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2005/09/30

(本日)創造力-クリエティビティ-とは何か

創造力-クリエティビティ-とは何か
『Diversity KYOTO-多様性が創造する未来』 
日 時
2005年9月30日(金) 18:00〜20:30(開場 17:30)
場 所
京都造形芸術大学 芝生広場  
※人間館ギャルリ・オーブ屋上。 雨天の場合、会場を変更することもあります。
パネリスト
タナカノリユキ(クリエイティブディレクター、アートディレクター、映像ディレクター)
黛 まどか(俳人)
茂木健一郎(脳科学者、京都造形芸術大学客員教授)
山下 泰裕(柔道家、東海大学教授)
モデレーター
椿 昇(現代美術家、京都造形芸術大学教授)
主 催
京都造形芸術大学 国際藝術研究センター
お問い合せ
京都造形芸術大学 国際藝術研究センター  世界アーティストサミット事務局 杉浦・岸本
Tel:075−791−9132/Fax:075−791−9181

http://www.acic.kyoto-art.ac.jp/now/2005/09/summit/summit.html
 
http://artists-summit.jp/program/pre/

9月 30, 2005 at 07:48 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

いのちの響きそのものか

研究所合宿二日目。
 私たち脳グループの発表もある。
 私、田谷文彦、張キの順番。

 その前に、北野宏明さんの
システム生物学、
 高安秀樹さんの経済物理学の
研究発表。

 ソニーCSLの伝統は、
お互いに余計な遠慮をせずに
本音をぶつけあうところだろうか。
 本来学問というのはそうあるべきで、
 社会のしがらみあれこれは
関係ない。

 良い雑誌に論文を発表するとか、
 賞をもらうとか、
そういう社会的文脈よりも、
 「本当のことを知る」という
知的探求心の方が大切なはずだ。
 データのねつ造をしてしまう
事件が時々報道されるが、
 「自然がどうなっているのか、
本当のことを知りたい」
という欲望に素直に従って
いれば、そんなことも
起こらないのではないか。

 昼間たっぷり議論して、
夜は、もともとは伊藤博文の別邸で、
 今はプリンスホテルの別館になっている
 滄浪閣で中華料理を食べた。

 この季節は、夜風が本当に涼しくて
気持ちが良い。
 大磯プリンスホテルの
周囲をぶらぶらしていると、
 いたるところから虫の声が聞こえてくる。
 この分では、この時期の日本列島は、
北から南まで、まんべんなく虫の声に包まれている
のではないか。

 そういえば、内田百間(門の中に月)にこんな
文章があった。

 保土ヶ谷の隧道を出てから、それは夜で外が暗くてもこちらで見当をつけているから、隧道は解るのだが、隧道を出たと思うと、線路の近くで蛙の鳴いている声が聞こえて来た。蛙の鳴く時候ではあるし、夜ではあり、そうだろうと思った。
 放心した気持で、聞くともなしに聞いていたが、暫らくすると、或はそうでないかも知れないと思い出した。蛙の声にしては、あまりいつ迄も同じ調子である。又その調子が規則正しく繰り返しているのがおかしい。蛙の声でなく、車輪の軋む響きが伝わって聞こえるのかも知れない。そう思って聞くと、そうらしい。そうだろうと思った。

(内田百間「鹿児島阿房列車 前章」)

 生きるということは、常に内なるいのちの
調子を鳴り響かせ続けるということなのだろう。
 そういえば、私の心臓は生まれてからこの方
ずっと働いてくれている。
 百間が聞いたのは、命の響きそのものか。

9月 30, 2005 at 07:42 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005/09/29

大磯ロングサーベイ

大磯に来るのは、初めてかもしれない。
 「大磯ロングビーチ」というのは名前は
前から知っていたが、
 それが大磯プリンスホテルに付設
されたプール群を指す、
ということは今回初めて知った。

 窓から見ていると、
一つのプールに水鳥たちが憩っている。
 なぜそのプールが好まれたのか。
 周縁が垂直に落ち込まずに、
それだけ「遠浅」になっている。
 それが鳥たちのお気に召したらしい。

 水鳥は遠浅のプールを好む。
また一つ、地球のかけがえのなさを知りました。

 研究所の合宿は、朝から晩まで
ずっと研究のプレゼンテーションとディスカッション。
一日目は暦本純一さんの率いるユーザーインターフェイス
のグループ。
 面白い!

 ネットにはワイヤレスでつながって
いて
 (もちろん持ち込み。このあたりは
エクスパートが揃っている
 ソニーコンピュータサイエンス研究所
ならではである)
 話を聞きながら、ふだんゆっくりできない
サーベイをする。

 「ながら」で並列できるタスクとできない
ものがあって、
 人の話を聞きながら文章を書くのは難しい。
 文章書きに熱中すると、人の話は聞かない
ことになる。
 それに対して、キーワードを入れて
googleで検索し、論文や資料を集める
ことはながらで出来る。
 もちろん、スクリーンも見る。
 言うまでもなく、質問もする。

 忙しい。忙しいけど、
嬉しい。
 気になっていたけれども、
なかなかサーベイする時間がとれない
関連分野について、
 じっくり調べることができた。
 大磯ロングサーベイ。
 脳が喜んでいた。

 今日は、会議の合間にちょっと外を散歩して
みようかなと思う。
 ここのところ時間がタイト過ぎた。
 エッセンシャルな問題について、
遠浅のプールの縁で、
水鳥たちと一緒に考えてみよう。

9月 29, 2005 at 07:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/28

「平安の歌人」と沖縄の海

ヨミウリ・ウィークリー
2005年10月9日号
(2005年9月26日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第71回

「平安の歌人」と沖縄の海

一部引用

 遊びによって感情が活性化させられるのは、それが「予想できること」と「予想できないこと」のちょうど中間にあるからである。半ば規則的で、半ばランダムにものごとが起こること(「偶有性」)こそが、脳にとって遊びが持つ意味の本質なのである。
 人間の脳は、偶有性を持つ出来事に一番興味を持つ。完全に規則的で予想できることはつまらない。一方、何の秩序もないランダムなできごとに何時までも付き合っていても仕方がない。ちょうど良い具合に予想できることと予想できないことが混ざり合っている状態が、一番脳を刺激し、感情をかき立てるのである。
 面白い遊びは、必ず偶有性を持っている。海で魚肉ソーセージをちぎると魚が寄ってくるというのは予想ができることである。一方、手づかみしようとして果たして捕まえられるかどうかは予想ができないことである。うまくそれらの要素が混ざり合っていたからこそ、海で魚を追いかけることはとても楽しく、私の脳にとっての刺激になったのである。
 
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

9月 28, 2005 at 09:12 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

ロード生活

考えてみれば、9月24日から、私は
連続11日間の「ロード生活」に突入したの
だった。

 とは言っても、ずっと旅をしている
というわけではなく、
 タッチ&ゴーで、もどっては
また出かけていく。
 9月24日、25日 いわき市
 26日、27日 西明石
 28日、29日、30日 大磯(研究所合宿)ー>京都
 10月1日、2日 大阪(workshop)
 3日、4日、5日 恐山(青森)

 というわけで、昨日は西明石から東京に戻る。
 品川駅から研究所に歩き、すぐに
小俣圭、柳川透と研究の議論。

 小俣は、SOMでMcGurk効果における
audiovisualな非対称性を再現したが、
 それが一体どのようなことなのか、
議論。なるほど、と思った。
 一つのサプライズなり。

 柳川は、ongoing dynamicsのupstateが
出現する条件を詳細に検討。かなりの
ところまで詰めた。あとは論文を書くだけ
なり。

 午後1時、青春出版社Big Tomorrowの
取材。
 編集次長の本間大樹さんに、ポジティヴに
生きるためのノウハウについて。

 午後2時、東工大の三宅美博さんの研究室で
博士号をとり、現在ドイツのミュンヘンに
留学中の武藤剛さんのtalk。
 ずっと取り組んでいらしたwalk mateを
用いて、
 ドイツの脳損傷患者のリハビリに
応用した話。
 三つの回復のタイムスケールがある。
面白かった。

 田谷に武藤さんとの飲み会のことを頼んで、
大手町へ。
 中央公論新社の井之上達矢さんと
松本佳代子さん。
 「時評」の件と、原研哉さんとの
対談本の件。

 読売新聞社

 「ヨミウリ・ウィークリー」編集部。
二居隆司さん、川人献一編集長に
ご挨拶。
 その場でゲラをチェックする。

 読書委員会。
 書評する本が決まる。
 隣りに川上弘美さん、その向こうに
小泉今日子さん。

 そういえば、最近思ったことがある。
 偶有性(なかば規則的で、なかばランダムなこと)
を持った対象に人々は惹きつけられるが、
 テレビ・タレントというのはまさに
もっとも偶有的な存在ではないか。
 誰が人気が出るのか、人気が出ても
いつまでそれが続くのか判らない。

 だから、人々の目がタレントに惹きつけられる
のだろう。

 学問も本来は偶有的なはずだが、
実情はどうか。
 大学の先生は、一度なってしまうと
あまり偶有性と関係なくなってしまって
いないか。

 学問が生き生きしている時は、
それこそ、どんな大先生でも批判され、
失墜するかもしれない、そんな偶有性に
満ちていたのだろう。
 
 偶有的な人生を送りたい。 
 今度のロード生活はどうだろう。

9月 28, 2005 at 06:20 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/09/27

たった一日の中の並列

西明石にある、
独立行政法人 情報通信研究機構 
関西先端研究センター(KARC)を訪問。
 田谷文彦、張キさんと一緒。

 新幹線の中は、例によってずっと
仕事で、
 西明石に着く直前に終わった。

 タクシーに乗って、約15分。
 村田勉さん、精山明敏さんとは
以前にもKARCで会ったことがある。
 大阪大学の柳田敏雄さんの
脳のプロジェクトがあって、
 何回か訪れたことがあるのだ。

 食堂で、貝の筋肉の分子機構を
研究している山田章さんと遭遇。
 懐かしい。

 私が博士課程で所属した若林健之さんの
研究室で、山田さんはポスドクをしていた。
 昔の話をいろいろしているうちに、
脳の中のふだん血液が流れていない
ところが温かくなってくる感覚を持つ。

 さすが明石で、食堂のタコ飯がうまかった。

 フォーラムで、張さん、私、田谷
の順番に話す。
 もっと、脳グループを前にした
インフォーマルなtalkだと思っていたので、
少しパワーポイントの内容を
入れ替える。
 活発な質疑応答。

 fMRI、MEG、NIRSなどの装置を
見た後、
 バスに乗って居酒屋へ。
 10名くらいの方が参加。

 なぜか、村田さんとの間で
歴史論争が勃発して面白かった。
 幹事の南哲人さんはにこにこ
笑っている。
 早川友恵さんも、実は
村田さんと同じ作家が好きで、
 その作家がどうのこうのと
言っているうちに、
 ビールが空になった。
 
 田中靖人さんは海外に10年くらい
行っていた人で、
 イスラエルに5年いたという。
 私もイスラエルには1995年に
いったけど、
 それからどうなったのか。
 いろいろ話しているうちに
懐かしい気持ちになった。

 日記の書き方はいろいろある。
あるセンチメントに寄り添って
記す方法もあるし、
 今日のように起こったことを
並列的に書く方法もある。

 後者は、一日という時間経過
の中で起こったことを、
 記憶の中で見渡して、いわば
鳥瞰的に書くことであり、
 その際複数の要素が並列して
眼前するものを
どのように言葉に置き換えていくか
という命題が生じる。

