ふがふが
朝起きたときからずっと仕事。
三番町の
PHP研究所で、Voiceの巻頭インタビューの
取材を受ける。
現代の子どもがテーマ、とうかがって
いたが、来し方行く末について
幅広くお話しさせていただいた。
聞き手は讀賣新聞の編集委員の
小出重幸氏。
たいへん博識な方で、お話していて
楽しかった。
隣りの部屋に移動し、
PHP研究所の「次代を考える東京座会」
の第一回会合。
メンバーは、池内恵(思想史、中近東)、
牛村圭(思想史)、北康利(作家)、
中西寛(国際政治学)、福田和也(文芸評論家)、
古川元久(衆議院議員)、茂木健一郎、
若田部昌澄(経済学)、永久寿夫(選挙制度)
二ヶ月に一回ほど集まって、
さまざまなことを議論する予定。
自己紹介でディタッチメントの話を
したら、福田和也さんが、
「『様々なる意匠』はディタッチメントでしょうかね?」
と。
なるほど。面白い。
NHKへ。
新番組『プロフェッショナル』の
番組試写と記者会見。
幻冬舎の大島加奈子さんや、新潮社の
北本壮さんなど、おなじみの顔も見える。
試写が終わったあと、
簡単に抱負を述べ、質問に答える。
プロジェクト・ルームにいって
しばらく懇談。
人形町へ。
『ヨミウリ・ウィークリー』編集部が、
連載が本(「脳の中の人生」)になったことを
お祝いして鍋の会を開いてくださった。
川人献一編集長と二居隆司さん。
いろいろなことがあったこれまでを振り返り、
楽しく歓談した。
NHKの人々は仕事を続け、午後9時過ぎに
渋谷方面に出るというので、
鍋の会が終わったあと合流する。
電通の佐々木厚さんも、住吉美紀さんと
ワインの話がしたいと参加。
家に帰ってきたら、ファックスの調子が悪く
「ミステリ特集アンケート」のゲラが届いていない。
文藝春秋の「タイトル」編集部に
電話をして、もう一度送っていただいた。
午前一時近かったが、丹羽健介さんは
仕事をしていた。
年末だからか、夜遅くまで当たり前に
仕事をしている人たちがいて、
どうもこっちの感覚もおかしくなっていく。
ところで、困ったことがあって、
メインに使っているノートブック・
コンピュータの
リターンキーが外れてふがふがに
なっている。
押さえつけても、すぐ外れる。
それで、速く打つことができない。
一方、バックアップの方のノートブック
はキーは打てるのだが、
インターネットにつながらない。
仕方がないので、リュックの中に
二つのノートブックを入れて持ち歩き、
片方で文章を打って、USBメモリで
もう一つに移し、メールで送る
というスタイルで仕事をした。
修理に行きたいのだが、
その暇がないので、対策が立つまで
二つ分の重みを背負って歩き回る
ことになりそうだ。
今日から京都なので、重い背中を
抱えたまま移動である。
メールを打つときにはふがふがになるので、
小指にふがふがの感覚が妙に残り、
ヘンな気持ちだ。
12月 13, 2005 at 07:33 午前 | Permalink
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コメント
銀鏡反応 さま
コミュニケーションについてのコメントありがとうございました。
たしかNHKの「地球大進化」とiう番組で
人類の祖先が、狩などのとき、
複数の人で獲物を追い込んでいく際の必要性があって
ことばのような、コミュニケーション能力が進化し、
そのために、またはそのことから脳が爆発的に大きくなっていった
というような内容でしたっけ?
今、なぜ発達障害の子どもが多くなっている印象があるのか…原因と結果などなど、
考え出すと頭の中がグルグルしているのがわかりますが
答えは、当分出ないのでしょうか?
もうひとつ、“フローな状態”ということばがありましたが
私も、翻訳本で「パワー・オブ・フロー」を読んで
とても面白かったです!!
そんな時って、アンテナの感度が上がって
必要な情報が、ピピッと自分のところに飛び込んでくるような感覚になるような気がします。
皆様、そんなご経験は、ありませんか?
投稿: TOMOはは | 2005/12/14 7:11:02
「英語でしゃべらナイト」、
楽しく拝見させていただきました。
例のAha!問題はトテモ面白かったです。
茂木さんのファッションが何故かいつもよりハデハデだったです。履いていた靴が黄色かったりして(笑)
人類の進化の歴史を見てみても、ネアンデルタール人の頃は、言語を発する口蓋の構造や咽喉(のど)の構造がホモサピエンスと比べて発達していなかった為、言語はあまり発達せず、その代わり、身振り手振りやイメージングなどの非言語性コミュニケーションが発達していた、という話を何かのホンで読んだことがあります。
ネアンデルタール人からホモサピエンスに進化したときから口蓋や咽喉の構造が言葉をうまく発しやすい構造になり、これにより言語性コミュニケーションが爆発的に発達し、そこから情報の伝達手段として、文字が生まれてきたと考えられているそうです。
広汎性コミュニケーション障害をもつ人々が言語性のコミュニケーションが上手く出来ない現状を思う時、そういう人々と交流する為にも、私達はかつてネアンデルタール人がしてきたような、非言語性コミュニケーションの可能性をさぐる必要があるのではないのでしょうか。
新番組『プロフェッショナル』、私も今から楽しみです。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/12/13 21:43:47
はじめて、ブログにお邪魔いたしました。
残念ながら、先生のご本はまだ読んでおりませんが
日経新聞夕刊のコラムをいつも楽しく拝読しておりました。
昨日の「英語でしゃべらナイト」を大変興味深く見せていただきました。
Aha!には、なるほど納得!でした。
ところで、ひとつうかがいたいのですが
“生きること”は“言葉をしゃべること”というのは
確かに、ある意味では真理だと思うのですが
コミュニケーションは、言語性によるものよりも
非言語性のコミュニケーションの割合のほうが
実は大きいということを聞いたことがあります。
言葉の持つ重要性も大変面白いですが、
脳科学の分野ではそれ意外のことについての研究も進んでいるんですか?
また広汎性発達障害(自閉症など)にみられる
コミュニケーションや言語の障害についてなど
確かに、社会性を持って、生きるイコールことばだと、説明できるのかもしれませんが…
でも、なんとなく納得できない気がします。
その分野のことが解明されることも期待しています。
新番組『プロフェッショナル』も楽しみにしております。
投稿: TOMOはは | 2005/12/13 20:46:50
ポリデントを塗るといいかもしれない(笑
投稿: しんいち | 2005/12/13 8:47:08