ものを考えるには寒すぎる
京都大学のシンポジウム第一日。
数学者の方何人かと話して、
少し考えるところがあった。
ある有名な心理学者の名前を出して、
あの人は言うことがうまい。
しかし、あのやり方では、本当の
ところはわからない、
ということを言われる先生がいて、
うーむと思った。
心理学や認知科学がソフトサイエンスである
という批判は、少なくとも概念的には
理解できる。
ところが、研究の現場では、
古典的な数理科学の意味で「わかった」
という基準は、有効に機能していない。
たとえば、群論にせよ、非線形力学にせよ、
不用意にむき出しの数理的手法を適用
する方が、よほどまずい結果を生む。
路線問題はむずかしい。
懇親会で
Speakerの一人だったUSCSのJoseph Goguen
が、奥さんのRyokoさんとperformance.
Ryokoさんが、「Cantata for the history
of mathematics」をやる。
Josephがイントロダクションをする。
It is boring....(everybody laughs)
well, actually, it is not. It starts with the classical
period, when everybody believed in God...well,
at least they said they did. In this period,
mathematics was the language of God.
Then came the romantic period....when
I say "romantic", I do not mean in a positive
way. That was when people imposed
emotions on other people. Finally, we have
the contemporary world.....and no body actually
knows what mathematics is all about!
以下、Josephが解説し、時に
ナレーションをして、Ryokoがピアノを
弾く、という形でperformanceが
続いていった。
京都産業大学の三好さんに久しぶりにあった。
塩谷賢や郡司ペギオ幸夫のうわさ話をする。
夜の京都は冷え込んで、ちょっと歩くと
ぶるぶるした。
散歩しながら考えるのは大好きだが、
いささか寒すぎる。
仕方がないので、あまり考えない
ことにして、
冷え冷えとした闇の中の光を
見つめていた。
12月 14, 2005 at 07:28 午前 | Permalink
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コメント
スカンジナビアでは寒い季節が長い。寒い道では歩きながら歌を歌っている人とよくすれ違った。真似して私もよく歌いながら歩いた。歩調とリズムをあわせ、音痴と寒さを忘れ楽しくなって歩いた。
京都かぁ。
投稿: kaukau | 2005/12/15 11:59:13
こんばんは。
京都もえらく冷えているそうですが、東京もいまメチャメチャに寒いです。
ものを考えるには過度の冷気はキツイですよね。
ここのところ、1月下旬のような猛烈に寒い陽気が続いています。
実は私の中学校の、修学旅行のコースに京都が入っていました。時期は秋深き頃、私達が着いた時にはもうすっかり底冷えモードで、修学旅行から帰って来ると、熱を出して寝こんでしまい、学校を休んでしまったのを今でも覚えています。
初めて肉眼で、鹿苑寺金閣を見たときに感じた、あのときの煌きがいま眼中に蘇ってくるようです。
この冬の京都の、夜の闇で茂木さんが御覧になったという光は、茂木さんの脳中にどんなクオリアを立ち上がらせたのでしょうか。
東京と違って京都は文化的にも芸術の面でも奥が深いような気がします。そんな京都の事物を見て立ち上がるクオリアも多彩で奥深いと思います。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/12/14 21:06:18
本題とは関係ないかもしれませんが。
塩谷さんというピアニストを知ってるので、その方と思ったら違う方なんですね。
哲学の巨匠でグルメで。。
共同生活に何か疑問を感じて悟りの世界に入られた方なのでしょうか?
投稿: ひろのぶ | 2005/12/14 8:23:10