 そこに現れているのは、結局は
空間の不可思議さと同じものだなと
ふと思う。

 保坂和志や、カフカが気にかけ、
とりくんできたこと。
 たった一日のうちにも、そこには
単一のセンチメントに回収できない
さまざまなものが並び立っている。

9月 27, 2005 at 07:15 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/09/26

フラワーから朝練へ

 布施英利さんとのいわき市立美術館
ワークショップの
 二日目の午前中は、
アンディー・ウォーホルの「フラワー」
の本物を眺めながら、
 それを評論する練習をした。

 うまい人もいれば、ヘタな人もいる。
 聞いているうちに、印象批評とは、
誰もがすぐに気付くようなことを
言うことではないと思った。

 その言葉に接した時に、
大きな発見があり、
 しかもすぐに心の奥まで入り込んで
きて納得する。
 そのような、強度の高い表現を
模索することが印象批評ではないか。

 ここの色がどうのこうのとか、
そういう浅い批評を聞いていると、
小林秀雄のような深度のある
評論の輝きが改めてわかる。

 それにしても、布施さんの言う
ことはいちいち面白い。
 言葉がきりりと立っている。
 作品でも評論でも、
立つことができるというのは
プロとしてやっていくために
是非とも必要なことだろう。

 帰りのスーパーひたちから
見る夕日に照らされたすすきの風情が
あまりにも素晴らしく、
 思わずモルツを買って
見とれていたら、再び
いつの間にか眠っていた。

 すすきの夢は見なかったが、
すすきが大好きだ!
という気分に包まれることができた。

 朝練というと懐かしいひびきがある。
自分のライフスタイルを見ると、
走るとしたら朝しかないと思った。
 久しぶりに朝練した。

 帰りに、ラジオ体操をやっている
人たちがいた。
 朝練からフルマラソンへ。
ちょっと無理かな。
 でも、またつくばマラソンでも何でも
いいから出てみたいな。

 すすきのように揺れる心境である。

9月 26, 2005 at 07:15 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2005/09/25

 宝船

いわき市立美術館において、
二日間にわたって行われるワークショップの
ために来た。

 朝7時上野発のスーパーひたち。
 絶対に間に合わない、というくらい
ぎりぎりだったが、
全力疾走して何とか間に合った。
 到着15分前まで仕事をしていたが、
最後に稲穂を見て弛緩していたら
 いつのまにか眠ってしまって、
 はっと気付いたらもう着いていた。

 布施英利さんが、まず光と影
に注意してのデッサンのワークショップ。
 面白い。
 光の位置によって影は変化するが、
ものの形は変わらない。
 不変に焦点を当てるか、
あるいは変化するものに注意を向けるか。

 午後は私がレクチャーしたが、
鋭い質問が沢山出て、
 どんどん高度な内容になっていった。
 おそるべし、いわき市立美術館。

 レクチャー終了後、いわき市で
「日々の新聞」を発行されている
 安竜昌弘さんと、大越章子さんと
一緒に海辺のレストランへ。
 ビールをゆったり飲みながら、
よしなしごとを話す。

 布施さんも合流して、
 寿司屋へ。
 地元の魚を食べて、
幸せな気分になった。

 布施さんの言うことは、やはり面白い。
 「マルセル・デュシャンは変化球を
投げていると思っていたが、
 実は直球を投げているのではないか。
 そのように思うことでしか、21世紀は
生きられない!」
と言う。

 寿司屋のテレビからは、折しも
「世界一受けたい授業」が流れ、
 いささか恥ずかしかったが、
 私は壁に飾られた
色紙や宝船がどうしても気になってしまった。

 デュシャンが良い、というのは、
現在の私たちにとって見れば、
確かに脈絡があり、真実のように思われるが、
それは、歴史的に脳内報酬系のダイナミクスと
記憶と認識系がぐるぐると回って、
 現在そのようなエッジが立っているだけの
話ではないのか。

 今の私たちから
すればダサク思われる、壁の上の宝船が
サイコーに「かっこいい」ものになる。
 そのような歴史も、実はあり得たのでは
ないか。

 つまりは、私たちのcontemporary artの
美意識は、
 単に西洋近代という歴史的条件に影響
されて発展してきた成長点なのではないか。

 そんなことを考えていたら、
中央と周縁のかんけいについて、
 いろいろな想いがこみ上げてきて、
 久しぶりにシミジミと考える
気分になった。

 どこにいても、結局身一つ。
中央だろうが、周縁だろうが、
 有限の人生を生きることには
変わりがない。
 デュシャンが良いと言うか、
それとも宝船の復活にかけるか。

 実入りの問題だけではなく、
とてつもなく難しいことがそこにある。
 オレの人生の選択はどうなっているのか。
 雨が降って、星も月も見えなかった。

9月 25, 2005 at 08:31 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/09/24

(本日)世界一受けたい授業

日本テレビ系列
世界一受けたい授業! 僕の先生はフィーバースペシャル
2005年9月24日(土)午後1時30分〜2時30分

http://tv.yahoo.co.jp/vhf/tokyo/2005092412.html

(先日の研究室の渡嘉敷島合宿の様子)


日本テレビ系列 「世界一受けたい授業」
2時間スペシャル
2005年9月24日(土)午後7時〜8時54分
4時限目 茂木健一郎
(アハ! 体験)

http://tv.yahoo.co.jp/vhf/tokyo/2005092419.html?g=

「世界一受けたい授業」番組ホームページ
http://www.ntv.co.jp/sekaju/

9月 24, 2005 at 04:44 午前 | | コメント (11) | トラックバック (5)

ネット上の正負の法則

ネットの発達によって、
どんなテーマに対しても、誰でも自由に
意見を表明できるようになった。

 その結果、ある事項に対して、ポジティヴな
評価だけでなく、ネガティヴな評価も
必ず混じって書き込まれるようになる。
 情報操作や管理をすることなど、
どんな権力者でも不可能で、
 書きたい人はとにかく書く。

 小林秀雄が、「愛するということからしか
創造性は生まれない」と言っているように、
私はイヤなこと、醜いことはさっさと
忘れてしまうことにしている。
 実生活で、時折、とてつもなくイヤなグルーヴを
出している人にあったりするが、
 そのような時は全力疾走でだーっと
逃げて、忘れてしまうことにしている。

 ネット上の書き込みもそうで、
自分自身や、自分にとって大切な
人、ものに対するイヤな感じの書き込み
(とりわけ、筆者自身のルサンチマンが
濃厚に漂っているもの)に出会うと、
うゎーつとは思うけれども、
 さっと忘れて私にとっての
太陽の方向を見ることにしている。

 愛すべき偉大なものはこの世に
あって、それに向き合っているだけで
人生などあっという間に過ぎてしまうからだ。

 さらに進んで、ポジティヴとネガティヴが
入り交じって初めてあるものの個性が
際だつ、ということがあるのだな、と
最近思っている。
 神経細胞のネットワークで、
興奮性結合と抑制性結合のバランスが
とれて初めてある神経細胞の機能が
成り立つように、
 社会における評価もポジティヴと
ネガティヴが入り交じるのが一番良い
のではないか。
 熱烈な
支持と、猛烈な反発をくらうくらいの
方が大物であり、本物なのではないか。
 ネットはそのあたりを如実に
視覚化する。

 親友の竹内薫の薫日記には、
ネット上でネガティヴ・オーラを
発している人に対して怒り/哀しみ/嫌悪
が時々書かれているけれども、
 実はそういう人たちがいて社会というのは
立体的になっているのかもしれないと
思う。

 高度に情報化した社会では、
ネガティヴな評価は、
実は致命傷にならない。
 それが、ここ数年様々な事象を観察して
私が達した結論である。
 無視されるのが一番の「マイナス」
で、
 全部ポジティヴというのは
どこかおかしく、
 ネガティヴとポジティヴが混ざり合うのが
一番くっきりとその対象の個性が際だつ。
 インターネット上は特にそうである。
 どうやらそんな、「ネット上の正負の法則」
が成立しそうだ。

 私自身は愛に生きたい。
 憎しみやルサンチマンは、何も
生み出さない。
 小学校5年生の時、ブルーバックス
の『アインシュタインの世界』を読んで
感じた何か。
 たとえばそのようなものを大切に
して行けば、
 人生はきっと誤らないと思う。

9月 24, 2005 at 04:41 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2005/09/23

『脳と仮想』 7刷

新潮社 『脳と仮想』はおかげさまで
増刷(7刷)が決まりました。
ご愛読に感謝いたします。

9月 23, 2005 at 12:39 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

あすへの話題 読書の秋

あすへの話題 読書の秋
茂木健一郎

 テレビやインターネットなどのメディアの発達で、人間の脳の使い方が変わってしまうのではないか。そのような心配をしている人に時々出会う。
 そんな時、私は、「心配ないですよ。そもそも、言葉が登場したことで、人間の脳の使い方は劇的に変わってしまったのですから」と答える。
 言葉というメディアが登場することで、人間の脳は新しい活動モードを獲得した。考えても見て欲しい。健康な成獣どうしが、お互いに口を動かし、目をとろんとさせて1時間でも2時間でも空気の振動に聞き入っているのである。
 「言葉」という概念を解さない者にとっては、とても正気の沙汰とは思われないが、そのようにしてお互いの脳の中にある情報を交換することで、人間は文明を発達させてきたのである。
 読書も同じことである。紙の上に並んだシミのようなものを、夢中になって見つめている。言葉を解さない者にとっては訳が分からない行動だが、そのような活動モードの獲得によって、人類が得たものは大きい。
 私は小さい頃から本が好きで、小学校3年の時には、学校にあるSF童話を全部読破した。10歳の時、一日で一気に5冊読んだこともある。最近は忙しくて集中して読書をすることができないので、何時でも本に飢えた状態になっている。
 読書の良いところは、雑音を遮断して集中できるところである。忙しい現代では、没入することの大切さを忘れがちだ。言葉や文字を獲得したことが、人間の脳にとっていかに大きいことだったか。そのことを感謝とともに振り返りながら、読書の秋を楽しみたい。

(日本経済新聞2005年9月22日夕刊掲載)

9月 23, 2005 at 11:14 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

二千人!

 虎ノ門の「東京財団」
でキャラクター創造力の研究会。
 今回は私が発表する番だった。
 脳科学とキャラクター認知の
話をする。

 鎌田東二、船曳建夫、相原博之、清谷信一、
牧野圭一の各氏。

 それに財団の日下公人さん、野崎裕司さん。

 終了後、懇談。
 徳間書店の本間肇さんもいらっしゃる。
しばらくpendingだったある企画が
再始動。
 その修正点についての打ち合わせを
して、本間さんも懇談に参加する。

 船曳さんの教え子はあらゆるところに
散らばっていて、「CIAネットワーク」
をつくっている。
 なんと、新潮社の足立真穂さんも
薫陶を受けたと聞いた。
 あぶないアブナイ。滅多なことは言えない。 
 もともと、メッタなことは言っていないけれども。
 
 早稲田の授業で、150名の採点が大変だった
と言ったら、
 ぼくなんか、700人だよ、と船曳さん。
 「下條信輔くんなんか、最盛時2000人超えた
んじゃないから。あまり多すぎて教室に入りきれない
から、同じ授業を2回やっていたよ」

 に、二千人!

