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2005/12/29

 プロフェッショナル 第二回収録

 「プロフェッショナル 仕事の流儀」
の第二回収録。

 小児心臓外科医の佐野俊二さん。
 VTRを見た時から、今日は
よほどの心構えでのぞまなければと
思っていた。
 何しろ、相手は普段から命のやりとりを
する現場にいる人である。
 いい加減なことで済むはずがない。

 実際にお会いした佐野さんは
とてもやわらかく、数多くの修羅場を
くぐり抜けてきた人とはとても
思えなかった。

 子供の心臓疾患は、早く手術するほど
治癒効果が高いという。
 ところが、それだけ心臓が小さいから、
手術の難易度が高い。
 
 佐野さんは、他の人が尻込みするような
難易度の高い手術にチャレンジする。
 そうでなければ、本当の喜びは
得られないのだと言う。
 
 最後の最後は、心臓外科は、
血管のどこを切ればよいか、
 光って見えるとか、
 あと0.1ミリなどの
感覚の世界になる。
 そんな話を聞いて、
 佐野さんのお仕事は、
人の命を救う芸術なのだとわかった。

 番組のHPが出来ました。
http://www.nhk.or.jp/professional/

 明日から1月3日まで、
休暇に入ります。

 皆様、良いお年を!

 茂木健一郎拝

12月 29, 2005 at 11:35 午後 | | コメント (2) | トラックバック (5)

ぎこちなく

ふっくらと炊いた豆のように、
いろんなものがぎっしりと詰まって
日々が過ぎていく。
 
 星野英一くん、箆伊智充くんが
修論構想発表会に向けて
 研究構想を発表し、それについて
議論した。

 星野君は、allocentricとegocentricの
空間認知に興味を持っていて、
 その両方がかかわるような心理実験を
設計すべく模索している。

 箆伊くんは、一連の事象が因果律的に
どのように連鎖しているのか
という認知と、そこに時間知覚が
どうかかわるかという問題。
 agencyやintentionalityの
関与も同時に検証すれば、
 より現代的になるのではないか。

 agency知覚もそうだが、
この世の中の全ての物質的因果性、
interactionのうちで、相手が
humanの場合のそれは特別な
位置を占めている。

 全てを擬人化する傾向に
見られるように、hot predictionと
cold predictionの交錯する場所に
こそ面白い問題がある!
 星野君の問題意識も主観/客観の
問題につながるが、
 socialなinteractionの視点も
介在させられたらというのが一つの
アイデアだろう。

 テレビマンユニオンの
花野剛一さん、電通衛星メディア局
企画業務推進部の金山淳吾さんと
会食。
 
 花野さんとは今年は随分会った。
 恐山にも一緒に行った。
花野さん、お世話になりました。

 金山さんはサーファー。
 ぼくはウィンドサーフィンしか
したことがない。

 最初にサーフィンをしたやつは
偉いと思う。
 考えてみると、
二足歩行も最初はサーフィンのような
ものではなかったか。

 一日に一回は、まだやったことが
なくて、ぎこちなくなってしまう
ことにチャレンジすべきなのではないか。 

 二足歩行の最初のふらふらは美しい。

12月 29, 2005 at 08:08 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2005/12/28

いとうせいこう × 茂木健一郎

2006年1月11日
いとうせいこう × 茂木健一郎

詳細

12月 28, 2005 at 08:13 午前 | | コメント (1) | トラックバック (4)

脳の中の人生 「夢の中のもう一つの時間」

ヨミウリ・ウィークリー
2006年1月8・15日号
(2005年12月26日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第84回

「夢の中のもう一つの時間」

一部引用

 映画を見せて、その中の要素が夢にどれくらい現れるかを調べた研究がある。当然のことのようだが、映画を見た直後の眠りにそれを反映した要素が出現する確率が最も高く、その後、次第に減少していく。ところが、3、4日目頃から、一週間後くらいにかけて、再び夢の中に映画の要素が出現する確率が上がっていく。
 なぜ、いったんは夢から消えかかった体験が、再び復活してくるのだろうか?昼間体験した記憶を脳が整理する際に、その副産物として夢が生み出されるというのが、現在のところの有力な仮説である。記憶の整理の過程で、何らかの必要性があって、しばらく前の出来事が再び夢の中に登場しやすくなるのだろう。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

12月 28, 2005 at 08:03 午前 | | コメント (1) | トラックバック (3)

「考える人」 恐山探訪記

季刊誌「考える人」 2006年冬号(定価1400円) 
2005年12月28日発売
特集 1962年に帰る

茂木健一郎 恐山探訪記 p.20〜p.27

http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/index.html

12月 28, 2005 at 07:52 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

科学技術 2005

http://www.asahi.com/science/news/TKY200512270404.html

http://www.nistep.go.jp/index-j.html

12月 28, 2005 at 07:48 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

学習機会

日本テレビ「世界一受けたい授業」
の竹下美佐さん、佐谷直子さん、戸高克仁さん
と打ち合わせ。
 収録は2006年1月15日。
 「アハ!」の集大成になる模様。

 野村総研ビルの中にある
「日経サイエンス」
の編集部。
 詫摩雅子さん、糸屋和恵さん、神野幹雄編集長。
 「対談」連載企画について。

 いろいろな分野の話を聞くのは楽しみである。
勉強になる。
 科学の全ての分野を見渡すのが次第に困難に
なってきている現在、
 日経サイエンスの対談が一つのインフラに
なれば良いと思う。

 NHK。
 「英語でしゃべらナイト」について。
 金田将二郎さん、丸山俊一さん。

 「プロフェッショナル」打ち合わせ。
 有吉伸人さん、細田美和子さん、河瀬大作さん
住吉美紀さん。

とりあげる「プロフェッショナル」は
 小児心臓外科医の佐野俊二さん。

 取材の映像が大変な迫力で、こちらも
それなりの気合いを入れなければなるまい。

 つくづく思うのは、全ては脳にとっての
「学習機会」であるということで、
 さまざまな現場には
そこならではの学習のマテリアルが
転がっている。

 脳という一つの複雑な臓器が、世界の
中を漂い、進みながら経験し、つなぎ変わり、
変貌していくのだ。

 ここのところ考えているのは
 縮小写像というのはメタな視点なしで
あり得るかということ。
 どうやらここが鍵になりそうだ。

12月 28, 2005 at 07:46 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2005/12/27

対象を未知化すること

 引き続き、社会思想系の
ことなどオオバタン、マスダタケシと
話し合いながら、
熱海から東海道新幹線で
東京に戻る。

 電通東京本社で、
法政大学経営学部市場経営学科の
田中洋先生と
「脳科学とマーケティング、ブランド」
についてブレスト。
電通の佐々木厚さん、望月裕さんも
同席。

 消費者インサイトの問題は
神経経済学の視点から見ても
興味深い。

 某所の喫茶店でひたすら
仕事。

 あたりがすっかり暗くなり、
京橋の中央公論新社へ。
 このあたりの町並みはどこか
小津安二郎の映画を思い起こさせる。

 産経新聞編集局文化部、編集委員の
梶山龍介さんに、
『脳の中の人生』
を中心にインタビューを受ける。
 年明け1月半ばくらいに掲載される模様。

 『脳の中の人生』約80冊に
イラストと署名をする。

 初めての試みとして、全部図柄を変えた。
とは言うものの、はてどうしよう、と考え込む
のではなく、
 ぱっ、ぱっ、ぱっとその場の即興
で描き込んでいく。

 はい次、はい次とやっていたら、
なんだか妙な気分になってきた。
 
 「過去にやったことと同じことはやらない」
というポリシーの下に脳を「運営」している
時の独特の活動があるように思う。
 イメージングしてみたら、面白い。

 中央公論新社の皆さんが見守って
くださる。
 岡田健吾さん、松本佳代子さん(中公新書ラクレ)や、
井之上達矢さん(月刊「中央公論」)、
濱美穂さん(「婦人公論」)などのお馴染みの顔も。

 仕上がった80冊は、ただちに
紀伊国屋書店新宿本店
に納入されるべく運ばれていった。


「脳の中の人生」サイン本出来ました。

 サイン本お買い求めの方は、お早めに
紀伊国屋書店へ!

 松本佳代子さん、原研哉さん、それに
橋本麻里さんが加わって、
 脳とデザインの関係などについて
ブレスト。

 原研哉さんが最近出された本
『Ex-formation 四万十川』
は、知っていると思いこんでいる対象を
未知化するという大変興味深い試み。
 武蔵野美術大学の原研哉ゼミが母体となっている。

 対象をいったん未知化するというのは
相対性理論のような科学革命の必須の
ステップなり。
 「クオリア」という概念も、ex-formation
の系譜の中に位置づけることができる。
 
 今年のテーマは「リゾート」ということで、
また面白い本が出来上がりそうだ。

12月 27, 2005 at 08:24 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

写真

下の
2005年12月25 日(「おじさん温泉」)
2005年12月26日(「マルチチュード」)
のエントリーにそれぞれ一枚写真を
添付しましたので、ご覧ください。

12月 27, 2005 at 08:02 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/12/26

マルチチュード

 大場旦、増田健史はいろいろな
分野の本を作れども、
 もともとは社会思想系の人々
である。
 だから、オオバ、マスダの
頭の中は、そのかなりの部分が
社会思想系の人たち、及び
その理論によって占められている。

 顔を合わせれば、アズマが
どうの、オオサワがどうの、
最近はマツバラが評判
が良いようですよ。そこのところは
キタダさんがね、
などと言っている。

 そこに私も口を挟む。
つまり、温泉にいる間、
ずっと昨今の社会思想系の動きについて
ブレストをしているような
ものなのである。

 その動きがぴたっと止まった
時間がある。
 午後7時を過ぎたら、増田健史
がそわそわし始めて、
 女子フィギュアが始まります、
とテレビを付けたのだ。

 村主の滑走中の顔、絶対凄いですから。
 中野、応援しているんですよね。
 がんばって欲しいなあ
といろいろ解説を付ける。
 
 黙っていた大場旦が、おもむろに、
しかし、やはり客観的に見れば
 安藤美姫の方が美人なのでは
ないでしょうか、
 と言ったのをきっかけに、
増田、大場の間で、
 安藤と中野はどちが良いか
という「口争」が勃発したのであった。


「きみぃ、それは、あんどうの方がいいよお」
と増田健史を「教育的指導」する大場旦


 私は、あくまでも中立を保ちつつ、
はいしどうどう、はっけよいよい、
残った、残った。
 と行司をしている。

 フィギュアの放送が終わり、
 精神が安寧になってからは、
マルチチュードの話になった。
 
 マルチチュードにおける
物理的強制力の位置づけとは何か。
 デジタル資本主義は、
従来のそれと何か変質しているのか。
 アズマの言うオタクは、そこに
どのようにかかわっていくのか。
 
 その手の問題について、
一晩で私も一年分くらい考えた。
 湯治だと思ってきたが、
 これは実は研究会だったのではないか。

 来年のおじさん温泉は、どうやら
私が場所を決めなくては
ならないらしい。

 それまで元気で暮らして
いることにいたしましょう。

12月 26, 2005 at 10:18 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

おじさん温泉

 毎年歳末の恒例とは相成った
(と言っても、二年目だが)
 増田健史(筑摩書房)、
大場旦(NHK出版)
と三人での「おじさん温泉」
に出かける。

 午後1時30分東京駅発の
「踊り子」で。
 気心の知れた三人、
さっそく缶ビールを飲み始めるが、
二駅も行かないうちに
底をつき、
 「あっ、しまった」はもう遅い。

 そういう時は不思議なもので、
乗ってはいないはずの売り子の声が
聞こえる。
 あまり何度も聞こえるのでおかしいなと
振り返ると、
 後ろの席にいる女性の声が
売り子そっくりなのだった。

 欲望は幻覚を創り出すものなのである。

 大場旦が選んでくれた
「山水楼」は湯河原の駅から車で7分。
 大変立派な旅館である。

 通された桃山第の部屋はだだっ広く、
 20人は泊まれるのではないかと
思う。
 さっそくお風呂に入り、
ビールを飲む。
 さてさて、ゆったりいたします。


 今年もおじさん温泉に集った大場旦(左)、
増田健史(右)

 
 おじさん三人が温泉で何をする
のかと言えば、  
 実はいろいろ忙しいのである
(朝ご飯が来たので、この項続く)

12月 26, 2005 at 08:45 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/12/25

地中美術館talk

“脳の中の美を求めて”
茂木健一郎
2006年1月21日(土)午後2時〜
直島・地中美術館

http://www.chichu.jp/j/education/talk.html

12月 25, 2005 at 10:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

クリスマス・レクチャー2005

Lecture Records

茂木健一郎
クリスマス・レクチャー2005
秋葉原ダイビル 秋葉原理科教室

「科学の青天井」
音声ファイル (MP3, 38.5MB, 84分)

