あすへの話題 まだ見ぬクオリアを求めて
あすへの話題 まだ見ぬクオリアを求めて
茂木健一郎
現代の科学では、意識の中で感じる様々な質感を「クオリア」と言う。ここ十年、脳科学の急激な発展により、いよいよ人間の意識もその探究の対象になってきた。世界的に、「クオリア」をはじめとする意識の問題に科学的方法論で取り組もうという機運が高まってきている。
クオリアは科学的テーマとしては難解だが、私たちに身近な概念でもある。味覚の秋。新しい食べ物を口にする時のワクワクする感覚は、新しいクオリアとの出会いでもある。
京都の有名な料亭で初めてすっぽん鍋を食べた時には、未だ口にしたことがないクオリアに胸を躍らせた。魚でもない、獣でもない。まさに異次元としか表現のしようのない滋味は、記憶に鮮明に焼き付いている。
身体の維持、成長に様々な栄養素が必要なように、私たちの脳が育っていく上でも、様々なクオリアとの出会いが必要である。インターネット全盛の今日だからこそ、「本物」を体験することが大切になる。
高価なもの、高級なものだけが本物のクオリアなのではない。さわやかな秋の一日、身近な雑木林をのんびりと歩けば、他の体験では得られないクオリアが得られる。ふと見上げた夕方の空にかかるあかね雲は、どんなに豪華な宝飾品よりも、見る者に感銘を与える。
心をゆさぶるクオリアが、日常のあらゆる場面に存在している。その恵みに気付くことは、人生を豊かにしてくれる。
クオリアに満ちた私たちの意識は、脳の中の一千億の神経細胞の活動からどのように生み出されてくるのか? この人類にとっての究極の謎に、これからも取り組んで行きたいと思う。
(日本経済新聞2005年10月6日夕刊掲載)
10月 7, 2005 at 07:42 午前 | Permalink
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コメント
魂を揺さぶるさまざまなクオリアは、私たちの脳に豊かな滋養を与えてくれる。人間が意識をもつ生き物である以上、意識の中で立ち上がる種々のクオリアは、一生私たちの脳とともにある。もし、クオリアがなかったら、人間はそれこそ生ける屍となってしまうのではないか。
朝露に濡れる草花、雨の降り始めに感じるほこりっぽく湿った匂い、香水の芳しい薫り、人肌のぬくぬくした感触。それらを、人は人生のラストステージを迎えるそのときまで感じ続け、豊穣な魂につくりあげるのだ。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/10/08 21:06:29