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2005/12/22

 浅田稔研究室訪問

千里中央からタクシーで大阪大学へ。

 ロボカップやCognitive Roboticsで
著名な
 浅田稔さんとfaculty clubでランチをとって
いたら、
 後ろからぽんぽんと肩を叩かれた。
 振り返ると、リアルな質感を
もったヒューマノイド
研究で知られる石黒浩さんがいて、
その向こうになぜか神戸大学の郡司ペギオ幸夫が
いる。

 「あれ、なぜ郡司が石黒さんとここに?」
と一瞬コンテクストがわからなくなった。

 どうやら、太田くん(プレリードッグ太田)
などと一緒に「ワルダクミ」をしにきたらしい。

 授業は午後1時から。
 かなりインタラクティヴにやったので、
予定していた内容の半分もできなかった。
 しかし面白かった。

 浅田研究室、石黒研究室の修士の学生を
中心に、時に話題が量子力学の基礎から
エントロピーにまで及び、
活況。

 授業終了後、
 まずは、Passive Dynamic Walker
の実機を見せてもらう。
 空気アクチュエーター。
 ずっと興味を持っていて、
特に、神経回路網の自発発火の上に
computationがplug inされる、
柳川透がやっていることとの
関係性で
 何とか結びつかないかと思っている。

 そのあと、
 浅田研究室の学生部屋で
成岡健一くんたちとだべる。

 浅田さんが「タクシーが来たよ」
と迎えにきてくださるまで30分くらい
ダベっていた。
 漫画、カップラーメン、仮眠用の毛布、
統計、ファインマン、
 楽しかった。
 こんな感じでだべったのは
何年ぶりのことだろう。

 千里中央の中華の店で、
浅田さん、荻野正樹くん、高橋泰岳さんと
会食。
 高橋さんは終了後帰り、
 三人でカラオケに行った。

 これまで歌っていない曲だけを
歌う、というしばりを自分に課し、
「練習」した。
 一時間ぽっきりで終了。

 最後に浅田稔さんが平井堅の
「瞳を閉じて」をうたっている時に、
インスピレーションが来た。

 瞳を閉じて 君を思うよ

という音素が、ある情感をかき立てるのは
日本語を解する者に対してだけである。
 だとすれば、
 ここに、「ウォーホルのflowerと
宝船の置物」問題の本質があるではないか。
 なんだ、そういうことか。

 夜の風は寒く、雪が降りそうだった。
 早めに東京に帰ろう。

12月 22, 2005 at 06:19 午前 |

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コメント

長くなりついでに、言い忘れていたことをもう少し書かせてください。

先日の、坂本龍一さんと、ダライ・ラマとの出会いに関連して思うに

現代は、おそらく、どこかチベットやインドに行って何かに気づくというよりも

“気づいた人”は、

その人が生きているその世界で

市井にあって、そのことを実践していくことを
求められているような気がします。

その人に与えられた、フィールドで
その人らしい言葉や、やり方で、生きていく…

決して、苦行ではなく、
ある意味では、普通の暮らしの中に

種をまき、水をやり、木や草や花を育てていくように…

ここから先は、私の表現力の限界のようですが…

私も、茂木先生みたいには、できませんが

自分の言葉に、気をつかいつつお話してみたいと想っています。

言葉のもつパワーは、計り知れないものなのかもしれませんね…


投稿: TOMOはは | 2005/12/23 10:38:18

ほんとうに、日本のあちこちが雪で大変ですね!

