ぼーん、ぼーん、ぼーん。
東京学芸大学付属高校に、
中村穎司という現代国語の先生がいた。
高校一年の時の
中村先生の現代国語の授業は
強烈なインパクトのあるものだった。
教科書はほとんど使わず、
プリントを配る。
そこには、「なんじゃ、こりゃあ」
というような難解かつディープな
文章が並んでおり、
それを素材に、強度の高い思考が
展開されるのだった。
極めつきは、プリントを読みながら、
時々現れる空欄に「穴埋め」をする
演習で、
教室の端から順番に読んでいく。
自分の番が近づくと、緊張が高まり、
他の人が答える時もドキドキして、
気を抜く暇がなかった。
とにかくきわめてユニークな授業で、
あんな濃密な時間の流れは、その後も
まず経験したことがない。
大学に入って受けた授業は、むしろ
「ぬるい」と感じたほどだった。
その中村穎司先生のお宅に伺いましょう、
と朝日新聞の井原圭子さんに誘われて、
新越谷の駅に立った。
井原さんは、27期。私は25期だから、
2年後輩である。
中村先生のお宅はタクシーで10分くらいの
ところにあると言う。
書画骨董のコレクションを見せていただく、
というので、旧家なのだろうとは思っていたが、
タクシーのフロントグラスの向こうに
現れた邸宅のあまりの立派さに絶句。
中村先生は、雨の中、傘を持って待って
いてくださった。
25年ぶりの再会である。
夕飯をいただくのに、午後1時にうかがう
ということは、かなりゆったり見せて
いただけるのかなあ、というくらいに
ぼんやりと考えていたが、さにあらず。
極めて綿密に準備されたプリント類
(vintage エイシ!)を用いて、
1分の隙間もない「講義計画」
が準備されていたのだった。
お茶を飲んで、「それでは」と始まった
レクチャーは、中村家27代(900年!)
の歴史から始まり、狩野派の奥絵師、表絵師、
伊藤仁斎の「至聖」の哲学、江戸時代の水運、
書画の修復、書のバランス、etc. etc.と
息つく間もなく続いていったのだった。
主要な事項は
立派にプリントされてプラスティックケースに
入れられており、
それを中村エイシ先生はほらこれ、
と見せながら説明する。
流ちょうな筆でキーワードが書かれた
紙片もひょいひょいと繰り出され、
とてつもない情報量がばーっと
襲いかかってきた。
チョコレート工場を案内する
ウィリー・ウォンカもかくや!
と詠嘆した。
次から次へと部屋を回っていったが、
どの部屋もあらかじめ暖房されていて、
お心遣いが有り難かった。
それでも、廊下はしんしんと冷え、そこに立って
中村先生のレクチャーをうかがっていると、
遠い日に冬の学校の体育館で足からじんと
冷気が伝わってきた思い出などよみがえってきて、
身体の芯からプリミティヴな情動が
立ち上がってくるのだった。
時折、柱時計がぼーん、ぼーんと鳴って、
それで、30分が経過したということがわかる。
大相模という名字の由来は・・・・・・・・
・・・・・・・
ぼーん、ぼーん、ぼーん。
それでは、こっちに来てください。スリッパを
履いた方がいいでしょう・・・・・・・・・
ぼーん、ぼーん、ぼーん
藤原というのは、狩野派の絵師の名字に案外
多いんですよ。立派な名ですけどね、それを、
最近の若い骨董屋の中には知らないのがいて・・・・
ぼーん、ぼーん、ぼーん
何回か柱時計が響いて、気づくと午後5時を
回っていた。
掘りごたつでお酒を飲み、ご馳走になる。
付属高校の話がいろいろ出る。
先生方のヒューマン・ファクターに
接し、
ああ、そうだったのか、と合点がいく。
自分の過去を振り返り、「ああ、そうだったのか」
と理解が進むというのは「24人のビリーミリガン」
で見事に駆使された手法である。
人は、自分の過去を理解することで、
さらに未来に進むことができる。
中村先生宅を辞して、
井原さんと別れ、一人がらんとした電車に
乗っていると、時の流れというものが
とてもフシギに思えた。
何も起こらないようでいて、実はゆったりと
ひそかに全てが起こっているのだ。
それで、時々人生の柱時計が
ぼーん、ぼーん、ぼーんと鳴って、
はっと我にかえるのである。
2月 27, 2006 at 07:45 午前 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: ぼーん、ぼーん、ぼーん。:
» 思い出せない記憶 トラックバック ukiki01_blog
●茂木健一郎『脳と仮想』(新潮社)
押し付けがましくないところが、いいと思えるのかもしれない。
私はこの人の文章(まだ、この1冊しか読んでいないのだけど)が好きだ。
非常に明快でよく整理された歯切れのよさと、非常に繊細な情緒の豊かさが同居している....... [続きを読む]
受信: 2006/02/27 11:54:58
» 今夜は「プロフェッショナル」 トラックバック 御林守河村家を守る会
我らが茂木健一郎先生が、
今夜も時代の旗手たちに、
鋭い純粋質問を放ちます!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
プロフェッショナル 仕事の流儀
NHK総合
2006年2月28日(火)21:1521:58
第7回 鳥インフルエンザ... [続きを読む]
受信: 2006/02/28 5:56:23
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
なるほど!
