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2005/12/27

対象を未知化すること

 引き続き、社会思想系の
ことなどオオバタン、マスダタケシと
話し合いながら、
熱海から東海道新幹線で
東京に戻る。

 電通東京本社で、
法政大学経営学部市場経営学科の
田中洋先生と
「脳科学とマーケティング、ブランド」
についてブレスト。
電通の佐々木厚さん、望月裕さんも
同席。

 消費者インサイトの問題は
神経経済学の視点から見ても
興味深い。

 某所の喫茶店でひたすら
仕事。

 あたりがすっかり暗くなり、
京橋の中央公論新社へ。
 このあたりの町並みはどこか
小津安二郎の映画を思い起こさせる。

 産経新聞編集局文化部、編集委員の
梶山龍介さんに、
『脳の中の人生』
を中心にインタビューを受ける。
 年明け1月半ばくらいに掲載される模様。

 『脳の中の人生』約80冊に
イラストと署名をする。

 初めての試みとして、全部図柄を変えた。
とは言うものの、はてどうしよう、と考え込む
のではなく、
 ぱっ、ぱっ、ぱっとその場の即興
で描き込んでいく。

 はい次、はい次とやっていたら、
なんだか妙な気分になってきた。
 
 「過去にやったことと同じことはやらない」
というポリシーの下に脳を「運営」している
時の独特の活動があるように思う。
 イメージングしてみたら、面白い。

 中央公論新社の皆さんが見守って
くださる。
 岡田健吾さん、松本佳代子さん(中公新書ラクレ)や、
井之上達矢さん(月刊「中央公論」)、
濱美穂さん(「婦人公論」)などのお馴染みの顔も。

 仕上がった80冊は、ただちに
紀伊国屋書店新宿本店
に納入されるべく運ばれていった。


「脳の中の人生」サイン本出来ました。

 サイン本お買い求めの方は、お早めに
紀伊国屋書店へ!

 松本佳代子さん、原研哉さん、それに
橋本麻里さんが加わって、
 脳とデザインの関係などについて
ブレスト。

 原研哉さんが最近出された本
『Ex-formation 四万十川』
は、知っていると思いこんでいる対象を
未知化するという大変興味深い試み。
 武蔵野美術大学の原研哉ゼミが母体となっている。

 対象をいったん未知化するというのは
相対性理論のような科学革命の必須の
ステップなり。
 「クオリア」という概念も、ex-formation
の系譜の中に位置づけることができる。
 
 今年のテーマは「リゾート」ということで、
また面白い本が出来上がりそうだ。

12月 27, 2005 at 08:24 午前 |

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» あと三日 トラックバック 御林守河村家を守る会
あと三日働くと、私も仕事納めです。 今日、明日、明後日と、 毎朝、朝8時10分ごろから仕事場にはいる冬期講習は、 12月30日をもって今年のぶんが終わります。 去年は12月31日までありましたので、 すこし楽になりました。 私ももうすぐ55歳。 しかし、�... [続きを読む]

受信: 2005/12/28 6:53:03

コメント

おはようございます!

まずは、ふくさんへ

“脳と仮想”おもしろかったですか?!

私はそれで、全然OK!だと思いますよ!!

感じ方は、人それぞれで、その多様性があるからこそ、
“あなたらしくて、それこそがオモシロイ!!”

のではないかと思います。

(まぁ、私の個人的な意見ですので、参考にはならないかもしれませんが…)

さて、昨日一昨日と受けてきた“社会と子育て”というスクーリングでは

今問題となっている“少子化対策”を中心に

私たちが、これからどんな意識や価値観をもって
人生を生きていくかを問い直しながら

今どうすれば良いか、その方向性を考えてみるというものでした。

(皆様に、ご興味があるかどうかわかりませんが
銀鏡反応さんのコメントに、女性科学者のことがありましたので
少し書かせていただきます。

書いてみたら、恐ろしく長くなってしまって迷いましたが
まだ自分のブログを開いていないので…

茂木先生、スミマセン!お許しくださると信じて、送信します)

茂木先生もおしゃっていましたが
ある意味、能力的な違いはあまりないという前提に立つと

その理由は、おそらく社会的、つまり女性が仕事をしていく上での
物理的環境条件や人々の意識の問題が大きいと思います。

そんな悪条件の中で、良いお仕事をしていらっしゃる女性科学者の方は
ほんとうに人並み以上のご努力をなさって
かつ、周りの方のご協力があってこそだと思います。

“男は仕事、女は家庭”という意識が、根強くあったり
子育てを、まだまだ母親が担うことの多い状況では

科学研究の分野に限らず、
本当の意味での、男性女性の平等な社会参画は進まないと思います。

政府の施策ももちろん必要ですが
私たち一人一人が
どんな生活をしてどんな暮らしをしたいのかを、
きちんと考えてみることが求められているように思います。

つまり、
どんな形で社会に参加するのか?
職業の形態は?どんな働き方を選ぶのか?
結婚するのか、しないのか?
結婚して子どもを育てていくのか?子どもは生まないのか?
そもそも結婚というのは、何のためにするのか?
パートナーとどんな関係を持ちたいか?
結局どんなことに価値を置いて、どんな人生を送りたいのか?

