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2006/01/31

今日の喝!

わが友竹内薫の薫日記
に時々登場する「喝!」に習って私も。

ヒューザーが18自治体に139億円請求
http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY200601300289.html
不法行為を行ったものが、きちんと取り締まらない
から悪いと開き直るとは、これいかに?

「ジェンダーフリー」
http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY200601300325.html
東京都教育庁はサイテーの統制メンタリティなり。
そのサイテーの言うことを聞く国分寺市も根性がない。

http://hotwired.goo.ne.jp/news/20060130201.html
それはジョブズの方がいいに決まってるだろう。
議論の余地なし。

昨日聞いたのだけども、東京大学は、
打ち合わせに大学の施設を使うなとか、
書いたものの著作権は大学に属するとか、
よくわけのわからないことを言っているそうだ。

そりゃあ、そういうルールをつくるのが
仕事の人が、そういうことを言いたがるのは
わかるけど、何かはき違えていないか。
教授が東大のemployeeに堕しては困るんで
あって、
チョムスキーとか柳田国男のように知の個として
輝いて欲しいんじゃないのか?

福澤諭吉は、「門閥制度は親の敵でござる」と言った。

ごちゃごちゃ統制したがるヤクニン根性は、
創造性の敵でござる。

1月 31, 2006 at 09:09 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 仕事の流儀 佐藤可士和

プロフェッショナル 仕事の流儀 第4回

ヒットデザインはこうして生まれる
〜アートディレクター・佐藤可士和〜

SMAPのCDジャケット、ホンダのCM、キリン発泡酒の広告、楽天のロゴなどなど。彼のデザインを見ない日はないとまで言われる、日本を代表する人気アートディレクター、佐藤可士和(40歳)。ヒット商品を生み出す秘密は、「アートディレクターは医者、デザインは処方箋」。商品のパッケージデザインや、新製品の広告戦略の立案などの舞台裏を密着取材。デザイン界きってのヒットメーカーの発想の秘密に迫る。

NHK総合
2006年1月31日(火)21:15〜21:58

http://www.nhk.or.jp/professional/

1月 31, 2006 at 07:45 午前 | | コメント (3) | トラックバック (7)

とどまることなく

 東京財団の「キャラクター創造力」研究会。
 鎌田東ニさん、牧野圭一さん、船曳建夫さん、
清谷信一さん、野崎裕司さん、相原博之さん。

 続いて「新年会」。

 東京財団近くの、中華料理屋で。
 三枝成章さんと、やすみりえさんも
合流。

 二次会は西麻布の月光庵で。

 月光庵で飲んでいる時に、ふと思った。

 本来、情報というものは、一瞬も
立ち止まらないものだ。

 DNA。
 文字。
 そして、今、インターネット上のデジタル情報。

 そんな「固定」した情報のフォーマットに
慣れてしまった私たちだが、
 本来、生命運動において立ち現れる
「情報」たちの、いかに揺れ動き、
流れ、立ち止まらないことか。

 意識の中のクオリアの、またいかに
ダイナミックに変化することか、ああ。

 人生、決して同じままでとどまること
などない。
 変化こそ是人生、と悟り、
覚悟を決めるべきなのであろう。

 三枝さん、船曳さん、やすみさん
ということでエンジン01の話に
なったが、
 島田雅彦は電話をした時近くにいたにも
かかわらず、なぜか西方に逃亡して
現れなかった。 

1月 31, 2006 at 07:40 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/01/30

風の旅人 第18号

風の旅人 第18号 2006年2月1日発行

茂木健一郎 連載 今、ここから全ての場所へ
第三回「子供の領分を守り抜く意志」

一部抜粋

 現実との折衝の中にいつの間にか魂を摩耗させ、遠い国の戦争を伝える新聞記事をあくびしながら読み飛ばし、罪を犯した者をあいつは俺たちとは別だと切り捨てて顧みない。もし、全ての大人がそのような陳腐な素材で魂を満たしていくのだとすれば、この世の中はなんと詰まらない場所なのだろう。
 モーツァルトに限らず、偉大な芸術が人類に与える恩寵は、「それが何で満たされるのだろう!」という空白に対する希望が、何らかの具体によって充足された後でも生き続けるという点にあるのではないか。

全文は「風の旅人」でお読みください。

http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/

1月 30, 2006 at 07:43 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

インタビュー 領空侵犯 憲法論議で忘れていること

インタビュー 領空侵犯 憲法論議で忘れていること
茂木健一郎
日本経済新聞 2006年1月30日朝刊

larger file

記事中、
「人工頭脳」とあるのは、「人工知能」の
ことです。
また、
「(聖徳太子の)十七条憲法を日本の憲法の
方言のひとつとして・・・・」
とあるのは、
「(聖徳太子の)十七条憲法を日本の憲法の
法源のひとつとして・・・・」
の誤りです。
1215年制定のマグナ・カルタが英国憲法の
法源の一部だとするならば、日本でも、604年
制定の「十七条憲法」を(非成文憲法の精神における)
憲法の法源として良いだろう、という趣旨の発言
でした。

1月 30, 2006 at 07:17 午前 | | コメント (1) | トラックバック (7)

 ゆとり

 半蔵門の
 PHP研究所にて、
 「次代を考える東京座会」
の第二回会合。
 メンバーは
 池内恵(思想史、中近東)、
牛村圭(思想史)、北康利(作家)、
中西寛(国際政治学)、福田和也(文芸評論家)、
古川元久(衆議院議員)、茂木健一郎、
若田部昌澄(経済学)、永久寿夫(選挙制度)

 今回は、古川さん、私、若田部さん、
池内さんが順番に日本の現状についての
問題提起をした。

 古川さんはダボス会議から戻ってきた
ばかりで、そのフィードバックをかねて、
人口減少、エネルギー問題、ナショナル・
アイデンティティの問題を。

 若田部さんは、「経済成長」を軸に、
経済学史について。

 そして、池内さんは中東問題を軸に、
世界における「特殊項」と「普遍項」
のせめぎ合いについて語られた。

 私は偶有性を中心にお話したが、
福田和也さんが、「今の話はベルクソンの
創造的進化に通じますね。「さいしょのペンギン」
はエラン・ヴィタールでしょ」とさっそく
鋭い指摘をされた。
 
 中西さんは、自分が考え、感じられた
ことを精緻、完備な形で言葉にすることに
長けている。

 牛村さんもそうだが、余計なdiplomacyなど
なく、ただ率直に意見を述べ合う、
 大変素敵な会になりそうである。

 今後基本的に二ヶ月に一回開かれる予定。

 ところで、東横インが、身障者用の
駐車スペースや客室をいったんはつくり、
検査をパスした後で改修していたという
問題は、久しぶりに心の底から
腹が立つニュースだった。

 品性下劣、である。

 その一方で、弱い立場の方を思いやる、
心のゆとりがこの国に果たしてどれくらい
あるのだろうとも思う。
 功罪入り交じる小泉改革だが、
 そのような意味での心のゆとりを
なくしたことは間違いなく「罪」だろう。

 イギリスやアメリカなどで、
駐車場にすーっと車を入れていくと、
当たり前のように一番良い場所に
wheel chairの表示がある。

 気持ちが良いが、そのようなことが
できるのも、生活空間にゆとりが
あるからである。

 まるで効率最優先の集積回路のような
日本の都市空間で、どれくらい他者への
心のゆとりが持てるのか。
 一体どんな国に作り上げてしまったのか。
 東横インだけでなく、我々
一人一人がsoul searchingすべきじゃないか。

 それと、本当の「ゆとり教育」とは、
他者のことを思いやれるゆとりを
育むことだと思うよ。

1月 30, 2006 at 06:50 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/01/29

脳の中の人生 倫理は他人のためならず

ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月12日号
(2006年1月30日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第88回
倫理は他人のためならず

一部引用

 ところが、ここに一つの問題がある。「ぎざぎざ」のパターンを構成する色素をつくること自体にはそれほどのコストはかからない。実際には弱い個体でも、「ぎざぎざ」を偽装しさえすれば優位に立つことができるとすれば、相手をだまして「勝ち」に走る個体が増える。その結果、「ぎざぎざ」という優位性を示すはずだったシグナルが、機能しなくなってしまう可能性があるのである。
 どうすれば、「見かけ」を「実質」と一致させることができるか? ハチたちは、偽装者が見破られた時は「罰」を加えることで秩序を保っていることがわかった。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

1月 29, 2006 at 05:46 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

『プロセス・アイ』新聞広告

本日(2006年1月29日)付の朝日新聞朝刊
に、『プロセス・アイ』
を含めた徳間書店の
文芸新刊の広告が掲載されています。


1月 29, 2006 at 09:48 午前 | | コメント (0) | トラックバック (3)

サブカル

新宿で日本テレビの竹下美佐さん
と落ち合う。
 2月4日放送の「世界一受けたい授業」の予告番組(2月3日、16:00
〜16:30)のコメントを撮影。
 
 寒風の中、住友ビルへ。

 朝日カルチャーセンターの講座。
 開始早々、「5時までの四時間ですので、
途中で休憩を入れて・・・」
と言ったら、担当の神宮司英子さんが、
「えぇっ、先生、2時間ですよ!」
と。

 思わず、唖然。
4時間の講座だとばかりかたく思いこんで、
その分のマテリアルも用意してあったのだ。

 気を取り直して、厳選した内容を
提示。
 ちくま新書「脳」整理法
に基づいた講座で、
 本の趣旨をさらに発展させたもの。


 まず、スケールの変化に基づく宇宙の変貌を
描いた古典的名作「Powers of ten」(1977年)
を見て、世界知と生活知の話を始める。
 「人の心がわかる」ためには、相手に共感する
能力と、論理的な思考能力が両方必要であるという
話。
 数学の問題をいくつか解く。

 小津安二郎の「お茶漬けの味」を見る。

 現代社会においてもっとも必要とされる
のはコミュニケーション能力と創造性
であり、
 その創造性の研究のモデルとなっている
「コントロール可能なひらめき」
の事例として「アハ・センテンス」を
紹介。

