『脳の中の人生』5刷
中央公論新社
『脳の中の人生』は
増刷(5刷、累計38000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 28, 2006 at 11:27 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
中央公論新社
『脳の中の人生』は
増刷(5刷、累計38000部)
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プロフェッショナル 仕事の流儀 第7回
鳥インフルエンザを封じ込めろ〜WHO 医師・進藤奈邦子〜
NHK総合
2006年2月28日(火)21:15〜21:58
世界の感染爆発を食い止める、WHOのメディカルオフィサー、医師・進藤奈邦子(42歳)。世界中で起こる鳥インフルエンザの最前線に立つ。進藤は、鳥インフルエンザの発生の知らせを聞くと、世界中、どんな場所でも駆けつける。自らの命を危険にさらしながら、感染ルートの確認や、隔離病棟の設置にあたりガイドラインを作成する。二児の母親でもある進藤は、子供たちが危険な仕事に立ち向かう力の源だと言う。この冬、鳥インフルエンザの感染爆発を食い止めるために、現場で戦う、進藤の仕事に密着する。
2月 28, 2006 at 08:55 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (7)
Esquireの児島麻里子さん、ライターの
高木教雄さんが取材でいらっしゃる。
キュレーターとしてデザインを
永久展示するとしたら、どんなものを選ぶか、
というテーマ。
「深いクオリア」をモティーフに、
何点か選んだ。
思い切り関係のないものの間に
補助線を引く、というようなポップな
飛ばし方をしようと思ったのだけれども、
「買えるものじゃないとダメ」
ということで、比較的穏便に。
某プロジェクトに関するブレスト。
かなりイイカンジに仕上がってきた。
タクシーで、島田雅彦との
対談原稿を直しながら移動。
ふたりともかなりカゲキになっている。
しかし、おっもしろい。
平成のトリックスターとトリックムーンを
襲名しようか。
電通の佐々木厚さん
主催の研究会。
終了後、新橋でビールを飲んでいると、
「おしらさま哲学者」塩谷賢が来た。
塩谷とは、18歳の時に駒場で出会って
以来の仲である。
「神武以来の」という大時代的な
表現を使いたくなるくらいの才能に
恵まれているが、
いかんせん、実際的ではない。
論文も書かないし、学位もとらない。
しかし、日本哲学界で知らないものはない。
今でも無職であるが、まあ、それは
塩谷の本質とは関係ない。
みんな、「おしらさまだ」と崇め奉って
いる。
塩谷がくると、やっかいな議論をふっかけて来るので、
面倒なのだが、一方では、考える材料を与えて
くれるわけだから、
とても貴重な友人なのである。
久しぶりだなあ、と乾杯してから、
メンチカツを食べろ、とすすめても「いや、
オレはいいよ」と言うから、下腹部を見たら
ぷくりと前より出っ張っている。
120か、と聞いたら、いやあ、なに、115
だよ、という。
でも、別にダイエットをしているわけでは
ないらしい。
本当にまんぷくのようだった。
おしらさまは、思想界の現状にご不快のようで
あった。
以前は初刷りで3000部を刷っていた
哲学書が、最近は700部だという。
それはチューリングマシンのせいじゃないか、
とオレは言った。
デジタル・コンピュータの「外」を見るのは
とても大変だ。
ましてやネットワークにつながれば、
その上で無限の遊戯をすることができる。
計算可能性とか、数学基礎論は、
現実にとってはアカデミックな
(象牙の塔の中でノミのペアがワルツを踊って
いるような)関心にとどまっている。
だって、ふるまいとしては、FAPP
(for all practical purposes)の限りにおいて、
デジタルコンピュータとそう違うものを、
どうせ作れそうもないから。
むろん、人間の脳はコンピュータとはふるまいが
違うが、
だからこそ、一人称を生きることが大事だという
ことになってしまう。
行動し、体験するときに、意識の中の
クオリアというインフラストラクチャーが
あるわけだから、
チューリングマシンに寄り添って動いて
いても、
現象学的事実において、我々はそれを
超えている。
だから、それでいいんだ、という
考え方もある。
そんなことを塩谷に話しているうちに、
ここの数年の自分が分析できていくような
気がした。
塩谷のことを「おしらさま」という
名前で呼ぶことを思いついたのは、
「千と千尋の神隠し」を見ていた
時だが、ある時、思い立って
「おしら様神社」
を建立したら、
いつの間にか、「境内」にある
おしら様神社 御祈願掲示板
が祈願が絶えない場所になっていて、
驚いている。
ああ、ありがたや、神武以来のおしら様。
今朝は久しぶりにお参りをしてまいりました。
2月 28, 2006 at 08:48 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
『TALK dictionary 天野祐吉?茂木健一郎』
2005年3月1日(水)
18:00〜20:00 (17:45開場/入場無料)
@アップルストア銀座 3Fシアター
東京都中央区銀座3-5-12 サヱグサビル本館
(松屋銀座向かい)
2月 27, 2006 at 07:49 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
東京学芸大学付属高校に、
中村穎司という現代国語の先生がいた。
高校一年の時の
中村先生の現代国語の授業は
強烈なインパクトのあるものだった。
教科書はほとんど使わず、
プリントを配る。
そこには、「なんじゃ、こりゃあ」
というような難解かつディープな
文章が並んでおり、
それを素材に、強度の高い思考が
展開されるのだった。
極めつきは、プリントを読みながら、
時々現れる空欄に「穴埋め」をする
演習で、
教室の端から順番に読んでいく。
自分の番が近づくと、緊張が高まり、
他の人が答える時もドキドキして、
気を抜く暇がなかった。
とにかくきわめてユニークな授業で、
あんな濃密な時間の流れは、その後も
まず経験したことがない。
大学に入って受けた授業は、むしろ
「ぬるい」と感じたほどだった。
その中村穎司先生のお宅に伺いましょう、
と朝日新聞の井原圭子さんに誘われて、
新越谷の駅に立った。
井原さんは、27期。私は25期だから、
2年後輩である。
中村先生のお宅はタクシーで10分くらいの
ところにあると言う。
書画骨董のコレクションを見せていただく、
というので、旧家なのだろうとは思っていたが、
タクシーのフロントグラスの向こうに
現れた邸宅のあまりの立派さに絶句。
中村先生は、雨の中、傘を持って待って
いてくださった。
25年ぶりの再会である。
夕飯をいただくのに、午後1時にうかがう
ということは、かなりゆったり見せて
いただけるのかなあ、というくらいに
ぼんやりと考えていたが、さにあらず。
極めて綿密に準備されたプリント類
(vintage エイシ!)を用いて、
1分の隙間もない「講義計画」
が準備されていたのだった。
お茶を飲んで、「それでは」と始まった
レクチャーは、中村家27代(900年!)
の歴史から始まり、狩野派の奥絵師、表絵師、
伊藤仁斎の「至聖」の哲学、江戸時代の水運、
書画の修復、書のバランス、etc. etc.と
息つく間もなく続いていったのだった。
主要な事項は
立派にプリントされてプラスティックケースに
入れられており、
それを中村エイシ先生はほらこれ、
と見せながら説明する。
流ちょうな筆でキーワードが書かれた
紙片もひょいひょいと繰り出され、
とてつもない情報量がばーっと
襲いかかってきた。
チョコレート工場を案内する
ウィリー・ウォンカもかくや!
と詠嘆した。
次から次へと部屋を回っていったが、
どの部屋もあらかじめ暖房されていて、
お心遣いが有り難かった。
それでも、廊下はしんしんと冷え、そこに立って
中村先生のレクチャーをうかがっていると、
遠い日に冬の学校の体育館で足からじんと
冷気が伝わってきた思い出などよみがえってきて、
身体の芯からプリミティヴな情動が
立ち上がってくるのだった。
時折、柱時計がぼーん、ぼーんと鳴って、
それで、30分が経過したということがわかる。
大相模という名字の由来は・・・・・・・・
・・・・・・・
ぼーん、ぼーん、ぼーん。
それでは、こっちに来てください。スリッパを
履いた方がいいでしょう・・・・・・・・・
ぼーん、ぼーん、ぼーん
藤原というのは、狩野派の絵師の名字に案外
多いんですよ。立派な名ですけどね、それを、
最近の若い骨董屋の中には知らないのがいて・・・・
ぼーん、ぼーん、ぼーん
何回か柱時計が響いて、気づくと午後5時を
回っていた。
掘りごたつでお酒を飲み、ご馳走になる。
付属高校の話がいろいろ出る。
先生方のヒューマン・ファクターに
接し、
ああ、そうだったのか、と合点がいく。
自分の過去を振り返り、「ああ、そうだったのか」
と理解が進むというのは「24人のビリーミリガン」
で見事に駆使された手法である。
人は、自分の過去を理解することで、
さらに未来に進むことができる。
中村先生宅を辞して、
井原さんと別れ、一人がらんとした電車に
乗っていると、時の流れというものが
とてもフシギに思えた。
何も起こらないようでいて、実はゆったりと
ひそかに全てが起こっているのだ。
それで、時々人生の柱時計が
ぼーん、ぼーん、ぼーんと鳴って、
はっと我にかえるのである。
2月 27, 2006 at 07:45 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (2)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年3月12日号
(2006年2月27日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第92回
正義の味方は、なぜ男なのか
一部引用
側座核は、脳の中でよろこびを感じる際に活動する部位である。「卑怯なやつには少し痛みを与えて復讐だ」とばかり、脳が満足感を覚えているらしいのである。一方、女性の脳では、相手がたとえ卑怯な人間でも、その痛みに対する共感を支える回路の活動は低下しなかった。
このような差が何を意味するのかその解釈は慎重に考えなければならない。安易な男女差の決めつけは「悪」だからである。
それにしても、男性はひょっとすると正義の味方になるべく自然に運命付けられているのかもしれない。復讐の行きすぎは良くないが、世の男性諸子は、世のため人のため、一つ立ち上がってみてはどうか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
2月 26, 2006 at 09:23 午後 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (2)
春日部中央公民館でお話しする。
小学校や中学校の時の同級生や、
家庭教師をやっていたやつらが
来ているので、
やりにくい。
整理券が数分でなくなったと聞いて
いたので、おそろしいことだと
思っていた。
講演終了後、一生懸命
サインしていたら、いつの間にか
1時間経っていた。
おかげで、「フラワーピッグ」
の新種が出来た。
公民館近くの
「山の月」で懇親会。
中学校の時の同級生の
てらかど、ちばばっち、はぎばっち、
もりいずみ、いけだが来る。
それに、カテキョウの教え子の
黒坂正則、鈴木努も。
ビビーとか、テイーチャーヨシダとか、
ぴくぴくガンジーとか、昔先生につけた
あだ名が飛び交う。
ひどいものである。
もっとまともな中学生だったら
良かった。
反省。
祭りの御輿がある集会場の
ような所に移動。
ちばばっちが子どもたちに
舞踊を教えているのを見ながら、
黒坂、鈴木の攻撃をかわしつつ
仕事をする。
君たち、僕が一生懸命教えて
高校に入れたのだから、
もう少し礼儀正しくにしなさい!