12月 25, 2005 at 08:16 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

Public Understanding of Science

学生の頃は、よく不忍池から
広小路をてくてく通って秋葉原まで
歩いたものだ。

 一人の時が多かった。
 最初は電気店だけだった街に、
次第にアニメやゲームのショップが
増殖していった。

 ここのところ、アキハバラに
行く機会がほとんどなかったので
(5年は行っていないのではないか)
 浦島太郎のような気分だった。
 ダイビルってどこだ?
 うろうろしているうちに、
開講前10分にやっと着いた。

 秋葉原理科教室仕掛け人の
妹尾堅一郎さん(東京大学先端研特任教授)
にご紹介いただいたあと、
 さっそくマイケル・ファラデーの
「ろうそくの科学」などの
 クリスマス・レクチャーの話から
始める。

 Public Understanding of Scienceは
大事だと思う。
 ファラデーもそうだが、特にイギリスには、
最先端の研究をしている科学者が
一般向けにわかりやすく説明する
伝統がある。

 専門家にはローカルな話をしていれば
通じるが、
 general audienceに話そうと思ったら、
ちょっとステップ・バックして
 関連する周辺領域との接合を
はからなければならない。
 木から森に目を転じなければならないのだ。
 だから、Public understanding of science
に心を配ることは実は研究上も役に立つ
ことなのだろうと思う。

 終了後、妹尾さんや、内閣府総合科学技術会議
議員、日本学術会議会員の柘植綾夫さんと
科学振興のことについて議論。
 big scienceやプロジェクト型の科学以外に、
小さな種を生み出す科学をいかに育んで
いくかということが大事なのではないか。

 電通の佐々木厚さんに
「米と炭」のおせんべいを幾つか
いただく。
 小津安二郎ゆかりで、
 私が心から尊敬申し上げるさるお方
(もう何十年も公共の場に姿を見せていらっしゃらない
方)が、あるところに送っていらっしゃったお歳暮の
一部分であるということで、 
 動揺してしまうと同時にとても嬉しく感じた。

 どうしようかと思ったが、
今朝、一個食べてしまった。

 おいしかった! 
 これで、年末もがんばって切り抜けられる
でアリマショウ。

12月 25, 2005 at 07:59 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2005/12/24

資生堂ワードフライデー

資生堂ワードフライデー
「り」 理解できないということは何か?

ナビゲイター
茂木健一郎
2006年1月27日(金) 19:00〜21:00
ワード資生堂 9F
申込締切り日 2006年1月15日(日)

詳細、申し込み

12月 24, 2005 at 09:24 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

クリスマス・パーティー

藤原正彦さんの『国家の品格』は、
藤原さんもついに日本主義者になったかと
思っていたが、読んでみると
面白い。
 数学者らしい論理が貫かれていて、
nationalismとpatriotismの
違いなど、秀逸。
 もっとも、論理の限界を説くのが
藤原さんの趣意である。

 銀座のマキシム・ド・パリで、
ソニーのファウンダー盛田昭夫さんの
ご婦人である盛田良子さん主催の
クリスマスパーティー。
 三枝成彰さん主催の「六本木合唱団」
メンバーが中心。

 出席者は三枝さんの他に、
浅葉克己(アートディレクター)
板井典夫(フードスタイリスト)
岡田達雄(グローバル・スポーツ・アライアンス常任理事)
奥田瑛二(俳優)
小野寺良文(弁護士)
三枝健起(演出家)
島田雅彦(作家)
竹山 聖(建築家)
辰巳琢郎(俳優)
田中良幸(産経新聞編集担当委員)
波頭 亮(経営コンサルタント)
花岡浩司(ダンス指導者)
眞木 準(コピーライター)
横山幸雄(ピアニスト)
わたせせいぞう(イラストレーター)

 私は盛田夫人の隣りで、前が島田雅彦、
斜め向こうに三枝成彰さん、波頭亮さん、
小野寺良文さんというテーブルだった。
 皆座談の名手なので、
大変美しく時間が流れた。
 島田雅彦とは、一週間で3回
会ったことになる。

 盛田良子さんと直接お話したのは
初めてであったが、
 大変楽しい方であった。
暖かいお人柄に感銘。

 さすが六本木合唱団というか、
デザートが終わった頃、
 レストラン内のステージに集結して、
アイリッシュ・ハープの伴奏で
Silent Nightを歌い、
 その後、何やらアカペラでハモって
合唱した。
 これはアメリカ生まれの曲で
男声合唱団はテーマソングのごとく
歌うものらしい。
 私は初見だったが、何とか音を
拾ってうたう。
 
 バーに席を移し歓談を続ける。
 奥田さんや竹山さんの近くになった。

 竹山さんが耐震強度偽装問題を熱弁。
 奥田さんは最近仕上がった監督作品の
話。
 カンヌに持っていくらしい。

 皆の話はまだまだ続くようであったが、
私は仕事が山積のためシンデレラで
失礼した。

 帰ると
 インドやロシアからメールが来ており、
クリスマスシーズンでも皆関係なく
働いていると実感。
 しかしインドはクリスマスは関係ないかも
しれない。

12月 24, 2005 at 09:21 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2005/12/23

プロセス・アイ

茂木健一郎 『プロセス・アイ』 徳間書店

 近未来小説。
 心と脳の関係に切り込む「プロセス・アイ」
理論を考案した天才科学者。
 新経済理論『スペラティヴ』
をひっさげて巨万の富を築き、世界を動かす
視点を獲得しようとした哲学者。
 亡き恋人の思い出を託された美少女。

 チュニジア、東京、ニューヨーク、上海、
ワシントン、ウィーン、バリ島、ハワイ、テキサス、
チベット、そして宇宙を舞台に、「未来のクオリア」
に満ちたファンタスティック・サスペンスが
展開する。

 2006年1月下旬発売予定
 装丁 鈴木成一

 乞うご期待。

推薦の言葉

12章を読んで新幹線で泣いた。この「物語」には
風が吹いている。その風は世界を吹き抜けてぼくの
クオリアを優しく震わせる。 山田正紀

茂木さんらしい、スケールの大きな物語。意識はだ
れにとっても興味深いものだけど、人工意識って、
こういう形でしか、書けないのかもしれない。 養老孟司

目次

プロローグ 色とりどりの砂
第1章 ツヨ
第2章 千佳
第3章 愛する人
第4章 スペラティヴ
第5章 プロセス・アイ
第6章 旧友との再会
第7章 クオリア研究所
第8章 シャーマン
第9章 クローン人間
第10章 スポットライト
第11章 出発
第12章 ル・ドゥン
第13章 ヒューマノイド
第14章 帰還
第15章 グンジのステートメント
エピローグ 曼荼羅

12月 23, 2005 at 11:08 午前 | | コメント (6) | トラックバック (4)

『脳と仮想』 Xmas Campaign Vol.3

『脳と仮想』
Xmas Campaign

 またもや!!
 図案をお送りいただきました!
 心から感謝の意とともに、
ここでご披露させていただきます。

 茂木健一郎


久保崇裕さん



海老原優さん

ありがとうございました!
(お送りいただいたのに、ここにないという方、
見落としている可能性がありますので、恐れ入りますが
ご指摘いただけますでしょうか)

12月 23, 2005 at 10:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

サンタクロースはいるのか?

あすへの話題 サンタクロースはいるのか?
(最終回)
茂木健一郎

 歳末のこの季節は何となく慌ただしい。「年末進行」に追われ、忘年会をはしごしているうちに、いつの間にかクリスマスが近づいてくる。
 数年前の今頃、私は空港のレストランにいた。となりの席に五歳くらいの女の子がいて、妹に話しかけていた。
 「ねえ、サンタさんていると思う? 私はねえ、こう思うんだ・・・」
 その一言を聞いた瞬間、人間にとって「仮想」が持つ意味に思い至り、私は思わずはっとした。
 子供にとってのサンタクロースの真実は、それがこの現実の世界に存在するかどうかで左右されるのではない。一年に一回、自分に無償の愛を注いでくれる人がいる。そのような仮想の切実さこそが、子供の心に訴えかける。
 目の前にでっぷりと太った赤服の男を連れてきて、ほら、これがサンタだよ、と言っても何の証明にもならない。現実には存在せず、しかし目を閉じればありありと見える仮想だからこそ、サンタクロースは私たちの心の中に居場所を持つ。そのような思いを基に、私は『脳と仮想』という本を書いた。
 イギリスに留学している時、クリスマスが「善意の季節」と呼ばれることを知った。普段は厳しい競争社会の中で懸命に生きている大人たちも、この季節だけは童心に返り、周囲の全ての人たちに対して善意のまなざしを向ける。寒空の下、人々の心は暖かく燃え上がる。
 現実が時に厳しいからこそ、サンタクロースは必要とされる。人の心の優しさを象徴する姿が遠方から近づいてくる。その仮想の由来するところに思いをはせ、しみじみとこの季節を楽しみたいと思う。


(日本経済新聞2005年12月22日夕刊掲載)

12月 23, 2005 at 10:35 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

ワーカホリックのひと息。

新幹線が、雪で遅れていて、
9時10分発の「のぞみ」よりも
9時16分発の「のぞみ」の方が
先に出発するという時間のマジック。

 いったん改札の外に出て、
変更していただいた。
 手まり寿司を食べ、
仕事を始める。
 まったくワーカホリックである。
朝から晩まで働いている。

 筑摩書房の
 増田健史から「新幹線さん、
停車してください」というメールが
入る。
 高速走行だと、大きなファイルが
安定して送れないのである。
 品川駅で増田健史はやっとほっとした。

 東京駅で、愛知県立一宮高等学校の
鶴田治之先生と、細川正徳先生に
お会いする。

 お昼をご一緒しながら、
お話を伺う。
 一宮高校は進学校で、
SSH(Super Science High School)
に指定されている。
 大変充実したプログラムで、
カミオカンデや、高エネルギー研究所(KEK)、
岡崎の生理研を訪問したり、
 野依良治先生や、江崎玲於奈先生が
講演に来たりする。
 
 私が高校の時はそのようなことは
なかった。
 KEKのサイクロトロンを高校の
時に見たら、どんなに刺激になっていた
ことであろう。

 明日の午後に秋葉原でやる
クリスマス・レクチャー(「科学の青天井」)

では、科学のエキサイティングな側面を
みんなで語り合いたいと思う。

 徳間書店に一瞬立ち寄り、
本間肇さんに『プロセス・アイ』
のゲラを渡す。
 これで年内校了。
 鈴木成一さんデザインのカバーを見せて
いただく。
 「さすが鈴木さん」
 「一流の仕事だね」 
 「ほら、この文字、細かいところまで作り込んで
いるよ」
といった声が飛び交う。
 
 研究所へ。
 論文の内容を詰めたり、議論したりする。
 agency概念を、社会的に定義するか、あるいは
個において引き受けるか。
 ミーティング。
 Society for Neuroscience, Interspeechの
学会報告等。

 所眞理雄さんのフランス政府からの
叙勲をお祝いしてのサプライズ・パーティー。
 ロゼのスパークリングワインを飲んで
歳末気分に。

 白洲信哉さんの家の忘年会へ。
 白洲明子さん、信哉さん、鈴木理策さん(写真家)
渡辺倫明さん(和樂編集部)、千宗屋さん
(武者小路千家)、石原延啓さん(画家)、瀬津さん
ご夫妻(瀬津雅陶堂)、松尾貴史さん

 いつものことながら、大変美味い。
 話も面白い。
 ワーカホリックにひと息の時間を
くれた信哉さん、ありがとう。

 わいわいやっているうちに午前3時になり、
千さんと一緒に帰った。

 凍えるほど寒い。
 タクシーには稼ぎ時だったようだ。

 「文學界」2006年一月号に掲載されていた
小泉義之さんによる『クオリア降臨』の
書評をやっと拝読した。
 深謝。

12月 23, 2005 at 10:29 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/12/22

世界一聞きたい脳の話 (大阪)

2006年2月6日(月)14:00〜15:00
茂木健一郎
朝日カルチャーセンター大阪 

詳細 

12月 22, 2005 at 06:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

 浅田稔研究室訪問

千里中央からタクシーで大阪大学へ。

 ロボカップやCognitive Roboticsで
著名な
 浅田稔さんとfaculty clubでランチをとって
いたら、
 後ろからぽんぽんと肩を叩かれた。
 振り返ると、リアルな質感を
もったヒューマノイド
研究で知られる石黒浩さんがいて、
その向こうになぜか神戸大学の郡司ペギオ幸夫が
いる。

 「あれ、なぜ郡司が石黒さんとここに?」
と一瞬コンテクストがわからなくなった。

 どうやら、太田くん(プレリードッグ太田)
などと一緒に「ワルダクミ」をしにきたらしい。

 授業は午後1時から。
 かなりインタラクティヴにやったので、
予定していた内容の半分もできなかった。
 しかし面白かった。

 浅田研究室、石黒研究室の修士の学生を
中心に、時に話題が量子力学の基礎から
エントロピーにまで及び、
活況。

 授業終了後、
 まずは、Passive Dynamic Walker
の実機を見せてもらう。
 空気アクチュエーター。
 ずっと興味を持っていて、
特に、神経回路網の自発発火の上に
computationがplug inされる、
柳川透がやっていることとの
関係性で
 何とか結びつかないかと思っている。

