埋もれた本質
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、アートディレクターの佐藤可士和さん。
佐藤さんは、美大を出て博報堂に入った
あと、しばらくは広告におけるアートディレクション
の方法論がわからず、模索していたという。
「これ、かっこつけてて、かっこ悪いね」
と尊敬する先輩のスター・クリエーターに
言われて落ち込んだそうだ。
それが、鈴木聡さんと仕事をしたり、
ホンダのステップ・ワゴンのプロジェクトに
巡りあったりする中で、次第に
「対象の本質の中に、表現は自然な
形で埋まっている」ということを発見
していったという。
本質をつかみさえすれば、あとは子供の
時から人には負けない絵の表現力で
それを形にすることができるという
のである。
現代アートにも造詣が深い佐藤さんだが、
広告は現代美術ならぬ現実美術であって、
時代が最も求めているアート表現であると
確信していると話す。
強烈にクリエイティヴの魂が
スィングした。
佐藤さんの言葉が、非常に論理的で
緻密なのも、考えてみれば当たり前かと
思う。
感性が曖昧にして数学的秩序とは異なる
というのは、クオリア以前の話で、
クオリア以降は、感性がロジックと
一つながりの大陸であるということは
むしろ自然なことになるはずだ。
我々の精神運動の背後には、すべからく
数学的秩序があるのであって、
ただ現在の科学水準&数学発達段階に
おいては、それが見えないだけの話だ。
素数やフィボナッチ数列の話だけが
「数学」なのではない。
そう思って世界を眺めてみると、
地上にすでにプラトン的世界が現出している
ことがよーくわかる。
そういう意味で言うと、佐藤可士和さんは
数学マエストロでもあるわけである。
この世の有り様は本当に不思議で、
今こうして日本では寒さの中でふうふう
言っている中でも、
ボルネオのジャングルの中では様々な
生き物が照り輝いて生を燃焼しているわけで、
その全体を見渡すことができる神様
ならばともかく、
所詮有限の立場に置かれた人間には
世界の中に埋もれた数学的本質という鉱山の
ごく一部分しか見えないわけで。
ホットチョコレートが飲みたくなった。
1月 20, 2006 at 05:29 午前 | Permalink
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コメント
>感性が曖昧にして数学的秩序とは異なる
というのは、クオリア以前の話で、クオリア以降は、感性がロジックとひとつながりの大陸であるということは、寧ろ自然なことになる筈だ。
脳科学の最前線がクオリアの問題を明らかにした時、人の感性なるものが、実は数学的秩序とひとつながりのものであることがはっきりする時が来るのであろうか。
>我々の精神活動の背後には、須く数学的秩序があるのであって、ただ現在の科学水準&数学発達段階においては、それが見えないだけの話だ。素数やフィボナッチ数列の話だけが「数学」なのではない。
この世にまだ見えていない、人間の精神活動の背後にひそんでいる数学的秩序…。それについて思い出すのは脳というのは「小宇宙」であるということ。この「小宇宙」の中に、くだんの数学的秩序が隠されているのではないか。
仏典では宇宙を「三千世界」と解き、それは人間の生命の中にもあると解く。
こう書くと生意気!と思われるかもしれないが、茂木さんのいう精神活動の背後にある数学的本質というのはもしかしたらこの「三千世界」と同じようなものなのではないか。そして、有限の生を生きる我々にはやはり、その一部しか見えていないのではないか。
今、日本は(東京は)、寒波が襲い大雪のために死者まで出ているところもある。
が、ボルネオのジャングルのみならず、世界の津々浦々で其々の自然が、また其々の人間が、日々呼吸し、いのちを燃やして生きている。
いまこうしてPCに向かっている時も、世界のどこかで新たなる命が生まれ、また老いた生き物が死に向かおうとしている。そうした生と死のドラマの背後にも、ある数学的秩序に基づく法則が隠されているような気がする。
地上に現出したプラトン的世界の中で、宇宙や人間精神の活動に潜んでいる数学的な本質に、静かに思いを寄せてみたい。
投稿: 銀鏡反応 | 2006/01/20 22:41:08
子どもがやっと、学校に出かけたので・・・
もうひとつ書きたかったこと、「博士の愛した数式」のことですが
原作をこれから読んで、映画をみるか
先に映画をみてしまおうか・・・少し迷っています。
この監督の前作は、DVDを借りて観ました。
季節の色や空気が、自然に映像から伝わってきて
日常の自分が、スーッとその中に入ってしまうような感じでした。
内容も、今の自分にリンクするような気がしました。
北林谷栄さんは、私がなりたいおばあさんの目標ですし
樋口可南子さんは、私と同い年で、大好きな女優さんです。
茂木先生は、小津監督作品がお好きなんですよね・・・
私も、両親が当時の映画が好きなので、
何作か観て、映像を見ればすぐに、監督が特定できるような
カメラワークとセリフの間があったように記憶しています。
結婚するまで、鎌倉に住んでおりましたし
今はもうない(?)大船撮影所は、家に帰るバスでよく前を通りました。
伝説の原節子さんは、茂木先生の理想の女性のタイプなのかしら・・・
などと、勝手に想像しております。
投稿: TOMOはは | 2006/01/20 8:50:19
ホットチョコレート・・・いいですね。
主婦としては、きちんとした食生活の管理を心がけるべきなのでしょうが
どちらかというと、そのとき身体が欲しているものを
脳は、食べたいと感じることもあるのではないか?と思い当たりました。
(結局は自分の好き嫌いに他ならないのかもしれませんが・・・)
うちの子は、かなりの偏食で、野菜はあまり食べられませんが
意識して、あるいは無意識のうちに、身体がビタミンを欲するかのように
イチゴを山ほど食べたりします。
ということで、私も無性にチョコレートが食べたくなることがあります。
ストレスを強く感じているときや脳がエネルギーを欲しているような・・・
そんな感覚をもたれたことはありませんか?
・・・何々が、身体にいいからといって
ひとつの食べ物ばかり食べたり、健康オタクになるのも考えものですけれど・・・
さて、昨日は、出かけたついでに、駅ビルの上の大きな書店に行ったので
たくさんの本の誘惑に、ワクワクしながら、楽しい時間をすごしました。
茂木先生のご本ももちろんですが、
“考える力”という青い帯のついた本が、いろいろ置かれていて、
気になる本もたくさんありました。
でも、買ったのはクリシュナムルティの「学校への手紙」と
プレゼント用に探しに行った葉 祥明さんの本がなくて
なぜか、「ヘンリーの仕事」という絵本の2さつです。
ヘンリー・デイビット・ソローという方の暮らしが書かれた絵本で、
わぁ、こんな暮らしができたら素敵だろうなぁ・・・
という私の願望のあらわれかもしれません・・・
投稿: TOMOはは | 2006/01/20 7:31:42