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2006/02/07

Capital

朝日カルチャーセンター大阪は、
横長の教室だった。
 正確に言えば、三教室をつなげている。
 プロジェクターが二つ。

 新宿教室と違うところは、
待合いスペースに喫茶店があるところか。

 大阪で一般向けに話すのは
初めてだったかもしれない。
 質疑応答になって、
皆さんフランクで気持ちが良かった。

 大阪には来たが、
仕事が山積していて、とてもゆっくり
エンジョイ、という感じではない。
 すでに描いたが、新規の仕事はなるべく
入れないようにしているのだけども、
 それでも時間差で仕事が降ってくる。

 それにつけても、我々は
皆なぜこんなに忙しいのだろうか。
 もう少し、capitalということを
考えた方がいいかもしれない。

 日本の家は新築後すぐに中古価格が
暴落するようで、
 結局建ててはこわしを繰り返して
いるわけだが、
 それと同じことが文化の側面でも
あるんじゃないかと思う。

 伊勢神宮の遷宮のように良い方向に
行けばいいのだが、
 30年ごとに立て替えていたら、
60年ごとに立て替えるより、
 単純計算で二倍働くことになる。
 
 海外に行くと、何だか知らないけど
ふらふらしている人たちがいて、
 その人たちはcapitalを持っている。
 お金の問題だけではない。
 もっとゆったりとしたペースで
仕事や人生をエンジョイするための
基盤があるのだ。
 
 建てては壊しの日本流のやり方に
巻き込まれているのがイヤになってきている
今日この頃。
 capitalになるような(蓄積していくような)
ことにこそ、エネルギーを注ぐよう、
みんなで工夫しませんか。

 そのためには、情報をただ流していくだけではなく、
「あれは良かった」「あれはクラッシックな
地位を占める」
とちゃんとつなぎ止める努力をしなければならない。
 たとえば、今月の「おいしさの恵み」

で取り上げた篠沢英夫さんの最終講義(文學界所収)
は、文芸誌の単発記事として流すには惜しい
価値と強度を持っていた。

 今日は養老孟司さんに久しぶりにお目にかかる!

2月 7, 2006 at 10:10 午前 |

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コメント

先程の私の書き込み
やはり 調子に乗って(1人 24時間テレビ 愛は地球を救う 状態でした。)書き込んでいるうちにやや?おおいに?視点がずれてしまいお恥ずかしい。。。

capital(蓄積していくような)
 とか「主」・「資本」とか ですよね

社会にシステムは矛盾点や問題点などを突きつけられ 本物の「質」が問われてしまう。
無駄なく循環していかないとろいろな害がどんどん出てきてしまう。。。

現代は
排出 廃棄にお金がかかる時代 そのうちに
家を建てたくても 壊して廃棄するのにお金がかかりすぎて 建て替えすら出来なくなる問題
も起こってきてしまう などと考えたら 怖くなりました。 
(調子に乗ったり 怖くなったり お騒がせ致しました)

投稿: | 2006/02/08 20:16:50

capitalになるような(蓄積していくような)
ことにこそ、エネルギーを注ぐよう、
みんなで工夫しませんか。

本当にそう思います。
個人レベルでも工夫してみようと思いました。

大切に想い はぐくんでいくことは
愛情ですね。

物への愛 動植物への愛 人への愛 文化への愛 地球への愛(←書いているうちに調子にのってえらく大きく出ましたが。。。)
つき並みだけれど 大切にする気持ちでつながっていければ理想的ですね。

「プロフェッショナル」 宇都宮弁護士
凄かったです。
「プロフェッショナル」に出演される方は
皆さん 優しい目をされていますね!!


投稿: | 2006/02/08 19:20:43

我等日本人には、人生のエンジョイに書かせない、(茂木さんのいわれるような)capitalというものが本当に足りないのかもしれない。

作っては壊し、また作っては壊し、の繰り返しでいまのいままで来た国民だから…。

仰るように、capitalになっていくようなことにエネルギーを注がなくてはと思うのだが…。

都会で生きていると、あれやこれやと忙しく、自分のしたいこともままならない。

それに、こういうネットやTV、新聞、ラヂオなどからアマゾン河の水量のように大量の情報がただ、垂れ流され、そして、ただ、消費されてゆく。

そこには、「あれは宜しかった」「これは斯くなる位置を占める」「それはこういうことだ」というような、「つなぎとめる」作業というか批評というか、そういう行為をしている「痕跡」がなかなか見当たらない。

ただ大量に垂れ流され、消費されて行く情報の川の流れの中で、日々の忙しさ故にアップアップしそうな私達がいる。

そんな川の流れを如何に泳ぎきって、如何に物事の批評力や生きる気力、知恵を身につけ、発揮し、限りある生を駆け抜けて行けるか。

そこに21世紀を生きる私達の課題があるような気がしてならない。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/02/07 19:29:16

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