 大学教師とは大変な職業だと、
今まで持っていなかった角度からいささか
尊敬の念を持つ。

 仕事は相変わらず時間破産。
 ハリケーンで言うと、カテゴリー5で、
東京財団にタクシーで移動中も
 ひたすら仕事をしていた。

 タクシーの運転手さんは、
後ろで黙ってパソコンをぱちぱち
やっている客に、どれくらいの頻度で
遭遇するのだろうか。

9月 23, 2005 at 10:46 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/22

時計職人

たまっていた出張手続き、
学会の予稿、
 スケジュール調整
 メールへのお返事
 などなどを
する。

 塵もつもれば山となる。
 インターネットの向こう側には
deadlineで困っている方々がいるので、
 こちらも精一杯やる。

 しかし、大きな大きなdeadlineが
いくつかあり、
 そっちの方を不義理にしている。
 まことに申し訳ない。
 全力でやっております。

 NHKエデュケーショナルの
近藤浩正さん、松本晴洋さんに
お会いする。
 科学大好き土よう塾の件。

 科学とは何か、子供たちを元気づける
メッセージを送りたいと近藤さん。
 幾つか面白そうな案が出た。

 新潮社の北本壮さん、金寿煥さん。
 一時間真剣勝負をして、
そのあと諸事話す。
 金さんが、「そういえば茂木さん、
『脳と仮想』また増刷のようです。
茂木さんが新潮社にいらっしゃる度に
増刷になりますね」と。
 部数などわからず。

 「おしら様哲学者」塩谷賢や
東大の時「エンカウンターグループ」
に一緒にいった
 神田一生さんも加わって、
懇談。神楽坂。
 筑摩書房の伊藤笑子さんも加わる。

 途中で、突然北本壮さんに
気合いが入り、
 「茂木さん、やりましょう」
というので、
 「おお、やりましょう」
と握手をした。
 北本さんは突然気合いの入る
人である。

 金さんはなぜかオペラを朗誦した。
ほれぼれする良い声だ。
 
 やりがいのある仕事をして
苦労するんだったら、幾らでもやる。
 職業倫理というのは、大切なものだ。
 それは、編集も、コンピュータの
プログラム開発をしている神田くんも、
 私も、
 みんな同じ。

 昨日送った集英社の『青春と読書』
の原稿は、牛丼屋の店員のことから書いた。
 
 時計職人が一生時計をつくり続ける。
その時間の流れを振り返って、悔いることは
何もない。

 マックス・ウェーバーの言いたいことは
簡単に言えばきっとそんなことだったんじゃないか。

9月 22, 2005 at 08:07 午前 | | コメント (3) | トラックバック (4)

2005/09/21

「脳」整理法 4刷 5万5千部

ちくま新書 茂木健一郎 
「脳」整理法

は4刷(累計5万5千部)が決定
いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

http://www.qualia-manifesto.com/nouseiri.html

9月 21, 2005 at 08:22 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

萩尾望都さん宅訪問

ポプラ社の矢内裕子さんと、
飯能の萩尾望都さんのご自宅を
訪問。

 小雨が降っていたが、そこから
車で日高町の巾着田に行き、
 咲き始めの曼珠沙華(彼岸花)を
鑑賞した。

 様子を見ているうちに、疑問点が
沢山沸いてきた。
 葉がない、短いものも混ざっている
ところを見ると、地面から一気に
延びだし、花を咲かせるらしい。
 その栄養素は球根によって与えられている
として、
 一体いつ光合成して栄養を貯えるのか。
 まさか茎の葉緑素だけで足りるわけでは
あるまい。

 少女漫画の神様と歩きながら
そんな話をしているのも
なんだか奇妙な感じだった。

 彼岸花の正解は、花を咲かせた
後、葉が出て競合する草が少ない冬の間に
光合成し、それからいったん枯れて夏眠に
入るとのこと。

 萩尾さんは、先日アフリカに行った
話もしてくれた。
 ライオンの待ち伏せの様子。
 「ちょくちょく」取材旅行に
行くとのこと。

 萩尾さん宅でご馳走になる。
 『のだめカンタービレ』
二ノ宮知子さんと旦那さんもいらしていた。

 楽しかったです、
とお別れする時になって、
 萩尾さんの仕事場を見せていただいて
いなかったことに気付いた。 
 しまった、猫ばかりにかまけているんじゃ
なかった。
 「また、今度」と萩尾さん。

 見上げたが、今夜は月は見えなかった。

9月 21, 2005 at 08:04 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2005/09/20

創造力-クリエティビティ-とは何か

創造力-クリエティビティ-とは何か
『Diversity KYOTO-多様性が創造する未来』 
日 時
2005年9月30日(金) 18:00〜20:30(開場 17:30)
場 所
京都造形芸術大学 芝生広場  
※人間館ギャルリ・オーブ屋上。 雨天の場合、会場を変更することもあります。
パネリスト
タナカノリユキ(クリエイティブディレクター、アートディレクター、映像ディレクター)
黛 まどか(俳人)
茂木健一郎(脳科学者、京都造形芸術大学客員教授)
山下 泰裕(柔道家、東海大学教授)
モデレーター
椿 昇(現代美術家、京都造形芸術大学教授)
主 催
京都造形芸術大学 国際藝術研究センター
お問い合せ
京都造形芸術大学 国際藝術研究センター  世界アーティストサミット事務局 杉浦・岸本
Tel:075−791−9132/Fax:075−791−9181

http://www.acic.kyoto-art.ac.jp/now/2005/09/summit/summit.html

http://artists-summit.jp

9月 20, 2005 at 04:50 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

世界一受けたい授業 (2005年9月24日)

日本テレビ系列
世界一受けたい授業! 僕の先生はフィーバースペシャル
2005年9月24日(土)午後1時30分〜2時30分

http://tv.yahoo.co.jp/vhf/tokyo/2005092412.html

(先日の研究室の渡嘉敷島合宿の様子)


日本テレビ系列 「世界一受けたい授業」
2時間スペシャル
2005年9月24日(土)午後7時〜8時54分
4時限目 茂木健一郎
(アハ! 体験)

http://tv.yahoo.co.jp/vhf/tokyo/2005092419.html?g=

「世界一受けたい授業」番組ホームページ
http://www.ntv.co.jp/sekaju/

9月 20, 2005 at 04:39 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

義務(obligation)と引退(retirement)

 ただひたすら仕事を続けていた
連休だった。
 それでも、仕事が終わらない。義理を
果たすことができない。

 手と頭を動かしながら、考えていたことは
二つ。
 一つは、「引退」(retirement)という
ことばの甘美さ。

 15歳の時、はじめて外国(Canada)に行った
時、それまでの人生でほとんど聞いたことが
なかった単語をいくつか聞いたが、
 retirementもそうだった。
 
 「今、仕事を一生懸命して、retireするんだ!」
と目を輝かせて言う人にぽろぽろと会った。

 それも、retireする年齢が40とか50とか、
早ければ早いほど良い、そんな人たちがいた。

 大橋巨泉さんがしばらく前にretireを宣言
していたけれども、
 カナダ暮らしが長い大橋さんがそのような
発想になるのは、とても良く判る。

 経済的にそれほど早くretireすることは
難しいことだろうけれども、
 一つのメタファーとしては救いになる。
 どうせ、私なんかの場合は、retireを宣言した
後でも何か勝手にやり続けるだろうが、
 「生涯現役」では得られない
甘美な感覚がretirementを考えることで
得られることは事実だ。

 もう一つ、obligationということ。
 原稿にしても、
 論文にしても、
 講演にしていも、
その他もろもろにしても、
 最近の私の仕事時間は、ほとんどが
obligation(義務)で占められている。

 もちろん、イヤイヤやっているとか、
そのようなことではない。
 内容はあくまでも私の自由に任せられている
わけだし、
 偶有性の海に飛び込む喜びをもって
仕事に向かっているのだが、
 それにしても、deadline(締め切り)に
追われ続けているという意味では
obligationをエンジンとしていることには
変わりがない。

 もっとも、obligationは、必ずしも
人に対するものとは限らない。
 ケンブリッジの恩師、Horace Barlowも、
広い意味でのobligationを原動力としていた。
 科学の研究をして、真理を明らかにすることが、
自分のobligationであるとしばしば
漏らしていた。

 月を見ていると、昼間は地球の
大気によって邪魔されている宇宙への
ヴィスタが広がり、
 より広大な世界と直結しているような
気がする。

 retirementやobligationについて
考えていると、似たような感覚になるのは
なぜだろう。
 日本のメディアに充満している
ある雰囲気を取っ払ってしまって、
その向こうの月を眺めると、
 そこには案外魂にとって気持ちのよい
世界が広がっているようにも思う。

9月 20, 2005 at 04:26 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/19

豆の恵み

今朝は豆腐のみそ汁をつくった。
それに、もやしを入れた。
納豆で食べる。

納豆、豆腐、みそ、もやし。
豆の恵みである。

9月 19, 2005 at 08:46 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

総合芸術

そういえば中秋の名月だな、
と思って、空を見上げたら、
 そこにあり、
 10秒間だけ月見をした。

すすき、虫の音、ほほを渡る風、
熱い季節が続いた記憶、
 それもようやく終わりだという安堵、
 やがて寒さが来るという予感
 収穫の喜び
 そのようなものが総合して
「月見」のクオリアが出来るのであって、
 まさに総合芸術だ。

 ワグナーが理論化する前から、
実は全ては総合芸術だったのであって、
 つまりは人間の脳はさまざまな文脈、
記憶を総合してあるクオリアを創り上げる
のである。

 人間のパーソナリティーもまたしかり。
 「月見」のような儚くもさわやかな
人は得難いがいないことはない。
 かぐや姫の寓話はつまりそういうことではないか。

9月 19, 2005 at 05:57 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

2005/09/18

ちくま新書 「脳」整理法 関連

茂木健一郎 ちくま新書 「脳」整理法 
ホームページ
http://www.qualia-manifesto.com/nouseiri.html

「脳」整理法 掲示板
http://6118.teacup.com/kenmogi/bbs

9月 18, 2005 at 10:47 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

アエラ記事

ただ今発売中の
AERA 2005年9月26日号

http://opendoors.asahi.com/data/detail/6939.shtml

に、私の発言を引用した、
「小泉首相はホリエモンに近い
右脳と左脳のバランス抜群」
という記事が掲載されています。
この中で、
「左脳」、「右脳」は、大脳皮質の左半球、右半球を
指す用語で、記事中に書かれた左脳、右脳の解剖学的
部位は間違いです。
(電話でのインタビューを記者の方がまとめられた
もので、事前にチェックすることができませんでした。)
ここに訂正させていただきます。

9月 18, 2005 at 08:01 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

“低俗”も脳の大事

ヨミウリ・ウィークリー
2005年10月2日号
(2005年9月16日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第70回

“低俗”も脳の大事

一部引用

 人間もまた生物である。生物である以上、生きるために必要なことを求める。私たちが案外気付かないのは、基本的な生物学的欲求が、高度な精神の希求と密につながっているということだ。
 そのことは、私たちの経験に照らしても判る。私の友人の哲学者は、ある時、「時間とは何か?」という問題について悩んでいて、すっかり滅入ってしまった。考えに行き詰まって、もうこのままでは駄目かもしれないと思ったという。そんな折り、京都に行って、うまい天ぷらを食べた。すると、あら不思議。それまでの悩みがウソのように、ぴたりと収まって、すっかりハッピーな気分になってしまったという。
 時間についての哲学的悩みが、うまい天ぷらを食べると解消されてしまうというのは不思議だ。しかし、そこにはじっくりと考えるべき生物学的真実が潜んでいる。脳の中では、哲学することの喜びも哀しみも、食べ物のような生物としての基本的欲求と同じ回路で処理されている可能性が高いのだ。
 
