可視化
モーツァルトのコンピレーションCD
のことや、
東京フィルのことで、
松井茂さんをはじめとする
何人かの方にお会いする。
東京財団。キャラクター創造力
研究会の最後の会合。
野崎さんがまとめの
話をする。
船曳健夫さんがずっと黙っていて
不気味だったが、
時間切れになって、
財団を出なければならなかった。
星野晶子さん、南條昌康さんと
エレベーターで降りながら
ちらちらと話す。
東京芸術大学。保坂和志さんが
本年度最後の美術解剖学の授業に
来てくださる。
保坂さんの掲示板でいつもお見かけしている
がぶんさんや、けいとさんなど
もいらっしゃる。
タイトルは「芸術の自由」と勝手に
つけてしまったが、
保坂さんは、サッカーの話や、
展開の話や、
散文と韻文の関係など、
様々な側面から「自由」について語って
くださった。
ボールを自由に繰るサッカー選手は、
足とボールの間の力学については
ある一定の規則性にしたがっており、
その意味では、最大に「不自由」である。
The Whoの昔のビデオを見ると、
ステージでギターを叩き壊していたり
するが、
そのような「自由」を「自由」だと
思ってしまうのではなく、
いかに自分の思うように対象を
繰るか(小説の言語を紡ぎ出すか)
という関心の下に、最大の不自由を引き受けるか
ということが、最高の「芸術の自由」
である。
私は保坂さんの話をそのように聞いた。
保坂和志公式ホームページの「がぶん@@編集室」
のコーナーに授業の模様がアップされている。
猫の世話があるというので、保坂さんは
すぐに帰り、
送っていき方々、音楽学部の学生会館の
中で開催されていた「シカパンダ」のグループ展
を見に行く。
蓮沼昌宏は、木でつくった「ホワイトボックス」
から、下の床に向かってキャベツのMRI映像を
投射していた。
白い光が形や大きさを変えながら踊っている
様子は、たとえば空を舞うオーロラのよう。
オーロラが自然の中の過程を可視化する
一つの手法であるとするならば、
フリーハンドによるドローイングは
脳内過程の可視化であり、
蓮沼のおかげでキャベツもまた一つの
脳になることができたのだろう。
海老原優は、卒業制作展の時に、
ペインティングの上に白黒のアニメーションを
投射して独特の世界をつくっていた。
その時に登場していたくるくると回る
人間が今回もいた。
ループをつくることで、「始まり」
と「終わり」をつくるのではない形で
平面表現に時間の次元を入れようとする試み。
見終わった後の脳内の印象では、
時間の流れが圧縮されて一つの平面的
印象に結実するから、
ループがそのような変換過程を経て
その潜在的志向性を満たしたのだろう。
小川千尋の作品は、水のスプラッシュや、
影などの表現に特徴がある。
視覚現象そのものを表現しているのでは
なく、
その「脇」や「背後」にまとわりついている
なにものかの気配を描いている。
色とりどりに塗り分けられた人物の
すぐ横にもわっとぼやけて描かれた影の
ようなものが、
そのような知覚のぶれを表している
ように思われた。
植田工たちが、美術解剖学教室で
「鍋」の会を企画してくれており、
そこに参加。
富田舞さんが鈴木邦男さんと
現れる。
ニューヨークのギャラリー
Ehan Cohen Fine ArtsでGallery manager
としての職を
得てめでたしめでたしの
渡辺真也
も参加し、楽しく歓談した。
鈴木さんと渡辺シンヤだと、政治的立場は
反対方向のようではあるが、
和気あいあいと話が進む鍋の力。
富田さんが、シンヤに何やら熱く
語っていたようでもある。
鍋が何かを視覚化してくれた。
12月 16, 2005 at 08:00 午前 | Permalink
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
The Who
伝説のウッドストックでは、演奏順序でもめてぶちきれたと聞いています。Jim と。
彼等はライブパフォーマンスもしくは気持ちの高揚により破壊行為をしてしまったらしいのですが。
そのイメージが定着しプロモータから「やれ」と言われていたと聞いています。
リッチーブラックモア、イングヴェイなどはパフォーマンスでしょね。
リッチーは来日時は「Grecoのギターが適度の丈夫でいい」と
イングヴェイは、張りぼてのマーシャルアンプ
竹中久人氏はギブソンは投げると一発だけど、フェンダーは投げてもちょっと修理すればまた使えると言っていました。彼の場合、気持ちの高揚でしょうね。
投稿: 佐々木裕伸 | 2005/12/16 12:13:55