あすへの話題 ウォーホルと宝船
あすへの話題 ウォーホルと宝船
茂木健一郎
先日、美術評論家の布施英利さんと福島県のいわき市立美術館を訪れ、ワークショップをした。その際に見たアンディ・ウォーホルの『フラワー』が忘れられない。二時間ずっと見ていたが、飽きることがなかった。当初賛否両論があった「ポップ・アート」も、今では「美の殿堂」入りを果たしたのだなあと感嘆した。
その夜、地元の寿司屋に行き懇談した。壁に有名人の色紙が貼られ、宝船の置物が飾られていた。よく見る光景だが、ウォーホルに比べるとあか抜けていないように感じられた。
ウォーホルと宝船の運命を分けたものは何か? もともと、この世に絶対的な美の基準など存在しない。美人の基準は時代とともに変化する。美は、脳の中の記憶と感情のシステムが複雑に絡み合って、長い時間をかけてゆっくりと作り上げられる「フィクション」なのである。
そのフィクションの世界で、あるものがあたかも絶対的な地位を持つように感じられるに至る。フェルメールの絵や、モナリザがそうである。何が殿堂入りするのか、神様が決めた基準があるわけではない。ウォーホルの代わりに宝船が輝く世界もあったに違いない。
グローバリズムの嵐が吹き荒れる中、美の基準もまたグローバル化している。その中で、美の勝ち組、負け組がどうしても出てくる。価値は平等だとは言っても、「中心」と「周縁」の差は生まれる。
大切なのは、美の基準は変化し得ると認識することだろう。誰もが「勝ち組」や「中心」に走ってはつまらない。宝船の方に賭ける人がいて、初めて文化の多様性もダイナミズムも保たれる。
(日本経済新聞2005年11月24日夕刊掲載)
11月 26, 2005 at 08:29 午前 | Permalink
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コメント
では、いつか、フェルメールやモナリザの地位が崩れる時代が来るのでしょうか?
投稿: cosmos | 2005/11/26 20:16:41