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

9月 18, 2005 at 07:52 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

 芸風

ロフト・プラス・ワンに
行くために、久しぶりに歌舞伎町の
中を歩いた。

 ふらふら倒れそうに歩きながら
携帯で話している女の人がいる。
 「ごめん、ねてたぁ?」
と言いながら、車に寄り掛かる。

 時は午後1時前。
歌舞伎町は、慣れるまで時間がかかる。

 会が始まり、校長の熊篠さんが
話して、ゆるゆると始まっていった。

 キャシー天野さんの恋愛指南など、
面白かったのだが、
 一方で、私は、全体の雰囲気に、
なんというか、大学のサークルの延長
というか、身内受けというか、
ぬるいものを感じていた。
 「ここって、ロフトだろ!」
と思って、
 一二発ジャブ発言を繰り出したのだが、
本格的に転がってくれなかった。

 休憩時間になって、NTT出版の牧野彰久さんと、
幻冬舎の大島加奈子さんのところに行くと、
大島さんが「茂木さん、帰りましょう!」と言う。
 大島さんも、ぬるい雰囲気に怒っていたのだ。

 私も、観客席にもし座っていたら、
ぶち切れて帰るか、
 あるいは「こんなの内輪うけじゃん!」
などと不規則発言をするところだったのだが、
今日はパネリストである。
 ぐっとこらえて、「牧野さん、大島さん、
帰らないでください!」
 と赤ワインをおごって懐柔して、
後半戦に突入した。

 開始最初に見せた「校長の理想のデート」
というのが、遅れてきた80年代というのか、
できそこないのテレビのデート番組というか、
さらにぬるいつくりだったので、
 私はマジでぶち切れ5秒前になった。

 それで、ビデオが終わった後、
「こんなのぜんぜん意味ねえだろ!
どこにバリアフリーっていうタイトルと
の関連性があるんだよ! こんなイメージ
ビデオみたいなの見たって、面白くも
何ともねえじゃん!
 大体さ、理想のデートとか言って、
事前にマニュアル通り計画して、
その通りうまく行きました、
なんて、何の意味もないだろう!
どういうことなんだよ!」
とついに爆発してしまった。

 そうしたら、熊篠校長が、
「ぼくの場合、事前に、段差がないかどうか、
身障者用のトイレがあるかどうか、駐車場
があるかどうか、念入りに調べなければ
ならないんだよな」
と言った。
 私は、その日初めて核心に迫る
発言を聴いたような気がした。

 それから流れが変わり、本質的な
議論が少しずつ出るようになった。 
 やっぱり、爆発はするものである。

 会場も暖まって、少しずつキックの
利いた発言が出るようになった。

 驚いたのは、文藝春秋の山田憲和さん
である。
 午後6時にロフト・プラス・ワンに
来てください。
と伝えてあったのだが、
 午後5時前には終了しそうになり、
「やばい。もっと早くに待ち合わせれば
良かった」
と思って、出口へ歩くと、向こうから
ひょっこり来る。
 「いやあ、もうそろそろ終わるころかと
思って」
と山田さん。
 この人は予知能力があるのか。

 打ち上げに行くはずが、山田さんに
近くの喫茶店に拉致されて、
 きっちり30分打ち合わせ。
 「脳のなかの文学」の単行本化の
はっきりとしたイメージができた。

 山田さんも連れて打ち上げの店
「かあちゃん」に行く。
 中嶋や、川端や、志賀や、その他
今回の企画をしたゼミの学生さんたちに
ご苦労様、と言って、
あとはちゃんぷるでいろいろ話す。
 
 中嶋も、デートは何が起こるか
判らない、という即興にこそ味わいが
あるという。
 人生はすべからくそうであると
私も思ってきたが、
 熊篠さんの発言を聴いて、
いろいろ考えさせられた。

 事前の計画を綿密に立てないと、
何もできない人たちもいる。
 それが、熊篠さんのような身体的
制約に基づくものか、
 それともいわゆる「性格」に基づくものか、
後者だとして、それをばかにして良いのか。

 自由と不自由の絡み合いには、通り一遍では
ない形で考えるべきことがある。
 カミュのシーシュポスの神話
の男の不自由と自由は、実は配分の
程度の差こそあれ、私たち一人一人に
普遍する問題ではないか。

 爆発は芸風である。
 そのおかげで、いいテーマに出会えた。

9月 18, 2005 at 07:48 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2005/09/17

いまどき! ごはん

テレビ朝日系列
2005年9月18日(日)18:00〜18:30
「いまどき! ごはん」
小倉智昭、柴田理恵、梅沢由香里、茂木健一郎

http://www.tv-asahi.co.jp/imagohan/nextweek/index.html

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=35436451&area=tokyo

9月 17, 2005 at 09:20 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

「脳内現象」 5刷

NHKブックス
「脳内現象」

は増刷(5刷)となりました。

ご愛読に感謝いたします。

9月 17, 2005 at 09:15 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「心を生みだす脳のシステム」 11刷

NHKブックス
『心を生みだす脳のシステム』

は増刷(11刷)となりました。

ご愛読に感謝いたします。

9月 17, 2005 at 09:13 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日)「恋愛 戦略論」

新宿ロフト・プラス・ワン
NPOノアール Presents
「恋愛 戦略論」
慶應義塾大学文学部岡原研究会プロデュース
※事前 の申し込みは不要です。

【講師】キャシー天野(恋愛カウンセラー)
    茂木健一郎(脳科学者)
【助手】中嶋真希(岡原研究会)
【校長】熊篠 慶彦
【秘書】神崎紗由樹

2005年9月17日(土)
OPEN13:00 START13:30

http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

9月 17, 2005 at 09:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ゴースト

 NHKにて、「視点・論点」の収録。

 解説委員室で、舘野茂樹さんと
お話する。
 解説委員の大島春行さんを
ご紹介いただく。

 テーマは、「小林秀雄に学ぶ話し言葉の魅力」
ということで、途中に自著の朗読という
趣向があった。
 私はいつも原稿は用意しないが、
今回はメモで流れは作ってあった。
 尊敬する先人にちなんだ
話ということで、
 ジャケットもいつもより
フォーマルに。

収録を終えて解説委員室に戻る廊下で、
室山哲也さんに会った。
「ああそうか、今日だったんだ」と室山さん。
さわやかな笑顔。

 夜、三枝成彰さんと対談。
 三枝さんのグランドピアノによる
生演奏付きという豪華版。

 三枝さんは、「クラッシック」は
「古典」という意味に非ず、
 「階級」だという。
 そして、「クラッシック」を聴く
上流階級は、
 安易に快楽を肯定せず、
いわば「やせがまん」するのだと。

 ものすごい才能を持った人が
やせがまんすると、
 傑作ができる。
 日本では武満徹、と三枝さん。
 
 朝日カルチャーセンターの対談は、
「対談」というよりも、私が
ホストになってのチャット・ショウの
性格が強いが、
 さすがは三枝さんで、
 流れるようにスムースに全てが
進行した。

 11PMはダテではない。

 いつもの兆一での打ち上げの後、
三枝さんの先導で青山のバーへ。
 眞木準さんや、奥田瑛二さんもいらした。
 
 その場で、電通の
 佐々木厚さんが、六本木合唱団に入団した。
 私も入団しているはずだが、一度も
練習に行っていない幽霊である。
 
 脳の中の幽霊。
 ゴーストに導かれて、私たちの
人生はからからと回っていく。 

9月 17, 2005 at 09:05 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/16

(本日)東京新聞 夕刊 文化欄 「ノンジャンルを生きる」

本日(2005年9月16日)東京新聞夕刊 文化欄
掲載予定
茂木健一郎「ノンジャンルを生きる」 冒頭部分

 大抵の人は、社会に出る時に途方に暮れる。ただ、一人の子供、学生であることで許された時は過ぎ、複雑怪奇な人の世の中で自分の居場所をどこかに見つけなければならない。まるで、家たるべき貝を持たないヤドカリのごとく、自分にぴったりの居場所を見つけるのに、皆心を砕くのである。
 私の場合もそうだった。居場所が見つからないままに時間が過ぎ、今でも、本当の意味では自分の魂の住処には出会えていないと思っている。

全文は「東京新聞」でご覧ください。
 

9月 16, 2005 at 08:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日)脳と音楽 対談 三枝成彰 × 茂木健一郎

本日 朝日カルチャーセンター講座
脳と心を考える ー脳と音楽ー
対談 三枝成彰 × 茂木健一郎
 
2005年9月16日
18:30〜20:30 東京新宿
朝日カルチャーセンター

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture20.html 

9月 16, 2005 at 07:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日)視点・論点 「小林秀雄に学ぶ話し言葉の魅力」

本日(2005年9月16日) 午後10時50分〜11時

NHK教育テレビ
視点・論点
「小林秀雄に学ぶ話し言葉の魅力」 茂木健一郎

http://www3.nhk.or.jp/hensei/ch3/20050916/frame_18-24.html

9月 16, 2005 at 07:50 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

あすへの話題  「脳」整理法

あすへの話題  「脳」整理法
茂木健一郎

 現代人にとって、身の回りの「もの」や「情報」をどう整理するかという問題は切実である。とりわけ、インターネットなどの新しいメディアの発達によってあふれ出した情報にどう向き合い、整理して行くかということは重大な意味を持つ。
 情報の整理には、二通りの意味がある。脳の「外」にある情報と、脳の「内」にある情報の整理である。従来の整理法は、脳の「外」にある情報を扱ってきたが、本当に大切なのは脳の「内」にある情報の整理なのではないかと私は考える。
 仕事をする中で出会った様々な体験を「整理」して、ノウハウとして結実する。何回か話した人のパーソナリティーを推しはかる。ふとしたきっかけで人生の意味に気が付く。このような脳の中の情報の整理について最新の脳科学の知見を交えて考察したのが、拙著『「脳」整理法』(ちくま新書)である。
 ところで、脳の整理が得意な人は、必ずしも身の回りの整理の達人ではないようだ。脳の中の情報の脈絡を付けることに集中していると、整理整頓の方はつい疎かになるらしい。
 英国で、あるノーベル物理学賞受賞者の机を見た時には絶句した。書類がうずたかく積み上げられ、仕事をできるスペースは、コンピュータの前のわずかな空き場所だった。怠けているわけではない。博士の頭の中は、いつも超高速で整理されているのである。
 時代は変わり、デジタル情報は、特に整理しなくても簡単に検索できる。脳の整理を優先する余り、だらしがないと非難されてきた世の夢想家たちにとって、IT(情報技術)の発達の最大の恩恵はここにある。

(日本経済新聞2005年9月15日夕刊掲載) 

9月 16, 2005 at 07:40 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

専門性を社会に活かす

 午前10時、霞ヶ関の東京家庭裁判所。
 調査官の方々の勉強会に呼んでいただいたのだ。

 ちょうど、調停が始まる時間だということで、
エレベーターは混んでいた。
 人生の重大な分岐点が決まっていく、
当事者にとっては忘れられない朝になるのだろう。

 記憶、感情、コミュニケーションの
問題を中心にお話する。
 質疑応答の時から感じていたが、
調査官の方々の専門知識はかなり高度の
もののようだった。

 終了後、三人の調査官の方々と食事を
しながら懇談。
 調査官は、少年事件ならば、なぜ少年が非行に
至ったのか、様々な心理テストなどを
駆使して明らかにしようとする。
 「心の理論ですけどね、サリーとアン課題よりも
さらに高次の心機能を測定する・・・・」
などという会話が飛び交う。
 「バウムテスト」は初めて知った。