近所のカラオケへ。
努と双子の片割れ、修も来る。
かなり一生懸命歌っていたら、
今朝ズボンのおしりが大きく破けている
ことに気づいた。
いつ破けたのだろう。講演会の
時にはすでにそうなっていたのではないことを
祈る。
「もぎさんもやる時はやるんですね」
と修に言われたことくらいでは、
破れたY'sは浮かばれない。
今日は高校の恩師宅にうかがうので、
急遽父親のズボンを借りる。
似合わないような気もするが、仕方がない。
よい子の皆さんは、
カラオケを歌いながら、飛び跳ねたり、
床に寝ころんだりするのはやめましょう。
2月 26, 2006 at 12:03 午後 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (0)
使っている携帯がおかしくなって、
着信はできても通話ができない症状が
現れたので、
ちょうど良い! と、
24日発売の佐藤可士和さんの
FOMAを買った。
赤いやつである。
機種変更をしている間に、
京王プラザホテルで仕事。
NHK。「視点・論点」の収録。
「神経経済学」の話をする。
解説委員の舘野茂樹さんが、
「脳と買い物」という名前を付けて
くださったので、
なるほどと、ちょっと工夫して
日常的な事例から
神経経済学の説明をした。
放送は、2006年3月3日の予定。
研究所へ。
DHCの奥田佳奈子さん、坂元こずえさんが
御来所。
浜田マキ子さんのご紹介で、
美しいものに包まれることが人間に
及ぼす感化作用について。
脳研究グループのゼミ。
星野英一くんが担当。
少し考えるところあり、
「学習信号」の出し方を変える。
最近ずっと考えている「批評性」にも
関係することなり。
ひさしぶりに五反田の「あさり」
で研究室の飲み会。
ホンダに就職しているOBの長島久幸
くん(ながしまん)も遊びにきた。
外は雨。飲み会が始まっても
まだ仕事が終わらず、一人テーブルで
やっている私をばかだなあと笑っている。
ひとまず片付けて顔を上げ、
心おきなくビールを飲めるようになった
時には、
みんなご機嫌だった。
ながしまん一人がくるだけで、
大分雰囲気が変わる。
2月 25, 2006 at 05:10 午後 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
収録の最中に、腹をかかえて笑い出しそうに
なったのは、初めてだった。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の第八回のゲスト、
左官の挟土秀平さん。
圧倒的に話がうまくて、
途中で壁土塗りを実演したり、
そのためにセットを組み直したり
と面倒な手続きが必要だったのに、
とてもスムーズに収録が進んだ。
終わったあと、有吉伸人チーフプロデューサーが、
「さん、挟土タレントになれますよ。事務所
紹介しましょうか」
とつぶやいたほどだった。
挟土さんは自ら山に入り、土を
採取、それをそのままつかって壁を
つくる。
壁土は温度や湿度などの環境因子
に影響される「生きもの」で、
どんなに熟練した職人でも、
失敗する確率を0にすることは
できないという。
だからこそ、挟土さんは自分は
とても「臆病」だというのだが、
その「臆病」をうまく使いこなせた
からこそ今日の挟土さんがあるのだろう。
その「臆病」の内容が
私の笑いのツボに入ってしまった。
朝、現場に行く前に、職人仲間たちと
「オレたち、今日、絶対失敗するよな」
「ひどいことになるんじゃないか」
「うまく行かないんじゃないか」
などと、暗い表情で話し合うというのである。
しかも、取材したディレクターの大坪さんに
よると、
挟土さんが「どう思う?」
と話しかけても、みんなくらーく下を
向いて口を聞かないのだという。
そのくせ、引っ込み思案かというと、
そうではなく、
臆病を上回る勇気がある。
だから、難しい壁土の仕事にも
果敢にチャレンジしていくわけだけれども。
そんなことをぼそりぼそりと
喋る挟土さんの雰囲気が、誰かに似ているなあ、
と考えていて、わかった。
神戸大学の郡司ペギオ幸夫に似ている。
郡司も、よく「ああ、オレはもう駄目だぁ」
と言いながら、実は案外明るく暮らしている。
大胆な臆病も共通か。
そのミョーな感じが、ツボにはまってしまった
のである。
東京工業大学知能システム科学専攻の
吉田遼平くんが、NHK志望ということで、
一緒に見学した。
1階の食堂で「さて、何を食べよう」
とサンプルを見ている時、
裏から声をかけられた。
「サイエンス・ゼロ」の落合淳さんだった。
さらに、収録終了後、西口玄関で
メールをチェックしていると、
「科学大好き土よう塾」の
高橋理さんが通りかかった。
科学番組のディレクター志望という
吉田君、なかなかの幸運に恵まれている。
相変わらずやることが一杯ありすぎて
イヤになる(というかもうオシマイって
いう感じか)毎日なのだが、
挟土さんの話に笑い、
「まっ、いいか」という気分になった。
ポジティヴシンキングばかり強調される
現代だが、ネガティヴもうまく符号を反転させると
強烈なポジティヴになる。
今日も「まっ、いいか」で乗り切って
いくことにしよう。
2月 24, 2006 at 08:28 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (2)
占い、心霊現象、神社めぐり
スピリチュアル“旋風”を
解き明かす
茂木健一郎×鏡リュウジ
「負け犬」女性はなぜスピリチュアルに走るのか?
オール読物 2006年3月号
2月 23, 2006 at 10:27 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
平成18年3月4日(土)
東京工業大学すずかけ台キャンパス
2月 23, 2006 at 09:26 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
朝からニコニコしていた。
久しぶりに池上高志とじっくり議論できるのだ。
東京大学駒場キャンパスで、池上研、
茂木研合同のワークショップ。
池上が、「Beyond Story Telling」と
名付けた。
プログラムは、
13:00-13:40 池上高志 "Beyond Story-Telling"
13:40-14:20 Ken Mogi "The contingent brain. In pursuit of the
dynamic & stable in a small world."
14:20-15:00 鈴木啓介 (池上研)「オートポイエシスと運動」
15:30-16:10 田谷文彦 (SonyCSL) 「認知に於ける階層性」
16:10-16:50 柳川透(茂木研)「自発発火を通してみる脳というシス
テム」
16:50-17:30 恩蔵絢子(茂木研)"Reconsidering the functions of
rewards: Human's risk-taking behavior independent of magnitude,
probability,expected value and variance."
17:30-18:10 佐藤勇起(池上研)「クオリア問題を解く」とはどうい
うことか−脳が脳を考える
18:10-18:30 議論
19:00- 懇親会
いやあ、楽しかった。
脳科学と、数理モデルという
いわば「異文化」の出会いで、
池上とオレは何回もしゃべっている
からわかっているんだけど、
学生どうしの一種のcollision
は見ていてたいへんexcitingでした。
このような研究会の良いところは、
情報を得ることはもちろんだけれども、
自分の中にある種の「探究」へ
むけての「衝動」が立ち上がることである。
この「衝動」こそが、生きていく上で
大切なのだ。
一種のゲバルトだ。
たとえば、人間の欲望というものが、
open-endedであることの意義。
単に、腹一杯食べてもまたお腹が空けば
食欲が生じる、というようなトリヴィアルな
ものではなく、
学習で言えばどこまでも追加して
学べるし、
芸術で言えばさらに先、さらに先の
アートを探究できるとか、そんなこと。
それと、感覚と運動をまず二項として
立ててその融合を論ずるのではなく、
両者が未分化のプリミティヴな
領域を構想すること。
目の前にやるべきことが
手つかずの平野のように広がっているのが
ありありとわかって、
うぉーっ! という感じ。
十数人で連れ立って、
銀杏並木を抜け、
昔塩谷賢と通った「うらめし屋」(うらの飯屋)
側に出て、
渋谷まで歩く。
このような大人数の時には必ず通う
BYGへ。
池上高志。
「昨日、superstringの研究会に行ってきたん
だけどさあ、今、どんどん数学的なフォーマリズムが
進んでしまって、大変なことになっているんだけど、
その一方で、波動関数は昔ながらの使っていてさ、
収縮も確率解釈なんだよ。そのあたりはどうなっている
んだと聞いたら、いや、それは難しいから
誰もやらないんだ、いうんだよ。
そういうの至るところにあってさあ、難しい
問題が放っておかれて、その一方でディテールが
どんどん進んでいっちゃっているんだよなあ」
難しいこと、領域を超えること。そのような
ことに挑戦するのには、勇気とエネルギーがいる。
難しいからと放っておかれている重要な
問題など、いくらでもある。
そのような問題群に立ち向かうのにはゲバルト
がいる。
一つインスピレーションが沸いた。
ケンブリッジの素晴らしいところは、
所属とか専門分野とかそういうことは全く
関係なく、
みんな勝手にケンブリッジ圏内のセミナー
とか研究会に行ってしまうことだった。
昨年訪問したNicholas Humphreyも、
ケンブリッジ大学とのフォーマルな関係は
一切なかったが、
インタビュー後、
「いやあ、これからexperimental psychologyの
セミナーに行くんだよ」
と自転車でふらふら出かけていっていた。
そのような環境が日本にはないなあ、
タコツボだなあ、と思っていたのだが、
自分がvirtualに作ってしまえば
いいんだ、と気づいた。
東京にいれば、駒場もあるし、本郷もあるし、
理化学研究所もあるし、
領域とか関係なく、
興味があったら、勝手にふらふらいっちまえば
いいんだ。
それがゲバルトだな。
virtual Cambridge。
うん、これだ。
研究会でしゃべったことは、
10日ほど前に得たインスピレーション
(ゲバルト系)に基づいていたが、
本当に面白いこと、奥深いことは、
人間にエネルギーを与えてくれるものであると
改めて思う。
東京芸術大学の植田工と荻野友奈さんも
登場。
芸大の授業は、来期は月曜になる。
芸大の授業も、Virtual Cambridgeの
一環として、
一つ大きな絵を描いてみたいと思う。
2月 23, 2006 at 07:54 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
朝5時に起きて、ずっと仕事をしていた。
気づいてみるといろいろな
ことをしなければならず、
完全に「破綻」状態。
光のスピードで(ライフゲームで
言えば、「グライダー」の速さで)
手足を動かす。
研究所。
雑誌「アンアン」の取材。
編集部、深見あかねさん
ライターの遠藤奈津子さん
MXテレビの取材。
以前、「脳と心」に関する番組を
つくってくださった西野淳一さん。
地球外生命体、特に知的生命体について。
総務の川島由美子さんと、たまっていた
郵便物や書類の整理をする。
広報の中谷由里子さんとも打ち合わせ。
NHKに着いた時、
朝からチョコレート以外何も食べていない
ことに気がついた。
道理で、さっき西野さんに対して
「絶対的他者とのコミュニケーション」
の話をしていた時、ちょっとふらふら
したはずだ。
局内の売店でおにぎり二つを買い、
打ち合わせ室でむしゃむしゃ食べる。
午後3時の朝ご飯。
涙。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のスタッフたちも、いつも
すごく大変そうである。
何しろ取材対象に1ヶ月くらいぶら下がって
素材を撮るのだ。
その上編集は徹夜続き。
モーレツの時代は終わったと言いながら、
世の中、まだまだ激務の人たちは
たくさんいる。
健康には注意しましょうね、みなさん!
