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2006/02/04

生きる糧 

朝4時起きで火急の仕事を済ませ、
新幹線で京都へ。

 月刊「潮」の末松光城さんが隣りに座る。

 お話ししながらも、急ぎの仕事を
済ませる。
 それから、東京駅で求めた「いくら丼」
を食べたら、睡魔が襲って暗くなった。

 それで、名古屋駅停車の時にはっと
起きて、できあがりの仕事をメール送信。
 すでに締め切りを大幅に過ぎているなり。

 そこから京都まで、論文内容について
詳細かつディープに検討する。

 京都駅で写真家の太田順一さんと
合流。
 タクシーの中でも論文内容検討を続けて
いたら、いつの間にか河合隼雄さんのご自宅
兼クリニックの前に到着した。
 
 京都大学退官後はここで悠々自適、
のはずが、文化庁長官など引き受けてしまった
ものだから、そうも行かなくなってしまった。
 人生、どう転ぶかわかりませんわ、と河合さん。

 玄関を入ってすぐに面談室と箱庭室がある。
 面談室は椅子が二つ向かい合って並べられ、
 箱庭室には壁にぐるりと設われた棚に、
数千にも及ばんとするアイテムが置かれている。
 
 箱庭には大きさの規格があり、
その前に立って全部見渡せるようになっている
という。
 白い砂と、少しぬらした黒い砂がある。
 私は何となく黒い砂の方でやりたかったが、
 撮影の都合上、奥にある白の方にした。

 さて、と棚を経巡れば、何となくぱっと
目に飛び込んでくるアイテムがある。

 図体がでかいのに情けない顔をしたゴリラ。

 狡猾そうな極彩色の鶏。
 
 白砂のミニチュアの箱庭。

 踊らんとするようにくねった枯れ木の
枝にぶらさがった猿の群れ。

 「これは絶対に使おう」と思うものを配し、
一方に噴炎を上げる火山、他方にこんこんと
水わき出る泉を据え、 
 そこから異形の生物たちが対決を孕んで
にじり寄る。

 中央には無垢なる叡智と美を象徴する
水晶。

 水晶を挟んでフクロウと太陽と月、
そしてゴリラに率いられた猿たちが対峙する
という箱庭が出来上がった。

 野性の情念が支配する原始の世界。
 これが、私の心象風景か。

 一方、都市文明と言えば、フクロウの背中で
流水をわたる架橋の背後に、小さな石に描かれた
観念のtokenとしてかろうじて存在する
だけなのだ。

 河合先生は、極彩色のキノコに囲まれて
置かれた縮小箱庭、ゴリラの後ろの猿の群れ、
そして、泉の上に置かれ全体を睥睨するかのような
トリックスターの鶏を「はあ、面白いなあ」
と言われた。

 つまり、箱庭においては、ある程度意識的な
解釈に着地できるものではなく、無意識の中から
生まれてくる奇妙な象徴こそに力があり、
可能性があると言うのである。

 「箱庭を続ければ、これらのものが
どんどん成長して、大きくなってきますよ」
と河合さん。

 「クライアントにしてください」とお願いする。

 「いろんな人がいますわ。砂地を全部
とっちゃう人もいますしね。都市をつくって、
それから、「地震や」と言ってぱーっと
ぶちまけてしまう人もいるし。昨日みた
映画のシーンをつくりますわ、と逃げを
打ったところが、とんでもないもんが
出てきたりね。あまり残酷で見ていられない
時は、ストップしたりしますけどね。
 傑作なんは、ある精神病院の患者さんが、
こうやって二つ箱庭が並んでいるところで、
ホップ、ステップと箱庭指して、
ジャンプで窓の外を指したんですわ。
 その夜、その患者さん逃走されましたわ。」

 深刻でかつおもしろい。


私の箱庭を前にお話しされる河合隼雄さん

 応接間に移り、さらに話をうかがう。

 ユングのシンクロニシティは、
因果的な解釈をする人が多いけれども、
それは科学主義的な文脈に無理矢理
入れようとするからで、
 実際には、ちょうど私がさっき棚の中から
自分にとって意義深いと思われたものを
選び出したように、
 無意識が刻印を押すものに注意を向け、
それを人生に取り入れようとする認知
プロセスに他ならないと。

 そう言われれば、普段の生活の中で、
先ほどの箱庭のようなモードで頭を働かせる
ことはまず絶無と言わざるを得ず、
 河合さんの言われる、機能主義、情報主義に
基づく現代の精神生活の狭さに
嘆息せざるを得ないのであった。