 そのあと、
 浅田研究室の学生部屋で
成岡健一くんたちとだべる。

 浅田さんが「タクシーが来たよ」
と迎えにきてくださるまで30分くらい
ダベっていた。
 漫画、カップラーメン、仮眠用の毛布、
統計、ファインマン、
 楽しかった。
 こんな感じでだべったのは
何年ぶりのことだろう。

 千里中央の中華の店で、
浅田さん、荻野正樹くん、高橋泰岳さんと
会食。
 高橋さんは終了後帰り、
 三人でカラオケに行った。

 これまで歌っていない曲だけを
歌う、というしばりを自分に課し、
「練習」した。
 一時間ぽっきりで終了。

 最後に浅田稔さんが平井堅の
「瞳を閉じて」をうたっている時に、
インスピレーションが来た。

 瞳を閉じて 君を思うよ

という音素が、ある情感をかき立てるのは
日本語を解する者に対してだけである。
 だとすれば、
 ここに、「ウォーホルのflowerと
宝船の置物」問題の本質があるではないか。
 なんだ、そういうことか。

 夜の風は寒く、雪が降りそうだった。
 早めに東京に帰ろう。

12月 22, 2005 at 06:19 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/12/21

ほろ酔いの秘儀

大阪大学での集中講義のため、
西へ。

 朝、
 見た当時、それほど大絶賛!というわけでも
なかったのだが、いくつかのシーンがもう
一度見たくなって買った『アマデウス』
のDVDを、冒頭の30分だけ見ていた。
 新幹線の中でその続きを見られる
のだったら幸せだったのだが、
 ずっと仕事。

 鷲田清一さんにお会いする。
 以前、山本耀司さんのパーティーで
おめにかかって以来。
 今は大阪大学の副学長をされていて、
大変お忙しい。

 アルシーヴ社の佐藤真さん、斎藤夕子さんも。

 鷲田さんの独特のやわらかくて
絡み合うような文章のスタイルが
 以前から気になっていたが、
面白いことをきいた。
 
 鷲田さんは、お酒を少し飲みながら
「ほろ酔い加減」で原稿を書くことが
多いというのである。

 酩酊してしまってはダメで、
ほんのちょっぴり酔っている、という
感覚が良いのだという。

 それで連想したことがある。
私は、飲み会の席などで黙って中空を
見つめているときがあるが、
 そのような時、「ねむいのか」
とか、「つかれているのか」などと
言われる。
 
 ところが、本人はこれ以上ないくらい
覚醒している。
 コップの中のお酒の色や、
周囲の音や、自分の座っている椅子の
触感や、そのようなものが、
 余計な意味付けなしにダイレクトに
心の中で把握されている状態。
 クオリアが、最も鮮明に感じられている
時間の流れ。
 それを楽しんでいるのだ。

 ほよ酔いの秘儀というものがある
に違いない。
 そういえば、有田芳生さんのブログは、
「今夜もほろ酔い」
と言う。

 鷲田さんと別れたあと、部屋の中で30分くらい
『アマデウス』の続きを見た。
 やはり、それほど傑作の映画だとは思わないが、
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
その人には心から共感する。

 アマデウス君は、お酒を飲みながらほろ酔い
で覚めていたに違いない。

12月 21, 2005 at 07:52 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2005/12/20

『脳と仮想』 Xmas Campaign

 先日、『脳と仮想』
Xmas Campaign

のことを書かせていただきましたが、
 何人かの方に図案をお送りいただきました!
 心から感謝の意とともに、
ここでご披露させていただきます。

 茂木健一郎


footstepsさん



柴田美紗子さん



今野千尋さん



荒川美代子さん



嘉戸浩さん



岸本雅代さん

ありがとうございました!
(お送りいただいたのに、ここにないという方、
見落としている可能性がありますので、恐れ入りますが
ご指摘いただけますでしょうか)

12月 20, 2005 at 09:36 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

D12!!

ブルータスの村岡俊也さん。
 脳と健康について。
 村岡さんは同じブルータス仲間の
橋本麻里さんの
ことはよく知っているという。
 副編集長の鈴木芳雄さんはとてもお元気な
ようだ。
 最近おめにかかっていない。

 浜田マキ子さん。
 美しさについて。
 新潮45の元編集長、亀井龍夫さん、
 DHCの岩崎雄人さんが同席。
 浜田さんは、キレイになるためには
鏡を見ることが大事だ、と言う。 
 鏡は確かに面白い存在である。
 ニューギニアの、鏡を見たことが
ない部族に鏡を見せると、
最初は怖がっていたが、
 やがてほれぼれと見とれた
という記述がある。

 ホテルのエレベーターホールに
鏡を置くと、客が自分の姿を見て
飽きないので、待ち時間を気にしない
という経験則が知られているようだ。

 浜田さんと言えば、スチューワデスを
していた時のお客さんの一言に一念発起して
勉強し、東大に合格したというエピソードが
有名だが、
 これぞ、と決めた時には行動する強い
意志を持たれた方だった。

 いつもやっている脳研究グループの
ミーティングはThe Brain Clubというが、
 年に一回やる
「Christmas Special」
の日。

 みんなが、それぞれ「作品」
や「芸」を持ち寄って披露し、
投票で優勝者を決める。
 今まで三回開催されており、
 過去の優勝者は
 関根崇泰、須藤珠水、関根崇泰
であった。

 今年は商品にiPodが出るので
みな気合いが入っていた(はずである)。

 くじ引きで順番を決め、披露していく。
 私は一番最初になってしまった。

1、茂木健一郎 「恐山」
2,関根崇泰 「アブスリーパー」
3、恩蔵絢子 「お守り」
4、箆伊智充 「Kandelを使った手品」
5、須藤珠水 「サンタクッキー」
6、大久保ふみ 「お姫様だっこ」
7、小俣圭 「Before & After」
8、田谷文彦 「Change Blindness」
9、張キ 「Race Phenomenon」
10、柳川透 「animation」
11、野澤真一 「O Sole Mio」
12、星野英一 「卵」
13、石川哲朗 「R.E.M.」
14、田辺史子 「知られザル」

 結果は、9票を集めた田辺史子の
圧勝。
 猿のぬいぐるみを抱いて、かわいらしく
喋っていた田辺が、突然口がとんがった
「猿の惑星」になって踊り出すという
意外な展開。
 身体を張った演技と、微妙にざらざらと
粗いビデオの画質感などの作り込みが
熱い支持を集めた。

 いつもおなじみ、
 「あさり」で忘年会。
 乾杯した後、
『心が脳を感じる時』(講談社、1999年)

のコピーに赤字を入れる。
 現ブルーバックス編集部の小沢久さんと
つくった本。
 読み返して思ったが、「マッハの原理」
や「相互作用同時性」について、大変ハードな
記述をしており、
 今でも面白い本である。
 筑摩書房の増田健史は、「ぼくは、茂木さん
の本の中で一番好きです」と言ってくれている。

 ややあって、
 ちくま学芸文庫の大山悦子さんが、赤字を
入れたコピーを取りにいらっしゃる。
 ちょうどその直前に終えた。
 学芸文庫に入れてくださるというのは
大変ありがたい。

 家に何やら大きな荷物が届いているので、
何だろうと見てみると、
 冑仏研究家の河村隆夫さんが、
Dom Perignonを送って来てくださったのであった。
 な、なんと、12本入りのダース箱である!
 か、か、かわむらさん、ありがとうございます。

 さすがにやることのスケールが違う。
くらくらといたしました。


12月 20, 2005 at 08:30 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/12/19

審美的視点が内在したダイナミクス

 新宿高野ビル6Fの「アプローズ・バイ・なだ万」
で島田雅彦と対談。
 昼食をとりながら、たっぷり4時間話した。
 その間、まったく話題が尽きなかった。
 二日前に朝日カルチャーセンターで
話したばかりなのだが。

 特に日本において、ある種の表現者が、
いっさいの審美的あるいは批評的言説を
行うことを避けて、「ただ面白いものをつくっている
だけですよ」と言う傾向があることについて
どう思うかと聞くと、島田の考えは簡潔だった。
 
 それはね、自己批評ができる人と、
できない人がいるということですよ。
 後者は、自己陶酔的になる。
 それで、どっちのタイプかということは、
作品に表れますな。
 と島田。

 島田雅彦は今朝日新聞で文芸時評を
担当しているが、
 朝日の文芸欄を創始したのが夏目漱石で
あることは言うまでもない。

 やはり、
 創造のダイナミクスには、批評的
視点がそもそも内在化していなければ
ならないのではないか。
 そんなことを考えながら、寒空の
中、オペラシティに歩く。

 ICCで、
 池上高志と渋谷慶一郎の「第三項音楽」
のパフォーマンス。

 高橋悠治さんもいらしていた。
 私が先に座っていると、隣りに
座られて、仲良く聞いた。
 昨日の今日であるが、
にこやかに話す。
 楽しかった。

 回転するシリンダーの間の水の対流。
 セルオートマトン。
 テープとマシン。
 神経回路網のダイナミクス。

 さまざまな非線形のダイナミクスから、
ある一定のプロトコールによって、
 音を紡ぎ出す。

 そのサウンド・ファイルを基に、
渋谷慶一郎がセレクトし、finishing touchを
行う。

 終了後、渋谷が言っていたことが
面白かった。
 今回の場合、サシミを扱っているのと
生の魚を扱っているくらいの違いが
あったというのである。

 つまりは、音の一つ一つが
制御できないで、ぴちぴちと動くと。

 つまり、現在のところ、力学系に
よる音自動生成の意味は、音楽家に音の素材を
提供するという位置づけになるのだろう。

 始まる前に池上と話していたこととも
関連するのだが、
 やはり、審美的視点を生成のダイナミクス
自体に最初から埋め込んでいなければならない
んだと思う。
 それをどうすれば良いか、というのが
クオリア理論の一つの究極の到達目標でもある。

 この一ヶ月、池上が寝る暇もなくつくりあげた
パフォーマンスは、
 親友として見ていてしみじみと
味わい深かった。
 途中から、ケンブリッジ時代以来
使っている赤と黒のノートを出して、
いろいろ思ったことを書き付けた。
 いろいろインスピレーションをもらった。
 素晴らしい夕べだったと思う。

 池上、渋谷、ありがとう。

 気づくと仕事が完全に破綻状態で、
本当はみんなとお祝いしたかったのだけども、
直ぐに帰宅した。
 今朝も、本当は日記を書いている暇も
ないのだけども、
 感銘深い夜だったので、最低限のことを記す。

12月 19, 2005 at 06:04 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

2005/12/18

あすへの話題 感情と個人差

あすへの話題 感情と個人差

茂木健一郎

 しばしば、同じできごとを前にして自分と他人では感じ方が違うことに驚く。同じ映画を見ても、感動する人もいればくだらないと切り捨てる人もいる。同感できる友の存在はうれしいが、人生の経験を積んでいくに従って、違和感を覚えるような人の存在もまた貴重なのだということがわかってくる。
 色や形、音、味といった感覚の判断においては、個人差は少ない。一方、好き嫌い、喜怒哀楽といった感情の反応では、個人差が比較的大きく現れる。「感情には個人差が大きい」という事実の背後には、実は深い理由があるのである。
 もともと、感情は、生きる上で出会う不確実な状況に対処するために進化してきた。不確実な状況の下では、正解を一つに決めることができない。そんな中で、感情のはたらきを通して判断し、行動することで人間は生き延びてきたのである。
 もし、正解が一つだけならば、全ての人の反応が理想的には同じになる。ところが、不確実な状況の下では、答えが一つではないから、人によって採用する「戦略」が異なってくる。人類全体から見れば、どうなるかわからない局面で様々な人が多彩な戦略(=感情の反応)をとるから、全体として生きのびて来られたのである。
 自分が感動しているのに相手が冷めていたり、くだらないと思うものが好きな人に出会ったりすると、何となく不愉快に思うのが人情というものである。
 そんな時は、「ああ、この人は不確実性に対して私と異なる戦略を採っているんだ」と自分に言い聞かせてみたらどうだろう。多様性が世界を豊かにすると思えば、腹も立たないはずである。

(日本経済新聞2005年12月15日夕刊掲載)

12月 18, 2005 at 09:42 午前 | | コメント (3) | トラックバック (5)

高橋悠治 × 茂木健一郎 他者の痛みを感じられるか

Lecture Records

対論
高橋悠治 × 茂木健一郎 
他者の痛みを感じられるか
2005年12月17日 
東京 新宿 ICC

音声ファイル(MP3、34.7MB、72分)

12月 18, 2005 at 09:31 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

反神学の神学

六本木ヒルズのアカデミーヒルズで
行われた
東京大学先端科学技術研究センター
「安全・安心な社会を実現する科学技術人材養成」
のジャーナリストコースで
脳科学の話をする。
 私と、東大情報学環の林香里さんが
話した。

