生たちは、年に一回の研究室合宿に
昨日から出かけている。
今年の開催地は鹿児島。
来年修士一年に入る二人や、田谷文彦も
くわわって、
10人を超える大所帯。

ミーティングが山積しているため、
私は一日遅れで今日の午後向かう。

忙しくなると、ろくなことはないようである。
東京でチャンピオンベルトをして餃子を
食べながら、必死になってキーボードを叩いていた。

3月 7, 2006 at 07:00 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

2006/03/06

他人の心がわかるとはどういうことか――脳科学の視点から

特別寄稿 他人の心がわかるとはどういうことか――脳科学の視点から/須藤珠水(東京工業大学大学院博士課程)・茂木健一郎

金子書房 『児童心理』2006年3月号 p.396-401

http://www.kanekoshobo.co.jp/magazine.htm

3月 6, 2006 at 03:06 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

キマジメな「青年の志」

現代の中で生きることの全体を引き受けない
限り、たとえ世界知を語っているかに見える哲学
思想もまた「サブカル」だ!
 というしばらく前の着想は、考えるほど
本当にそうだな、と思えてくる。

 カントやデカルト、ニーチェ、デリダ
など、立派な名前がついていても、
文献学や引用の引用ならば、エクリチュールの
宇宙の中でのオタク、サブカルでしかない。

 じゃあ、サブカルじゃないものは何か、
というと、それは、ある形として存在する
もんじゃなくて、「総合」への志向性
なんじゃないかと思う。

 総合への志向性がなければ、どんな学問も、
文学も、アートも、所詮はサブカルだ。

 チャールズ・ダーウィンの「種の起源」
は、総合への志向性が見事に結実した例であり、
 意識の科学もあれを範としなければならないと
思う。
 脳科学もまた、部分問題を解いている限りにおいては
サブカルになってしまう。
 知性とは何か、意識の本質、起源は何か
という総合的問いへの志向性を常に抱いていなければ、
 結局は知の地殻変動など起こすことが
できない。

 そんなマジメな話を、懇親会などで
東工大知能システムの学生相手にしてしまう
というキマジメな「青年の志」
的欲動に突き動かされている
今日このごろである。

 「脳とクオリア」に対応する英語の著作を
書くのが課題となっているが、
 いっそマッハの原理や「相互作用同時性」
を部分として含む、総合的な「意識の起源」
にしてしまおうと構想している。
 毎日少しずつでも書いていきたい。
 
  Origin of consciousnessで、
ミクロからマクロ、物質と精神、進化、
自己と他者、etc. といった人間の精神をめぐる
諸事を一度総合して、
 「突然変異と自然淘汰」のような「あり得る
仮説」を提出したい。

 さて、日々の生活に戻れば、
 締め切りを過ぎていて不義理を
しているものなどたくさんあり、
 どうにもならない事態であるが、
ダメな時はダメなんだとすっかり悟った。
 一種のやけくその開き直りである。
 一日二十四時間仕事をする機会に徹することなど
とてもできぬ。

 やはり、人に会って酒を飲み、談笑する
ことは生理として必要だ。
 (私の場合、その途中で寝ていることも
多いのであるが(笑))
 ダメなものはできないんです、諸君!

 自分が出た番組は「教師信号」として
必ず見ることにしている。
 視点・論点と、養老孟司さんのお宅を
訪問した「科学大好き土よう塾」を見る。

 制作側の苦労を知っているだけに、そこは
感情移入するが、一方、そんなことは知った
ことではない視聴者はどう見るのだろう、
という視点も側頭葉から前頭葉あたりに。

 養老さんに因んで、近くの公園に散歩して
ツノカメムシを一頭、落ち葉の下に見つけた。
 ほんの10分や20分だが、こういうことが
ないと生きている感じがしない。

 今日もまた仕事、仕事、仕事、仕事。
こんな時間から起きている。
 うゎあ。

 
エサキモンキツノカメムシ
は、背中にはあとマークがあるのですが、
このムシは産んだ卵を抱えて守るのです。
 はあとマークにふさわしい振るまい。

 もちろんこれは自然の造形の偶然であって、
物質と精神の交流のメルクマールなどでは
ないですから、為念。

3月 6, 2006 at 03:00 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

2006/03/05

河合隼雄VS茂木健一郎[対談]「脳とこころ」の不思議に迫る3

月刊「潮」2006年4月号 p.196-p.203
河合隼雄VS茂木健一郎
[対談]「脳とこころ」の不思議に迫る3
「ヘンな人」のほうが人生を楽しんでいる?