 実際に、自分たちで考えて、それを
お互いに「見破り」あう「アハ・破り」
をする。

 榊原淑子さんの作品が一番素晴らしかった、
ということで、賞品(『プロセス・アイ』のサイン本)
を献呈。

 懇親会は、筑摩書房の増田健史や、
NHK出版の大場旦、幻冬舎の大島加奈子さん
や筑摩書房の伊藤笑子さんなど、いろいろな人が
入り乱れた。

 京王プラザホテルの「樹林」で
大場旦を前にしていた時、
突然「そうだ!」
と思って、
 思想系なんてサブカルじゃん!
と言い放ってしまった私がいた。

 これには伏線があり、増田健史や
大場旦と話していると、いつも日本の
思想系の学者、書き手の話になり、
 こちらもそれほど多くの本を
読めるわけではないのだが、 
 勉強になると思って何時も乗って
「抵抗」しているのだが、
 そういえば別に世界全体を引き受けて
いるわけじゃないじゃん!
 と突然反撃したくなってしまったの
である。

 ここに言う「世界全体を引き受ける」
とは、つまりこの宇宙の因果的運行を
含めて存在論と認識論の交錯する場所
から何かを考えるということで、
 日本の社会思想系の書き手は、
皆さんそれぞれexcellentではあるけれども、
決定的に因果的運行を記述する知と
しての自然科学的、数理的知に欠けている
じゃん!
と私は思ってしまったわけである。

 私の最近の「サブカル」の定義は、
世の中に「上」と「下」があって
その「下」の方、ということではなく、
全体性を引き受けずに部分的な議論で
済ますもの、という風に変化しており、
漫画でもアニメでも、全体性を引き受ける
ことを志向するものはサブカルではないの
である。

 その意味で、難解な言葉を用い、
マルクスやヘーゲルなどなどの
古今東西の思想家を引用して現代社会に
切り結んでいるかのような現代の思想の
言説のかなりの部分は、コップの中の
嵐のごときサブカルじゃん、それに
自覚的ではないのはダサイじゃん、
と大場旦に申し上げてしまったのであった。

 このあたりの断絶は、特に日本に
おいて深い。
 我が友竹内薫の苦闘の理由も、
そこにあるのではないかと思う。

 その前の議論で、なぜ薄い本ばかりが
売れるのか、ということを話して
いたのだが、
 つまりは全体性を引き受けるような
骨太の知がないからじゃないか、
と私は自己反省な意味も含めて覚醒した。
 
 これは立派な知の本だ、と衒っている
ものたちも、
 実はタコツボという意味で、
心あるものの批判を浴びている薄味の
ベストセラーとさほど変わらないのだろう。

 一億総サブカル化現象を抜け出す方策は
結局はまっとうな本道を疾走することであった。

1月 29, 2006 at 09:35 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/01/28

(本日)朝日カルチャーセンター 「脳」整理法

東京・新宿 朝日カルチャーセンター
2006年1月28日(土)午後1時〜5時
茂木健一郎 「脳」整理法

脳は、世界との交渉で得たさまざまな体験を「整理」し、消化する臓器として進化してきました。その脳が、おびただしい量の情報やモノに囲まれ、悲鳴を上げています。 「記憶力」とは、体験したことをそのまま保存・再生する能力と思いがちですが、実は記憶を編集し、整理することによって新しい意味を立ち上げる能力です。講座では最新の脳科学をもとに、脳とはどんな存在なのかを明らかにします。さらに、ひらめきを鍛える、幸運をつかむ、他人とうまく付き合う、チャレンジする勇気をもつなど、脳の本質に即した、生きるヒントをお話します。

《参考書》『「脳」整理法』茂木健一郎著 ちくま新書

(当日申し込みもできます)

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0601koza/A0301.html#

1月 28, 2006 at 09:00 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

セレンディピティの密度

お台場の日本科学未来館に
「サイエンス+フィクション」
展を見に行く。
(2006年2月27日まで)

 美術手帖編集部の斉藤哲郎さんと
一緒。

 「グローバルカルチャー、自己と他者の構造」

の中心展示、「フロンティア・バス」
に激しく心を揺さぶられてしまった。

 バスの座席に座ると、フロントガラスに
ドイツ・ゲッチンゲンのInstitute for Scientific Films(ドイツ語の略では、
IWF)

が収集した、世界各地の民俗学的資料映像が
映し出される。

 シャーマンとか、ウィッチ・ドクターとか。

 男たちが3人、裸で地面に座り、
一人が細長い「木の実」のようなものを4つ重ねる。
その上に、木からくりぬかれたボウルの
ようなものをかぶせる。

 しばらくエイヤっとその
ボウルを叩いてから、ひょいと持ち上げると、
なぜか4つの木の実が地面の上に立っている。

 つまりは、「手品」のようなものらしいのだが、
本人たちの風情が何とも良い。やる気がなさそうな、
それでいて確信犯のよろこびにあふれているような、
 何とも言えない印象なのだ。

 腰にわずかな覆いをつけただけの男が
ふらふらと両手を挙げながら歩いていったり、
 ワニに鳥をたべさせ、その横を
頭にツボをのせた女たちが通り過ぎて
川に水を汲みにいったり、
 「人間はこういう生活をしていたのか!」
という驚きにあふれた映像の数々。

 一周30分くらいかと思うが、
思わず全部食い入るように見てしまった。

IWFのDVDリストの頁で、
解像度は悪いが、ストリーミングで映像を
見ることができる。

 研究所へ移動。
 Sony Music Artistsの出口豊さんと
打ち合わせ。

 ゼミ。小俣圭、恩蔵絢子、関根崇泰が
論文紹介。

 銀座へ。
 資生堂ワードフライデイで
「理解できないことは何か」という
テーマで話す。

 終了後、バックステージの美しい
空間でワインを飲む。
 昼間に見たIWFの映像が脳裏に残っていて、
人間なる存在の多様さをしみじみと
感じていた。

 セレンディピティの話もしたが、
一日のうちで、
IWFの民族学資料映像と出会ったことが最大の
それであった。

 あの映像を見るだけでも価値があると
思うので、会期中お時間がある方は是非お台場へ。

1月 28, 2006 at 08:54 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/01/27

「プロセス・アイ」専用掲示板

茂木健一郎『プロセス・アイ』(徳間書店) 専用掲示板を作りました。
ご感想、ご質問等お寄せください。

http://6327.teacup.com/processai/bbs

1月 27, 2006 at 08:18 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

Bダッシュ時々ビール

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録。

 キリンビバレッジで缶コーヒーの「Fire」や、
「生茶」など、数多くのヒット商品を企画して
きた佐藤章さん。

 佐藤さんはトップの成績を
上げる営業マンだったが、自ら希望して
配属された商品企画部で「挫折」
する。
 マーケティングの用語などが全く
わからず、言葉が自分のものとは思えず、
会社に行きたくなくなり、
 ある日、思わず「つー」と頬を涙が
伝ったという。

 ついに、「商品管理」の部署への
移動を命ぜられる。
 失意の佐藤さんに、「そんなにやりたいんだったら、
この部署で企画をやってもいいんだよ」
と声を掛けてくれた上司の方がいて、
 「本物のビールつくり」を学びに
ドイツに派遣されたことが転機となる。

 良いビールは、意図的に「作る」のでは
なく、条件を整えて「醸し出す」んだ
ということを理解した時に、
 佐藤さんは自分なりの商品企画の
スタイルをつかんだという。

 自分の流儀を掴むまでは
苦しい。
 掴んでしまえばなんとかなる。
 それが人生の実相ではないか。
 
 佐藤さんの涙は無駄にはならなかったの
だと思う。

 打ち上げ。
 佐藤章さん。
 有吉伸人さんや、住吉美紀さん、細田美和子さん
といったいつものメンバーや、
 キリンビバレッジの広報部長の坪井純子さん、
本田誠さんが出席。

 場所はNHK近くの「熊吉」でした。

 収録の後、NHK出版の大場旦さんと
しばらく立ち話。
 懸案となっている「脳と美」の本は
いつ書けるのか、という話。

 さすがに、ここのところのあまりの
ハードスケジュールに私もいささか
参り気味で、
 できるだけ仕事を入れずに、
 心を込めて向き合わなければならない
ことにかける時間を持つための
 「スペース」をつくろうと
思っているんです、
 と大場旦さんに説明した。

 学生たちとの論文を書く時間も
たっぷりとらないといけないし、
 意識における時間についての
論考もまとめたい。

 やらなければならないことの山を
考えると、「うゎー」となりそうだけど、
 「Bダッシュ」(たとえが古いか)
で乗り切りたい。

 そして、時々ビール。

1月 27, 2006 at 05:38 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2006/01/26

錯視ルネッサンス

 昼間は、ずっと家で休養。
 
 畏友池上高志が、東大駒場キャンパスの
学生を連れて研究所を訪問する
というイベントがあったのだが、
 その案内役を田谷文彦くんに
頼んだ。

 すべてうまくやってくれたようである。
田谷くん、ありがとう!

 夜、どうしても出なければならない
仕事があって、大手町へ。
「日経サイエンス」で4月号から始まる
 対談シリーズの第一回。
 錯視の研究で有名な北岡明佳さん。

 お話を聞きながら、かの有名な「蛇の回転」
をじっくり見て、いろんなことに気づいた。
 「今日はいつもより大きく回っています」

 私がケンブリッジにいた95年から97年に
かけて、錯視の話は随分聞いたが、
 もう収束に向かって、細部を詰めている
研究分野だと思っていた。

 ところが、昨年スペインのECVPに行った
時に、画期的に「錯視量」が多い「作品」
が数多く発表されていて、
 その驚異の新世界に目眩がした。

 北岡さんによると、コンピュータの
普及とプリントのクォリティの向上により、
それまで不可能だった繊細な表現が可能になり、
次々と新しい錯視が発見される一大ブーム
状態になったのだという。

 「大体、ウィンドウズ98が普及した、
98年くらいからですかね」
と北岡さん。

 北岡さんの『トリック・アイズ』に
掲載された錯視の数々の「錯視量」は
格段に多く、まさに驚異である。

 面白かったのは、北岡さんが、
「錯視量が多いほど、その図形は美しい」と
信じていらっしゃることは良いとして、
「全ての美しいものの背後には錯視があるはずだ!」
と思っているということで、
 「いやあ、京都にいるでしょ。春になって、
桜の花などを見ていると、これは確かに美しいけれども、
錯視があるわけではない。困った、なぜだろう
と考えるんですよ」
と北岡さん。
 いや、本当は錯視があるのかもしれません。
 美の錯視一元論は面白い仮説である。

 対談終了後、立ち話。
 「アウェアネス」や、「モーダル」
「アモーダル」といった意識の起源や
クオリアの属性自体を問うことは、
北岡さんのやられている知覚心理学では
「できれば避けたい」
ことで、
 というのも、常に「行動主義」の
残照が頭のカタスミにあるからだという。

 自分たちのやっていることは
行動主義には還元できない現象学的な
レイヤーの事象なのだが、
 その起源自体を問うとパンドラの箱が
開くので、
 現象学的次元の中でテクニカルに
詰められることは詰めたいというのである。
 
 なるほど! 
 大変よくわかるような気がします!