 どこにも告知していなかったのに、
知り合いの顔が沢山いる。
 筑摩書房の増田健史、
青土社の今岡雅依子さん
 中央公論新社の岡田健吾さん
 様々な新聞社や、
出版社に通知がいったのだろう。

 終わったあと、すぐに出る
予定だったのだが、
 林さんの話が面白そうだったので、
聴きながら仕事をした。

 終えると、もう5時過ぎである。
 またもや、杉本博司展を見ることが
できなかった。
 急いでオペラシティに向かう。
 池上高志から、渋谷慶一郎とつくった
インスタレーションが6時までしか
見られないと聞いていたからだ。

 驚いたことに、もう対談を待つ行列が出来ていた。
特別な日になる予感がした。

 インスタレーションは、よく
作り込まれていた。
 ケースに反射したイメージが美しい。
 透明感のある平面の上に展開する
イメージと、その背後にプロジェクト
された映像との関係が、宇宙的
スケールを綺麗にコンパクト化した
感覚がある。

 池上高志は、このところの
ハードワークで、疲れた様子。
あまり眠っていないのだという。
 心配になる。

 楽しみにしていた高橋悠治さんとの
対談。
 しかし、これは大変なことになった。
 すれ違いに終わったように思うが、
面白かった。

 制作者は、よく、「美」なんて関係ない、
面白いものをつくっているだけだ、
というが、
 それは、運動系の感覚の固有のもの言いだろう。
 それに評論家的「美の殿堂」が揶揄的に
対置されるのだが、
 そのような二極化の構図自体が
無効なのではないか、
 反神学のスローガンの下に攻撃される
偶像自体が、それほど気楽なものでも、
 凝り固まったものでもなく、
 その固有の運動学をもつものではないか。
 
 そのことを、高橋さんにわかって
いただきたかった。

 高橋さんは小林秀雄の「モオツァルト」
を批判したことで知られている。
 しかし、小林秀雄だって、
言葉を並べる行為においては芸術家
だったわけであり、
 それが、たまたま「モオツァルト」
という作曲家の「評論」という体裁を
とっているからといって、
それで油断してしまってはいけないんじゃないか。

 これは素朴な疑問なのだが、
日本の制作者はしばしば「おもしろいから
つくっているだけですよ」と言って、
一切の審美的ジャッジメントをすることを
揶揄的に否定することがある。
 しかし、ヨーロッパの制作者が
そのようなもの言いをするのを聞いたことはない。
 制作者が、事実上ある審美的ジャッジメント
をするのは当然のことであって、 
 そのことと、ものをつくるプロセスに
おいて偶有的おもしろさが支配的である
こと(それ自体は別に音楽や科学だけじゃなくて、
どんな生産の現場においても当たり前のことだが)
は別の話なんじゃないか。

 小林秀雄は、審美者と制作者が
一人の人間の中に共存した希有な事例であると
思う。
 音をならべるんじゃなくて、文字をならべるんだよ。
 そんなことは、「無常といふ事」や
「当麻」を読めばすぐわかるだろう。

 つくって面白いもんが、
最後にどうなるかはわからない。
 その、偶有性を引き受けて生きることと、
 この上なく美しいもに感謝することは
両立することだと思う。

 池上高志や渋谷慶一郎、鈴木健らと
ビールを飲みながら振り返る。

 池上は、「対談というものは、相手から
面白い話を引き出すという「共創」の
プロセスであって、高橋さんのような
言い方をしてしまうと、茂木の一番面白い
ところが引き出せなくてひどいじゃないか、
と言おうと思ったけれども、今日は
いちおう主催者だったから、やめた」
と言ってくれた。
 その気持ちは有り難いが、
面白い話は出るには出たんだと思う。

 ただ、高橋さんに伝えたいことが
伝わらなかったことが、寂しかった。

 反神学をつきつめてしまうと、そこには
ある種の寂しさが出てくるんだと思う。
 なぜって、生きることは、ある種の
神話なしには成り立ち得ないから。
 愛が典型だし、どんなにみっともなくても
神話なしでは人間はいられない。

 しばしば、攻撃される神学側の方が
生き物のなまなましさを漂わせている
のはそのためだろう。
 攻撃するのはかっこいいが、
攻撃される側だってそんなに気楽なわけじゃない。 

 いずれにせよ、
 対談をアレンジしてくれて、
 いろいろ考えるきっかけを与えてくれた、
渋谷慶一郎、ありがとう。
 高橋さん、またお会いしてお話できればと
思います。

12月 18, 2005 at 09:25 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2005/12/17

(本日)高橋悠治 + 茂木健一郎 

ATAK@ICC

日時:2005年12月17日(土) 午後7時より開場/開演
会場:ICC5Fロビー
定員:150名(当日先着順)
入場料:無料

公開トーク「他者の痛みを感じられるか」
高橋悠治(音楽家)+茂木健一郎

高橋悠治コンサート《隙間と骨》
高橋悠治(音楽家)

詳細

12月 17, 2005 at 10:19 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

島田雅彦 × 茂木健一郎 脳と文学 

Lecture Records

対論
島田雅彦 × 茂木健一郎 
脳と文学
2005年12月16日 
東京 新宿 朝日カルチャーセンター

音声ファイル(MP3、53.5MB、116分)

12月 17, 2005 at 10:17 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

夜明けは近い

 日本経済新聞『領空侵犯』
 日本経済新聞の政治部長から編集局次長に
なられた、芹川洋一さんがいらっしゃる。
 約1時間、憲法問題についてお話する。
 写真部の松浦弘昌さんも。

 毎週月曜日の朝刊に掲載される
この記事は、毎回、専門以外のことについて
見解を述べるコーナーで、
 読むのを楽しみにしている。

 芹川さんは政治の専門家であり、
教えられることが多かった。
 たとえば、イギリス流の非成文憲法
の考え方を日本に当てはめた場合、
 「和をもって尊しとなす」の
十七条憲法は
 現在でも法源の一つと見なすことが
できるだろう。

 日本テレビアナウンサーの井田由美さんが
いらっして、対談。 
 『今日の出来事』でいつも拝見していた
方とお話しするのは不思議な感じだ。

 ソニー4号館で会議。

 ぴあ Colorfulの取材。
原山拓也さん、五十嵐優さん。
 「三日坊主にならないためには
どうすれば良いか」という趣旨だったが、
 話しているうちに、現代の情報環境では
むしろ三日坊主は良いのではないか
という展開に。

 脳研究グループのゼミ。
 田辺史子が、記憶のreconsolidationの
paperを紹介。
 βーODNや、anisomysinの
作用を調べる。
 
 そもそも、記憶のencodingの際の
活動と、reactivationの時の活動はどのような
関係にあるのか。
 記憶一つとっても、そこには
life time occupationが
ある。

 朝日カルチャーセンターは、
島田雅彦さんとの対談。
 思いの外真面目な話になり、
大変面白かった。
 
 現代の日本文学は、無意識のリフレインに
よって支配されており、
 そこにピリオドやパンクチュエーションを
持ち込むには、
 むしろ意識的な趣向や異物化が必要
なのではないか。
 それが、島田さんとの対談で得た
インスピレーション。
 
 文学というものが、それが言語を代表
する作品になればなるほど、その中に全ての
言い回しや言葉遣いが出てくるという
視点もセレンディピティ。
 シェークスピアや
ゲーテ、あるいは漱石の作品は、
言葉のカタログでもあるわけであり、
 辞書や仕様書とは異なる生きた
使用の現場においてむしろ 
網羅がなされるという点が面白い。

 懇親会。すばる編集部の
岸尾昌子さんが、島田さんとの
ジョイントの企画を提案くださる。

 島田さんには明日(日曜日)にも
対談で会う。
 面白いぞ、シマダマサヒコ。

 島田さんと対談した講談社の
Bravo Businessの
記事(「脳内現象と快楽」)に私と島田さんで署名したが、
 顰蹙作家、島田雅彦の
面目躍如たる遊び心がそこにあった。


 大江健三郎になりすましたシマダマサヒコ。
 本名は落款に。

 深夜、代官山のAfricaへ。
 「Sの夜明け」
 Kさんのストレートトークが皆を
活性化させた。
 午前5時までのオールナイトイベントだったが、
 私は午前2時過ぎで失礼した。

12月 17, 2005 at 10:04 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/12/16

(本日)島田雅彦×茂木健一郎

2005年12月16日(金)
朝日カルチャーセンター 「脳と文学」
第4回
18:30〜 新宿 朝日カルチャーセンター
本日は、島田雅彦さんをお迎えし、
「脳と文学」をめぐって対談いたします。

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture22.html 

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0510koza/A0301.html

12月 16, 2005 at 08:08 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

保坂和志 東京芸術大学講義 

Lecture Records

保坂和志 東京芸術大学講義
「芸術の自由」
2005年12月15日 
東京芸術大学 美術学部 第三講義室

音声ファイル(MP3、49.8MB、108分)

12月 16, 2005 at 08:05 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

可視化

 モーツァルトのコンピレーションCD
のことや、
 東京フィルのことで、
松井茂さんをはじめとする
何人かの方にお会いする。

 東京財団。キャラクター創造力
研究会の最後の会合。
 野崎さんがまとめの
話をする。
 船曳健夫さんがずっと黙っていて
不気味だったが、
 時間切れになって、
財団を出なければならなかった。
星野晶子さん、南條昌康さんと
エレベーターで降りながら
 ちらちらと話す。
 
 東京芸術大学。保坂和志さんが
本年度最後の美術解剖学の授業に
来てくださる。
 保坂さんの掲示板でいつもお見かけしている
がぶんさんや、けいとさんなど
もいらっしゃる。
 タイトルは「芸術の自由」と勝手に
つけてしまったが、
 保坂さんは、サッカーの話や、
展開の話や、
 散文と韻文の関係など、
様々な側面から「自由」について語って
くださった。
 
 ボールを自由に繰るサッカー選手は、
足とボールの間の力学については
ある一定の規則性にしたがっており、
その意味では、最大に「不自由」である。

 The Whoの昔のビデオを見ると、
ステージでギターを叩き壊していたり
するが、
 そのような「自由」を「自由」だと
思ってしまうのではなく、
 いかに自分の思うように対象を
繰るか(小説の言語を紡ぎ出すか)
という関心の下に、最大の不自由を引き受けるか
ということが、最高の「芸術の自由」
である。
 私は保坂さんの話をそのように聞いた。


保坂和志公式ホームページの「がぶん@@編集室」
のコーナーに授業の模様がアップされている。

 猫の世話があるというので、保坂さんは
すぐに帰り、
 送っていき方々、音楽学部の学生会館の
中で開催されていた「シカパンダ」のグループ展
を見に行く。

 蓮沼昌宏は、木でつくった「ホワイトボックス」
から、下の床に向かってキャベツのMRI映像を
投射していた。
 白い光が形や大きさを変えながら踊っている
様子は、たとえば空を舞うオーロラのよう。
 オーロラが自然の中の過程を可視化する
一つの手法であるとするならば、
 フリーハンドによるドローイングは
脳内過程の可視化であり、
 蓮沼のおかげでキャベツもまた一つの
脳になることができたのだろう。

 海老原優は、卒業制作展の時に、
ペインティングの上に白黒のアニメーションを
投射して独特の世界をつくっていた。
 その時に登場していたくるくると回る
人間が今回もいた。
 ループをつくることで、「始まり」
と「終わり」をつくるのではない形で
平面表現に時間の次元を入れようとする試み。
 見終わった後の脳内の印象では、
時間の流れが圧縮されて一つの平面的
印象に結実するから、
 ループがそのような変換過程を経て
その潜在的志向性を満たしたのだろう。

 小川千尋の作品は、水のスプラッシュや、
影などの表現に特徴がある。
 視覚現象そのものを表現しているのでは
なく、
 その「脇」や「背後」にまとわりついている
なにものかの気配を描いている。
 色とりどりに塗り分けられた人物の
すぐ横にもわっとぼやけて描かれた影の
ようなものが、
 そのような知覚のぶれを表している
ように思われた。

 植田工たちが、美術解剖学教室で
「鍋」の会を企画してくれており、
 そこに参加。
 
 富田舞さんが鈴木邦男さんと
現れる。
 ニューヨークのギャラリー
Ehan Cohen Fine ArtsでGallery manager
としての職を
得てめでたしめでたしの
渡辺真也
 も参加し、楽しく歓談した。

 鈴木さんと渡辺シンヤだと、政治的立場は
反対方向のようではあるが、
 和気あいあいと話が進む鍋の力。
 富田さんが、シンヤに何やら熱く
語っていたようでもある。

 鍋が何かを視覚化してくれた。

12月 16, 2005 at 08:00 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/12/15

(本日)東京芸術大学 美術解剖学 保坂和志

東京芸術大学 美術解剖学 講義
保坂和志 (作家)

「芸術の自由」

2005年12月15日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

履修生ではない方もご聴講ください。
美術解剖学、本年度最後の授業です。

http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html 

保坂和志公式ホームページ

12月 15, 2005 at 09:11 午前 | | コメント (0) | トラックバック (6)