 河合さんは、その表情や言葉のリズムが
長年のうちに完成されていて、
 そのお人柄に接すると、
 どうしても打ち明け話をしたくなる
触媒作用があるらしい。

 タクシーに乗り、河合隼雄とばれても
いないのに、
 運転手が「私もねえ、タクシーをやろうと
思っていたわけじゃあないんですよ」
と身の上話を始め、
 目的地をすっかり忘れてぜんぜん別の
場所に行ってしまったことも数度あるとのこと。

 その逆に、てっきり無名と思いこみ、
楽しく話し、意気投合して、
最後に「おもしろかったですねえ、河合先生」
と言われてぎょっとしたこともあるという。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、
再訪と研究プロジェクト立ち上げを約し
河合邸を辞す。

 忙中食の歓びあり。

 京都駅で和久傳の節分弁当の最後の一個を
入手できたのだが、
 これが信じられぬほど美味であった。
 「立春大吉」と書かれた箱に
収められ、
 ふっくらと炊きあげられた黒豆、
 こんがり焼かれたカラスミのスライス、
 焼き卵、ミョウガ、煮染めた椎茸、
仕事の行き届いた切り魚。

 すべてがまろやかでやわらかいクオリアに
包まれ、
 私は思わず心の中で「これで生きていける!」
と思った。
 味は記録しておけないのが残念である。


私を感涙させた和久傳の節分弁当

 論文検討、そして爆睡。

 東京駅着後、喫茶店で火急の仕事を
して(いそがなくちゃ、いそがなくっちゃ!)、
終わらせて朝日カルチャーセンターに
到着したのは開始10分前だった。

 「脳と漫画」第二回。
 漫画は、NANA第一巻をみんなで読んだ。
 
 「営業スマイル」のコマに爆笑。

 論文は、Social Networkのdynamicsについて。
triadic closureや、clustering coefficientの
時系列的変化。

 結論。人との出会いは、趣味や嗜好などの
共通属性によって決まるのではなく、
ドライなグラフ理論的幾何学ダイナミクスに
よって大枠は定められてしまっている。
 しかも、個人レベルではくっついた離れた
があったとしても、全体のグラフの構造は
驚くほど安定しているのだ。

 笑っちゃうしかないくらい次から次へと仕事に
追われる日常だが、
 河合先生の叡智とか、和久傳の心を込めた
仕事とか、
 そういうものに出会うと力をもらい、
生きていくことができる。

2月 4, 2006 at 11:30 午前 |

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チリ公使主賓の晩餐会が、 明治43年10月8日、 静岡の浮月楼においてひらかれたとき、 曾祖父河村宗平にとどいた招待状がのこされています。 明治期の産業史などを研究されている方々には たいへん興味深い資料とおもわれますので、 招待状の全文を 写真(きょうの�... [続きを読む]

受信: 2006/02/05 8:03:08

コメント

 私のクオリア日記への入り口は、“生きる糧”
 どんな研究プロジェクトだったのだろうか?
 と思う。

 今年度は、“間”の年にしたから、今は茂木さんに分けてあげたいくらい時間がたっぷりある。
 ぼんやり夢心地でいると、自分が考えていることなのか私が受ける茂木さんの印象なのか判らなくなってくるのだが、今の茂木さんは河合隼雄さんのような存在が必要なのではないかしら…。

 閑居して不善をなさないように気をつけま~す。

投稿: masami | 2009/04/27 12:12:48

箱庭の写真と、和久傳の節分弁当の写真が同じページに掲載されているのがなぜか笑えて楽しめました。

投稿: Mappy2 | 2008/06/13 4:01:40

河合先生のところで「箱庭」をされたなんて!!

もし、先生が直感的に惹かれた黒い砂のほうでなさっていたら

また違う、何かが表出していたかもしれませんね・・・

これから、きちんと心理学を学びたいと思っていますが

私が、心理への興味を意識したきっかけをお話しますね・・

大学を出て、就職した(今はもうないらしい)世田谷にあった国立小児病院のアレルギー検査室というところは

とてもユニークなところで

故飯倉洋二先生が、小児の喘息やアレルギー疾患の診療と研究をなさっていました。

そこでは、疾患における子どもへの心理的アプローチや親のフォローなどをする
心理の先生もいらして

本来は、分野が違いましたが
私自身の子どもへの関心や、自分自身の振り返りも重なって
興味は、そちらにカナリ傾いていきました。

その後、結婚して、少ししてから仕事をやめて今に至っていますが

その当時、子どもに箱庭療法をしているのを知って
とても不思議で面白いものに感じていました・・・

河合先生のかもし出す「カウンセリングマインド」のようなものに

触れられた茂木先生の心地よさを

なんとなく感じてしまうのは、私だけでしょうか・・・?


