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2005/10/17

立ち上がれ

 上野の森美術館で、
Uprise展をやっている
 芸大彫刻科の石井琢郎、
小俣英彦、今野健太の3人と、
上野の森美術館、学芸員の
坂本暁美さんと座談会をした。

 その時にも言ったが、
近来にないすがすがしい気分になった。

 これから世に出ようといろいろ
模索している時にあらわれる
「あわい」のような気分が何とも言えない。

 石井くんがずいぶん真剣にいろいろな
ことを考えていることは伝わってきたし、
 小俣くんが、あえて言葉にしない
領域に託そうとしていることは
わかった。 
 今野くんの技術的なディテールへの
こだわりにも共感できた。

 人間、「どうなるか判らない」という
偶有性を失った時に、「終わってしまう」
のであって、
 ルビコン川を渡り続けなければならない
のである。

 石井くんは、展覧会のwebpageに、
「現在の日本の状況を我々若い世代が生きながらに感じていること
は、表現の場というものがかなり限定されてきていて、過去の世代か
らの流れしか存在しないかのように見えることです」
と書いている。 
 だからこそのuprise(蜂起)なのだろうけど、
 そういう気持ちを持つことは
何事かを達成するための十分条件では
ないにしても、必要条件ではあると
思う。

 そんな石井くんたちの気配が伝わってきたから、
すがすがしい気分になれたのだと思う。

 立ち上がれ。
 それで、結局ダメでも、いいじゃないか。

10月 17, 2005 at 07:10 午前 |

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私が作曲を真剣に取り組み始めた20歳の頃、ある大御所の作曲家に、私は才能あります [続きを読む]

受信: 2005/10/17 9:16:22

コメント

茂木さんが、対談のときに、無限への思考、とかおっしゃった記憶が、曖昧なんだけどあってさ、有限が微笑んでいくと、いったいなんなのかしらん、手に残されるひやり感、彫刻が作品の経過として表れるだけとしても、手によって作られるなんて罪悪がアタシをいてもたってもいられない気分にさせる。

投稿: 東次郎 | 2005/10/19 9:48:57

Uplise展について茂木さんがテキストを書かれているのを見て、これは一ぺん見に言ったほうがいい!と思い、現地に向かいました。

見ると、会場には、3つの非常にインパクトの強い作品が展示されて居ました。

私が特に心引かれたのは小俣氏の作品と、今野氏のそれでした。
5時からの座談にも出席して、今野氏の作品についての感想を述べたのですが、その中で私が「哲学不在」という、場違いな言葉を発してしまったので、彼がとても困惑した表情になってしまったのが自分でも申し訳なく思っています。茂木さんも少々考えこまれていたように記憶しています。
ここで座談では言えなかったお二人の作品について思ったことをこの場を借りて述べてみたいと思います。長くなりますが何卒ご容赦下さいますようお願い致します。
・小俣作品―作品全体が一つの樹木のように見え、しかも枯れ木のようなので、一つの死を
意味している。この心臓は、今の今まで動いていたのが止まってしまってそのまま樹の姿になったんだ…。動物から植物への変化、あるいは一つの死からまた新たな生へと転化した姿。
今野作品―小さい人物として表わされている「自分の心」が等身大の「自分の肉体」に寄りかかっている姿。自分が寄ってたつものは結局自分しかないという自己帰結の姿に見える。この大きい方の自分も、なにか顔に不安の表情を抱えているように見えた。
実は私はいろんな角度からこの像を見ていた。この立像の顔を左から見ると、不安にさいなまれているように見える。反対に右から見てみると、そんな不安を吹き払って、明日へと向かいたいという表情に見える。この彫像は不安に駆られ、不自由を抱えながらも、しかし、それは何が起こるか分からない未来を志向しゆく若者の姿なのではないだろうか。
最後に石井氏の作品について。
モノクロ印刷されたショーウィンドーの写真の色合いが薄くなるその先に、白い四角のカタマリがどーんと置かれている。これがネット時代に生きる私たちのあいまいになりゆく身体性を表現しているのだろうか。
実はこういうコンテンポラリー系の展覧会や座談を聞くのは初めての経験でした。その中で自分は場違いな存在だったかもしれない。あきらかに浮いている自分がいたのです。正直いって不安でした。しかし、こういう世界があるということはいささかなりとも確認できたと思います。というわけで、この催しは私のようなコンテンポラリー初心者にとっても大変貴重な体験になったと思います。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/10/17 20:13:10

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