シナプスのつぼ

アエラ 2005年12月19号
(現在発売中)
p.30 シナプスのつぼ No.20 茂木健一郎

日本の活字が恋しくて、下宿で風呂に
つかりながら気に入った個所を何度も読んだ。
(小学生の時の昆虫採集の写真)

12月 15, 2005 at 09:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『脳の中の人生』増刷

中央新書ラクレ
『脳の中の人生』

は増刷が決定いたしました。
 (部数等調整中)
 ご愛読に感謝いたします。

12月 15, 2005 at 09:02 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

佐藤雅彦×茂木健一郎 dictionary 107

『dictionary』100号記念対談シリーズ6
佐藤雅彦×茂木健一郎

http://www.clubking.com/contents/taidan107.html 

全文は現在配布中のdictionary107号に掲載。

12月 15, 2005 at 09:00 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

複雑さの中にやがて顕れるプラトン的完全さ

京大の百周年時計台記念館を
を訪れるのは初めてだったが、
美しい建物だった。

 Journal of Consciousness Studies
のEditor-in-chiefのJoseph Goguenが
来ているということで、
 久しぶりに物理的時間と心理的時間の
間の関係を議論した。
 相互作用同時性、
志向的同時性、感覚的同時性といった
問題。

 今私が死んでしまったら、
残るのは反応選択性の概念に
対してマッハの原理を提案したことと、
 同時性概念を提案したことに
なるんじゃないかと思う。

 しかし、それからの一歩が難しい。

 現在はまだニューロンの発火と相互作用を
現象論的に扱っているだけであって、
 本来、突きつめていけば、細胞内の生理作用
の全てを最終的には支える光子の世界線に
おける相対論的同時性に行き着くはずだ。
 相対論的同時性と、ニューロンの世界の
現象論的同時性がどのように関係するか。

 このパズルは、時々考えてみるのだが、
とてつもなく難しい。
 しかし、その奇妙な複雑さの中に、
プラトン的完全さを秘めたクオリアは
棲んでいるのだ。

 ワークショップに参加した
 他の方々は、ITにおける
システム論的な問題をマックス・ウェーバー
などを援用して社会学的に議論する、
というようなアプローチであり、
 それはそれで大変面白い
テーマであるように思われた。

 ITの発展による情報環境の急激な
変化が社会に与えるインパクトをどう
考えるか、という問題を離れた
 社会学におけるアクチュアルな
問題はないのだろう。
 アカデミズムの中に、それに
対応する一大産業が生まれることも
当然の次代の流れであるように
思われた。

 Josephといろいろ話す。
クリスマスまで東京にいるというので、
また会う機会があれば良いのだけれども。

 大阪の国立国際美術館で
「もの派ー再考」 展を見る。

 面白い。好評らしく、パンフレットは売り切れ
だった。
 美術解剖の粟田大輔くんが評論して、
美術手帖で賞をもらった 
 榎倉康二の「二つのしみ」が良かった。

 アートの勉強も終わり、東京へ。
新幹線の中で
 柳川透の論文の手直しをする。
 佐藤雅彦さんの言われるところの
「ステュディオス」だ。

複雑さの中にやがて顕れるプラトン的完全さ
に身を託し、
 むずかしく楽しく生きよう。

12月 15, 2005 at 08:49 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/12/14

ものを考えるには寒すぎる

京都大学のシンポジウム第一日。
 数学者の方何人かと話して、
少し考えるところがあった。

 ある有名な心理学者の名前を出して、
あの人は言うことがうまい。
しかし、あのやり方では、本当の
ところはわからない、
ということを言われる先生がいて、
 うーむと思った。

 心理学や認知科学がソフトサイエンスである
という批判は、少なくとも概念的には
理解できる。
 ところが、研究の現場では、
古典的な数理科学の意味で「わかった」
という基準は、有効に機能していない。
 たとえば、群論にせよ、非線形力学にせよ、
不用意にむき出しの数理的手法を適用
する方が、よほどまずい結果を生む。

 路線問題はむずかしい。

 懇親会で
 Speakerの一人だったUSCSのJoseph Goguen
が、奥さんのRyokoさんとperformance.
 Ryokoさんが、「Cantata for the history
of mathematics」をやる。
 Josephがイントロダクションをする。

It is boring....(everybody laughs)
well, actually, it is not. It starts with the classical
period, when everybody believed in God...well,
at least they said they did. In this period,
mathematics was the language of God.
Then came the romantic period....when
I say "romantic", I do not mean in a positive
way. That was when people imposed
emotions on other people. Finally, we have
the contemporary world.....and no body actually
knows what mathematics is all about!

 以下、Josephが解説し、時に
ナレーションをして、Ryokoがピアノを
弾く、という形でperformanceが
続いていった。

 京都産業大学の三好さんに久しぶりにあった。
塩谷賢や郡司ペギオ幸夫のうわさ話をする。

 夜の京都は冷え込んで、ちょっと歩くと
ぶるぶるした。
 散歩しながら考えるのは大好きだが、
いささか寒すぎる。

 仕方がないので、あまり考えない
ことにして、
 冷え冷えとした闇の中の光を
見つめていた。

12月 14, 2005 at 07:28 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/12/13

『脳と仮想』Xmas Campaign

 「ねえ、サンタさんていると思う?」
歳末の空港で
ふと耳にした小さな女の子の一言が、
私に『脳と仮想』を書かせてくれた。

 この本を読むと、「サンタクロースに会う」
ということの意味がわかるのではないかと
思います。

 そこで、日頃からアートの本質について
熱い議論を闘わせている
東京芸術大学美術解剖学教室の
蓮沼昌宏さんと、植田工さんに、
『脳と仮想』Xmas Campaignのスペシャル・
装丁を考えていただきました。

 あなたも、大切なあの人に素敵なクリスマス・
プレゼントとして『脳と仮想』 はいかがでしょう?

 きっと、あなたの思いは伝わるはずです。

2005年12月13日
茂木健一郎

(Xmas Campaignの図柄、引き続き募集中です!
優秀作はこのblogでお名前とともに発表させて
いただきます! 画像データで、
kenmogi@qualia-manifesto.comまで
お送りください!)


蓮沼昌宏くんの作品



植田工くんの作品(その1)


植田工くんの作品(その2)

12月 13, 2005 at 10:51 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

ふがふが

 朝起きたときからずっと仕事。
 三番町の
 PHP研究所で、Voiceの巻頭インタビューの
取材を受ける。
 現代の子どもがテーマ、とうかがって
いたが、来し方行く末について
幅広くお話しさせていただいた。

 聞き手は讀賣新聞の編集委員の
小出重幸氏。
 たいへん博識な方で、お話していて
楽しかった。

 隣りの部屋に移動し、
PHP研究所の「次代を考える東京座会」
の第一回会合。
 メンバーは、池内恵(思想史、中近東)、
牛村圭(思想史)、北康利(作家)、
中西寛(国際政治学)、福田和也(文芸評論家)、
古川元久(衆議院議員)、茂木健一郎、
若田部昌澄(経済学)、永久寿夫(選挙制度)
 二ヶ月に一回ほど集まって、
さまざまなことを議論する予定。

 自己紹介でディタッチメントの話を
したら、福田和也さんが、
 「『様々なる意匠』はディタッチメントでしょうかね?」
と。
 なるほど。面白い。

 NHKへ。
 新番組『プロフェッショナル』の
番組試写と記者会見。
 幻冬舎の大島加奈子さんや、新潮社の
北本壮さんなど、おなじみの顔も見える。
 試写が終わったあと、
簡単に抱負を述べ、質問に答える。

 プロジェクト・ルームにいって
しばらく懇談。
 人形町へ。

 『ヨミウリ・ウィークリー』編集部が、
連載が本(「脳の中の人生」)になったことを
お祝いして鍋の会を開いてくださった。
 川人献一編集長と二居隆司さん。

 いろいろなことがあったこれまでを振り返り、
楽しく歓談した。

 NHKの人々は仕事を続け、午後9時過ぎに
渋谷方面に出るというので、
 鍋の会が終わったあと合流する。
 電通の佐々木厚さんも、住吉美紀さんと
ワインの話がしたいと参加。

 家に帰ってきたら、ファックスの調子が悪く
「ミステリ特集アンケート」のゲラが届いていない。
 文藝春秋の「タイトル」編集部に
電話をして、もう一度送っていただいた。
 午前一時近かったが、丹羽健介さんは
仕事をしていた。

 年末だからか、夜遅くまで当たり前に
仕事をしている人たちがいて、
 どうもこっちの感覚もおかしくなっていく。

 ところで、困ったことがあって、
メインに使っているノートブック・
コンピュータの
リターンキーが外れてふがふがに
なっている。
 押さえつけても、すぐ外れる。
 それで、速く打つことができない。
 一方、バックアップの方のノートブック
はキーは打てるのだが、
 インターネットにつながらない。

 仕方がないので、リュックの中に
二つのノートブックを入れて持ち歩き、
片方で文章を打って、USBメモリで
もう一つに移し、メールで送る
というスタイルで仕事をした。

 修理に行きたいのだが、
その暇がないので、対策が立つまで
二つ分の重みを背負って歩き回る
ことになりそうだ。

 今日から京都なので、重い背中を
抱えたまま移動である。
 メールを打つときにはふがふがになるので、
小指にふがふがの感覚が妙に残り、
ヘンな気持ちだ。

12月 13, 2005 at 07:33 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2005/12/12

京都大学ワークショップ

京都大学ワークショップ

情報・史料学ワークショップ
コミュニケーション、知識、ソフトウェア 
2005年12月13-14日
京都大学百周年時計台記念館2F,国際交流ホール2

http://www.shayashi.jp/ws2005/ 

12月14日(水)
9:40-10:30
The enigma of consciousness--time and beyond
Ken Mogi
Here I present some basic insights into the enigma of consciousness. The nontrivial problem of temporality in the information coding in the brain is analyzed, exploring its implications in a broader context.

12月 12, 2005 at 08:59 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

英語でしゃべらナイト(本日)

英語でしゃべらナイト

本日NHK総合  23時15分〜23時45分

放送予定
12月12日(月)23:15〜23:45 NHK総合
13日(火)11:15〜11:45 BS2       *ひるまえ
14日(水)未明02:00〜02:30 NHK総合   *火曜日深夜


http://www.nhk.or.jp/night/nextpgm.htm 

12月 12, 2005 at 07:49 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

ピーポーピーポー予防

 茂木さん、そんなに忙しくて、
そのうち倒れませんか?
 と言われた時に、
冗談で、うん、そうなるかもしれない。 
ピーポーピーポー
って運ばれるかもしれない
 などと言っていたが、
「ピーポーピーポー」のところで
おもしろくて笑ってしまうのは、
不謹慎なのだろう。

 そんな時の気分は、
 義経千本桜の道行きの場で、
狐忠信が蝶の舞いによったように
からんでいく、あの陶酔の場の
クオリアにも似ている。

 いずれにせよ、本当に倒れたら困る。

 土曜、日曜、とても珍しく
たっぷり眠って疲れがとれた。

 夢の中で、雑誌のグラビア写真が
動画のように動き出して、
 「へーっ。最近の雑誌はこうなっているんだ。
どんなインクを使っているんだろう」
と思ったのは我ながらバカだった。 
 しかし、夢の中の自分の愚かさに
どう責任をとるかということは
 難しい問題である。
 なにしろ、意識でコントロールできない。
 夢を生み出しているのは確かに
私の脳だが、なにしろ無意識の働きなので、
どうすることもできない。

 身体だけでなく、思考も多動症の気があり、
一日のうちにいろいろなことを考える。

 昨日気になったのは、アサギマダラ
やオオゴマダラなどの美しい蝶がゆったりと
優雅に飛ぶことで、
 なぜそういうことができるかと言えば、
毒がある(元々は、幼虫の
食べる植物に毒がある)から、
 鳥が食べないからなのである。

 自分に毒があるからこそ、優雅に振る舞える、
というモティーフが何となく気になって、
 時々考えていた。
 人間でもありそうだ。

 眠ってしまったので、一部仕事が遅れている。
関係者の方々、もうしわけなく。
 しかし、ピーポーピーポーになるより
良いでしょ?

