見える才能と見えない才能
ヨミウリ・ウィークリー
2005年11月 13日号
(2005年10月31日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第76回
見える才能と見えない才能
一部引用
美人であることは表面的な属性だと思われがちだが、顔立ちも実は才能の一部である。タレントとしての素質のかなりの部分を、目鼻立ちが占めるのはむしろ当然だろう。その時々に、流行の顔というか、ぱっと見て人の心を惹きつける姿かたちというものはある。ある女優がまだデビューする前に原宿を歩いたら、数人のスカウトに声を掛けられたという話を聞いたことがある。そのような顔をしているということも、立派な才能だと考えることには何の不自然さもない
一方、普通に言う「才能」は、顔のように目に見えるものではない。モーツァルトがピアノで素晴らしい即興演奏をしたり、アインシュタインがヴァイオリンを弾きながら物理学の問題を考えたり、あるいはゴッホが絵の構想を思い描いたりするプロセスは、確かに、目に見えることではない。
このような目に見えない「才能」を支えているのは、脳の働きである。脳の働きとは、言い換えれば、つまりは、脳の中の神経細胞のネットワークの結合のパターンのことである。神経細胞と神経細胞がどのようにつながっているかということも、一般的な意味においては「姿かたち」であり、その点において、顔のかたちと何ら変わらないということさえできる。
私たちは、お互いに脳の中身を見ることはできないが、もし透けていて見ることができたらどうだったろう。神経細胞が活動する度にぴかぴか光って、そのパターンが外から観察できたらどうなっていたろう。そのようなことがもしあったら、モーツァルトや、アインシュタイン、ゴッホの才能も、「目に見える」ものになっていたろう。そうなっていたら、私たちは、アタマの良し悪しも、また、美人かどうかということと同じように考えていたのではないか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
10月 30, 2005 at 07:23 午前 | Permalink
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