 学部時代、臨床心理を志していた
友人が、将来は家裁の調査官になりたい、
と言っていたことを思い出した。
 人の心の不思議な働きに対する学問的
興味を実際に社会に役立つ形で活かすことが
できる、
 やりがいのある仕事なのだろう。

 調査官の方々と別れて歩く日比谷公園を
渡る風はさわやかだった。

 研究所に到着。
 定例ミーティングで、
先日European Conference for Visual Perception
で発表したone-shot learningの内容について
議論する。
 所長の所眞理雄さんがいろいろ鋭いことを言う。
 所さんは、もともと
慶応大学のコンピュータサイエンスの
教授をされていて、ソニーコンピュータサイエンス
研究所をずっと運営されてきた。

 「ぼくの場合、
夜寝る前に、考えなければならないことを
全部頭にインプットしておくと、寝ている間に
それがちょうどうまい具合に整列して、
整列し終わると、脳が起こしてくれて、
目覚めるとあとはもう順番に書くだけ
になっているだけど。みんなそうでしょう?」
 と所さん。

 はあ、と一同呆然とする。
 そういう方が所長をされている研究所に
私はおります。

 柳川透の最新のシミュレーション結果を
説明してもらう。
 ongoing dynamicsにおけるupstateの
time courseの詳細が面白い。
 神は細部に宿る。シミュレーションは、
いわば拡大鏡である。

 原宿のダイヤモンド社へ。
 ダイヤモンド・マネッジメント・ネットワークの
勉強会でお話する。
 聴衆は、企業のデザイン部門の方々。

 お話を終えて歩く表参道は、なぜか
少し歳末の匂いがした。
 一日中仕事に追われる日々も、
それなりにありがたいものだと思った。

 居酒屋の小僧さんのように、働きづめ
でもいいじゃないか。 
 自分の専門性を社会に活かす。
 昔は盆暮れ一日ずつしか休日がなかったんだから。

9月 16, 2005 at 07:36 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/09/15

研究室合宿写真 2005

研究室合宿写真 2005
2005年9月13日、那覇、守礼門にて

9月 15, 2005 at 08:33 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

眞田武彦 × 茂木健一郎 対談

Lecture Records

眞田武彦×茂木健一郎対談
2005.9.15.
ギャラリー ル・ペイン
音声ファイル (MP3, 46.8MB)

音声ファイルdownload

9月 15, 2005 at 08:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

はじける音

ギャラリー ル・ペインで、眞田岳彦さんと対談。
むっちゃ面白かった。

 眞田さんは、子供の頃から植村直己の冒険に
憧れていて、
 イギリスに留学していた時、
 北極圏に行きたいと、グリーンランドは
デンマーク領だからとまずはデンマークに入り、
安宿に一ヶ月滞在しながら情報を収集した。

 それで、やっと入った極北の地は、
マイナス60度。
 歩いていると、自分と自然の境が判らなくなり、
いつの間にかぶつぶつひとりごとを言っていたという。

 そこに、テクスタイル・アーティストとしての
原点があるというのだが、
 いろいろ考えさせられた。

 眞田さん、お呼びいただき、ありがとうございました!

 青山三丁目に移動。電通の佐々木厚さんが
企画してくださった「脳」整理法出版記念
パーティー。

 主役の増田健史は遅れてきたが、眞田さんも
飛び入りでご参加くださり、日テレの
竹下美佐さんまでがいらしていただいて、
 にぎやかな会となった。

 佐々木さんがフランスから持ってきた
きめの細かいスパークリングワインを皆は
賞味したが、遅れてきた増田はやはり
「オレはビール」路線を貫いていたのだった。

 増田健史と、日本の法学者のあり方について、
久しぶりに論争。
 佐々木さんが特別に用意くださった
「南極の氷」のはじける音を聞きながら、
論争もはじけた。

 それにつけても極地に行きたくなったが、
それは、幻冬社の大島加奈子さんとつくっている
「さいしょのペンギン」本が出来て果たして、
ということだろう。
 
 しかし、その前に、終わらせなければならない
火急の仕事が山積しているのだ。

9月 15, 2005 at 08:21 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/09/14

「脳」整理法 再び増刷

ちくま新書 「脳」整理法

(9月5日発売)は、
去る月曜日、再び増刷が決定し、
3刷となりました。

ご愛読に感謝いたします。

9月 14, 2005 at 11:01 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

斎場御嶽

二日目の朝、早起きして海岸で
マルオミナエシを探していると、
 須藤が来て立ち話をした。

 研究のまとめ方の問題。
 幼児の研究なので、被験者に協力して
いただく環境を整備するのが難しい。

 午前10時のフェリーで那覇に戻る。 
 まずは、守礼門で記念撮影。

 あれは、3年前。柳川や小俣が修士
二年だった時、初めての研究室
合宿で沖縄に来た。
 守礼門の前で撮った写真が懐かしく、
小俣は卒業アルバムで使うという。

 今年も撮っておこうと、みんなで
撮影。
 できあがったらここにアップします。

 タクシーで、世界遺産の斎場御嶽(せーふぁうたき)へ。

 ここは凄まじいところだった。
 今まで、沖縄のウタキは何カ所か見たことが
あるが、
 そこで感じていた傾向がよりピュアになり、
強度を高め、しかも全く新しい次元に
飛んでしまった、そのような場所だった。

 飛んでいる蝶が、みな神様に見えた。

 光が祝福のように差し込む三庫理(サングーイ)
から、神々の島と言われる久高島が見えた時の
衝撃は、ある意味では伊勢神宮の内宮以上かもしれない。

 伊勢神宮を含めた、聖地の相対的
マップが一変してしまうほどの
至高の何かを斎場御嶽は持っていた。

 タクシーの運転手の薦めで、
奥武島の海産物食堂へ。
 ここで、竹下さんと木村さんは
一足先に空港に向かう。
 撮影、ご苦労さまでした!

 研究室のメンバーは、玉泉洞を見た後、
国際通りで買い物をして、
 空港で乾杯をして
 合宿を打ち上げた。

 同じ方向の田谷文彦と帰る途中、
京王プラザホテルに寄って、
ギネスを一杯飲みながら、
 いろいろ研究の話をした。

 斎場御嶽の余韻はまだ残っていたが、
東京のホテルのバーで飲むギネスもうまい。 
 
 明けて今日は日常に戻り、ただ
仕事を淡々とこなすだけである。

 斎場御嶽を飛ぶシロオビアゲハは
まさに神の使いに見えたが、
 御嶽を去ろうとしていた時に現れた
ナガサキアゲハの白化型は、
 神からの大切なメッセージを帯びた
特別の使者のように見えた。

(これらの蝶の姿が見たい人は、
グーグルで検索すれば出てきます)

 ありふれた蝶々が全く別の
ものに見えてしまうからこそ、
 あそこは聖地なのだろう。

 京王プラザで見るギネスは
ギネスにしか見えなかったが、
 それは私が既に都会の機能主義
の中に埋もれていたから
だけの話である。

9月 14, 2005 at 09:34 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

研究室合宿2005

 柳川透や小俣圭は最後の研究室合宿
かも知れず、
 (無事博士号がとれて、どこかに
就職できたら、ということだけれども)
 もちろんOBはいつでも参加OK
だとしても、
 何だか寂しい気がする。

 実際、長島久幸は、ホンダに就職
した後、
 仕事が忙しくて全く来れない。

 渡嘉敷島に着いた瞬間、ネットも
つながらず、ゆったりとした
気分になる。

 研究室合宿開始。
 柳川透、小俣圭、田谷文彦、田辺史子、
恩蔵絢子、須藤珠水、関根崇泰、野澤
真一、星野英一、大久保ふみ、箆伊智充、
石川哲朗が参加。計12名。

 それに、日本テレビの竹下美佐さんと
日企の木村光一さんも参加。

 とりあえず、阿波連ビーチ近くの
食堂で、オリオン・ビールを飲んで
乾杯した。
 関根が、Tシャツの「ぴょん吉」
にビールを飲ませ、それを木村さんが
カメラに収める。
 果たして、コメディアンデビューなるか。

 「どんな先生ですか?」
と一人一人に聞いていたのがブキミだった。

 田辺は、「変人です」と言って
いたような気がする。

 柳川が魚肉ソーセージで
魚を集め、みんなでそれを手づかみに
しようとした。

 マルオミナエシの貝殻はなかなか
見つからず、恩蔵が一番良いものを
見つけた。

 星野が砂に埋められて、そこに
貝殻や珊瑚をのせて、アート作品にした。

 小俣を囲んで、5−6人で浮き輪で浮いて
魚を見た。
 田谷もシュノーケリングで来て、
 浮き輪パーティーのようになった。

 柳川と、展望台で、マジメに研究の話をした。
柳川が見つけた条件を、不等式で正確に書き下す
ことができるか。
 
 星野が、夕陽の見える海岸でオットセイに
なった。

 浮き球が落ちていたので、みんなで浮き球
ベースボールをした。
 田谷が豪速球を投げた。

 みんなで夜の星空を見た。
 石川と大久保が受験の国語がどうのこうのと
言っていた。
 
 流れ星が、2ー3個流れていくのが見えた。
しかし、お祈りはし損なった。
 
 月が十二時過ぎに沈むと、本当に
真っ暗闇になって、満天の星が見えた。

 私は午前1時くらいに眠ってしまったが、
学生はみんな午前3時過ぎまで泡盛を
飲んでいろいろ話していたらしい。

9月 14, 2005 at 09:14 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/12

目覚ましでも起きられず

NHKの打ち上げが12時過ぎまであり、
6時15分の飛行機に乗るために、
品川プリンスに泊まった。

眠っていると、電話が鳴る。
誰かと思ったら、日本テレビの竹下美佐さんだった。
竹下さんと日企の木村光一さんが、
沖縄行きを映像に収めることになったのである。

目覚ましをかけていたのに
起きられなかったのは久しぶりだった。
慌てて準備して、何とか
6時15分に間に合う。

今は那覇。電波がとぎれる前に
幾つかメールを送る。

火曜夕方までメールも読めない可能性があります。
これから渡嘉敷行きの船に乗る。

9月 12, 2005 at 09:47 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

熱かった。

NHKにて、「プロフェッショナル」収録。
住吉美紀さんと二人で、ゲストに
「仕事の流儀」について語ってもらう。

鳥肌が立つ現場だった。素晴らしかった。
有吉伸人さんが集めたドキュメンタリー
のプロたちが、凄い映像、舞台、
音を創ってきた。

そういうことか!
と自分の中で熱いものがこみ上げてきた。

打ち上げには20名以上のスタッフの
方々がいらして、
「有吉組」という感じで、熱かった。

明けて今朝、これから沖縄に行く。
昨日の余韻が残っている。

行って参ります。ごきげんよう。

9月 12, 2005 at 06:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/11

読書は脳のクールダウン

ヨミウリ・ウィークリー
2005年9月25日号
(2005年9月12日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第69回

