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2006/02/11

現代、北九州

先日、週刊文春の対談で
阿川佐和子さんに
 「最大の挫折は、現代を生きなくちゃならない
ことでしょう」
と言った時、「そんなに話を広げられても・・」
とかわされてしまったが、
 あの言葉には真実があるなあと
思っている。

 私は、どうも現代という時代を特徴
づけるものが好きになれないところがある。

現代に適応して生きなくてはならない
ということを潔しとしないというか、
 心の底でいやだなあと思っている
ところがある。

 そのムリが普段少しづつ溜まっていたので、
あの時あんな言葉が出たのだろう。
 それまで、そのようなフレージングを
自分で考えたことはなく、まさにその場で
出た言葉だったのだが、
 「ああ、やっぱり」と自分でも
思ったのであった。

 それで、先日DVDでアバドが指揮している
『トリスタンとイゾルデ』の第二幕
(コンサート形式)を聴きながら
(時々ちらちら見ながら)仕事をしていたら、
もうダメである。

 普段感じている現代に対する違和感が
ばーっと吹き出してきてしまって、
 うわあ、参ったなあと思った。

 オレ、本当はこっちの方なんだけどな。

 他人から見れば、お前は十分現代に
適応しているじゃないかと見られる
ことはわかっている。
 まあ、お許しを。
 時々ぶつぶつ言いながら
一生懸命やっていくしかないでしょう。

 最近、いろいろなところで、
「モーツァルトは、現代人と同じような
忙しさ、断片的な時間の中であのような
完璧な作品を創造した」と言っているのであるが、
そこには、多分に、そうであって欲しい、
現代でもまともなものができるはずだ、
そこに希望を見出すしかない、
という
願望が含まれている。

 希望をもって現代を生きるなり。

 北九州教育研究会の先生方に
お呼びいただき、北九州に来た。
 
 母親の故郷である。
 空港の近くにはいまでもおじさんが
住んでいる。

 小学生の時、夏休み
の度にこのあたりに来て
山の森の中をさまよい歩いた幸せな記憶が
よみがえる。

 会場の八幡ロイヤルホテルに向かう
タクシーの中で、
 ふと、あの頃私を包んでいた
母をめぐる濃密な人間関係はもはや
存在しないのだなと思って、
 限りなく寂しく思った。

 時の流れは誰にも止められない。

 北九州市立門司中央小学校の
前川公一校長先生におめにかかる。

 教育研究会の会長をつとめて
いらっしゃる。

 1時間30分の講演。
 「脳と教育」というタイトルで。

 終了後、先生方と懇親会をもった。
 ご厚情に接し、大変うれしく思った。

 いつ来ても九州の酒と肴はうまい。

 懇談の際に出た話だが、
現場の算数や数学の先生は、
 百マス計算やドリルだけで
学力がつくとは思っていないそうだ。

 部分を全体と間違えてしまう
ということは、健全なプロフェッショナル
にはあり得ない。
 もちろん、トレーニングが
役に立つことは言うまでもないが、
 それで人間の知性の全てが語れるわけではない。

 「ゲーム脳」について聞かれたので、
あんなのは科学的evidenceは何も
ないですよ、
と言ったあとで、
 子どもにゲームばかりやるな、
と脅す言葉くらいとしては使えるんじゃ
ないですか、
 どうせ子どもはそんな話半分だけに聞いて、
ゲームをやり続けるでしょうから、
抑止力としては
いいんじゃないですか、
とお答えした。

 脳っていうのはさ、もっと
奥深く、おもしろいもんなんだよね。

 複雑な対象を単純に決めつける
ことをよしとする。
 それが現代。

 現代とつきあい過ぎると、
こっちの精神がおかしくなる。
 しかし、逃げるわけにもいかない。
 偶有性の海に飛び込んで、
闘うしかない。

 それに、
 大切なこと、わっと驚くような
ことはそう簡単には変わるわけ
ないんだから、
 本質を見つめて、努力するしか
ないんだろう。

 たとえば、意識と常温量子計算を結ぶ道。

 最後は人間を信じている。

2月 11, 2006 at 05:45 午前 |

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茂木健一郎氏の講演会に参加しました。 演題は「脳と教育」。 失礼ながら、茂木氏の [続きを読む]

受信: 2006/02/11 20:16:31

コメント

こんにちは。初めまして。
「Elan Vital エラン・ヴィタール」という言葉を調べていたら
このサイトにたどり着きました。

私は、熊本県の天草で
仲間達とともに
『もんしぇん』という映画(製作:シグロ、MK)を作ってきた者です。
映画はもうすぐ公開になる予定です。

またいつか、
ここにお邪魔するかもしれません。
今はいろんなことが未決定で
あまり詳しい情報をお伝え出来ないのです。

でも・・・なんだか楽しくなってきました。
yoomi


投稿: 玉井夕海 | 2006/03/16 15:14:33

 はーぁ、良かったぁ!この日の日記読まなかったら、いつにも増して、激しく宙ぶらりんになるところでした。うーん、良かった。
 「どうして分かってくれないんだよー!」合戦をした魂が、少しは救われそう。ああいうときに出るぐちゃぐちゃ感情の涙って、無駄なのかなあって思いつつ繰り返す魂も、少しは。
 そういう時間を持たせてもらえて、そうさせてくれる人達がいて・・・
 本当に・・・良かったんだよね、きっと。

