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2005/09/16

(本日)視点・論点 「小林秀雄に学ぶ話し言葉の魅力」

本日(2005年9月16日) 午後10時50分〜11時

NHK教育テレビ
視点・論点
「小林秀雄に学ぶ話し言葉の魅力」 茂木健一郎

http://www3.nhk.or.jp/hensei/ch3/20050916/frame_18-24.html

9月 16, 2005 at 07:50 午前 |

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コメント

私も小林秀雄の影響を受けた者です。小林さんは、東大時代からランボーと同時にベルクソンの思想に大きな(あるいは最も大きな)影響を受けました。ベルクソン哲学の中核である概念「エランヴィタール」こそ小林秀雄の批評家としての根底にあるものだと思っています。「エランヴィタール」とは、対象を
(ベルクソンの言葉で言えば)「イマージュ」と一体に成ることだと言います。小林秀雄の批評の姿勢にもそれがある。彼はドストエフスキーやモーツァルトをイマージュとして捉え、それと一体となって生きることを試みた。それが彼の評論の言葉となって現れた。それは「ドストエフスキーの生活」の序「歴史について」を読めば判然とします。曰く「次の質問は僕等に必至である。其処で成功しているのは、鏡に映つた自然の方なのかそれとも鏡を磨いた人間のほうなのか、と。唯物論者は、・・云々・・観念論者は・
・(中略)・・そしてこの形而上学的質問は、僕等が止む無く自分たちの発明した時間の方へ還ろうとする、まさしく其処に現れる他何処に現れえようか。」ここに小林さんの批評家としての生き様がある!
この行為の産物こそ小林秀雄の評論です。私も小林秀雄やベルクソンの様に生きて生きたい!です。私の大好きなベルクソンの言葉は「創造的進化」の末尾の次の文章です。「人類全体は、空間においても時間においても、一つの巨大な軍団をなし、われわれ一人一人のかたわら、われわれの前、われわれの後を驀進する。そのめざましい進撃は、あらゆる抵抗を撃破し、幾多の障害を、おそらくは死をさえも、克服することができよう。」茂木先生の「生きて死ぬ私」を拝読し、このベルクソンの言葉を思い出した次第です。私にとってベルクソンや小林秀雄は、まさに「生きることの意味」を教えてくれた偉大な「人生の師」です!

投稿: | 2008/07/13 5:37:13

放送を拝見させていただきました。

話し言葉でも書き言葉でも、「言葉」の中には
生命の躍動(茂木さんはよくこれを「エラン・ヴィタール」と呼ばれていますが、今回の放送でもこれが出てきましたね)があるものなのですね。話し言葉、書き言葉の区別を問わず、
生命の躍動をもたらす言葉というもの
は、その言葉を言っている人、或いは書いている人(発信先)自体の生命が躍動しているから、その「言葉」を読んだり聞いたりする人(受け手)の生命をも揺さぶり、躍動させるものなのではと常に思います。
小林秀雄のような偉人の言葉であっても、また、そこらへんにいるおじいちゃんおばあちゃんのそれであっても、いのちの躍動感あふれる、重みのある言葉ほど人を感動させ、その人の中にエラン・ヴィタールを巻き起こすものはないと思います。
昨今の子供じみた文芸作品や、薄っぺらな文言で埋め尽くされたくだらない週刊誌などは、はたして我々の心の中にどれだけのエラン・ヴィタールをもたらしてくれているのでしょうか。これらを発信している人々の生命ははたして躍動しているのでしょうか?

投稿: 銀鏡反応 | 2005/09/18 7:39:08

話し言葉からも書き言葉からも、「一言」の裏側にあるたくさんの「黄金」を見つけられるようになりたいなあ、と昨年の茂木さんの日記からも思いました。
(私の大学院の時の  投稿者: Lucky Strike  投稿日: 9月24日(金)

投稿: | 2005/09/17 0:48:59

正座しながら聞いてました。小林秀雄賞おめでとうございます。私も心脳問題に興味があります。小林秀雄のテープは何回も聞いていますしiPodにもいれてます。もっとみんな聞くべきとおもいます。これからも漱石やベルクソン(今日もエランビタールという言葉が出ましたね)についても大いに語ってください。

投稿: | 2005/09/16 23:29:20

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