 家に帰り、すばやく眠る。
 やがて意識がなくなる。
 この世の全ては錯視かもしれない。

1月 26, 2006 at 06:40 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

2006/01/25

「脳の中の人生」と「プロセス・アイ」

産経新聞「著者に聞きたい」
2006年1月15日付誌面

http://産経新聞.jp/news/060115/boo007.htm

1月 25, 2006 at 12:18 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

対談 脳の科学はパラダイス

光文社 BRIO  2006年3月号
(2006年1月24日発売)p.62〜65
対談
脳の科学はパラダイス 松尾貴史×茂木健一郎

http://www.kobunsha.com/CGI/magazine/hyoji.cgi?sw=index&id=006

1月 25, 2006 at 07:51 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

マイ・バッファー

 朝一番で、NHKでの打ち合わせ。
 
 田園都市線の鷺沼から、タクシーで
聖マリアンナ医科大学へ。
 
 難病治療センター研究センターの
五十嵐理恵さんや、山口葉子さんが
シンポジウムに呼んでくださった。

 病院の正面玄関から入ると、聖母マリアが
幼子キリストを抱いている像。
 やわらかな印象。

 まず冒頭に西岡久寿樹さんのお話が
あり、
 センターの活気ある雰囲気が伝わってきた。

 続いて私が話す。遺伝子やプロテオーム、
DSS(drug delivery system)を研究している
方々に脳のシステム論的な性質から
出てくる心の問題をどのように伝える
ことができるか。
 
 Heterogeneous, structured, and long distance correlation linking local stochasticity in the brain correlates with the robust handling of contingency encountered in the agent's interaction with the environment.

 という視点から、五十嵐さんや山口さんの
やられているようなナノレベルの話にも
つなげられるのではないかと思った。

 ゲノム医科学研究部門の話を伺った。
シノビオリンを中心とした話。
 疾病原因となるの遺伝子の研究は、
操作可能性という視点から見て興味深い。
 
 五十嵐さん、山口さんに
 DSS研究室を見せていただく。
 私は大学院の時は電子顕微鏡で
タンパク質の構造解析を
する研究室にいたから、
 パラフィルムや、ピペットマン、
遠心分離機など、様々なものがなつかしい。

 PBSと書かれたボトルがあり、
「あれ、これ、良く知っているよ、何だっけ?」
とたたずんでいると、五十嵐さんが
 bufferですよ、と教えてくれた。
 そうだった。PBS buffer、よく作った
ものである。

 私は乱暴だったので、「bufferは自分でつくりなさい」とばかりにマイ・バッファーをつくらされたが、
 DSS研究室では仲良く共有しているようだった。

 体調があまりおもわしくないので、
夕方からの予定を早めに切り上げて
 家でおとなしくしていた。

 おかげで、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
を3回目にして初めて生で見れた。
 ますます良い番組にしていきたい。

1月 25, 2006 at 07:49 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/01/24

プロフェッショナル 仕事の流儀 杉野英実

プロフェッショナル 仕事の流儀 第3回
あたり前が一番むずかしい 〜パティシエ・杉野英実〜
NHK総合
2006年1月24日(火)21:15〜21:58

http://www.nhk.or.jp/professional/

1月 24, 2006 at 08:21 午前 | | コメント (3) | トラックバック (4)

うらぶれ感警報

講談社の 『心が脳を感じる時』(1999年)は、
『脳とクオリア』(1997年)
を受けて、小沢久さんと毎週のように午前2時、
3時まで打ち合わせ(飲み)をしながら
つくった入魂の書である。
 クオリア一元論から「志向性」へと
目を啓かれた記念すべき本だが、長らく
絶版だった。
 
 ちくま学芸文庫に入れていただくことになり、
ゲラを読んで修正する作業を進めていた。
 そのゲラを渡そうと、編集長の大山悦子
さんと新宿南口で待ち合わせしていたのだが、
 電車に乗って丸山健二さんの『貝の帆』
を読んでいたら、いつの間にかふっと
時間の流れが消えて、気づいたら何駅か
乗り越していた。

 ああいう時の意識の流れは独特である。
大山さん、すみません。
 大変丁寧にゲラの疑問点をご指摘いただき、
ありがとうございました。

 週刊文春 編集部次長 藤森三奈さん、
 特派カメラマンの山田真実さん、
 フリーランス・ライターの柴田育子さん
 そして阿川佐和子さんがいらっしゃる。

 「阿川佐和子のこの人に会いたい」の対談。

 阿川さんの「ツッコミ」パワーは
全開だった。
 思わず、「悪魔のようですね」
と口走ってしまった。
 ウィットに富んだ対論は大変楽しい
ものでした。

 柳川透と話す。
 柳川は最近心の理論への関心を復活させた
らしく、 
 ダムが崩壊したごとき勢いで考えていることを
投げかけてくる。

 もっと議論する時間がとれたならと思う。
 ふらふらと雑談するような時間は
大切である。

 最近は仕事を減らそうと、やむを得ず
様々なご依頼をお断りしているのだけれども、
 それでも一向に余裕がない。

 特に今週前半は気がつくとほとんど
時間破産である。
 一体どうしたら良いのだろう。

 新宿の鍋屋で中央公論新社主催の
『脳の中の人生』の打ち上げ。
 中央公論新社側から、
 岡田健吾さん(中公新書ラクレ)
 濱美穂さん(婦人公論)
 松本佳代子さん(中公新書)
 ヨミウリ・ウィークリーの
川人献一編集長、二居隆司さん、
 それに、「脳の中の人生」のイラストを
描いてくださっているサダヒロカズノリさん。

 途中、二居さんに読売新聞記者より
「堀江社長 今夜中に逮捕の見込み」
という電話が入った。

 帰路、新宿駅地下のトイレに入ったら、
逮捕を伝える号外が一部置かれていた。

 寒いし、なんだかうらぶれた雰囲気
になる。
 細胞が分裂してある定まった顔になって、
それはそれで仕方がないのと同じように、
 人生そうなっちゃって逃げ場がないことは
あるなあと思う。
 それが身体性か。

 私のライブドアとの接点は、オン・ザ・エッジ
時代から売られているメールソフトEudoraくらい
だが、
 webでversion upの手続きをしている
時などに感じた会社の「気配」というものは
確かにある。

 そのプロセスで、
 一度もウキウキしたり、impressされたりした
ことはなかったから、昨年来の時代の寵児扱いに
私は身体や感性がついていかなかった。

 それでも、鬼の首をとったように
言い立てるのにも違和感がある。
 誰かも言っていたが、自らの判断や
感性こそを自問すべき、soul searchingの
時なのではないか。

 今冬は風邪をひきそうになるたびに
ニンニクを電子レンジでチンして食べ、
栄養ドリンクを飲むことで乗り切ってきたが、
 昨日の午後から再びおかしい。
 とりあえず「カコナール」を飲んだが、
 ホリエモン逮捕から受けたうらぶれ感に
感染して、
悪化させないように気をつけたいと思う。

1月 24, 2006 at 06:09 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/01/23

渋谷FM

渋谷FM 78.4MHz
1/24(火) 18:00 - 18:58
produced by Club King
Any Music But Good
茂木健一郎選曲 (テーマ「富士山」)

 渋谷FM

1月 23, 2006 at 12:19 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

脳の中の美を求めて -相互作用する個物はいかに再び個物となるか-

Lecture Records
 地中トーク
 茂木健一郎
 脳の中の美を求めて -相互作用する個物はいかに再び個物となるか-
 直島 本村ラウンジ&アーカイブ
 2006年1月21日

 音声ファイル(MP3, 40.9MB, 90分)

1月 23, 2006 at 04:51 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

瓦解

目利きの橋本麻里さんから
「高松にいるんだったらこれを見なさい!」
というメールをいただき、
香川県立歴史博物館
 に平賀源内が制作にかかわった
『衆鱗図』
を見に行く。

 駅から、玉藻公園
を抜ける。
 高松城跡である。

 鞘橋の風情がとても美しい。

 ここで映画のロケをして、主人公の男女が
出会うことにしたら、などと夢想したが、
 公園内の披雲閣では、三島由紀夫原作の
『春の雪』の撮影が実際に行われていたのだった。

 お堀の表情が違うなと思ったら、海水を
引いたものとのこと。
 成長した鯛なども泳いでいるという。
 往時は三重に囲まれていたが、
 一番内側の堀を除いて維新の時に
埋め立てられてしまった。

 江戸の人間は維新のことを「瓦解」
と呼んでいたことが『坊ちゃん』などを
読むとわかる。
 江戸が東京になったのだから、
得をしたようでもあるが、
 当時は薩長に徳川が乗っ取られたという
意識があったようである。

 列強の圧迫の下、仕方がなかったこととは
言え、
 美意識においてはどうだったのかと
思う。
 姫路城などの奇跡的な例外を除いて、
二百数十年続いた徳川時代の美が
 惜しげもなく破壊されてしまったのは、
やはり「野蛮」だったのではないか。

 瓦解なしに近代化するという道筋も
あったのではないかと思うが、
 歴史にifはないのだろう。

 『衆鱗図』は赤エビを見た。

 東京駅に着いて、丸の内を
歩いていると、
 皇居前広場に雪が積もって、
 見慣れぬ美しさを呈しているのが
遠望できた。

 その姿に、あたかも時そのものが
さかのぼったように錯覚される。

1月 23, 2006 at 04:50 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006/01/22

脳の中の人生 なつかしさを処方する

ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月5日号
(2006年1月23日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第87回

なつかしさを処方する

一部引用

 アポロ11号が月に着陸したのは、私が7歳の時だった。
 「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな躍進だ」
 アームストロング船長が、初めて月面を踏みしめた。
 人類が、初めて地球以外の地に立つ。世界中が大騒ぎになったのも当然だろう。今では想像がつかないほど、科学が切り開く明るい未来に人々が希望を託していた時代がそこにあった。
 子供だったから、当時の熱狂ぶりはほんのわずかしか覚えていない。父親に起こされて、深夜のテレビ中継を眺めていたような気もするが、定かではない。
 ただ、一冊の「学習まんが」だけは明確に記憶に残っていた。『こちらアポロ』というタイトルの本で、アポロ11号が地球から打ち上げられ、月に着陸するまでの過程をわかりやすく描いていた。小学校1年生の時に買ってもらい、夢中になってボロボロになるまで読んだことを鮮明に覚えている。大切にしていたのだが、何時の間にかどこかに行ってわからなくなってしまった。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