12月 12, 2005 at 06:53 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2005/12/11

脳の中の人生 マラソンの哲学

ヨミウリ・ウィークリー
2005年12月25日号
(2005年12月12日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第82回

マラソンの哲学

一部引用

 私は、フルマラソンを3回「完走」したことがある。正確に言うと、30キロまで走って、その後歩いた。なまけて歩いたのではない。走りたくても、もう無理だったのである。
 実際に走るまでは、フルマラソンというのは、中学や高校の時に走った持久走大会の苦しさが42・195キロ続くだけだと思っていた。それならば、苦しいのを我慢するだけだと覚悟を決めた。
 ところが、経験してみると違っていた。たとえて言えば、腕立て伏せを千回やろうとチャレンジするようなものなのである。そのうち、腕の筋肉が痛くなり、やがて限界を超えて動かなくなる。それと同じことが、足の筋肉に起こる。いくら根性があっても走れない。とぼとぼと歩くことになる。これはマイッタな、と最初に参加した時に思った。
 足に限界が来た30キロ過ぎからは、二度とこんなことはやるまいと思うくらい苦しかったが、その一方でうれしいこともあった。だからこそ、懲りずにまたチャレンジする気になったのだろう。
 ゴールして、競技場の芝生の上に寝ころんだ時の達成感も格別だったが、何よりもうれしかったことは、様々な「発見」があったことだった。マラソンを走ることで「自分が変わった」のである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

12月 11, 2005 at 07:23 午前 | | コメント (2) | トラックバック (3)

 久しぶりに少しゆっくり眠った。

 朝、起きると東の空が赤くなっている。
 それで思い出すのは、小学校の時に
セロファンを使って絵をつくったことだ。
 
 何回か母親とスケート教室に通った時期があり、
その頃見た空の赤さはよく覚えている。

 小学校の時に、毎日「生活帳」という日記を
提出していた。日記のかわりに、
 何回か詩を書いて出したこともある。

 スケート教室に行く朝の
空の赤さを詩に書いた時、
 担任の小林忠盛先生から、
「詩もいいけど、君の生活のことも読みたいな」
とコメントが赤字でかえってきて、
 こっちの顔が赤くなった。

 今考えても不思議なのは、
3、4歳の頃だったが、身の回りに
赤いものばかり欲しがったことで、
 あれは何だったのか、未だにわからない。
 「男の子は赤じゃないよ」と言われながら、
頑なに赤いものを求めたことを
はっきりと覚えている。
 その時の気持ちは、ありありと
思い出すことができる。

 子どもの頃の私が心に思い描いていた赤は、
朝焼けや夕陽に見るようなそれではなく、
もっと濃い、深みのある赤だった。
 あのような赤がもしあるのならば、
今でも身につけてみたいと思う。

 ここのところ夢をよく見るので、
中断していた夢日記を再開することにした。
 河合隼雄さんによると、夢は
現実を生きる上でのひずみを解消して
心の平衡をとりもどすよすがだそうである。

 今朝明け方に見た夢は、
ドームの下の自然ランドだったが、
 空が、ドームだと普通はくっきりと
そこにあるとわかるのに、
 薄ぼんやりとグラデーションでいつの
間にか消えてしまい、本当に覆われて
いるのかどうかわからないのだった。

12月 11, 2005 at 07:18 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/12/10

2005広告ベストテン

広告批評 2005年12月号

2005広告ベストテン
辛酸なめ子 鈴木おさむ 高橋源一郎
茂木健一郎 天野祐吉

http://www.kokokuhihyo.com/

12月 10, 2005 at 11:28 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

時代を読み解く三つの言葉

文藝春秋 2006年1月号

「三つの言葉」

 「偶有性」「スモール・ワールド・ネットワーク」「多重文脈性」

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm

12月 10, 2005 at 11:10 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

天皇家と偶有性

中央公論 2006年1月号 p.36〜37
時評 2006 
天皇家と偶有性

http://www.chuko.co.jp/koron/ 

12月 10, 2005 at 11:04 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

批評性と創造

 昨日の夢はひさしぶりに爽快だった。
 夜空を、たくさんの飛行機がどこかを
目指して群れをなして飛んでいくのである。
 地上にいる私からも、
空のスバラシキ
 広がりが感じられ、
 うぁーっと思わず叫びたくなった。

 地上に目を転じれば空の
広がりのスバラシキとは遠く離れた
事件が続く。

 人間のカモン・センスは
そう簡単に誤らないが、単なるルールや
条文はすぐに誤る。

 ビラ配布が可罰的違法性を持つと
判断する裁判官がいて、
数字を入力間違いした取引で
 大損する人がいたり、棚ボタの人もいる。 

 それぞれ、どのような対処を
すれば良いのかカモン・センスに
照らせば明らかだと思うが、
 世の中そうもいかないらしい。
 こっちのカモンセンスが濁らないように
気をつけるだけのことだ。

 美しき時間を持った。
銀座の資生堂で、「ワード」
の打ち合わせ。
 10Fのファロ資生堂で昼食。
 テーブルの上には、
ベルギーのフラワーアーティストDaniel Ost
によるアレンジメント。
 若林則夫さんと大体の方向性を
詰め、詩人の谷郁雄さんと
昨今の文壇事情などを話した。
 谷さんはホンマタカシさん、佐内正史さん
とのコラボレーションの本を出している。

 研究所へ。
 The Brain Club。
 まずは関根崇泰が
疾病失認の論文を紹介し、
 その後須藤珠水が先日
行った学会の報告。

 その間、私は小俣圭がまとめた
Self-Organizing Map(S.O.M.)の
論文を読んで、赤入れする。

 柳川にSmall world networkの
論文をとっとと書きましょうと
激励。

 新宿へ。
 ビッグ・イッシュー日本版の
ゲスト・エディターとして、
内藤礼さんに「小さな気づき」
というテーマで話を伺う。

 内藤さんの作品は表面的には批評性を
前面に出しているわけではないが、
 やはりその背後には固有なる世界への
アプローチの仕方があるのであって、
 ただ、それを露わに出さないだけの
ことである。
 むしろ隠す。意図的にそうする
わけではないが、
 内包させることによって
力が出る。

 そもそも、生命現象などを見れば
わかるように、新しきものがこの世界に
誕生する時は、小さな姿をしている。
 小さきものは、その潜在性において
大きなものであり、
 だからこそ力を持ちうるのではないか。
 それをいかに育むか。

 ライターの土田朋水さん、写真の高松英昭
さんを交え、懇談。
 高松さんは十年以上ホームレスの人々の
姿を追って来ているという。

 壊すのは簡単だが、創るのは大変だから、
どんなに小さなものでもいいから創る
ことを続けていきたいとおもう。
 批評性も、創造と結びついて
はじめて美しい姿を見せる。

 心ある美術界の人たちは、六本木ヒルズの
近くに建築中の新国立美術展示施設
(ナショナル・ギャラリー)(仮称)が、日展や
院展といった公募展への「貸しギャラリー」
になるといって怒っている。

 それについては、面白い話がある。
先日、芸大の授業に行く途中、東京都
美術館を通りかかったら日展をやっていた。
 裏道を通っていたら、
合格発表のような掲示板がある。
 なんだろう、と思って見てみると、
日展入選者の番号と名前がかいてあるのだった。
 
 そっちの方で生きている人たちには
それなりの言い分があるのだろうから、
私は知らない。
 芸術の値段を「号いくら」と書き並べて
いる「美術年鑑」にも愛読者がいるのだろうから、
どうぞ好きにしてくださいと言うしかない。
 私は思うのだが、
 ナショナル・ギャラリーの箱さえ
つくってしまえば、
 時代が流れがまともな方向にいけば、
公募展など追い出されるだろうから、
 その時のために、そこに入れる美しい
作品を一生懸命つくっておくというのが
正しい態度なのではないか。

 むろん、公募展や美術年鑑などに
協力する必要はないし、無視していればよい。

 直島には女性作家三人の作品を収蔵する
新美術館が出来て、
 内藤礼さんも制作するそうである。

12月 10, 2005 at 10:59 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/12/09

あすへの話題  ITとモーツァルト

あすへの話題  ITとモーツァルト
茂木健一郎

 携帯電話や、インターネットなどのIT(情報技術)が私たちの生活スタイルに及ぼす影響は、ますます深く、大きなものになっている。
 人間には、いわゆる「場の空気を読む」驚くべき能力がある。前頭前野を中心とする神経細胞のネットワークが、その時々の文脈を読み取り、適切な行動をとることを可能にしている。
 モバイルやユビキタスといった技術の発展により、場所や時間の限定を超えて自由に文脈を制御することができるようになった。ニューヨークの街を歩きながら東京のオフィスからの連絡を受けたり、レストランでの会食中に仕事のメールを送受信したりということが普通に行われるようになってきた。
 このような変化の結果、人間の脳内の文脈依存性ダイナミクスは、かつてないほど活性化している。場所や時間に関係なく自由に文脈を設定したり、同時に複数の文脈を引き受けたりできるようになった。私たちを取り囲む「場の空気」は複雑で豊かなものになったのである。
 変化が急でついて行けないという人もいるかもしれない。しかし、人間の脳はそれほどやわではない。新しい時代の「場の空気」の中で、人間の脳はさらに進化するのではないか。
 過去には、複雑な文脈を引き受けることで驚くべき創造性を発揮した例もある。モーツァルトその人である。歌手を誰にするか、台本はいつできるか、王様の好みは何か。現代人も顔負けの複雑な「場の空気」の中で、モーツァルトは永遠の名曲を作り上げた。
 ITが私たちをモーツァルトに近付ける。そんな夢を抱いても良いのではないかと思う。

(日本経済新聞2005年12月8日夕刊掲載)

12月 9, 2005 at 08:46 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

サイエンスの青天井

 『クリスマスレクチャー』in 秋葉原 〜「サイエンス」の青天井〜

 子どもたちを科学に向かわせるのは、
親しみのある語りではなく、
 日常の感覚を超えた深遠な理想像では
ないでしょうか。
 「わかりやすい科学」
ではなく、「はるかにあり憧れる
存在」としての科学の本来の姿を探ります。

2005年12月24日
13:00〜14:30 

秋葉原ダイビル 特設会場 

詳細、申し込み

12月 9, 2005 at 08:08 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

高橋瑞木 東京芸術大学講義

Lecture Records

高橋瑞木 東京芸術大学講義
「キュレーションの現場から」
2005年12月8日 
東京芸術大学 美術学部 第三講義室

音声ファイル(MP3、52.6MB、114分)

12月 9, 2005 at 07:47 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

車屋

 株にはどうも手を出す気にならない。
 投資しようと思えば、それなりに
調べなければならない。
 そのようなことに頭のCPUタイムを
使うのが、自分としてはもったいない。

 1と61万を逆に入力して、
300億円の損失。
 デイ・トレーディングの本質は、
そのようなナンセンスな世界だろう。
 株によるゲインは、結局
株価のマスとしての上昇によって
キャッピングされている。
 平均1万が1万6000円になるならば、
それだけ平均儲かる計算だが、
 それ以外は所得移転、ゼロサムゲームである。
 もうけることは、人から奪うこと。
 だったら、やっぱりあまりやりたくない。

 国土交通省の講演会で話す。
  脳科学がテーマだが、
最後に日本列島のイメージを出した。

 イイノホールはよく落語を
やっている場所だとは知っていたが、
 実際には初めて行った。

 日本列島はセレンディピティを
育むのに良い環境なのではないか。
 生態学的多様性が重要である。
 いろいろな個性をもったものたちが
行き交っていればこそ、
 素敵な出会いも生まれる。
 セレンディピティは出会い系だ。

 芸大の授業は水戸芸術館の
高橋瑞木さんがいらしてくださった。
 ミトゲーは周知の通り
日本でもぴか一の企画展で知られる
美術館である。
 館長は吉田秀和さん。
 高橋さんは、Lifeという企画展の
準備を進めている。
 リサーチの過程で、
 いわゆるable art, art brutの
本質とは何か、という問題に
向かい合った。

 杉原信幸がいい質問をした。
 ある種の人々にとって、
表現とは、生きているなかで欠かせない
息継ぎのようなものだそうだ。
 芸大の美術解剖学組も、
手応えが出てきた。
 10年後、20年後にみんなで
あったら、さぞ面白いだろう。
 出世頭は誰か。
 
 来週の保坂さんの後は
アトリエで、と相談しているから、
 根津の車屋での飲み会も、
今年は最後かもしれない。
 高橋さんを囲んでみんなで
盛り上がる。
 蓮沼昌宏がヨージ・ヤマモトを
着ている件で皆にからかわれ、
 植田工がヨタ話で笑いを誘い、
 粟田大輔と津口在五が
クールなコメントを寄せた。

 佐藤(東大)や寺町(慶應ー>リクルートの予定)
がいい味を出す。
 笑いさざめくわれらを、平山郁夫先生の
色紙が見下ろす。

 平山さんの文字は車屋における
暖炉のようなもので、
 それを囲みながら私たちは
どれだけ多くのことを
話してきたことだろう。

 二階に寝るおばあちゃんの雰囲気も
いつも私たちの心を支える。
 今年も、車屋さんありがとう。

12月 9, 2005 at 07:42 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/12/08

(本日)東京芸術大学 美術解剖学 高橋瑞木

東京芸術大学 美術解剖学 講義
高橋瑞木(水戸芸術館現代美術センター)
キュレーションの現場から

2005年12月8日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html 

12月 8, 2005 at 06:56 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日)脳科学の最前線ー創造性とコミュニケーション