打ち合わせを終わり、大手町の読売新聞へ。
久しぶりの読書委員会。
精養軒の美味しいお弁当が出たので、
栄養状態が改善した。
となりに座った川上弘美さんと、
「カーリング」談義。
今回のオリンピックで、今のところ
人々の心をもっとも魅了したのは、
カーリングだったのではないか。
あの「かけ声」がまるで音楽の
ようで、聞いていて心地よい、
という話をしたら、
川上さんが、
「あれ、国によってあまり変わらないのよね、
スィープとか、ストップとかあるんじゃ
ないかしら」と言われる。
読書委員会は、どこに座ってもいいのだけれども、
私は何となく好きな「一番奥の方」の椅子があって、
そのあたりは川上弘美さんとか町田康さん、
逢坂剛さんなどの作家の方々が座るエリア
になっている。
町田康さんが、中原昌也さんの
小説を評して、「この人は
普通の意味での文学的なものとか、
美しい文体とか、そんなものを
書いてたまるかと頑なに思っていて、
広告などに使われるアリキタリの文体を
意識して使っている」などなどと
言ったことがとても面白く、
「ああ、今日は読書委員会に来てよかった」
と思った。
まだまだ終わらない。
赤坂のテレビマンユニオンへ。
花野剛一さんの本拠地を初めて見た。
たいへんリッパなところである。
ブレインストーミング。
終わって、タクシーの中で急ぎの
仕事をしながら帰宅。
缶ビールを飲みながら、おせんべいを
ぽりぽり食べてほっとひと息。
のりわさびが本当にホントウに美味しく
感じられた。
2月 22, 2006 at 07:55 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (1)
多くのご要望にお答えして、再放送いたします
プロフェッショナル 仕事の流儀
第1回「信じる力が人を動かす〜経営者・星野佳路〜」
NHK総合
2006年2月21日(火)21:15〜21:58
147億円の負債を抱えて破たんした山梨のリゾート施設を3年で黒字化。不況が続くリゾート業界で、これまでにない手法を用い、次々と破綻リゾートの再建に乗りだし注目を集めている経営者、星野リゾート社長・星野佳路(45歳)。リストラをせず、残った社員を最大の財産と考え、やる気を出させるためにあらゆる手を尽くす。どうすれば人は動くのか。破たんした旅館の再生現場に密着し、新しい時代のリーダーの姿を描く。
2月 21, 2006 at 06:13 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (5)
朝、久しぶりに走る。
ふうふうふうと
景色が流れていく感じが心地よい。
NHK。今週は変則的で、
月曜日にも『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
先週なかった分、今週二回ある。
WHOで、鳥インフルエンザ対策にたずさわって
いらっしゃる進藤奈邦子さん。
鳥インフルエンザが遺伝子の変化によって
ヒトからヒトへと感染するようになると、
それはつまり全く新しい病気が
この世に現れたのと同じで、
人々に免疫がなく
劇症となる。
そのような恐ろしい病気が世界的に
流行爆発(パンデミック)の状態になると、
数百万人の命が失われる恐れがある。
新型感染症との闘いの最前線に
いらっしゃる進藤さんの心の中には、
人には言えない緊張感があると
思われるが、
そのお人柄は温かく、
話す相手に安心感を与える。
高校生の時に弟さんを亡くされ、
「医者になってほしい」という願いを
託されたという進藤さん。
パンデミックは想像するだに恐ろしい
事態だが、正しい知識を持つことが
パニックに陥らずに、被害を最小限に
とどめることにつながると
冷静に語ってくださった。
終了後の打ち上げ。
話している時からアヤシイと思っていたのだが、
進藤さんは私と同じ学芸大学付属高校
出身だということが判明。
ジュネーヴに一ヶ月粘って進藤さんを
追った池田ディレクターも
また同窓であった。
高校が同じというのは大学同窓よりも濃い。
住吉美紀さんも含め、「ガーリートーク」
(女子トイレで化粧直しをしながら行われるような会話)
炸裂で、
私と有吉伸人さん、山本隆之さん、小山デスクは
小さくなってぼそりぼそりとしゃぶしゃぶを
食べていたのであった。
しゃぶしゃぶを、ぼそりぼそりと、食べにけり。
2月 21, 2006 at 06:06 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
ちくま新書「脳」整理法は
増刷(8刷、累計75000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 20, 2006 at 12:07 午後 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年3月5日号
(2006年2月20日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第91回
「スポーツと頭の良さ」
一部引用
スポーツを行う時には、どのようなタイミングで身体をどう動かすかが死活的に重要である。同じ動作をするのでも、0.1秒ずれてしまうと駄目になってしまう。野球やスキーのジャンプを思い浮かべればわかるだろう。そのようなタイミングに対する感受性が、アタマの良い人たちのセンスの良さを支えてくれるようなのだ。
脳の中では、沢山の情報が常に飛び交っている。二つの情報が出会う時に、少しタイミングがずれただけで、思いつくはずだったアイデアも逃してしまう。スポーツと同じように、脳の中の情報処理においても、タイミングが死活的に重要な意味を持つのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
2月 20, 2006 at 05:46 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
箱根、仙石原の養老孟司さんの別荘「バカの壁ハウス」
にて、NHK教育「科学大好き土よう塾」の
収録。
バスは別荘の
前に着き、スタッフは降りていくが、
私はフードをかぶり、座席で顔を隠して
出ていかない。
高橋理さんの発案で、養老さんには
私が来たことを内緒にしておいて、
撮影の途中で「乱入」して驚かす、
ということになっていたのである。
それで、関係者にも箝口令が敷かれていた。
この世から、
姿を消さなければならない。
そうなると、かえって
世の中がどうなっているのか、確かめたくなるのが
人情というもので、フードの下から上目遣い
でのぞき見していると、
養老さんが白いセーターを着て
玄関に出てくるのがわかった。
養老さん、今日は白だ!
張り込みしている刑事の気分である。
バスの座席で仕事をしながら、やわらかな
薄い日差しの午前中をやり過ごす。
時々、なあに死角だからかまわないと、
外に出て空気を吸い、背伸びをする。
中は盛り上がっているらしく、予定の正午
が来ても呼びに来ない。
何となく寂しく、物足りない気分。
みんなで遊んでいるのに、一人だけ
置いてきぼりになった感じである。
透明人間になりたい。
1時近くになって、やっと呼びに来た。
玄関の横でマイクを付け、
スリッパにはきかえて待機。
撮影場所の
標本室は、すぐそこ。
見つかるんじゃないかとドキドキしたが、
椅子を並べて喋っているみんなは気づかない。
あのう、ここに来たんですけどお、
とかなり大胆に横に立ったら、
やっと塾長の室山哲也さんが気づいた。
室山さんは、もちろんグルである。
あれ、こんなところに茂木さんが、
と少し大げさに言うと、養老さんがこっちを向いて、
「あれれ?」と驚いた。
この驚く表情、
そのたった一瞬を撮影するために、
これまでの努力はあったわけである。
養老孟司、驚く。この映像は
貴重かもしれない。
私も席の中に入れてもらって、
虫の話をいろいろする。
昼食後、再び撮影。
私は、
標本室の上の回廊から
見学する。
もう身を隠す必要がないので、
ほくほくとうれしい。
今回の「科学大好き土よう塾」の
撮影は、いろいろな意味で特別だった。
高橋理さんは、CP(チーフプロデューサー)
だが、「今回は久しぶりにディレクターやります」
と最初からうれしそうに言っていた。
高橋さんのお父さんは医学関係の研究者だが、
蝶の本もたくさん出されている高橋昭さん。
それで、もともと昆虫に関心が高いから、
ディレクターを買って出たのではないかと思う。
そして、
三人の「塾生」、阿部美里ちゃん、森輝弥くん、
土屋シオンくんにとっては、最後の土よう塾の
収録。
三人の「卒業式」
があった。
私が三人と仕事をしたのは数回だが、
一年間毎週やってきたスタッフにとっては
本当の子どものようなものだろう。
中山エミリさん、室山塾長から
「卒業証書」が手渡される。
時間の流れというものの切なさに対する
精神的呼応。
前に歩いていくために、
このような儀式が生まれてきた。
2月 20, 2006 at 05:32 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
午前中家で仕事をしたあと、NHKへ。
土曜スタジオパークの生放送。
小野文恵、塩屋紀克の両アナウンサー、
ビビる大木さん、松永京子さん。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のチームから、住吉美紀さん、小池耕自さん、
山本隆之さんが応援にかけつけて
くださった。
スタジオの観客席には見知った顔が
いなかったので、仲間がいるのは、
心強かった。
人間が喋るときには必ず文脈が
あるが、
それからどれくらいの距離を置くか
(自由になれるか)で気分やダイナミクスは
変化していく。
アナウンサーは、最強の文脈を引き受けて
(ある時間内に、特定の事項を、求められる
トーンで)喋ることができるわけで、
いつもすごいなあと尊敬してしまう。
私はと言えば、どちらかと言えば
文脈フリーでしゃべる方が好き(得意)
である。
日本テレビの井田由美さんに
うかがった話だが、
長島茂雄さんは、どんなに短いセンテンスでも、
決まったままで言う、ということが
できないタチで、
テイクする度に違うことを言って
しまうのだそうである。
これを言え、と言われると
ぐるぐるまきにされた長島茂雄の
ような気分になってしまうのではあるが、
生放送ということで、「文脈」の
しばりがややゆるめになっているのが
心地よかった。
しかし、考えてみれば小津安二郎の
本質とはがちがちの文脈なのだ。
文脈性を徹して、突き抜けていく時に
見えるものがあるのだろう。
小津映画の俳優のような融通無碍な
境地も見てみたい。
生放送を終えて、5階の食堂で
仕事のファイルを見ながらトウガラシを
たっぷりかけてわかめうどんを食べ、
局内の銀行でお金をおろし、
西口玄関に向かう通路を
ぼんやりと歩いていると、後ろから
『科学大好き土よう塾』の塾長を
されている室山哲也さんが声をかけてきた。
土曜よう塾の収録で、室山さんが
NHKにいるのか、と思った。
「あれ、室山さん、今日は仕事ですか?」
「何を言っているんですか、茂木さん、
これから一緒に養老先生のところに行くんじゃ
ないですか」
そうだった、これから、高橋理さんと
箱根に行き、楽しくお酒を飲んで、
その翌日に養老先生の「バカの壁ハウス」
に行く、ということまでは認識して
いたのであるが、
それが『科学大好き土よう塾』の
撮影の仕事でもあるということをすっかり
忘れていたのである。
西口玄関へと
歩きながら、「空間的広がりの中の事物の並列
性を確率におけるアンサンブルではない形で
どう把握するか」という問題を考えていたので、
不意打ちにされてしまった。
茂木さんのアタマの中にはお酒と
養老さんと虫の話をするということしかなかった
んですね、
と散々笑われながら、バスで箱根へ。
「外人比率」が70%だという富士箱根ゲストハウス
に投宿。
美里ちゃん、輝弥くん、シオンくんの子ども
三人や、NHKのスタッフと15分くらい
「寒い寒い」と言いながら歩いて
「大地」に行き、ビールとお酒を飲み、
再び「寒い寒い」と言いながらゲストハウスに
戻る。
食堂で、
焼酎のお湯割りを飲んで談笑していたら
何時の間にかうとうとしていた。
飲み会でうとうとするのは得意技である。
明けて今朝、部屋ではエッジがつながらないので
ネット天涯孤独の気分でこの日記を書いている。
some time later....
すすきの原っぱにきたらつながったので
アップロードすることにする。
2月 19, 2006 at 09:35 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
NHK総合テレビ 土曜スタジオパーク
2006年2月18日(土) 午後2時〜午後3時
ゲスト 茂木健一郎
特集 プロフェッショナル 仕事の流儀
スタジオ観覧方法
スタジオ観覧をご希望の方は、
当日の午後1:00までにスタジオパークのロビーにお集まりください。
入場者数はおよそ30名様ですが、希望者多数の場合は抽選とさせて頂きます。
なお、スタジオパーク入場には、入場料がかかります。
事前の募集はございません。
また、番組の都合上、予告なしに変更することもあります。
2月 18, 2006 at 09:46 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。
三宅美博研究室の小松知章君の博士論文最終
審査。
タッピングの時系列データを丹念に
解析した仕事。
神は細部に宿るというが、一つのことを
突きつめていくことで見えてくるものがある。
就職も決まりそうだし、小松君、良かったね、
お疲れさまでした。
和楽の渡辺倫明さん、美術ライターの
橋本麻里さんと打ち合わせ。
「日本のクオリア」について。
丹下健三の建築をめぐる
撮影の最終回。
Kikiさんと都議会越しに
都庁を見る。
小雨が降り、寒い。
中村健さん、平田潤子さんを
交えて記念撮影。
六本木ヒルズへ。
Y関係の方々とブレインストーミング。
建設中のナショナルギャラリーが見える。
朝日カルチャーセンター「脳と漫画」
巨人の星、バルバラ異界、
Black Adder、The Fast Show
シャーデンフロイデ、人の移動。
男女の脳差、fairness、empathy。
終了後の飲み会の時、何だか
状況の把握ができずにぼんやり。
あまりにも沢山のひとがいろいろ
いすぎて、皆それぞれ楽しそうに
話しており、
私も会話に加わるのだが、
engagementの感覚生じず。
バールでは、ワインを飲みながら
原稿を一個仕上げ、時々眠った。
幻冬舎の大島加奈子さんは、原稿を巻き上げる
画期的な方法を思いつき、私で試行して
みようと思っているらしい。
NTT出版のマキロン(牧野彰久さんだが、
私の本が一向に仕上がらないので、満身創痍
ー>怪我をしたらマキロンつける、という
連想から昨日なぜかマキロンと呼び始めて
しまった)が、それは何だ、と耳を
そばだてた気配がした。
大島さんの企業秘密かも
しれないので、直接聞いてください!