http://www.usio.co.jp/html/usio/index.php

3月 5, 2006 at 03:33 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

クオリア入門―心が脳を感じるとき

茂木健一郎
『クオリア入門―心が脳を感じるとき』
ちくま学芸文庫 モ-10-1

2006年3月9日発売

3月 5, 2006 at 03:29 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

脳の中の人生 数字フェチにはわからない荒川静香の“喜び”

ヨミウリ・ウィークリー
2006年3月19日号
(2006年3月6日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第93回

数字フェチにはわからない荒川静香の“喜び”

一部引用

 人間の脳は他人との関係性から多くのよろこびを得るが、その本筋は誰かの役に立つことができたとか、心が通じ合ったという点にある。競争もまた関係性の一種であるが、そこで一番になったということは本当は副次的なことである。
 強いて言えば、一番になることで「人に認められる」「ほめられる」ということがうれしいのかもしれない。それでも、決して、「一番」という数字自体に人間関係における根源的な意味があるわけではないのである。
 荒川選手は、「ポイント(=数字)につながらなくても、人が喜ぶことをやりたい」という思いを強く持っていたと伝えられている。そのようないわば脳にとっての「うれしさ」の本筋が金メダルにつながったのだから、これほど素晴らしいことはない。
 本質を見極めずに、単に順位にこだわるのは、「数字フェチ」とでも言うべきだろう。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 5, 2006 at 03:23 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

名古屋まで行ってしまう私

明けて土曜日、朝はやく長野電鉄に乗り、
地元の高校生たちのすがたをぼんやりと
見つめる。

駅スパートで検索したら速いと出たので
東京で新幹線を乗り継いだ。

竹内薫の『99.9%は仮説』を読んでいて、
ふと気付き、ドキッとする。
ひょっとして、新横浜を過ぎてしまったのでは
ないかと不安になる。

アタマの中に、「名古屋まで行ってしまう私」
「柳川透に、同窓会の講演を代わりにやって
くれえ! と電話している私」「受験生でも
ないのに、新幹線の車掌さんにどうしても
降りなくてはいけないんです。停めてください
と懇願している私」
様々な「私」が見えた。

必死になって風景を見る。そう思えば横浜の
先の方にも思える。
 電車が直角に交差しているところで、
どうやらまだ内側らしいとほっと一息ついた。

東京工業大学知能システム科学専攻同窓会で
講演。
直前までパワーポイントをつくる。
学生たちの研究を、まんべんなく紹介しなければ
ならないので、チェック。

自発発火に関する質問を、柳川透に代わりに
答えさせた。
ちゃんと答えていた。えらくなったね、
透くん。

続いて大学院の受験志望の学生に対する
説明会。

ポスターの前で、いろいろ説明する。

ダニエル・カーネマンの顔写真がうまく
出なかったので、ペンで描いた。
箆伊くんの名前をなんとリストアップ
し忘れていたので、
お詫びの印として、大きな字で書いて、
ついでに似顔絵も描いた。

何人かの学生さんが、熱心に話を
聞いてくださった。

懇親会の直前に、コンピュータのバッテリーを
交換する時にちょっと失敗して、
シャットダウンしている途中で電源が切れる。

立ち上げたら、幾つか不具合が生じた。
いつも使っているワープロが使えないので、
別のもので「ヨミウリ・ウィークリー」
の原稿を書き上げて二居隆司さんに送る。

懇親会。
まわりの人たちを見ながら、
どうしたら、virtual Cambridgeを
つくれるだろうと考える。

世の中に表面的に流通している大抵の
問題はあまり実はエッセンシャルじゃなくて、
大切なことは隠されている。
その隠されているものを引き出し、
白日のもとにさらすにはある特殊な
メンタリティーが要るが、それを
どう醸成するか。

