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2006/01/26

錯視ルネッサンス

 昼間は、ずっと家で休養。
 
 畏友池上高志が、東大駒場キャンパスの
学生を連れて研究所を訪問する
というイベントがあったのだが、
 その案内役を田谷文彦くんに
頼んだ。

 すべてうまくやってくれたようである。
田谷くん、ありがとう!

 夜、どうしても出なければならない
仕事があって、大手町へ。
「日経サイエンス」で4月号から始まる
 対談シリーズの第一回。
 錯視の研究で有名な北岡明佳さん。

 お話を聞きながら、かの有名な「蛇の回転」
をじっくり見て、いろんなことに気づいた。
 「今日はいつもより大きく回っています」

 私がケンブリッジにいた95年から97年に
かけて、錯視の話は随分聞いたが、
 もう収束に向かって、細部を詰めている
研究分野だと思っていた。

 ところが、昨年スペインのECVPに行った
時に、画期的に「錯視量」が多い「作品」
が数多く発表されていて、
 その驚異の新世界に目眩がした。

 北岡さんによると、コンピュータの
普及とプリントのクォリティの向上により、
それまで不可能だった繊細な表現が可能になり、
次々と新しい錯視が発見される一大ブーム
状態になったのだという。

 「大体、ウィンドウズ98が普及した、
98年くらいからですかね」
と北岡さん。

 北岡さんの『トリック・アイズ』に
掲載された錯視の数々の「錯視量」は
格段に多く、まさに驚異である。

 面白かったのは、北岡さんが、
「錯視量が多いほど、その図形は美しい」と
信じていらっしゃることは良いとして、
「全ての美しいものの背後には錯視があるはずだ!」
と思っているということで、
 「いやあ、京都にいるでしょ。春になって、
桜の花などを見ていると、これは確かに美しいけれども、
錯視があるわけではない。困った、なぜだろう
と考えるんですよ」
と北岡さん。
 いや、本当は錯視があるのかもしれません。
 美の錯視一元論は面白い仮説である。

 対談終了後、立ち話。
 「アウェアネス」や、「モーダル」
「アモーダル」といった意識の起源や
クオリアの属性自体を問うことは、
北岡さんのやられている知覚心理学では
「できれば避けたい」
ことで、
 というのも、常に「行動主義」の
残照が頭のカタスミにあるからだという。

 自分たちのやっていることは
行動主義には還元できない現象学的な
レイヤーの事象なのだが、
 その起源自体を問うとパンドラの箱が
開くので、
 現象学的次元の中でテクニカルに
詰められることは詰めたいというのである。
 
 なるほど! 
 大変よくわかるような気がします!

 家に帰り、すばやく眠る。
 やがて意識がなくなる。
 この世の全ては錯視かもしれない。

1月 26, 2006 at 06:40 午前 |

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» 『プロセス・アイ』読了!! トラックバック 御林守河村家を守る会
ただいま読了いたしました。 あまりのおもしろさに、 読みはじめてから今まで、 本から手をはなせませんでした。 カワバタ・タケシ、ツヨ、 すくなくともこの二人は、 茂木先生の分身でしょう。 科学と文学、 その双方のあふれるほどの才能を、 茂木先生は神から与えら... [続きを読む]

受信: 2006/01/26 11:35:03

コメント

朝、目覚めてから、まず茂木先生への質問やコメントを想いうかべています・・・

私の人生のこの時期、人生の折り返しであり、また一日のスタートに

新しい自分を、そして新しい世界(環境という意味・・・?)を
発見できるよろこびに気づきました。

読みかけの本が、家のあちらこちらに置いたままで(それほど広くもない家ですが・・・)
気に留まるたびに、気になるところを読んでいます。

いま、自分の中の疑問や気になることを、
できるだけ整理してみようと思います。
(私には、たぶん厳密な科学的思考にはならないとは思いますけど・・・)

