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2005/09/19

総合芸術

そういえば中秋の名月だな、
と思って、空を見上げたら、
 そこにあり、
 10秒間だけ月見をした。

すすき、虫の音、ほほを渡る風、
熱い季節が続いた記憶、
 それもようやく終わりだという安堵、
 やがて寒さが来るという予感
 収穫の喜び
 そのようなものが総合して
「月見」のクオリアが出来るのであって、
 まさに総合芸術だ。

 ワグナーが理論化する前から、
実は全ては総合芸術だったのであって、
 つまりは人間の脳はさまざまな文脈、
記憶を総合してあるクオリアを創り上げる
のである。

 人間のパーソナリティーもまたしかり。
 「月見」のような儚くもさわやかな
人は得難いがいないことはない。
 かぐや姫の寓話はつまりそういうことではないか。

9月 19, 2005 at 05:57 午前 |

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» 銀の月 トラックバック 御林守河村家を守る会
お客さまが6時半にお見えになったときには、まだ月はありませんでした。 さきに新宅のほうでお弁当をいただくことにしました。 酒もすすみ、来客の文学談が佳境にはいりはじめたころ、山の端に月があらわれました。 7時半ごろです。 私もはじめてみるような、おおきな... [続きを読む]

受信: 2005/09/19 9:19:21

コメント

この前の意見にも通じると思いますが、人間が生きていく上で「画が見える」という事、非常に大事なのではないかという気がします。私が今まで生きてきた中でも、多少、人に評価して貰えたかなと思える経験を振り返ってみても、頭の中で言葉をひねくり回すより、瞬間的に「画が見えた」というか、閃きが一番に来たと思います。「月見」という現実が頭の中に蓄積されて、どんな「画」を導き出すのか。
一人一人違うのでしょうが、より、鮮明な情感を記憶の「画」に残せる人が、小津安二郎や小林英雄の世界に近付けるのかもしれないですね。

投稿: 水瓶座 | 2005/09/19 23:50:53

うちの姪っ子、甥っ子が母親(私の妹です)といっしょに我が家に遊びに来ました。
きょうは中秋の名月ということで、夜になって、姪っ子が突然「お月見しよう」と言い出して、
串団子や兎のぬいぐるみ(ミッフィー)といっしょにベランダに出て、お月見をしました。我が家の母もいっしょです。
私もベランダに出て満月を見上げましたが、冴え冴えとした満月の白い姿が、下界の穢れた世相を浄化するようなたたずまいで輝いておりました。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/09/19 19:21:29

ははは。「いがらん」じゃなかった。ここでは、私は、「イガラシシゲル」でいいのだった。
『脳整理法』売れてるようです。今日わが町の書店を2軒見たが、ちくま新書の新刊平積みから『脳整理法』だけがなくなっていた。

贅沢は言わない。秋の夜長には燗の酒と雰囲気のいい居酒屋、隣にはあの人が居ればいい。

投稿: イガラシシゲル | 2005/09/19 13:59:59

五十嵐さまごぶさたしております。
コメント、ありがとうございます。

そのうち、またぜひ酒に月ならぬ電灯を映す会を
やりましょう。

投稿: 茂木健一郎 | 2005/09/19 11:09:29

脳は、いつでも、まとめたがる。

中秋の名月というクオリアは、日本人のどれだけの感覚、感慨、別離、再会など、美的経験を無限に吸収していることでしょうか。

投稿: いがらん | 2005/09/19 10:40:21

私も観月会をたのしみました。
来年の中秋の名月には、ぜひお出でいただきたく存じます。

投稿: 河村隆夫 | 2005/09/19 9:22:34

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