田谷文彦と帰りながら、EEGのことなど
話す。
三日くらい空白があって、
偶有性とグラフ理論の関係について
じっくり考えられたらいいな。
2月 18, 2006 at 09:42 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
朝日カルチャー講座 脳と心を考える
脳と漫画 第3回
2006年2月17日(金)18:30〜
東京 新宿 朝日カルチャーセンター
2月 17, 2006 at 08:27 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
Kyoto Journalの豊島瑞穂さんに
お目にかかる。
Perspectives from Asiaという
副題がついており、
表紙とかは、こんな感じである。
日本人がやっているのだと思ったら、
京都在住の外国人が中心になって
ボランティアでつくっている雑誌だと言う。
しばらく英語のブログを書いていないが、
英語で日本のこと、あるいはアジアのことを
書こうとすると、確かに
独特の難しさがある。
開くとパンドラの箱になるようなことなのだが、
Kyoto Journalの表紙や、デザインのセンスには、
そのようなことを引き受けた上での批評性が
感じられなかった。
表紙の写真、たとえば、インド人が
携帯を持ってメールを打っていたりすると、
ある程度の批評性が出て来るんだろう。
Perspectives from Asiaと言いながら、
その地域の本人たち(すなわち私たち)が
読むと、違和感を感じる。
そのことを豊島さんに率直に申し上げた。
いただいた号に
「日本でProfessional Gaijinをやること
について」というふざけた記事があり、
それはそれで面白いのだが、
あまり美しい世界では
なかった。
しかし、その美しくない世界が、
今ここに確かにあるのだ。
大変難しい問題で、日本語圏で、
たとえば文藝春秋にせよ、新潮社にせよ、
ある美意識を突きつめていくと、
どんどん英語的な切り口からは離れていく。
藤原正彦さんの『国家の品格』
にしてもきっとそうである。
英訳した時のことを考えれば
わかるだろう。
その一方で、「英語の目」で日本のことを
見れば、なんだか妙なアマルガムというか
「professional gaijin」
やLost in translationの世界が立ち現れてくる。
ざけるんじゃねえ、と言いたくもなるだろう。
このあたりの問題にsensitiveだからこそ、
私は桑原茂一さんがかつて作られた
Japanese gentleman stand up pleaseなどの
コメディを高く評価するのである。
いずれにせよ、日本語で表現した瞬間に、
ほとんど自動的に読者が日本人になる。
だから、日本の伝統や歴史に関する
自己肯定的な言葉は、どうしても内輪受け
のニュアンスになってしまうということは
自覚していなければならないだろう。
だからといって、professional gaijinの
世界に行くのも美しくない。
結局、普遍性を求める努力を怠らずに
やっていくしかない。
そんな苦い思いを、Kyoto Journalの
頁をぺらぺら捲りながら思った。
天ぷらでも精神生活でも、
たまには苦みを処方した方が良い。
そうだ、タラの芽の天ぷらを食べたい
のである。
2月 17, 2006 at 07:21 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
いとうせいこう、佐藤雅彦、坂本龍一
各氏とのtalk dictionary対談が
Podcastingで配信されています。
(一部ビデオ)
提供 Club King
プロデュース 桑原茂一
司会進行 吉村栄一
2月 16, 2006 at 11:20 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (4)
NHK総合テレビ 土曜スタジオパーク
2006年2月18日 午後2時〜午後3時
ゲスト 茂木健一郎
特集 プロフェッショナル 仕事の流儀
2月 16, 2006 at 07:23 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
講談社の森定泉さんと打ち合わせ。
いくつか制作したhidden figuresを
見て、あれこれと。
映像作家の花井裕一郎さんが、
3月3日の小布施ッションの事前取材に
いらっしゃる。
主催者のセーラ・マリ・カミングスさん
から電話をいただいた時のことを
話したら、花井さんバカ受けだった。
二度ほど、携帯に電話をいただいたのだが、
実はすぐにはわからなかった。
何だかしらないけど、枡一酒造
の早口で喋るヘンな人から留守電が
入っているなあ、とは思ったのだが、
まさか本人とは思わず、
事務か何かやっている
ちょっと変わった女の人が
電話をしてきたのだろう、
それにしても早口過ぎて
聞き取れないなあ、
困ったなあ、
と思いながら
街を歩いている時に、
ひょっとしたら本人なのか、
と気づいた時にはズッコケそうになった。
visual imageと、話し方から連想される
イメージが一致しないとこうなる。
留守電に残っていた声から仮想した
この世に存在しないセーラ・マリ・カミングス
は、しかしリアルであった。
話は変わりますが、
今の脳科学において必要とされているのは
結局ダーウィンの『種の起源』のような
スケールの大きなヴィスタなのだと思う。
ラマチャンドランの本に出てくる、
この形とこの形はどっちがキキで、どっちが
ブーバかとかいった類の話は、
それ自体としては「ちょっといい話」
だけど、所詮グランド・ストーリーにつながる
もんではない。
ブーバとキキみたいな話に、
ポピュラー・メディアはもちろん、
専門家の論文でさえさんざん付き合わされて、
いい加減うんざりしてきた。
意識の起源は最後はzitterwebegungとか
quantum mechanicsのnon-localityまで
いってしまうだろうから、
そのフォーマリズムを書き下すのは
ずっと先になることは間違いない。
現時点で出来るのは(すべきことは)
突然変異と自然選択のような、
そもそも意識がなぜあるのかという
グランド・スキームを描くことではないか。
それすらないのだ。
春のような一日で、
街を歩いているだけでなんだかうきうきしてくる。
大切な着想や、イメージにどれくらい寄り添って
それをふくらませられるかが勝負なのだと
思う今日この頃。
2月 16, 2006 at 07:03 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
日経サイエンス社 『脳とクオリア』は
増刷(8刷、累計10800部)が決定しました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 15, 2006 at 08:26 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (3)
徳間書店 『プロセス・アイ』は
増刷(2刷、累計9000部)が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 15, 2006 at 08:20 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (2)
ちくま新書 『意識とはなにか』は
増刷(7刷、累計34000部)が決定しました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 15, 2006 at 08:16 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。
このキャンパスは、春になり、桜が
散る頃になると
ツマキチョウというモンシロチョウよりも
ゆったりと飛ぶ白くて美しいチョウが飛んでいて
とても好きなのだが、
日差しがやわらかいとは言っても
まだまだ寒い。
今年は、なんだか、一段と春が待ち遠しい。
修士論文の審査。
木内陽平くんの「視覚刺激の呈示位置が
聴空間的注意に及ぼす効果」。
注意のリソースが、空間的に分布しているとして、
視覚刺激と聴覚刺激が離れた場所に呈示
されると、その単峯性の分布がdiffuseになって、
time order judgmentが下がるのではないか、
という仮説に基づく研究。
高橋大樹くんの「不確実な報酬の予測に対する
ドーパミン細胞活動の解析」
Fiorillo et al. (2003)の、p=0.5の時に
reward呈示まで次第に増加していくdopamine細胞の
活動を、TD learningにおける誤差シグナルの係数
が正と負で非対称であることに基づいて説明。
Nivらが正シグナルの係数を大きくして
同じtime courseを説明していたが、
高橋くんの主張は負シグナルの係数を大きく
した方が、Kahnemanらの実験結果をよりよく
説明できる、というもの。
おもしろかったです! 木内くん、
高橋くん。二人ともお疲れさまでした!
NHK。次回の
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
は第一回の星野佳路さんの番組がとても反響が
大きかったので、リクエストに応えて
再放送する。
その冒頭に放送する挨拶を副調整室で
撮影。
普段は、スタジオにいて、副調整室から
来る指示に従っていろいろ「やらされている」(笑)
ので、
「上にあがる」のは何だかうれしかった。
打ち合わせ冒頭、有吉伸人チーフプロデューサー
の誕生日をケーキをシャンパンで祝う。
そのまま、古澤明さんの放送を生で見た。
なにしろ、自分たちで作った番組だから、
スタッフにも愛着があり、
みな真剣に見る。
微妙な編集から、画面のトーンまで、
つくり手の立場で見るといろいろな思いがそこに
あるものである。
暗闇を代々木まで歩きながら、
このところ気になっている
contingencyの数学的表現について
考える。
要は、パスカル以来の確率的世界観をいかに
打破するかということなのだが、
small world networkのグラフ的表現
との結びつきの中にその突破口がある
ように思う。
こんなことを書いてネタバレで大丈夫か
と心配になるかもしれないが、
思考というのは背後にあるいわくがたい
軟体動物とともにあって、
その軟体動物がコピーされないかぎり恐らくは
大丈夫。
だいたい、そんなに簡単にわかっちゃう
アイデアだったら、大したことはない。
それにしても、早く春が来ないかなあ。
今から花見はこの日、とカレンダーに書いて
置かないと、
今年は仕事ばかりでまだ花も見ず、
と終わってしまいそうだ。
2月 15, 2006 at 08:09 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第6回
バントはするな、ホームランをねらえ
〜科学者・古澤明〜
「将来のノーベル賞候補」と呼ばれる科学者・古澤明(44歳)。アインシュタイン以来の夢である「量子のテレポーテーション(情報が瞬間的に移動すること)」を世界で初めて実験で実証し、スパコンで千年かかる計算を数秒で解く夢の「量子コンピューター」の基礎研究で、世界のトップを走る。持論は「科学はスポーツ」。若い学生を相手に「失敗を楽しめ」「バントはだめ、ホームランをねらえ」と激励する。世界と闘う科学者の仕事術に迫る。
NHK総合
2006年2月14日(火)21:15〜21:58
2月 14, 2006 at 06:25 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (7)
ひたすらモーツァルトを聞きながら、
大きな仕事を一つ終える。
ほっとする間もなく、四谷の文化放送へ。
以前、竹村健一さんとのトーク番組で
来たことがある。
雰囲気のある、時代物のビルだが、
移転に伴い取り壊されるとのこと。
吉田照美さん、小俣雅子さんと
脳の話を。
ラジオは、喋ることに集中できるので
テレビとはまた別の楽しみがある。
「白熱」のメディアなのかもしれない。
出番の前に、調整室からスタジオを
ぼーうと眺めていると、カニの通販をやっており、
本当にカニ足を食べていた。
小俣さんが値段や電話番号などのpractical
informationをアナウンスしている間に、
吉田さんが「オレ、もう3本目だよ」とか、
「いや、本当にうまい」などと口を挟むの
だが、それを聞いていて昨年のエンジン01
の時に筑紫哲也さんが言われていた、
「一人の人が喋っているとチャンネルを
変えられる」というテレビの法則を思い出した。
だから、長く喋るゲストが出る時には、
筑紫さんは「そうですか」「なるほど」
などと短いコメントを入れるのだと言う。
ラジオとテレビで同じことがあるのかどうかは
知らない。
いずれにせよ、プロの仕事。
集中的にばーっと仕事。
一人で仕事をしているのは
本当に好きだ。
アインシュタインが、自分は灯台守に
なりたいなどと言っていたが、
その気持ちはわかるような気がする。
ホテル西洋銀座で、中村うさぎさんとの対談。
おめにかかったのは初めてだったが、
何時も週刊文春のエッセイを拝読しているので