私が知りたかった、茂木先生と小林秀雄氏との接点が
ここにあったのでしょうか?
すばらしい先生との出会いは、
そのときは、気づかないで過ぎてしまうかもしれませんが
そのひとの中に、確実に大きな種(または栄養)を残していると
私は、最近、確信に近いものを感じています。
だからこそ、教師というのは
意識的に、もしくは無意識的にも大きな影響力を持つお仕事だと思います。
期待をこめて、タイヘンなお仕事ではありますが
先生方に、熱いエールを送ります!!
P.S. いちご さま (ほかの皆様も)
応援ありがとうございます!!
ぽちぽち、はじめています。
こちらに少し自信がついたら、ぜひいらしてくださいね。
投稿: TOMOはは | 2006/02/28 7:18:20
はじめまして、茂木さん。私は茂木さんの卒業と同時に入学した28期の者です。
昨年から茂木さんの著書を5,6冊読んでいるのですが、小林秀雄と附属高校ということでずっと、中村穎司先生が必ず関与しているのだろうと思っていました。が、やはり授業をうけていたのですね。私も1年の時にプリント責めに遭いましたが、残念ながら私の能力では授業を楽しむには至らず、”小林秀雄=難解”という固定観念ばかりが染み付いてしまっていました。最近になってようやく興味が持てるようになったので、高校時代が悔やまれます。
最初の授業の質問はいまでも憶えています。”現代の国語とはなんですか?”
席順に、確か5,6番目だった私のところまで同じ質問が続きました。100枚を超えるプリントは貴重な思い出です。
投稿: 城 | 2006/02/28 7:00:09
ほんとうに、そうですね・・・
植物を育てていると、お花の咲く時期を、思い描きながら
寒いこの時期には、これ~、もう少したったらあれ~と
先を見通して、手立てをしていくんですよね。
子育ても、そんな余裕をもてるといいのでしょうね・・・
この現代というなかなか先の見えない時代だからこそ
たしかな展望や明るい未来予想図を思い描くことができるような
確かさについつい頼りたくなってしまいします。
茂木先生がおっしゃっていましたが
わからないこと対して、不安ではなく、“悦びを感じることのできる脳”に
どうしたらなれるのか?
この課題がクリアできると、大いなるAha!!が訪れるのかもしれません・・・
投稿: TOMOはは | 2006/02/28 6:22:06
「自分の過去」を知ること。
過ぎていった時間に刻まれたメッセージを丁寧に拾っていくとこが 未来に力を与えていくことにもなるのですね。
>何も起こらないようでいて、実はゆったりと
ひそかに全てが起こっているのだ。
この言葉。しみじみ受け止めてしまいました。
茂木先生のお言葉 皆さんのお言葉
拝見できるのを励みにしてます。
茂木先生のブログ 時々「クスッ」と
時々「しんみり」 時々「シビアな現実」
本当にいつも目から鱗です。いろいろ学ばなくては。。。と反省しつつ
気付けば 心のよりどころ 状態です。
今日は時間が出来たので 大好きなバラの手入れをしました。寒い時期に再度剪定(ちょっと遅れ気味でしたが)栄養を与えておくことが重要。(何も起こらないように見える時間ですが)
5月に沢山花を咲かせてくれるよう願いがら。。。心を込めて
今晩の「プロフェッショナル」も是非 観なくては!!
投稿: ROSE | 2006/02/28 2:32:01
今日のブログを拝見し
茂木先生が昨日過ごされた時間は
高校時代に戻られたような時を
過ごされたように感じました。
ぼーん・ぼーん・ぼーんと柱時計の音が
学校のチャイムのようですね。
私にも 鮮明に記憶に残っていて
忘れる事のできない恩師がいます。
私が当時学生の時 頂いた葉書
葉書の色は変わってしまいましたが
私にとっては とても大切なもの
今でも 年に何度か読むと
ぽろっ ぽろっっと 涙が無意識に
でてきます。
なんだか 葉書を下さった先生に会いたいなって気持ちになる
茂木先生のブログでした・・・。
先日茂木先生が ブログで礼儀正しくと書かれていたのが
ふと よぎりました。
>銀鏡反応さま
こんばんは
3月1日 公開対談おでかけになるんですね
私は 北海道なのでいけませんが
クオリアカフェで お帰りお待ちしていますね。
>TOMOははさま
こんばんは
ブログ挑戦頑張ってくださいね。
茂木先生のブログによる出会いに感謝!
