審美的視点が内在したダイナミクス
新宿高野ビル6Fの「アプローズ・バイ・なだ万」
で島田雅彦と対談。
昼食をとりながら、たっぷり4時間話した。
その間、まったく話題が尽きなかった。
二日前に朝日カルチャーセンターで
話したばかりなのだが。
特に日本において、ある種の表現者が、
いっさいの審美的あるいは批評的言説を
行うことを避けて、「ただ面白いものをつくっている
だけですよ」と言う傾向があることについて
どう思うかと聞くと、島田の考えは簡潔だった。
それはね、自己批評ができる人と、
できない人がいるということですよ。
後者は、自己陶酔的になる。
それで、どっちのタイプかということは、
作品に表れますな。
と島田。
島田雅彦は今朝日新聞で文芸時評を
担当しているが、
朝日の文芸欄を創始したのが夏目漱石で
あることは言うまでもない。
やはり、
創造のダイナミクスには、批評的
視点がそもそも内在化していなければ
ならないのではないか。
そんなことを考えながら、寒空の
中、オペラシティに歩く。
ICCで、
池上高志と渋谷慶一郎の「第三項音楽」
のパフォーマンス。
高橋悠治さんもいらしていた。
私が先に座っていると、隣りに
座られて、仲良く聞いた。
昨日の今日であるが、
にこやかに話す。
楽しかった。
回転するシリンダーの間の水の対流。
セルオートマトン。
テープとマシン。
神経回路網のダイナミクス。
さまざまな非線形のダイナミクスから、
ある一定のプロトコールによって、
音を紡ぎ出す。
そのサウンド・ファイルを基に、
渋谷慶一郎がセレクトし、finishing touchを
行う。
終了後、渋谷が言っていたことが
面白かった。
今回の場合、サシミを扱っているのと
生の魚を扱っているくらいの違いが
あったというのである。
つまりは、音の一つ一つが
制御できないで、ぴちぴちと動くと。
つまり、現在のところ、力学系に
よる音自動生成の意味は、音楽家に音の素材を
提供するという位置づけになるのだろう。
始まる前に池上と話していたこととも
関連するのだが、
やはり、審美的視点を生成のダイナミクス
自体に最初から埋め込んでいなければならない
んだと思う。
それをどうすれば良いか、というのが
クオリア理論の一つの究極の到達目標でもある。
この一ヶ月、池上が寝る暇もなくつくりあげた
パフォーマンスは、
親友として見ていてしみじみと
味わい深かった。
途中から、ケンブリッジ時代以来
使っている赤と黒のノートを出して、
いろいろ思ったことを書き付けた。
いろいろインスピレーションをもらった。
素晴らしい夕べだったと思う。
池上、渋谷、ありがとう。
気づくと仕事が完全に破綻状態で、
本当はみんなとお祝いしたかったのだけども、
直ぐに帰宅した。
今朝も、本当は日記を書いている暇も
ないのだけども、
感銘深い夜だったので、最低限のことを記す。
12月 19, 2005 at 06:04 午前 | Permalink
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謎をかけられて生まれたものは、
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コメント
“審美的視点が内在したダイナミクス”…
このセンテンスは、私には当分 Aha!とはいきそうにもありませんが
とりあえず、心に浮かんだことなど、
恐れを知らぬ子どものように書かせていただきます。
茂木先生のことを夕刊のコラムを読みながら
「面白いことをおっしゃっているなぁ」と、ずーっと気になっていて
“しゃべらナイト”の番宣を見て、「どんな人か見てみなくっちゃ」というわけで
このブログにまで、お邪魔してしまいました。
私にとって、“気になること”は
興味関心の対象で、それを知りたいと思ったら
本を読んだり、資料を集めたり
それが人間であったら、お話を聞いてみたい、つまりどんな人なのか話してみたい…と思ったりするわけです。
それって、きっと自分の感性に照らし合わせて、好きか嫌いか、とか
自分はこんな風に思うけど、こんな考えの人もいるんだなぁ
というように、相手や自分の鏡に照らし合わせて
相手を知ると同時に、自分を確かめているような気がします。
ということで、自分が美しいと思うこと・ものを表現すること、
それを見た人がどう感じるかということと
自己陶酔とか自己批判と言うこととの
関連が、今一つ私には、良くわかりません…
同じものを見て、「いいね!」と言う人とは
どこか波長が合うんだろうし
かといって、同じところを同じように感じているのかどうかは
確かめようもないのかもしれない・・・
(個々のクオリアは、お互いどうやって共有するんでしょう?
