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2005/10/22

ネイティヴ化計画

「ヨミウリ・ウィークリー」の
笠間亜紀子さん。
 最近の「脳を鍛える」ブームについて。

 The Brain Club (研究室のゼミ)
 修士一年の大久保ふみ、箆伊智充、星野英一
がどのような研究をするか、
 アイデアを発表する。
 問題意識はとても判るのだけれども、
 まだ具体的な実験系やモデル・システム
に落とすことが出来ていない。
 20編くらい関連論文を
読むと見えてくるのではないか。

 朝日カルチャーセンター
『脳と文学』の第一回。
 「文脈」をテーマに、
視覚におけるcontextual perceptionの
論文を読み、
 小林秀雄の『無常といふこと』を
とりあげる。

 映画は小津安二郎『麦秋』

 終了後、懇談。
 PHPエディターズ・グループの
石井高弘さんが、後輩を紹介したい、
と北村緑さんを連れてくる。
 NHKおはよう日本の谷卓生さんも。

 その他、NTT出版の牧野彰久さん、
ちくま書房の伊藤笑子さんなど
編集者関係で周囲をかためられて、
苦しい思いがした(笑)
 
 明けて今朝、先日届いたLittle Britain 2nd series
のDVDをだらだらしながら見る。
 久しぶりに少しゆっくりした。

 とは言っても、好きなコメディの話だし、
英語Native化計画の一環だから、
 仕事の一部だと言えないこともない。

 言葉というものは、結局、生きて常に
変化するものだから、nativeである
ということの言葉の作用は、結局「生きる」
ということとエネルギーやダイナミクスに
おいて等価になる。

 日本の文部科学省のように、「中学で
学ぶ英単語はこれだけ」などとsmall worldを
つくっていたら、絶対に「生きる」という
ことの切実さに接続などできない。
 英検一級とか、TOEICとか、ああいう
ことも意味がない。
 そのレベルをクリアした後で
(そんなことをクリアしなくても)
無限の世界が広がる。

 そのことは、私たちが普段日本語を使って
いかに必死に生きているかということを
思い越せばすぐに判るだろう。
 
 言葉を話すということは、生きるということである。
それが判っていないから、いつまで経っても
日本の英語教育はまともなものにならない。
 ここで書いていることは、「無常といふこと」
のテーマと無関係でもない。

10月 22, 2005 at 12:13 午後 |

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コメント

 母が「中国などと違って、日本は英語を教えても誰も使えるようにならない。」と言っていたことを思い出します。今にして思えばなかなか鋭いことを言っていたのかも。

投稿: cosmos | 2005/10/23 1:09:16

>言葉を話すことは、生きるということである。
それが判っていないから、日本の英語教育は
まともなものにならない。
人間、生きる為には喋らなくてはならない。それは人としての生のダイナミクスや、エネルギーと密接につながることなのですね。
おっしゃる通り、文部科学省はそういったことがまるで理解できていないから、「中学で学ぶ英語はこれだけ」などと、茂木さんの言われる「small World」をつくって、そこに学生たちを押しこめ、“必要最低限”の言葉しか教えていない。そういう語学教育しかうけていない日本人が、果たして本当に世界に通用する人材になれるのか。答えはノーでしょう。
日本人が英語圏ネイティヴのように英語を話せるようになるには、文部科学省が推奨する「小さな世界」にくるりと背を向け、英語が常時飛び交っている英語圏の世界に、自ら勇気を持って飛びこむ以外にないのかもしれません。
もちろん、英検もTOEICも、日本人がネイティヴと同じような英語をしゃべるためには、なんの役にも立ちますまい。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/10/23 0:14:53

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