なんだかいろいろなことを知っている
ような気がする。
欲望を巡ってのお話。
以下は中村さんが言われたこと。
見た目は中身への玄関。それがきれいじゃないと
家に入ろうという気がしない。
この顔は、整形外科医の作品ですから、でも、
二週間で慣れた。整形して以来、自分の顔に
対するこだわりがなくなった。
私は、他者には関心がないのかもしれない。
金で買えないものはないと思いますか、
と聞くと、
それは、人の心でしょう、と中村さん。
この世で一番美しいものは人の心である、
という説もありますが、とさらに聞くと、
中村さんのレスポンスにはじめて
ためらいがあったようにも感じた。
中村うさぎは、現代の日本における得難い
表現者の一人だと思っているが、
その創造性が一種のpathologyから来ている
こともまた事実だと思う。
もちろん、それが悪いなどということではない。
そもそも危機と創発は隣り合わせであるから、
pathologyをポジティヴに転化することは
常に可能なはずだ。
その核に触れたのか、いつもは対談をしながら
いろいろ考えて、ぱっと思いついたことを
言うのだけれども(その時には「考えるポーズ」という
のがあって、だいたいアタマが後ろに倒れる)、
中村さんと話している時には、そのような
スペースが取りにくかった。
そして、腰までつかる雪の
中を歩いた後のように疲労している自分を
見出した。
先日、河合隼雄先生におめにかかった時、
カウンセリングで話を聞いていて
疲れた時には、相手の症状が重いのだと言われて
いたのが思い出された。
誰だって病理の一つや二つ心の中に
抱えているんだと思う。
それを表現に結びつけるというのはなかなか
大変なことである。
やがて灯台守は、冬の海の波の上に嵐が
吹きすさぶのを聞きながら、
自分の中の白熱を暖めておりました。
2月 14, 2006 at 06:20 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
文化放送 1134kHz
吉田照美のやる気マンマン
午後2時の興味津々(午後2時20分から40分)
2月13日(月)
茂木 健一郎さん
脳の活動からいかにして「心」が生み出されるのか紐解いていきます。
2月 13, 2006 at 09:55 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
また新聞休刊日だということを忘れて朝刊を
取りにいってしまった。
寒かったぜ。
2月 13, 2006 at 06:11 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (0)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月26日号
(2006年2月13日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第90回
派手でなくても仕事は仕事
一部引用
先日、新幹線の中で食べた京都の老舗のお弁当があまりにも美味だったので、時速300キロで疾走する座席に座ったまま、心の中で思わず感涙にむせんだ。一つ一つの料理が、丁寧に、本当に心がこもって作られているのがわかった。猛烈な勢いで遠ざかる土地に住む料理人さんたちに向かって、ありがとうと手を合わせた。
東京駅でトイレに入ったら、新幹線の乗務員の方だろうか、鏡に向かってシャキッと立ち、帽子の位置を直しているのを目撃した。この人たちの営々たる努力で、世界に誇るべき定時運行が維持されているのだと思った。
駅構内の本屋さんで新刊を求めたら、テキパキとあっという間にキレイにカバーをかけてくださった。その間、数秒。目にもとまらぬ早業だった。
人のために、心を込めてしごとをする。誰も見ていなくても、自分のやるべきことをきちんとやる。そのような職業倫理をもって働いている人たちがいる一方で、デジタルの数字を動かして金を儲けることばかり考える輩もいる。
まったくふざけるんじゃねえよ、とその時だけは本気で思った。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
2月 13, 2006 at 06:02 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
朝一番で会津若松を出て、
東京駅に9時過ぎに着く。
渋谷のNHKへ。
『科学大好き土よう塾』
の高橋理さんと合流。
自動車で神奈川県の某所へ。
三人の子どもたち(美里さん、輝弥くん、
シオンくん)と冬の虫をとる、というロケ。
雑木林の中に立ち、シャベル、ピンセット、
マイナスドライバを持って
ムシ探しに向かった。
寒い!
お腹にホッカイロを一個忍ばせてはいたが
(しかも貼れないタイプ)
あまり効果がない。
それでも、ムシを探し回っているうちに
そんなことは忘れてしまった。
子どもたちも、最初のムシ(カメムシ)
が石の下から見つかったあたりから
夢中になってしまい、
「カメラが来るまでムシとるの待ってね」
という内海邦一さん(オフィストゥーワン)の
「演技指導」もムシしてムシ追い狩人と
化していった。
土に埋まっているので湿っていて、
表面に白い苔が生えている倒木が
「ジャック・ポット」だった。
でるわでるわ、ゴミムシの集団越冬、
コメツキ、そしてついにはシオン君と
美里ちゃんがコクワガタを発見!
「どれくらい採れるかな」と不安顔だった
高橋ディレクターの顔もほころんでいった。
大団円。
美里ちゃんが美しい緑の
オサムシを発見した。
枯れ木の大きな樹皮をはがしたら、
そこにいたという。
小さな宝石のように美しいキイロテントウ
も見つかる。
約3時間の雑木林のロケは
心から楽しかった。
自然という大いなる母のふところで
幼子のように遊ばせてもらった気分。
母を慕って大切にしなければなりません。
NHKに帰る自動車の中で、
ふと気づいたら、現代がどうのこうの
とかいうの忘れておりました。
まあ、風邪のようなものでしょう。
そして今朝は、モーツァルトの「フィガロの
結婚」を聞きながら、
現代に対する苦汁は、忘れずに、
しかしアウフヘーベンして、
キラキラと陽光が差すさわやかな竹林で
遊ぶ雀たちのように、
魂をギュンギュンと躍動させようと
試みているのです。
2月 13, 2006 at 05:57 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
ふたたび磐越西線車上の人となる。
6時ちょうど発までまだ間がある。
いろいろ紆余曲折はあれど、
目的を見失わないならば、
人生の滋養は限りなく。
2月 12, 2006 at 06:00 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
日経エコロジー 2006年3月号
環境問題に一言:「環境保全を観念でとらえる前に自然の質感に触れるべき」
2月 12, 2006 at 05:59 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
やっぱり、自分は単なる一介の理想主義者
なんだろうと思う。
セッション1。平野啓一郎さん、
波頭亮さん、船曳建夫さん(中沢新一さんが
来られなかったので、助っ人に)
爆発。これはもう芸風になっているのかも
しれないが、また爆発してしまった。
アタマの髪の毛ではありません。
セッション2。下村満子さん、志村史夫さん、
渡辺俊男さん。
シベリア抑留を経て、91歳になっても
まだまだ元気の渡辺さんの「話芸」に
魅せられた。
ひょうひょうとしたユーモアと
簡潔かつ鋭利な言葉。
夜楽。塾長を仰せつかる。
井上道義さん、須磨久善さん、
小池一子さん。
井上さんが音楽とエロスについて
真摯な発言をしてくださったおかげで、
大変率直な言葉の交換の場となった。
自分が
話したこと、思ったことを
まとめれば、
いかに「王様は裸である」と言い続け、
バカであることのエネルギーを維持し、
そして真実と何かとてつも
ないものへの愛に忠実であるか
ということになるのであろうか。
他者とは自分を移す鏡である。
いろいろな人に会って、磨かなければ
曇る。
そのような場をつくってくださっている
三枝成章さんには、心からの感謝である。
始発で東京に戻らなければならないので、
これにて失礼。
であるから、千夜の
エンジン01会員が集まっての
飲み会も、早々に失礼した。
今回の会津行は、
良い魂の浄化の機会になったと
思う。
2月 12, 2006 at 05:13 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
朝一番、飛行機で北九州空港から
羽田へ。
東北新幹線。
郡山で磐越西線に乗り換える。
列車はまだ20分は出ない。
缶コーヒーを買って、ほっとひと息。
窓ガラスのくもりをティッシュで拭く。
北の人の表情は、
なぜかやさしく印象深く。
2月 11, 2006 at 12:28 午後 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
先日、週刊文春の対談で
阿川佐和子さんに
「最大の挫折は、現代を生きなくちゃならない
ことでしょう」
と言った時、「そんなに話を広げられても・・」
とかわされてしまったが、
あの言葉には真実があるなあと
思っている。
私は、どうも現代という時代を特徴
づけるものが好きになれないところがある。
現代に適応して生きなくてはならない
ということを潔しとしないというか、
心の底でいやだなあと思っている
ところがある。
そのムリが普段少しづつ溜まっていたので、
あの時あんな言葉が出たのだろう。
それまで、そのようなフレージングを
自分で考えたことはなく、まさにその場で
出た言葉だったのだが、
「ああ、やっぱり」と自分でも
思ったのであった。
それで、先日DVDでアバドが指揮している
『トリスタンとイゾルデ』の第二幕
(コンサート形式)を聴きながら
(時々ちらちら見ながら)仕事をしていたら、
もうダメである。
普段感じている現代に対する違和感が
ばーっと吹き出してきてしまって、
うわあ、参ったなあと思った。
オレ、本当はこっちの方なんだけどな。
他人から見れば、お前は十分現代に
適応しているじゃないかと見られる
ことはわかっている。
まあ、お許しを。
時々ぶつぶつ言いながら
一生懸命やっていくしかないでしょう。
最近、いろいろなところで、
「モーツァルトは、現代人と同じような
忙しさ、断片的な時間の中であのような
完璧な作品を創造した」と言っているのであるが、
そこには、多分に、そうであって欲しい、
現代でもまともなものができるはずだ、
そこに希望を見出すしかない、
という
願望が含まれている。
希望をもって現代を生きるなり。
北九州教育研究会の先生方に
お呼びいただき、北九州に来た。
母親の故郷である。
空港の近くにはいまでもおじさんが
住んでいる。
小学生の時、夏休み
の度にこのあたりに来て
山の森の中をさまよい歩いた幸せな記憶が
よみがえる。
会場の八幡ロイヤルホテルに向かう
タクシーの中で、
ふと、あの頃私を包んでいた
母をめぐる濃密な人間関係はもはや
存在しないのだなと思って、
限りなく寂しく思った。
時の流れは誰にも止められない。
北九州市立門司中央小学校の
前川公一校長先生におめにかかる。
教育研究会の会長をつとめて
いらっしゃる。
1時間30分の講演。
「脳と教育」というタイトルで。
終了後、先生方と懇親会をもった。
ご厚情に接し、大変うれしく思った。
いつ来ても九州の酒と肴はうまい。
懇談の際に出た話だが、
現場の算数や数学の先生は、
百マス計算やドリルだけで
学力がつくとは思っていないそうだ。
部分を全体と間違えてしまう
ということは、健全なプロフェッショナル
にはあり得ない。
もちろん、トレーニングが
役に立つことは言うまでもないが、
それで人間の知性の全てが語れるわけではない。
「ゲーム脳」について聞かれたので、
あんなのは科学的evidenceは何も
ないですよ、
と言ったあとで、
子どもにゲームばかりやるな、
と脅す言葉くらいとしては使えるんじゃ
ないですか、
どうせ子どもはそんな話半分だけに聞いて、
ゲームをやり続けるでしょうから、
抑止力としては
いいんじゃないですか、
とお答えした。
脳っていうのはさ、もっと
奥深く、おもしろいもんなんだよね。
複雑な対象を単純に決めつける
ことをよしとする。
それが現代。
現代とつきあい過ぎると、
こっちの精神がおかしくなる。
しかし、逃げるわけにもいかない。
偶有性の海に飛び込んで、
闘うしかない。
それに、
大切なこと、わっと驚くような
ことはそう簡単には変わるわけ
ないんだから、
本質を見つめて、努力するしか
ないんだろう。
たとえば、意識と常温量子計算を結ぶ道。
最後は人間を信じている。
2月 11, 2006 at 05:45 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (1)
エンジン01 文化戦略会議
オープンカレッジ in あいづ
2月11日(土)14:30〜16:00
未来に残したいもの
中沢新一/波頭亮/平野啓一郎/茂木健一郎
2月11日(土)16:30〜18:00
馬鹿は死んでも治らないのか?
