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2005/09/20

義務(obligation)と引退(retirement)

 ただひたすら仕事を続けていた
連休だった。
 それでも、仕事が終わらない。義理を
果たすことができない。

 手と頭を動かしながら、考えていたことは
二つ。
 一つは、「引退」(retirement)という
ことばの甘美さ。

 15歳の時、はじめて外国(Canada)に行った
時、それまでの人生でほとんど聞いたことが
なかった単語をいくつか聞いたが、
 retirementもそうだった。
 
 「今、仕事を一生懸命して、retireするんだ!」
と目を輝かせて言う人にぽろぽろと会った。

 それも、retireする年齢が40とか50とか、
早ければ早いほど良い、そんな人たちがいた。

 大橋巨泉さんがしばらく前にretireを宣言
していたけれども、
 カナダ暮らしが長い大橋さんがそのような
発想になるのは、とても良く判る。

 経済的にそれほど早くretireすることは
難しいことだろうけれども、
 一つのメタファーとしては救いになる。
 どうせ、私なんかの場合は、retireを宣言した
後でも何か勝手にやり続けるだろうが、
 「生涯現役」では得られない
甘美な感覚がretirementを考えることで
得られることは事実だ。

 もう一つ、obligationということ。
 原稿にしても、
 論文にしても、
 講演にしていも、
その他もろもろにしても、
 最近の私の仕事時間は、ほとんどが
obligation(義務)で占められている。

 もちろん、イヤイヤやっているとか、
そのようなことではない。
 内容はあくまでも私の自由に任せられている
わけだし、
 偶有性の海に飛び込む喜びをもって
仕事に向かっているのだが、
 それにしても、deadline(締め切り)に
追われ続けているという意味では
obligationをエンジンとしていることには
変わりがない。

 もっとも、obligationは、必ずしも
人に対するものとは限らない。
 ケンブリッジの恩師、Horace Barlowも、
広い意味でのobligationを原動力としていた。
 科学の研究をして、真理を明らかにすることが、
自分のobligationであるとしばしば
漏らしていた。

 月を見ていると、昼間は地球の
大気によって邪魔されている宇宙への
ヴィスタが広がり、
 より広大な世界と直結しているような
気がする。

 retirementやobligationについて
考えていると、似たような感覚になるのは
なぜだろう。
 日本のメディアに充満している
ある雰囲気を取っ払ってしまって、
その向こうの月を眺めると、
 そこには案外魂にとって気持ちのよい
世界が広がっているようにも思う。

9月 20, 2005 at 04:26 午前 |

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