そんなことを考えている時の、脳の
奥がぎゅっと締まる感じが好きだ。

明けて今朝からコンピュータの症状悪化。
OSを再インストールするための諸々の
ことでこんな時間になってしまった。

しかし、不具合でも起こらないと
使わないアタマのモードもあるから、
それはそれで良いんだろうと思う。

3月 5, 2006 at 03:13 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

逝きし世のうつくしき面影

開口一番、
角川春樹氏は、「どうしようと思ったんだよ」
と言われた。

角川句会。福田和也氏も参加。

私は、何しろ句作は生涯で初めてに
等しかったし、
すでに受け入れられている句の
文法をそのままなぞるのは
いやだと思っていたので、
わざと外した句を用意していった。

一つ一つ角川氏の「これはどういう意味だ」
という尋問を受け、
ご説明申し上げた。
「そうか、それならばいいな」
お手柔らかに願います。

一方、
そこは手練れの福田氏。
「うまくなったな」と角川氏もご満悦。

角川春樹氏に初めておめにかかって
思ったこと。
私は、常々self-doubtがある人が
好きだと思っていたが、
あるスケールを超えると、かえって
self-doubtがない方が良い方向に
働くということはあるんじゃないか。

映画撮影のために、
「戦艦大和」の「1/1」モデルを「2/3」
つくった、という話にのけぞった後で、
そう思った。
たとえばチンギス・ハーン。

『わが闘争』に書かれていた「UFOを見る」
という話も、何のためらいもなしに
「そうなんだよ」と言われる。

自己懐疑のある漱石のようなインテリジェンス
とはまた別ベクトルの、言い切る快感。
それが大スケールの実行と結びつけば
爽快である。

新幹線で長野へ。
桝一酒造の市村社長が愛車ジャガーで
お迎えくださる。

パワーポイントを仕上げているところに
ところに台風のように現れた
セーラ・マリ・カミングスはとても気さくな
良い人だった。

小布施の暗闇と、土のぜいたくに酔った。
市村さんの語る、生活者が豊かに暮らすことが
すなわち訪問者にとっても福音になるという
ヴィジョンは、全面的に支持したい。

日々の暮らしを充実させるということが
すなわちその土地の価値を高める
ことであるという原点に戻れば、
かつての江戸がそうであったように
浮世(=現世)の絵に描きたくなるような
日本が蘇るのではないか。

渡辺京二さんは、ある文化の本質は案外
外の目からしかわからないと書く。
だから、幕末の日本の美しさは、
そこを訪れた外国人によって定着されなければ
ならなかった。

長野オリンピックの準備に参加したセーラが
小布施に出会い、定住した経緯には
自分たちの価値を知らない日本人に何かを
伝えたいという思いがあってのことだと思うが、
渡辺さんの言われるように、それは
「ほんとうのこと」なのだろう。

セーラも渡辺さんの著作は愛読しているとの
ことである。

小布施に、逝きし世のうつくしい面影を見た。

3月 5, 2006 at 02:57 午後 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2006/03/04

仕事仕事

角川句会、小布施ッションと流れて、
今日は東京工業大学知能システム専攻の
OB会で講演し、そのあと専攻説明会で
ポスターの前に立って研究内容について話した。

今は専攻のOB会主催の懇親会。

なかなか日記を書く時間がとれません。すみません。明日には。

3月 4, 2006 at 05:42 午後 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2006/03/03

『脳と仮想』14刷

新潮社「脳と仮想」

増刷(14刷、累計53000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

3月 3, 2006 at 08:01 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日)小布施ッション

小布施ッション56
2006年3月3日
長野県小布施市

http://www.obusession.com/next/index.htm

3月 3, 2006 at 07:56 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

(本日)視点・論点 「脳と買い物」

NHK教育 視点・論点 茂木健一郎 「脳と買い物」
2006年3月3日 (金) 22:50〜23:00

3月 3, 2006 at 07:43 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

科学大好き土よう塾 養老孟司の虫スペシャル

NHK教育
2006年3月4日 09:15〜09:59
科学大好き土よう塾 
養老孟司(ようろう たけし)の虫スペシャル

私は子どもたちと虫を捕ったり、養老先生と対談を
したりしています。

http://www.nhk.or.jp/daisuki/next/index.html

3月 3, 2006 at 07:42 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

金さんの警告

まあとにかく時間破産で、
必死になって生きている。

 タクシーの中で、en-taxiに掲載
されている「角川句会」用の
俳句、最後の数句を仕上げて送る。

 これじゃあ、本当のエン「タクシー俳句」だ。

 そもそも、私は俳句というものを
いままでの生涯で10もつくったことが
なかったのである。
 
 それでも、挑戦状には受けて立とうじゃないかあ、
となよなよとは言え立ち上がったのではあるが・・
 「青年は荒野を歩く水の音」が時に
底知れぬ恐ろしさへの伏線となっている
ことを銘記せよ!