1月 22, 2006 at 08:51 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

睡蓮の夢

 1月21日土曜日。
 岡山から宇野港、直島へ。

 内藤礼さんの『このことを』を
久しぶりに見る。
 今回は、土の表情と、奥の方にも
配置されている小さなものたちに
注意が向かった。
 予約制で、一人ずつ、15分間
「きんざ」の中に入る。
 あっという間に終わる。

 ジェームズ・タレルの南寺の
インスタレーションは、
 暗順応して見えてくるまでの
時間が記憶していたのより長く感じられ、
 いつまでも見えないのではないかと
一時的に
パニックになったのがかえって新鮮な
体験だった。

 杉本博司さんの護王神社は、
地下室の水に映る階段の美しさに
魅せられた。
 それが未知の世界への扉であるように強く
感じられ、
 開けて入っていってしまいたい、
と衝動にかられた。

 地中美術館の秋元雄史館長、徳田佳世さん、
久米朗子さんとカフェまるやで昼食。
 カレーを食べたかったのだが、
かきのみそ煮が美味しそうでそっちに
してしまった。

 2006年10月から本村地区で
新たな展覧会があり、
 そこでなんと「家プロジェクト」形式の
作品が十以上付け加わり、
 パーマネントに展示されることになる
見込みだという。

 現状の4が一気に20近くになるわけだから、
すでに直島は一日では見きれない状況に
なっているが、
 滞在型の観客が増えることになるだろう。

 池の畔に女性作家だけを集めた
新美術館建設の予定もあると聞く。
 直島の動きから目が離せない。

 午後二時から
 地中トーク。
 縮小写像の、文脈とクオリア、偶有性、
命がけの跳躍について話す。

 たくさんの質問をいただき、
ありがとうございました。

 美術編集の逸見陽子さんや、水戸芸術館の高橋瑞木さん、
『ポピュラーサイエンス』の廣川淳哉さんなど、
見知った顔も。

 電通の佐々木厚さんが研究会の
仲間といらしていて、
 一緒に地中美術館へ行く。

 モネの部屋と再会。
 白い壁と床に包まれて、幸せな気持ちに。

 佐々木さん一行と高松に渡り、
佐々木さんお勧めの寿司屋「亀太郎」へ。
 NTT出版の牧野彰久さんも合流し、
仕事の催促をびしっと受けた。

 AOCというこれまた佐々木さん
お勧めのワインバーへ。
 美味しかったが、ついうとうととした。

 高松のバーでの睡眠は甘かった。
 睡蓮の夢を見たかもしれない。

1月 22, 2006 at 08:41 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

アイルランドの緑

 1月20日、金曜日。

 25ans(ヴァンサンカン)の
四条江里花さん。
 inner beautyについて。

 研究所所長の所眞理雄さんと
昼食を食べながらミーティング。

 『オール読物』の荒俣勝利さん、
室山裕花さん、文藝春秋写真部の
山元茂樹さん。
 鏡リュウジさんとの対談。
 最近のスピリチュアル・ブームについて

 文藝春秋の対談や、インタビューには、
速記者の方がいらっしゃることが多い。
 リアルタイムでこちらには
抽象的文様としかわからない線が書き連ねられて
いく様子は驚異である。

 The Brain Club(研究室のミーティング)
箆伊くんと星野くんが担当。
 実は私も担当だったということが
判明して、
 さささと終わらせる。

 箆伊くんはHaggardがやっているような
agencyにまつわる時間知覚に
興味を持っているようだ。
 近くEEGを導入する予定なので、
いろいろな実験ができるようになるだろう。

 『脳と漫画』第一回。
 赤塚不二夫の漫画を幾つか読んで、
イギリスのコメディにおける漫画的表現の
例としてFather Tedを取り上げた。

 アイルランドの緑の平野に包まれて
ゆっくりとしてみたい。

1月 22, 2006 at 08:38 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006/01/20

『プロセス・アイ』 2006年1月25日発売

茂木健一郎 『プロセス・アイ』

徳間書店
2006年1月25日発売

amazonのページ

http://www.tokuma.jp/ ->書籍新刊->プロセス・アイ

1月 20, 2006 at 06:11 午前 | | コメント (1) | トラックバック (3)

(明日)地中美術館talk

“脳の中の美を求めて”
茂木健一郎

2006年1月21日(土)午後2時〜
直島・地中美術館

http://www.chichu.jp/j/education/talk.html

1月 20, 2006 at 05:53 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

(本日)脳と漫画 第一回

朝日カルチャー講座 脳と心を考える
脳と漫画 第一回
2006年1月20日(金)18:30〜
東京 新宿 朝日カルチャーセンター

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture23.html

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0601koza/A0301.html#

1月 20, 2006 at 05:50 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

埋もれた本質

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、アートディレクターの佐藤可士和さん。

 佐藤さんは、美大を出て博報堂に入った
あと、しばらくは広告におけるアートディレクション
の方法論がわからず、模索していたという。

 「これ、かっこつけてて、かっこ悪いね」
と尊敬する先輩のスター・クリエーターに
言われて落ち込んだそうだ。

 それが、鈴木聡さんと仕事をしたり、
ホンダのステップ・ワゴンのプロジェクトに
巡りあったりする中で、次第に
 「対象の本質の中に、表現は自然な
形で埋まっている」ということを発見
していったという。

 本質をつかみさえすれば、あとは子供の
時から人には負けない絵の表現力で
 それを形にすることができるという
のである。

 現代アートにも造詣が深い佐藤さんだが、
広告は現代美術ならぬ現実美術であって、
 時代が最も求めているアート表現であると
確信していると話す。

 強烈にクリエイティヴの魂が
スィングした。

 佐藤さんの言葉が、非常に論理的で
緻密なのも、考えてみれば当たり前かと
思う。
 感性が曖昧にして数学的秩序とは異なる
というのは、クオリア以前の話で、
 クオリア以降は、感性がロジックと
一つながりの大陸であるということは
むしろ自然なことになるはずだ。

 我々の精神運動の背後には、すべからく
数学的秩序があるのであって、
 ただ現在の科学水準&数学発達段階に
おいては、それが見えないだけの話だ。

 素数やフィボナッチ数列の話だけが
「数学」なのではない。

 そう思って世界を眺めてみると、
地上にすでにプラトン的世界が現出している
ことがよーくわかる。

 そういう意味で言うと、佐藤可士和さんは
数学マエストロでもあるわけである。

 この世の有り様は本当に不思議で、
今こうして日本では寒さの中でふうふう
言っている中でも、
 ボルネオのジャングルの中では様々な
生き物が照り輝いて生を燃焼しているわけで、
 その全体を見渡すことができる神様
ならばともかく、
 所詮有限の立場に置かれた人間には
世界の中に埋もれた数学的本質という鉱山の
ごく一部分しか見えないわけで。

 ホットチョコレートが飲みたくなった。

1月 20, 2006 at 05:29 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2006/01/19

 トンカントンカントンカントンカン!

朝のうちは曇っていたけれど、
そのうち日の光が差し始めた広島。

 撮影が始まる前に、
ひとりで平和記念資料館の前に
立ってしばらく眺めていた。

 以前に来た時にはそれほどの
印象を受けなかったのだが、
あらためて見るととても小さな部分まで
繊細な配慮がなされていることが
わかる。

 たとえば、「高床式」の柱
の部分には、
細かい木目がついている。 
 舟を思わせる微妙な曲線と相まって、
コンクリートで構築されたモダニズムの
建築でありながら、
 まるで正倉院のような古代の
建物という印象も与えるのだ。

 実際、正倉院御物が千数百年の
間大切に受け継がれてきたように、
 資料館の中に収められた1945年夏の
悲劇の証言は、
 人類が滅びない限り永久に受け継がれて
いくべきものなのだろう。

 KIKIさんと一緒に平和記念資料館を中心
とする平和記念公園を巡る。

 KIKIさんは最近では塚本晋也監督の
「ヴィタール」に浅野忠信さんと出演した。
 とてもまっすぐなヒトである。

 慰霊碑に向かうスロープには
微妙な傾斜がつけられていて、
 自然に引き寄せられる形になる。
 手を合わせたようなアーチの向こうに
見える原爆ドームが、近づくにつれて
次第にアーチの中に包まれていく。

 両側の芝生の端にある植え込みと、その下
にある石垣にも、対応する微妙な傾きがあり、
 よく見るとほれぼれとするくらい
美しい。

 平和記念公園のレイアウト自体が、
平面的に展開された丹下健三さんの
「建築」なのだろう。

 新幹線で東京へ。
 さっそく本を読んだり、タイプしたりと
仕事を始めたが、
 名古屋に近づく頃、案の定うとうとと
無意識の人に。

 東京駅で、ちょっと変わった活字の
刺激を脳が求めていることに気づき、
OAZOの中の丸善へ。

 嵐山光三郎の「文人悪食」を買ったが、
これが大当たり。

 男アラシヤマの芸は大変なものである。
余人をもって代え難し。

 地下鉄の中でとても楽しんで読み、
気分をリフレッシュした。

 丹下健三にせよ、嵐山光三郎にせよ、
良い仕事をしている人はなぜ良い顔に
なっていくのだろう。

 作品がその身体から出る分泌物だとして、
それは必ず内実を反映するはずだし、
 また反作用として身体や表情に彫刻
を施していくに違いない。

 丹下は、建築をつくりながら同時に
自分という人間をも建設していたのだ。

 我等、すべからく建設中!
 トンカントンカントンカントンカン!