平成17年度「国土技術政策総合研究所 講演会
茂木健一郎
脳科学の最前線ー創造性とコミュニケーション

イイノホール (東京都千代田区内幸町2−1−1 飯野ビル7階)
2005年12月8日(木)
午前10時10分〜11時10分

詳細 

12月 8, 2005 at 06:52 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

絵のモチーフ

 私は、髪の毛はいつも朝洗う。
夜洗うと、完璧に乾かさない限り
寝癖で翌朝爆発してしまうからである。

 中学生の頃、よく、後頭部から
一本ぴょんと飛び出してしまった
髪の毛の束を抑えようと気づかれないように
学校の水道にいって水をつけて
押しつけたが、無駄だった。

 今考えても不思議なのは、小学校の
時、一週間くらい頭を洗わない
ことがあったような気がするのだが、
今の感覚で言うと気持ち悪いと
思う。
 あの頃、風呂は夜はいるものだったから、
 また髪の毛ぴょんになっては困るからと、
子供心に洗うのを避けたのだろうか。

 研究所で二件の取材を受ける。
 讀賣新聞生活情報部の小坂佳子さん。
 現代における「美」について。
 日経トレンディの平田秀俊さん。
250号を記念して、過去のトレンドについて。

 広報の中谷由里子さんと、ホテル西洋銀座に
移動。
 版画家の山本容子さんんと対談。

 山本さんがNHKの「ようこそ先輩」で
子どもたちにさせたことということが面白かった。

 きっかけは、
 山本さんの展覧会に来た子どもたちから、
手紙が沢山きたことである。
 ボタンや、針、栓抜きなど、
日常の中の何気ないものをテーマにした
山本さんの版画を見て、
 「こういうものを絵を描いてもいいんだと
気が楽になりました」
と書いて来たというのである。

 アカデミックな伝統の中で、絵のモチーフに
なるものが決まってきてしまっている。
 学校教育でもそうである。
 そこで、山本さんは、絵のモチーフとして
取り上げられることが少ないものを
子どもたちに見つけさせることに
した。
 「えっ、こんなの、絵にならないよ」
というものを絵に描いて、それを自慢し合わせた
というのである。

 高橋由一の「豆腐」が大好きだが、

 思えば由一も「鮭」とか、妙なものばかり描いている。
 してみると、「ぴょん」と飛び跳ねている髪の毛
を絵に描くというのもありか。
 
 山本さんとの対談を企画してくださったのは、
東京新聞、中日新聞、西日本新聞、北海道新聞
の「三社連合」で、
 対談終了後、銀座通りに面した
「響」で懇親会。
 
 山本さんがプロデゥースした銀座6丁目の
le 6eme sensに行ってワインを飲む。

 東京新聞夕刊のコラム「大波小波」
で今度私のことを書いてくださった
方がいらっしゃるということで、
 その記事のコピーを見せていただく。

 辛口批評が売りのこのコーナー、
「さる高名な文芸評論家」の書いて
くださった内容は、むしろ爽快であった。

 今日も朝髪の毛を洗って出かけることにする。
 そんなには跳ねないだろう。

12月 8, 2005 at 06:38 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/12/07

高橋悠治 + 茂木健一郎

ATAK@ICC

日時:2005年12月17日(土) 午後7時より開場/開演
会場:ICC5Fロビー
定員:150名(当日先着順)
入場料:無料

公開トーク「他者の痛みを感じられるか」
高橋悠治(音楽家)+茂木健一郎

高橋悠治コンサート《隙間と骨》
高橋悠治(音楽家)

詳細

12月 7, 2005 at 08:41 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

英語でしゃべらナイト

12月12日(月) 23:15〜23:45  NHK総合
13日(火) 11:15〜11:45 BS2       *ひるまえ
14日(水) 未明02:00〜02:30  NHK総合   *火曜日深夜

http://www.nhk.or.jp/night/nextpgm.htm 

12月 7, 2005 at 08:37 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

時間が経って

 モーツァルトの次は何を聞こうかな、
と思っていたら、
ビートルズが浮かんだ。

 ケンブリッジ郊外の私の下宿の
近くの何の変哲もないパブで、
シルバーの長髪のおじさんが
レザージャケットを着て
踊り狂っていた光景が浮かぶ。
 ニュートンを生み出す一方で、
ビートルズも出てくるところが、
 あの国の好きなところだ。

 アンソロジー「1962〜1966」と
「1967〜1970」の二つのカバー写真
の間に見られるジョンの驚くべき変化を見る度に、
「この人は一体何があったんだろう」と
シミジミ思ってしまう。
 全く同じ場所でとっているのだが、
短髪で悩みを知らないかに見える青年の顔が、
髪の毛がぼうぼうで世界の悩みを引き受けている
ようなヒッピーの顔に変質してしまうのだ。

「使用前」

「使用後」
 

 人生の波瀾万丈。
 オレも、と思ったこともある。

 がーっと仕事をした後、
銀座8丁目のリクルートへ。
 1月に徳間書店から刊行される
『プロセス・アイ』の著者インタビュー。
 ダ・ヴィンチの稲子美砂副編集長と、
 温水ゆかりさん。
 徳間書店の本間肇さんが
表紙のデザイン案を持ってきてくださった。

 すぐ近くの椿屋珈琲店に走る。
中央公論新社の岡田健吾さん、松本佳代子
さん、井之上達矢さん。
「脳の中の人生」の見本をいただく。

 

 12月8日発売予定。

 12月8日はジョンの命日である。
 時間が経つほど
その存在が大きくなる人がいる。
 ジョンもそうだが、
あの日パブで踊っていた無名の
おじさんも、思い出してみると
 何か大切なものを象徴しているように
思える。

12月 7, 2005 at 08:06 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/12/06

論座 読書きのうきょう

朝日新聞社 論座 2006年1月号 p.319-323
茂木健一郎 読書きのうきょう

http://opendoors.asahi.com/data/detail/7087.shtml

12月 6, 2005 at 09:12 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

 クオリア降臨 増刷

 文藝春秋 『クオリア降臨』
は増刷(2刷、累計11000部)
となりました。

 ご愛読に感謝いたします。

12月 6, 2005 at 07:53 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

 個別と普遍 (於比較文明学会)

 Lecture Records

 茂木健一郎 「個別と普遍」
立教大学比較文明学会総会
2005年12月5日 立教大学太刀川記念館 

音声ファイル (MP3, 39.1MB, 85分)

12月 6, 2005 at 07:47 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

個別と普遍

広島で降った雪で
新幹線が遅れてはらはらした。

研究所でブレスト。
最先端のテクノロジーについて
いろいろ思い描くことは実に
楽しい。
実際、それらのテクノロジーがこの
世界を変えつつある。

文藝春秋本社。
来年はモーツァルトの生誕250年であり、
『文學界』がモーツァルト特集をする。
大川繁樹編集長と、
選考したベスト10のリストを
手に、モーツァルトの人と作品について
語り合う。 
 山下奈緒子さんも同席。

 モーツァルトが仕事をした環境は、
現代人に似ていると思う。
 様々な文脈が交錯するなか、
ものすごいスピードで仕事していく。
 ネットやメールで次々と
中断されるわれわれの仕事ぶりに
通じるものがある。

 その中であれだけのクオリティのものを
残した。
 もって範とすべきだろう。

 池袋に出て、
<きわめて>遅い昼食をとる。
ハラペコだった。
 見かけた中華料理屋で、
アエラを読みながらレバニラいためと
餃子を食べる。
 お行儀悪いが、誰も気にしない。

 ここのところ、こういう時間が
なかったなあと幸せを噛みしめた。
 
 立教大学のキャンパスは圧倒的に
きれいだ。
 比較文明学会でお話させていただく。
 北山晴一先生に再会。
 入不二基義さんもいらした。
 芸大から植田工と津口在五も来る。

 内容は、「個別」と「普遍」の
交わりをめぐる
二つの回路。
 私たちは、「普遍」ということを
ついつい流通性においてとらえがちだが、
 一つの脳にクオリアが宿る形式
と同様、
 流通性を前提にしない普遍概念に
いかに覚悟をもって寄り添うか
ということが大切なのではないか。

 私がまず40分話して、
そのあと北山さんと対論し、
会場と議論した。

 懇親会で比較文明学専攻の
方々と話す。
 みなさん自由闊達で気持ち良い。

 池袋は理化学研究所の時に
よく来たのでなつかしい。
 田森佳秀とThirsty Bearに行っていた
時代があるとは信じられない気持ちだ。

12月 6, 2005 at 07:29 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/12/05

中公新書ラクレ 脳の中の人生

ヨミウリウィークリーの連載が本になりました。
書き下ろしのエッセイも掲載されています。

中央公論新社
中公新書ラクレ 茂木健一郎 脳の中の人生
2005年12月10日発売 700円

http://www.chuko.co.jp/new/2005/12/150200.html

12月 5, 2005 at 06:20 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

脳の中の人生 「脳化社会」の思わぬ弊害

ヨミウリ・ウィークリー
2005年12月18日号
(2005年12月5日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第81回

「脳化社会」の思わぬ弊害

一部引用

 報じられる運転士の行動には、いささか軽率な側面がないとは言えない。しかし、扉を開けたら入ってきてしゃがみ込んで泣きだしてしまったという長男の行為自体には、服務規程違反も何もありはしない。ただ、言うことを聞かない子どもがごくありふれたふるまいをしたというだけの話である。それを、大人たちが決めたルールに従えというのは、子どもの領分というものを考えない、脳が考えた通りに世界が動くと思いこむ現代の「脳化社会」の悪い癖である。
 子どもは大人の脳がつくりだした「人工」よりも「自然」に近い。自然にオレたちの言うとおりにしろ、と要求しても、それは所詮無理な話なのである。
 今回の事件は、しばらく前に回転ドアで子どもが亡くなった痛ましい事故に通じる側面がある。あの時、子どもが走り込まないように注意していない大人が悪い、という意見があった。そのような意見を表明できる人は、元気な子どもがいかに勢いよく走り回るものか、見たことがないに違いない。生まれた時から、人間はルールを守り秩序正しく行動するとでも言うような、フィクションの世界に生きているのだろう。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

12月 5, 2005 at 06:14 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

(本日)『脳・クオリア・心の比較文明学的意味』

2005年度 
立教大学比較文明学会総会・公開セミナー
2005年12月5日(月)
太刀川記念館3階(池袋キャンパス) 多目的ホール

16時半〜 総会・研究発表
18時〜19時半 公開講演会 
  『脳・クオリア・心の比較文明学的意味』
  茂木健一郎
19時半〜懇親会

http://www.rikkyo.ne.jp/grp/hikaku-bunmei/ 

12月 5, 2005 at 06:07 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

神戸の中で沖縄

 神戸大学百年記念館でシンポジウム。
ここはいつも思うが景色が良い。
 港まで、神戸の街を一望。

 香山リカさんの話を伺うのは
久しぶりだった。

 「臨床」(clinical)というのは興味深い
概念である。
 二項対立的に言われがちな
 「理論と実験」の「実験」というのとも
違う。
 病院や治療といった一連の制度をも
含み、
 プラクティスする医者の生きざまも入る。

 山縣康浩さんの話は、企業の人事
の立場から見たコミュニケーション能力の
本質について。
 さまざまなヒューリスティックス。

 長尾隆司さんの話をはじめて本格的に
聞いた。
 「インターネットコオロギ」という絶妙の
ネーミングに基づく行動研究。
 長尾さんが一日二時間しか寝ない
というのは噂には聞いていたが、
 本人が断言。
 長尾さんは私の親友田森佳秀の同僚である。

 レセプションでいろいろな先生方と
お話する。
 国際文化学部は多彩である。

 開けて今日、朝一番で東京に戻る。

 神戸に来ると、いつも震災のことを
思う。
 一見平静を取り戻している町並みだが、
忘れられるものではないだろう。
 震災後しばらくして訪れた時、
 三宮前のビルが倒れていた光景が
夢のようだ。

 深夜、なぜかそのような気持ちになって、
「涙そうそう」と「さとうきび畑」
をiTunes Music Storeで購入。

 「涙そうそう」を、私は何の根拠もなく印象で
沖縄の曲だと思っていたが、
 調べてみたらやはりそうで
「涙がぽろぽろ止まらない」
という意味のようである。

 沖縄があって良かった。

12月 5, 2005 at 06:02 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/12/04

(本日)神戸大学シンポジウム

神戸大学国際文化学部主催第10回国際シンポジウム
「こころを伝えるコミュニケーション─
こころをつくるものとつなぐもの─」

2005年12月4日(日)

シンポジウム: 神戸大学百年記念館神大会館六甲ホール
レセプション: 瀧川記念学術交流会館1階

http://www.kobe-u.ac.jp/info/event/e2005_12_04_01.htm

12月 4, 2005 at 08:32 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

Comedy News Show DVD Vol.2

Comedy Club King
Comedy News Show DVD Vol.2

音声で参加しています。

【コメディスピリットを持って一番ヤバイところへつっこんでいく】
【茂木健一郎】

2005年12月14日発売

http://www.clubking.com/contents/v_cns2.html

12月 4, 2005 at 08:31 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

エンドリケリ・エンドリケリ

 夕刻、原宿へ。
 「風とバラッド」で、
 クラブキングの桑原茂一さん、
吉村栄一さん。

 Kinki Kidsの堂本剛さんと
対談、写真撮影。
 dictionaryに対談が収録され、
Tower RecordsのNo MUSIC, NO LIFE
のポスターに写真が使われる予定。