 「英語でしゃべらナイト」のチーフ・プロデューサー
丸山俊一さんとの対談。
 
 のっけから、「あれは英語番組ではないんですよ!」
と言われて、目からウロコ。
 つまり、情報とエンタティンメントと英語
の入り混ざった、未だかつてない代物
ということらしい。
 ところが、テレビという不思議な箱に
がちゃがちゃと詰め込んでしまうと、あらフシギ、
一つの世界観が成立してしまうのだ。

 日本人論でもあると、丸山さん。
 英語という外の視点を入れることで、
私たちはいったいどんな存在なのだろう、
というその真実が見えてくるというのだ。

 ミスマッチのものを敢えて同居させることで、
「動き」を創り出す。
 丸山さんの「仕事の流儀」に感服。

 NHK西口玄関で新潮社の金寿煥さんと
待ち合わせ。
 4月に出る新潮新書の
ゲラをいただき、タイトルなどを
相談する。

 歩きながら、金さんに、
「明日、角川句会へ行くんですよ」
と言うと、金さん絶句する。

 「それは、まるでテロリストのような。
しかも自爆テロですね。」
 「はあ。」
 「あの文芸誌の中で、もっとも緊張感の走る
企画の中に自ら飛び込んでいくとは。」
 「えっ、と言いますと・・・」
 「いつも福田和也さんとかも、角川春樹さんに
『君、ぜんぜんわかっていないね!』と厳しく
問いつめられるんですよ。実に厳しくも緊張感の
走る現場でしょうね。はははは。これは楽しみ
だなあ。茂木さん、本当に勇気ありますね。」 
 「えっ・・・・・・(「絶句」)」
 「まあ、なんとかなるでしょう。ははははは。」

 金さん、フォローになっていません。

 en-taxiを何冊かいただいたことはいただいたのだが、
あまりにも忙しき日常に、目を通すことが
できずにいたのである。

 本日午前11時30分から角川句会。
 哀れな魂のためにお祈りください。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録は
『ドラゴン桜』の英語教師のモデルになった
竹岡広信さん。
 
 教えることとは、つまりは自分で伸びていく
きっかけをつくることであり、
 究極の目的は、自分なしでも勝手に
やっていくことができる生徒をつくることだと
竹岡さん。

 受験は、究極の「成果主義」のようにも
思えるが、本当に大切なのは、「何かのために
懸命に努力した」という体験で、
 その方が人生でのちのち役に立つというのである。

 一人の耳が聞こえない生徒のために、
すべてのことを猛烈なスピードで
黒板に書きつづける授業を一年間続けた。

 最後の授業を終えた後で、生徒が
歩み寄ってきて、竹岡さんに手紙を渡す。
 彼女は手が不自由で、ハンディキャップを
追っている友達に対する、竹岡さんの、
大丈夫だ、がんばれるよというメッセージが
本当に嬉しかった、と言うのを聞いている
竹岡さんの目に涙。

 3月14日オンエア予定。
 竹岡さん、素晴らしいお話を
ありがとうございました。

3月 3, 2006 at 07:31 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/03/02

浜名湖は二つある。

田辺史子からなかなかabstractの
メールが来ないなあ、と思っていた。

6月に英国のオックスフォード大学で
開かれる国際会議、ASSCの締め切りは
3月1日で、アメリカ時間の
その日中だとしても、午後3時くらいが
限度であるはずだった。

朝から、猛然と、まずは自分のabstractを
書き、それから学生たちとのabstractを
書き上げ、移動しながらもabstractを書き、
(他にも締め切りが過ぎている仕事が
あるんだけど、やむを得ない)
とにかくabstract製造機と化して
わっせわっせと働いていた。

