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2006/01/04

ハワイの雨

父親が古希を迎えたので、
そのお祝いもかねて
 オアフ島に行った。

 ハワイに行くのは、高校3年(1981年)、
学会で行った2003年に続いて三回目である。

 Bishop Museumに
行った。
 二回目には訪れなかったから、
25年ぶりである。
 もかすかに記憶の面影があり、
庭に立ってぼんやりと建物を眺めていると
雨が降ってきた。

 その匂いに、ハワイの雨が大好きだったという
ことを思い出した。
 暖かく、濡れても気にならない。
 それが草に落ちて、独特の香りが
風に乗ってやってくると、
 胸がざわざわと騒ぐ。

 前におとずれた時、私は神経質な
高校生で、
 一体自分がどうやってこの世の中で
生きていくのか、わかっちゃいなかった。

 その頃の存在論的不安のような
ものが、
 ハワイの雨の香りとともによみがえって
きた。

 自分がどうなるかわからないという
偶有性は、時につらいものだが、 
 それなしには生きているという
実感もありはしない。

 2006年はどんな風になるのだろう。

 とりあえず今日から目の前の仕事に
追われる日々が続く。

1月 4, 2006 at 08:07 午前 |

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コメント

茂木さんの心中に、常夏の島に降る雨の匂いと共によみがえった存在論的な不安。

自分がこの先どうなるかわからないからこそ、いろいろな不安や、苦悩、哀しみが付きまとうのが人生なのかもしれません。

不確実性と偶有性とが人生の主成分である以上、誰しもがそんな不安に取りつかれるのも無理は無いと思います。

しかし、(こういうと生意気に思われるかもしれませんが)そんな人生にとって欠かしてはならぬもの、それは「希望」なのかもしれません。

自分がどうなるかわからない偶有的な不安を乗り越えさせてくれるもの、それは「希望」しかないのかもしれません。

しかるに、今の世を見渡してみるに、人生において簡単に「希望」を棄て、「絶望」と「悲劇」の人生へと転落していく人の如何に多いことか!

この先何が起ころうと、私達人類は「希望」の2字を常に手放さず、人生を生き抜くことが大事だ。少なくとも私はそう思います。

こう申し上げると「月並み」とお笑いになるやもしれませぬが、常に「希望」を胸に抱いて、前を向いて生きようではありませぬか。

人生何が起こるかわからないものなればこそ、これが必要なのです。

そのほうが人生全体にとって、良いことをもたらすことは間違いないと思います。

それでは今年一年、茂木さんにとりて最も良い年でありますように!


投稿: 銀鏡反応 | 2006/01/04 20:04:18

先日ようやく、雑誌「風の旅人」を購入し、斎場御嶽の記事を拝読させてもらいました。
5年程前、私も齊場御嶽を訪れた、あの時の感覚(クオリア!)が胸の中でぼわわんと広がり、自分の過去もろとも追体験した気分になりました。

勝手な感想ですが、茂木さんの決定論に対する疑問の姿勢と、プラトン的世界を信じる姿勢が矛盾しているかのように感じられるところに共感し、自分を肯定的に見ることができました。

いつも「あの場所」をここで感じれる理想と、「あの場所」へ行かないと感じれない素晴らしさをもって、いまココにいたいなぁと思いました。

いつかお時間があれば、今度は久高島まで足を運んで見られては、と、お薦めします。何もないのですが、何かあるのです。ほんとに何もないんですけどね、不思議なもんです。

投稿: 西永 昌代 | 2006/01/04 16:02:31

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