 堂本さんは、エンドリケリ・エンドリケリ
というアフリカの古代魚が
最近好きで、そのイメージに託した
新しいプロジェクトを始めるとのこと。

 対談は、「アイドル」として仕事をすることと、
自分のリアルな感情、生き方の間に生まれる
ダイナミクスをめぐって、深いところまで
降りていく。

 堂本さんは、本当は人の前に出るのが
苦手、だというのだが、
それでも5万人の前に出て行ってライブをする。
 ファンがそれだけいるんだから、
何か人を惹きつけるものを放射して
いるのだろう。

 苦手を克服すると、そこでなにかが
立ち上がる。
 そのような一般則があるように思う。

 ワタリウムに移動し、
 ショップ(On Sundays)
の中で撮影。

 居心地が良く、
 天国みたいなところで、
待つ間、さまざまなアート本をぱらぱらと
めくるのは本当に楽しかった。

 その至福感を演出している
草野象(くさのきさと)さんと立ち話。
 草野さんは、とても面白い雰囲気を
漂わせている方で、
 桑原茂一さんの古くからの知り合い
とのこと。

 撮影はぱぱぱぱと終わり、
ウクレレっぽいギターを弾きながら
歩いていた堂本さんと握手して
仕事終了。

 広尾の百千漫で桑原さん、吉村さんと
ビールを飲んで打ち上げをした。

 仕事でも遊びでも、楽しい時間を
持つのが何よりの魂の健康法ナリ。

12月 4, 2005 at 08:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (3)

2005/12/03

なぜ、それをここでは感じられないのか

風の旅人 第17号 p.145〜148
2005年12月1日発行

連載  茂木健一郎   今、ここから全ての場所へ 
「なぜ、それをここでは感じられないのか」

(沖縄の斎場御獄にいった時のことを書きました)

http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/

12月 3, 2005 at 03:14 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

おいしさの恵み 第9回 縄文から宇宙食まで

Webマガジンen

茂木健一郎 おいしさの恵み
第9回 縄文から宇宙食まで

http://web-en.com/

12月 3, 2005 at 03:05 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日)世界一受けたい授業

世界一受けたい授業  

茂木健一郎 アハ体験ススメ
気象予報士・武田康男 空の不思議
小宮信夫が指摘! 犯罪の起こる場所

(私は一時間目です。)

NTV系
2005年12月3日(土)19:57〜20:54

http://www.ntv.co.jp/sekaju/

12月 3, 2005 at 12:33 午後 | | コメント (4) | トラックバック (0)

左手に感性、右手にロジック

原宿の裏通りにある瀟洒な白い建物の中に
ある
 ソニー クリエィティブセンター
コンセプトラボ
へ、
 Fine Designのプロトタイプを見に行く。

 先日、銀杏荘で行われたDesign Tideに、
デザイン・ユニット FineDesign
として出展したもの。

 森宮 祐次 さん、森 栄二郎さん、三浦 秀彦さんに
ご説明いただく。

http://www.designtide.jp/jp/exhibitors/f.html

 「Wave」は、窓枠のような「無」の領域
から音が聞こえるように体感される。

 「Progress Bar」は音楽の進行とともに
流れる時を、ゆったりと視覚化する。

 「Poetry Reading」をバーのカウンターの
上に置くと、カクテルを飲む手の動作と
一続きの操作の中に、音との出会いをアレンジ
できるかもしれない。

 そして、「Camera」は、物質が光を媒介し、
拡散し、反射する時に起こりうる不思議なことを
電気仕掛けなしで見せてくれる。

 もっとも、光自体がもともと「電磁仕掛け」
なのだから、私たちの「エレクトロニクス」
の定義が狭きに失しているのかもしれない。
 
 今まで見たことがないような
新しい「技術」が、狭義の「技術」ではなく
実は感性によって導かれる、
ということは確かにあるのだろう。

 近くのインド料理屋で、森宮さん、
三浦さんとランチ。
 みんなMで、3M、森さんも入れれば
4Mだということに気付く。

 研究所へ。
 ゼミ。
 小俣圭と大久保ふみが論文紹介。
 私も飛び入りで一本紹介する。
 大久保の紹介したのはなかなかに
ややこしい論文で、
 私はみんながあーでもない、こうでも
ないと議論するのを内心ニヤニヤしながら
聴いていた。

 あまり介入しないでどうなるか見ておこう
という心づもりで、
 飛び入りで「今日のおつとめ」を
果たして、後は黙っていたのである。

 住友三角ビル1Fのアートコーヒーで、
朝日新聞出版局の井原圭子さんにお目にかかる。
 井原さんは東京学芸大学付属高校の
後輩(私が25期、井原さんが27期)で、
 なつかしい先生の名前が飛び交った。

 朝日カルチャーセンターは
「脳と文学」第3回。
 夢と記憶に関する論文、
それと小島信夫の「抱擁家族」の一節に
ついて考えた。

 講座修了後、朝日新聞出版本部の堀田あゆみ
さんと打ち合わせ。
 電通の佐々木厚さん率いる「打ち上げ」
に到着するのがいつもより遅くなった。

 再び感性と技術の関係だが、
brand newなもの、brave new world
が狭義のロジックやテクノロジー
ではなく、
 感性によってこそ導かれるということは
あるのではないか。

 だからこそ、左手に感性、右手に
ロジックというスタンスを貫く必要があるのである。

 左右逆のようだが、身体からの神経は
脳に入る時交差するので、これで良い。

12月 3, 2005 at 10:15 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/12/02

(本日) 朝日カルチャーセンター 脳と文学

2005年12月2日

朝日カルチャーセンター 「脳と文学」
第3回
18:30〜 新宿 朝日カルチャーセンター

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture22.html 

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0510koza/A0301.html

12月 2, 2005 at 07:59 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

あすへの話題 夢と向き合って生きる

あすへの話題 夢と向き合って生きる

茂木健一郎

 先日、昔留学していた英国の夢を見た。私はロンドンの郊外の駅の前にいて、どうやって中心街に行こうか、キングス・クロス駅まで列車に乗って行こうかなどと思案しているのだった。
 夢を見るのは、脳が記憶を整理しているからだというのが有力な説である。昼間のうちに経験した様々な事柄を、夜になって眠っている間に整理する。その過程で出るいわば「副産物」が夢なのである。
 夢を見やすい「レム睡眠」が記憶の定着に必要であるというデータがある。どうやら、夢を見ることは、脳の記憶のシステムにとって必要不可欠なことのようだ。
 私たちは、夢の全てを覚えているわけではない。むしろほとんどの夢ははっきりとした記憶として残らないで消えてしまう。目覚める前に見ていた夢など、一部分が鮮明な記憶として残る。一生忘れられないほど強い印象を残す夢もある。
 意識に上り、記憶に残った夢は、人生の体験の一部である。脳内過程として、現実の体験と多くの共通点を持つ。切実さやリアルさという点で、夢が現実の体験に劣るわけではない。
 夢を見ることで、世界の見え方が変わってしまうこともあり得る。夢の中に知り合いが出てきて、その人に対する隠れていた感情に気付くこともある。夢で大発見の糸口をつかむ科学者もいる。
 鎌倉時代に生きた明恵上人は、四十年にわたって見た夢の記録(「夢記」)を残した。「夢記」は明恵上人の人生の記録でもあったのだろう。現実を生きるのと同じくらい真剣に夢と向き合う。そんな考え方があっても良いのではないか。

(日本経済新聞2005年12月1日夕刊掲載)

12月 2, 2005 at 07:57 午前 | | コメント (3) | トラックバック (4)

池上高志 東京芸術大学講義

池上高志 東京芸術大学講義
「第三項アートについて」
2005年12月1日 
東京芸術大学 美術学部 第三講義室

音声ファイル
(MP3、44.2MB、96分)

12月 2, 2005 at 07:53 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

カットと乱反射

 午後、NHKにて「ステラ」のインタビュー。
 『プロフェッショナル』について。
 有吉伸人さん、細田美和子さんが
同席。

 『プロフェッショナル』のプロジェクト
ルームに一瞬立ち寄る。
 取材で「目を血ばらせている」
小池耕自さんが、
 若手にとっては
 けっしてコワクはないが、
やはりびびってしまう
 細田デスクには「こうやって話しかけるんだ」
と後進に指導していた。

 原宿まで歩く。
 代々木公園の近くに住んでいる人にとっては、
そこは身近な散歩コースであり、
 ジョギングをする所なのだろう。
 セントラル・パークがそのような
場所である人たちもいる。
 朝起きると、自分を王宮の中に見出す
人もいる。
 川岸のブルーシートの中で目覚める
人もいる。

 人の体験は様々であり、その破片が
集まった総体が宇宙をつくる。
 つまり、どのように世界を切り取る
(「カット」する)か。

 明治神宮前駅から、千代田線に乗り
根津へ。
 ここのところ、仕事上読まなければならない
ものが沢山あって、
 電車に乗るとすぐ本を読み出す。
 集中すると、つい乗り越してしまい
そうになる。

 先日、
 河合隼雄さんの本を読んでいた時は
あまりにも面白かったので、
乗る方向を間違えて
反対方向に二駅行って気付いた。

 芸大の蓮沼昌宏に呼び出されて、
SCAI The Bathhouse
で開催されている
 アニッシュ・カプーアのJapanese Mirrors
を見に行く。
 
 先に「美術手帖」の「美術評論募集」
において、「榎倉康二における出来事性と層の構成」
で佳作に入選した粟田大輔くん、
 それに布施英利研究室の助手の津口在五
くんもいた。

 これは、行って良かった。
 素晴らしい。
 距離感が判らなくなり、奥行きが
平面になり、
 しかも音が焦点のクラスターと
なって身体を襲う。
 全ては、固定したフォルムを持った
漆塗りの曲面で引き起こされるのだ。

 カプーアはインド生まれで、
1990年のターナー賞を受けている。

 芸大まで歩き、
 美術解剖学授業。

 池上高志の話は、いつも面白い。
 story tellingに対して、textureの
芸術の宣言。
 cellular automatonのclass 4を入り口に、
「お化け」のありかを探る。

 根津の車屋で打ち上げ。
 
 塩谷賢も来る。
 池上と三人で久しぶりに話して、
楽しかった。
 cellular automatonもそうだが、
universality classが定義されるにも
かかわらず、そこからこぼれ落ちるものが
ある(至るところスカスカである)、
 という一見矛盾する経験事実を
どうとらえるか?

 席を移動したあと、
しばらく植田工が塩谷賢と話し込んでいた。

 池上とcutの話をした。
 ダイヤモンドのbrilliant cut,
ステーキのT-bone steak cut, lean cut. 
 映画のfinal cut.

 複雑多様なこの
人生をcutしてしまうというのは一つの
原罪だろうが、
 それをたくさん寄せ集めてくれば
キラキラぴかぴか乱反射。

 神様しかその光を直接見ることは
できないが、
 しかし概念としてアタマの中で
組み立てることはできるのだ。

 思えばブログの日記も人生の
「カット」なのだろう。

12月 2, 2005 at 07:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/12/01

(本日)東京芸術大学 美術解剖学 池上高志

2005年12月1日
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
 

12月 1, 2005 at 10:01 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

神戸大学シンポジウム

神戸大学国際文化学部主催第10回国際シンポジウム
「こころを伝えるコミュニケーション─
こころをつくるものとつなぐもの─」

2005年12月4日(日)

シンポジウム: 神戸大学百年記念館神大会館六甲ホール
レセプション: 瀧川記念学術交流会館1階

http://www.kobe-u.ac.jp/info/event/e2005_12_04_01.htm

12月 1, 2005 at 08:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『脳と創造性』 増刷

PHP研究所 『脳と創造性』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569633536/250-6843450-5097069

は増刷(5刷、累計15000部)となりました。

皆様のご愛読に感謝いたします。

12月 1, 2005 at 08:17 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

あたたかく

 朝一番で田園都市線に乗り、
 東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。

 知能システムの専攻会議。
 柳川透の博士下聴き会の結果について報告。

 都心にとんぼ帰りし、
山の上ホテルへ。

 河合隼雄さんとの対談。
 こんなに面白いことは
そんなにない、というほど濃密な体験。
 20年来忘れかけていた
私の原点が泉のようにわき出してくる。

 あたたかく、心を動かされる。
 またお目にかかりたい。

 研究所へ。
 University of California, San Diegoの
Joseph Goguenと討論。
 Josephが、脳研究グループの前で
informalなtalkをしてくれた。

 TOKIONの西村大助さん、
宇川直宏さんと再会。
 先日のイベントについての反省会。

 忙しいと、モーツァルトは偉いやつだったの
だなと改めて思う。
 しっちゃかめっちゃかの人生の中から
出てきた音楽は雑味を残していない。
 現代人の情報洪水など、大したことじゃない。

12月 1, 2005 at 08:11 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)