脳の中の人生 モーツァルトはなぜ美しい
ヨミウリ・ウィークリー
2006年1月22日号
(2006年1月7日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第85回
モーツァルトはなぜ美しい
一部引用
『アマデウス』におけるモーツァルトとサリエリの関係は、創造者と批評家のそれとも読める。しばしば、批評家は何が良いかはわかるが、自分ではものを創り出せない。一方、創造者は作品の評価など気にせずに、ただ好きなものを創る。『アマデウス』のストーリーはそのような創造者と批評家の関係性のイメージに沿っている。
とりわけ、日本では、ものを作っている人が「何が美しいかなんて、関係ない、ただ面白いものを作っているだけですよ」などと言う傾向が強い。一見かっこいいようだが、真実はどこにあるのだろう。創造に、批評の精神は必要とされないのだろうか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
1月 8, 2006 at 08:05 午前 | Permalink
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アマデウス ディレクターズカット スペシャル・エディション
ゴウ先生ランキング: A
今年はモーツァルトが生まれて250年にあたります。そこでさまざまな催し物が世界中で行われることになっています。モーツァルト・ファンのゴウ先生としては、この機会にまた素晴らしい演奏がCD、DVD、ライブで楽しめるようになることを心待ちしている次第です。
そんな中面白いニュースを発見しました。モーツァルトの頭蓋骨として保管されてきたものがDNA鑑定されて、真偽が問われるようになったというのです。
... [続きを読む]
受信: 2006/01/08 16:31:33
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コメント
kaukau様
コメントありがとうございます。
表現足らずでした。批評家が代弁者であるという事ではなく、
評価活動の一環としてそういう局面もあるかなという意味でした。
投稿: Takayuki Ohira | 2006/01/10 20:42:07
Ohira様
批評家にも各々様々な役割があると思います。
考え、解釈も皆様々あるでしょう。存命する作り手に対しては彼らは相対する側との繋ぎ手でもあることが望ましく代弁者ではないと考えます。
「わかりやすい言葉で翻訳し、評価してくれる存在」に対しては「言葉:翻訳」「作品:評価」ではないでしょうか。
投稿: kaukau | 2006/01/10 1:17:04
kaukauさんのおっしゃるのに同感です。
作り手は、言葉でなく作品で表している
のでしょう。
何をどう作るかを決める時点で、作り手
としての批判と選択が行われています。
わかりやすい言葉でその意志を翻訳し、
評価する存在として批評家が存在意義
を持つのだと思います。
投稿: Takayuki Ohira | 2006/01/09 16:56:30
「何が美しいなんて、関係ない、ただ面白いものを作っているだけですよ」このセリフにこだわってるようで。
真実は確かにあるでしょう。
ただ、残念ながらそれを言葉で伝える訓練がされてないのでしょう。
批判の精神(esprit critique)は必要です。彼らにも持ちあわせているでしょう。
ただ訓練、学習されてないから向けてる方向が的確ではなく、言葉を持ちあわせていないのでしょう。
kenmogiの影響力は今多大です。ものを作ってる人らにその効果を期待します。
投稿: kaukau | 2006/01/09 10:10:45