« 日本感覚統合協会大会(2005年11月13日) | トップページ | 神戸アートリニューアル2005 『眺めるに触れる』 »

2005/11/02

 みんな違ってみんないい

 赤毛のアン、金子みすず、武者小路実篤。

 この三つに共通するものは何でしょう、
とまるで落とし話のようだが、
 先日、角川書店の金子亜規子さんに
依頼されて、野性時代の「青春小説」特集に
 『三四郎』と『アンの幸福』
の短い書評を寄稿して以来、
 ああ、そうだったか、と改めて
モンゴメリの作品の特質のことを考えている。

 『赤毛のアン』シリーズは中学から
高校にかけて愛読したのであって、
 特に、高校の時は原書をほぼ全部読破した。
 面白いことに、大親友の田森佳秀も
『赤毛のアン』を愛読したことがあり、
一度二人で「マシュー・カスバートが
倒れた時に読んでいた新聞は何か?」
などとトリヴィアを出し合ったことがある。

 それはそうと、書評をどんな
切り口で書こうかと思っていたとき、
ふと、「レベッカ・デューだな」と思った。
 『アンの青春』は婚約時代の
  Summersideでの一人暮らしを
書いた巻だが、アンが下宿している
柳風荘(Windy Willows)を仕切っている
変わり者の女性のことから行こう、
と思ったのである。

 それから、ばーっと「アン」シリーズに
出てくる変わり者列伝(レイチェル夫人、
ハリソンさん、フィリッパ・ゴードン・・)
が思い出されて、そうか、
 モンゴメリは、主演の役者だけでなく、
脇役にこそ個性あふれる人を配置していて、
その人たちが、どんなに変わりものでも、
 人生の日陰を歩いていても、
それでいいんだという暖かい目を向けていた
んだな、と納得された。

 アン自身が孤児院からもらわれてきた
わけだが、
 プロットのため、という仕掛けは別として、
必ずしも陽の当たる場所にいない者に
対する暖かい目を、モンゴメリは持っていた
わけである。

 最近の「勝ち組」「負け組」という
分類のいやらしさとは
無縁のヒューマニズムである。

 とりわけ、当時の「女性は結婚して
当然」という価値観から外れた人たちへの
目があたたかい。マリラ・カスバートが
そもそもそうだし、レベッカ・デューも。
 それでいいんだ(それでも、何とか
生きられるし、そのつましい生活の中に
自ずから溢れてくる静かな喜びもあるのだ)
と書いているところがいいんだろう。

 もちろん、変わり者である由来は、
ちゃんと書いているし、
 その人の世界観の限界のようなものも
伝わるように隠さず描写している。
 それでも、読者は、ああ、この人は
ちょっとムリ目だし、センターステージには
出られないな、と納得しつつも、
 それはそれでいいんだ、そんな人生も
あるんだ、とモンゴメリと一緒に
暖かく是認することができるのである。

 それで連想されるのが、金子みすずの
「みんな違ってみんないい」であるし、
 武者小路実篤の
 「君は君 我は我也 されど仲よき」
という色紙だ。

 実篤の色紙は、一時期、時折訪れる
ことにしていた「新しき村」
の美術館で随分たくさん見た。
 私が一番好きなのは「静かなりもの言わぬものたち」
という色紙だが、
 「されど仲よき」ももちろんいい。

 いずれにせよ、負け組、下流社会
などとかしましい現代の潮流とは
遠く離れた世界である。

 プリンス・エドワード島には20代の
時二回行く機会があって、それ以来
縁遠くなっている。
 『赤毛のアン』シリーズも
もう二十年くらい読み返していないが、
 金子さんに書評を依頼されたおかげで、
 この青春小説の古典の美質を自分の
中で再発見できて良かったと思う。


11月 2, 2005 at 06:50 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です:  みんな違ってみんないい:

» 赤毛のアン トラックバック のんびり行こう! 
初めて トラックバックなるものを使ってみます。。。w うまくいくんだろうか? どう表示されるのかもよくわりませんが。。。^^; 最近、ちょっとよく見に行ってるフ [続きを読む]

受信: 2005/11/02 12:24:44

» 赤毛のアン トラックバック のんびり行こう! 
初めて トラックバックなるものを使ってみます。。。w うまくいくんだろうか? どう表示されるのかもよくわりませんが。。。^^; 最近、ちょっとよく見に行ってるフ [続きを読む]

受信: 2005/11/02 12:26:01

コメント

赤毛のアンを開き読み始めたとき、目の前にあまりにも美しすぎる世界が広がっていくのを感じました。毎日電車の中でベットの中でお風呂の中でアンの世界を呼吸していました。読み終えたときに感じるこの世への希望と人に対する希望は実際にどんなところにいても続きました。木や自然とも心が行き交うことができるように感じました。そうするとどんなこともアンのように楽しくなりました。人だけでなく、木や風や草いろいろなものがお友達になれると感じました。家の近くに銀杏の木があります。通ううちに幹に触りながらあの葉っぱゆらしてと伝えると振ってくれるようになりました。悲しいときもあの木も雨の中しっかりとまっすぐ立っているんだと思うと一緒に生きている気持ちになり元気づけられます。アンもこの世界に喜びをたくさん見つけてどこかで生きているんだと思うと青空の中に写る木の枝を見るようにこころがくすぐったくなります。心のなかにちょうちょが飛んでいる、茂木さんがおっしゃられたようにアンを知るとそんな気持ちになっている自分に気づくことが多いですね。

投稿: windy willows | 2008/12/03 11:23:47

恐竜の御話を、子供たちは喜びますね。
また、「大昔、三葉虫はちきゅうの王さまでした」
などというと眼を輝かせて話を聞いてくれます。

この地上では、なんども生き物が丸い丸い地球ごと
一斉に負け組みになって消えていったんだよって、
御伽噺みたいに響くのでしょうか。実感が湧かない
ものは、夢幻のようなものなんでしょうね。

まもなく、わたしたちも夢幻に届くことになるのかも
しれません。

投稿: シャルドネ | 2006/04/11 8:39:22

「勝ち組」「負け組」といった、昨今のいやらしい分類が、現代社会で多くの悲劇を生んでいる。
勝ち組だけが尊敬され、負け組のレッテルを張られた者はどん底へと落ちて行くという哀しい現実がこの現代社会では日常茶飯事です。

「みんなちがってみんないい」、この言葉の中にある異質な者同士が互いを受け入れあい、互いを認め合って個性豊かに生き生きと生きるヒューマニズムをいまこそ蘇らせなくてはと思うのです。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/11/02 21:37:35

コメントを書く