・・・・・・・・・

そんなひとりひとりの意識の集合体が
実は、社会とか国といわれるものの実体なのかしら…

ということにたどり着きました。

個人の意識、多様性、そして全体としての社会……

茂木先生やお友達の社会学者の方がお聞きになったら
大笑いされるかもしれませんが

そういう意味でも

“意識”とか“社会”などと
当たり前のように使われている言葉の“理解”が

実は、一番奥が深いものなのかもしれませんね…

投稿: | 2005/12/28 8:07:54

すでに11版ですので、先生にとっては「今更」かもしれませんが、
今日「脳と仮想」を読ませていただきました。
私は脳のことはもちろん、科学や生物などのいわゆる理系全般について
なんら専門的な知識は持ち合わせていない人間です。
それでも大変面白く一気に読むことができました。
理解した、分かった、と言えませんが、
読後にスッキとリした、晴れ晴れとした気分になることができました。

今まで悶々と「なぜだろう?」と考えていた(悩んでいた、が正しいかも)ことの答えが、
この本にあったような、何か掴んだような気持ちです。

例えば、
芸術や文化に対面している時の、私の気持ちは、”感動”より”畏怖”に近いのです。
また、
映画やドラマの”オチ”が、「全部夢でした」だった時、多くの人は「がっかり」するのに、私の気持ちは「それは怖い」と感じるのです。
こういった気持ちを、誰かと共有したいと思っても、
私は今まで表現することができなかったし、
手段を持っていなかった。
「穿った見方」として片付けられていたし、
「予感」に近いものとして存在していたのですが、
そうではないと分かって安心しました。

もう37歳になるのに、
この程度の感想文しか書けませんが、
とにかく、この本に出合えたことは喜びでした。
ありがとうございました!

投稿: ふく | 2005/12/28 5:13:19

 第53回形象派展受賞作品がHPにアップされていました。
http://www6.ocn.ne.jp/~keisho03/sub/sakuhin53.htm
 僕の作品は惜しくも(?)載っていませんが、先生のクオリアを刺激してくれる作品がある事を願っています。

 因みに、形象派に面白いコラムを書く人がいるので、一部抜粋。
 「身体は何も知らないが、何でも教えてくれる

 アタマはパソコン、パーソナルコンピューターだ。主記憶装置(大脳=ハードディスク)を中心に一通り揃っている。入力用のキーボード(目、耳)があり、出力用のディスプレー(声、言葉、手足)がある。大脳には知識がたくさん詰まっている。しかし、これはネットにはつながっていない。

 一方カラダは単なる端末のようなものだ。記憶装置など、どこを探しても、ない。だから、カラダには知識は無い。何も知らない、といってもよい。しかし、このカラダ、ネットにつながっている。その端末なのだ。

(中略)

 カラダは自分は何も知らないのに、こうやって教えてくれる。それは、カラダがネットの端末だからだ。知識の詰まった記憶装置はないが、ネットという無尽蔵の知識(外部記憶装置)に接続することができる。聞き方次第で、どんなことでも教えてくれる。」

 彼の意識観では、意識は「気」という一形態をとって、常に額の上から出ているというのだ。
 もしかしたら、その人のクオリアも出ているかもしれない。

 それでは、よいお年を…

投稿: | 2005/12/27 21:24:46

こんばんは。

お仲間と熱海で温泉を堪能されたあと、速攻で都に戻られてお仕事とは!

年末ギリギリまで本当に御忙しいんですね。(実は私も30日まで仕事なんです…)
ご苦労様です。
インフルエンザが流行し始めているのでくれぐれもお気をつけて下さい。

原研哉さんなど優れた人々と触れ合う中で、茂木さんの「クオリア起源探究の旅」も一歩一歩、確実に進んでゆくのかもしれません。

マーケティング、ブランド、そしてデザインと、クオリアを巡る様々なジャンルの世界との遭遇は、茂木さんを、徐々にではあるが、命題であるクオリア起源の発見へと近づけてゆくにちがいないと思います(解釈に誤りがあったら何卒お許しを…)。

経済、意匠、自然、数字、美…この世界にあふれるもろもろのものは、意識の中に涌き上がるクオリアと切っても切れない関係にあるのですから。

この半年間、クオリアや心脳問題、多様性について、茂木さんの著作や講演等を通して、自分なりに脳の問題、そして、科学の真の恵みというものについて、曲がりなりではありますが、見識が大分広がったと思います。

以前にも申し上げたことがあると思いますが、自分はSONYというメーカーの「QUALIAムーヴメント」からクオリアなるものを知りました。そこで“脳科学”という、科学のジャンルがあるということと、それを専攻している茂木健一郎さんという、若い科学者のいることをも同時に知りました。

その後、QUALIAムーヴメントが光を失って行くのと対照的に、茂木さんのほうに何故か世間のスポットライトがあたるようになりました。

そして、今では本当に多忙を極めておられるわけですが、自分が見てみるに、茂木さんという方は、大学という「象牙の塔」の権威に溺れられもせず、かといってTV等で取り上げられることに対して、少しもいい気になられることがないように自分には見えるのです。

寧ろ、何があっても真理を追究する姿勢を見失わないように為さっている、そのように見えるのです。

真理を追究する姿勢は、虚偽を許さぬ姿勢に通じるかと思われます。

この間の韓国におけるES細胞論文捏造問題は、真理の追究を忘れ、栄耀栄華の為に虚偽を許してしまった、科学者としてはあるまじき姿勢を示して余りあると思います。

栄華をもとめず真理をまじめに求めていれば、こういうことは起こらなかったと、素人の私も思うのであります。

またこれは、ことあるごとに自身が考えていることなのですが、日本の科学界では、茂木さんのような男性の科学者の方は兎も角、女性の科学者をもっと真剣に育成すべきかと思われます。

どのジャンルでもそうですが、日本は女性の科学者の割合が世界と比べて、非常に小さいのではないかと思います。

なぜ日本は女性科学者を育成する気概が小さいのでしょう。

茂木さんの世代に期待するしかないのかもしれません。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/12/27 20:46:08

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