〜ためにならない脳の話〜
志村史夫/下村満子/茂木健一郎/渡辺俊男
あいづ夜楽
2月11日(土)19:00〜
2月 10, 2006 at 08:47 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
[対談]「脳とこころ」の不思議に迫る2
「嫌われる人」はなぜ嫌われる?(河合隼雄VS茂木健一郎)
潮 2006年3月号
http://www.usio.co.jp/html/usio/index.php
2月 10, 2006 at 08:46 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
中央公論 2006年3月号
時評2006
科学者の矜恃と美人コンテストの誘惑
茂木健一郎
2月 10, 2006 at 08:16 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (3)
文藝春秋
3月号 / 2月10日発売
小林秀雄の霊が降りてきた
茂木健一郎
2月 10, 2006 at 08:11 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
研究所で、「アハ体験」
に関する某プロジェクトに関する会議。
大変面白いものができあがりそうである。
ヨミウリ・ウィークリーの川人献一さん
がキャスターをされている
「おとな館」
の撮影。
モーツァルトについてのインタービューを受ける。
小俣圭といろいろ話す。
研究所を出るところで、柳川透とすれ違う。
渋谷東武ホテル。
「アサヒ芸能」の加々見正史さん、
平原悟さん。
『プロセス・アイ』についての
インタビュー。
国際文化交流推進協会の
野呂昌彦さん、伊東はる奈さん。
科学と芸術に関するシンポジウムについて。
大場葉子さん、大場旦さん。
大場葉子さんが最近始められた
オーストリアの機内誌の話。
本当は葉子さんだけが来るはずが、
ふと気づくとオオバタンもいるので
びっくり。
確かに、NHK出版は近いわけであるが、
神出鬼没である。
これはひょっとすると、自分の仕事
(NHKブックスの原稿)をやらない
うちに大場葉子さんから大量の原稿の
発注を受けたら承知しないぞと、
夫婦ながら監視に来たのかと思ったが、
さにあらず。
大場葉子の仕事もよろしくお願いします、
という夫婦愛であった。
オーストリアから持ってこられた
モーツァルトの資料をいただく。
NHKへ。
西口玄関で土曜スタジオパークの
古閑久美子さんと会い、
10階に移動しながら打ち合わせ。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
収録は今週はおやすみで、
今までの回を受けた検討会。
さまざまな技術的、コンセプチュアルな視点からの
検討が行われた。
『英語でしゃべらナイト』の金田将二郎さんと、
アハ・センテンスを幾つか考える。
NHK近くで反省会。
河瀬大作、小池耕自の「極悪コンビ」が
そろって、見ていると楽しかったが、
いつの間にか私も入れられて「極悪トリオ」
になっていたのはどういうことだったのだろう。
今日はいろんな人にお会いして、
いろんなことを喋った日ではあった。
サンゴ礁の中を泳いでいて、
きゅるきゅるすれ違う、
行き交いあう、
そんな時間の流れもまた楽しき。
2月 10, 2006 at 08:09 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
お台場にある二つの丹下健三建築、
東京ファッションタウン、
及びフジテレビ社屋を見に行く。
BS hi visionで放送される予定の丹下健三
の番組の取材。
ファッションタウンは、あたかも
ピラミッドのごとき揺るぎないフォルムが、
実は途中から繊細な鉄筋とガラスの
建造物(それは、まるで無重力空間
の中の宇宙船のようでもあり)へと
変貌しているところに現代という
ものに対する批評性が感じられた。
三つ突起している部分の延長線上には、
丹下さんがずっとこだわっていた
東京湾上を都心から木更津へと結ぶ
軸線がある。
テレコムスタッフの中村健さんや
平田潤子さんと都庁前へ移動。
建造当時、さまざまに批判された
新都庁だが、
よく見れば見るほど美しい姿をしている。
とりわけ、中央公園から見る
そのありさまは、
あたかも長い旅をしてきた
巡礼が初めて見る大都市東京の
門のごとくそびえ、
回り込むと、
都議会との間に渡された
「ヴァザーリの回廊」
に囲まれた空間は、
本来、
ベネツィアのサン・マルコ広場のような、
市民が集い心を通わせる場として
構想されていたように思えてくるのだ。
活かせていないのは、現代の私たちの
公共空間に対する感度が鈍っている
からじゃないか。
そう想って改めて眺めてみると、
都庁の前を走る高架の道路はいかにも
「邪魔」である。
この道路を、丹下さんはできれば撤去したかった
らしいが、叶わなかったらしい。
日本橋の上の首都高速が美観を損なう
と問題にされているが、
同じことが都庁前にもあったのである。
真実は深層に隠されていて、
よほどの胆力で発掘しなければ見えては
こない、ということを実感。
研究所へ。
所長の所眞理雄さんと諸事打ち合わせ。
柳川透、小俣圭と雑談、及び
諸事打ち合わせ。
田谷文彦と恵比寿に向かう。
ソニーの長尾好則さん、
大場さん、西川さんと
諸事懇談。
人生、是諸事。
今日も明日も諸事でくれていく。
そんな中で、たまにガツンと
良質のサプライズがあったらいいな。。。。。
2月 9, 2006 at 08:38 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (2)
ー丸山健二『貝の帆』書評ー
「断絶と愛」 茂木健一郎
「新潮」 2006年3月号 p.172〜173
2月 8, 2006 at 08:34 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
養老孟司さんは、
一般向けに講演するときと、
少人数で話している時では、
話の内容やモードが
全く変わる。
とりわけ、「バカの壁」以降その傾向が
強まったようにも思うが、
一般向けの話の時は、きわめて
わかりやすく、
何よりも難しい概念や固有名詞を
一切使わない。
ところが、少人数での話となると、
まさに「やりたい放題」。
話題はポンポン飛ぶし、
固有名詞も(レアなものを含めて)
飛び交うし、
これはこれできわめて面白いから、
一般向けにもちょっとご披露したら
と思うのであるが、
何か確信されて今のスタイルを
貫かれているのであろう。
というわけで、大阪厚生年金会館での
フォーラム。
養老孟司さん、それに、松尾義之
さんがそろうというのは私的には
奇跡的な組み合わせである。
まず、養老さんは私にとって
「師匠」のような方だということは
言うまでもない。
そして、松尾さんは、「恩人」。
私の実質的な処女作、『脳とクオリア』
を出版するという「英断」を
日経サイエンスに所属されていた
当時にどーんとやってくださったのである。
師匠と恩人と一緒のフォーラムは、
大変楽しゅうございました。
終了後、会食。
座談の名手、養老さんのお話しを
隣で聞きながら、
私は気づいたことがある。
やっぱり、この人は精神において
アングロサクソン的なところがあるのだな、と。
日本的な会話というのは、たとえ
わかりきった話でも、
それを敢えて言うことで
お互いの共感を高めたり、
相づちを打ったりすることがある。
一方、イギリスでは
できるだけ「エコノミー」でいくという
美意識がある。
暗黙のうちにわかっていることは
前提とした上で、その先にある
何かをできるだけ言おうとするのだ。
少人数で話している時の養老さんは、
わかりきった話は一切言わない。
一つ一つ、濃い情報量がのった
言葉を発する。
養老さんの最近の著作は、「日本とはどういう
国か」をテーマにしたものが多いが、
やはり養老さん自身が必ずしも
日本的な性格ではなく、
随分苦労されたことが伏線にあるのであろう。
そして、新幹線で帰る。
私は、師匠の横で思わず眠り込んだ。
途中で目を覚ますと、文庫本を読んでいた
はずの師匠もまた、おやすみになっていた。
新横浜で師匠と恩人が降りられて、
私ははっと我にかえって仕事を始めた。
品川に停車する列車が多くなってから、
新横浜・東京間は仕事のしがいが増えた
ように思う。
2月 8, 2006 at 06:08 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (2)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第5回
人生も仕事もやり直せる
〜弁護士・宇都宮健児〜
ヤミ金融と闘う人権派弁護士、宇都宮健児(59歳)。生活苦からヤミ金融に手を出し、泥沼に陥った人々が最後の救いを求めて駆け込んでくる。宇都宮は20代のころ、人付き合いが苦手で、顧客を開拓できずに事務所を首になった。専門学校講師の仕事をしながら食いつないだ。そんな時、誰も面倒で手がけなかったサラ金問題の仕事に関わる。「人生はやり直せる」社会の敵に敢然と立ち向かう人権派弁護士の仕事に迫る。
NHK総合
2006年2月7日(火)21:15〜21:58
2月 7, 2006 at 10:16 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (3)
知のwebマガジン en
おいしさの恵み 第11回 炎と食を巡る随想
2月 7, 2006 at 10:13 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
朝日カルチャーセンター大阪は、
横長の教室だった。
正確に言えば、三教室をつなげている。
プロジェクターが二つ。
新宿教室と違うところは、
待合いスペースに喫茶店があるところか。
大阪で一般向けに話すのは
初めてだったかもしれない。
質疑応答になって、
皆さんフランクで気持ちが良かった。
大阪には来たが、
仕事が山積していて、とてもゆっくり
エンジョイ、という感じではない。
すでに描いたが、新規の仕事はなるべく
入れないようにしているのだけども、
それでも時間差で仕事が降ってくる。
それにつけても、我々は
皆なぜこんなに忙しいのだろうか。
もう少し、capitalということを
考えた方がいいかもしれない。
日本の家は新築後すぐに中古価格が
暴落するようで、
結局建ててはこわしを繰り返して
いるわけだが、
それと同じことが文化の側面でも
あるんじゃないかと思う。
伊勢神宮の遷宮のように良い方向に
行けばいいのだが、
30年ごとに立て替えていたら、
60年ごとに立て替えるより、
単純計算で二倍働くことになる。
海外に行くと、何だか知らないけど
ふらふらしている人たちがいて、
その人たちはcapitalを持っている。
お金の問題だけではない。
もっとゆったりとしたペースで
仕事や人生をエンジョイするための
基盤があるのだ。
建てては壊しの日本流のやり方に
巻き込まれているのがイヤになってきている
今日この頃。
capitalになるような(蓄積していくような)
ことにこそ、エネルギーを注ぐよう、
みんなで工夫しませんか。
そのためには、情報をただ流していくだけではなく、
「あれは良かった」「あれはクラッシックな
地位を占める」
とちゃんとつなぎ止める努力をしなければならない。
たとえば、今月の「おいしさの恵み」
で取り上げた篠沢英夫さんの最終講義(文學界所収)
は、文芸誌の単発記事として流すには惜しい
価値と強度を持っていた。
今日は養老孟司さんに久しぶりにお目にかかる!