読書は脳のクールダウン

一部引用

 私たちの脳は、難しいことを考えたり、仮想の世界に没入する時には、むしろその活動を「絞って」、そのモードに集中することを選択するようなのである。大切なのは、その集中するモードがどのようなものであるかということで、必ずしも沢山の脳の領域が活動すれば良いわけではない。読書は、まさに脳の活動を絞ることで、私たちをまだ見ぬ世界に連れていってくれるのである。
 数学者などは、毎日難しい問題を考えるのが仕事である。10年も20年も、朝起きると「さあ、今日もあの問題を考えるぞ」と、そのことを楽しみに仕事をする。数学に残された最大の未解決問題の一つだった「フェルマーの最終定理」を証明した米国プリンストン大学教授、アンドリュー・ワイルズは、何年間も自宅に籠もってその問題だけを考え続けたという。ワイルズ教授の脳活動は、「簡単な計算問題を素早く解く」場合に比べれば、むしろ静かで、絞られたものだったかもしれない。しかし、だからこそ、数学史を書き換えることができたのである。
 
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

9月 11, 2005 at 08:04 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

仕事の土曜日

土曜だが、仕事に出る。
 午後1時、NHKに『プロフェッショナル』
の打ち合わせ。
 VTRが素晴らしい仕上がりで、
前回は辛口批評の住吉美紀さんも、絶賛だった。
 有吉伸人さんと河瀬大作さんの顔が
ほころぶ。
 どうやら、昨日は完徹に近かったらしい。

 私はビデオのノンリニア編集を本格的にした
ことはないが、
 想像するに、かなり「はまる」のではないか。
 何十倍、何百倍の素材の中から
ぴたりと流れに当てはめる。
 その編集過程は、
脳の中の記憶の編集過程に似ていないこともない。

 麹町の日本テレビに移動。
 「世界一受けたい授業」の収録。
 解答者は、石田純一さん、伊集院光さん、上野樹里さん、
加藤雅さん、KABAちゃん、亀梨和也さん、菊川怜さん、
柴田理恵さん、純名りささん、陣内智則さん、細山貴嶺さん。
それにいつもの堺正章さんと、くりぃむしちゅーの二人。


 他の先生方は、唐沢俊一さん、青島広志さん、
鈴木健二さん、秋山仁さん。
 

 放送は、9月24日(土)の予定。

 収録後、銀座の「だいだいや」で
スタッフの方々と懇談した。

 構成作家の富樫香織さんと、
ディレクターの岩田裕美さんの
話が疾走し、
 それを「天才アハ!センテンス作家」の
倉田忠明さんが静かに聴いている、
という構図が面白かった。
 いつもお世話になっている竹下美佐
さんは、正森和郎さんとともに遅れてきた。
 最後の秋山さんの授業が長引いたとのこと。

 ソニー広報の中谷由里子さんは富樫さんと岩田
さんの話に喋々喃々と応じ、新潮社の北本壮
さんは、いつものようにクールな表情で
ビールの杯を重ねていた。

 このように書き連ねてみると、実に
多彩な方々とのつながりの中に今日の仕事が
あったことが判る。
 世界はまさにスモール・ワールド・ネットワーク。

 花束をいただきました。ありがとうございました。

9月 11, 2005 at 07:59 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

缶バッチ

Yahoo! オークションに「缶バッチ」が出品
されていることを発見。

最近ときどき描いているVolcano whaleのだけど、
そういえばClub Kingで作る、とメールを
いただいていたのだった。

私もまだ実物を見ていないんだけど、
ちゃんと作られていたんだ! と感動した。

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n24049882 

9月 11, 2005 at 07:31 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/10

指人形

今朝はまた暑かった。

 新潮社。
 産経新聞の文化部、上塚真由さんに
「私の修業時代」のインタビューを受ける。

 研究所近くのレストランで、
筑摩書房の増田健史、ちくま学芸文庫編集長の
大山悦子さん、日販の野田香織さんと
会う。

 「新刊展望」で「脳」整理法を取り上げて
くださることになり、その取材。

 大山さんとは、なかなかお会いできなくて、
やっとお目にかかれた。
 本をちくま学芸文庫に入れることに
ついての、ご相談。

 The Brain Club。
 張さんと私がJournal Clubで論文紹介をして、
恩蔵さんがprogress reportをした。

 私が紹介したのは、entorhinal cortexに
おけるspatial representationにgrid structure
があるという論文だが、
 キレイな数学的構造を示しているようで
いて、
 実は様々な問題をはらんでいるように思う。

 いろいろなことがある中で、
ゼミは楽しい時間というか、
 頭がシミジミ喜んでいる。

 やはり、私は、あらゆる快楽の中で、
難しい問題を考えている時に一番
深い喜びを感じるようである。

 Wittgensteinの"the immunity to error through
misidentification"という言葉に考え込む。

 「自己」の周りには、agency, ownership,
controllabilityなどの様々な要素があるが、
 その相互関係性を解きほぐして有機的な
図にするだけでもnon-trivialな
結果になる気がする。

 ソニー仙台の人事の菅野さんにいただいた
おいしいお酒を、修士1年の箆伊智充に託す。
 11日から3日間、渡嘉敷島で
研究室合宿なので、
そこに持っていってもらう
ことにする。
 箆伊よ、運び屋になってくれ。

 私は11日に仕事があるので、後から行く。

 小俣圭、柳川透の博士三年はそろそろ追い込み
なので、がんばって欲しい。
 小俣くんは、なぜ音素間で「非対称性」が
出るのか、そこのところを一つ考えてください。
 合宿でじっくり議論しよう。

 渋谷でD-ProjectのFrancois DuBoisさん、
木村彩さんと会食。
 久しぶりに英語でへらへら喋って、
とっても楽しかった。
 日本語と英語では、
音としてのリズムが違うから、
 違う音楽を奏でているような気分になる。

 あとから、増田健史乱入。

 来週の火曜日に朝日新聞に打つという
「脳」整理法の広告を見て、頭をかかえる。
 芸大の蓮沼昌宏が描いた、「指人形」
のような私の似顔絵が載っている。

 「オウ、ノー! ・・・・」
 「いや、茂木さん、それはですね、営業の
プロが、それが効果あると判断したわけでして、
きっと効果がありますよ!」

 増田健史は、さらに、「脳」整理法が
発売3日で増刷になったというのは正しくなく、
実質的には書店に並んで1日半で増刷に
なったのだと、
 日販東販の流通経路についての技術的
ディテールとともに説明してくれた。

 「茂木さん、売りますよ!」と
増田健史がギラギラしている。
 もし、10万部に行ったら、増田健史と
NHK出版の
大場旦を「ミュンヘンビールの旅」に連れて
行くと約束しているのだ。

 さらに、NTT出版の牧野彰久さん、今井章博さん
が乱入。
 原稿が遅れている私が悪いのだが、
許してもらえると思ったら、許してもらえなかった。

 渋谷というのは奇妙な場所だ。
 Wittgensteinのspiritがそのあたりを
うろついていたような気がする。
 その気配でますます現実と仮想がちゃんぷるに
なって妙な感覚になった。

9月 10, 2005 at 09:37 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2005/09/09

美術セミナー「おとなの科学―美術の解剖学」

美術セミナー「おとなの科学―美術の解剖学」
講師:布施英利(美術評論家/東京藝術大学助教授)
   茂木健一郎(脳科学者)
日時:平成17年9月24日(土)・25日(日)の2日間 10:00〜15:00
会場:美術館セミナー室及び企画展示室・常設展示室

http://www.dnp.co.jp/gallery/ccga/info/banetsu/n.html 

内容:美術の見方、楽しみ方について、美術解剖学という視点から取り組む大人向けセミナー。心とからだと芸術との関係を科学的に分析し、自らの情動や思考と脳のかかわりを詳らかにしながら頭と心をもみほぐす。

対象:高校生以上 定員40名
参加費:未定(テキスト代)
応募方法:はがきに氏名、住所、電話番号、年齢、そして「美術セミナー参加希望」と明記し、いわき市立美術館宛に応募。返信にて詳細を連絡します。
応募締め切り:9月10日(土)当日消印有効。応募者多数の場合は抽選あり。
※下記PDFファイル「おとなの科学──美術の解剖学」もご参照ください。

http://www.city.iwaki.fukushima.jp/download/7d58100d242b094/PDF.pdf

9月 9, 2005 at 10:24 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

あすへの話題 脳の潜在的モードを活かそう。

あすへの話題 脳の潜在的モードを活かそう。
茂木健一郎

 良く受ける質問の一つに、「脳は、10%しか使っていないというのは本当ですか?」というものがある。
 脳の中には、「ニューロン」、「グリア」と呼ばれる二種類の細胞が存在する。このうち、ニューロンは「活動膜電位」を持ち、脳による認識のプロセスにおいて明確な役割を担うが、グリアの役割は当初は明らかではなかった。その「静かな細胞」であるグリアが全体の約90%を占めるところから、「脳は10%しか働いていない」という説が流布したのである。
 最近の研究により、活動していないように見えるグリアも栄養補給などの重要な役割を担うことが示されている。脳は、実際には無駄なく使われているのである。
 ところで、人間の脳は、状況に応じてさまざまなモードで活動する。子供でも、母親に甘える時、兄弟と遊ぶ時、見知らぬ人と話す時で、全く振る舞いが変わる。他人との関係だけでなく、何をやるかによっても脳の働きは変わる。数学者とアーティストでは脳の働き方は違う。
 このような差は、脳の中の様々な部位が「オン」になったり「オフ」になったりすることによって生まれる。活動パターンの組み合わせは無限と言ってよいほどあるので、脳の活動モードもそれだけあることになる。
 脳の細胞の10%しか使われていないというのは正しくない。しかし、脳が潜在的に持つモードのうち、どんな人でもそれこそ10%も使っていないというのはおそらく事実である。
 潜在しているモードを活かすには、新しいことにチャレンジするのが良い。短い人生、何でもやってみようではないか。

(日本経済新聞2005年9月8日夕刊掲載) 

9月 9, 2005 at 10:08 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

ゲイサイ前、嵐の静けさ

新潮社へ。
 北本壮さん、金寿煥さんに、
記憶と感情に関する標準的な
内容を「レクチャー」する。
 
 「ど忘れ」の効用を説いていたら、
 「考える人」に新しく連載する、
と書いている人がいたんだけれども、
誰だか忘れてしまった、
 と私自身がど忘れしてしまった。

 北本さんが編集長の松家仁之さんに
聞きにいってくださった。
 椎名誠さんだった。
 毎週欠かさず読んでいる週刊文春の
エッセイで椎名さんが書いていたのだ。

 思い出せない段階で、「ほら、あの人」
とFeeling of Knowingが成立するメカニズムは、
本当に不思議である。

 東京芸術大学へ。
 石井琢郎さん、
今野健太さん、小俣英彦さんと打ち合わせ。
 10月7日から上野の森美術館で始まる
三人の作品展

UPRISE ー彫刻における現代への視座ー 展
http://db.museum.or.jp/im/Search/jsMuseumEventDetail_jp.jsp?event_no=23134

に短い文章を寄せるのである。

 完成した三人の作品をじっくり見る。
 石井さんの発案で、「身体」を一つの
モティーフにしている。
 フォーカスが合って、うん、書けそうだと
思う。

芸大、木彫室にて。手前から小俣くん、石井くん、今野くん


 雑誌TOKION
の西村大助さんと、南有紀さんもちょうど打ち合わせ
で来ていて、一緒に石井さんたちの作品を
見る。
 
 明日から「ゲイサイ」(藝祭)
なので、芸大キャンパスは
 あっちこっちがトッカンキンコン音がする。
 彫刻科の前には、等身大? の朝青龍の
彫像があった。

 美術解剖学教室に久しぶりに行く。
植田工の「教育係」の
荻野友奈さん(ゆうなちゃん)が油絵を
描いている。
 日野原重明先生の挿絵を担当することに
なったのだという。

制作中の絵を持つ荻野友奈さん(美術解剖学教室にて)

日野原先生が、展覧会にふらりといらしたことがきっかけだというのだ。
人生、セレンディピティ!

