なぜ、それをここでは感じられないのか
風の旅人 第17号 p.145〜148
2005年12月1日発行
連載 茂木健一郎 今、ここから全ての場所へ
「なぜ、それをここでは感じられないのか」
(沖縄の斎場御獄にいった時のことを書きました)
12月 3, 2005 at 03:14 午後 | Permalink
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風の旅人 第17号 p.145〜148
2005年12月1日発行
連載 茂木健一郎 今、ここから全ての場所へ
「なぜ、それをここでは感じられないのか」
(沖縄の斎場御獄にいった時のことを書きました)
12月 3, 2005 at 03:14 午後 | Permalink
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コメント
もう一句。
どこからどこまでが脳ですか?
投稿: Y(大塚) | 2005/12/05 11:50:42
時代のせいでも、年齢のせいでも、だれのせいでもなく、やはり自分のなかの問題(trouble)・混乱であると思います。恐ろしそうでいて、ようく見ると案外複雑で、単純な、なんでもないことなんではないかと、思います。
投稿: Y(大塚) | 2005/12/05 11:49:16
「風の旅人」今月号の茂木さんの連載を拝見しました。
我々と同じように「脳を鍛える」、「勝ち組負け組」、などの現代特有の「人を思考停止させる情報ノイズ」に囲まれている茂木さんが、そのノイズに必死に抵抗している姿が行間から垣間見られました。
少なくとも茂木さんにとって、沖縄の斎場御獄は人の中にある命への神聖な、というか、敬虔な思いを泉のように沸き上がらせ、魂を解放させる場だったのでしょう。
しかし都会に戻ると斎場御獄で茂木さんが感得した全てが、またも都会の発するノイズに囲まれることで感じられなくなってしまう。(違っていたらごめんなさい)
都会の津々浦々に溢れかえっている、あらゆる“いやらしい”ノイズが、せっかく命への畏敬を思い起こさせるものに触れた人の魂を、ひっかきまわしてしまう。
それで、命への敬虔な思いを感じることが出来なくなってしまう。
現代が、いかに恐ろしい時代であるかが今回の連載を読んでみて思い知らされたような気がします…。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/12/04 20:33:40