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2006/03/27

[思考の補助線]10・登攀の一歩

月刊ちくま 2006年3月号
「思考の補助線」第10回 登攀の一歩

一部引用

 その意味では、脳内快楽がどんどん薄められているのが現代という時代なのだろう。基本的に快楽主義者である人間にとっては、これほど残念至極なことはないはずなのだが、ベストセラー万歳の批評性に欠けた態度が、大手を振ってまかり通っている。そんな中で、「知の偽装」「知の粉飾」が、顔だけは立派に装って流通している。
 いずれにせよ、売れるためには、できるだけ多くの人々の「共通項」を探し求めた方が良いという本能が、多くの書き手、編集者の脳裏を占めるようになった。内容が高度になればなるほど、専門的になればなるほど、「共通項」は失われることになる。そのような思惑の下で、「富士山の裾野」を追い求める動きが顕著になり、世界最高峰への登頂を目指して空気の薄い空間で力の限りを尽くす気力は失われていってしまった。
 しかし、考えてみよう。専門性のタコツボに立て籠もり、まるで「市役所の受付」(失礼! マジメに仕事をしている公務員の方々がいらっしゃることは存じておりますが、あくまでも比喩であります)のような弛緩した雰囲気をかもし出している大学人のことは置いておき、古今の成果に慣れ親しみ、脳の筋肉を鍛え、未だ人類が到達したことがない知のヴィスタを得んと苦闘している者にとって、「共通項」の立て方は、必ずしもどこまで続くかわからない「知のデフレ」の中に、誰でも理解できるような「裾野」に下っていくことばかりを意味するわけではあるまい。

全文は「ちくま」で。

http://www.chikumashobo.co.jp/w_chikuma.html  

3月 27, 2006 at 05:55 午前 |

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