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2006/01/13

宇都宮さん

 「論座」2006年2月号の
渡辺恒雄さん(読売新聞主筆)と
若宮啓文さん(朝日新聞論説主幹)
の対談を読む。

 渡辺さんの議論には説得力があった。
やはり、戦争を実際に体験した世代は
その発言にのせられるものの厚みが
違う。

 同じ号で、東浩紀さんが
ニューヨークタイムズが日本の
「嫌韓」について取り上げたこと触れ、
サブカルチャーの
現象と、社会全体の傾向を混同しては
いけないと述べている。
 今やマンガをアニメをサブカルだと
言うことにはあまり意味がないと思うが、
ある種の無責任な言説は、「そんなの
サブカルだよ」と決めつけてあげることも
戦略的に重要だろう。
 
 実際の体験の裏付けのないネットの上での
議論は、デジタル情報がダンスを踊っている
だけだと悟るべきである。
 分水嶺は、サブ/メインではなく、
体験やリアリティの裏付けがあるかどうか
にあるのではないか。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録は、
弁護士の宇都宮健児さん。

 ホームレスの人の中には、「闇金」に
多重債務を負って夜逃げした人が随分多いのだと
言う。
 法定利息を超える分は支払う必要が
ないのだが、
 そのような法的知識がない人が犠牲になる。

 「許せないですよ。ごく普通のおばあちゃんや
おじいちゃんがね、食い物にされるんですからね」

 「弁護士が金がもうかっていい、なんてとんでも
ない、社会的弱者を守るためにこそ、
 その仕事はあるんです」

 「金のためでも、自分のためでもなく、
他人のためにこそ一番がんばれると思います」

 宇都宮さんは、おそらく人生の真実をつかん
だのだろう。

 ここのところ情動の記憶のことを
考えている。
 working memoryでも、long term memory
でもない、「第三の記憶」。

 単純な好き嫌いというのとも違う。
 要するに、たとえばこの日記に
どのようなことを書くかという
志向性を形づくっているもの。
 
 朝空を見たら、鳥が飛んでいて、
昔見たシラサギの大群を思い出した。

 宇都宮さんは引退したら田園で
晴耕雨読の生活を送りたいという
ことだが、
 私の中にも、大自然につつまれることへの
抑えがたいあこがれがある。

1月 13, 2006 at 07:41 午前 |

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コメント

信無き言論、煙の如し――これは、ある賢人の残した言葉です。実際の体験や事実の取材に基づかない、無責任な言論は、煙のように空虚ではかないもので信頼するに足らぬ、との意味が込められています。

今回のエントリーの前半部分を読んで、この言葉を思い出しました。
「今やマンガをサブカルと言う事にはあまり意味がないと思うが(私注:既に“純文学化”している漫画もある)、ある種の無責任な言説は『そんなのサブカルだよ』ときめつけてあげることも戦略的に重要だろう」

なるほど!世間に流布している無責任な言説はしょせん「サブカル」でしかないと「きめつけてあげる」ことも大事だと。

「実際の体験の裏付けのないネットの上での議論は、デジタル情報がダンスを踊っているだけだと悟るべきである」(私注:その言説が真か偽かを見分ける時の)「分水嶺は、サブ/メインではなく、体験やリアリティの裏付けがあるかどうかにあるのではないか」

つまりはやはり、実体験に基づかない、空虚なネット上での議論を真偽を確かめる事無く、ただうのみにして、その気になってはいけない、ということなのですね。同感です。

ネット上だけでなく、リアル世界でも実体験や事実の取材による裏付けに基づかない、無責任な言説が蔓延(はびこ)っているだけに、このことは受け手である私達読者にとっても大事なことなのだと思います。

それと、高齢者をダマしてきたリフォーム詐欺の被害者の、救済に取り組んでいる宇都宮弁護士は、常に弱者の側に立つという、弁護士のあるべき姿を示しておられるのだと思う。
このエントリーでも宇都宮さんの言葉が紹介されている。

カネの為でも自分のためでもなく、ただ他者の為に尽くす――このことが、今の人達にはなかなか難しい。

宇都宮さんの仕事の姿勢には、「至誠」の2字が秘められていると思います。学ぶことが多いです。他者の為に誠を尽くす、私達が今、心しなくてはならないことだと思います。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/01/13 23:24:23

「第三の記憶」…

先生のイメージを、そのまま想像することはできませんが

記憶のことは、奥深く そして それゆえに私が私であったり、

逆に、人を何かにしばっているような気もするし…

…知りたいと思う心には、限りが無いものなのでしょうか?

さて、先生のお母様が小倉とありましたが

夫の母は、大連からの引揚ですが長崎が出身で、母を見ていて思うに
九州の女の人は、男の人を立てながらも
実は、しっかりと家を切り盛りする…というイメージがあります。

私の両親は、二人とも静岡県なので

温かい気候と自然に恵まれて、
がむしゃらに何かをするというがんばりは、あまりないけれど
人の世話をやいたり、チョットおせっかいだけど人がいい・・・というタイプです。

もちろん個人差はあるでしょうが、
環境によって、県民性というような特徴があるかもしれませんね。

もうひとつ、朝のスポーツニュースで

ラソーダ監督が、「愛国心」(ということばを使ったかは?ですが)
のことについてお話しているのを見て、いろいろ考えました。

(そもそも「くに」が何をさすかを、言い出すとたいへんかもしれませんが…)

愛することを、誇りに思うこと、と捉えると

そのことと、日本を代表してプレーしようとすることと

いま、自分にもとめられている仕事のために出場を辞退することが

愛国心と結びつけて考えることなのか、疑問に思いました。

うら読みすると、アメリカは、国をあげて何かするとき
そんなふうに、意識を持つようにする国なのかなぁと、感じました。

最近になって、社会のことに関心をもって見るようになったので
いろいろなことが、不思議だったり、とても気になります。

いま、子どもたちにも

大げさなことではなくてもいいけれど
身近な、お父さんの仕事のことや新聞やTVのニュースを見て
どんなことなのか関心をもったり、疑問に思って知ろうとする意識を持ってほしいと思いました。

といっても、それはこちらからの働きかけによってできるものだったり
本人の、自発的なものだったり…いろいろなのでしょうか?

長くなって、申し訳ありませんが…もうひとつ書きます。

日経新聞に津本 陽さんが書いていらっしゃる
“やさしい経済学ー日本の企業家”というコラムの「塩の味と認識力」(1月10日付)に
松下幸之助さんの言葉が載っています。

私にもわかりやすくて、経済にかぎらず、大切なお話に思いました。

経済教室というページです。よかったらご覧になってみてください。

投稿: | 2006/01/13 17:25:44

茂木先生、
昨年の6月のように、
宇都宮さんと、
ぜひ拙宅へお越しください。
そして自然を満喫してください。
鶴首してお待ち申しあげます。

投稿: 河村隆夫 | 2006/01/13 15:25:19

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