気合いの入ったやつはどこにでも
神楽坂で
金森修さんと2時間対談。
金森さんとお会いするのは、数年前の
「養老孟司シンポジウム」以来である。
あの頃、金森さんは『サイエンス・ウォーズ』
を出版され、「時の人」だった。
山上会館でのシンポジウムが終わった後、
本郷三丁目の居酒屋で飲んでいる時、
金森さんが「いやあ、こんなフレンチ・
ジョークがあるんだけどね」
と紹介したネタが素晴らしく、
それから私は何十人にも「金森ジョーク」を
伝播している。
生まれて以来、ずっとビリ。学業もビリ、
女にももてず、仕事もぱっとしない。
そんな男が、生涯でたった一度だけ
一位になったことがある、
というジョークなのだが、
(ヒント:人生の本当に一番最初)
それで、一気に金森さんは信用
できる人だと思った。
人生の最初に一位になって、
その結果この世に生を受けたことに
比べたら、生まれた後ずっとビリなんて
ことは本当にどうでも良いことなのではないか。
対談は脳から生命倫理まで、幅広く。
驚いたのは、金森さんの早口で、
私は大抵の人より早口だが、
その私が「あれれ」と思うくらい
機関銃のように金森さんは喋った。
金森さんはパリ留学が長い。
それで思い出したことがある。
昔、ものすごいスピードで歩くのを
習慣としていた頃がある。
東京を歩いていて、抜かすことはあっても
抜かされることはなかったが、
ある日、パリを訪れてパレ・ロワイヤルから
北駅まで歩いた時、
パリジャン、パリジェンヌが
次々と私を抜いて行くので
「こいつらはなんでこんなに速く歩けるんだ!」
と内心ひどく動揺したことがある。
その記憶がよみがえってきた。
北の丸公園を抜けて読売新聞本社まで歩く。
近くのカフェで、講談社の森定泉さんと
お話する。
来年あたり、というゆるゆるした課題。
読書委員会。
本の評価を巡り、こわいおじ様たちと
ちょっと議論してしまった。
どこに行っても予定調和と行かないのが
私の性である。
くわばらくわばら。
終了後のパレス・ホテルでの懇談で、
町田康さんと「パンク談義」をしたのが
楽しかった。
町田さんは私と同じ1962年生まれ。
パンクを始めたが1978年で、
日本では草分けらしい。
「オレたちの頃は、年上のやつらが
やっているバンドなんて、くそくらえと
思っていたのに、最近の若いやつらは、
オレたちのことをリスペクトしやがるん
だよな。ちょっとそれは違うじゃないかと
思う」
と町田さん。
反抗することが最大のリスペクト、
ということは確かにあるのではないか。
反抗するにはエネルギーがいる。
中野不二男さんが、「最近の若いノンフィクション
ライターには粘りがないんだよな!」と
言っていたこととも符合するが、
しかし気合いの入ったやつは必ずいて、
私も実際何人か知っている。
未来のカナモリマチダナカノは
必ずいるはずだ。
10月 12, 2005 at 06:29 午前 | Permalink
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コメント
はじめまして
毎回、楽しく拝見させて頂いております。
「同じ理由でうまれ、違う理由で生きていく」
フレンチ・ジョークを読んで思い出した歌詞です
。
投稿: ヨコヤマヨウジ | 2005/10/14 1:23:54
今晩は。
きょうアクセスしたら、英文の「Qualia journal」、更新されてましたね。
なんでもススキにまつわる話題のようですね。
(英語がわからなくてごめんなさい…)
きょうのエントリーを見ていて、今どきの若者には粘りと反抗がない、と世間の大人たちは思いがちなのですよね。でも、金森・町田・中野の3氏のような、気合いと情熱の入った青年たちは必ずどこかにいると私も確信しています。
彼等未来のカナモリマチダナカノに負けないよう、自分も気合いを入れて頑張らなくては、と思うものであります。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/10/12 19:58:57