まず気になるフレーズをいくつかご紹介します。

「ことばは、自然をどうとらえるか」(ユリイカ1971.11月号)
対談=遠山啓・大岡信=共鳴する詩と自然科学

「真似は創造力を培う基礎力」
「思考の過程を省略していく方法」
「将棋には「読む」プロセスと「大局観」で判断する局面がある」
羽生善治著「簡単に単純に考える」

「科学において正しい決断をする際に必要な知識と技量のほとんどを,
科学者は個人的な経験とほかの研究者との相互関係を通じて学んでいる.
しかしこうした能力のある部分は,教えたり書いたりできるものではない.
科学的な発見に無形の影響を与える多くの要素,
たとえば好奇心,直感,創造性などは,ほとんど論理的に説明できないからだ.」
米国科学アカデミー偏/池内了「科学者をめざす君たちへ」

「わたしたちが体験しうる最も美しいものとは、神秘です。
これが真の芸術と科学の源となります。
これを知らず、もはや不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなった者は、
死んだも同然です。」
Bite-Size Einstein (アインシュタイン150の言葉)

もうひとつ、“気”とはどんなものなんでしょうか?

いろいろなもの・ことをあらわしているようで
「気をつける」「元気」「病は気から」「気になる」「気にかける」「気功」「気を紛らす」・・・

“意識”という言葉もいろいろな意味を含んでいるように思いますが
どこかに関連性があるような気がいたします・・・

“セレンディピティ”“志向性”などなど・・・

結局いまのところ、ひとつにまとまらない?????状態ですが
とりあえず、今日、うかがう“「脳」整理法”のお話を想像して

現場で、先生のお話を伺いながら
どんな疑問がわいてくるか、とても楽しみにしています!!

午前中に、横浜で別のお話を聞いてから、新宿まで行くつもりです・・・

迷わず、遅れずに着きますように・・・

投稿: TOMOはは | 2006/01/28 7:06:22

テレビゲームと脳について
「脳の中の人生」で茂木先生がふれていらっしゃるお話が
とっても参考になると思います。

横レスで、失礼いたしました

投稿: miriam | 2006/01/27 22:27:27

 アインシュタイン曰く、「深く探求すればするほど、知らなくてはならないことが見つかる。人間の命が続く限り、常にそうだろうとわたしは思う。」ですね!

 どんどん広がっていくテーマ達に感動と同時に畏れを覚えます…

投稿: cosmosこと岡島義治 | 2006/01/27 22:12:15

京都精華大学での講義(?)を聞いたところです。
とても面白かったです。
「主観と客観」「個別と普遍」
主観・個別は、
現代は時間が無く、プライベートなものは後回しにされがちで、
客観・普遍は、世間に大きな顔で現れる(?)、
多重人格障害は、幼児虐待が生み出すもので、
その過程に創造性があるのではないか、
感情は不確定なことに対して必要なもので、
動物にもあるものならば、
前頭葉にあるミラーニューロンは
動物にもあるのか、
あるとしたら人間との違いがあるのか、
深い感動は脳に傷を与えるものだが、
障害にはならないこと(?)・・・

「主観と客観」「個別と普遍」は、
子どもを跡継ぎとして育てるのか、
会社の上下関係は絶対なのか と、
勝手に私はダブらせてしまいました。

茂木先生は、
ロジカルとアーティスティックなところを
対立でなく、見事に同居された方なのだと思いました。

お願いがあります。
ゲームが子どもの前頭葉に与える影響について
どうお考えかお聞かせください。

投稿: yuri | 2006/01/26 14:26:03

送信してから見直したら
羽生さんのお名前は、正しくは善冶さんでした。

スミマセン・・・

投稿: TOMOはは | 2006/01/26 8:19:02

おはようございます!

茂木先生のお風邪の具合は、いかがでいらっしゃいますか?

いま子どもを送り出して

私も出かけるので、ゆっくりお話できませんが

昨日、朝カルの振込みに行ったコンビニで
羽生喜治さんの「簡単に単純に考える」を思わず買ってしまいました。

それで、セレンディピティについて、ささやかな Aha! があって

でも時間がなくて・・・書けません!

続きはまた後で!  

では、行ってきます!

投稿: TOMOはは | 2006/01/26 8:12:54

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