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2006/01/23

瓦解

目利きの橋本麻里さんから
「高松にいるんだったらこれを見なさい!」
というメールをいただき、
香川県立歴史博物館
 に平賀源内が制作にかかわった
『衆鱗図』
を見に行く。

 駅から、玉藻公園
を抜ける。
 高松城跡である。

 鞘橋の風情がとても美しい。

 ここで映画のロケをして、主人公の男女が
出会うことにしたら、などと夢想したが、
 公園内の披雲閣では、三島由紀夫原作の
『春の雪』の撮影が実際に行われていたのだった。

 お堀の表情が違うなと思ったら、海水を
引いたものとのこと。
 成長した鯛なども泳いでいるという。
 往時は三重に囲まれていたが、
 一番内側の堀を除いて維新の時に
埋め立てられてしまった。

 江戸の人間は維新のことを「瓦解」
と呼んでいたことが『坊ちゃん』などを
読むとわかる。
 江戸が東京になったのだから、
得をしたようでもあるが、
 当時は薩長に徳川が乗っ取られたという
意識があったようである。

 列強の圧迫の下、仕方がなかったこととは
言え、
 美意識においてはどうだったのかと
思う。
 姫路城などの奇跡的な例外を除いて、
二百数十年続いた徳川時代の美が
 惜しげもなく破壊されてしまったのは、
やはり「野蛮」だったのではないか。

 瓦解なしに近代化するという道筋も
あったのではないかと思うが、
 歴史にifはないのだろう。

 『衆鱗図』は赤エビを見た。

 東京駅に着いて、丸の内を
歩いていると、
 皇居前広場に雪が積もって、
 見慣れぬ美しさを呈しているのが
遠望できた。

 その姿に、あたかも時そのものが
さかのぼったように錯覚される。

1月 23, 2006 at 04:50 午前 |

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コメント

こんばんは。
高松はどうやら好天のようですね。

あの「エレキテル」を開発し、「土用丑の日うなぎの日」という宣伝文句を生んだ、江戸のマルチ人間ともいうべき平賀源内。

その平賀源内が製作に関わった図があるとはこのエントリーを見るまで知らなかった。

「衆鱗図」というその図は(Webに出ていたのは鯛をモティーフにしているが)、これがただの日本画ではなく、うろこの部分に雲母(きら)や箔を使って本物らしく見せているのだという。Webの画面で見る限りは精緻な日本画のように見える。

茂木さんが御覧になったのはその「衆鱗図」の中の赤海老の図だそうだが、さだめし本物の如くに見えられたに違いない。

このエントリーを読んで、明治の世において、近代化の名のもと、徳川二百数十年続いた豊穣の美がホトンド破壊された事実は、日本人の心の中に“いびつ”な影を今日に至るまで落とし続けているような気がするとの感想を持った。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/01/23 18:12:31

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