投稿: TOMOはは | 2006/02/06 7:57:18

箱庭の写真を見ました。白砂に極彩色の鶏や黒いゴリラ、サルのぶら下がった木、太陽、ふくろうなどが、無垢の魂と叡智の象徴たる水晶を囲んでいる。他方に活火山と泉があり、それが野性的な荒々しさとプリミティヴなムードを醸している。

まさに凄まじいパワーを感じる。

そうか、茂木さんの心の中には、常に激しく荒々しい野性の命がぐるぐると渦巻いているのか。

茂木さんの内面にある知的なものの中には常に「野性」の魂が秘められているんだな。
(勝手な感想ですみません…。)

普段から現代社会の機能主義、情報主義に基づく精神生活の中で、“窒息”しそうになっている私達の中にも、その「野性」の魂がぐるぐると渦巻いているのかもしれません。

自分自身も茂木さんのこのブログや、雑誌連載、お出になっているTV番組その他もろもろを
「受信」して毎日の生活の糧にしているのだが、「発信」している当のご本人は受信側の我々が想像している以上に激務をこなされている。

そんななか、ほぼ毎日このブログを発信されているのには、正直言って頭が下がる。

茂木さんが、一日も早くここ何ヶ月かの激務から解放されて、ご自分の思うが侭に、御研究に没頭される時間をお持ちになれる日がくることを、老婆心ながら願わずには居れない。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/02/05 10:21:48

私が毎日、どこかで茂木さんの発したものにアプローチできるのも、茂木さんが労を惜しむ事なく、様々な立場の人々に対して発信されているからだと思います。
おかげで私はきっと少し変わったし、いろんな世界の広がりを感じるようになりました。
茂木さんのおっしゃっていることを、今自分にしっかり取り入れておかないと!と必死なのですが、次から次へと記事、文章、テレビ、講演等で、キャッチするだけでもなかなか大変なもんです。本やブログを読むと知りたいことも膨大にふえて、「ちょっと待ってー」という気持ちになります(笑)

となると、当の発信されてるほうは、それこそほんとにとてつもない目まぐるしさなんだろうなと思います。きっと想像を遥かに超えて。

様々なお考えがあるのだと思いますが、茂木さんの、”スペース”を作るという姿勢に私は賛成します。いろんな場に出て行く機会は減るかもしれないけど、大切なものとゆっくり向き合うことによって茂木さんの中から出てくるものも、また知りたいと思うからです。


プロフェッショナルの流儀、毎回興味深く拝見させていただいてます。
番組HPのキャスターコラムなんかを見ると、放送されていた以外にも、いろいろお話があったんだな、と少しうらめしい気持ちになります(笑)
どの方も、自分という存在を透明化し、すべきことに従事されているところに、世の中に対する愛情を感じて、ほんとにすごいことだなぁ、と、自分をふりかえっては反省しています。
おもしろいのは、するどい、それでいてハッとするような本質的な疑問を投げかける茂木さんと、深い洞察力にもかかわらず、目の前の人物に興味津々な、ミーハーな女子高生みたいな住吉さんの対比です(笑)。
お二人のバランスも、番組の魅力だなーと感じています。

投稿: 西永 昌代 | 2006/02/05 1:00:08

茂木先生
プロフェッショナル仕事の流儀と、
このブログは欠かさず見ています。

つい和久傳さんの名前が目に入ったので
コメント書かずにいられなかったです。

本当に和久傳さんのお弁当は
丁寧で美しさがあって、かつ
おいしいですよね。
和久傳さんをもっと多くの人に
知っていただきたいです。

関東から故郷京都を思いだせていただきました。

投稿: KD | 2006/02/04 15:55:04

茂木先生の 作り出した箱庭 力強いパワーですね。私も箱庭に興味があって勉強したい!と思いつつ なかなか。。。という状態です。しかし 箱庭に限らず無意識の「行動
選択」には何らかしらの ヒントが隠されていることは事実であって 立ち止まり意識することが時に「近道」であったりもするのかもしれないのですね。
余談ですが 昔 夢でディズニーアニメの女神のような女性の声で「未来より過去を見つめなさい」って
ささやかれた事を 時々思い出すんです。
なんだかもっと「無心で戯れ」たくなりました。

子供の頃 無心で遊んだりすることは
「魂」と戯れる 大切な大切な時空間なのだろうと感じます。

昨日 病院の待合室で「3Dアート」の本をちらっと見たのですが 「立体視」について書いてあり 気になりました。
隠れているもの 埋もれているものを 「透視」
する能力が人間にはもっと備わっているのですよね 特別な「クオリア」として 妙に気になったりするときも そんな「見えないもの」を感じているのかも。。。
なんて素人考えで(すみません) 思い巡らしました。


投稿: ROSE | 2006/02/04 12:34:10

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