アタマが加熱して、チエネツがわーっと
出ている気がしたので、
スターバックスでアタマを冷やした。

7つfinalizeして、最後の一つが
田辺のやつなのだが、
なかなか来ない。

そのうち、大宅映子さんとのラジオ
収録の時間が来て、中断。

終わってタクシーモバイルになっても来ず。

天野祐吉さんとの対談の時間が
来て、中断。

終わってメールをチェキしても、来てなかったので、
田辺に電話した。

「あのな、アブストの原稿、まだ終わらないのか」
「あっ、さっきへんなの送ったところです」
「夕方まではサブミッションのページ開いて
いたけど、いつまで開いているかわからないぞ」
「・・・あしたの午後までは大丈夫なはずですよね」
「だって、3月1日は昨日だろう」
「3月1日は今日ですよ」
「うん?・・・・・・」

 またやってしまった。
 なぜか知らないが、時々、「○○は○○だ」
と思いこむと、
 あとはそのことをチェックしないで猪突猛進して
しまって、ふと気づくとゼンゼン勘違い
していることがある。

 なぜか、3月1日は昨日だった、と思いこんでいた。
だから、朝から猛然とアブストを書きまくって
いたというのに。

 一つ書き上げる度に、研究室のメーリングリスト
にそれを送っていた。
 再び田辺との会話。

 「あのさ、おれが朝から次々とアブストを
書き上げているのを見て、何かおかしい、
とは思わなかったの?」
 「猛然とアブストラクト書いているから
ヘンだな、とは思ったんですけど、
茂木さん忙しいから今日しか書く時間がない
のかな、と思って・・・」
 「ひょっとしたら昨日が3月1日だったと
勘違いしている、とは思わなかったか?」
 「茂木さん・・・・」

 私の青春を返せ!
 それと、後回しにされた他の締め切りの方々、
ごめんなさい。

 まあ、結果としては、それくらいで
やらなかったら間に合わなかった仕事なので、
良かった。

 時々やるポカ。

 車の免許はイギリスでとったが、
試験通知をろくに見ず、午後6時からだと
思いこんで、
 「余裕だよ」とふらふらケンブリッジ大学の
近くにある会場に歩いていったら、
 なぜか入り口が閉まっている。
 「あれれ」と思ってしばらくぐるりと
回ったが、やはり閉まっている。 
 そのうち、試験を終えた受験生たちが
ぞろぞろと出てきた。
 リュックの中の試験通知を見たら、
「午後5時」と書いてあった。
 なぜ、午後6時と思いこんだのか、
未だに判らない。

 結果として受け直したペーパーテストは
全問正解だったが、
 インストラクターのデイヴィド・アッシュに
さんざんばかにされた。
 ケン、おまえはアタマがいいはずなのに、
時計の時刻もわからないのか、と。

 その昔、小津安二郎の映画の中で
原節子が娘とあんみつを食べたシーンが
しっとりと美しく、
榛名湖に行きたい! と思い詰めた時にも
カンチガイした。

 「あのさ、群馬にあるハマナコに行きたい
んだよ」
 (相手、おずおずと)「ハマナコって、静岡にあるんじゃ・・・」
 「違うよ、近くに山があるやつだよ」
 「やっぱり、ハマナコは静岡にあると思うけど」
 「そうじゃない、ハマナコは二つあるんだ!」

なぜ、ばーんと机を叩く勢いであのように
言い切ってしまったのか。
 自分でも今でも判らない。
 浜名湖は二つあると言い切られた
 相手はいい迷惑である。

 思うに、「せっぱつまってがーっと
集中している」「熱情に駆られて、だーっと
動いている」「いろいろ思考が拡散して
たくさんのことを考えている」
ような時に、大カンチガイをしてしまうようだ。

 時間を戻す。
 大宅映子さんとは以前私が懸賞論文の賞で
行ったバリ島の地中海クラブでご一緒して以来、
20年ぶり。
 収録語、大宅壮一文庫の裏話を
お聴きしたのが楽しかった。

 天野祐吉さんとは、昨年の広告批評の
年間CMベスト10審査以来だった。

 天野さんが、「私は批評は、作り手に向かって
書いている。よりよい作品をつくるための糧として」
と言われたので、なるほどと思った。
 褒めるにせよ、けなすにせよ、消費する側にとっての
ガイド、という批評の立ち位置に以前から
あまり納得していなかったからだ。

 創造のためにこそ、批評はあるのであって、
消費のガイドは副次的なものなのではないか。

 終了後、桑原茂一さんの緑のジャガーに
乗って、
 行った西麻布のRice Terraceの
タイ風しゃぶしゃぶがおいしかった。

 昼間のうちに必死になって仕事をした
甲斐があった!

