個別と普遍
広島で降った雪で
新幹線が遅れてはらはらした。
研究所でブレスト。
最先端のテクノロジーについて
いろいろ思い描くことは実に
楽しい。
実際、それらのテクノロジーがこの
世界を変えつつある。
文藝春秋本社。
来年はモーツァルトの生誕250年であり、
『文學界』がモーツァルト特集をする。
大川繁樹編集長と、
選考したベスト10のリストを
手に、モーツァルトの人と作品について
語り合う。
山下奈緒子さんも同席。
モーツァルトが仕事をした環境は、
現代人に似ていると思う。
様々な文脈が交錯するなか、
ものすごいスピードで仕事していく。
ネットやメールで次々と
中断されるわれわれの仕事ぶりに
通じるものがある。
その中であれだけのクオリティのものを
残した。
もって範とすべきだろう。
池袋に出て、
<きわめて>遅い昼食をとる。
ハラペコだった。
見かけた中華料理屋で、
アエラを読みながらレバニラいためと
餃子を食べる。
お行儀悪いが、誰も気にしない。
ここのところ、こういう時間が
なかったなあと幸せを噛みしめた。
立教大学のキャンパスは圧倒的に
きれいだ。
比較文明学会でお話させていただく。
北山晴一先生に再会。
入不二基義さんもいらした。
芸大から植田工と津口在五も来る。
内容は、「個別」と「普遍」の
交わりをめぐる
二つの回路。
私たちは、「普遍」ということを
ついつい流通性においてとらえがちだが、
一つの脳にクオリアが宿る形式
と同様、
流通性を前提にしない普遍概念に
いかに覚悟をもって寄り添うか
ということが大切なのではないか。
私がまず40分話して、
そのあと北山さんと対論し、
会場と議論した。
懇親会で比較文明学専攻の
方々と話す。
みなさん自由闊達で気持ち良い。
池袋は理化学研究所の時に
よく来たのでなつかしい。
田森佳秀とThirsty Bearに行っていた
時代があるとは信じられない気持ちだ。
12月 6, 2005 at 07:29 午前 | Permalink
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コメント
きょう(12月8日)日経夕刊「あすへの話題」を拝見致しました。
ITが浸透するに従い、人脳も複雑かつ豊穣な文脈を引き受けるように進化してゆくのでしょうか。これによると、人脳には「場の空気を読む」という驚くべき能力があるとあります。インターネットやユビキタスが人脳のダイナミクスをかつてないほど活性化している、とありますが、それはその「場の空気を読む」能力が以前よりも発達してきたのでしょう。しかし、少なくとも自分にとってはこの説に多少違和感を抱かざるを得ません。何せ脳の能力が「進化」している、という実感がまったくないのですから。しかし、実感がなくとも、脳の力は無限の可能性を秘めていることを考えれば、複雑化した現代の文脈を引き受けていくうちに人脳はさらなる進化を遂げるものなのかもしれませんが。う~ん、イマイチ納得できません。ITの進歩とともに人脳の能力は退化するという思いこみが強過ぎるのでしょうか。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/12/08 19:30:15