1月 19, 2006 at 07:57 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2006/01/18

外まで聞こえる子供の声に

 NHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀』
収録打ち合わせ。

 プロジェクトルームが、10階に移った。
まずはコーヒーの自動販売機の場所を
確認。
 100円玉とエスプレッソを
「交換」するとしみじみうれしいのは
なぜであろう。

 霞ヶ関ビル33Fへ。
 
 超高層ビルの先駆けだが、ものごころ
ついたかどうかの頃、父親と
見上げた記憶がある。
 その思い出のビルに用事があって
入るのは初めてと気づく。

 「科学技術への顕著な貢献in2005」
選定者と文部科学大臣の懇談会。
 小坂憲次 文部科学大臣をはじめ、
文部科学省の科学技術政策
担当の方々と向き合う形で座る。

 昼食をとりながら、一人三分間ずつスピーチ。
 私は、科学において技術の側面だけ
を重視するのではなく、
 科学の名誉のために、難しい問題にこそ
チャレンジするべきであること、
 Public understanding of scienceを、
かのMichael FaradayのChristmas lecture
のような形でやることを目指したら
どうかということを申し上げた。

 小坂大臣は、先にストックホルムに
行かれた時に入手したという
 ノーベル賞のメダルの形をした
チョコレートをくださった。
 食べずにとっておくことにする。
 
 新幹線に乗り、広島へ。

 丹下健三の建築についてもう一度
考えようということで、
 平和記念資料館を中心とする
平和記念公園を見るのである。

 クオリアとは何か、伊勢神宮に
象徴される「日本的なもの」とは
何かということについて
 テレコムスタッフの中村健さんや
平田潤子さん、福本浩さんに
話す。

 近くの店で皆で宴会。
 撮影スタッフのかもし出す、
 何とも言えない現場感が良い。

 中村さんは東京学芸大学付属高校の
同窓。 
 私が25期。
 中村さんは13期。
 ちょうど全共闘で、当時の話を
うかがうのが楽しかった。

 ホテルに皆で歩いていく途中、
ふと思い立って一人外れ、
 橋を渡っていった。

 夜11時を過ぎ、暗がりに包まれた
平和記念公園は人の気配がなく、
 時折自転車に乗った人がすーっと無灯火で
通り過ぎていくだけだった。

 場所の記憶というものはあると思う。
今から60年前の夏、この地の上で
間違いなく人類初の原子爆弾は炸裂したのだ。

 原爆ドームのところまで歩いた。
 以前来た時にはなかった「世界遺産」
のプレートがあった。
 そして、広島市民球場はすぐ横にある。

 以前、夏の盛りに炎天下ここを歩いた時に、
これからは広島カープを応援しようと
誓ったことを思い出した。

 あの時、外野席から子どもたちの声援が
外まで聞こえて、
 その様子に心を打たれたのである。

1月 18, 2006 at 08:18 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/01/17

プロフェッショナル 仕事の流儀 佐野俊二

プロフェッショナル 仕事の流儀 第二回
ひたむきに“治す人”をめざせ 〜小児心臓外科医・佐野俊二〜
NHK総合
2006年1月17日(火)21:15〜21:58

http://www.nhk.or.jp/professional/

1月 17, 2006 at 09:02 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

島田さんと『神々の黄昏』

東京文化会館へ、島田雅彦と
『神々の黄昏』を見にいった。

最初に『ニーベルングの指環』全四作を
見たのは学生の時である。
ベルリン・ドイツ・オペラの引っ越し公演で、
ゲッツ・フリードリッヒの演出だった。
皇太子がまだ独身で、東京文化会館の
二階の貴賓席に見にいらした。
まるで
ルートヴィッヒ2世のようだった。

それから、「指環」は随分見ているが、
今回は集英社の岸尾さんのお計らいで、
仕事を兼ねて島田と見る。
仕事がらみは初めてである。

隣りに一癖も二癖もある作家がいるせいか、
何時もと違ったことに目がいった。
Valery Gergiev率いるMariinsky Operaだから、
ロシア的性格もあるのかもしれない。
一幕のごたごたした人間模様が、
いつもよりすっと入り込んでくる。

最近読んだ本に、「女一人と男二人が
無人島に流れ着いたらどうなるか」
というジョークあり。
アメリカ人だったら決闘する、
フランス人だったら一人と結婚して
もう一人と不倫する、
日本人は名刺を握りしめて、
紹介されるまで待っている・・・
などなどとあったが、
ロシア人は、女が好きではない男の方と
結婚して一生悩むとあり、
「うまい!」と思った。

さっき永遠の愛を誓ったと思ったら、
今は忘れ薬を飲まされて
他の女に言い寄っている。
そんなぐちゃぐちゃを演出する上で、
ロシアには偉大な伝統があるのであろう。

ワーグナー自体については、何しろ
数少ない、私が「絶対」と認める
天才だから、
相変わらず感心し、感銘を受ける。

二幕など心憎いほどうまく書けている。

ブリュンヒルデやジークフリートの
ようなプリミティヴな人間像はもちろん、
グンターやグートルーネのような
凡庸で情けない人物も、
それなりのリアリティがあり、
つくづく人間の全体が見えていた
人だなと思う。

『ワルキューレ』でジーリンデが
ジークフリートを腹に宿していると聞いて
生き抜くことを決意する時に初めて
流れる「愛による救済の動機」は、
大団円、ブリュンヒルデが神々の城に
火を放って旧世界を終わらせ、
自己犠牲を行う最後の最後に再び
登場する。

そもそもラインの黄金は「愛」を断念した
アルベリッヒによって奪われたわけであり、
ワーグナーは愛というものの輝きを
書いたわけであるが、
その一方で、
一幕でブリュンヒルデが
これはジークフリートの愛のしるしだと
指環をラインの乙女たちに返すことを拒むように、
愛への終着が、
世界の悲劇に通じることもきちんと見通して
描いている。

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
でも、ハンス・ザックスは愛が時に
世界に破滅をもたらす執着となることを
自省する。

イマドキの日本でおおはやりの純愛バンザイの
単純なる小説は所詮悪い意味でのサブカルに
過ぎないのである。

場所を日本橋に新しく出来たマンダリン・オリエンタル
に移し、島田さんと酒を飲みながら
語り合ったが、
リヒャルト・ワーグナーの革命思想に
触発され、ここのところつもりつもった
平成日本の現状に対する不満、怒りが
爆発してやや荒れ気味であった。

終わっている、ということが、
何か新しいものが来る前兆となれば良いのだが。

海上に頭を出すvolcanoのごとく、
噴火したらすっきりした気がする。
もって精進すべきであろう。

1月 17, 2006 at 07:45 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2006/01/16

新潮社の方々

新潮社の池田雅延さん、松家仁之さん、
北本壮さん、金寿煥さんが拙宅にいらっしゃる。

 新年会、というわけではないが、普段お世話に
なっていることの御礼を申し上げたい
と思ったのである。

 池田さんは長年小林秀雄の担当をつとめられた
方。
 2005年11月4日には、朝日カルチャー
センターにいらして、小林秀雄の思い出を
語ってくださった。

当日の記録

 松家仁之さんは「考える人」編集長。
 北本壮さん、金寿煥さんには、「考える人」
を始め、単行本などでお世話になっている。
 金さんは私の「ホッピーの先生」でも
ある。

 まずは、ドン・ペリニョンで乾杯した。
 冑仏研究家の河村隆夫さん
にいただいたもの。
 河村さん、ありがとうございました。

 その後は、ワインや日本酒を飲みながら、
ゆったりと本の話や、昔の話を
した。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう
もので、気がつくと6時間も談笑していた。

 池田さんが新潮社に入った頃、
 編集者の中には、物書きになるための
1ステップと考える人も多かったが、
 そんな風潮に先輩が一言釘をさしたという。

 生活するためには、一体一年にどれくらい
本が売れて、それが文庫本になってちゃんと
回転して・・・とならなくてはいけないか、
計算してみろと。
 編集者がいかに恵まれているか、わかるだろうと。

 小林秀雄さんは、明治大学で教鞭を
とられたが、「もの書きだけで食えるんだったら、
したくはなかったよ」と池田さんに
言っていたという。

 小林秀雄賞の際に、白洲明子さんから
いただいた本居宣長の掛け軸をかける。

 池田さんは、掛け軸の前に立ってしげしげと
眺めている。
 小林秀雄さんが、「本居宣長」を執筆している
時期にこの掛け軸の前のソファによく
寝転がっていたと聞く。

 「熊谷守一作」と伝えられるが、
定かではない器を
池田さんに「鑑定」していただく。



 「目で触る」の小林秀雄さんそっくりの
図となった。


北本壮さん(左)、松家仁之さん(右)


池田雅延さん(左)、金寿煥さん(右)

 最寄り駅までお送りしたが、
 さて、仕事と思っても、
しこたま飲んだので、頭が働かない。

 そのまま眠ったら、変な時間に起きた。

 近くの公園の森でカラスがかあかあ鳴くのは
明け方だけだと思ったが、
 午前1時30分という深夜でも
鳴いているやつがいる。

The OfficeのDVDを久しぶりに見て、
David Brentの人物造型についてしばらく
考え、
 それからもう一度眠った。

 今朝は池田さんが持ってきて
くださった神楽坂の「大〆」の
むし寿司。

 「小林先生はね、例の中原中也との
時など、関西にいらしたことが
あったでしょう。
 東京にいて、なつかしい味ということで
大〆に行かれていたのでしょうね」
と池田さん。

 私は大阪には住んだことがないが、
おいしくいただいた。

1月 16, 2006 at 07:58 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006/01/15

ざらざらと

 汐留の日本テレビ。
 「世界一受けたい授業」の収録。

 ヤンキースの松井秀喜さんも
先生として登場するということで、
 打ち合わせの時、
 野球に関することは何かないでしょうか
と聞かれた。
 『巨人の星』の星飛雄馬は、
アハ体験のスペシャリストだ、という
 ことを言ったら、
 その方向で行く、ということになった。

 星飛雄馬は、追いつめられた時に、
一瞬のひらめきで「大リーグボール」
のヒントをつかみ、道を切り開いていく。
 球が軽いという致命的な欠点に
直面して、座禅をする。
 老師の「打たれまいと思うから
打たれる。打たれてもかまわない、
いや、一歩進んで打ってもらおう。
そのような姿勢になった時、おのずから
道が開けるものだ」
という言葉ではっと気づき、大リーグボール
1号を構想する。
 原作者、梶原一騎の深い洞察。
 「ひらめき」や「創造性」の見事な
モデルがここにある。

 ジャイアンツの16番のユニフォームで
授業をした後、松井秀喜さんの授業の
時には生徒になって聞いた。

 バットを持って立つと、すっと身体が
安定して、力がみなぎり、さすがだと思った。

 松井さんの一流のパフォーマンスの
裏には、緻密な理論に裏付けられた
 地道な努力があった。

 いかに努力すべきかを知っている人を
「天才」と呼ぶ。

 放送は2006年2月4日(土)
とのこと。

 Benjamin LibetのMind Timeを
改めて読み出す。

 思うに、脳の機能について今
main streamの中で当たり障りなく
言われているような知見は、
 おそらくエッセンシャルなbreakthroughには
つながらないのではないか。