私は、関東の平野部に住んでおりますので
申し訳ないくらいの良いお天気です。

2階のPCのある部屋のベランダから
上のほうに雲のかかった白い富士山が
遠くのほうに見ることができます…

さて、何を書こうと思っていたんでしたっけ・・・

あっ、そうです、神さまのことでした…

私は、いわゆる宗教としての神は、多分信じていません。

ただ、ブッダやキリストが言ったとされて、
残されている言葉たちのもつパワーには

きっと神聖なるものが宿っていると、信じてしまっていると思います。

よく“内なる神”という表現があって

それは、多分神さまはどこか外にいるというものではなくて

ひとりひとりの人の中にあって

(それがどんなものか、どこなのかは別として)

それが、「神聖でかけがえのないものなんだ」ということかもしれません…

おそらく私が、茂木先生の言葉に対して感じるのは

きっと、ブッダやキリストと同じ(または近い)高みから

見える景色やビジョンを

きっと、多くの私たちのような者に、見えるように話してくださって

少しでもその高みに、私たちを一緒につれていってくださるような

大きな期待感のような気がします。

なぁんて、こんなことには無頓着に

ご自分の面白いと思うこと、楽しいと思うことを飄々となさりながら

ソフト版の日蓮上人のように辻説法している感じが

茂木先生には、似合っていらっしゃるのかもしれませんね…

(これは、あくまでも私の中のイメージですので、違っていたら、ゴメンナサイ!!)

投稿: TOMOはは | 2005/12/23 10:25:37

今晩は。
東京もきょうは寒波の所為(せい)で猛烈に寒いです。

TVのニュースで全国的に大寒波が襲い、九州でも大雪が降ったことを知りました。

それはさておき、
モーツァルトの美麗な音楽も、
茂木さんの深淵な概念や言葉も、
脳の中から澄める泉の如く湧き上がってくるものだと思うのですが、
それがあたかも天啓のように
頭上から降ってくるように、人間は錯覚するのかもしれませんね。

ここで、「風の旅人」№17の茂木さんの連載「今、ここから全ての場所へ」を見ての自分なりの感想を手短に述べてみたいと思います。

あの連載を見て思ったことは、「聖地」というのも、「楽園」というのも、それは自分の「心」の奥深くにあるような気がする、ということなのです。

人は外部にばかり「聖地」を求めるのではなく、己の内面にも「聖地」のあることを知ることも必要だと、私は思うのです。

斎場御嶽に茂木さんが行かれたときに感じられた、輝かしくも神秘的な「聖地」の感覚は、御嶽の風景の「聖地」性と茂木さんの心のなかの「聖地」が“感応”した結果、生まれたものと思われます。

また茂木さんの言われるように、外にある「聖地」を特権化することには私も反対です。

そして、世間が「人格や資質の形成を巡るより精密な決定論」に向かいつつあるこの時代、茂木さんの言うように志や熱情というものは、生まれ育った環境と同じくらいに大事だと思い続けるべきだと私も思うのであります。

「『人間は、その自由な意志にかかわらず、何者であるか、すでに決められている』という議論を受け入れること」は私自身も、非常な抵抗を昔から感じておりましたし、いまだにそうです。

「精密な決定論」に向かいつつある世間に抗いつつ、この人生を生き抜いてゆきたいものです。

「風の旅人」の感想の記述を手短にすませるつもりが、つい長くなってしまいました。

このへんで失礼致します。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/12/22 21:31:24

“ なんだ、そういうことか。”…って

先生の中のAha!についていけないと、
置いてきぼりになったようで、なんだかさみしくなります…

先生は、女の方とお付き合いするとき

相手に、ご自分の気持ちを、
きちんと伝わるような言葉で、おっしゃっていらっしゃいますか?

女の人には、言ったほうがわかると思いますが、…なぁんて、余計なお節介でしたね。

さて、インスピレーションで思いましたが

モーツァルトのような天才は、神さまからの啓示というのでしょうか

きっと、メロディが天使のささやきのように
耳元に、流れてくるのかもしれませんね。

先生の脳から(?)あふれ出てくる言葉やガイネンを

ぜひ直接、ウォーホールの絵の前に立つように
感じてみたい気持ちになりました!!

(とはいえ、大阪までは、オッカケできませんし・・・
次の機会を楽しみにしています!!)

もうひとつ、子育てで言うところの“ディタッチメント”と

先生の使われる“ディタッチメント”と

どんなニュアンスなんだろう?????などと

“アマデウスの魔法の音”でも聴きながら

考えてみようと思います…

投稿: TOMOはは | 2005/12/22 14:47:46

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