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2005/11/27

ベンチャーと信哉

 駒場祭に行くのは久しぶりである。
 おそらく、現役の時も行っていないのではないか。
だとすると、初めてかもしれない。

 文藝春秋の山田憲和さんと
待ち合わせ、混んでいる銀杏並木を
歩く。
 やっとたどり着いたサッカー場の
横で喋っていると、ラグビー部が
出てきて練習を始めた。

 『クオリア降臨』を巡って対話。
 「本の話」に掲載される予定。

 山田さんを見送り、
13号館へ。
 
 国際的な実務研修を進めている
学生NPO、
 アイセックのイベント。
 私が喋った後、5人のベンチャー企業
経営者がパネル・ディスカッションをした。

 外からバンドのがなり立てる音が
聞こえ、
 ああ、ここは学園祭なのだなあと
思う。

 レストランで立食パーティー。
 いろいろなやつらと喋る。
 時代の空気として、
大学は厳しい状況に置かれているのだなと
感じる。
 ベンチャー経営者が、
「大学なんて中退してとっとと起業しろ」
という時、 
 アカデミズム側が有効な反論ができない
状況が確かにあるのではないか。

 現代における本当の学問とは何なのか、
その「ペレストロイカ」は
 よほどの覚悟を決めて様々な
事柄を引き受けない限り成就しないだろう。

 歩きながら、
 鈴木健と久しぶりに喋る。
 ベンチャーを含めた
昨今の社会的事象について。
 マルクス、柄谷行人、
大学について。

 電通の佐々木厚さんや、
NTT出版の牧野さんらと
 渋谷で二次会として沖縄料理を
食べていると、白洲信哉から
電話で呼び出される。
 白洲邸へ。
 
 酒とすっぽん雑炊を振る舞われながら、
先日日本経済新聞の「あすへの話題」
に書いた「ウォーホルと宝船」
について文句を言われる。

 美の基準はグローバルではないだろう、
日本人に生まれた限り一定の基準があるだろう、
 ロマネスクの教会、アフリカやインディアン、
中国の古染め、朝鮮の井戸茶碗にも
それに通じる「空気」があるだろう、
 でも、それは決してグローバルにはならないだろう、
 モナリザやフェルメールは絶対的な地位を
保っているわけではなく、ただ有名なだけだろう
 
 とカラみ続ける。
 私はマイッタなあ、と思いながら
出羽桜を飲んで
 
 オレとオマエは結局
 同じことを言っているじゃん!

と言っても、
 信哉は聞かず、 
 わかりました、あんたはそっちの方に
行ってください、私はこっちの方でやりますから
などといろいろ言いながら笑っている。

 あげくの果てに、この人はそのうち
全部イヤになって投げ出しちゃって、
 人にも会わなくなりますから。
 ムリですから。
 そうしたら、一緒にやりましょう。

などと無理難題を突きつける。
 ベンチャー企業を経営するのも大変だが、
白洲信哉の相手をするのも大変である。

 それでもキライにならないのは、根底に
愛が感じられるからだろう。

 信哉は横顔がちょっとモーツァルトに似ているが、
今朝は
仕事を聞きながらモーツァルトが聴きたくなった。

 風邪はなかなか抜けない。

11月 27, 2005 at 08:17 午前 |

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コメント

宝船には宝船、ウォーホルにはウォーホル固有の価値がある。

二つを比較するなんて、非常にナンセンスなこと。

ウォーホルが宝船より優れているわけでもなく、逆に宝船のほうがウォーホルに優るわけでも無し。

兎も角、二つはこの地上に並立しているだけでそれぞれの価値を光らせる。そういうものだと思いますが。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/11/27 14:58:04

茂木さんの日記やお話を聞かせて頂いてる時に、時々「ん?」となる時があって、今回の日記では、それを白州さんが言ってくれているように感じました。
改めて“明日へ話題”を読みなおしてみると、

>「ウォホールと宝船の運命を分けたもの」
>「ウォーホルの代わりに宝船が輝く世界もあったに違いない。」
>宝船の方に賭ける

というあたりが、何か違うものを二つ並べて比べているように感じました。

宝船は宝船のままで、今でも十分に輝いていて、その価値が時代とともに変わったり、今でも、誰かによって新しい価値に変換されたならば、宝船も「美の殿堂」入りを果たすのではないでしょうか?
どっちにしても、宝船は宝船のままでよいのだと思います。

どっちが中心か、周辺かというのではなくて、どっちにどういう価値がつけられているか?ではないでしょうか?
その価値の基準は、やはり、変化し得るのですから、私たちは多様性を持ってものを見なければならないのだと思います。

多分、茂木さんと白州さんは同じことを言っているのだと思いますが、茂木さんの言葉の端々に見え隠れする“ウォホール優位”に、私としては、「それとこれとは少し違うなぁ」と、ひっかかりを感じてしまうのだと思います。

投稿: 西永 昌代 | 2005/11/27 11:12:25

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