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2005/10/27

知の青天井

慶應大学の日吉キャンパスに行くのは
久しぶりだった。

 駅で降り、雨が降りそうだったので
傘を買い、
 それからとぼとぼと歩いた。
 まだ少し時間があったので、
ふらふらしていると、
 大きなフィールドがあって
 サッカーをしていた。

 ベンチに座ってぼんやりしていたら、
高校一年の夏に初めてカナダに行き
ホームステイした
時のことが思い出された。
 あの頃、カナダ人たちは、
皆「retirement」の話を
していた。
 人生を降りるわけではないが、
定期的、継続的に何かをやるという
コミットメントからは降りて、
 自由に時間を使う。
 ホームパーティーで、ピクニックで、
 そのような区切りへのあこがれを
もって大人たちが話しているのを、
 日本でそんな話に触れたことが
ないティーンエージャーの私は
 新鮮な驚きをもって聞いていた。

 retirementのことを突然思い出したのは、
最近あまりにもon-timeが多すぎて
 疲れ気味だからだろう。
 引きこもって、エッセンシャルな問題を
ゆったりと考えてみたい。
 そうは思っていても、なかなか
うまくはいかない。
 できることは、目の前の仕事を
一生懸命やりながら、
 少しずつ、少しずつセレクト
していくことでしかない。

 大きな階段教室。
 聞けば、皆学部一年生だということで、
急遽高度な内容は端折って、できるだけ
一般的な例を使って話す。

 授業を終え、
 研究所に向かう時、大学4年間で
起こること(起こるべきこと)は何なのだろう
と考えた。
 
 思うに、高校までと大学との最大の差は、
「青天井」になることではないか。
 決まった範囲で問題を解く技巧を競う
受験時代と違って、
 大学に入ったとたん、知的アチーヴメントの
天井がなくなる。
 上を見れば、どこまでもはるかに深遠な
知の世界が広がっている。
 その知の世界の前では、大学の先生と
いえどもひょっ子に過ぎず、
 手に手を携えて
学生たちとともに幾ら昇っても尽きぬ
知の階段を目指す、
 そんな雰囲気が「アカデミズム」ではないか。

 そのような大学の「理想」から考えると、
最近のキャンパスにはどうもお気楽なエンタティンメント
の雰囲気が忍び寄っている気がしないでもない。
 無限に続く知の階段は、
 別に単位を取るのが難しいとか、
授業の出席チェックが厳格であるとか、
 そういうレベルの話ではない。
 試験や成績など、そういうレベルの
話は本当はどうでも良い。
 それでは高校に戻ってしまう。
 知の青天井の下で、いかに上を
真摯にみはるかし、
 高みを目指すかということが
本来アカデミズムの役割のはずなのだが。

 そんなことを考えていたら、
retirementしなくてもまあいいか、
と思えた。
 引退したいのは、単なるパフォーマンス
としての現世だったらしい。
 未踏の世界を目指す仕事ならば、
 on-timeがずっと続いてもいいかもしれない。
 それは生きることだから。

10月 27, 2005 at 06:43 午前 |

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コメント

 生涯現役で走り通す事は、昔からの憧れでしたが、積み上げられていく読みかけの本などを見ていると、リアイアしてでも一度じっくり自分の心の大整理をするべきかなとも思います。

投稿: cosmos | 2005/10/27 19:29:06

今日の記事を拝見して、今から十数年前、大学改革が言われ始めた頃、当時の恩師が言っていた言葉を思い出しました。「もっともらしいことを言う人はたくさんいるが、自分も含め、いわゆる『楽勝科目』でない授業がどれだけあるのか。本当は、教員も学生も、もっと地道に、真面目に学問に取り組む以外に改革の方法などないのだ。」

投稿: shiba | 2005/10/27 17:16:42

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