でも、自分が体験していないことでも
感動したり悲しくなったりというように、共感することはできますよね。
・・・・・・むむむっ??????)
私のようなレベルの素朴な疑問は、ご迷惑ですか?
投稿: TOMOはは | 2005/12/20 7:14:36
自分の好きなある漫画家の作品を見ていると、どうやら自己陶酔的になっている観がある。それでも自分が彼の作品を好きだというのに変わりはないし、彼の今後の為にはこのままで良いのかと思案に暮れる時があります。
投稿: cosmosこと岡島義治 | 2005/12/19 21:19:40
今晩は。
きょうのこのエントリーに書かれている島田雅彦さんのコメントにあるような、自己批評の出来ない(つまり島田氏いわく「後者」の)人は自己陶酔的になる、で、どっちのタイプかということは、作品に現われるという主張は、私自身も非常に同意でき共感できるのであります。
美術館等へ行き、優れたアートを見ると、そこには必ず自己批評性が秘められていると感ぜられます。
しかし、そういう作品の多くが、海外のアーティストによる作品であり、日本のアーティスト、特に比較的若手の人の作品を見ると、なんだか単純に、自己陶酔に陥っているようなものがいくつかあるのです。
もっとも、ちゃんと自己批評性を含んだ作品も多くあります。
>やはり、創造のダイナミクスには、批評的視点が、そもそも内在していなければならないのではないか。
私自身も、ものを作る時に、単なる自己陶酔に陥るのではなく、この批評的視点をつねに忘れずにいこうと思います。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/12/19 20:18:52
>それはね、自己批評ができる人と、できない>人がいるということですよ。
>後者は、自己陶酔的になる。
>それで、どっちのタイプかということは、作品に表れますな。
共感できる内容ですね。
自分は自己批評ができると思っているつもりですが、ふと自分が周りからどれぐらいの評価を得ているのか確かめたくなる事がありました。
自分でリズムマシンを使って歌を作っていたころも、自分で何回も聞き返して、少し懲りすぎたかとか、サビの回数が少し多かったかななど。。
他人から見ると「自分の歌聞いてるの?」って言う人がいたんですけど、決してナルシストではないんですよ。
かの有名な矢沢永吉さんも家にいるときは自分のアルバムを何回も聞くといっていたような気がします。
最近は少し悟りを開いたのか、周りの人の言う批評は気にならなくなり、自分自身で「これでいいんじゃないの」思うようになりましたが。
まぁ、聞こえてくる批評で納得できることは取り入れる柔軟性は持ち続けているつもりですが。。
ブログなんかも毎日アクセス数は見ています。「不思議な暮らし」はピーク500人、現在は150人ぐらいのアベレージ、「もう一人の私」は25人アベレージぐらいです。
まぁ、私は著名人ではないですし、カウンターはIPアドレスで勘定しているので実際にはもっと多くの方が見ているのでしょうと、これぐらいならズブの素人としては上出来と思っています。
いま、何処の企業もプロバイダもひとつのIPアドレスを共有しますから、ひとつのIPアドレスでそれだけのアクセスがあるのですからたいしたもんです。(^^)
投稿: 佐々木裕伸 | 2005/12/19 18:29:57
ICCでの公開トークとコンサート参加させて頂きました。想像もつかなかった展開に たくさん刺激を頂きました。参加できて良かったです。気になる言葉がいくつかありました。
例えば「変化をそのまま(認識してある意味固める前に←私はこんな風に捕らえましたが)感じていくこと・・・」 無意識とか カオスとか
制御できない動き・・・を包括しながら進んでいくうちに 立ち上がってくるもの自体に、意識を集中していくことがもう少しできたらと思い今の私のヒントになりました・・・
会場のスクリーンに映る茂木先生の笑顔を拝見できて暖かい気持ちになりました~
それと 会場に入る前列に並んでいた時 何気なく後ろを向いたら まさに茂木先生が歩いてこられた時だったので嬉しく思いました。
とても印象深いイベントでした♪
投稿: ROSE | 2005/12/19 17:21:06