 Libetが発見した物理的時間と心理的時間の
奇妙な関係のように、どう着地したら
いいかわからないざらざらとした見地こそが、
 将来23世紀くらいに振り返ると
groundbreakingな発見だったということに
なるのだろう。

 突破する前は、行き詰まり、ざらざらと
するものである。

1月 15, 2006 at 08:31 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2006/01/14

『脳と仮想』13刷

新潮社「脳と仮想」

増刷(13刷、累計48000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

1月 14, 2006 at 06:15 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『プロフェッショナル』チーム

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の第一回、
第二回の編集を担当されたのが
小林幸二さん。

小林さんの編集術は天才的だと
思う。

第一回で、星野佳路さんと旅館のスタッフが
模造紙を広げてブレストする場面で、
副支配人の方が閉めたドアの
磨りガラスの向こうから見えるあわい光を
ほんの少し映して余韻を残す処理。

第二回で、小児心臓外科医の佐野俊二さんが
手術用の眼鏡越しにこちらを見ている一瞬の
表情をとらえ、「ズームイン」していく
カット。

一度見ただけで強烈な印象が残る。

2006年1月10日、『プロフェッショナル』
第一回放送の後に「打ち上げ、決起集会」
をやった時の写真を小林さんが送って
きてくださった。

 上の写真で私(左端)が寄りかかっているのが
チーフプロデゥーサーの有吉伸人さん。

小池耕自(中央でかい)

河瀬大作(中央でかいの右下)
の「極悪コンビ」、
 住吉美紀さん(中央でかいの左)、
細田美和子さん(人さし指白マフラー)、
衣装担当のうえだけいこさん(住吉さんの左)、
須藤祐理さん(一番後ろでぐぁっ)
山本隆之さん(ひげ)、
小林幸二さんご自身(右下端)の
姿も見えます。

店の人が撮ってくださったのでした。

1月 14, 2006 at 10:24 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

ぺこりと下げうとうとと。

日経エコロジーの取材で、日経BPの藤田香さんが
研究所に来る。

 藤田さんは物理学科時代の同級生で、
先日の同窓会の時に久しぶりに会った。

 広報の中谷由里子さんが、同級生というのは
いいですね、と言っていたが、
 ついついタメ口になってしまう。

 ゼミ。
 柳川透と張キさんが論文紹介。
ぼくも飛び入りで論文紹介。

 一応、ローテーションで回っているのだが、
できるだけ多くの論文に接した方が良いと
思うので、時々飛び入りで論文紹介する。

 いつも言っているように、熟達者は
ぱっと読んでぱっと人に説明できるなり。

 どうにも面白い論文や本がありすぎて、
時間が足りない。
 brain Science, cognitive scienceは
もちろん、
 foundations of quantum mechanicsや、
 non-locality,
 computational theory, twistor theory
のあたりも見てみたい。

 それ以外にも文学や哲学、思想、映画、
音楽もあるんだから、人生いくらあっても
足りない。
 退屈なんかしている暇はない。

 朝日カルチャーセンター。
 「脳と文学」最終回。
 記憶の問題を考える。

 小津安二郎の映画を見ながら、
ある場面が挿入されることによる
情動記憶のダイナミクスの変容を議論する。
 NHKの谷卓生さんが、
「時間をつなぐとともに、観る者の
感情を導き、つなぐのです!」
と専門的な立場からの解説をして
くださる。

 終了後の懇親会に朝日新聞の
井原圭子さんがいらしたので、
 「論座」の若宮啓文さんと
渡辺恒雄さんの対談記事、
ひさびさのヒットでしたねと申し上げる。

 幻冬舎の大島加奈子さんや、テレビマンユニオンの
花野剛一さんから、『プロフェッショナル』
の感想を聞く。
 大変参考になりました!
 
 佐々木厚さんに先導されて二次会に
行くと、そこにちくま書房の増田健史が
やってきた。
 筑摩書房におけるタケシの盟友、
藤岡泰介さんもいらっしゃる。
 
 「茂木さん、「脳」整理法が7万部いったのは、
藤岡さんのおかげですよ!」
と増田健史。

 ありがとうございます、と藤岡さんに
頭を下げ、
 それから芸大の藤本徹のよこでうとうとと
したらしい。

1月 14, 2006 at 09:55 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

養老孟司、茂木健一郎、松尾義之 フォーラムin 大阪

養老孟司、茂木健一郎、松尾義之 フォーラムin 大阪
(松尾さんは日経サイエンス『脳とクオリア』を
編集してくださった方です)
開催日2006年2月7日
応募締め切り 2006年1月16日(月) 10:00(24時間受付)
詳細

1月 14, 2006 at 09:29 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/13

「脳」整理法 増刷

筑摩書房 「脳」整理法
は増刷(7刷、累計7万部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

1月 13, 2006 at 11:27 午前 | | コメント (1) | トラックバック (3)

(本日) 朝日カルチャーセンター 脳と文学

2006年1月13日
朝日カルチャーセンター 「脳と文学」
第5回
18:30〜 新宿 朝日カルチャーセンター

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture22.html 

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0510koza/A0301.html

1月 13, 2006 at 07:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

宇都宮さん

 「論座」2006年2月号の
渡辺恒雄さん(読売新聞主筆)と
若宮啓文さん(朝日新聞論説主幹)
の対談を読む。

 渡辺さんの議論には説得力があった。
やはり、戦争を実際に体験した世代は
その発言にのせられるものの厚みが
違う。

 同じ号で、東浩紀さんが
ニューヨークタイムズが日本の
「嫌韓」について取り上げたこと触れ、
サブカルチャーの
現象と、社会全体の傾向を混同しては
いけないと述べている。
 今やマンガをアニメをサブカルだと
言うことにはあまり意味がないと思うが、
ある種の無責任な言説は、「そんなの
サブカルだよ」と決めつけてあげることも
戦略的に重要だろう。
 
 実際の体験の裏付けのないネットの上での
議論は、デジタル情報がダンスを踊っている
だけだと悟るべきである。
 分水嶺は、サブ/メインではなく、
体験やリアリティの裏付けがあるかどうか
にあるのではないか。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録は、
弁護士の宇都宮健児さん。

 ホームレスの人の中には、「闇金」に
多重債務を負って夜逃げした人が随分多いのだと
言う。
 法定利息を超える分は支払う必要が
ないのだが、
 そのような法的知識がない人が犠牲になる。

 「許せないですよ。ごく普通のおばあちゃんや
おじいちゃんがね、食い物にされるんですからね」

 「弁護士が金がもうかっていい、なんてとんでも
ない、社会的弱者を守るためにこそ、
 その仕事はあるんです」

 「金のためでも、自分のためでもなく、
他人のためにこそ一番がんばれると思います」

 宇都宮さんは、おそらく人生の真実をつかん
だのだろう。

 ここのところ情動の記憶のことを
考えている。
 working memoryでも、long term memory
でもない、「第三の記憶」。

 単純な好き嫌いというのとも違う。
 要するに、たとえばこの日記に
どのようなことを書くかという
志向性を形づくっているもの。
 
 朝空を見たら、鳥が飛んでいて、
昔見たシラサギの大群を思い出した。

 宇都宮さんは引退したら田園で
晴耕雨読の生活を送りたいという
ことだが、
 私の中にも、大自然につつまれることへの
抑えがたいあこがれがある。

1月 13, 2006 at 07:41 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/01/12

『脳の中の小さな神々』増刷

茂木健一郎、歌田明宏著
『脳の中の小さな神々』
は増刷(3刷)となりました。
ご愛読に感謝いたします。

1月 12, 2006 at 01:48 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『脳の中の人生』3刷

『脳の中の人生』は増刷(3刷、累計28000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。

1月 12, 2006 at 01:20 午後 | | コメント (3) | トラックバック (1)

たらふく

朝はうっすらと雪が積もっていたが、
昼間はここのところの寒さが緩んで
暖かかった。

 最近の状況で、私が気にかけている
ことの一つは、「システムが勝利しつつある」
ということだ。

 コンテンツで言えば、個々のクリエーターよりも、
それを流通させる「システム」を作り上げた
ものの方が勝利する。
 
 ベストセラーとなった『下流社会』で
一番印象に残ったことは、
 「下流」の若者の方が自分らしく生きる
ということへのこだわりが強いということで、
 それが、おそらく現代においては適応的
ではないのだろうと思った。
 
 インターネットは、各個人をIDや購入履歴
といった数字へと還元する。
 個性を消した無味無臭のフラットな存在へと
自分を変換できるものが、
 現代においてはシステム適応的なのだ。

 そのようなことを、いとうせいこうさんとの
対談で話した。

 いとうさんは、最近は浄瑠璃の義太夫節
のお師匠さんに弟子入りして、
 声を張り上げているという。

 最後までシステム化され得ないのが、
「今、ここ」にあらざるを得ない
身体や意識だろう。
 いとうさんが義太夫節をやるというのは、
現代の状況に対する批評的行為なのではないか。

 終了後、桑原茂一さん、吉村栄一さんと
「たらふくまんま」へ。

 たらふくまんまは、もともとは博多のお店である。
 何となくなつかしい気がするのは、
子供の頃食べていたものが小倉生まれの
母の好みのものだったのだろう。
  
 正月など、ナマコを食べるのが当たり前だと
思っていたが、果たして関東では
 どれくらいその風習があるのだろう。

 自分の大好きなひとたちと
なつかしいごはんをたべるのは
 たらふくしあわせなことであった。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
第一回の視聴率は関東地方で11%を超えた
ということで、初回としては大成功とのこと。

 有吉伸人チーフプロデューサーのチームに、
『プロジェクトX』の今井彰さんから
「おめでとう」という電話があった模様。

1月 12, 2006 at 07:49 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2006/01/11

(本日)いとうせいこう × 茂木健一郎

2006年1月11日 18:00〜20:00
talk dictionary
いとうせいこう × 茂木健一郎

詳細

1月 11, 2006 at 09:11 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

Sturm und Drang

来週、仕事を兼ねて島田雅彦と
「ニーベルングの指環」を見るので、
久しぶりに『神々の黄昏』のDVDをかけながら
仕事をした。

 やはりワグナーのゲヴァルトな世界には
独特の味わいがある。
 世界を救済するために
神々の城に火を付けてしまう
ブリュンヒルデは何とも魅力的だ。

 現代人は何を小さな世界で、
一体何をしているのかと思う。

 Sturm und Drangだ!
 そんな気持ちを底に持ちながら、
研究所に行く。

 『婦人公論』の企画で、
美輪明宏さんと対談。
 何しろ、伝説の人である。
 お会いする前から
わくわくしていたが、やはり感激した。

 本当の「スター」というのは、こういう
人のことを言うのだと思う。
 幅広い教養に裏付けられた、力強い
世界観。
 近くにいると、着こなしといい、
宝飾品といい、まさに「オーラの泉」である。
 三島由紀夫、寺山修司、吉行淳之介、
東郷青児。