 近くに、妙なオブジェが置いてある。
聞くと、植田工が作って、ゲイサイで
売るのだという。
 小俣さんが手にとって、うーむと
絶句している。

 植田はまた一つ、人を絶句させる
作品を作った。
 みなさん、ゲイサイで植田の作品を
買ってください!

植田工の作品。題は、本人に聞いてください。

 クラブ・キングの佐藤剛毅さんが
録音機材を持ってやってくる。
 美術解剖学教室で、
コメディについて40分ほど喋った。

 「笑いで世界の真実を知る」
ここのところ、桑原茂一さんが追求
しているテーマである。

 開けて今日、窓から入ってくる風が
はっきりと涼しく感じられた。
 あっちこっち揺すられながら
生きている中でも、季節は確実に
変わって行く。

 揺れるすすきの穂に包まれながら
月見がしたい!
 と突然猛烈に思った。

 今日は
 すすきのことを想って歩くことにしよう。

9月 9, 2005 at 09:53 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2005/09/08

「脳」整理法 増刷

2005年9月5日発売の「脳」整理法
は本日(発売3日後)早くも増刷が決まりました。

私の本としては、最速記録! です。

ご愛読に感謝し、さらなるご愛読をお願いいたします。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104702013/qid%3D1119395440/250-6843450-5097069

9月 8, 2005 at 04:37 午後 | | コメント (0) | トラックバック (2)

脳と仮想 6刷

新潮社 『脳と仮想』はおかげさまで
6刷が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104702013/qid%3D1119395440/250-6843450-5097069

9月 8, 2005 at 10:10 午前 | | コメント (0) | トラックバック (3)

いま、たしかにここにあるもの

文學界 2005年10月号 9月7日発売
対談
内藤礼×茂木健一郎
いま、たしかにここにあるもの
新しく表紙を飾るアーティストの世界観

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/index.htm 

9月 8, 2005 at 08:41 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

individuality

授業を終え、京都近辺で見ておきたいものを
3つ見た。

 まず第一に、嵯峨野の大河内山荘
の下の竹林。

 この前来たのは、10年ほど前だったろうか。
 その時の圧倒された記憶が、今回も
確認され、強化される。

 ここの竹たちは、何か特別なものを
持っている。
 それが丹念な手入れのたまものであることは、
さらに下った凡庸な竹林と比較すれば判る。

 また一つ、言語化できない何かの感触が
宿題を残した。

 広隆寺に行き、弥勒菩薩半跏思惟像を拝見する。
これは、十数年ぶりか。

 前回来たときは、「おしら様哲学者」
塩谷賢と一緒だった。
 「あのお姿に憧れた大学生が抱きついて、
指が折れた事件がある」と塩谷が汗を拭きながら言って
いたのが昨日のことのように。

 じっと見ているうちに、一番大事なことは
individualityだと思い至る。
 なぜ、この小さな像が国宝第一号になり、
かけがえのないものになるのか。
 意識の成り立ちにしても、人生の修業の目的に
しても、
 結局はこのindividuality(この宇宙に並び立つ
ものなく、かけがえのないもの)を目指した
運動として捉えられるはずだ。

 カントの、「他人を手段ではなく目的とせよ」
という格率も、individualityに関わっている。

 国宝第一号が、百済伝来であり、
もともとは全身金箔で覆われていた、
というのがしみじみ良い。
 individualityの背後に必ずある偶有性。

 3つ目は、大山崎山荘美術館での
内藤礼展。

 建物も素晴らしかったし、モネの睡蓮の
絵も良かった。

 内藤さんの作品は、モネの睡蓮たちの
中に、そこだけ白く静かに佇んでいた。

 吹きかけることで生まれるかすかな
運動が、永遠の静止の中に小さな波紋を
もたらす。
 
 まぎれもないindividuality。

 「船送り」の儀式は、きっと
地上に震えるなにものかを現出させるだろう。

 帰りの新幹線の中、美と、クオリアと、
individualityと、脳内の報酬系のダイナミクスと、
記憶と、文化と、他者と、偶有性と、様々な
ことがぐるぐるして回り始めた。

9月 8, 2005 at 07:56 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/09/07

課題ではありません、衝動です。

 昨日の授業の課題で、
「学校時代に教科書に描いたらくがきを
思い出して、それをできるだけ正確に再現して
ください」
というのがあったのだけれども、
 その時フランスのLa Grotte Chauvet
の洞窟画のごとく、
 unkoを群描したのが、
3回生の
藤山豪クンだった。

 藤山くんは、浅草出身で、
「都会に行きたかった」から、
目黒の高校に行った。
 授業の後、椿昇さんを中心に
みんなで懇談していると、
 「先生、オレ、東京に帰りたいよ。
もう2ヶ月も帰っていないよ。
 東京、好きなんだよ〜」
と言う。
 
 近くにいた女子学生二人が、
「えーっ。京都、いいじゃん。京都に
いなよ。」
と言っても、
 藤山クンは、
「いや、オレは東京に就職するよ。東京に
帰るよ〜」
と言う。
 
 藤山くんは、どうやら、私の早口の
東京弁が「懐かしく」、望郷の
思いにかられてしまったようなのである。

 なんとなく、判る。
遠い土地に来ると、見るもの聞くもの
珍しく、きょろきょろわくわくするフェーズがあり、
そのあと、ぐーんと望郷の思いがわく
フェーズがある。

 藤山くんは、私の話と望郷の想いがシンクロ
してしまったのだろう。

 椿さんのところに学生が一人卒業制作の
相談に来たが、
 その時の椿さんの対応が見事だった。

 「他にそういうことをやっている人が
いるかどうか、そんなことはどうでも
いいんや。お前は何になりたいんや。
アーティストは衝動だ。お前のこの音が
いいと思ったら、さっさとバンドくんで
コンサート開かんかい。」

 そうだ、アーティストに限らず、
人間すべからく衝動だ。

 やはり3回生の小山敬介くんは、
ルックスはいいにも関わらず、
彼女がいない。
 衝動が足りないのだ。
 
 「小山くんて、デートしよ、って言っても、
いやあ、あさってまで提出の課題があるから、
何ていってふられそうなんよ。隙が
ないっていうか、だからダメなんよ。」
 みんな、言いたい放題言う。
 小山くんを取り囲んで身の上相談室。

 授業も面白かったが、授業の後も面白かった。
小山くん、判りましたか。
 課題ではありません、衝動です。

 とは言いながら、
 アーティストたちにふさわしい、
とっておきの課題を出す。
 どんな解答が来るか、楽しみだ。 
 良い衝動を課題に着地させてください。

9月 7, 2005 at 08:36 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

2005/09/06

富士山のようにでっかい

椿昇さんに誘われて、
京都造形芸術大学の集中講義に来た。

 学生がみな元気で、パワーが凄い。
これも、椿学科長の薫陶か。
 
 体育館では、巨大オブジェがつくりあげられて
いた。
 ところが、大きすぎて、大学の坂道を
下ろせない、どうしよう、と悩んでいるのだ。

 違う現場にくると、すーっと別の
心身感覚が自分に宿って、
その精神パラダイム交代が心地よい。

 椿さんは、「やっぱり穴を掘るのが
大切なんじゃないか」としきりに言う。
 メタファーではない。実際に掘るのである。
 長時間の肉体労働に耐える、という時の
精神の使い方が、
 脳の学習のプロセスと相同なのではないかと。

 椿さんは、ぎっしりと引き締まった
肉体をしている。
 前回の横浜トリエンナーレで、
巨大なバッタを出現させた張本人である。

 今年はやらないのか、と聞くと、
いやあ、あれだけでかいことをやって
しまうと、
 前科一犯で、今年はやらない、との答。
 バッタは、推定300万人が見たそうである。
 私は300万分の1である。

 テレビの視聴率、本の売れ行きのような
指標もあるが、
 富士山のようにでっかいものを作って、
一億人がそれを見る、という表現の流れも
あるように思う。

 椿さんならそのうちやりかねない。

 筑摩書房の増田健史入魂の一作。
 「脳」整理法、本日から書店に出回り始めます。
富士山のように、とはいかなくても、
 ぼた山くらいにはなるように、
皆様のご支援を切に願うものであります。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062629/249-3412743-7473169

9月 6, 2005 at 07:21 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2005/09/05

地中美術館トーク 「脳の中の美を求めて」

地中エデュケーションプログラム
後期:「私と地中美術館」
第4回“脳の中の美を求めて” 茂木健一郎
2006年1月21日(土)午後2時〜
香川県直島、本村ラウンジ&アーカイブ

http://www.chichu.jp/j/education/talk.html

参考:地の中深く美に包み込まれて

http://www.qualia-manifesto.com/chichumogi.html

9月 5, 2005 at 06:14 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

ひら映像?

夕刻、NHKに「プロフェッショナル」の
打ち合わせに行く。
 
 有吉伸人さん、小池耕自さん、河瀬大作さん
住吉美紀さんが同席。

 有吉さんたちが、徹夜明けのような雰囲気を
漂わせながら、編集したビデオを見せて
下さった。

 ノンリニア編集室は、6人くらいが
やっと座れるくらいの大きさ。
 ここに籠もって作業をしていると、
おそらく時間の経過が判らなくなって
いくのだろう。
 私にも覚えがある。

 ナレーションの声が、どうも後ろから
聞こえるのでおかしいな、と思って
振り返ると、河瀬さんが生であてていた。
 ぴたりと収まるから、不思議である。 

 一通り見た後、場所を移して議論。
 私は、映像を見て気付いたことを
発言したが、住吉さんの「プロの眼」
はそれより上を行っていた。

 私は、すでに編集された映像を
前提にあれこれ言うことしかできないのに
対して、住吉さんは、「あそこは
このように編集した方が良いのではないか」
「あの導入だと、すでに○○さんを知っている
人には判っても、それ以外の人には
伝わらないのではないか」など、
マテリアル自体をメタな視点から
編集しなおす意見を言っていた。

 なるほどと、感心しながら聞いていると、
いつの間にか、「ひら映像」という
言葉が飛び交っている。
 「ひら映像」って何だ?
 特別にドラマティックでもなく、
映像界の社長でも部長でもなく、「ひら」
の映像を「ひら」映像というのだろうか・・・

 「あの、「ひら映像」って何でしょうか?」
とおずおずと聞くと、実は
 「filler 映像」という言葉だった。
 「間を埋める」映像というという
意味らしいのである。

 映像界の「ひら社員」ではなかったのだ。

 帰宅する頃から雨が激しくなり、
雷も鳴る。
 うとうとしていると、近くに
物凄い雷が落ちて目が覚めた。
 時計を見ると、小さな時間である。

 外から、ひそひそ声がする。 
 きっとあの人たちも雷を聞いたのだろう。
 普段接する雷は「ひら雷」だが、
さっきのはどうも部長雷くらいらしかった。

 何回か、課長雷や係長雷の音を聞くうちに、
いつの間にかまた眠りについていた。

9月 5, 2005 at 06:04 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/09/04

「恋愛 戦略論」

新宿ロフト・プラス・ワン
NPOノアール Presents
「恋愛 戦略論」
慶應義塾大学文学部岡原研究会プロデュース
※事前 の申し込みは不要です。

【講師】キャシー天野(恋愛カウンセラー)
    茂木健一郎(脳科学者)
【助手】中嶋真希(岡原研究会)
【校長】熊篠 慶彦
【秘書】神崎紗由樹

2005年9月17日(土)
OPEN13:00 START13:30

http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

9月 4, 2005 at 12:15 午後 | | コメント (1) | トラックバック (1)