 桑原さんにプロデュースしていただいた
野口英世写真(メイキングは
こちら
は引き合いが次々と。
 その度にクラブキングにつないでいる。

 さすが天才プロデューサ。talk dictionary シリーズ
といい、感嘆することしきりである。

3月 2, 2006 at 06:55 午前 | | コメント (9) | トラックバック (0)

2006/03/01

(本日)talk dictionary 天野祐吉×茂木健一郎

『TALK dictionary 天野祐吉×茂木健一郎』
2005年3月1日(水)
18:00〜20:00 (17:45開場/入場無料)
@アップルストア銀座 3Fシアター
東京都中央区銀座3-5-12 サヱグサビル本館
(松屋銀座向かい)

http://www.clubking.com/news/2006/02/post_4.html

3月 1, 2006 at 08:04 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

バカトレ

ある時期から、いろんな人にお会いする
たびに、
 「この人よりもオレの方が絶対に忙しい!」
と確信するようになった。

 気配のようなもの、
時間に対する切羽つまった感じ、
その他で何となく伝わってくるのである。

 いつも取材や編集に追われているNHKの
『プロフェッショナル』のチームを別とすれば、
 数少ない、「同じくらい、あるいは
向こうの方が忙しいかも」
と感じさせる個人は、養老孟司さんくらい
だろうか。

 養老さんの場合、執筆や講演はもちろん、
なにしろ標本にして調べなければならない
昆虫がたくさんあるので、
 いくら時間があっても足りないだろう。

 仕事の催促の電話やメールで、
向こう側から何やら弛緩した雰囲気が漂って
くると、がくっと落ち込むことがある。

 こっちは、どんな風にやっていると
思っているんだ!
 と毒づきたくなる時も正直あるが、
そんなことは絶対におくびにも出さずに、
 にこにこマークで今日もよろしく!
という感じで生きているのである。

 やることの山積みがピークになると、
地下鉄の隅の空いているところに
かえる座りをしてキーボードを打ったり、
歩きながらエッジでネットで送信したり、
 移動中のタクシーで原稿を書いたり、
といった悲惨なことになる。

 『プロフェッショナル』の第一回に登場した
星野佳路さんもよく走っていたが、
 私も移動中は良く走る。
 代々木や六本木で地下鉄の階段をどんどんどん
と上がっていくと、 
 ちょっとした山登りマラソンで、
はあはあ言うが、とくかくリュックを背負って走る。

 自分ではひそかにこれを「バカトレ」
(バカなトレーニング)と呼んでいるが、
 よく考えてみると正気の沙汰ではない。

 とにもかくにも、バカトレ、座り打ち、
移動エッジで今日も明け暮れていくのである。

 きのうやったことの一部:PHP研究所の小山充
さんにお目にかかりました。6月にOxford大学
であるASSCのアブストラクトを書き進めました。
(自分のと、あと学生数人のやつ)
NHKに行って『プロフェッショナル』の打ち
合わせをしました。『プロフェッショナル』について
日本経済新聞の方にお話ししました。「角川句会」
の句をいくつか作りました。竹内薫の『99.9%
は仮説』の推薦コメントを書きました。NHK出版
から出るFace in the mirrorの翻訳本の推薦コメントを
書きました。締め切りが過ぎている「おいしさの恵み」
の原稿を書き進めました。締め切りがとっくに過ぎている
「風の旅人」の原稿を書き進めました。NHK出版
大場旦さん主催の、河野哲也さんの本の打ち上げに
行きました。前田英樹さんと話しました。
増田健史に、またもや日本の憲法学のふがいなさに
ついて突っかかってしまいました。
「ヨミウリ・ウィークリー」のゲラを修正しました。
国際高等研究所
「スキルの科学研究会」での講演のタイトルと
アブストラクトを送りました。

 あと他にもいろいろやっていたような
気がしますが、まっいいや。

3月 1, 2006 at 08:03 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)