 きら星のごとき超一流の人たちと
交友してきた人だけあって、
 その眼力には凄みがあるように思われた。

 それでいて、こちらが話し始めると、あの
大きな目でじっと真摯に見つめられるのだ。

 美輪さんも言われるように、
「本物」を見なければならない。
 美輪さんは現代日本の「カワイイ」アニメ、
漫画もお好きだが、
 オペラや歌舞伎、演劇など
様々な「大人の文化」に触れて、その上で
「カワイイ」文化を称揚するのならば
 それは良し。
 現代のカルチャーだけしか知らないのは
いかにももったいない。
 
 カワイイ子供力と、シブイ大人のカルチャーの
バランスがとれて初めて文化は成り立つが、
 今の日本は後者が弱体化していないか。

 久しぶりに讀賣新聞の読書委員会に参加。
 文化部の
 待田晋哉さんや鵜飼哲夫さんに、「どうもすみません」
と謝る。

 何人か新しい委員の方がいらして、議論を
拝聴しているのが楽しかった。

 『プロフェッショナル』の放送を
生で見て、「決起集会」をするので、
 NHKへ。

 西口玄関に着くのがぎりぎりになってしまって、
出だしを見ることができなかった。

 放送中も、続々と電話やメールで
反響が来る。
 概ね好評な様子で、ほっとする。

 放送終了後、
 プロジェクトXから引き続きディレクターを
されている山本隆之さんと一緒に編集室へ行く。
 ちょうど、橋本さとしさんが
ナレーションを吹き込んでいるところで、
 チーフ・プロデューサーの有吉伸人さんが
ディレクションして、河瀬大作さんが
キューを出し、佐野俊二さんの回の
ナレーションが出来上がっていく。

 音声が、独立した複数のトラックとして
ハードディスク上に蓄積され、
 それを、有吉さんの「今の5フレ前」
などというかけ声で、テキパキと前後
にフレーム単位で移動して行く。

 これは大変な作業だなと思った。
 局に泊まり込む日々が続くのもわかる。

 近くの店で打ち上げ、決起集会。
 河瀬さんも、小池耕自さんとの
「極悪コンビ」が揃うと、
 仕事の時とは違ったはじけた素顔を見せる。

 いつも衣装をご用意くださるうえだけいこさんも
加わって
住吉美紀さんと細田美和子さんの
girlie talkが弾み、
 それに小池さんと河瀬さんが絡んで
大変面白かった。

 Sturm und Drang.
 疾風怒濤。
 方向性を誤らなければ、あとは
relentlessに行くだけだ。

1月 11, 2006 at 09:09 午前 | | コメント (4) | トラックバック (3)

2006/01/10

今の大学人に漱石の覚悟があるか

中央公論 2006年2月号
2006年1月10日 
時評 2006
今の大学人に漱石の覚悟があるか
茂木健一郎

http://www.chuko.co.jp/koron/

1月 10, 2006 at 08:14 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 仕事の流儀  星野佳路

プロフェッショナル 仕事の流儀 第一回
 「信じる力」が人を動かす 〜リゾート再生請負人・星野佳路〜
NHK総合
2006年1月10日(火)21:15〜21:58

http://www.nhk.or.jp/professional/

1月 10, 2006 at 07:44 午前 | | コメント (2) | トラックバック (6)

ピンポン

 私は何を隠そう中2の時と、
高校の時は卓球部員である。

 中学校の時は中一テニス部、中二卓球部、
中三水泳部と信じられない無節操ぶりを
示し、
 高校は一年の時だけマジメに合宿に参加
したものの、あとは幽霊だった。

 最近、総説などの仕事を少しずつ
学生に回している。
 博士号をとって「一人前」になった田谷文彦には、
単行本の解説などの仕事も入り始めている、
 博士課程の学生とも、ゆるゆると
はじめている。

 脳科学と教育についての総説を、
博士課程の須藤珠水さんと書こうと思って
須藤さんに「まず書いてね」と頼んだら、
 心の理論とシンボル化の能力についての
原稿があがってきた。
 
 それに手を入れていたら、
『心を生み出す脳のシステム』の頃に
考えていたことが様々よみがえってきた。

 これがピンポンと言うことなのだろう。
須藤さんは幼児の前言語的認知発達の
研究をしているので、
 そのあたりに関心があることはわかる。
 autismの問題を含め、まだまだ
考えるべきことが埋まっていそうである。

 祝日ではあるが、
午後、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
 パティシエ、杉野英実さん。
 コンクールで優勝した
「アンブロワジー」
忘れられない味だった。

 漆のような輝きのチョコレート・コーティングは
一見硬く見えるが、ナイフを入れるとすっと
驚くほどやわらかく、
 口に入れると「噛んだ」記憶がないまに
全てが渾然一体となって
すっと溶けていってしまう。

 「神々の食べ物」という
名前にふさわしい。

 杉野さんはアーティストであり、
その作品は人々の記憶の中で、時が経つほど
次第に確かな形をとっていく。

 時が経つほどますますはっきりとしていく
記憶というものはあって、
 中二の時の卓球部の先輩のシェイクハンド
姿などはまさにそうである。

 ちょっとニヒルな笑顔を含め、その姿が
焼き付いているのは何故かということは、
 私の遺伝子や個人史やその後の生育歴の
ダイナミクスの中に答えがあって、
 それを見極めるのは一般相対性理論よりも
むずかしいことなのだろう。

1月 10, 2006 at 07:40 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/01/09

不安

 新春の弛緩はやや遅れてやってきたようで、
一日中本を読んで過ごしてしまった。

 やらなくてはいけないことは沢山あるのだが、
次から次へと活字を追う。
 もっとも、半分は仕事絡みだから、本当に
休んでいるわけではないのだが。

 読んでいるうちに、次第に不安になってきた。
その不安の由来するところが自分には興味深かった
ので、記す。

 普段、ぎりぎりのスケジュールで仕事を
している時は、何かをやるにしても、資料を
読み込むにしても、自分の人生の軌跡との関連性が
高いものに向き合うことになる。
 その時には、列車が線路の上を走るような
もので、
 どっちにいったら良いかという
ような迷いは生じない。

 そのようなtightな運動性から離れて
濫読すると、普段自分が考えていなかった
世界で仕事をしている人たちの姿が
次第に見えてくる。
 必ずしも全面的に共感するわけでもなく、
隣の芝生が青く見えるわけでもないのだが、
 その人たちにとっては、まさにライフワークであり、
もっとも関心の高い問題群なのだということを
真摯に受け止めると、
 はてオレのはどうなのだろう、という
(おそらくは健全な)疑いがこみあげて
くることを抑えられない。

 私は感激屋だが、
その一方で案外慎重な方で、よほどの内的確信が
ないと新しいことを始めない。
 特に、時間を食う(コストがかかる)
ことについてはそうである。

 だから、一時的に「ちょっといいな」と
思っても、体がそっちに動くとは限らないのだが、
 実際に動いてしまって、全力疾走している
人たちのことを考えると、
 この世の多様さ、人生の分岐の複雑さに
思いを寄せざるを得ない。

 寒い中、しばらく外を歩き回ったら、
洞窟画が描きたくなった。

 以前読んだ本の中で、地質学的なevidenceに
基づくと、氷河期の訪れは急激で、
 数十年のうちに間氷期から移行してしまう
と知った(今このあたりについてのevidenceが
どうなっているかは知らないのだけども)。

 地球温暖化とか言っているけれども、
氷河期(氷期)の方は大丈夫なのか、と不安にならない
こともない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/氷河期

http://www.newscientist.com/article.ns?id=dn8398

1月 9, 2006 at 06:10 午前 | | コメント (1) | トラックバック (3)

2006/01/08

脳の中の人生  モーツァルトはなぜ美しい

ヨミウリ・ウィークリー
2006年1月22日号
(2006年1月7日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第85回

モーツァルトはなぜ美しい

一部引用

 『アマデウス』におけるモーツァルトとサリエリの関係は、創造者と批評家のそれとも読める。しばしば、批評家は何が良いかはわかるが、自分ではものを創り出せない。一方、創造者は作品の評価など気にせずに、ただ好きなものを創る。『アマデウス』のストーリーはそのような創造者と批評家の関係性のイメージに沿っている。
 とりわけ、日本では、ものを作っている人が「何が美しいかなんて、関係ない、ただ面白いものを作っているだけですよ」などと言う傾向が強い。一見かっこいいようだが、真実はどこにあるのだろう。創造に、批評の精神は必要とされないのだろうか。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

1月 8, 2006 at 08:05 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

one of them

養老孟司さんの
『無思想の発見』
を読んでいる。

 昨年、養老さんと一緒にシンポジウムを
した時に、養老さんが何故最近の一連の著作を
書かれているのか、何となくわかったような気がした。

 養老さんにとって、日本の社会は必ずしも
生きやすい場所ではなかった。
 オーストラリアに留学されたが、
あっちの方が本来生きやすかったのではないか
とこぼされたことがある。

 だから、養老さんにとっていわば
「異物」としての日本の社会を解剖し、理解した
かったのだろう。

 私も御多分に漏れず西洋近代の強烈な
洗礼を受けた人間だが、
 自分の周りの社会(養老さんの言う「世間」)
がそれとは違う形で動いているらしい、
ということは判っていた。
 それを普遍に対する特殊、
中心に対する周縁と片付けるのではなく、
 真摯に向きあえば養老さんのような本を
書くしかなくなるのだろう。

 ハワイにいる間ずっと考えていたのは、
この世はまさに多様であり、中心など
本当はどこにもない、ということだった。
 飛行機の中で「夢のチョコレート工場」
のジョニー・デップを見ていて、
つくづくこれはアメリカの映画だな、
と思った。
 
 ハリウッド映画は世界中でブロックバスター
となるが、何のことはない、
 アメリカという「特殊な」文化を見せられている
だけのことである。
 地球の上の文化という意味で言えばone of themに
過ぎず、
 それが実際one of themであるということは、
グローバル化の世界の中でむしろ誰にでも
明らかになってくるのではないかと思う。

 日本もその意味ではone of themに過ぎないが、
いかんせん自分が生まれた国、引き受けて
生きていくしかない。
 日本語は世界の言語の中で7位くらい
のポジションだそうだが、
 それくらいがいいところではないか。
 
