「本物の学問はどこに?」
ヨミウリ・ウィークリー
2005年10月 30日号
(2005年10月17日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第74回
「本物の学問はどこに?」
一部引用
私が大学に入った頃は、まだ、「学問の香り」に対するあこがれがあった。キャンパスに一歩足を踏み入れれば、身が引き締まった。大学の先生と言えば、長い間の精励の結果、余人には容易に図りがたい学識を身につけた尊敬すべき人々であり、その深い教養に基づいて人類未踏の知的課題にチャレンジしている、そのようなイメージがあったように思う。
ところが、近頃では、大学のキャンパスが、悪く言えば「市役所の受付」のような雰囲気になって来ている。何も市役所を揶揄したいわけではないが、大学が本来持っているはずの知的な興奮や、未知のものを探究するというチャレンジ精神が希薄になってきているように感じられるのである。
希望となるのは、学生たちの意欲が高いことだろう。社会に出て役に立つ「実学」を求める者ばかりではない。せっかく大学に来たのだから、四年間、学問の香りに触れたいという切ない思いを抱いている学生は、案外多いのである。そのような熱意に応えるためには、学問を教える側がよほど真剣にならなくてはならない。
10月 16, 2005 at 11:37 午前 | Permalink
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コメント
「大学は学生のためにある」このことを昨今の大学は忘れ勝ちなのではないか。ただ単位を取って卒業させればイイ、そういう了見がありはしないか?
私は高卒程度の学歴しかないが、最近の大学は少子化の影響もあって、定員割れの大学も多いと聞く。最近では有名大学の学生主催のあるサークルがいかがわしい事件を起こし、その大学の栄光に傷がついた事件も起こっている。
その一方で、ただひたすら学生の為に、教授陣が真剣な思いで、彼等をあらゆる分野で光を放つ人材に育てるべく、慈しむように教え育んでいる大学も存在する。そしてそういう大学からは毎年、立派な人材が巣立っているのである。
学生たちの「学問の薫りに触れたい」という思いを、教授陣をはじめ、いまどきの大学関係者はもっと汲み取り、彼等を素晴らしい人材にするべく、真剣に指導すべきなのではないか。
その点、茂木先生は幸せな方なのではないか。幾人かの素晴らしい師の出会いが、現在の茂木先生を形成したのは確かだと思う。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/10/17 18:26:44
わたしは平成3年に『ゲーデル・エッシャ・バッハ』という書物に出会い、3日でそれを100%読破した後、アルバイトしながら20年間の歳月を掛けて”意味論的空間トポロジー”を創出しました。ダニエル・デネットあるいはデビッド・チャーマーズの10000万倍の仕事を終了させました。もし、あなたがソシュールの思想を100%理解しており、かつ、数学のトポロジーを大学院レベルあるいは博士レベルぐらいの素養がおありでしたら、(Zornの補題を理解できる程度でかまいません)資料をお見せしてもかまいません。(もちろん無料で!)
投稿: モツニ | 2005/10/17 14:05:43
はじめまして。モツニ(msaicc)と申します。
1949年生まれの56才の男性です。
さて、本物の学問は本物の天才にのみ存在するものです!
それは、大学にでも、会社にでも、役所にでも、その他どのにも存在しませんが、逆に、ガレージにも、おんぼろプレハブにも、収容所の一部屋のなかにも存在します。
要は、”決して没することのないもの”、”ピュシスそのもの”、”ロゴスそのもの”、”アレーティア(=非覆蔵)”そのようなところから、一切に離在したところから、私たちに臨んでくるのではないでしょうか…
以上、頭のおかしいモツニおじさんでした。
投稿: モツニ哲学者 | 2005/10/17 13:53:00