投稿: いちご | 2006/02/27 21:21:07
銀鏡反応さま ありがとうございます。
ぼちぼち始めるつもりですが、ここで宣言してしまったので
気負わず覚悟をきめて、トライします。
お知らせできるような体裁が整いましたら
ぜひ、いらしてくださいませ!
それにしても、茂木先生のブログをお借りして
いろいろな方ともお知り合いになれた気がして、とてもうれしいです!!
ほんとうに、ありがとうございます!!
投稿: TOMOはは | 2006/02/27 20:05:30
「人は、自分の過去を理解することで、さらに未来に進むことが出来る」
私も茂木さんの言葉をちいさなおのれのあたまの中で繰り返し、反芻している。
今まで出会った人々、
たとえば、このエントリーで紹介されていた、茂木さんの高校時代の恩師・中村先生のような学校時代に出会ったユニークな教師、
小学校から高校に至るまで出会った友人知人を含むクラスメイト、
会社で出会った上司や同僚そして部下、その他TVや講演などで出会った高名なる人々、
その他、今まで歩いた街並やいろんなスポット、人生の上で起こったさまざまな出来事、エトセトラ、エトセトラ…。
このように過去に出会った諸々の人々や事物の記憶といった「過去」の記憶をどのように「理解」するかで、自分個人の未来の道程が変わっていくのではないか、と思う。
私事で申し訳ないが、自分の過去をこの場をお借りして確認してみる。
自分の保育園時代の保育士の先生方、藤岡先生、駒田先生といった方々。
これらの先生方は、自分が「自閉症」(と、当時は診断されていた)の為に入学を一年遅らせてまで私をよい人間に育てようとされていたようだ。いずれの方々も私の幼少時代の恩師であられる。
また自閉症と診断された私の能力を開発しようと、暖かい姿勢で私と向き合ってくださった
幼少時代の最大の恩師であられる、
愛育病院の星 美智子先生。
残念乍ら、星先生は、1991年ごろだったか、病気で亡くなられた…。
以来、私はいつも、星先生の冥福を毎日祈っている。
その他、小学校1~2年の時の担任だった竹下先生や、5~6年の時の担任だった飛田先生…。その他、中学時代の恩師、高校時代の恩師…。
家族や親類、近所の方々などを含めると、いかに数え切れないほどの人々に、自分が出会い、また、お世話になってきたかが思い起こされる。
そして今もこうして茂木さんや、コラムニストの天野祐吉さん、この「クオリア日記」にコメントを書きこんでいる沢山の善人さんたちとネットやリアル世界の講演などを通じて出会い、いろいろと感銘を受けている自分がいる。
これらの方々との出会いや触れ合いを大切にしてゆきたい。そして、これらの出会いが時の流れと共に、全て過去の記憶として、自分の脳にあたかも大切な宝石の如く秘められた時、その記憶を自分なりに理解し、未来を切り開いてゆきたいと思う。
今回はこんなまた長いコメントになってしまい大変恐縮しています。何卒お許し下さいませ。
追伸
>TOMOはは様
ブログに挑戦為さるのですか。おお~。
私も拝見出来るのを楽しみにしています。
頑張って下さいね!
投稿: 銀鏡反応 | 2006/02/27 18:45:51
「人は、自分の過去を理解することで、
さらに未来に進むことができる。」
茂木先生のことばを、何度も心の中でころがしてみました・・・
きっと、人の生きることの真理を物語っているのでしょうね・・・
いまの自分を作り上げてきたのは
いろいろな人―親や先生や友達etc―との出会いと
さまざまな出来事や本や芸術から受けた生き生きとした体験に基づく経験(=記憶?)なのでしょうね・・・
(いろいろお話したいこともありますが)
今日は、PCの先生が出張してくださって、いよいよブログに挑戦です!
たいていの皆様は、ご自分で諸設定をしながら、なさっているのでしょうが
この際、余計な時間と労力を使わずに、早く始めたいと思っております。
タイトルやコンセプト(というほど大げさなものでもないのですが)をつらつら考えておりました。
ちょうど思いついたのが
いままでに自分の出会った面白いもの・ことやお気に入りをご紹介すること
日々の暮らしのなかで感じた子どものこと、季節のうつろい、人々の営みのスケッチのようなこと
未来に向けた、ささやかだけど、どうしても伝えたいメッセージ などでしょうか?
元来、不器用で、一度にいくつものことができないタイプなので、どこまでできるかわかりませんが
やりたいことのリストが、いっぱいあることは、
生きる気力の源になるような気がいたします。
ひょっとして、老若男女のみなさまに共通の
“元気になるコツ”が隠されているのかもしれませんね・・・
投稿: TOMOはは | 2006/02/27 9:30:11
時は、流れています・・・。
自分の目で見えていることも、心でみえていることも刻々と変わっているのですね。
どんなに美味しいお料理でも、煮詰めてしまえば味が変わってしまいます。
いまここで、最上のお料理を出せるよう心がけたいと念じます。
投稿: おぐら | 2006/02/27 8:30:51