2月 7, 2006 at 10:10 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
久しぶりにたっぷり走った。
何だか、縮こまっていた身体が
笑って延びていく気がした。
このブログのコメントに、
編集者の五十嵐茂さん
(「脳の中の小さな神々」
をつくってくださった)が、
「今日一日やることが「適度に」あるなあ、というの
が生の連続感としては一番かもしれません。激務とい
うのは、ほとんど他人から閉じられる経験ですから。」
と書いてくださっているが、
本当にそうかもしれない。
ここのところ、
一生懸命仕事を減らそうとしている
のだけども、
なかなかうまくいかない。
現にこんな時間から起きて仕事を始めて
いるのだ。
最後に光る赤い石が出てくる
恐ろしく複雑な夢を見たのだが、
肝心なことは忘れてしまった。
マイナスもまた別の記号で表象
されなければならないとか、
そんな話だったのだが。
昼間、
走った後に、しばらく枯れ葉の
下で冬眠している虫を探したのが
楽しかった。
アカスジキンカメムシの幼虫や、
ナミテントウ、クサクモ、
エサキモンキツノカメムシ、
ショウチョウバエなどがいた。
枯れ葉をさわっていると、
ポカポカと温かく、
こんなものにくるまって眠っている
虫の生活も悪くないなと思う。
カジュアルな観察者としては、
生物圏は春になると突然豊かになって、
厳冬期はほとんど途絶える、
と思いがちだが、
実際には彼らは何らかの形で
それぞれの命をつないでいるのだ。
私の中にも、
そして誰の中にも、
忘れかけていた多様性の種が埋まっていて、
季節がめぐればやがて芽を吹くと思いたい。
忙しい日常の中で少し時間の
吹きだまりが出来たら、
青年期の夢を少しよみがえらせて
みたらどうだろう。
2月 6, 2006 at 02:53 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (4)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月19日号
(2006年2月6日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第89回
一流のプロフェッショナル
一部引用
1月から、NHKの新番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』のキャスターをさせていただいている。
(中略)
IT革命のかけ声の下、一年が七年に相当する「ドッグ・イヤー」の時代だなどと言われ、目先が利いて賢く振る舞う者が人生の「時価総額」を上げられる。コンピュータの前で数字をいじくっているだけで、莫大な差益が得られる。そんな幻想に振り回される時代の中で、毎日こつこつとマジメに働くことが、ばからしくさえ思えていた。
ところが、気づいて見ると、仕事というのはそれこそ江戸時代から変わらないような「これをすべし」という基本を着実に積み上げることで成り立っている。そんな事実に、再び目が向かい始めた今日この頃なのではないか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
2月 5, 2006 at 09:06 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
「婦人公論」2006年2月22日号
(高橋尚子さんが表紙の号)
p.148〜151
対談 美輪明宏 茂木健一郎
構成◎井上佳世 撮影◎御堂義乗
<見出し>
美を察知する脳は、こう磨く
美しいものを知らない大人たちよ!
より豊かな人生を考えるヒントを求めて、
力強い説法を続ける美の伝道師と、
人間の心の美しさを
追究してやまぬ気鋭の脳科学者が
語り合う120分
全文は「婦人公論」2006年2月22日号で
お読みください。
2月 5, 2006 at 08:46 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (2)
ダ・ヴィンチ 2006年3月号
p.42〜43
ヒットの予感EX 『プロセス・アイ』茂木健一郎
取材・文/温水ゆかり 撮影/寺澤太郎
(一部引用)
<見出し>
科学と文芸が出会うところ。いま最も注目すべき
書き手が創造した「21世紀型の万能人」
『プロセス・アイ』茂木健一郎
徳間書店 1890円
200X年、科学史・科学哲学科に学ぶ大学院生・
高田軍司はハワイからの留学生・高木千佳と愛し
合うようになる。しかし彼女はマスコミの寵児・
秋野勇作の横恋慕が原因で死亡。X年後、千佳を
忘れられない高田は、金融界の革命児になって
上海に現れる。彼の経営する投資会社は目覚まし
い利益を上げ、高田はその在をバリ島の研究所に
注ぎ込んでいた。そこで行われている研究とは?
また高田に千佳に生き写しの娘がいるのは? 科
学の最前線を渉りながら、光溢れるラストシーン
になだれこむ近未来小説
全文は「ダ・ヴィンチ」3月号でお読みください。
2月 5, 2006 at 08:39 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
実に久しぶりにまともな時間分眠る
ことができた。
身体も心もほぐれたところで、
朝コーヒーを飲みながら
思い出していたのはなぜか「チューハンター」
というゲーム。
ネズミが右から左に走っていって、
それを電子銃で撃ち、当たると
「チュー」といってネズミがひっくり返る。
デパートの屋上にあって、子どもの頃
やるのが好きであった。
「チューハンター」という
語源も良い。
外人に「チューハンター」の「チュー」
とは何か?
と聞かれると、きっと面白い。
珍しく、自分が出た「世界一受けたい授業」
も生で見ていた。
子どもの頃野球に夢中になったというのは
本当のことである。
勉強はさほど苦労せずに出来たから、
情熱はむしろスポーツに向かった。
公園の壁に向かって、延々と
「投球練習」を繰り返したのを
覚えている。
「巨人の星」放映開始が
小学校1年生の時で、
本当に夢チューになって見た。
あの頃は、案外、スポ根少年だったと思う。
先日、小澤征爾さんが休養に入った
というニュースにとても心配になって、
同時に、息が苦しいところとか、
身体が弱っていくところとか
想像していたら、自分がやがて
死んでいく時のことがリアルに想像できて
地下鉄に乗っていながらとても
息苦しくなった。
一年に一回くらいはそういうことがある。
精神はきわめて安定している方であるが、
時々は致死率100%という重い現実に
いやだ〜
と叫びたくなることがある。
そんな時、どんな風に抜け出るか
というと、「熱チュー」である。
我を忘れるくらい何かに集チューすれば、
たいてい大丈夫だ。
ジジイになって
死ぬときも、何かに熱チューしながら
あの世とやらに行くことにするか。
しかし、熱チューするにはきっと
エネルギーがいるのであろう。
チューハンターに戻るが、
あの機械がもしどこかで動いている
というようなことがあるんだったら、
ぜひチューハンターに熱チューしてみたい。
白熱の時代が、今すぐそこに来ている
ような気もする。
2月 5, 2006 at 08:29 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
小学校4年生のショータくんから、
「レゴでアハ・チェンジをつくりました」
というメールをいただきました。
すごいね、ショータくん!
天才レゴ少年のホームページはこちら。
「世界一受けたい授業」とともに、
お楽しみください。
2月 4, 2006 at 05:31 午後 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
『脳の中の人生』は増刷(4刷、累計33000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 4, 2006 at 02:27 午後 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
世界一受けたい授業 2006年2月4日
日本テレビ系列
19:00〜21:00
(2時間スペシャル)
3時間目 茂木健一郎
2月 4, 2006 at 12:49 午後 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
朝4時起きで火急の仕事を済ませ、
新幹線で京都へ。
月刊「潮」の末松光城さんが隣りに座る。
お話ししながらも、急ぎの仕事を
済ませる。
それから、東京駅で求めた「いくら丼」
を食べたら、睡魔が襲って暗くなった。
それで、名古屋駅停車の時にはっと
起きて、できあがりの仕事をメール送信。
すでに締め切りを大幅に過ぎているなり。
そこから京都まで、論文内容について
詳細かつディープに検討する。
京都駅で写真家の太田順一さんと
合流。
タクシーの中でも論文内容検討を続けて
いたら、いつの間にか河合隼雄さんのご自宅
兼クリニックの前に到着した。
京都大学退官後はここで悠々自適、
のはずが、文化庁長官など引き受けてしまった
ものだから、そうも行かなくなってしまった。
人生、どう転ぶかわかりませんわ、と河合さん。
玄関を入ってすぐに面談室と箱庭室がある。
面談室は椅子が二つ向かい合って並べられ、
箱庭室には壁にぐるりと設われた棚に、
数千にも及ばんとするアイテムが置かれている。
箱庭には大きさの規格があり、
その前に立って全部見渡せるようになっている
という。
白い砂と、少しぬらした黒い砂がある。
私は何となく黒い砂の方でやりたかったが、
撮影の都合上、奥にある白の方にした。
さて、と棚を経巡れば、何となくぱっと
目に飛び込んでくるアイテムがある。
図体がでかいのに情けない顔をしたゴリラ。
狡猾そうな極彩色の鶏。
白砂のミニチュアの箱庭。
踊らんとするようにくねった枯れ木の
枝にぶらさがった猿の群れ。
「これは絶対に使おう」と思うものを配し、
一方に噴炎を上げる火山、他方にこんこんと
水わき出る泉を据え、
そこから異形の生物たちが対決を孕んで
にじり寄る。
中央には無垢なる叡智と美を象徴する
水晶。
水晶を挟んでフクロウと太陽と月、
そしてゴリラに率いられた猿たちが対峙する
という箱庭が出来上がった。
野性の情念が支配する原始の世界。
これが、私の心象風景か。
一方、都市文明と言えば、フクロウの背中で
流水をわたる架橋の背後に、小さな石に描かれた
観念のtokenとしてかろうじて存在する
だけなのだ。
河合先生は、極彩色のキノコに囲まれて
置かれた縮小箱庭、ゴリラの後ろの猿の群れ、
そして、泉の上に置かれ全体を睥睨するかのような
トリックスターの鶏を「はあ、面白いなあ」
と言われた。
つまり、箱庭においては、ある程度意識的な
解釈に着地できるものではなく、無意識の中から
生まれてくる奇妙な象徴こそに力があり、
可能性があると言うのである。
「箱庭を続ければ、これらのものが
どんどん成長して、大きくなってきますよ」
と河合さん。
「クライアントにしてください」とお願いする。
「いろんな人がいますわ。砂地を全部
とっちゃう人もいますしね。都市をつくって、
それから、「地震や」と言ってぱーっと
ぶちまけてしまう人もいるし。昨日みた
映画のシーンをつくりますわ、と逃げを
打ったところが、とんでもないもんが
出てきたりね。あまり残酷で見ていられない
時は、ストップしたりしますけどね。
傑作なんは、ある精神病院の患者さんが、
こうやって二つ箱庭が並んでいるところで、
ホップ、ステップと箱庭指して、
ジャンプで窓の外を指したんですわ。
その夜、その患者さん逃走されましたわ。」
深刻でかつおもしろい。
私の箱庭を前にお話しされる河合隼雄さん
応接間に移り、さらに話をうかがう。
ユングのシンクロニシティは、
因果的な解釈をする人が多いけれども、
それは科学主義的な文脈に無理矢理
入れようとするからで、
実際には、ちょうど私がさっき棚の中から
自分にとって意義深いと思われたものを
選び出したように、
無意識が刻印を押すものに注意を向け、
それを人生に取り入れようとする認知
プロセスに他ならないと。
そう言われれば、普段の生活の中で、
先ほどの箱庭のようなモードで頭を働かせる
ことはまず絶無と言わざるを得ず、
河合さんの言われる、機能主義、情報主義に
基づく現代の精神生活の狭さに
嘆息せざるを得ないのであった。
河合さんは、その表情や言葉のリズムが
長年のうちに完成されていて、
そのお人柄に接すると、
どうしても打ち明け話をしたくなる
触媒作用があるらしい。
タクシーに乗り、河合隼雄とばれても
いないのに、
運転手が「私もねえ、タクシーをやろうと
思っていたわけじゃあないんですよ」
と身の上話を始め、
目的地をすっかり忘れてぜんぜん別の
場所に行ってしまったことも数度あるとのこと。
その逆に、てっきり無名と思いこみ、
楽しく話し、意気投合して、
最後に「おもしろかったですねえ、河合先生」
と言われてぎょっとしたこともあるという。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、
再訪と研究プロジェクト立ち上げを約し
河合邸を辞す。
忙中食の歓びあり。
京都駅で和久傳の節分弁当の最後の一個を
入手できたのだが、
これが信じられぬほど美味であった。
「立春大吉」と書かれた箱に
収められ、
ふっくらと炊きあげられた黒豆、
こんがり焼かれたカラスミのスライス、
焼き卵、ミョウガ、煮染めた椎茸、
仕事の行き届いた切り魚。
すべてがまろやかでやわらかいクオリアに
包まれ、
私は思わず心の中で「これで生きていける!」
と思った。
味は記録しておけないのが残念である。
私を感涙させた和久傳の節分弁当
論文検討、そして爆睡。
東京駅着後、喫茶店で火急の仕事を
して(いそがなくちゃ、いそがなくっちゃ!)、
終わらせて朝日カルチャーセンターに
到着したのは開始10分前だった。
「脳と漫画」第二回。
漫画は、NANA第一巻をみんなで読んだ。
「営業スマイル」のコマに爆笑。
論文は、Social Networkのdynamicsについて。
triadic closureや、clustering coefficientの
時系列的変化。
結論。人との出会いは、趣味や嗜好などの
共通属性によって決まるのではなく、
ドライなグラフ理論的幾何学ダイナミクスに
よって大枠は定められてしまっている。
しかも、個人レベルではくっついた離れた
があったとしても、全体のグラフの構造は
驚くほど安定しているのだ。
笑っちゃうしかないくらい次から次へと仕事に
追われる日常だが、
河合先生の叡智とか、和久傳の心を込めた
仕事とか、
そういうものに出会うと力をもらい、
生きていくことができる。
2月 4, 2006 at 11:30 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (1)
「ホームレスの仕事をつくり自立を支援する」
イギリス生まれの雑誌、
「ビッグ・イッシュー」の 特集 いま心を考える
が現在発売中です。
街で見かけたら、ぜひぜひお買い求めください!
