添乗員
正月のハワイは、どこも混んでいて
大変だった。
レンタカーを予約していなかったので、
なかなか確保できず、借りては返しを
繰り返した。
それでも、North Shoreや、Hanauma Bay
など、行きたかったところはカバーできた。
レストランも、年寄りの体調を考えながら、
A地点からC地点へと移動する途中に
この店があるから・・・などと携帯で予約する。
そんなにいろいろ大変だろう、
と言われて、あれっ、と思った。
普段の生活に比べたら、自分では
楽をしているつもりだったのである。
添乗員をしていても、そんなにストレスには
ならない。
どちらかというとアタマの中であれこれと
組み立てるのが好きである。
ワイキキを歩きながら
いろいろ考える。
一つは、昨年から引きずっている
批評性や、クオリアの問題だった。
小林秀雄のように、ある印象を語る時、
実はそこには命がけの飛躍があるのではないか。
そもそも、全てのクオリアの背後には、
命がけの飛躍があるのではないか。
だから、印象批評といっても、
そんなに気楽なことじゃないんだよ。
そのあたりのことをどう理論化するか
ということを考えていた。
それと、依然として縮小写像の問題。
縮小自体がシステム性と密着しないとできない。
今年は、思い切ってポピューラーなことと、
配慮なくconcentratedで専門的なことの
二極で行こうかと思っている。
Rowan Atkinsonには、Mr. Beanの他にも
Blackadderというシニカルな歴史コメディーが
あるが、ビーンの1/1000も知られていないだろう。
しかし、それで良いのだと思う。
スケール不変なフラクタルは、一人の個人の
中にもある。
1月 5, 2006 at 04:28 午前 | Permalink
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コメント
新春でも常夏のハワイと違い、ここ東京は、そして日本全体はいまや寒波に覆われています。
氷のように冷たい空気に包まれる毎日がつづいています。健康には十分気をつけたいものです。
閑話休題、素人考えで申し訳ないのですが、(人(だけなのだろうか?)の感ずる)「全てのクオリアの背後に命がけの飛躍がある」。
クオリアの「謎」の解明というものは、ひょっとすると研究者にとって、(こういうとまことに僭越ですが)その、研究者自身の“魂の危機”をもはらむ、正に「命がけの飛躍」を伴うものなのではないのだろうか。
それを敢えて行なうということは、大袈裟にいって、あたかもヒマラヤから垂直に飛び降りるように、傍からは窺い知れぬほどのきわめて大きな勇気を必要とするのではないのだろうか。しかし、このクオリアの解明は、俗にいう自閉症(広範囲脳機能障害)の発症メカニズムの謎を解明するのと同じくらい、人類にとって「有益」となるような気がするのです。
本年も茂木さんの御奮闘に期待したいと思います。
投稿: 銀鏡反応 | 2006/01/05 20:52:32