投稿: | 2006/02/12 13:14:39

私も、最後は人間を信じています。

投稿: | 2006/02/12 10:03:56

「僕は自分を取り囲む世界をあまりにも信じられなくなるとき、映画を見に行きます。自分が実際に存在していることを思い出すためなのか、それとも存在していないという甘美なまでの確信で満たされるためなのでしょうか……」
とは来日した仏の映画監督アルノー・デプレシャンの言葉だそうです。現代とつきあうということは・・・やっかいなことです。

投稿: | 2006/02/11 22:52:33

「現代とつきあい過ぎると、
こっちの精神がおかしくなる。」

と、おっしゃられていたこと、
私も日々実感しています。
脳の活動も悪くなっているように感じます。
生命は、鋳型にはめようとすると萎縮してしまうものなのでしょうか。

ところで、茂木さんには、ぜひ現代のパルジファルになっていただきたい!と、
ご本人にはご迷惑でしょうが、期待を寄せております。
私の中では、今日の日記は、二幕で母の死とアンフォルタスの苦悩を知ったときの
パルジファルの絶叫と重なりました。
パルジファルは、エラン・ヴィタールなのかもしれませんね。

投稿: | 2006/02/11 12:58:10

そう、私も子どもには、
ゲームより友達と遊んで欲しいと思っています。
「他人と関わる」という楽しさ
(主観的な感情)は、
相手が誰でも同じ楽しさ ということは
無いとも思います。

だって、恋愛はこの人でなければ と
思うことでしょ?

できることなら、
年齢を重ねるとともに、
人付き合いの幅も、広がってほしいなぁ。

投稿: | 2006/02/11 12:52:56

その現代という特徴付けが生んだ象徴都市が「東京」なんでしょうね。定年生活後、久しぶりに「東京」に出て、雑踏、地下コンコース、巨大歩道橋などを歩いていて、かすかに息苦しさと不安を感じました。そして、これは、不安を内蔵するそのような高度資本主義都市の運行システムが私に照射してくるものに違いない、と思ったのです。しかし、このなかに入っていたときには、そうとは感じなかったんですから、怖ろしいですね。もうあらかじめ「挫折」させられた不自然のなかを生きてゆき、いのちを縮める以外ないのかな。

投稿: | 2006/02/11 10:52:50

「私は、どうも現代という時代を特徴付けるものが好きになれないところがある。――現代に適応して生きなくてはならないということを潔しとしないというか、心の底でいやだなあとおもっているところがある」

お気持ち、分かります。
自分もそういうところがあります。しかも常に
浮薄な現代を特徴付けるものたちに不満を感じております。

現代を特徴付けるもの―それは、
ITしかり、
「ヒルズ族」しかり、
「下流社会」しかり、
「勝ち組負け組」しかり、
「ゲーム脳」しかり、
「脳を鍛えるおとなのなんとかドリル」しかり、
…それこそ数え切れないくらい存在しているんですよね。

それらに対し、「こんちくしょうめ!そう簡単にあんな軽佻浮薄な風潮に、付和雷同してたまるか!」という思いを常に抱きつつ、日々を生きています。

このエントリーの中で茂木さんがモーツァルトの仕事振りを通して、こんな現代でもまともなものが出来る筈だ、そうであってほしいと希望を語られているのは、それはそのまま、私達現代に生きる者、とりわけ芸術を志向する者(といってもごく一部に過ぎないのですが)にとって共通の希望であるような気がします。

いまNINTENDO DSソフトで「脳年齢がわかる!」という触れこみで「脳を鍛えるおとなのDSトレーニング」なるものが出ているそうですが、あの手のゲームソフトなり、「ドリル」などをやって、脳の全てが鍛えられ、人生のすべてが変わった等と勘違いしている人がひょっとしたらたくさんいるのかなと思うと、現代という時代にますます疑義と嫌悪を感じざるを得なくなります。

人生なんてそんなもんじゃないよ!といいたくなります。ドリルよりも他者同士のコミュニケーションのほうが脳が鍛えられ、人生が変わる率が高いだろう、と叫んでみたくなります。

しかしやっぱり、そんな現代という“地”に足をつけて生きている以上、逃げるわけにはいかないですものね。というより、逃げられませんもの。

「複雑な対象を単純に決めつけることをよしとする、それが現代――現代とつきあいすぎるとこっちの精神がおかしくなる――しかし、逃げるわけにもいかない――偶有性の海に飛び込んで闘うしかない」

木を見て森を見ることしか出来ないような風潮、そして「自分さえよけりゃいい」「カネが人生の全て」などと嘯く今様の「魑魅魍魎」たちが大きな顔をして闊歩しているこの現代。

私達はそんな現代を生きるなかで、本質が何かを見極めつつ、偶有性の大海に飛びこんで
死ぬまで格闘しなければならないのでしょう。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/02/11 7:01:03

「脳っていうのはさ、もっと
奥深く、おもしろいもんなんだよね。」という先生のつぶやきが、

私の耳元まで、届いたような気がします・・・

以前にも書きましたが、
ウチの子は、「“記憶”のチカラ」という番組が気に入っているらしく
今夜、そのシリーズのⅢがあるとのことで

昨日から、「これ見るよ!!」と宣言しておりました。

以前の番組で、カレンダー記憶やサヴァン能力の方のことなどのことなど、
ほんとうに一生懸命見ておりました。
(おそらく、自分のことにつなげてみているようには見えませんでしたが
無意識的には、何か感じるものがあったのでしょうか?)

自分のことを、客観視する力は、どんなふうに形成されるのかしら・・・と
また、疑問がわいてきました。

そして、日々のあれこれが始まります。

『日々是好日』

というのは、如何でしょうか・・・

投稿: | 2006/02/11 6:57:44

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