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2005/09/08

individuality

授業を終え、京都近辺で見ておきたいものを
3つ見た。

 まず第一に、嵯峨野の大河内山荘
の下の竹林。

 この前来たのは、10年ほど前だったろうか。
 その時の圧倒された記憶が、今回も
確認され、強化される。

 ここの竹たちは、何か特別なものを
持っている。
 それが丹念な手入れのたまものであることは、
さらに下った凡庸な竹林と比較すれば判る。

 また一つ、言語化できない何かの感触が
宿題を残した。

 広隆寺に行き、弥勒菩薩半跏思惟像を拝見する。
これは、十数年ぶりか。

 前回来たときは、「おしら様哲学者」
塩谷賢と一緒だった。
 「あのお姿に憧れた大学生が抱きついて、
指が折れた事件がある」と塩谷が汗を拭きながら言って
いたのが昨日のことのように。

 じっと見ているうちに、一番大事なことは
individualityだと思い至る。
 なぜ、この小さな像が国宝第一号になり、
かけがえのないものになるのか。
 意識の成り立ちにしても、人生の修業の目的に
しても、
 結局はこのindividuality(この宇宙に並び立つ
ものなく、かけがえのないもの)を目指した
運動として捉えられるはずだ。

 カントの、「他人を手段ではなく目的とせよ」
という格率も、individualityに関わっている。

 国宝第一号が、百済伝来であり、
もともとは全身金箔で覆われていた、
というのがしみじみ良い。
 individualityの背後に必ずある偶有性。

 3つ目は、大山崎山荘美術館での
内藤礼展。

 建物も素晴らしかったし、モネの睡蓮の
絵も良かった。

 内藤さんの作品は、モネの睡蓮たちの
中に、そこだけ白く静かに佇んでいた。

 吹きかけることで生まれるかすかな
運動が、永遠の静止の中に小さな波紋を
もたらす。
 
 まぎれもないindividuality。

 「船送り」の儀式は、きっと
地上に震えるなにものかを現出させるだろう。

 帰りの新幹線の中、美と、クオリアと、
individualityと、脳内の報酬系のダイナミクスと、
記憶と、文化と、他者と、偶有性と、様々な
ことがぐるぐるして回り始めた。

9月 8, 2005 at 07:56 午前 |

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» こんなのもフェルトセンス トラックバック † tangine †
以前、 気持ちにふれるだけがフォーカシングではないというエントリを書きました。 実例になりそうなものを見つけたので、引用させていただきます。 引用元は、茂木健一郎 クオリア日記 のSeptember 08, 2005付の記事individualityです。 ここの竹たちは、何か特別な....... [続きを読む]

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