トークセッション「脳×デザイン」

ギャラリー ル・ベイン第7回企画展 眞田岳彦展 仮想のマテリアル
トークセッション「脳×デザイン」
茂木健一郎、眞田岳彦
9月14日(水)18:00〜19:30 視聴無料 

http://www.le-bain.com/gallery/schedule.html

9月 4, 2005 at 12:04 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「紫のふくさ」と「万歳」

ヨミウリ・ウィークリー
2005年9月18日号
(2005年9月5日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生  第68回

「紫のふくさ」と「万歳」

一部引用

 総選挙がたけなわである。泣いても笑っても、9月11日には結果が出る。
 8月8日、衆議院が解散される様子を、私はたまたまテレビの生中継で見ていた。その時受けた印象が脳裏を離れない。
 民主党から内閣不信任案が提出されていた。しかし、それは採決されなかった。解散詔書が発せられたからである。「解散詔書は全ての動議に優先します」とアナウンサーの解説があった。紫のふくさに包まれた詔書がうやうやしく運び込まれ、官房長官から衆議院議長へと手渡された。
 議長が起立し、「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と宣言すると、議場から恒例の「バンザイ!」の声が起こった。私は、背筋が寒くなるような興奮を覚えた。ひょっとしたら、この人たちはこういう瞬間を味わうために国会議員をやっているのではないか、とさえ思った。解散の一連のプロセスから受けた印象の中に、人間の脳の不思議な働きが現れているように感じたのである。
 
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

9月 4, 2005 at 09:09 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

もともとは軟体動物だったものたち

 土曜の東京は、いつもと違う
装いをしているような気がする。
 同じ街なのだけれども、
壁紙やカーテンがかわって、
 気配が変化しているように思える。

 日本テレビ「世界一受けたい授業」
の打ち合わせ。 
 前回のテーマは「気付く」だったが、
今度のテーマは「気付かない」

 竹下美佐さんとエレベーターのところで
待ち合わせた。

 倉田忠明さんが、またもや「アハ! センテンス」
の傑作を考えつく。
 倉田さんにはアハ!作家としての
素質あり。

 朝日新聞社に移動。
 週末の築地市場駅は乗降客も少ない。
 文化部、編集委員の由里幸子さんと。
 外の植え込みのところで
お話する。
 吹く風がさわやかだった。
 
 歩きながら考えていると、
思考にはどうも二種類あるような気がしてくる。
 ブロックを積み上げるように、
ステップを積み重ねるものと、
 曖昧で、あやふやで、ふわりとした
軟体動物を掴んでいるような
 感覚の時と。

 何かが進む、ということは、
後者が前者に変わっていく過程の
ように思う。
 軟体動物からブロックをつくる。
 そのためには、乾かして、形を
整え、
 空間の配列をはっきりと
見極めなければならない。

 それでも、ブロックがもともとは
軟体動物であったという
こと自体は、忘れてはいけないと
思うのだ。

 言葉に生命を与えるためには、
それを軟体動物として扱わなければ
ならない!

 そんなことを書いていたら、
無性にウニ丼が食べたくなった。

9月 4, 2005 at 09:00 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/09/03

流れるように

午前中、JSTの野田正彦さんと
小林毅久さんと打ち合わせ。
 バイオとナノのワークショップについて。

 ソニー4号館で昼食。

 午後1時、読売新聞の滝田恭子さん。
 午後2時、脳科学グループのゼミ。
 柳川透がprogress report、
張さんがECVPの発表内容についてレポート、
 関根崇泰が論文紹介。

 その様子を、NHKの『プロフェッショナル』
のクルーが撮影。
 河瀬大作さんがディレクターで、
 百崎満晴さんがカメラを担当。

 夜、朝日カルチャーセンター。
 花束やチョコレートをたくさんいただき、
びっくりする。
 
 電通の佐々木厚さんは、小林秀雄の
「ドストエフスキーの生活」の署名本を、
神田の古書店をわざわざ3時間も探し回って
買ってきて下さった。
 
 皆様、ありがとうございました。

 レクチャーは、ウィリアムズ症候群の
人々の音楽知覚について考えた。
 ウィリアムズ症候群の人たちは、
音楽とノイズをあまり区別しないで
聞いている。
 側頭葉よりも扁桃核が活性化する。

 言葉になる感じと、
 言葉にならない感じ。
  
 整った感じと、
 整わない感じ。

 それらの間にある何かを模索した。
 引用資料は、
 保坂和志「小説の自由」
 小津安二郎 「秋刀魚の味」
 オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」
 オペラ「道化師」
 オペラ「後宮からの逃走」

 気分は秋の夜長なのだが、
ここのところ、真夏の暑さがしつこく残っている
ように感じる。

9月 3, 2005 at 11:17 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/09/02

(本日)朝日カルチャーセンター 脳と音楽

本日
朝日カルチャーセンター講座
脳と心を考える ー脳と音楽ー
 
第4回
2005年9月2日
18:30〜20:30 東京新宿
朝日カルチャーセンター

(途中からの参加もできます)

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture20.html 

9月 2, 2005 at 07:11 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

萩尾望都「科学者とお茶を」 茂木健一郎(後編)

萩尾望都対談シリーズ
「科学者とお茶を」
ゲスト 茂木健一郎 (後編)

web マガジン ポプラビーチにて本日公開

http://www.poplarbeech.com/

9月 2, 2005 at 07:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

最後の晩餐

Webマガジン en 連載
茂木健一郎 「おいしさの恵み」
第6回  最後の晩餐

http://web-en.com/

9月 2, 2005 at 07:07 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

あすへの話題 一回だけの体験

あすへの話題 一回だけの体験
茂木健一郎

 夏が終わった。海や山、見知らぬ街。思い出に残る様々な体験があったのではないか。
 人間の脳は一生変化し続ける。繰り返し体験することも大切であるが、時には、たった一回の体験が忘れがたい刻印を残すことがある。
 私の場合、高校1年の時にカナダのバンフで見たオーロラが強烈だった。ちょうど太陽の黒点活動が盛んな時期で、全天に舞う光のカーテンを見ることができた。最初はかすかに空に現れた光の筋が、やがて空全体にコーヒーに溶かしたクリームのように広がっていく。あの夜の時間の流れを、忘れることができない。
 一日の出来事のうちでも、なぜか覚えていることと、忘れてしまうことがある。脳は、体験したことを記憶するかしないか振り分ける仕組みを持っているのである。感情をつかさどる脳の部位が、記憶の中枢と連動して、何を記憶するか、無意識のうちに選択する。
 一生に一度あるかないかの印象的な体験は、私たちの感情のシステムを刺激し、忘れがたい記憶として刻印される。脳の神経細胞のつながり方が変わり、しっかりと定着されるのである。
 一回だけの印象的な体験は、何時やってくるか判らない。時には、他人がふと漏らした言葉が心に響いて、忘れられないこともある。偶然目にした風景や、手にした本、街角の光景など、記憶のシステムに強烈な刻印を残す体験との出会いは、人生の至る所に待っている。
 一回だけの体験が、人生を変えてしまうこともある。それが何時どこで訪れるか判らないからこそ、この限りある生は一瞬一瞬が大切になるのである。

(日本経済新聞2005年9月1日夕刊掲載)

9月 2, 2005 at 07:05 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

見つけたのではなく

大学院の入試、口頭試問の日。

 学生たちも緊張するのだろうが、
こちらも緊張する。
 何しろ人生の岐路がそこにある。
 こうなったことが、ああもなったかも
しれないという
 「偶有性」が露わになるのだ。

 東工大すずかけ台キャンパスは、本当に
緑が濃く、
 特に中央の池の周囲の雑木林は見ていて
ほれぼれする。
 何しろ、子供の頃虫取りで野山を駆け回った
から、
 ぱっと見ると魚影ならぬ虫影の濃さが
判るのだ。

 突然思い出したことがある。
 あれは小学校5年生くらいだったか。
 家から電車で数駅のところにある
大きな公園で、
 「蛍の夕べ」があった。
 今では自然愛護の視点からあり得ないのだろうが、
 蛍10万匹が公園の敷地に放たれる、
というイベントだった。
 
 両親に連れられて、妹と行った。
 しばらく、雑木林の暗闇の中の蛍を
追いかけ回した後、
 ふと休んだ木の幹に、立派なコクワガタ
のオスがいた。
 うれしくなって、大切に持ち帰って
飼った。

 あの、黒光りする個体を見つけた時の
うれしさを、何となく思い出した。
 人間の記憶のダイナミクスというのは
不思議である。

 ある時、あるタイミングで、なぜその
記憶が蘇ってくるのか。
 説明しようと思えばできそうだが、
敢えてしないで放っておくのも良い。

 あの時、私がコクワガタを見つけた
のではなく、
 コクワガタと私が出会ったような
気がするのは、
 入試の日だったからだろうか。

9月 2, 2005 at 07:01 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/09/01

第4回小林秀雄賞発表

第4回小林秀雄賞発表

http://www.shinchosha.co.jp/kobayashisho/

9月 1, 2005 at 06:55 午前 | | コメント (0) | トラックバック (4)

嬉しい驚き

 矢来町の新潮社で、『考える人』に掲載される
小林秀雄賞のインタビュー。
 松家仁之さん、北本壮さん、金寿煥さん、
足立真穂さん。

 いろいろな雑談を挟んだ流れの中に、
久しぶりに親しい友人と囲炉裏端で
ゆったりと対話したような
気分になった。

 帰り際、嬉しい驚きが。
 7月12日に青山ブックセンターで
あった保坂和志さんと小島信夫さんの
対談の録音を、
 保坂さんが気を利かして「茂木さんに
あげてください」と手配して
 下さったのだ。

 仕事の都合で行けなかったのだが、
「奇跡的なまでに感動的」な対談だったと
複数の人から聞いて、
 過去を取り戻したい、と焦燥を募らせて
いたところだった。

 ほくほくして、新潮社を出る。

 原宿のBS朝日へ。
 「いまどき! ごはん」の
収録。
 小倉智昭さんと柴田理恵さんがホストになって、
ゲストとごはんを食べるという番組で、 
 私と囲碁の梅沢由香里さんが客だった。

 桑名の焼き蛤と、三重の新米がうまかった。
 しかし、カメラの前で食べるのは難しい。
 放送は9月18日(日)18時〜の予定。

 研究所で、小俣圭のInterspeechのポスターを
チェック、
 この前時間切れで聞けなかったSOMの研究内容を
聞く。
 ちゃんと視聴覚統合の非対称性が出ていて、
やったね、小俣君、と思う。
 これで、博士論文の骨格の一部ができたようだ。

 柳川透の研究の論文をどこに出すかも相談。
9月からは少々慌ただしい。

 送別会があり、その後、
残っていたメンバー(小俣圭、柳川透、
須藤珠水、田谷文彦)で
 五反田の飲み屋に向かい、軽く飲む。
 小俣や須藤とポップスの話をしたのが
面白かった。

 1時間ほどで私は一足先にさよなら。
 仕事の後のビールはおいしゅう御座いました。

 今日は大学院の入試で、一日中東工大のすずかけ
台キャンパスに行く。
 本格的に秋の気分である。

9月 1, 2005 at 05:04 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)