200円です!
特集 いま心を考える
★物質である脳から、いかにして心が生まれるのか。科学に最後に残された
ミステリーともいわれる「心」の謎について考えることは、同時に、私たち
が社会の中で他者とかかわり合って生きていく際に大切なヒントを与えてく
れる。
気づくことがもたらす喜び ―茂木健一郎さん(特集ゲスト編集長)
(コラム)特別授業 芸大生×ホームレス×茂木健一郎
−アートの回復へ、必要な批評性と身体感覚
(心とアート)世界はそれだけではないだろう ―内藤礼さん
(心と文学)お金では買えない快楽、それが文学 ―島田雅彦さんは語る
(読書ガイド)謎に包まれた心と脳の問題を読む
2月 3, 2006 at 05:26 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (3)
私の高校時代の同級生で、数学について
並々ならぬ直観と才能を持つ畏友、
中村亨が朝日カルチャーセンターで
講座「脳に効く数学」を開きます。
ゼッタイにお勧めですのでお時間の
ある方は是非!
中村亨 「脳に効く数学」
2006年2月18日(土)10:30〜12:00
2月 3, 2006 at 05:22 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (2)
朝日カルチャー講座 脳と心を考える
脳と漫画 第2回
2006年2月3日(金)18:30〜
東京 新宿 朝日カルチャーセンター
2月 3, 2006 at 05:18 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
渋谷東武ホテル。
徳間書店の本間肇さん、
時事通信社文化部の三澤克彦さん、
篠田英美さん(写真)。
『プロセス・アイ』についての
インタビュー。
NHK。『プロフェッショナル 仕事の流儀』、
古澤明さんの収録。
古澤さんがいらっしゃるのは
物理工学科で、私のいた理学部物理学科
に近い。
古澤さんがやられているのは
量子テレポテーションで、
カリフォルニア工科大学に留学している
時に世界で初めて量子テレポテーションを
光を用いて実現した。
将来、量子コンピュータに使うことが
できるかもしれない技術。
量子テレポテーションは、量子レベルに
おける「情報」が瞬間的に伝搬する。
もともとは、天才アインシュタインが
あと二人の著者と1935年に書いた論文で指摘した
「EPR paradox」が端緒となっている。
アインシュタインは、量子力学を批判する
立場から、「もし量子力学が正しいとすると
こんな奇妙なことが起こるじゃないか!」
と指摘したかったのだが、
実際にそんな奇妙なことが起こることが
実証されたのである。
量子力学の根底に「非局所性」
があるということを見抜いたアインシュタインの
洞察力はすさまじく、
よく「アインシュタインは量子力学
について間違った認識を持った」などと言われるが、
そんなに簡単な話ではない。
それはともかく、その量子力学の非局所性に、
古澤さんは「科学はスポーツだ!」という
モットーのもと、哲学的な話や、解釈論的な
ことを一切言わずに挑む。
これはとても面白い! ことで、
量子力学というのは物理屋にとっては
とにかくいろいろなことを言いたくなる
深い話だが、それを「とにかくやる!」
という操作的、実際的態度で実現するという
点に古澤さんのやられていることの
ユニークさと、「批評性」があるように
思う。
番組としても、最初の科学者のゲスト
として古澤さんが登場されたことは、
とても良いことなのではないかと思う。
放送予定日は2006年2月14日。有吉伸人
チーフプロデューサーの誕生日で、
その日に敢えて「一番難しいテーマ」
に挑んだ結果が世に披露されることになる。
それにしても、毎日全くとてつもなく
タイトロープの上を歩くくらいに
時間と仕事に追われていて、
どこかに量子テレポテーションしたい
気持ちである。
不要不急の仕事は入れないようにして
スペースをつくろうと決意してから
二週間。
すでに受けてしまった仕事の山が
なかなか捌けず、
春とともに雪融けが来て欲しいと
思ふ。
2月 3, 2006 at 05:17 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
世界一受けたい授業 2006年2月4日
日本テレビ系列
19:00〜21:00
(2時間スペシャル)
3時間目 茂木健一郎
2月 2, 2006 at 07:04 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (2)
インテリジェンス・ダイナミクス2006
Symposium on Intelligence Dynamics 2006
2006年4月7日(金)10:00〜17:35
ソニー株式会社 本社10号館 (東京都品川区北品川6-7-35)
ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所株式会社
【プログラム】
9:15- 受付
10:00-10:15 「インテリジェンス・ダイナミクス2006開催にあたって」
ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所 所長
土井 利忠
10:15-11:15 「偶有性の脳科学 The Contingent Brain」
株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所 シニアリサーチャー
茂木 健一郎
11:15-12:00 「多様な経験から生み出されるインテリジェンス・モデル」
ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所 シニアリサーチャー
南野 活樹
12:00-14:00 (昼食休憩並びにソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所 成果デモ)
14:00-15:00 「初期発達のダイナミクス」
東京大学大学院教育学研究科 助教授
多賀 厳太郎
15:00-16:00 「子どもからみたロボット・ロボットからみた子ども
──育ちと育ての現場からみたコミュニケーションの成り立ち」
独立行政法人 情報通信研究機構 けいはんな情報通信融合研究センター
主任研究員
小嶋 秀樹
16:00-16:15 休憩
16:15-16:55 「人間型ロボットと乳幼児の日常インタラクションの研究
〜長期的な実地観察からの知見〜」
ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所 リサーチャー
カリフォルニア大学サンディエゴ校 客員研究員
田中 文英
16:55-17:35 「生物を規範とした二足歩行運動とその獲得」
ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所 リサーチャー
株式会社 ATR脳情報研究所 研究員
遠藤 玄
2月 2, 2006 at 06:59 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
九州大学ユーザーサイエンス機構の
坂口光一さん、目黒実さん、田村馨さん、
中村政史さん
とブレスト。
「遊びと創造性」について、
どんなリサーチプログラムが可能か。
目黒さんは「ブロンズ新社」という
児童書などの出版社も経営されている。
その会議室で行われた
議論は、大変有意義だった。
相模原の住友3Mへ。
創造性、R&Dについてのトーク、
議論。
笠井紀宏さんが呼んでくださった。
始まる前に、ショールームを
ぶらぶらと見る。
数万種類にわたるプロダクト。
3Mには「15%ルール」
というのがあり、
時間のうち15%は、自分で有意義
だと思う他のことに使って良いの
だそうである。
ガチンコの真剣トーク。
しばらく議論するだけで、
何となく3MのDNAというか
社風のようなものが伝わってくる。
不思議である。
良い意味で、「人間」が立っている、
やはり通常の意味での日本の会社とは
違う感覚。
3Mは、 Minnesota Mining and Manufacturing
の略だが、
本社のあるSt. Paulは冬にはマイナス
30℃になり、「アメリカの冷蔵庫」
と呼ばれているそうである。
橋本駅前の「海山」で会食。
自転車ですれ違う時、
ぶつかりそうになるとおばさんは
降りるが、おじさんは絶対に乗ったまま、
というような話になった。
それから男女の脳差などの話に
なったが、私はこの件については
「米長邦雄」式
で行こうと思っている。
とりわけ、何かをやろうとがんばろうと
している人に、
男女の性差を理由に運命論的な
決めつけをするべきではないと考える。
その一方で、何でも「人それぞれでしょ」
とか、「男女の差じゃなくて、個人差なんじゃ
ないか」と決めつけるのも、あまり
面白くないと思う。
どんなステートメントに対しても
そのように言ってしまうことは可能で、
要するに「情報量がゼロ」だからである。
ある特定のイデオロギーや、思いこみ
でゆがめられた断言ではなく、
確かに差異の傾向がある、
ということはあるかもしれない。
そういうことは、その差異が自分が
生きる上でのっぴきならぬ意味を持つ
人に聞けばわかるんじゃないか、と私は思った。
顧客の性差によって、嗜好が違うとか、
カウンセリングをする際に相手にある程度
合わせないと話にならないとか、
「差異」にちゃんと
対応しなければ話にならない人たちは、
お題目や主観ではない、はっきりとした
傾向を掴んでいるだろう。
ためにする議論ではなく、生活者の
ぎりぎりの実感から「男女の性差」論だったら
十分傾聴に値するのではないか。
3Mは「ポストイット」のような
接着系のエクスパートの集まり。
面白い話を聞いた。ヤモリの接着の
メカニズムは、通常の「液性」のそれとは
違うことがわかったというのである。
ヤモリの足裏には何億本という細かい毛が
生えており、液性の相互作用が起こるかわりに
その毛が入り込むらしい。
分子間力に起因することにはかわりが
ないのだが。
それにしても、飲み会で「ファンデルワールス力」
とい言葉があれほど飛び交うというのは
生涯初体験! であった。
タクシーを出していただき、自宅まで
帰った。
仕事をするが、さすがの連日のタイトスケジュール、
頭の芯が疲れているのがわかった。
そのせいか、自宅に近づく道筋が
なぜがいつもと違って見える。
あれ、道が違うんじゃないかと思うが、
どう考えてもその道である。
見当識がいかれたか、と内心焦る。
これが、デジャヴュの反対で、
見慣れているはずのものが見知らぬ者に
見えるジャメビュか・・・・
疲労からジャメビュに至ったため、
これはダメだ、と
癒し系のイギリス・コメディ、Father Tedを
見ながらすぐに寝た。
しかし、夜の闇が得体の知れない奇妙な
場所に見えた、
あの奇妙な感覚は今でも残っている。
2月 2, 2006 at 06:55 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
渋谷東武ホテル。
オフィス・トゥー・ワンの岡武士さん、宮下浩行さん
松浦通陽さん。
NHK。文化部の津久井美奈さん、写真部の
佐藤俊和さん。
土曜スタジオパークの古閑久美子さん。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
古澤明さんの回の打ち合わせ。
代々木公園を抜けて原宿に
歩いている時に、
今まで感じたことがないほど強く
「意識とは常温の量子計算である!」
という直観が強くなった。
相互作用同時性は、現象学的には
シナプス相互作用において現れるが、
それを突きつめていけば発生・
吸収を繰り返す光の世界線(あるいは
Zitterbewegungする質量のある粒子の
世界線)にまで帰着するということは
間違いないと思われる。
常温では量子的効果は現れない
ようだが、そもそも古典的な物質が
安定して存在すること自体が
量子力学なしでは説明できず、
ミクロレベルでの粒子と波動の
二重性のマクロスコピックな
展開として物質と意識の二重性が
現れるのであろう。
その際、本質的な属性としての
メタ認知は現れる。
恵比寿の「今井屋」へ。
放送作家の富樫香織さんがアレンジ
してくださった、ゴスペラーズの
北山陽一さんとの飲み会。
北山さんは声を気遣ってずっと
ミネラル・ウォーター。
日本テレビの倉田忠明さん、
ソニー広報の中谷由里子さん,
TBSの小野由紀子さんも同席。
北山さんが囲碁が好きだという
話をしていたら、
突然マグネットの碁盤が出てきた。
「武宮正樹の宇宙流がねえ」
と説明しながら打っていたら、
いつの間にか本格的な対局に
なってしまった。
面白くて、ぐんぐん打っていったが、
時間切れ引き分け。
再対局を約して、雨の街へ。
暗闇の中、つーっと落ちていく
沢山の線を見ていると、今この瞬間も
私の中で量子計算が行われているのかと
思って、温かくそして不思議な
気持ちだった。
2月 1, 2006 at 07:13 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (3)
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