 英語にせよ、中国語にせよ、どれだけ
多くの人が喋っていたとしても、
 所詮one of themに過ぎない。
 問題はそれを自覚しているかどうか
ということだと思う。

 自然の中の生態系のことを考えると、
本当にいろいろな奇妙なやつらがいて
(ハワイには肉食の蛾の幼虫がいる)
人間社会でいろいろなone of themが
いることは、むしろ当たり前だと
思えてくる。

 相変わらずBritish Comedyが好きで、
寝る前などリラックスして見ているが、
 所詮それもone of themだと思って
それでも愛している。

 今朝は橘家圓蔵が落語をやっているのを見た。

1月 8, 2006 at 08:00 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/01/07

『脳と創造性』 6刷

PHP研究所『脳と創造性』
は増刷(6刷、累計17000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

1月 7, 2006 at 09:45 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

大人の脳は子供に「進化」する

大人の脳は子供に「進化」する
茂木健一郎/取材・構成:小出重幸

Voice 2006年2月号 p.30〜39

http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=12338

1月 7, 2006 at 08:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

至高のモーツァルト 猥雑と芸術性の一致点

文學界 2006年2月号 p.156〜160
茂木健一郎
至高のモーツァルト 猥雑と芸術性の一致点
――ベスト10作品を選ぶ

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/

1月 7, 2006 at 08:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

おいしさの恵み 寿司の食べ方

知のwebマガジン en
おいしさの恵み 第10回 寿司の食べ方

http://web-en.com/

1月 7, 2006 at 08:41 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

ワーカホリック

電通で経済学と脳の研究会。
 
 j-waveの番組に住吉美紀
さんが『プロフェッショナル 仕事の流儀』
宣伝で出ていて、
 途中で私に電話してくることになっていた。

 電通の固定電話の番号を伝えて、
そこにかかってきた電話で
 1、2分喋った。

 田中洋先生とブレスト。
 ブランドが、消費者にとっての不確実性への
適応戦略として考えられるということ。

 そして戦略の解には複数ある。

 年始早々仕事が詰まっていて、
相変わらずのワーカホリック。
 しかし、それがストレスにならない。

 ストレスになる仕事と、そうでない
ものの違いは何か。

 幻冬舎のGoetheは、
 ワーカホリックならぬ
 ビジネスホリックをfeatureした雑誌だが、
その象徴としてかのJohann Wolfgang von Goetheを
持ってきたところに、独自の批評性がある。

 「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」
をものした文豪であることはもちろん、地質学や植物学
などの学問を究め、ワイマールの宰相として政治的
手腕を振るい、ワイマール劇場の総監督としての
仕事も進めたゲーテはまさにワーカホリック。
 しかし、そのゲーテが仕事にストレスを
感じていたとは思えない。

 どんなに忙しくても、仕事をエンジョイできれば
人生幸せだ。
 それを実現するsilver bulletが何かということに
ついては、折りに触れ考えていきたいと
思う。

 それにしても毎日寒い!
 大学院生の頃、
夜遅くまで研究室にいて、泊まり込みのため
銭湯に行く途中、
 ボルガの舟歌のメロディーで
「たえられない、このさむさ!」
とふざけて歌っていたことを思い出した。

 いくらビジネスホリックでも、
さむさだけはたえられぬ。
 しかし
 ボルガの舟歌をもじれば少しは気が紛れる。
 最近は歌っていない。

1月 7, 2006 at 08:34 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/01/06

楽譜と演奏

 仕事始め。
 研究所に朝早くいくとすがすがしい。

 光文社BRIOの企画で、
松尾貴史さんと対談。
 BRIOの今泉愛子さん、小林茂副編集長。
 写真は飯田安国さん。

 松尾さんとは白洲信哉つながりで
何回かお会いしているが、
 マジメな話をするのは
初めてである。

 大変テンポが良く、また発想が
どんどん発展していく。
 アタマの良いヒトである。

 クオリアの話をしていて、松尾
さんが出された例が面白かった。
 かつてラジオ番組でやって
いたネタだというのだが、
 「王貞治がにぎったおにぎりと、
長島茂雄がにぎったおにぎりの
どちらが食べたいか」
というのである。

 確かに、どちらにもそれぞれ
独特のクオリアがあるように思われる。 
 あなたはどちら?

 幾つか書類整理。

 NHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀』の第三回、
パティシエの杉野英実さんの収録に向けての打ち合わせ。

 担当のディレクターは須藤祐理さん。

 杉野さんは、お菓子の味を決める重要な
プロセスを人任せにせず、自分でやる。
 有名なパティシエやシェフのほとんどが
プロデューサーとなり、多店展開して
行くのに対して、
 杉野さんは京橋の店一つにこだわっている。

 なぜ、そうなのか、
理由を打ち合わせ資料に書かれた
杉野さんの言葉で読んだ時
 はっとした。

 杉野さんは、世界コンクールでグランプリを
受けた「アンブロワジー」を始め、
 そのお菓子のレシピを書籍などで
惜しげもなく公開している。

 その通りにつくれば、誰でも同じ味が
できそうなものだが、そうではないという。
 レシピは、音楽で言えば「楽譜」のような
もので、どのように「演奏」するかで、
 まったく味は変わってしまうというのだ。

 そのメタファーで、はっきりとイメージが
わき上がってきた。
 奥深い話である。

 収録が楽しみ。

 NHK出版の小林玉樹さん
と『プロフェッショナル』の書籍化について
打ち合わせ。

 NHK出版はNHKにほど近い。
 大場旦に会って行きませんか、
と誘われたが、
 年賀状公開の件もあってくわばらくわばら。

 福岡伸一さんの「プリオン説はほんとうか?」
(ブルーバックス)を読んでいるが、大変
面白い。

 大学院生の時にはこのあたりのことに
とても興味があって、
 RNAを中心とする生物進化のモデルを
つくろうと思ったこともある。
 あの頃の興味がまたもや頭をもたげて
きてしまった。

1月 6, 2006 at 05:44 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2006/01/05

漱石

東京人 2006年2月号 
特集 東京っ子、夏目漱石
p.48-49
茂木健一郎 明治・東京を生きた漱石、その愛
(見えないものをこそ思う)

http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html

1月 5, 2006 at 08:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

河合隼雄×茂木健一郎 対談

河合隼雄×茂木健一郎
対談 「脳とこころ」の不思議に迫る
(前編)
潮 2006年2月号 p.100〜p.107

http://www.usio.co.jp/html/usio/index.php

1月 5, 2006 at 08:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新・欲望論 1

新・欲望論 1
多様性こそが「合脳的」
2006年1月4日 朝日新聞夕刊掲載

http://www.qualia-manifesto.com/mogiasahi20060104small.jpg

1月 5, 2006 at 04:58 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

添乗員

正月のハワイは、どこも混んでいて
大変だった。

 レンタカーを予約していなかったので、
なかなか確保できず、借りては返しを
繰り返した。

 それでも、North Shoreや、Hanauma Bay
など、行きたかったところはカバーできた。

 レストランも、年寄りの体調を考えながら、
A地点からC地点へと移動する途中に
この店があるから・・・などと携帯で予約する。

 そんなにいろいろ大変だろう、
と言われて、あれっ、と思った。
 普段の生活に比べたら、自分では
楽をしているつもりだったのである。
  
 添乗員をしていても、そんなにストレスには
ならない。
 どちらかというとアタマの中であれこれと
組み立てるのが好きである。

 ワイキキを歩きながら
 いろいろ考える。
 一つは、昨年から引きずっている
批評性や、クオリアの問題だった。

 小林秀雄のように、ある印象を語る時、
実はそこには命がけの飛躍があるのではないか。
 そもそも、全てのクオリアの背後には、
命がけの飛躍があるのではないか。

 だから、印象批評といっても、
そんなに気楽なことじゃないんだよ。

 そのあたりのことをどう理論化するか
ということを考えていた。

 それと、依然として縮小写像の問題。
縮小自体がシステム性と密着しないとできない。
 
 今年は、思い切ってポピューラーなことと、
配慮なくconcentratedで専門的なことの
二極で行こうかと思っている。

 Rowan Atkinsonには、Mr. Beanの他にも
Blackadderというシニカルな歴史コメディーが
あるが、ビーンの1/1000も知られていないだろう。

 しかし、それで良いのだと思う。
 スケール不変なフラクタルは、一人の個人の
中にもある。

1月 5, 2006 at 04:28 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2006/01/04

今年の一枚

 年賀状をくださった方、ありがとうございました!

 昨年の1月5日の日記で筑摩書房の増田
健史からの年賀状をご披露したところ、
今年の賀状には「二度とやめてください!」と
記されていたので、惻隠の情を喚起された。

 そこで、今年は、タケシさんの尊敬する
先輩である、NHK出版の
大場旦さんからの賀状にご登場いただきたいと
思う。
 
 昨年といい、今年といい、
 原稿を催促したり、「追い込みをかけるぞ」
という恫喝をかけたりするとこの欄に
featureされる、という印象があるかも
しれないが、それはきっと気のせいでは
ないかと思う。

 みなさんにとって2006が良い一年であります
ように!

 茂木健一郎拝


NHK出版 大場旦氏からいただいた年賀状

1月 4, 2006 at 07:17 午後 | | コメント (2) | トラックバック (2)

ハワイの雨

父親が古希を迎えたので、
そのお祝いもかねて
 オアフ島に行った。

 ハワイに行くのは、高校3年(1981年)、
学会で行った2003年に続いて三回目である。

 Bishop Museumに
行った。
 二回目には訪れなかったから、
25年ぶりである。
 もかすかに記憶の面影があり、
庭に立ってぼんやりと建物を眺めていると
雨が降ってきた。

 その匂いに、ハワイの雨が大好きだったという
ことを思い出した。
 暖かく、濡れても気にならない。
 それが草に落ちて、独特の香りが
風に乗ってやってくると、
 胸がざわざわと騒ぐ。

 前におとずれた時、私は神経質な
高校生で、
 一体自分がどうやってこの世の中で
生きていくのか、わかっちゃいなかった。

 その頃の存在論的不安のような
ものが、
 ハワイの雨の香りとともによみがえって
きた。

 自分がどうなるかわからないという
偶有性は、時につらいものだが、 
 それなしには生きているという
実感もありはしない。

 2006年はどんな風になるのだろう。

 とりあえず今日から目の前の仕事に
追われる日々が続く。

1月 4, 2006 at 08:07 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)